腐って熱を帯びる熱い体


   腐乱

 薄くけぶるような靄が晴れてきて、藤堂は遅まきながら覚醒を自覚した。見慣れた天井と古いばかりの梁は墨色に染まって暗渠の口をあけている。覚醒と同時に藤堂は私邸の間取りを思い出せる。部屋ばかり多いが建物自体は平屋だ。効率は悪いが風通しの良さは好きだった。両親も亡く、家屋の世話を焼いてくれるようなものもいないから藤堂の代になってから傷みがいくばくかは早いような気がする。ゆっくりと体を起こすと閉てられた雨戸が見える。傷んでいるから明かりが透ける。零れ落ちた星のように縁側を照らし、雲母引きの瞬きを見せる。枕辺の灯りをつければまだ幼いような朝比奈の寝顔が照らし出された。置かれた眼鏡の硝子がきらきらと輝く。
 何が面白いのか藤堂は朝比奈に乞われて肉体関係に及んでいる。説得は意味を成さず朝比奈も頑として譲らなかった。藤堂の方が折れた。付き合ってみれば面白みもない、飽きるだろうと踏んでいた面は否めない。だが藤堂の予想に反して朝比奈の執拗性は高まりを見せるばかりでちっとも終息しない。程度としてはひどくなっているかもしれない。そんなことはなかったのに話しこむ相手がいればすねたように関係を問い質す。年少者ではあっても付き合う相手に不安や不服を感じさせるなど至らなさばかりが目につくし叱責もされるのに、朝比奈は関係の清算だけは絶対に言いださなかった。藤堂に切れることのできない閨の相手がいても。唐突な呼び出しの優先順位は最上で、だから藤堂は深い付き合いからは常々身を引いている。朝比奈だけが諦めなかった。はっきりと別に寝る相手がいると言ったのに朝比奈は構わないとさえ言った。それでも時折こたえるのか、沈んでいる時があるから気にかかる。
 そっと毛布から脚を抜くと猫のように忍ばせた足運びで藤堂は縁側へ向かった。立てつけが古いから玄関も雨戸も軋む。朝比奈を起こさぬようにゆっくりと閉てた雨戸をあけて行く。雲もなく玲瓏な月光が庭を照らしている。夜露の粒が明かりを反射して細雨のように思わぬ場所さえ照らした。寝ついた後に雨でも降ったらしく沓脱ぎが濡れている。雨戸を撫でればひたひたとした感触もない。夏に近づけば近づくほど雨は強く短く降る。傘が役に立たぬと思ったそばから痛いほどの日差しが射すのも頻繁だ。季節の移ろいの変化の折りに、降雨は導のように変化する。重く沁みるような梅雨を越せば灼きつく夏が待っている。日差しが凶器に変わる前の嘘のような優しい季節に藤堂は目を細めた。
 裸足の足裏からは水気が染みだしてくる。踵へしっとりと沁みる雨水は独特の芳香さえ放ちながら地面へ落ちる前に細って消える。屋内にいた時は降雨を確認できなかったが、庭へ躍り出ると肌をぽつぽつと針先でつつくように微細な雨が打った。霧雨は案外濡れる。纏う着物がしっとりと重くなっていく感覚や皮膚や髪の潤いに藤堂はひらひらと手を泳がせた。土を踏んでも音はしない。音さえも泥となった土が呑んでしまう。その分体や踵が沈むように想う。蹴りだした痕跡が常より深く残る。子供が飛び跳ねるように藤堂はトントンと庭先で跳ねる。水面に浮かぶ蓮を渡るように、飛び石を渡る要領で一定間隔をあけて広く飛ぶ。くるんと反転すれば円形に土が刳れた。最後に芝の上へ飛び乗れば、微細な音を立てて夜露が飛び散り、あたりをきらきらと煌めかせる。