※本編の時間軸やあらすじをまったく無視しています
 それでもよろしい方のみどうぞ


 払った代償に得た何か


   失ったものと得たもの 後編

 通気口と明かり取りを同時に兼ねる小さな硝子窓をギルフォードは見上げた。そこからの脱出は不可能だ。肩幅が潜り抜けられる大きさではない。ギルフォードだって成人男子だ、体格だってけして華奢とは言えない。反射的に考える逃走経路にギルフォードは戸惑った。なぜ逃走経路など考えてしまうのかが判らない。靄に包まれたようなそこに手を伸ばすのを躊躇する。そこに何かがあることは判っているし掴んでしまえば事は簡単なのに、そうできずにいる。ぽつねんと部屋にいると無為なことに思考が向く。
 ギルフォードは無機的に閉められた扉の方を見ていた。背丈もあり引き締まった体躯のいかにも武人と言うべき男がなぜか自分の弁護をしてくれているらしいことだけは判った。ギルフォードは今いる場所は己の所属と友好的とは言い難い関係にあるのだろうことだけは察していた。向けられる視線や、扉の外から漏れ聞こえてくる諍いなどがそれを教えてくれる。
「と、うど、う」
つぶやいただけで指先が震えた。自分は何故ここにいるのか今までどうしていたのか何をしていたのかさえ判らない。ただ周りの反応から推測するにここはエリア11だ。少し前までは日本と呼ばれていた、占領地。己が所属ははっきりしている。ブリタニア軍だ。それに非友好的となればイレヴンと呼ばれて差別化されている日本人の集団か。テロは後を絶たないし、彼らは狡猾でもある。そんな彼らの中にいるとすれば好ましい状況でないことくらい推測がつく。軍内部にイレヴンに捕らえられているなどということが知れれば降格、除籍――エリートの階段を駆け上がってきたわけではないが、出自に見合う戦績をあげてきたつもりだ。それら全てがふいになろうとしている。
「オレンジ畑を耕すことになりそうだな」
クッと嗤うと壁に背を預け長い脚を投げ出した。恵まれているだろう生活を送ってきたこの身が農作業に耐えうるだろうかなどと考え始めて自嘲する。すべては仮定の話でしかなく、それでいて現実なのだ。
 扉が不意に開いて小柄なシルエットが部屋にさした。廊下の明かりの眩しさに目をすがめると彼が一人の人間を招き入れた。男とも女とも区別のつかないてらてらとした平面的な仮面をつけている。その仮面はギルフォードの深層意識を揺るがした。マントを手足のようにさばいて歩み寄ってくる。その後ろに控えめに武人のような彼がついた。
「気分は如何かな、ギルフォード卿」
「私はギルフォードという名前なのですね」
ヴォイスチェンジャーを通したような機械音声はその人物の輪郭をあいまいにした。華奢でこそあるが男の骨格をしていることだけが判る。
「私はゼロ。君を捕らえている団体の頭だと思ってくれて構わない」
ギルフォードは注意深くゼロの言葉を聞いた。記憶を失っても彼の聡明さは健在だった。
 体格から推し量るに、いまだ少年の域にあるのだろう。爆発的変化を得る前の静けさに満ちた過渡期の体躯だ。年若い彼が率いる団体とはどのようなものなのか、またその社会的地位や評価などを得る必要があった。テロリストはそれこそ湧水のように後から後から湧いてくる。
「藤堂をどう思う?」
「とうどう?」
ゼロが藤堂を示した。大仰なその身振りに控えていた藤堂は眉をひそめたが何も言わなかった。周りの状況を鑑みるに、どうやら己をここに連れてきたのが彼らしいことは察しがついていた。
「貴殿を助け出したのは彼だ! 戦場跡から連れて帰ってきた」
「戦場…」
 戸惑ったようなギルフォードの表情に藤堂は何か言おうとしたが言葉が見つからず、唇を開くだけにとどまった。ゼロは面白がるように二人の反応を見ている。
「では、私は軍属」
「どこまで忘れているかは判らないがそういうことだ、ギルフォード卿。さぁどうする? ここは敵軍地だ」
唐突に走った頭痛にギルフォードが顔をゆがめた。立ち上がりかけた体がふらついて膝をつく。慌てたように寄り添う藤堂の様子にゼロが微笑した気がした。仮面から漏れ聞こえる吐息が笑んでいる。
 「わたし、は――私はブリタニア軍人、で」
頭ががんがんと痛んだ。それこそ鉄の棒で直接殴られているかのようだ。しかもその痛みは外部からではなく内部からわき起こってくるうえに治し方も見当がつかない。ギルフォードの細く白い指先が頭を抱えた。黒髪が指先に絡む。その白と黒の対比は妙に美しく、彼の脆弱性をあらわにした。
「ゼロ、これ以上は」
たしなめるような藤堂の言葉にゼロは肩をすくめると踵を返した。
「手当を頼むか?」
「しばらく二人きりにしてほしい」
殷々と響く声にギルフォードの意識は遠のいた。ただ倒れこむその身を抱きとめてくれる温かな腕の心地よさが体に残った。

