※「捕らわれて、〜」(裏・18禁)の続きとして書いていますが単体でも行ける…かな?


 痛みだって快感になる



   君が護る俺は
 
 時間の流れが判らないからどれほど眠っていたかも判らない。次第に明瞭になってくる視界にこれが現実であるのだと遅れ馳せながらに気づく。リアルな夢であることもあるからそのあたりの設定が卜部には曖昧だ。窓がないから常に明かりがついている。一度消そうかと思ったがどうもスイッチがない。探せるところは探したのだがそれらしいものがない。どこかの施設の一部分かも知れないし独立しているかもしれない。壁も扉も素手の卜部がぶち破れるようなちゃちな造りでは無さそうだ。藤堂が出ていくたびに施錠する音がするから鍵は扉の外側なのだろう。文字通り卜部は藤堂に『飼われて』いる。
 だが卜部だって生きている。腹がすけば髪も伸びるし髭も生える。洗面には行けるのでひげを当たることもできる。剃刀が鎮座しているのだから藤堂は利口なのか馬鹿なのか判らない。一度揶揄のつもりで言ってみた。あすこの剃刀であんた殺して俺が逃げようとしたらどうすンの。藤堂はきょとんとしたがすぐに笑った。

お前が飢えるだけだ

それはつまり。卜部の四肢がぢゃらりと銀鎖に絡んだ。卜部を縫い止めているのはこの鎖とつながる首輪だ。鎖は十分長いからサニタリースペースにも行けるが、首輪の方は厄介だ。施錠されている。首輪の留め具を外そうとして丹念に探った。小さな南京錠のようなものを触って卜部は何もかも諦めた。番号を合わせるタイプではなく明確に鍵というものが必要なタイプだ。しかも上手く鍵を抜け出せたとして新たな問題に直面するだけだ。
 卜部は全裸なのである。騒ぎになることは間違いないしそもそも周りが判らないところへ裸で飛び込めるほど卜部は思い切りは良くない。ゼロという男の救出作戦の際に卜部は生死をさまよったと思われる。その隙に卜部の命は拾われ売られて藤堂が縄をつけた。しばらくは包帯や当て布があり、藤堂が取り替えたりしていたがそろそろ傷も治りつつある。だが戦闘中に途切れた意識が再開するまでの間を知らない卜部には藤堂の不定期的な訪いは混乱させるだけだ。
 施錠を解くような音と気配があって藤堂が顔を出した。紙袋を小荷物のように携えている。なんの印刷もない茶褐色の荒い紙だ。包を幾つか取り出す。
「今日は露店での間に合わせだが。白身魚と腸詰肉があったから両方買ってきた。好きな方を取ればいい。あまりをもらう」
藤堂の指先がこちらが魚でこちらが肉と指示する。卜部は白身魚を取った。揚げてあるパテや野菜の挟まったパンだ。あふれるソースで手をべたつかせながら頬張る。別包で惣菜もある。蓋をしてあるカップには飲物が入っているようだ。藤堂はこうやって不定期的に卜部の元へ訪っては食事や怪我の手当などの世話を焼く。そのくせ卜部の首輪などまるでそれが普通であるとばかりに気にさえしない。何度か詰め寄ったが効果がない。剃刀を首筋に当ててなお藤堂は笑んだ。怯みさえしない。お前に殺されるなら本望だ。卜部は何もかもやめた。鍵の入手も解錠も時間を数えることさえも。
