動いて見て得たこと
穢れていても
黒の騎士団という名の非合法団体、手早く言えばテロリスト。支配者側の論理だと反論しても代替え案もないのでライはそう認識している。最近四聖剣と別称をいただく猛者四人と加えてさらなる強者であり有能な指揮官である藤堂が加わった。
「えーと、千葉…さん、かな。女性だし。仙波…さん。年上だし。卜部さん…なんでしっくりくるかなぁ。あとは、あさひ」
指折り数えながら新しい面子の顔と名前を一致させているライの目の前には朝比奈が剣戟の稽古に興ずるのが見えた。ふぉう、と空を切る木刀の動きはどこかまだ荒々しい。持ち込んだらしい和装をしている。亜麻色の縫いとりも鮮やかな白い道着に紺袴。朝比奈の額から頬まで片目を貫く傷痕は、視力などに障害を起こしてはいないようで、酔っ払った朝比奈から武勇伝を語られそうだ。夕闇も近い頃あいの汗の玉が光る朝比奈にライは茫洋を見つめた。記憶をいまだに断片的にしかもっていないライにとって完成された人格はひどく惹きつけられた。ただ不要としか思えない人知を超えた能力。そんなものに頼らなくてもいいほど強く、そんなものをとっかかりにしなくても良いほど身元が明らかであれば。ぎりりと握りしめた拳が鳴った。
朝比奈が振り向く。驚いたライは短く声を上げて持っていた書類を書類挟みごとどさりと落とした。
「剣道が珍しいか?」
上向きに構えるのは朝比奈の癖であるらしい。もっともライはまだ少年とも青年とも言えない年少者であるから文句を言う筋合いではない。見た目が幼く見えるのも知っている。その程度の挑発に乗ってやる気はない。ひと汗かいた朝比奈の肌は上気してうっすら紅に染まっている。
「戦闘機の扱いは抜群なんだろ? だったら実際に手合わせしよう。戦闘機の腕じゃあ負けるかもしれないけど剣道なら自信あるよ」
「いや、あのぼ…自分は」
「無理に口調変えなくていいよ。そういうの、団体の一体感を乱すから属する団体の暗黙に従うべきだね。オレに合わせる必要はないよ」
くるくるとよく回る口が口上を述べ立てる。何かひと波乱あれば瓦解するテロ集団であることを皮肉っている。自分がそれに属していても、である。そういう気質をライは嫌いではない。
「剣道は珍しいけど、剣は使える。そういう気がする。やったことは、ないけど」
外来人がやるように朝比奈はヒュウと甲高い口笛を鳴らした。傍に転がっていた大きな袋からぽいと放られたのは木刀だ。
「剣道も剣戟も基本は似てるから勝負できるかな。一度君とは手合わせしたいと思ってたんだ。こんなに早く機会がめぐってくるなんて、ラッキーだな」
「ちょっと待ってください、僕はやるなんて、だいたい、使える気がする、だけで使えるわけじゃない」
「逃げるのかい?」
朝比奈の丸い眼鏡の奥がカチリと煌めいた。緑柱石のように暗色を含んだその目は暗渠のように深く暗い。逡巡するライに朝比奈が気楽にとん、と肩へ木刀を乗せた構えで言い募る。
「気がするなら多少は出来るさ、きっとね。それにこれを機に剣道を学んでみるってのはどう。戦闘機の扱いの参考になると思うけど。藤堂さんも剣道の達人だよ」
どうにも一戦交えないと場は収まりそうにない。同じ四聖剣の卜部から朝比奈はあれで案外執拗だから気をつけろよと言われたが役には立たなかったようだ。今ここで断りを続けてもこれから先、話題の端々に剣道での手合わせを願い出られても困る。
「判った、やるよ、やります」
からりと戸を開けると外に出る。ザワァと木々の枝葉を揺らす風が吹いた。人目を忍ぶ立場であるから光源は案外少ない。その分、見えるときははっきりと見える。
「あぁ、それとさ。オレと話すとき、敬語じゃなくていいから。オレは君の上司でも上官でもない。話を訊けば君はゼロ様直属だろ? オレなんかに敬語を使うような立場じゃないんだよ」