 ゼロが出て行ったあとにもつれるように倒れこんだ体を藤堂は抱いていた。頭が痛むのか抱えるように覆う手の平、指先は皮膚に食い込み黒髪に絡んでいる。眼鏡が落ちて冷たい金属音を立てた。閉じた目蓋の眦から滑り落ちる雫に藤堂は切ないような苦しいような顔をする。ゼロはそれを見てから扉を閉めた。扉の前で待っていた朝比奈に藤堂はまだ用事があるらしいとだけ告げて立ち去る。抱え込んだのは厄介事に違いなく、一刻も早く手放すべきだ。そう算段したルルーシュは藤堂からの報告を聞く際に告げるべき言葉を選んだ。

 度重なるフラッシュバック。目の前に広がるロストの文字と消える反応。過酷な戦場を駆け抜け生きてきた。出自に見合う働きをしてきたつもりだ。家柄だけだと嘲られないよう必死だった。何人のイレヴンを屠ってきたかなど数えたこともない。何機の機体をロストに追い込んだかすら覚えてはいない。ただ目の前に広がる絶望的な状況だけがすべてだった。屠るものはいつか屠られる。そんな訓示がぼんやり浮かんで消えた。消えていく仲間。動かない機体。脱出すらできずその場に捨て置かれた愛機とともに消えるはずだった己。ただ生き延びた過程は試練かと薄れゆく意識の中でギルフォードは思った。死という終焉すら許されずに生き延び続きあがき続ける己。
 厭われながらもこうして抱きとめてくれる腕の温かさにギルフォードは酔った。厳しくしつけられたギルフォードにとって抱擁の記憶は遠い過去のものでしかない。不意に夜中に目覚めて体温の交錯を希う浅ましさに震えながらそれから目を逸らしてきた。体温の交錯を求められて応じる夜もあった。偽りのそれはその場しのぎでしかなく、しかしギルフォードに与えられたのはそれだけだった。
「ゆるして、くれ」
あふれ出る言葉を音として認識する前にギルフォードの意識は闇に落ちた。
 「ギルフォード…」
藤堂はかき抱いた体躯にそっと手を這わせた。薄い医療患者用の衣服は彼の体躯の思わぬ深部まで暴いてしまう。背骨の突起をなぞり頸骨に達する。こつこつとしたその小さな突起を探り当てるように撫でてやる。その仕草が幼子をなだめる母親のそれと酷似していることに藤堂は気付かなかった。
「許しを請うか…私こそ、許しを請いたいくらいだ」
何人殺した。何機壊した。その戦績華々しく鮮烈に。『奇跡の藤堂』という二つ名までいただくほどに鮮烈なそれにも藤堂は空虚しか感じなかった。それは蟻が象に戦いを挑むようだと嘲った彼らの正しさのように。藤堂は戦績をあげるものの日本人はイレヴンと呼ばれて差別され、救国の徒はテロリストとなった。だがそれでも戦いをやめるわけにはいかなかった。刃を向けられた以上受けて立つ。刃を向けた以上最期まで戦う。誇り高く死んでいった彼らを思うたびに藤堂は眠れぬ夜を明かした。
 「ギルフォード…君も、同じか」
忘却の彼方へ追いやってしまうほどの何が彼を追い詰めたのか藤堂に知るすべはない。けれど傷つき喪った彼は目の前で、この腕に抱かれている。皮膚越しに伝わる拍動だけが罪なく脈打っていた。ただ無機的な拍動。ただ任務をこなしているだけなのだというそれ以上でも以下でもない拍動。それがひどく心地よい。ギルフォードの拍動は藤堂のそれと連動して同調した。皮膚を邪魔に感じるほどに融けあった体はそれが当然であるかのように拓かれていく。思わぬ深部までさらして焦りを生むと同時にギルフォードの深部を暴いていった。
 しがみつく指先や震える目蓋がすべてだった。艶やかな黒髪は水面のように畝を作って波打ち、ヒビの入った眼鏡が落ちると同時に怜悧な容貌はただの世間知らずの良い子のように見えた。上等な家柄なのだろうと藤堂は他意なく思った。知らぬ仲ではないと言っていたゼロが、ギルフォード卿と呼ぶからにはそれなりに上位に入る出自だ。出自も才能も申し分ない彼が何を求め何を捨て何を殺してきたのか藤堂は知らない。必要性も必然性も感じなかった。ただ、ギルフォードとの体温の交錯が温かく心を潤した。
「ギルフォード…」
彼の名を紡ぐ。優しく背を撫でさすりながら耳元へ囁く。ギルフォードの眦から涙が一筋滑り落ちた。
「やはり君は、ブリタニアに還るべきだ」
藤堂は居心地の良い癒着から分離すると名残惜しげにギルフォードの体を床の上に横たえた。胸に手を当てればすぐにでも同調する拍動。融けあう快感のそれを振り払うように藤堂は手を放して部屋を後にした。うっすら開いた瞳は薄氷色に煌めいて立ち去る藤堂の後ろ姿を無垢に見つめて潤んでいた。

