たまには?
 ううん、いつも、いつでも、だよ

   昼色
 黒の騎士団の活動や準備にライは時間を割くようになっていた。戦闘の腕を買われた恩もあるし、単位や卒業といった差し迫る事情が籍を置く学園に伴わないことが足を遠のかせる。同じ学園に所属する燃えるような紅の髪の少女には明確に世間体があるからライほど頻繁に理由をつけずに欠席したりはしない。言伝や確認をライが中継する場合が増えた。ライのほうが身軽であるし自由も利く。欠席しても文句を言う周囲がいないことも影響した。彼女には黒の騎士団と対立関係にある身内がいる。彼女自身はいつ捨ててもよいとか仮の顔であるといっているが片親とはいえ血を分けた間柄である以上、完全に冷淡にはなれていない。あれで情に篤いところがあるのがイレヴンと蔑称を受ける彼らの良い面だと思う。イレヴンは戦闘に臨んでさえ相手に対する一線を引いている。なりふりも倫理も何もないわけではない。
 ある程度の人数を集めれば自然とたまり場のようなものができて行き場がなくなればそこへ集う。彼女のようにブリタニアという国における帰宅場所があるのは稀有なことなのだ。黒の騎士団は反ブリタニア組織でありほとんどがイレヴンと蔑称をいただく日本人だ。ブリタニアとの戦争に負けた日本人は『日本人』という人種名さえなくして『イレヴン』となった。戦争での敗北者である彼らは当然のように最下層民だ。あらゆるものが彼らより優先され、義務ばかり押し付けられて権利はない。その反動なのか騎士団に所属する彼らはどうもこのねぐらにいる間は意気揚々としている。何の後ろ盾もなくなった時に彼らはありとあらゆるものを失くすが、それ故にたとえテロリスト扱いであろうとも所属団体があるだけで気分が違うという。
 何が違うのかライには判らない。それはライがブリタニアに属すからというより、ライ自身が根底の拠り所を失くしているからだ。ライは日常生活にこそ困らないが自分の所属や出身、そういった『自分』を失くしている。記憶喪失、というやつである。そのくせ暮しには困らないのだから常々都合がよいと思う。戦闘機や作戦の意味に気付くだけの知識はあふれんばかりだ。
 ライはひょこりと食堂に顔を出す。常に顔を出す面子もいるから自然と食事が言及されていつの間にか当番制で食事が給仕された。ライや少女のように顔を出すべき世間体のある者のほうがまれであるから大抵のものはここで食事も済ませる。ライも時折顔を出すようにしていた。団員との親睦を深めたい意味もあったが居心地がいいのだ。日本人は基本的に異文化を受け入れて同化してきた歴史があるからなのか、団員たちはライが学生であるという身分と不相応に自由にしているのをとがめない。肝心なのはライが戦闘の巧者であり、戦闘機を駆って結果を出しているということだ。
 「あれ」
ライの声が上がった。ひょろっと細長いような印象を与える人影がいた。常にある程度の人数に囲まれる事情のある身で彼が一人であるのは珍しい。
「卜部さん」
声をかけるライに卜部は厭う様子もなく振り向いて、あんたか、と言った。卜部はライを含めた黒の騎士団に藤堂中佐の奪還を依頼した四聖剣と呼ばれる、藤堂直属部隊の一人だ。無論、彼らもイレヴンとさげすまれる日本人だ。
「あんたよく顔だすな。学校があるって話じゃねェのかよ」
「仮住まいですから」
ライは少女がよく使う言い訳をあざとく使う。卜部だって少女の言い訳をよく聞いているはずだしそれを追及していない。案の定卜部は、ふゥん、と鼻を鳴らして問い詰めはしなかった。
 きれいな箸使いだ。藤堂に属するものはこういった日常の所作がきれいだと思う。藤堂が厳しいのかもしれない。道場を構えるほどの武道の経験がある藤堂は見てわかるほど真っ直ぐな立ち居振る舞いが映える。直属の部下であるなら道場に顔くらい出すだろうし、影響もされるだろう。卜部以外にも仙波や朝比奈、千葉といった面々は皆廃れつつあるのだろう礼儀や所作を守っている。
「卜部さんこそ。戦闘機はいいんですか」
「それを見てたからこの時間に飯なんだよ。ほかの奴等ァとっくに終えてる」
だからと言ってひがむでも嫉むでもない。ライの目の前で卜部は箸だけで魚の煮つけを解体していく。どちらかといえばフォークにナイフのほうがライにはなじみだ。籍を置いている学園もそうであるし、箸は基本的にアジア文化圏だ。ライは使えるが親しみはない。出汁でほんのり色づいた白身が卜部の口の中へ消えていく。
 食事風景はどこかで情事と重なった。体内へつながる虚を見せるからかもしれない。ライは卜部の体の味さえ知らない。そもそも日本人は身持ちが固いからおいそれと赦したりしないのだ。どこか冷めたように残念なようにライはその真摯さを眺めている。
「卜部さん、僕が抱きたいって言ったらどうします」
「どォもしねェけど」