「………わかった。朝比奈も僕に敬語は使わないでほしい」
「おっけー、了解した。さぁ、手合わせしよう。ふふ、ぞくぞくするな」
ある程度の間をとってライは木刀を構えた。切っ先は眼間に据え肩を引くと肘を締め、足を半歩下げる。朝比奈は正眼に構えている。定石通りだ。
「へぇ見たことない構えだな。愉しみが増えるって、もんだね!」
じゃっと後ずさる刹那に朝比奈の靴底が土を蹴る。突きをかわしたライはそのまま体をかがめる。直後に頭上をふぁんと木刀は撫でた。屈んだ状態からライのふるう木刀が朝比奈の脇腹を直撃する。それでも察して後方へ飛び退った朝比奈に与えた痛手は微小なものだ。何度か正面から切りつけ合う。かァンガァンとそのたびに木刀がぶつかり擦過する音がこだました。
ライは大きく踏み込むとわざと振りかぶって朝比奈を避けた。朝比奈に背を向けるように体が交差する。それは同時に朝比奈の背中が見えているということでもある。朝比奈が気づく前に一撃を朝比奈の背中に叩きこんだ。げ、っは…! と咳き込む音がしてライがはっとする。今のは剣道ではない。殺人術だ。とんと間合いを取りながら飛び退った朝比奈の吐く唾が紅い。
「やるじゃない」
どくん、と心臓が脈打ったような気がした。こうして戦った記憶がある。体が覚えている。幾人もの血を浴びて幾人もの皮膚を破り幾人もの肉を裂き幾人もの骨を断ち。くらくらとしたそれは酔ってしまったかのようにライは酩酊したようにくらりと目眩を覚えた。片目を覆うように手で顔を覆う。指がぐしゃりと亜麻色の髪を掴みかきむしる。見開かれた瞳は玉眼の様に透明度を何パターンも替えて見せる。暗紫に見えれば洋墨の様な濡れ羽色に見え、かと思えば蒼く発光したように薄まる。
「おい、大丈夫か」
刹那、感覚が戻ってくる。
ここは、どこだったっけ?
「あ…悪い、大丈夫だ。少し目眩が…した、だけだ。支障はない。いける」
「目眩がしたのはこっちだっつうの。吐くかと思ったよ」
「じゃあ、これで、最後だ」
「おっけー!」
二人が同時に地を蹴った。半歩体を引いていたライの方が数瞬遅い。朝比奈が中段から横薙ぎに薙ぐのを見たライの行動は素早かった。だん、と地面を蹴ってふぅわりと朝比奈の体以上の跳躍力に躍動し、朝比奈を飛び越える。空中の体は反転して着地するときには朝比奈の首筋へ木刀の切っ先を突きつけていた。頭上を飛び越された朝比奈はぽかんと首筋に当たる木刀の固い感触に呆気に取られていた。
「勝負は、ついたな?」
「……オレの負けだね。実戦だったら死んでるな」
朝比奈はもろ手を挙げて木刀を脚元へ転がした。
「見たことない技だったな。どういう流派?」
「…その、覚えていない、というか、そこも判らない」
ライは迫る朝比奈にたじたじになって後ずさった。朝比奈の方は木刀を放り出して今しがたの戦闘の分析と評価を始めてしまう。
「常に半歩引いてるお前の方が数瞬は遅れる筈なのに、お前はその不利を取り戻してあまつさえ利にしてる。剣道っていうより剣戟だな。日本固有のものと関連がなくもないけどそれだけじゃない感じがする」
「…僕の素性、たどれるかな、そこから」
「こだわるなぁ。別に誰がどこの生まれでもいいっしょ。いや、よくないか。オレ、ブリタニア生まれにされたらマジギレするな…」
んむー、と朝比奈が頤に白く細い手を当てて唸っている。戦闘を主軸とする団体の所属であるとは思えないほどの繊手だ。剣道をやっていると言うから豆やあざはある。それでもどこか華奢な印象が抜けきらないのはその肌の白さからか。
朝比奈の目がじろじろじろ、とライの爪先から頭のてっぺんまでを舐めまわす。
