表裏の間
なにもないものの真ん中
夜も遅いから靴音も少ない。内側から見ると飾り気もない窓枠だが外から見ると欧州めいた装飾が塗りたくられていて口の中が苦かった。この地域は大国の支配に反対している。ブリタニアという国が植民化を繰り返してはその地域を数字の羅列で呼んだ。隷属民と国は数字の羅列でしかなくナンバーズと呼ばれる。リョウの国もそうだしリョウは日本人だ。だがここはエリア11となった日本ではなく欧州で、だがこの国はナンバーズへ堕ちた日本人を隔離した。ブリタニアに従う気はないが鼻息を覗わないわけには行かないのだ。その噴出口がイレヴンになった日本人の扱いだ。この地域で日本人は正規国民としての数に入らない。そのために日本人だけの部隊は組織された。噂は新参のリョウの耳にも痛いくらい入ってくる。世論の矛先のそらし方。日本人部隊のやることは多い。雑用に始まり消耗戦や敵陣への斬りこむきっかけ。生存率が地を這う作戦。
「くそッ」
基本的に日本人は軽んじられているから扱いもそのようになる。施設の設備は良くとも利便性が欠けるのだ。普通に使うぶんには構わないのだが日本人が使えるところを考えると効率は著しく悪い。宿舎が便所に異様に近いか異様に遠いか。湯殿に浸かる文化があまり浸透していないしそんな余裕はないからシャワーなのだが、そのシャワーと洗面はなぜか切り離されていたりまとめて建物端にあったりする。その時々で余った場所をあてがわれている。出張も出向もするが宿営さえ共有させてもらえない。別口でテントを貸してもらえるなら僥倖だ。たいてい野営をする。
歩く時間が長いとそんなことばかり目についてうんざりする。靴音がぶれてリョウが足を止める。足音も止まった。歩き出すとする。どこの物好きだか知らないがリョウはつけられている。ユキヤやアヤノならともかく俺かよ。ユキヤは線も細くて目の大きい顔立ちであるし少年期特有の性別が曖昧な領域にいる。アヤノは明確に少女だし胸もそれなりにある。顔立ちだって悪くない、と思う。その二人を差し置いて威嚇的だし明確に男のなりの自分をつけ回す理由に苦しむ。喧嘩でも売ろうってのか。戦闘は嫌いじゃない。基本的に負けないし体を動かすのは好きな方だ。
振り向いたリョウはそこに居た人影に呆れた。日向アキトだ。要人を襲撃したリョウたち三人を返り討ちにしてしかも捕縛したのがこのアキト当人だ。リョウなど戦闘機に乗っていたのに戦闘機を捨てたアキトに敗北したのである。いい印象がないどころの話ではない。自然と険しくなる表情に、アキトは怯むどころかますます見据えてくる。遠慮がない。蒼い艶を帯びた髪は黒くて長い。一見すると短いのだが一部だけ突出して長い。切り忘れた尻尾がそのまま揺れている印象だ。きつく三つ編みに結ってあるから猫の尻尾にも似ている。アキトが歩くたびに背中や肩で跳ねたりする。紫を帯びる双眸ははっきりとしていて大きめであるのに無気力感が拭えない。淡々と任務をこなすが野心がない。剥き出しの欲望はアキトから遠い言葉だ。
双方から言葉がない。リョウから見て親しげに交わす言葉はないしアキトも進んで話す性質ではないようで口を利かない。沈黙の気まずさが馬鹿馬鹿しい。踵を返すリョウの後ろをまだアキトがついてくる。
「なんか用かよ」
我慢の限界はあっさりきた。そもそもリョウは訊かずに溜めることが出来ない性質だ。言いたいことは言うしそれで駄目ならそれでいいとも思っている。アキトは快不快を示さずに当然のように問うた。
「どこへ行くんだ」
「てめぇに関係あんのかそれ」
素直に答えるのが癪に障った。人の上に立ったのは必要だったからだが、リョウ自身が命令されるのは好きじゃない。抑えこまれると反発する性質なのだ。アキトは肩だけすくめると平然とリョウを凝視した。歩き出せばついてくるのは明白だ。撒いてやりたい感情とそれだけの消費に見合う目的かどうかを疑う理性がある。シャワーを浴びに行くだけである。舌打ちして踵を返す。歩き出すと案の定アキトはついてくる。しかも今度は存在がバレているから靴音を隠そうともしない。どこへ行く。うるせぇな、なんでてめぇはそう命令っぽいんだよ。オレの方が先輩だ。先輩後輩ってツラかよ。
