いけないと言われれば
口に含んでみたくなる
喉を詰まらせてもいい
地下組織の団体であるからおおっぴらな寝床はない。ユキヤは靴音の響きを聞きながら階段を降りた。静かな雰囲気に首を傾げながら扉を開けるとリョウしかいない。熱心にいじっているのはユキヤが作った爆破装置の模型だ。ユキヤは情報や爆発物関連が得意であり任されるだけの腕もある。図面を引いただけではわからないこともあるから模型を試しに組み立てる。そうすると無駄な手順や足りない場所がかなり具体的に判る。実際に使うことを想定して組み立てるから使いづらいかどうかも見る。リョウがいじっているのはそれの一つだ。もちろん火薬は入れてないので爆発はしないが熱心だなと思う。リョウは団体を統べる立場だがけして上でふんぞり返っているだけの馬鹿ではない。自ら戦闘に赴くしその身を危険に晒すことさえ厭わない。ユキヤはリョウのそういうところが好きだ。この好意がどういう種類のものになるかくらい自覚している。結束を削ぐかもしれないからと言い訳してなんとなく言わずに時が過ぎている。
ユキヤが自分がいつも好んで座る場所へ腰を落ち着けると携帯端末を起動させた。ここからだとリョウがどこにいてもたいてい見つかるから気に入っている。しばらく双方が出す作業の微音だけがそこに満ちた。リョウはユキヤに気づいているはずだが何も言わない。ユキヤもそれを受け入れている。初めの頃は団体の中の一員としか思われていないから自分は忘れられているんじゃないかと殊更憤ったが食事の割り当ても当番も、リョウはユキヤの番になれば声をかけるから無駄に馴れ合わないだけなのだと納得した。媚びるような奴は好きじゃない。初対面の印象は乱暴そうだなである。名前はァ? 成瀬ユキヤ。ふぅン、何ができンの。明確に馬鹿にされてユキヤは次の作戦で目覚ましい成果を上げた。リョウに警戒させるほど強くユキヤは自身を見て欲しかった。リョウの中でユキヤは入れ替わりの激しい構成要員に甘んじるつもりはなかった。結果としてリョウに名前は覚えてもらったし位置も築いた。この原動力が今のリョウへの好意につながっている。
鳶色の髪は上げられて額が見える。一房だけはらはら揺れている。うなじが見えるほど短くしないが鬱陶しくなるとどうも勝手に切っているようである。ときどき長さが揃ってない。機械関連に強く戦闘機にも乗れるだろう腕前を持ちながら徒手空拳の戦闘さえ勝利する。リョウの自信は明確に裏打ちされた戦闘力の高さだ。そういうトコ、好きなんですけど。読込中の表示から目を上げる。することがなくなった。寝台で毛布にくるまってもいいがせっかくのリョウと二人きりという空間を手放すのが惜しい。琥珀の双眸が不意にユキヤを見た。
「ほれ」
ぽいっと放られた模型を慌てて受け取る。端末も無事だし模型もちゃんと取った。模型の発火部分にメモが挟まれている。引っ張りだして読むと場所と目印。情報提供なのか仲間入り希望なのか判らない。
「なに、これ」
「お前をご指名。話聞いてこいよ」
若くて可愛い子がいいワ、だとよ。わざと声の調子を変えるのは馬鹿にしているからだ。男? それによってユキヤの役割が変わる。女。しくじるなよ。リョウの言葉にユキヤは明確に顔をしかめた。なにそれ、めんどくさい。情報はまぁどうでもいいけどしくじるなよ、女は嘘つくからな。ヘマなんかしないよ。ユキヤは読み込みを終えた端末の電源を落とすと隠しへしまった。メモは灰皿の中で燃やす。煙草を吸うのが結構いるので灰皿がある。
「ねぇなにかないの。これ成功したら僕にいいことないの」
「成功させてから言えよ」
しっし、と送り出されてユキヤが頬をふくらませる。来た時より荒い足音を響かせてユキヤがリョウとの空間を後にする。
感想としては退屈だった。ユキヤにとっては何ら意味を持たない過剰な接触だ。女の体温ばかり上がってしかも女はずいぶん膨張している。息子でも相手にしてろよ、いるんなら。悪態をつきたくなるのをこらえる。その堪えを弱い立場から来る怯えに偽装する。僕はどうすればいいんですか。女の指がユキヤの冷めた体を先導する。緩慢で重みさえある肉の塊だと思う。ユキヤは行為に溺れるふりをしながらリョウのことを考えた。そういえばこういうことしないな。リョウが相手だったらいいのに。リョウの襟をはだけて脚を開いて泣かせてみたいな。めったに泣き言を言わない。弱音も吐かない。そんなリョウに懇願されたらどんなに心地よく酔えるだろうと思う。あの髪グシャグシャにしてやる。脚の間ぐっちゃぐっちゃにしてやる。リョウだったら好かったのにな。