 汚れた指先をしゃぶる。丹念にねぶっていたから卜部は藤堂の変化に気づかなかった。
「そういやぁさぁ」
「なんだ?」
「ゼロって元気?」
藤堂からの返事がない。黙って待っていた卜部も不審に思って顔を上げた。答えに窮するような話題でもないし、卜部が負傷したのもゼロの救出作戦でのことだ。卜部がゼロを気にするのも不自然ではない。藤堂の精悍な顔がじっと卜部を見ていた。射抜くほど強くそれでいてどこかすがるように脆弱な。灰蒼の双眸が虚ろだ。
「顔が見たいなら持ってくるが」
「なに持ってくるって。笑えねぇからやめろ」
藤堂は真面目なのか真顔だ。言葉が微妙におかしい。藤堂は箸使いや言い回しなどの細部にまで気のいく性質だから間違えたとは思わない。藤堂はおそらく卜部が言ったら持ってくる。顔が見たいというそこに生死を関係させないそれは。
 「………な、ぜ?」
搾り出された藤堂の声はかすれているが常にはない艶に満ちていた。閨で卜部に無理を強いるときの声だ。悪いと思う反面で相手に無理を強いるのが愉しいのだ。完食した卜部は指を舐めながら、別にィと肩をすくめた。
「救出作戦中だったからだよ。無事に助けられたかくらいは気になんだろ」
ゼロを見出して黒の騎士団に戻すことが目的だった。そのために必要な手順は踏んだし戦闘もした。ある程度の数を確保して臨んだはずだったが予想外の戦力に卜部は機体の自爆に敵を巻き込むことを画策した。そのつけとして意識をなくすほどの怪我を負った。目が覚めたときに卜部は全裸で首輪だったが怪我の手当はされていた。当て布の内側には縫合痕もあったからすぐさま治るようなものでないのは確かだ。
「…ゼロは、生きてる」
「なんか引っかかる言い回しするな、あんた。生きてるってのはいいとしてちゃんとゼロとして機能してるんだろうな」
ゼロの正体について言及してもいいが仮面のゼロがまだいるなら秘すべき面もある。まだ正体不明のゼロとしての威厳や威光があるなら、戦線から外れた卜部の言葉など混乱させるだけだ。
「ゼロは元気だし、作戦の立案実行にも曇りはない。…機能していると、思う」
卜部は肩をなでおろした。ゼロの正体はこの際何も言わない。大枠の流れが生じているなら些末なことでせき止めたくはない。
 藤堂の目がなにか言いたげだ。聞くべきか迷う卜部に藤堂の唇は戦慄いた。
「ぜろ、が」
藤堂の目が眇められる。硬い鳶色の髪が揺れた。それは慄れの。藤堂は明確に怯んでいたし恐怖していた。唇だけが動く。尖った喉仏が見えた。藤堂は襟を緩めているのだ。
「ゼロが、卜部の菩提は弔ってやったかと、訊いた」
「…それで」
藤堂の唇が弓なりにかたちどる。紅を差してもいないのにひどく目に付く。紅くもないのに艶があるのだ。眇められた灰蒼。鳶色と灼けた皮膚。白く繰り抜いた双眸と紅く黒い口腔は虚ろに空隙を穿つ。藤堂は卜部の目線が双眸から口元へ移ろうのを見てから言った。

