透き通るようにほのかに、甘く


   丸缶に詰まった恋
 
 ライはクラブハウスに一室をもらっている。ブリタニアの軍属になってからも恩人の命で最終的な拠点はここだ。長期的に持ち場を離れれば寝床のこの一室へ帰ってくる。帰る場所が要るのだと意味ありげに笑う彼女の真意はまだライには曖昧だ。仮ではあっても席はあるので授業にも顔を出す。理解度で受けた教育のレベルが判るといわれたが今のところ判っていない。だが授業には困らない。言われたことは理解できるし応用もできる。言語も齟齬はない。そもそも恩人や同僚になったスザク、生徒会メンバーの会話も理解できるから全くの外国に放り出されたわけではないようだ。数字の羅列も記号も、言語の授業にもつまずきはない。知能も正常。さりとて何かに郷愁を感じるようなこともない。知っているが懐かしさや親しさは感じない。違和感。戦闘機に使われる横文字や漢字の意味も判るし使う。それでも。
「ライ、ごめん、いいかな、またつまづいちゃって」
 かけられた声にはっと我に返る。とたんに辺りの感覚が戻ってくる。くりくりとした碧色の双眸が遠慮がちにライを見ている。赤茶のくせ毛はくるくる巻いているが男性らしく短髪だ。背丈はあるほうかもしれない。軍属で同僚になった枢木スザク。戦闘機の稼働時間も戦闘経験もスザクのほうがあるのだが、授業に時折躓いてはライに教えをせがむ。なかなか難しい理論や仕組みで動く戦闘機をあれほど自在に操りながらその理論はわからないとあっさり言う。スザクが開発したわけではないから仕方ないといえばそうなのだが少し意外だった。
「どこ」
ライが窓際から椅子をがたがた引きずってスザクの隣へ腰を据える。この部屋は基本的に寝室であるから広いテーブルや複数の椅子はない。スザクには机に備え付けの椅子を与えてライは借り受けてきた椅子を使っている。ライより長くこのクラブハウスに寝起きする兄妹は、兄妹であるからちょっとしたダイニングのようなものも持っている。目が見えず車椅子生活の妹のほうに、スザクが勉強しに来るから椅子を貸してほしいと言ったら快く許可してくれた。彼女の面倒を見る女性が一人付いていて、お茶は絶品であるから頼みましょうかというのを遠慮した。手を煩わせるのも悪いし、そのメイドさんはあくまでも彼女の面倒を見るためにいるのだ。
 ライがスザクの帳面を覗き込む。強く刻まれた数字や記号の羅列。開いている教本は応用の練習問題だ。ライは一目見るとスザクの滞りを悟る。予備に筆立てにあるペンをとり、帳面の隅へさらさら書きつける。
「ここは、これを代入して――…ここが判るから、そこをとっかかりにして、こう」
「…なるほど…ライは、すごいね」
「そうでもないと思うけど。基本はここでやったから、そのヴァージョンが変わるだけだよ」
数ページ前を示して観念を解くとスザクはますます感嘆してライを羨望の目で見る。スザクは感情を素直に出すから憎めない。スザク自身も屈託ないし軍属であるなど言われなければ気づかない。運動神経は良いほうである。だがむやみに筋肉質なわけでもないからたとえ裸になっても体が鍛えてあるくらいにしか判らない。操縦を基本にする戦闘機を使用するから、白兵戦は少なく、スザクも体に傷がない。何度か裸身を眺めたがそれを消したり何かした後もない。健康的に灼けた肌が艶やかだった。
 「じゃあ、ここはこうなるのかな」
がりがりと書きつけるのを眺めてからライが静かに指摘する。そのたびにスザクはうなりながら、じゃあこう、と間違いや勘違いを正していく。スザクの手が止まる。ライが怪訝に思う前にスザクの鼻先がライの髪に埋まった。ごそ、と動く感触で判る。スザクの手がそっとライの頬をつつむ。覗き込んでいたライが顔を上げると唇が重なる。濡れた音を立ててスザクはもどかしげについばむ。
「ライ」
スザクの声が熱っぽくライの名を呼んだ。ライにあるのはこの名前と、特殊な能力を帯びたこの体だけ。だからスザクが欲しいというならくれてやると思うがスザクは明確にしない。時折こらえきれない熱を帯びて謝りながらライを抱く。ライは別にいいと思うのだがスザクのほうはそうではないらしく、事後に床に正座して瞑想していたりする。ライが気付いているのを知ると土下座しそうに頭を下げてごめん、と謝る。
 ライの白い手がスザクの手に添えられる。それだけでスザクが跳ね上がりそうに肩を揺らして口元を引き結ぶ。さて、とライは思う。このまま及んでもいいが何分、二人は椅子の上だ。借り物の椅子だし汚すのは少し困る。
「スザク、課題、できそうかい」
ばちん、とはじかれたようにスザクが帳面に戻った。必死に机にかじりつく耳が真っ赤だ。ライはふっと笑ってスザクの進み具合を見た。滞りは解消されているようだ。ミスも少ないし、情況的にも冷静に問題の解答を導き出している。ライはその広い背中を見ながら、馬鹿だなぁと思う。

