取り返す失敗


   甘い酔漢

 さらさらとした敷布は糊が利いていてひんやりと心地よい。まとわりつく微温さもなくどこまでも別物のそれは、それゆえに魅力的だ。暑さが厳しくなると押入れに畳まれた布団の間に腕を突っ込みたくなるのと似ている。風通しの具合によってはよほど快適でひんやりする。あれをやめるのは少し時間がかかったように思う。頬を寄せて膝を折る。長じて背丈が並以上になってもこの癖は直らない。手脚が伸びるほど余計に体を丸めるようになった気もする。とろりと眠りの泥濘へ浸かりながら、不慣れな心地よさにようやく気づいた。最近寝具に金をかけた覚えがない。敷布からほんのり香る樟脳は久しく知らないものだ。だいたいにして煎餅布団の感触ではない。敷布の感触を手足だけではなく尻や肩や背中からも感じていると気づいて初めて跳ね起きた。薄暗がりでも判るのは凝った欄間や長押で雪見障子まである。襖で仕切られて部屋になっている広さのここは卜部が馴染んだ格安の単身者の住まいではない。ぴったりと閉じたものと薄く開いた隙間から漏れる明かりは卜部以外の存在を示す。
 起きだそうとして全裸であることに気づいた。そろそろ布団では暑苦しい時期のせいかかぶっていたのは毛布だ。夏がくれば大判の上掛けへ変化する。辺りをうかがっても局部を隠せそうな布地はない。毛布をかぶっていくかと思ってからどこへ行くんだと思考は停滞した。往来へ出て帰宅するには障りがありすぎる。暗がりの深い場所はどうやら床の間で、普段からの寝所ではないようだ。敷いてある布団も敷布もくたびれていない。くん、と鼻を鳴らすと識っている香りがする。思い出すと同時に候補を打ち消す。理由がない。枕辺には水差しと硝子コップが用意されている。切子細工のそれは卜部の自宅に備えようもない部類のものだ。
 おろおろしている空気が伝わったのか人の動く気配がする。どこの有閑の家へ転がり込んでいるのか。路地裏で安酒を呷ったところまではなんとか覚えている。酒で記憶をなくしたり往来で目を覚ましたこともあるせいか素早く開き直りがある。金が絡んでたら厄介だなァ。痩せぎすの卜部を好んで寝床へ連れるものは少ない。その分深く関わるからこじれると面倒だ。
「目を覚ましたか?」
音もなく襖を開けた藤堂に卜部の体が停止した。藤堂は海松色の和服をまとって緑青の帯を締めている。複雑な柄や模様ではないが縫い目や布地の流れが揃った粋のものであることは判った。藤堂は数を揃えないぶん質が高い。暗がりでも勝手知ったる足取りで藤堂は部屋の中ほどまで来ると明かりをつけた。払拭された闇とあらわになる現実に目眩がした。卜部は全裸で布団に寝かされていた。脱いだ覚えはないが下着まで無い。頭を抱えるのを見て藤堂は気遣うように膝をついた。気分でも悪いか。水を替えるか? あの、中佐、俺、往来に転がってました? 一番考えられるのは泥酔した卜部を藤堂が泊めてくれている可能性だ。卜部が路地裏に出入りしたり多少無茶をするのを不本意と言いながら藤堂も知っている。
 「お前は寝込んでいなかったが。話しかけたら返事をした」
記憶が無い。どのあたりから飛んでいるかさえ判らない。覚えているといえるものさえ曖昧に霧の向こうだ。最初から藤堂を付きあわせた可能性まで出てきた。
「一緒に飲もうというから飲んだ。帰ろうとしないので私の家に泊まるかと訊いたらそうするといったから」