 手狭な操縦席でギルフォードは体を精一杯縮めて屈んでいた。藤堂は不自由に機体を操る。ゼロからの命は『ギルフォードを元の場所へ返す』こと。まるで捨て猫や捨て犬を拾ってきた子供に母親が言う言葉のようだと笑いながらゼロは藤堂にそう言った。機体がそのままなら、ブリタニア軍もその周辺を重点的に捜索するはずで、そうすればその辺にギルフォードを放り出しても実害はないだろうという目算だ。ギルフォードの記憶は相変わらず戻る気配すらない。ただ藤堂にだけは人懐っこく笑うようになっていた。変化と言える変化はそれだけだ。拾った時に負っていた傷は癒え、体躯に問題はなにもない。このまま放りだしても自力で戻れるだろう。
 藤堂の灰蒼の瞳がちろりとギルフォードを眺める。捨てられる前のような怯えた目をしながらどこか狡猾に周囲を窺っている。備え付けの機器に保存した地点に到着すると藤堂は操縦席を開いた。ギルフォードは言われる前に身軽く飛び降りた。今、身にまとっているのは保護した際に着ていたパイロットスーツだ。傷跡の名残のように所々が擦り切れている。体のラインがはっきり判るそれを、自身も身につけていながら藤堂はいかがわしいような気分になって目を逸らした。
「ありがとう、えっと」
「礼は不要だ」
最後まで名前を明かさない藤堂にギルフォードは困ったように微笑んだ。きらりとギルフォードのうなじあたりで装飾品が煌めく。藤堂はギルフォードに結い紐を贈った。普段から結っているだろう髪は結い紐もなく波打つままになっているのを見かねて贈ったのだ。紅いそれは小さな鉱石の装飾のついたそれ。ギルフォードは驚いたようにそれを受け取ったが、微笑するとそれで髪を結った。似合うだろうか、とはにかむギルフォードに藤堂は目元を紅く染めて答えなかった。黒と紅の対比は艶めいて目を惹いた。
 「あなたの名前を知りたいんですが」
「敵方に教えるわけには、いかない」
くだらない言い訳だと自嘲しながら藤堂は言った。残念そうに微笑するギルフォードは奇妙に美しかった。藤堂自身がそうした美意識で見られがちなのを承知の上でギルフォードは美しかった。朝比奈はよく戯れるように、藤堂さんは綺麗ですから、などとほざく。その気持ちが判ったような気がした。
「救難信号は発信できるか」
「…はい、できました」
久しぶりに眼にする愛機に体は反応するらしく手慣れた風に救難信号を発信する。もう大丈夫ですと微笑するギルフォードはやわく別れを告げていた。壊れかけているが馴染みがあるのか意識のないままギルフォードは機体に触れて歩いている。
 藤堂は一刻も早くこの場を立ち去るべきだった。救難信号を発信した以上、それを受信したブリタニア軍が来るのは必定だ。この場にとどまる利などないに等しい。それでも立ち去りかねる藤堂を押しとどめるようにギルフォードは笑んだ。
「あなたの名前を呼べたらよいのですけれど」
泣き出しそうなそれに、藤堂は退却した。操縦席を閉め、踵を返す。機械でしかあり得ない速度で遠ざかるギルフォードの影が何故だか名残惜しいような気がしていた。
 「藤堂!」
叫んだギルフォードの声は藤堂の耳朶を打った。それでも藤堂は止まらない。スピードを緩めることもなく機体を操り自陣へ帰る。赦しを求めて泣いた瞳と、藤堂の名を呼んだ怜悧な瞳は薄氷色に重なった。
「ギルバート…」
ただ一度、囚われのときに漏れ聞いた彼のファースト・ネームを呟く。彼についての情報などないに等しい。けれど交錯した体温は確かに体を拓き深部をさらけ出していた。か細くただ一言、愛してほしいと。それは藤堂の内部に深く刻みつけられた。恵まれ、それ故に愛を求る魂があるのだ。藤堂はただ一人誓った。その求めを私だけは覚えていよう。世界のすべてがそれを拒否し忘れても私だけはお前の希みを忘れない。藤堂は座標上に現れた機体反応を見てスピードを上げてその場から立ち去った。