滞り無く成果はあげられた。相手は満足していたがユキヤは無駄に疲れただけだった。演技に終始したために気疲れまで起こしている。本当にリョウからなにか得るものがないと倒れそうだ。意に反しての活動は熱量の消費が通常より激しい。ぷりぷりしながら扉を開けるとまたリョウが一人で待っていた。よぉ、遅かったな。愉しかったか? 楽しくなんかないや。ユキヤは情報をそっくりリョウへ伝達した。間違いがあっては困るので作成した控えも一緒に渡す。目を通したリョウは鼻を鳴らして嘲笑った。焦らして高価い割にたいしたことないな。じゃあリョウが行ってよ。ぶぅぶぅ言いながらリョウが誰かを抱くのは嫌だと思っている。抱かれるのは無論だ。僕が知らないリョウがいるのが赦せない。
「お疲れさん。なんか食いたいもんでもあるか」
これはリョウの譲歩と謝意だ。無駄足を踏ませたと少し思っているようだ。つけ込むならここしかないとユキヤはまだ低い身長を折って屈めるとリョウを上目遣いに見た。ユキヤの目は大きめでぱっちりしているから上目遣いをされると勘違いする野郎も多い。そういう連中はもれなく痛い目に遭わせた。身長だってまだ伸びる、ハズ。橙色の艶の茶髪は染めたりしたわけでもないのにこの色なのだ。いつの間にかこんな色で、だからこそ余計に言葉で情報をやり取りするユキヤは軽薄だとか言われるようになっている。リョウたちはそういう先入観をなしにして付き合ってくれる数少ない人たちだ。
ユキヤがガバリとリョウに抱きついた。大きな音を立てて二人が床に転がった。周りは眠ってでもいるのか誰も来ない。なんだ、ちょうどいいな。心中でほくそ笑みながらユキヤは精一杯可愛げを押し出す。馬鹿にされたくないから神経を逆撫でする言動をしていることをユキヤは自覚している。だからその尖りを削れば愛くるしいとか可愛いとかそういう評価をされることも識っている。リョウが騙されてくれるとは思わないが多少、ためらいや気遣いに発展すれば儲けものだ。押し倒したリョウの脚の間へ位置をとる。無意識的なときにこそ布石は打つものだ。後で効果が出てくる。効果の欲しい時に打つのは布石ではなくただの手遅れだ。
「僕、リョウが欲しいなー」
「なンだよ、成り上がりてぇのか」
リョウは意図的に方向を逸らしている。むっと紅い唇を尖らせてユキヤは食って掛かった。違います、僕はリョウを抱きたいって言ってるの! 犯したいの! 大声で言うことかよそれ。小声だったらいいの。お前言質取ろうとしてんな?
リョウはユキヤをあっさりと押しのけた。まだ華奢の域にいるユキヤと違ってリョウは男の体だ。だからこそ魅了されるの、だけれども。ユキヤの指先は無為にリョウの筋肉をたどった。不均一についているのはリョウは戦闘を目的とした職業軍属ではないからだ。訓練ではなく実戦で求められる場所に偏りを見せている。観賞用でもないからどこか歪だ。しっかりしたそれに触れるかと思うと骨の位置が判るほど薄い場所もある。その虚はユキヤの劣情さえ呑み込んでいく。虐げられる発散の方法を見つけたはずのユキヤはリョウへの想いで余計に鬱屈した。みんなであの隔離された箱庭へ居たほうが好かったとは思わない。リョウに必要とされるたびに喜ぶ裏で、必要とされなくなった時に怯えて震えて眠れない夜を過ごす。そもそもそのリョウ自身も安定した生活をしているとはいえない。リョウもユキヤもみんな、いつ死んでもおかしくない生活だ。
「ねぇ、リョウ」
おとなしくなったユキヤにリョウも深追いしない。過渡期にある二人の手探りが慎重さに発露した。
「誰かに抱かれたこと、ある?」
「ねぇよ」
即答だ。俯いたユキヤは顔を上げない。
「そう。僕もない」
「抱いたことくらいあるだろ」
「ある」
粗野に言うのはわざとだ。リョウはユキヤの不用意な踏み込みを茶化してごまかすつもりだ。