藤堂の寝巻の裾がふうわりと風を孕んで膨らんだ後にしとやかにしぼむ。体を翻した勢いで顔を上げれば雨戸が完全に開かれてそこへ腰を下ろしている朝比奈がいた。にっこりと、微笑む。藤堂もつられるように笑んだ。月明かりが射しても夜半であれば藤堂は元々判りにくい己の表情の変化が判ってもらえるとは思っていない。それでも朝比奈は藤堂の微笑みが見えたように身を乗り出してにっと白い歯を剥きだして笑い返した。
 「しょうご」
落ち付いて響く藤堂の声に朝比奈が立ち上がる。とんとんと軽やかに沓脱ぎを踏んで庭へ下りてくる。裸足のぺたぺたという張りのある肌の音がした。
「鏡志朗さん、眠れませんか?」
藤堂のそばへ来た朝比奈が両手を後ろ手に組んで体全体を傾がせて藤堂の顔を覗き込む。女の子のような可愛い子ぶった仕草だが朝比奈がやると妙に馴染んだ。朝比奈は領域を踏み違えることも多いがその分、経験も積んでいる。選択肢として近づきすぎないということがあるのを知っている。いつもならば外聞さえも気にせず抱きついてくる朝比奈にしては抑制された態度だ。
 藤堂の目線はすぐに朝比奈からはずれた。朝比奈の髪が月明かりで白緑に煌めく。暗緑色の髪は緑の黒髪の美称を思い出させるが暗闇で見ると緑の部分が際立った。双眸も同じ色でくっきりとした目淵を睫毛が彩る。唇は火照ったように紅く膨らんで少女のようでもある。笑みの形に広がる唇でも紅さは変わらず紅でも指しているようである。肌も白いし頬や目元にくすみや弛みもない。性別を偽るには好条件だ。藤堂が見つめる視線が嬉しいと言わんばかりに朝比奈は小首を傾げるように角度を少しずつ変える。
「鏡志朗さんに見つめられるなんて嬉しいな。オレのこと絶対に忘れないでね。オレが死んでもあなたが死ぬまでオレのことを思えていて」
違和感に気付いてからそれが眼鏡をしていないからだと知った。眼鏡をしていない朝比奈の顔は常よりおっとりと優しい。視界に問題でもあるのかしきりに瞬きを繰り返し、それによって目が潤みを帯びている。月明かりできらきらと強い潤みや照りが入る。潤みきった水滴のように球体に灯りを歪ませながら乱反射する。
 朝比奈がくすっと口元を弛めた。小首を傾げる藤堂に朝比奈の爪先がひらりひらりと、藤堂の眼鼻の先で閃いた。桜色に調えられているそれは塗りたくってもいないのに健康的に赤みを帯びる。緩慢な尖りと細まりを帯びた形で左右対称だ。朝比奈の念入りさが窺える。
「鏡志朗さん、目がうるうるしてるよ。あなたは強いようで案外弱いんだから体に気をつけてよ」
言われて藤堂は初めて瞬きを意識した。瞬くたびに眼球が潤むのを繰り返して意識せずに涙があふれた。向かい風を受けるときのように感情的な作用ではなく、目の乾燥を案じた体の反応だ。瞬くたびに目淵が潤んで揺らぎ、不意に決壊して頬を伝う。感情の作用でないから涙ばかり落ちる。鼻づまりや異様な胸部の痙攣もない。涙だけがボロボロとこぼれて頬を滑り落ちて行く。
「あぁ泣かないで。鏡志朗さんはすっごく可愛いんだから泣かれたら困っちゃうな」
落涙を拭おうと上げた藤堂の手を朝比奈が抑える。藤堂は撫でられるままに身を任せた。朝比奈の滑らかな指先が藤堂の頬を撫でる。朝比奈がにっこりと笑んだ。