シャワー室へつくと使用終了の札を無視して入り込む。札はそのままにしておく。そのほうが人が来なくていいだろう。壁と連続したタイルで蓋をされている給湯の電源を確かめる。湯が出るように設定してからリョウは服を脱ぎ始めた。ふと目を上げてまだアキトがいることにぎょっとした。人前で裸になる習慣はない。共同浴場であっても、それであればなお隣の人間の裸身など見つめない。アキトは遠慮も罪悪感もなくリョウの裸身を頭のてっぺんから爪先まで凝視する。しかもアキトまで脱ぎだした。お前もシャワー使うのかよ。服を着ていると濡れるだろう。リョウは釈然としないまま個室の仕切りを開けた。閉めようとするそれを阻まれる。当然のような顔でアキトはリョウと同じスペースへ入り込んだ。文句を言おうと開いたそこへ唇が重なった。舌が入り込む。息を詰めるところへ嵩にかかってくる。
栓をひねっていないから水流の音がしない。密閉された空間でついばむ唇から濡れた音がして怯んだ。思った以上に音がこもって響く。たじろぐのを見越したようにアキトは体を預けては指先でリョウの裸身を探った。
「何度やってもうぶなやつだな」
アキトに笑いながら言われてリョウは苦い顔を背けた。アキトがこうしてリョウの体を拓くのは初めてではないのにリョウはいつも手綱を奪われたままだ。次に何が来ると考えてもアキトはそのとおりにしないし欲望の在り処さえ悟らせない目のまま犯したりする。そのくせ後始末などはまめにするのだからいまいちよく判らない。
「余裕だな」
アキトの白い歯が見えた。尖った胸の突起を噛まれた。リョウはアキトの旋毛を探してから無為になってやめた。アキトの唇が降りていく。端正な顔がリョウの脚の間へ埋まる。こうなるともうリョウの体は脚を曲げたり伸ばしたり、開いたりするしか術がなくなる。力を抜いた。赤い唇が裂けるように嗤うのが見えた。ぬるんと、指が。
ぼやけた視界を瞬きでなんとか鮮明にする。頭の上から微温湯が降り注いでいる。耳の裏やうなじを不意に伝ってはビクリとする。顔を上げると流れこむ水流に噎せた。出しっ放しのシャワーを放り出してアキトの唇が吸い付く。濡れそぼったそこはしっとりと馴染む。濡れて下りた前髪を白い指がたおやかに上げさせる。鳥のように翻って戻ってくる。後始末をする傍らでリョウに寄り添っては唇を寄せたり触れたりする。リョウはすでに壁に背中を預けたまま身じろぎもしない。冷たいはずの壁はすでにリョウの上がった体温で温もっている。
「素直なお前も気持ち悪いな」
うそぶきながらこたえるようでもない。アキトはリョウの反応など気にしないし求めさえしない。何度か真面目に憎まれ口を叩いてその無為さに気づいた。アキトは大抵のことをやり過ごす。押せば押すなりに退くのにいつの間にか元の位置へ戻って何食わぬ顔をしている。
「気持ちわりぃのはてめぇだ」
リョウはシャワーを掴むとアキトの方へ向けたがアキトは制止さえもしない。髪が濡れて黒く重たくなって垂れる。跳ね気味の毛先は重たく面を伏せて頬やうなじへ張り付いた。三つ編みはぺったりと背骨の在り処を表すように動かない。毛先からゆるやかに流れが生まれてアキトの肌理細かい皮膚を撫でていく。伏せがちの目は睫毛がちらつく。流れをそのままにして顔を拭いもしない。馬鹿馬鹿しくなってやめた。下ろすリョウの手首が不意に強く囚われる。引っ張られて傾ぐ上体をアキトは唇を重ねて受け止める。それだけでリョウの力が抜けていく。
深くついばんでは噛み付くほど激しい。唇を噛まれて出血したことさえありふれた。熱く濡れた舌は絡めて唾液を吸い上げては流しこむのを繰り返す。リョウの喉が震えて嚥下する。指先でそれを確かめてアキトが嗤う。飲み込んだ唾液が腹の中で熱を帯びるような錯覚を起こす。腹の中から食われてるようなもんだろ。熱にとろけた頭での思考は緩慢で間延びする。矛先さえ定められないその方向はすぐに見失われてあてどない泥へ嵌まる。そういえばこいつが好きだって言ったの聞いたことねぇな。アキトは睦言を言わない。だが接触は過剰なほど執拗だ。リョウの体の虚を掘り当てては暴き立て、撫で回しては具合をいちいち確かめる。指の股さえ開いて確かめる念入りさはそれ自体に意味があるのかないのかさえどうでもいいくらい呆れた。
端正な顔立ち。日本人であるとしてもまだマシな処遇を得られるだろう美貌だ。なんで抱くんだ。不用意なリョウの言葉にアキトの双眸は集束したがすぐに眇められた。白目を塗りつぶして眼球いっぱいに広がるそれは獣の目に似て。相性がいいからだろう。用意された答えであるのは明白だった。もっと早く訊かれると思ったがお前も人が好いな。応える気がねぇくせに言うな。嘘じゃない。相性はいいだろう、お前の体は中々素直だ。がんがんと蹴りつけるのをアキトは痛がりもしない。さらに言い募る気もないようで黙ってリョウの好きにさせている。そういう物分かりの良さが癪に障る。
「くそッ」
舌打ちしても平然としている。おい、脚を開けよ全部出たか見るから。今度こそ本気でリョウはアキトを蹴り飛ばした。
《了》