その優しさが好きだ。この敏さが嫌いだ。反政府勢力としてまだ息をしている団体を保たせているだけの能力がリョウにはある。それを独り占めしたいわがままとそれはこの団体の息の根を止めるかもしれないという恐怖とに震えながらユキヤの背筋は甘く痺れる。泣かせてはならないけれど欲求としてリョウを泣かせてみたい。その葛藤を味わいながらユキヤは歪みを満たしてリョウの命令を聞くのだ。迷うほどに熟慮しているということに充実を得る。己がその渦中にいるという実感が充ちる。
「好きじゃない人を抱くって、どう」
「知ってるだろ」
冷たい一言だ。だが的確でもある。ユキヤにだって判っている。さっきまで面倒くさいと思いながら境界を失いそうな膨張した肉塊を抱いていた。全部、リョウの。リョウがそうしろというから僕はきっとそうするのだと。そうやって押し付ける責任さえもリョウは背負って、そうかと吐き捨てるのだ。
腕の中のリョウの体は先刻のそれとは違って明確に熱と繊維を帯びている。しっかりとしたその有り様にユキヤのほうがとろけてしまう。自分を融かしてもいいからリョウを蕩かせてみたい欲望がある。たぶんそれがユキヤに取っての、好き、ということなのだと思う。ユキヤはすでにリョウに侵されているからユキヤはリョウを犯したいのだと思う。
「ねぇ、リョウ。リョウは」
続く言葉はなかった。好きなの、と問いたい気持ちと不躾な怯えに言葉は切れた。嫌いだと言われたら再起不能になりそうだ。こういう時に涙の一つも見せるのが可愛げだと思うのにあいにく目は乾いたまま視界も鮮明だ。嘘泣きくらい何度もしてきたのにいざというときに全く役に立たない。
「…ごめん。このままで、いてもいい?」
「好きにしろ」
声が震える可愛げさえない。ユキヤの声の明瞭さにリョウは少し安堵したような色を見せて赦した。ユキヤの指先がリョウの背骨を撫でる。こつこつとした突起に触れることが出来た。薄い背ではないのにときおり触れてみないと気が済まない。ある程度食料を得ているからといってそれは潤沢ではない。リョウは明確に仲間へ分けてしまうから心配だ。大丈夫かと訊けば平気だと応える。そのくせ余剰分が出れば真っ先に片付けてしまうのだから腹が減っているだろうと思うのにリョウは平気だとあっさりする。馬鹿だと思う。だからこそあの隔離区域を飛び出したのだとも思う。ユキヤはリョウと一緒に居たかった。強制力が働いたとは思わない。ユキヤは自分でリョウに付いて行くと決めたのだ。周りの理由は知らないし興味もない。
頬をこすりつけるとリョウの手がユキヤの頭を撫でた。平素であれば子供扱いするなとはねつけるそれにひどく歓喜を覚えてしまった理由は判らなかった。毛先がくるりとパンのように巻いたユキヤの茶色い髪をリョウの指が穏やかに梳いた。大きな碧色の目がじっとリョウの体を見据える。琥珀の双眸を捉えることは出来なかった。怖かった。いつも眺めているときはひどく綺麗で同時に恐ろしい。自分たちのする行動の意味するところが判らないわけではない。だからこそその先頭に立つリョウは美しくて怖かった。好きでもあった。羨望も憧憬も手が届かないから綺麗なものだ。手が触れてしまったらそれの価値は著しく下がってしまうと信仰のように思っているし、そうなったらそう扱うだろう。だからこれは言わぬ恋だと。そのままでいいのだと。
「リョウ、ごめん」
リョウは何も言わなかった。ユキヤの柔らかい髪を梳いた。耳や額をくすぐる。触れる爪先が案外上品であるとユキヤは気づいた。粗暴な戦闘ややり取りに率先しているから気づかなかったがリョウの指先は繊細だ。
「いいぜ」
幾重にも取れる言葉はユキヤの逃げ道だ。ユキヤが取る路も何もかもをぼかして緩めて責任を曖昧にする。涙はなかった。自分こそがあの醜い肉塊なのだと思った。下手に取り繕っている分始末におえない。
「林檎、みたいだ」
「ダメだって言われたら欲しくなるだろ」
正確にユキヤのぼかしさえ解っているリョウの言葉に涙できたら好いと思った。臆面もなく泣いて何もかも済めばよかった。口元が弛んだ。唆す蛇はユキヤの中にこそ居る。
「ぜんぶ、のむよ」
禁断だとか禁忌だとか甘い誘惑の色を含むそれを冠するそれは
全部咀嚼して嚥下して僕のものにしてあげる
「きっと肉の、味がする」
嘯いたリョウにユキヤはキスをした。
《了》