「きれいだ」

きゅうと朝比奈の踏んだ土の音がした。伸びあがった朝比奈と唇が重なる。朝比奈の体躯は所属にしては華奢な部類だ。丈もないし目方もない。肉弾戦の訓練で頻繁に敗北を喫しているのは明確な体格差によるものが大きい。体格で劣る迫力を朝比奈は遠慮しない気概で埋めている。朝比奈が怯むのを見ることはあまりない。
 朝比奈が体重を預けてくる。藤堂は堪えるようにたたらを踏んだが耐えきれずに膝が折れた。二人してもつれるように地面へ倒れ込む。朝比奈は藤堂の脚の間へ位置を取り、手ぬかりなく覆いかぶさって来る。はだけた藤堂の衿を指でたどりながら開いていく。帯には触れても解かない。裾さえもくつろげられて藤堂が羞恥を感じる前に朝比奈の愛撫で感覚が麻痺していく。朝比奈の火照ったように熱い体は藤堂が自制する体の解除キィであるかのように、藤堂の体を拓いていく。奔る流動体や蠕動、体液などが朝比奈めがけて循環や弛緩を繰り返す。朝比奈は容易く藤堂の体を牛耳る。しかもそれはあくまでも友好的なものだ。力で抑えつけるような無理はしない。
「そう言えばね、鏡志朗さんが綺麗だって言っていた、オレの家の近くの桜は散っちゃったよ。虫がつくからって持ち主が枝下ししていてね」
ちょっと残念だった、と朝比奈が言う。藤堂の脳裏には萌える新緑の葉桜が刹那に吹き荒れた。桜の葉は菓子に使われるほど香りも強い。漬け込んだ桜の葉は菓子と一緒に食すものもいるくらい好まれる。桜花は有名だがその期間は短く、それが有名な原因でもある。
「古木か。それならばきっと次にも花をつけるだろう」
桜は古木が好い。若木はまだか細くてつけた花に負ける。根を張るから庭木には向かないが、学校などの公共の施設ではよく植えられる。初春や年度初めの華やぎ浮き立つ時期には似合いの色で花をつける。
「そうだね、古いかな。オレが居着いた時からあるからね」
朝比奈の手が藤堂の下腹部を撫でた。脚の間への執拗な愛撫に藤堂の背がしなう。張り詰めた喉首に朝比奈は唇を寄せて食む。甘い噛み傷をぬるりとぬめる舌が舐った。びりりと沁みる痛みが藤堂の体を奔る。痙攣的に震える指先を見てから朝比奈は満足げに目を細める。
 目を細めた朝比奈は猫に似ている。猫の目の瞳孔のように朝比奈の目が変化するように藤堂には思えた。震える指先が濡れて湿った土を刳る。湿気たような腐ったような独特の香りが辺りにはじけた。温く体温に馴染む土に藤堂は埋まってしまいたいと思う。昼に掘れば冷たく夜に掘れば温い。土の中で腐乱し熱を帯びてみたい。発熱した肉体がどのように朽ちるかを藤堂は知らない。血の気が失せれば皮膚は蝋のように白くなる。帯びる熱がどう作用するかは興味がある。腐乱による膨張やにおい、崩壊は藤堂を魅了してやまない。きれいだきれいだと朝比奈たちが言うたびに藤堂は土に埋まって腐乱した死体こそが己に相応しいと思う。膨張や破裂を繰り返して割れた柘榴のように果肉をさらす姿こそがふさわしい。
 藤堂は庭の土を踏むたびに埋まって腐る様を想う。沼地へ体を沈めるようにきっと涼やかで冷たく温く、肌に馴染んで融けるだろうと思う。もう何も考えずに眠りについて、肉体さえも朽ちて消えればいいと思う。土へ還るという考えを藤堂は否定も拒絶もできずにいる。濡れた土は特にあう。水分を含んで腐敗を進行させる。水気のない場所では物はあまり腐らない。黴などは特に水気を好んでいる。
「きょうしろうさん?」
藤堂の手がずぶりと濡れた土へ埋まる。心地よい。藤堂は薄く笑んだ。
「しょうご、おまえの」

お前の重みで私を土の中へ埋めてしまえ

この皮膚が白くなり肉が融けてしまえばいい。交渉の時に感じるような熱で体を火照らせて温い土の中で腐ってしまえばいい。汚らわしく醜く、腐敗こそ私が迎えるべき未来だ。

雨の臭いはどこか腐ったように沁みとおる

雨垂れに濡れた土の中へ藤堂は指先を潜り込ませた。ぬくい。知らずに笑んだ藤堂の口元に、朝比奈が理解しがたく悩んでいる。夏の日差しが灼く前の、体を腐らせる雨に藤堂は身を任せた。熱い夏の日差しに炭化して消えてしまっても構わない。雨の多い時期に腐乱し肉をさらして融けて行く。

じめじめとした雨は腐乱の始まりだ。


《了》

なんか好き勝手した! ものになっていればいいなと思います!
あとは誤字脱字とかなければ…!            2011年5月9日UP

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