藤堂は何も可笑しくないとよどみなく言ってのけた。明かされる言葉に卜部がじたばたするだけだ。すっかり忘れている己の醜態にもう酒は飲まないと誓わせるほど恥ずかしい。藤堂は躊躇いがちに、それでも確りと言った。お前が私を好きだといってくれた。何度も。私のことも名前で呼んでくれた。藤堂の手がひたりと卜部の胸部へ張り付く。鼓動さえ伝わるようだ。剣戟や武術を嗜んでいるからところどころに肉刺がある。不恰好だろうと笑いながらあっさりと晒してみせる。引き換えたものの重みを知っていて活用もする。藤堂は必要であれば泥をかぶることさえ厭わない。ざわりと、卜部を成す細胞のすべてが藤堂の方を向いた。落ち着かなげに忙しなく、卜部の意識の深い場所がズルリと動いた。たじろいで動揺する卜部の喉は張り付いて音さえも漏れてこない。薄く開いた唇をついばまれた。濡れた舌が卜部の舌を絡めて吸う。
「…ちょっ………っぅ、ん…」
髪や頬を抑えられて貪られる。傾いだ体が横たわるのを嬉しそうに促す。表情は変わらないのにまとう空気が変わるのだ。戦闘の一環として気配に過敏な藤堂は深い位置まで把握して繰れる。無意識や知らないからというレベルではない。藤堂のうれしそうな気配は明確な働きかけだ。
 唇だけにとどまらず、藤堂の指や唇は卜部の首や鎖骨、脚の間まで這いまわる。払いのけるでもなく受け入れていることに卜部のほうがびっくりした。卜部が閉ざす場所の鍵さえ藤堂は持っているようで不意に深い虚を探られる。そんな、とこ。無垢に開いた藤堂の口元から清潔な歯や舌の艶が艶めいた。吸い上げたり歯を立てたりする。揶揄さえ含めるそれは卜部の体の損傷ではなく裡を晒すことへの誘いだ。卜部の体が藤堂に向けて開いていく。這う藤堂の手が皮膚を突き破って腹の中を探っても不自然でないほど卜部の境界線は脆弱に成り下がる。交渉よりほど濃密で罪悪感もなく、淫らだった。苦し紛れに伸ばした手が藤堂の鳶色の髪を掴む。濡れていた。ふわりと石鹸の香りがした。仰臥した卜部の体を藤堂の手のひらが余すことなく触れてくる。体温の上昇を伴うそれは眠気や怠さを呼んだ。触れてくるぬくもりに安堵して眠りそうになる。
 見上げた天井の木目が目玉のようだ。数さえ数えられそうなそれに引きつけられる。古風な覆いをかぶせた電灯はぼやりと円形に天井を照らす。薄暗い四隅から闇が垂れてくるようだ。藤堂の灰蒼の双眸だけが仄白く煌めいた。灼けた皮膚をしているのに目ばかりが白く刳り抜かれる。明確な意志を帯びたその灰蒼はくっきりとした。白目と交じり合って獣の目のようにならない。確りと睨んで来るその目の強さにいつも魅せられる。敷布の感触が卜部の意識を留めさせる。藤堂が覆いかぶさる。ぱり、と固めの糊の利いた敷布が鳴る。
「巧雪」
藤堂の発音はきれいだ。訛りもないし独特の抑揚もない。これほど素直に、卜部の名前を呼んでくれるのは藤堂だけで、だから卜部は藤堂に対して罪悪感や責任を感じてしまうのかもしれなかった。指先を喉へ這わせる。卜部の好きにさせる藤堂は卜部の求めるものを知っている。指先が絞めるように絡んでも藤堂は制止もしないし払いのけもしない。
「こうせつ」
呼び名としては不適切な長さだ。略すには短いがすべて呼ぶのは面倒臭い。だから卜部はたいてい苗字でウラベと呼ばれる。深い関係を持ったものもそうだった。藤堂だけが卜部の下の名を倦むことも間違うこともなく呼ぶ。肉刺で一部だけ硬質になったりする藤堂の指が卜部の喉にかかる。このまま絞められてもいいと思う。異質な熱が襟巻きのように首を覆う。火照った指先。
「鏡志朗」
