勢いで極まること
間違いなんかじゃない
静かな廊下を卜部の足音だけが震わせた。懸命にさり気なさを装って藤堂の予定を訊いた。藤堂は不思議そうに首を傾げる間をおいてから時間帯や日程を言い、このあたりは暇だが私も売れっ子の芸能人ではないからな、と笑った。芸能人はともかく藤堂が人気なのは間違いない。一人で出かければ誰かが必ず声をかけるし、それは時折つれを伴っていても発生する。厳しい人だが部下に慕われる人であるから卜部たち四聖剣が基本的にちょろちょろとまとわりついている。藤堂自身が騒がしい性質ではないが、藤堂を有名にした戦闘からこっち、名前のあるお歴々に始まり末端の兵士までもが藤堂の動向を気にする。藤堂の独り占めはある意味でなかなか無い幸運だ。部屋の前に立つと気配が少ない。戦闘能力の余波としてある程度人の気配が読める。藤堂本人か、いても少数。ラッキーかもな。
来訪を告げる呼び出しを鳴らすと藤堂の声で応答があった。卜部が名乗ると扉が開いた。藤堂が少し驚いたように卜部を見上げる。卜部の方が丈があるので長身な藤堂の上目遣いが拝める。こういう時は少し優越に浸る。卜部が携えていた手荷物を示す。
「…? なんだ?」
「酒です。日本酒。ちょっといいのが手に入ったんで中佐と先につまもうかと」
心が動いたのか灰蒼の目がチラチラと荷物と卜部を行き交う。卜部は気配を窺うが運良く藤堂一人のところへの襲撃だったようだ。しかも藤堂の頬が少し赤いからひょっとしたら一人で晩酌でもしていたのかもしれない。
「上がれ」
藤堂が翻す後ろへ卜部が機嫌よく続いた。閉まる扉を施錠する。藤堂が振り向きざまにそれを見たが意味ありげに笑むだけで何も言わなかった。
藤堂が座布団をよこす。板張りの上に直に座る。畳じゃねぇんだ。贅沢は言えないからな。肩をすくめる藤堂に笑いながらグラスを渡される。卜部は手持ちの折りたたみナイフで瓶の栓を開けた。甘い匂いがする。藤堂も興味ありげに体を寄せてくる。触れる肩が火照っている。服越しであるはずのそれに思わぬ距離の近さを感じて卜部がビクリとすると藤堂は口元だけで笑った。
「上物だな」
藤堂は自分のグラスを干したが暫く考えるようにそれを見ている。洗うべきかどうか迷っているようだ。卜部が瓶を差し出すと藤堂がさっとグラスで受ける。洗います? そこまで上等な舌ではないな。藤堂が瓶をとって卜部に注ぐ。二人で乾杯してから干した。しばらくは言葉よりも酒が主流になる。卜部にとっても藤堂にとっても久しぶりに美味い酒だった。銘はないが物は良いらしく口当たりも喉越しもいい。変な引っ掛かりもないし腹で溶ける酒精がじんわりと麻痺させる心地は良い。
「美味いな」
藤堂がほわりと呟いた。灼けた皮膚が上気して色づいている。唇が紅いわけでもないのに殊更艶めいた。真珠の照りを帯びる白い歯の奥へ続く紅い虚ろは生殖器を思い出させて蠢いた。唇を舐める舌は唾液で照明を屈折させる。薄く開いたそこはこじ開けたくなる。卜部は体が疼くのを感じた。この衝動は明らかに生殖行為に伴う。藤堂がグラスを干した。こくこくと動く喉仏の尖りが見えた。鳶色の硬そうな髪が房になっている。襟足は短くしてあってうなじが見える。藤堂が卜部を見た。卜部の目線を追ってどこを見ているか知りながら藤堂が笑った。唇が動く。
「巧雪」
衝動のままに卜部は藤堂と唇を重ねた。藤堂の頬を抑えて唇を貪る。グラスが音を立てて転がった。卜部の手が藤堂の頤を撫でる。藤堂は腕力も敏捷性もあるのに、それしかないように脂肪がない。無駄を一切省いた戦闘に理想的な体だ。灰蒼の双眸が驚いたように見開かれたがすぐに戻った。藤堂の凛とした眉筋は揺らぎもしない。卜部は息を継いで何度も唇を寄せた。重なるたびに深く絡む。藤堂も応えるように歯列を開いて舌をからませた。