 「藤堂…」
ギルフォードはその名を呟く。そのたびに潮が満ちるかのようになくしていたものが戻ってくる。自身はブリタニア所属の軍人であること。コーネリア皇女に忠誠を誓ったこと。何人ものイレヴンを屠ってきたこと。愛おしげに呼んだ藤堂という武人とは相対する位置にいること。
「とうど、う…」
愛機に頬を寄せる。温い雫が滑り落ちてその白い頬を濡らした。この機体で幾人のテロリストを屠ってきただろう。その罪すべてを赦すかのように藤堂はギルフォードを包んでくれた。自意識が戻るに従って藤堂と共にしたのだろう時間の記憶は薄れてゆく。薄れてゆくそれはひどく愛おしいのだと知っている、それ故に失われてゆく。ただ愛おしいその感情だけが残り、ひどく惜しいような気にさせる。
 テロの鎮圧のため、指揮をとってイレヴンを拘束し、時に屠ってきた己を藤堂は受け入れてくれた。それはひどく嬉しく、心地よかった。神の赦しを得たかのようなその心地はギルフォードを緩め、体の器官すべてを暴走させた。藤堂との体温の交錯は確かに快感であり、癒着は皮膚が邪魔になるほどだった。それほどまでに同一化した己を捨て置く藤堂の心中を思いやれば仕方ないのだとひとりごちる。しょせん、ギルフォードはブリタニア軍人なのだ。
 「とうどう」
細波のごとく失われていく感覚と皮膚に残る心地よい感覚。失われる記録と反して体は心地よさを記憶している。失われていくそれはすでに掴みどころなく。
「ギルフォード卿!」
駆け付けた兵士はギルフォードに一礼して機体を降りてきた。救難信号を受信したのだろう彼は応援は間もなく駆け付けるとギルフォードに告げた。
「生まれが違うと違うものですね」
わけのわからないそれに小首をかしげれば兵士はギルフォードの結い紐を指した。
「きれいな柘榴石ですね」
血色の紅玉とは違う紅さがギルフォードの黒髪と対比していた。これを贈ってくれたのが誰なのか、ギルフォードはもう思い出せないことに気づく。ただ、大切なそれ。ひどく稀有で大切で尊いような感覚だけが残っている。これを贈ってくれたのはどんな武人だろうか。
「武人、か…」
なぜ武人だと思うのか、その根拠はすでにギルフォードの内部にはない。ただ、そう思うだけなのだ。ひどく感覚的なそれはギルフォードを魅了した。
 「どこかへ保護されていたのですか? 傷の手当てがされているようですが」
言われて額や四肢の裂傷の癒えた跡に気づく。ギルフォードは困ったように笑った。
「すまないが、記憶がない」
兵士はそれに納得したのかさらに質問を重ねてはこなかった。ギルフォードの薄氷色の瞳が虚空を眺めた。
「と、うど、う」
切れ切れだが覚えているのはそれだけで、それはひどく尊く愛おしいような気がした。呟くたびに体が鳴動するのが判る。細胞の一つ一つが結合を求めてさざめく。それがすべての答えであるような気がした。
「とう、どう――」
愛機にすがりつくようにしてギルフォードは泣いた。その響きや発音の仕方はただ甘く同時に哀しい。
「うッ、うあ、あぁ――…ッ」
 次から次へとあふれる涙がギルフォードの喪失を埋めた。むせび泣くギルフォードを兵士は驚いた顔で見ている。それに気づきながら取り繕う余裕もなかった。ただ、出来ることはその言葉を紡いで泣くことだけだった。笑うことだけだった。
「あ、あぁ、あ――…」
体裁も何もかもを放り出してギルフォードは泣いた。ただ、体に残る体温の交錯の記憶だけがギルフォードを癒した。あふれる涙はどこか懐かしいような感覚を呼び起こす。その口の端をつり上げてギルフォードは笑った。
「藤堂――」
体に残るすべてがそこに集約されている気がした。失くした何かと得た何か。温いようなそれはギルフォードの深層に届き、傷つけ同時に癒した。空白のすべてを涙に変えてギルフォードは泣いた。

あぁ、体はきっと覚えている


《了》

な、長い?(汗) 終わらなくて焦った…後はもう誤字脱字さえなければ(恥かしいから)
藤堂さんとギルはきっとすれ違い両思いだと信じています(腐れ目)
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