口元が弛んだ。張り詰めた藤堂の弛みは珍しくて、それに巡りあった幸運を信じて何度もまとわりつくのを繰り返す。賭け事と同じ循環にハマっていると判っている。十も外れても一つの当たりがあればそれにすがって繰り返す。藤堂はそんな我儘にさえ応えてくれる。
 私のことは好きか? なんで。一度お前の口から聞きたかった。そんなこと気にすンな。眠る前のお前は何度も私に好きだといってくれたから、それがひどく恋しくなったけだ。好きだと言われて悪い気はしない。藤堂の告白は素直だ。不用意な躊躇いもない。拒まれるなどとは考えもしていないのだ。無根拠の自信は尊敬する。
「またお前を抱きたくなった」
「……どうしても抱くンすね…」
「どちらかと言われたら私はお前を抱きたいと思ってる」
ふよ、と唇を圧されて卜部は何かを呑み込んだ。唇の薄い人は薄情な性質だというからお前は情に篤いのか? 知りませんよ。つまらねぇたァさんざん言われましたけど。私はお前をつまらないとは思わないが。楓蜜と虫を控えてくれれば。一言が引っかかる。藤堂はむやみに揶揄や嫌味を言わない。じとっと見上げる卜部に藤堂はあっさり言った。つまみだといって虫を探すのはよしなさい。嫌な汗が吹き出した。食ってました? 探していた。
 もう少し一般的な虫にしなさい。セミは夏の虫だし。言い募る藤堂に悪気はないのだ。藤堂はよくも悪くも個人を尊重してくれるから批判しない。黙認するだけだ。その割にあんた平気で俺とキスするなぁ。びくんっと跳ね上がる藤堂の肩に卜部まで釣られて跳ねた。え、なに? 言わないほうが良かった? ……私が虫を食うわけではないから。言い訳がましいのはこの際見ないふりをする。ほどほどにしなさい。藤堂が言いつける口調なのは道場で教える立場であるからだ。良きにつけ悪しきにつけエネルギーのある少年少女を相手にするには多少の強引さが必要だ。何か言おうと開いた唇を奪われた。驚く卜部に藤堂はむっと膨れた。
「虫を理由に逃しはしない」
「酔っ払ってっからゲロ吐くかもよ」
「構わないが」
返事が早い。へたをするとすでに吐いた可能性もある。黙ってしまう卜部に藤堂は尻尾を振ってのしかかる。藤堂の唇は何度も卜部のそれと重なる。そこから流動的に熱が行き交う気さえする。
 緩慢な怠さと眠気が卜部の体を支配する。それは同時に藤堂に対する警戒の緩さだ。鳶色の髪は黒く重い。灰蒼は仄白い。眼前に迫るそれを凝視した。意思の揺らぎを映すように双眸は潤んで瞬く。凛とした眉筋や通った鼻梁。藤堂の顔容は上等だ。精悍ななりに整い、不躾な暑苦しさもない。藤堂の美貌は一歩引いた冷静なものだ。
「お前に触れたい」
指先が喉を押した。喘鳴を繰り返す卜部の唇は何度も吸われる。やわい唇と熱く濡れた舌の感触が鮮明だ。息を継ごうと開く隙間が埋められて喘いだ。頭の芯がぼわりと滲む。曖昧にしびれるそれは体の自制さえ取り払いそうだ。
「きょうし、」
あとの言葉は呑み込まれた。境界の曖昧な熱は容易に去らない。ぼやぼやとした痺れはいつまでも残って卜部を惑わす。指や手のひらを這わせる。互いに確かめるように体をなぶる。服はすでに意味を成さない。卜部はいつの間にか裸身を晒し、藤堂の帯さえ畳の上にうねって落ちた。
「ほしい」
どちらからともなく溢れた言葉は欲望だ。濡れる口づけを交わした。卜部は自然に脚を開いた。藤堂が位置を探る。一つになって蠢く裸身が雪見障子に透けた。


《了》

またよくわからんものを(自覚があるようだ)      2013年6月9日UP

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル