こんな子供なのに


   力が惹きあう

 ふうわりと空へ泳ぎ出る紫煙を目で追いながらライは耳を傾けていた。隣では煙草に火をつけたくせに喫みもしない朝比奈が滔々と、藤堂がいかに有能で、美しく、稀有であるかを語っていた。煙草のあらかたは灰になり、朝比奈は新しく咥えて火をつけ直し、一口吸っては話が続く。朝比奈は軽薄と評されると言う当人の弁のとおりに口がよく回る。ぺらぺらと話すことに真偽は不明だ。藤堂にはオーラがあると話が飛んだときにライは朝比奈の話は、話半分で聞いた方がよいと決着をつけた。
「だからさ、『奇跡の藤堂』なんてのじゃ足りないっての! あの人の出来が奇跡的に優れているのは判る。だけどわざわざ枕詞にする必要があるかってこと! そんなふうに言わなくったってあの人が奇跡なのはあったり前の話なんだからな!」
酒精でも含んでいるかのように朝比奈が熱弁をふるい、その頬を紅潮させる。話は終わりそうもない。ライも付き合いで煙草を喫んだが美味いとも不味いとも言えずに吸い終わっては新しくもらって火をつけるのを繰り返していた。この熱弁はいつ終わるのか、喫煙室に同席した連中の面子が一人二人とさりげなく減っていくのはよく回り、まわり始めたら止まらない朝比奈の弁を知っているからだろう。事情を知らぬライがのこのことやって来て上手く引っかかっただけの話である。
 「朝比奈、いい加減にしておけ」
二人の上から声が降る。心地よく耳へ響く低音。朝比奈の顔がぱっと華やぎ、ライはそれで声の主が誰か振り向く前に知った。藤堂の手がひょいとライの煙草を奪う。
「君もだ。紅月くんの知己だと言うし同級であると聞く。煙草はもうしばらく我慢するんだな」
ライの喫みかけを藤堂は後れ気もなく口にする。朝比奈が一瞬、恨めしげにライを見たがライはぶんぶんと両手を振って何とか不可抗力を訴えた。
「藤堂さん、なんでここに」
たしなめられたのもものともせず朝比奈が問う。藤堂がライの方を見てからふっと煙を吐いた。
「ライ君、だったな。ゼロが呼んでいる…、どこにいるか知らないか、と訊かれたから探しているんだろう。君から訪って見てほしい」
「判りました、藤堂中佐」
あれだけ藤堂中佐を連呼される話を聞いていた所為か自然と口に出た。藤堂は煙草を抑えながら口元を覆い、クックッと笑っている。ひとしきり笑ってからふーと煙を吐いて悪戯っぽく笑った。
「君は解放戦線でも軍属でもない、ゼロ直属なのだから「中佐」は要らんな」
朝比奈の弊害だな、とうそぶけば朝比奈は年齢の割に幼い顔立ちで頬を膨らませて不満を示す。
「…藤堂さん、でいいですか」
「敬語も要らない。ゼロ直属の位置にいる君の方が私より高位だよ」
「なんだか年上の人にタメ口は利きづらくて…敬語だけは勘弁してください」
ふむ、と唸って藤堂は備えつけられている灰皿で煙草を押し潰して消した。仔犬のようにそこで返事を待つライに藤堂は微笑しながら、判ったから行きなさいと手をひらひら振った。
「君の好きにしなさい」
「ありがとうございます、それじゃ」
背を向けて煙ったさから逃れ出たライの後ろでけたたましい朝比奈の声がする。甲高いのだ。直後にごんと殴るような音がして振り向くと藤堂の拳骨を喰らったらしい朝比奈が頭を抑えてしゃがみこんでいた。心の中で朝比奈に詫びながらライはゼロを探した。


 今現在、黒の騎士団はそれなりの装備を備えている。戦闘機の開発者も取り入れてそれなりに高性能な戦闘手段を得ている。問題はその戦闘機と操縦者の感度の落差だ。過敏で明敏すぎる故に高性能な機体になればなるほど乗り手を選ぶ。紅月という名の少女の乗る機体がその最たるもので攻撃力など突破力や様々な装備を備えている。フクシャハドウという音波にも似たものを明確な光線として放ち、標的を煮沸させたようにして破壊する。大抵の戦闘機はこの攻撃でお釈迦になる。操縦士もろともに。強い力は力を呼ぶ。戦いが戦いを呼ぶように。
「アンタのにも似たよーなの付けたでしょー」
睨みつけるような顔だったのか、開発者として団体に所属するラクシャータが煙管を不満げに振っていた。
「いまさら善悪がどうとかは言いっこなし。アタシがやってんのは兵器開発。兵器ってのは戦闘や戦争にしか使われないもんなのよォ。結果を見るにはやらせてみるしかないってこと。純粋な科学発展の礎だわよねぇ」
ライの目が泳いでさらに奥まった位置にある自身の戦闘機を見る。名がついているらしく月下と言うとか聞いた覚えがあるがあやふやだ。間違っているかもしれない。ライのものだけ色が違い、灰色に統一されておらず所々に蒼色が混じる。理由を問うた時ラクシャータは平然と答えたものである。あんたの数値はケタ違い。だから違うものを用意したのよ、文句あるゥ? 持ち込んだらしい長椅子へ寝そべっての一言である。紅月もライの戦闘機の腕前はすごいと認めるところなのだから喜ぶべきなのかもしれない。だがライは戦闘術を褒められれば褒められるほどに沈んでいく。暗渠や虚ろや泥沼な、四肢がしだいに凝り固まって動かなくなるような、探りだされたくないところを逆撫でされているような気になる。
「シャワーでも浴びてきたら。今ならいい話が聞けるかもよ、藤堂ちゃんが先客だからさァ」
ぷ、くくくく、とラクシャータは堪えきれないと言ったふうに噴き出す。
「あんた、藤堂ちゃんにちょっと似てるねェ」
なにが。どこが。ライは問いを呑みこんで助言に従った。
 戦闘機の数値計測は緻密であるから専用のスーツを着用する。このスーツは密着性と密閉性が強く発汗作用が狂いやすい。その妥協案としてシャワー室が設けられた。フロでハダカノツキアイを重んじる日本人の気概か、シャワー室の企画はあっさりととおり、今では計測後に浴びに行くのが通例となっている。どうせ作るならと広めに作られ、二・三人なら同時に浴びれるだけの噴射口とスペースはある。言ってみれば確かに一つは使用中である。体の胴体部分が隠れるようにすり硝子の戸が覆う。ライが礼儀として共有スペースの戸口でノックをした。しばらくの間が空いてからかまわぬ旨の返答があって入った。確かにシャワーを使用しているのは藤堂だけで他の場所は空いている。タオルを腰に巻いただけの軽装のライは茫洋と藤堂を眺めた。学生寮のシャワーのように上部と下部には空きがあり、誰が浴びているかは見れば判る。
 藤堂の腕や胸部には銃創や切り傷がある。しっとりと濡れたそれらの傷が生々しく紅潮し、膨らみ刳れて存在を主張する。鳶色の髪が固そうにぴんぴん跳ねて黒味を増している。すっきりとしたうなじが見えてそこを一筋の流れが落ちる。それだけのことがひどく艶めかしい。男が必要とする性的な働きかけを藤堂の体はよく知っている。
「…? …らい、くん?」
気付いた藤堂が振り返る。下りていた前髪をがバッとかきあげていつもの藤堂に戻る。
「どうかしたのか…前髪が下りていて私だと判別しがたかった、か…?」
「あぁ、いえ違うんです。ただ……」

「綺麗だなって、思って」

ライの言葉を聞いた藤堂はシャワーの水流を止めた。タオルで局部を隠すような動作をしてから硝子戸を押し拓く。腰にタオルを巻いた藤堂の裸身の全貌が見えた。前後左右の区別なく切り傷や銃創が奔り、傷が刳れているところもあれば肉が盛り上がっているところもある。脚も同じだ。腕力や破壊力の期待できる四肢は痛々しく傷を負い、それがまさしく歴戦の勲章でもある。
「こんな傷だらけの体を綺麗などとは、言ってはいけない。ましてや原因を考えればなおさらだ。君には判るのだろう。勲章の意味が」
歴戦の勲章。それはつまりそれだけ戦闘をこなしている。人を――殺している。
「私に頭部を撃ち飛ばされながら肩を撃ったものもいた」
傷を愛撫するように藤堂は撫でて水滴を払う。はらはらと散るように下りた前髪が藤堂の額を隠す。
「君の動きは確実に戦闘訓練を受けたもののそれだ。より実戦的な。…――経験も、あるように見受けるが」
がらがらんとライはもっていた溶剤を落とした。ボトルがぼとんぼとんと落ちて石鹸箱がくるくると回り、次第に止まる。
「…そ、そこまで判る、ものなんですか…」
「殺戮者としての見解だよ。ブリタニアから見れば私は虐殺者でしかない」
藤堂の声は冷静だ。殺戮者。サツリクシャ。自分はそう、呼ばれ――
 「は、はは、何やってんだろ僕は…」
ボトルを拾う。立ちあがったところでぎゅうと抱きしめられた。ライも腰にタオルを巻いただけの軽装であったから皮膚が触れ合う。藤堂の濡れて少し冷たい滴をライの皮膚が吸う。
「君のように幼いものを戦闘に駆り立てるなど、あってはならないはずなのにな」
「子供扱い、しない、で」
「ならば言わせてもらうが君が今どんな顔をしているか自覚はあるのか」
びくんとライの体が震える。拾ったはずのボトルがずるずると指を滑ってどさりと落ちた。頬に触れる。藤堂の浴びていた湯ではない水滴が頬を濡らしていた。潤みきった暗紫色が黒へ変わり同時に蒼く発光する。シャワー室の手を抜かれた照明のもとでライの双眸は見る見る色を変えていく。ぼろぼろと溢れるのは熱い滴だ。頬を滑る感覚だけがある。体温と同程度のそれは涙だった。
「うあ、わぁぁ、ああ、あぁあぁぁああああ」
失くした記憶の片鱗が殺戮者。実戦経験がありそう。数値が段違い。周りから言われることは一貫している。対人の戦闘に優れていること。戦闘機の扱いに優れていること。すなわち。人殺しに長けていると、言うこと。
がくりと膝を折ってライは慟哭した。見開かれた双眸からは絶えることなく涙があふれた。
 知っている。人の首を飛ばした際の紅い飛沫や噴き出し方を。人の肉を焼く焔の熱さと鼻の曲がるような悪臭と。それは殺戮以外のなにものでもなくて、でも僕はただ。僕はただ守りたかっただけなのに――
「ライ君?」
ライに合わせるようにしゃがんだ藤堂の肩を掴む。そのまま押し倒した。首をぎりぎりと締めあげる。両手の内でドクドクと血管が脈打つのが判る。藤堂は苦しげに眉を寄せたがライを退けようとはしなかった。
「――敵、だ! 敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ! みんな、みんな、みんな敵だ!」
藤堂の手がライの手首を掴んで引き剥がす。抵抗するライとの力加減でライの爪先が藤堂の頬を引っ掻いた。摩擦熱で灼ける痛みを堪える藤堂の頬に紅い線が何本も引かれた。
「ライ!」
鋭い誰何にライの動きが止まる。刹那、唇が重なった。蕩けるように柔らかくて熱い舌が潜り込んでくる。食い千切れと言わんばかりに大胆に潜り込む。
 ライの亜麻色の髪をかき乱すように藤堂が抱擁する。
「落ちつけ。深く息を吸って、そう、吸いきってから吐ききるんだ。手脚から力を抜いて…」
涙と洟に塗れた顔を藤堂が持ちこんでいたタオルで拭う。
「とう、どう………さ……ぼ、くは」
「私の言動が軽率だったようだ。申し訳ない」
「…もう一回、ぎゅって抱きしめてください」
ライがぎゅうと藤堂に抱きつく。耳に聞こえる藤堂の拍動。濡れた皮膚は密着度を上げる。ライは藤堂と同化しているような錯覚を起こした。体温が行き交うような気がした。藤堂に触れているだけで藤堂の情報が流れ込み、自身の情報が流出しているように思えた。藤堂がぎゅうとライを抱きしめる。背がきしりとしなる。芯柱を瞬時に失くしたライはそれを外界に求めた。藤堂の抱擁力は縁のないライには魅惑的だ。
 「藤堂さん、僕と、付き合ってください」
その意味を理解できない藤堂でもない。藤堂は目蓋をゆっくりと閉じて逡巡したが次に双眸を開いた時にはすでに心定まっていた。
「わかった。構わないよ」
「藤堂さん、抱かせて…――だか、せて」
シャワースペースの一室にライと藤堂はなだれ込んだ。藤堂が栓を開けると全開の水流が二人の体を打ち流す。降りしきる雨の下での交わりのように二人の交歓は濡れそぼった。
「藤堂さん、僕は」
「辛い記憶はあるだろう。だが、そこから逃げてはいけない」
逃避は解決ではない。凛とした藤堂の回答は受け身に回ったとは思えないほど強いものだった。
「思い出すのも見つけるのもつらい記憶もあるだろう。経験も然り。だがそこから逃げては次へ進めない。だから、辛くなったら」

私のところへ来ればいい、そして
好きにしなさい。
媚びへつらい嘆き涙し怒り殴り蹴り、抱きなさい
ありとあらゆる発散法を私に施せ

「私はそれに耐えて見せる」
だから君が君であったことを否定しないでほしい。藤堂の言葉はライの体の深くへ沁み込んでいく。
ぼろぼろ涙をこぼしながら抱くライに藤堂は苦笑する。私の体はそんなに駄目かな。そんなんじゃありません、違うんです、違う…――
 「記憶を失くした僕に好きにしたらいいなんて言ってくれる人、初めてで…」
赦してくれるのですか。欠損した僕の行動を赦してくれると、言うんですか。何も判らず何も出来ずただ、殺戮しか知らない僕を。そんな僕を、あなたは――
「………たよっても、いいの……?」
「自分より高位のものに頼られた経験はある。厳島がいい例かな。気にしなくていい。私は、何があっても自分の考え方を変えるつもりはない」
「…――ありがとう」
藤堂の手が亜麻色の髪に絡む。練色へと艶を変化させる髪だ。暗紫色から紫に輝いたかと思うと特殊能力を使う前に元へ戻り蒼色へ煌めく。髪も双眸もライのそれは自在に色を変えた。それが藤堂には新鮮であった。物珍しさも手伝って、藤堂はこのライという少年を門外漢であると切り捨てられずにいる。戦闘機を繰る手腕は一級品だ。だが当人はそれに見合った毀れ具合ではない。毀れすぎている。藤堂は早々にそれを感じ取っていた。
 ライは、藤堂を抱いた。藤堂は拒否しなかった。熱の交歓を繰り返す二人を温いシャワーの水流は弾けるように打った。藤堂の抱擁は泣いている子供を慰めるようにどこか、優しげで。藤堂を犯すライのそれは貪欲に何かを求めるように。
「とうどう、さん…!」
泣きじゃくりながら抱くライに藤堂は微笑んだまま犯された。
「君の、好きに、すれば、良い」
突き上げに切れ切れな言葉はどこまでも優しく甘い。それが余計にライの涙を誘う。己はこんなにも力不足であったのだと。殺戮者であっても藤堂一人に負荷をこうして負わせている。何人も殺し、もしかしたらそのうち、藤堂でさえも――、そう思うだけで気が狂いそうだった。
 「運命とは残酷であるべきだ」
藤堂の言葉にライは涙に濡れたままの目を向けた。
「そう思わなくては生きてはいけない。辛いことが普通であると、それが現在の、イレブンと呼ばれる日本人だ」
だから私は戦うのだと。平和を作るために護るために。不当な侵略は断固として拒絶する。それは私の意志だと。
「藤堂、さんは…人殺したことが、ありますか――?」
藤堂は目を眇めたがすぐにふっと笑んだ。

「あるさ。何人か数えたこともないくらいにな。この両手はもう血塗れだ」

血まみれの手を取って。ライは口付けた。それは自分への誓い。藤堂への誓い。この戦争が終わったらきっと、きっと穏やかな暮らしが得られることを信じて。
「僕はあなたと暮らしたいな…ご飯作ったり、一緒に寝坊したり、したいな」
「私の家は無駄に広くて部屋が余っているから、終結したならば来るといい。いつでも迎え入れるよ。ただし掃除は自分でやってもらうことになるだろうがな」
クックッと二人で笑いあう。あはははは、とライは笑った。楽しかった。嬉しかった。泣きたかった。記憶がないうえにゼロの直属という問答無用の高位に据え置かれた自分をここまで評価し、なおかつ受け入れてくれる藤堂という存在が。嬉しくて悲しくて辛くて楽しくて。
「大丈夫だ。君は必要と、されている」
見抜いたような言葉にライは泣きながら笑んだ。落涙した雫が藤堂の頬へ落ちる。シャワーの流れに紛れる。
「少なくとも私は君を必要と、しているよ」

大泣きして、慟哭して、ライは藤堂の胸に顔を伏せて咽び泣いた。

ありがとう。必要としているなんて言ってくれるなんて。こんな僕でも。こんな僕だからこそ。

ありがとう。



《了》

どうにもライが受け受けしい!                  2011年11月28日UP

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