君に知っていて欲しかった


   墓護り

 通路を歩くに従って空気が冷えていく。イレヴンと蔑視される日本人は、日本本土から遠く離れた欧州においても差別された。軍属においても外人部隊と呼ばれて体のいい溝さらいをしている。本国の軍属が政治的に持ち出せない場合に、軍事力の宛外として用いられる。戦闘力など能力による差別化ではないから国民への説明というリスクを背負わない軍事力としてこき使われる。そのくせ低位に見られるから設備や食事がひどいものになる。多少の不具合や不都合は改善はおろか検討さえされない。薄暗い通路とだんだん粗野になる装飾はその現れだ。
 「ねぇリョウ。聞いてる? 今度さ」
隣で話すユキヤの声はまだ少年期の甲高さが残っている。ろくに聞いていないのに構わず話す。後で聞いていないとバレると厄介だがユキヤは重要事項も世間話も同じ調子で話すから区別がつかない。ここの周りって森でしょ? 出るんだって。何がだよ。鬱蒼とした場所で出るものって言ったら決まってるじゃない。これだよ。ユキヤは両手を垂らしてみせる。リョウははんと鼻を鳴らした。好きに出てろ。カイダンじゃん。気にならない? ならねぇよ。真実どうでもよかった。
「部屋に戻れよ。足のない奴が待っててくれるぜ」
しっしっと追い払う手つきにユキヤは薔薇色の頬をふくらませた。年少であるからその肌にくすみもない。子供っぽくぱたぱたと駆け去っていく足音を聞きながら施錠を解く。
 部屋に入ろうとする前に眉をひそめる。期間が短かろうと自分の部屋であるから異分子の混入くらいは嗅ぎつける。身構えたまま部屋を明かりを点けると寝台の上にアキトが待っていた。細い脚を組み、その頂点に肘を乗せて細い頤は手に乗ったまま突き出される。馬鹿にした格好だが様になってしまうからなんとも言えない。
「遅い。部屋へ戻ろうかと思った」
戻っちまえと言いたいのを堪えた。アキトはリョウたちの要人襲撃をたった一人で返り討った張本人だ。アキトの戦闘力も性質も警戒が必要で容易に会話もできない。言質に盗られてひどい目にあった。用心深く押し黙るリョウを一瞥してからアキトは洗練された動きで立ち上がる。まぁいい。来い。すれ違いざまに肘を引かれてリョウの体はなすすべなく引きずられる。一定の時間を置いて自動的に閉まる扉と施錠の音が虚しく響く。
 「おい」
なんとか体勢を立て直して追いすがる。アキトはリョウなど気にしない素振りでずんずん歩いていく。それでいてリョウが遅れれば速さが緩む。リョウの目の前でアキトの三つ編みがポンポンと跳ねた。蒼い艶を帯びる髪をうなじの部分だけ一房伸ばしている。そこをきつい三つ編みに結っている。尻尾のように跳ねる三つ編みがほつれていたり解けたりしているのをそういえば見たことがない。戦闘機での戦闘でも乱れないほど強く結われていた。跳ねるのを掴むとアキトが振り向く。目線が何だと問うている。それを無視して三つ編みばかりいじる。解いてやりたくなったが結い紐まで固く結ばれている。アキトはあいた手で乱暴に三つ編みを払った。
「足元に気をつけろ。転ぶのは勝手だ」
気がついたら外へ連れ出されようとしている。
 アキトは迷いもなく歩いていく。目的地があるのかも知れなかった。リョウはなんとかアキトに遅れずに続きながら不意に伸びている枝や盛り上がっている木の根を避けて歩いた。不意に打ち付けるそれらは目蓋の奥で星が散るほど痛い。しかも木の根や枝の方はそこに居るのが当然のような顔をするからリョウの方ばかりが気を使う。被害はリョウの方にあるのにリョウの方が悪いような気になるから厄介だ。しかもアキトは風のようにそれらを避けて歩く。気負いも気遣いもないその動きは自然に馴染んでいる。
「どこに行くんだよ」
掴まれていた肘を退く。唐突なそれであっさりと拘束が解けた。アキトの指が一瞬空を切り、リョウとアキトのつながりが切れる。三つ編みを翻して振り向いたアキトが手を伸ばす。襟を掴まれてそのまま唇が重なった。しかもアキトはリョウの白い襟巻まで掴んでいる。同じ隊であるから揃いの制服である。それでもその着こなしや着崩しに個性が見える。リョウは留め具や襟を開いてゆったりと白い襟巻きを巻いた。一番真っ当に着こなしているのが一番の古株であるアキトだった。過剰な装飾も削ぎもない。与えられたものを過不足なく着込んでいる。
 詰まった息を継ごうとしてリョウが反ろうとする。アキトはそれを追って唇を被せてくる。開いた歯列をかいくぐって舌を絡めてくる。噛み切ってやろうとしてその柔らかさに怯んだ。乱暴に扱っていたものが不意に壊れやすいと気づいてしまった時の躊躇いと怯みが去来する。アキトはリョウがおとなしいのをどうとったのかさらに食むように唇を重ねる。アキトの繊手がリョウの頬をなでて耳朶をくすぐり頤を固定する。アキトの指先や手のひらが絹のように滑る。掴み所がない布地の流れのように慌てたリョウの手の内からこぼれていく。がつん、と硬い感触が踝へ疾走ったと思った瞬間に腰から砕けた。木の根に足を取られて転ぶのをアキトは巻き込まれずに見ている。ちくしょう、いてぇ。土を払って立ち上がるなりにすぐ手を引かれた。今度は肘ではなく手首を掴んでいる。そのまま引っ張られて開けた場所へ出た。リョウが目を眇める。琥珀が不穏に煌めくのをアキトは何も言わなかった。紺紫は静かにリョウと墓地とを見やる。それらは明らかに墓標であるとわかるのに十字架を模したものが少ない。そこに葬られているものがどこへ属すかを顕にしている。一帯をまとめるように少し引いた位置に石が積んである。日本人の根底にある宗教観がにじむ。賽の河原。親より先に死んだ子供が逝くそこのように墓標の前に石が積んである。
 アキトに声をかけるのを躊躇った理由はリョウにも判らなかった。静謐な死が満ちるそこで軽口が叩けない。リョウは掴まれたままだった手をそっと払った。特に文句も出ない。遺品が埋まってるんだ。アキトが唐突に口を利く。作戦上遺体は回収できなかった。拾った手足を頭部もなしに見分けられなかったんだ。アキトの目が茫洋とそこを眺めた。リョウはなんとか情報を洗い出す。そういえば日本人を集めた部隊での作戦があったらしい。被害は壊滅的。だがその壊滅を口にした時の本国の上官の顔は忘れない。多分死んだのはイレヴン。
「悲惨だった。何も残らない奴も居た。でもオレには、約束が、あった」
アキトのそれは会話というより独白だ。リョウは口を挟まなかった。墓標を眺めれば表記はアルファベットでも読んでみれば和名も多い。ここに来る奴はいない。イレヴンだからな。固執する理由がないな。リョウに向かってアキトは困ったように笑んだ。日本人でいるっていうのは、そういうことだ。リョウは黙ったまま墓標のホコリを払う。生年と没年が刻まれる形式だ。計算すれば年齢が判る。
 「墓があるだけマシだぜ」
はん、とうそぶくとアキトの目が瞬いた。リョウは地下組織に属した。地下組織の構成員など真っ当な籍がない。いつ生まれたのかもいつ死んだのかも記録されない。誕生日が明確ならそいつは上等だった。切った尻尾は数多に及ぶ。組織のために切り捨て殺して死んできた。その組織の成れの果てが三人組だ。バカバカしくて吹聴する気にもならない。同じ釜の飯の喩えを思い出す度にその面子が減っていることが斬りつける。でもな。
「…箱庭で死ぬよりマシだ」
檻の中で死ぬなんて獣だ。しかも、飼われた獣だ。牙も爪もなくしてただ死ぬだけの。記録や記憶に残らずとも、爪や牙をなくして飼い殺されるよりはマシだとリョウは思っている。アキトは薄く嘲笑うと小首を傾げた。お前のそういうとこは好きだな。気持ち悪ぃな。お前に好かれたいとは思ってねぇよ。立ち上がるリョウの姿にアキトが口元を弛めた。
 「お前、結構体はいいんだ」
「どうイイんだよ」
リョウも判っていて笑い飛ばす。ハン、と鼻で笑う。一房だけ垂れた前髪が揺れる。茶褐色の短髪の襟元をアキトの目線が移ろう。刈り上げるほど短くしないのに肩へかかれば切り落としてしまう。アキトの手がリョウの髪を強く掴む。そのまま唇を重ねられる。
「オレもここに葬ってもらおうかな」
「誰が葬るんだよ」
「お前」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。俺はお前なんか葬らない」
吐息が混じる。濡れた息と舌が行き交う。貪る口づけは互いの唇を食む。血がにじむほど歯を立てては溢れた血を吸う。傷口さえなぶられた。いつしか草叢へ寝そべってリョウの体はアキトに向けて開いていく。シャツを引っ張られたりベルトを揺すられたりして不意に気づく。馬鹿、もっと丁寧にやれよ。女のように慈しんで欲しいのか? そうじゃねぇよ。リョウの指がアキトの三つ編みを探り当てた。慰むように玩ぶのをアキトは好きにさせる。その間にアキトも好きなようにリョウの肌を吸った。馬鹿、痛いぜ。

立ち込める霧が二人の体を濡らした。


《了》

なんかすっごい毒にも薬にもならない感じ         2013年11月18日UP

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