 「――よし! できた!」
スザクが満面の笑みで起き上がり、ふぅっと肩をなでおろす。ライはクックッと笑って椅子を引き、寝台に腰を下ろした。細くて長い脚をぶらぶらさせる。学園から直行したので二人とも制服だ。学園の制服は古典的なデザインながらも高価な生地であるから体の細かい点は見えない。スザクに比べてライの体はどこか不均一だ。ライは何か気づかぬところで何かしているのかもしれなかった。何かは判らない。何せライには記憶がない。椅子の上で伸びをしているスザクに声をかける。
「スザク」
「なに、ライ」
スザクは先ほどの出来事など知らぬげに屈託なく返事をする。そういうのがスザクの美点だと思う。ライはふふっと口元だけで笑うと手招きする。スザクは筆記具を片付けてからライの隣へ座る。ぎし、と軋む寝台が意味ありげだ。やはりスザクのほうが目方があるようだ。筋肉は脂肪より重いから、とライは詮無く思った。
「ライ?」
「あぁ、何か食べるかな、と思って。おなかすかないか」
反射的に浮かんだのは椅子を貸してくれた少女に付いている女性だがさすがに腹が減ったから軽食が欲しいと気安くは頼めない。人の付き人であるし時間帯を考えても迷惑だろう。
 スザクが何か思い当ったのかごそごそと隠しをあさる。出てきた丸缶は蓋が完全に分離するタイプだ。装飾もないから薬でも入っているのかとライはまじまじとそれを見る。
「飴ならあるよ」
「あめ?」
「えーと、キャンディって言ったらわかる?」
ライがぽんと手を打った。
「あぁ、そのあめか。もらっていいのかい」
「いいよ。ちょっと懐かしい風体の店を見たから買っただけだから」
ぱきゃ、と蓋を外すと白い粒がいくつも詰まっている。香草のような独特の香りが鼻先をかすめる。スザクが器用に一粒つまむ。
 「ライ、どう」
すすめられる前にライがぱくんとスザクの指ごと含んだ。スザクが驚いて身動きできないのをいいことにライは何とかスザクの指から飴を外そうと舌を使う。スザクにつまませたまま舐めるわけにもいかないからうぎうぎと飴やら指やら舐める。また、スザクも飴を離さないからライは指ごとしゃぶる。ちゅう、と吸い上げて上目づかいにスザクを見上げるライに、スザクが顔を真っ赤にしてライを凝視している。ライが口を外すと透明な糸がスザクの指先や飴、ライの舌先とつながる。
「くれるんじゃなかった? 違ったらごめん」
「――! あ、あぁ、あげるよ、あげる。口あけて」
ライは言われたままに口をあける。その際に思わず目蓋を閉じた。すぐに飴が放り込まれる。しばらく口の中で転がすライの横でスザクが濡れた指をじっと見ている。
「はんかち、いる?」
もごもごと口の中に飴を含んでいるから発音が不明瞭だ。それでもスザクは聞き取ったらしく、反射的に大丈夫、と言ってからそれでもやはり指先を眺めている。
 口の中の飴が甘くない。息を吸うと同時にすぅっと冷える。甘みも控えめだ。
「…甘くない」
「ご、ごめん、薄荷だから」
「ハッカ?」
「…えーと、ミント、かな?」
なるほど、と納得したライにスザクは胸をなでおろす。食べないのか、と問うライにスザクは食べる、と言いながらもなかなかつままない。焦れたライがひょいと手を伸ばす。一粒つまむとスザクの口元へ運ぶ。
「はい、あーん」
あまりに自然なそれにスザクが思わず口を開くそこへ突っ込む。閉じたスザクの唇を紅でも塗るようにライの爪先が撫でる。桜色の指先が己の唇を這う様子にスザクは息を呑みながらも唾を飲む。ごく、と喉仏が動くとライがくすりと笑んだ。紅い唇が広がって薄くなるがその紅さが異様に艶やかだ。ライの白さは蝋人形のそれというよりどこか躍動を秘める官能を帯びる。
 「すざく」
ライの声が響いた。ライはあえてその場所を寝台に選んだのだ。拭うようにこする指先は明確に交渉の色を帯びる。スザクがライを押し倒した。寝台に肩を抑えられてもらいは笑んだままだ。こうなるのを予見していた。椅子か床の上よりましだろうと思ってあえて寝台だ。スザクは何度も唾を飲んでいたが決めたことは守るのが彼らしい。
「いいの?」
訊いてくるのが人が好い。ライは微笑んだままで頷いた。
「いいよ」
ライの指先がスザクに触れる。同時に流れ込み流し込む互いの情報。それは具体的に数値化や言語化されたものではない。第三者には見えないし判らない。その時々に応じて互いが瞬時に選ぶだけだ。後になれば当人同士でさえ判らない。瞬間的に高まる圧に近い。
 スザクの手がライの体をまさぐる。スザクは結果の出たことを躊躇しない。火照ったように融けあうスザクの皮膚や指先、手を感じてライが身震いして背を反らせた。次第に激しく頻繁になる二人の動きに、脇へ置かれた丸缶が落ちた。けたたましく鳴ったが二人ともそれを拾わない。白や蜜色の粒がバラバラと散らばる。雪のように光のそれのように煌めくのをライは視界の端でとらえた。スザクの体が熱い。

きれいだ、と思った。


《了》

誤字脱字のチェックしようぜ(してないのかよ)
新しいおパソ様が鬼畜なんだよすぐ変な切替になっちゃうんだよ  2012年9月3日UP

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