そのまま押し倒す。藤堂が少し身動いだ。卜部は藤堂の上に覆いかぶさっている。卜部の指が藤堂の襟を緩めていく。鎖骨のくぼみが見えた。押すと苦しそうに咳き込む。撫でる卜部の手さえも藤堂は気にしない。触れるだけの口付けも舌を絡めるそれにさえ動揺しない。床に仰臥したまま藤堂は薄く笑んでいる。藤堂の唇からは甘い酒の香りがした。くらくらと酔わせながら限界までそうとは気づかせない性質の悪さがある。
「どんな気分?」
うそぶく卜部に藤堂は口元を弛めたままだ。卜部の膝のあたりでわだかまっていた手が大腿部を撫でる。藤堂の笑みは深まるばかりだ。伸びた藤堂の手が卜部の頬を抑える。そのまま唇が重なった。藤堂が唾液を流し込んでくる。噎せるように苦しげな卜部に藤堂はクックっと愉しげに嗤う。眇められた灰蒼はいっぱいに広がって泣いているように潤む。藤堂の睫毛が見えた。
藤堂が膝を立てて卜部が気づいた。卜部は藤堂の体にまたがっている。藤堂の手が卜部の尻を撫でた。露骨なそれに、粗野を感じさせない顔立ちでありながら精悍さは失わない。
「いい気分だ、巧雪」
抱き寄せられた背骨が軋む。腰だけが突き出されて気をくじく。離れようとする卜部を抑えこむ強さで藤堂は卜部の痩躯を抱擁する。
「ん、む…――…ぅ…!」
舌は確実に性的な働きかけだった。ぴくぴく震えてしまうのを藤堂は愛でるように撫で回す。はふ、と離れた唇の間を違いの紅い舌先が唾液の糸でつなぐ。息苦しさで目が潤んでいる卜部に藤堂は余裕の微笑みを見せる。
「どうした、巧雪。なんだか可愛いな」
主導権は今や藤堂にある。卜部が始めたことのはずなのに場を仕切るのは藤堂で、それを覆すだけの力が卜部にはない。酒の酔いは冷めているのに体は麻痺したように藤堂に屈したままだ。藤堂が卜部の唇をなぞるだけで甘い痺れが奔る。
「まっ、て…中佐、ちょっと、まッ」
「鏡志朗だ」
藤堂がきっぱりと言い放つ。もともと藤堂は公私の区別をつけるほうだ。なんだよ、ヤる気?
「きょう、し、ろ」
藤堂の下の名を紡ぐだけで卜部は生娘のように羞恥を感じた。
藤堂が起き上がるのにつられて卜部も体を起こす。だが藤堂にまたがっているという状況には変わりがない。藤堂は卜部の脚の間から位置を動かす気はないようでしきりに背中や尻を撫でた。
「お前は痩せている。もう少し肉をつけなさい。そうでないといざというときに泣きをみる」
藤堂が口で留め具を外す。熱い吐息と間を置かずに濡れた舌が卜部の皮膚を這った。呼吸を乱す卜部を見上げる藤堂の灰蒼は悪戯っぽく笑う。卜部はもう息しか吐き出せない。声を出せばそれが嬌声になるのは目に見える。ふーふーと獣のように呼気を鳴らすのを藤堂は微笑んで見ている。体がすでに熱い。刺激があれば応えるはずだった。卜部の身体はすでに冷静な判断力を失いつつある。
「巧雪」
藤堂の舌や歯が卜部の皮膚をなぶる。それは腹であったり胸であったりする。与える影響力など藤堂は考えもしない。不意に強い刺激に慄く卜部を見て愉しむだけだ。紅い舌が卜部の身体を舐る。卜部の息が熱い。体温も上がっている。こすれあっている場所はすでに感覚がない。体温が同じ程度まで上がっているから温度差による認知ができなくなっているのだ。卜部の体も藤堂の体も確実に性交渉の体温まで上がっている。
舌先や唇が胸を甚振るように転がす。卜部の身体はすでに快感にしびれて身動きできない。
「巧雪」
名前は命令だ。卜部は虚ろに藤堂を見た。灰蒼の双眸は仄白く刳り抜かれて見える。焼けた皮膚である藤堂であればなお、その仄白さが目立った。髪まで鳶色をしているのだから余計に目立つ。卜部は黙って唇を重ねた。口腔が熱く濡れてつながる。吐き出す息さえ濡れた音をさせる。藤堂の手が卜部の臀部を掴む。身震いする卜部に藤堂は口元を弛める笑みを見せた。
「ん、ん…――…」
舌が絡む。藤堂の指先はすでに卜部の臀部の谷間へ潜む。卜部の身体がびくびく跳ねた。
《了》