「私が面倒を見ていると、言った」

卜部はあっけにとられた。言葉として間違ってはいないが、現状を示すには足りなさすぎる。だが藤堂はゼロはそれを受け入れたという。面倒をかけるが私からよろしく言っていたと卜部に伝えてくれと言われた。どういう意味だよ、それ。ゼロがお前によろしくと。そこじゃあねぇよ。卜部は混乱をきたした。藤堂の面倒を見ているをゼロがどう取ったかさえ曖昧だ。位牌や墓の面倒を見ているのか真実卜部を面倒見ているのか、どちらとも取れる言い回しは難解でしかも言葉を交わした当人同士にしかその雰囲気や微細な違いは伝わらない。藤堂を介している時点で卜部が得られる情報は極端に少ない。
 罵詈雑言を卜部は飲み込んだ。さすがに学習している。この間はほとばしるままに藤堂と諍いを起こして結果として顔面を殴打されて鼻血を吹いた。しばらく冷湿布を藤堂が取り替えに現れるはめになった。瞬間的に爆発する感覚に潰されたことを覚悟したが感覚が戻ってから触ったらなんとか無事だ。粘膜が回復するのに時間がかかって鼻をかむたびに出血した。
「……ゼロはそれで、納得したのか」
返事はない。藤堂は淡く笑った。墨絵の流麗とか細さを見せる。掠れ消える灰白に墨の黒さはたしかに残っている。藤堂はけして自棄になったりなどしていないのだ。静かに確かに、少しずつ。藤堂は毀れていると、思った。あまりにも緩やかなそれは始まりがいつであったかさえ判らない。解放戦線時代からかも知れないし、捕縛された時からかも知れない。捕縛されたときに藤堂の処刑はほぼ決定事項だった。戦闘でも立場が悪くなっても藤堂の命は常に危険に晒されている。
「私は菩提を弔っているとは言っていない。『面倒を見ている』といった。嘘はついてない」
菩提などというからにはゼロは卜部の生存は絶望的と見ているのだろう。そんな人間に卜部が生かされている場合を設定しろという方が無茶だ。藤堂の舌足らずは意図されている。
「問い返されはしなかったが」
藤堂が首を傾げた。何故そんなことを訊かれるのだろうと言わんばかりだ。咬み合わない。
 だがここでゼロのことを案じても現状卜部にはどうしようもないのだ。気が抜けた。ゼロであろうが藤堂であろうが卜部の息の根を止めることなど造作も無いのだ。首や肩を抑えられてそのまま押し倒された。寝台に沈む卜部に藤堂が覆いかぶさる。いきなり始まるのかよ、と吐き捨てる卜部に藤堂の目がじっと据えられる。
「お前の声は私の中で幾重にも響くのに、私の声はお前の中で響かないのか」
ぎりり、と卜部の皮膚が引き攣る。喉が苦しい。喉仏が気道を潰す。喘ぎながら卜部は声帯の破損を覚悟した。俺、もう一生喋れないかも。喉が潰されれば回復するのは難しい。生命活動に必須なわけではないし末端であるから回復力は高くないのだ。喘鳴を繰り返す卜部に藤堂の手が弛む。
「巧雪」
「…――ッあんた、言いてぇこたァ口で言えッ!」
激しく咳き込むのを藤堂はぼうっと見ている。喉が気道が判るほど絞め上げられている。卜部は特に痩せているから直接気道に力がいく。潰されなかっただけ幸運かもしれない。ひゅうひゅうと音を鳴らして唾液が糸を引く。
 藤堂が申し訳なさそうに目を伏せた。恥じる様子は守ってやりたくなる可愛らしさだが性質が悪すぎる。私は嫌なんだ。なにが。私は、お前に怪我を負わせたすべてが嫌いだ。ゼロも状況も、何もできなかった私、も。
「お前の傷の手当をするたびに私は、私は何もできずに、ただ」
声が途切れた。藤堂の肩が震えている。ぼとぼとと雫が卜部の上に降った。卜部の茶褐色の目はじっと藤堂を見た。藤堂の鼻と耳が千切れそうに紅い。グズグズ言うのを卜部の手が頬を包む。
「馬鹿じゃねぇの」
藤堂の頬が濡れている。そのまま唇を重ねた。
「そんなこたァもうどうでもいいよ」
「こうせつ」
藤堂の声が震えた。それは恐れというよりどこか、頼りない子供の。
 喉が震えた。くつくつとした音を藤堂は黙って聞いている。
「俺も相当だな」
卜部は下から藤堂を見上げた。鳶色の髪が明かりに透けた。睫毛まで鳶色なのには驚く。藤堂はその美貌を無垢に傾がせて卜部を見ている。

「俺はあんたが傷つくのが楽しくてたまらない」

藤堂は毀れたように笑んだままだ。首を傾げる。灰蒼は潤みを保ったまま落涙さえしない。藤堂は確かに毀れているのだろうと思った。だが。
「お前も、同じだ」
玲瓏と低い藤堂の声に卜部は笑みを深めた。まだ時々裏返る自分の声とは違って低い藤堂の声。成長云々というより単にそういう性質なのだ。ぎちり、と藤堂の爪先が卜部の皮膚を抉る。紅く滲むそれが垂れるほどであるのに、卜部は痛みを感じなかった。ぎちぎちと皮膚を裂く音がする。
「もっと、毀れろ」
笑んだ。

 俺も 私も お前も みんな
 毀れてしまえばいい

 どうせもうどうにもできやしないのだから


《了》

途中でバックれたというすごい〆                 2012年12月31日UP

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