あっさりと返事が来た。旧日本軍崩れである卜部には同性同士の交渉に対する抵抗が少ないのか。軍属は明確に性別が偏るからその可能性もあるな、とライはうなった。女傑である千葉は例外だ。反政府的組織やそうした活動に女性が混じるのはおそらく珍しい。ライと同じ学園のカレンや四聖剣の千葉は珍しいほうであり、下層民にまで浸透している騎士団でも女性団員は珍しいほうだ。
「抱きたい」
「頭冷やしてこい」
けんもほろろだ。ライがむっと唸る。卜部は気にも留めない。味噌汁を飲んで息をついたりしている。煮つけの最後の一切れがつままれる。口へ消える前に。
「あーーーーッ!」
上がった声に周りまで巻き込んでビクンと肩が跳ね上がる。ライの目が出汁のしみた白身を見つめる。卜部がしっしと視線の集中を払う。落ち着いたころあいにライはおもむろに切り出す。
 「それ、ください」
「あァ?」
周りの視線はほどかれつつある。卜部もさっさと退散したいのが挙措の端々にうかがえた。だからライが突っかかる。
「その、煮つけ。おいしそう。僕が頼んだらもうないって言われたんです。一口だけ」
 日本人としての自意識は強いが金銭面ではそうも言ってられない。つまり何が削られるかは明白だ。余暇と睡眠時間と、食費である。人気のある献立は早い時間に品切れを起こす。卜部もその辺りの事情を知っているからライの申し出を特に不審がりはしない。それはありがたい。だからこの際図に乗る。はねつけられてもともとだ。遠慮はしない。
「ください。一口でいいから。あーん」
唇を割って口を開く。おあつらえ向きに目蓋を閉じる。食卓へ身を乗り出すライは目立った。そもそも意識にないがライは白皙の美貌と戦闘力で噂の人物だ。年若い割に戦闘に強い、おまけに見目麗しい。白銀の髪は無造作に短いが毛先へ行くほど蜜色に透き通るし睫毛も長い。睫毛まで蜜色であるし眠る双眸は薄氷色から群青へと気侭に移ろう。薄紅に色づく唇や整った歯列。日本人とは思えない白い肌は肌理も細かい。そろいの段服に身を包んでいるからこそライの稀有な美貌は余計に際立った。卜部が怯んで箸が止まった。
 「あーーーーーん」
ライも執拗だ。どうせライに失って困るものなどない。黒の騎士団さえ仮の住まいだ。いざとなったらっしっぽを巻いてどこかへ行くだけだ。朱い虚を開けてライは無防備で無垢に卜部の箸を待つ。卜部のほうが怯んでいる。
「ガキかよ」
「ガキです」
あっさり言い返す。卜部が何かむぐむぐ唸っていたが観念したのか最後の一切れを箸ごとライの口へ突っ込む。はっくん、と口を閉じてライはその白身を味わった。美味い。
「おいしい」
ぺろ、と唇をなめると出汁の味がする。唇を拭うと照りがあって汚れていたのが判った。周りがごくりと固唾を飲むのを知っていて、ライはわざと身を乗り出して卜部の唇を奪った。煮つけの照りが二人の唇をつなげて汚す。ライの白い手ががしりと卜部のほほや頤をとらえて離さない。息が上がるほど長く唇をかわし、ついばむように何度も吸った。篝火のように紅に燃える舌がのぞいてペロリと卜部の唇を舐める。
「おいしい」
わざとである。卜部が息を呑んで仰け反るのを追おうとしてテーブルや食膳に阻まれた。ちぇっと舌打ちすると卜部がじりじり体を退く。
 卜部はそもそも女性のようであるとか美貌であるとかいう性質ではない。いっぱしの軍属であるし痩躯ではあっても明確に男性だ。それでもライは卜部が好きだった。丈のある痩躯でありながらふくりとした唇や、小振りな茶水晶の双眸や縹藍の黒髪や。
「もっと、ほしいな」
ライの凄絶なほどの破滅的な色香が匂った。
「――ば、か野郎ッ!」
思い切りはたかれた動きで凍り付いていた周囲が動き出す。ライはぶうっとほほを膨らませる。それはどこまでもいさめられた年少者の可愛げがある。
「なんでダメなんですか」
「場所ォ考えろ」
「寝室ならいい?」
ばしぃっとライは思い切りはたかれた。つきつき痛むそこを撫でながら悲恋になくと卜部が口元を引き結んでそっぽを向いた。
「そういうこたぁ夜に言えよ」
「えっそれってどういう?!」
ライの復活は早い。差しのべられたものは何でも取る。ましてそれが卜部からであるならなおさらだ。卜部は真っ赤な顔で濡れた唇を何度も撫でるように拭っている。ライは急に浮き立つようにヘラりと笑う。うれしかった。
「やっぱり、好きだな」
「そういうこたァ寝床で言え。そのほうが成功率高いぜ」
「うん、でも僕はやっぱりあなたが好きだ」
唇が重なった。

 卜部はあわただしく献立を片付けて席を立つ。ライはぼぉっとそれを見送った。卜部の姿が完全に消えてから、ふふっと笑いが込み上げた。

好きだ

「かわいい人」
ライは口の中の白身魚を官能的に味わってから嚥下した。


《了》

新しいおパソ様が使いづらい。
変換がある意味で鬼だ…! 誤字脱字まりまくりでドーン     2012年9月2日UP

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