「本当に戦闘経験ないの? その割には戦闘機の扱い方は一級品だったよ」
「うぅ、なんだか皆にそこを攻められるんですけど…本当に、体が覚えていて動かしちゃったって感じなんですってば。今の手合わせも本当に、考える前に体が動いちゃって」
「なんだよ―なんかうらやましいなそれー。それ、藤堂さんに言ってもいい?」
「藤堂中佐に?」
四聖剣の面々が中佐中佐というものだから軍属したことのないものまで中佐とつけている。惰性である。
「たーぶん、手合わせ願いたい。って言われるよ。あの人あれで戦闘力に関しては貪欲だから」
ライの中に不意に寂寥がこだました。卜部は朝比奈は執拗な性質だぞと忠告してくれた。朝比奈は藤堂は戦闘力への上達には貪欲だと話してくれた。それは互いに誰がどんな性質であるかを把握していることであり、それは綿密な、蔦が絡むような強い絆を感じさせて、ライは自身にそれは一切ないことが怖かった。
黙り込んで俯くのを朝比奈が覗きこむ。
「嫌なら言わないけど。でも、戦闘機戦であれだけの派手な戦績を残してるから藤堂さんが声をかけるのは時間の問題だと思うよ」
にぃ、と朝比奈の口が裂けた。笑んだのだ。びっくりして肩を跳ね上げるライに朝比奈はケタケタと甲高く癇に障る声で笑った。そのままちゅっと口づける。口もきけないライに朝比奈はキスくらいで動揺するなよと笑った。それとも、こっちの経験は、ないの? と言ってから自分できゃははははははと笑っている。
判っていてやっているのだから性質が悪い。
「ま、判らないものがあるのはいいことだね。判りたいって目標になるもんな。目的も目標もないのはよくない」
朝比奈が木刀を取り出した袋からごそごそと煙草とを取り出した。箱を傾けて見せる。ライは頷いて一本抜いた。朝比奈が燐寸を擦って火をつける。二人ともが咥えた煙草の先端を燐寸へ近づけて火をつける。じじ、と燃える音がして二人の距離が離れると、朝比奈は手首の返しの風速で燐寸の火を消すとぽいと放った。
しばらく二人で煙草を喫む。ふぅう、と吐きだされる紫苑が空へ融けていく。薄暮はとうに過ぎて薄暗い夜が近づいている。瞬く間に夜に堕ちるだろう空はもう夜なのかもしれない。朝比奈は二人分の木刀を片づけている。
「まぁさぁ、藤堂さんに報告はしないけど話題にはなると思うから。お前っていろんな意味で目立ってるぜ。自覚持てよ」
よっこら、と荷物を背負った朝比奈が煙草を咥えたまま、じゃあなと手を振って通路の奥へ消えていく。朝比奈が煙草を吐き捨てて踏み消す。なんだと思う間もなく、去り際にキスをした。煙草の味のする苦いそれはこれからを暗示しているかのように舌先までもがびりびり痺れた。
それを見送りながらライが断片的に湧いた記憶のことを考えた。体が覚えていたのは戦闘術だった。それも規則無用の完全に命をかける類いの戦闘術だ。自分はそんなところに身を置いていたのだろうか。正攻法で攻めてきた朝比奈には悪いことをしたかもしれない。口付けた熱がまだほんのり残っている。吸い終わり間近な煙草を地面で踏みつぶして火を消すとライも通路の奥へ消えた。
戦闘術は即ち殺人術にも通じる。それに精通しているとなればどうなるかは目に見えている。ゼロに報告するべきか。記憶探しのためには情報は得ておきたい。だが明確な指導者であるからこそゼロは戦闘の上手さを知らない。戦闘の指揮をとり、その辣腕をふるう藤堂こそが戦闘に関してはくわしいだろう。ライは天井を見上げた。
この体に染みついた戦闘術は
何人の人間を屠って来たのだろうか、
血まみれの手がさらに血まみれになることに躊躇はない。失くした記憶がそうであっても。
未完成な己のままで安寧と暮らすことをライは良しとしなかった。暗く細っていく通路を睨みつける。
戦闘開始、だ。
《了》