厄介な、ものだ
04:紫苑の過去の片鱗
鬱蒼とした森も慣れてしまえば清々しい。勝手知ったる庭のように歩きだす藤堂の後ろを朝比奈がついていく。藤堂の主であるルルーシュは微笑ましく藤堂を見ている。朝比奈はフンと鼻を鳴らす。藤堂を捧げることについては了承してしまったものの、藤堂への想いは禁じられていない。好敵手がいれば燃えるなどと豪語する神なのだから体のいい黙認だ。それを逆手にとって朝比奈は藤堂に張り付く。臆することなく進んでいく藤堂の腕を引く。
「藤堂さん、あんまりそっちに行くと村の連中と顔を合わせますよ。こっち」
藤堂は素直にそうかといって朝比奈に従う。ルルーシュが白い指先をすぅと指す。
「藤堂、あちらに水辺がある。食物もそこで採れるだろう。連中も来ないしこのあたりが限界だ」
頷くと藤堂はすぐにあたりを見回してから座り込む。
ルルーシュ自身は神なので特に食事は必要としない。だが朝比奈は預言者とは言え人間であるから食事は必要だ。藤堂も段階的に食事が要らなくなってきてはいるのだが朝比奈の食事に付き合うことが多い。だからこうして朝比奈と藤堂は連れ立って食料の調達をするのだが、朝比奈が要注意人物であると認識しているルルーシュやスザクが必ず付いていく。何より神の住まう森に藤堂への想い一つで乗り込んでくる人間なのだから油断はならない。ルルーシュの目が朝比奈を蹴散らすように冷たく凍る。朝比奈は仕方なく調達に専念する。藤堂は元より如何わしい感情など気づいておらず熱心に植物や茸を見ている。ルルーシュは水辺へ腰をおろした。藤堂も朝比奈も双方が見える位置を取る。
「藤堂さん、今度白いご飯食べましょうね。炊いてあげますから。惣菜は何がいいですかね」
「白いご飯か、久しぶりだな」
二人とも熱心に手元を見ている。距離がじりじりと離れていく。
「藤堂さんは料理できないでしょ。できなかったですもんね、場所もなかったから仕方ないけど」
藤堂の顔がかぁっと赤らむ。藤堂は如何もハードルを高く設定してしまうようで自分は至らぬと思いがちだ。座敷牢に閉じ込められていた人間が料理など覚えられるはずもないのだが、藤堂はそれすら恥じる。そう言う実直さは愛らしいのだが厄介だとルルーシュはぼんやり思った。しばらくブチブチと採取する際の千切るようなかすかな音がする。朝比奈の籠がいっぱいになっていく。藤堂もいちいち日にすかしたりと苦心している。
藤堂の目の前をぴょんと昆虫が跳ねた。藤堂の灰蒼の目がその動きを興味深げに追う。野草を取っていた手が止まった。ぴょんぴょんと飛ぶたびに藤堂の体がそちらへ向く。藤堂にとって生き物とは書物の中の存在であることがほとんどだった。こうして目の前で跳ねるのは新鮮な興味をそそった。藤堂の指先がヒュウと猫のようにしなやかに素早く動いて昆虫をとらえた。くの字に曲がった足をばたつかせて逃れようとするそれを藤堂は凝視した。
「朝比奈、昆虫は食べられるのか」
「昆虫? そうですねぇ」
朝比奈は見向きもしない。頭の中は藤堂に作ってやろうと思っている惣菜の手順でいっぱいだ。
「食べられるんじゃないですか? だってイナゴの佃煮とかオレの地元にありましたよ。ちょっとしょっぱくておいしいですよ。白いご飯が欲しくなるなー…珍味ですからね」
「美味しいのか」
藤堂の目がじぃっと見つめる。ルルーシュがガタリと立ち上がる。
ぺろりと出した舌先で舐めようとする藤堂のもとに、まれにみる速さで駆け寄ったルルーシュがその手をべしんとはたき落した。逃れた昆虫はたまらんといわんばかりに一目散に草の中へ紛れた。
「やめんか! それは喰えん!」
「そうなのか」
心なしか藤堂が残念そうだ。ルルーシュが朝比奈も怒鳴りつけた。
「お前も藤堂に変なことを吹きこむなッ!」
「へ? なに?」
朝比奈がようやく顔をあげたが事態が判らず首を傾げる。
がさっと茂みを揺らして細身の青年が顔を出した。黒褐色の長髪を一つに結って眼鏡をかけている。朝比奈とは少し違う形の眼鏡がカチリと光を反射する。
「お久しぶりです」
「ギルフォードか」
ルルーシュに礼をしてから藤堂ににこりと笑いかける。藤堂もなんとか口の端を動かして笑い返した。
「珍しい供物があったのでルルーシュ様へ贈らせていただきました。えっと、ここは彼に、聞きまして」
「スザクか。別に秘密裏に事をこなしているわけではないから気にするな」
スザクは留守番に残してきた。朝比奈と事あるごとに衝突するので時折こうして引き離してやらないと険悪な雰囲気になるのだ。
「ギルフォード、イナゴを知っているか」
「いなご? えぇっと、昆虫の?」
「やめんか。お前も止めておけギルフォード。シュナイゼルが卒倒する」
わけのわからないギルフォードが小首を傾げる。藤堂は不服そうだが口をつぐんだ。藤堂は道を決めたら退かぬ頑固さがある。ルルーシュが藤堂に泉を指差した。静謐な透明感を満たすそこはゆらゆら揺れた。
「あそこで泥を落としてこい。ギルフォード、悪いが共に行ってくれ」
ギルフォードは自身の体を点検してから苦笑した。
「私も泥だらけですね。道を歩くのが下手なもので」
藤堂とギルフォードが泉の縁で衣服を脱ぎ落す。二人とも布を巻きつけただけのような軽装だ。そろって幾何学模様を思わせる刺青が彫られていて、彼らが生贄であることを示す。ギルフォードが長い髪をまとめるのを藤堂が何事か問うている。ギルフォードは穏やかに応え、二人ともが泉へ体を沈める。
どさりとおかれる音に目をやれば朝比奈が藤堂の方を見ながら野草で満ちた籠をおろしたところだった。
「お前も泥だらけだな」
「だからってあそこに行かせる気はないんでしょ。オレ、藤堂さん狙ってるからね。そもそも神の眷属になった生贄の藤堂さんと一介の預言者が同等に並ぶのも許せない?」
「判っているじゃないか」
ルルーシュは冷たく朝比奈を見る。朝比奈の方はそんなことはこたえぬと言ったふうに前髪をかきあげた。丸い眼鏡をはずして服の裾で拭う。
「枢木って名字は珍しいからさ」
朝比奈は何でもないことのように藤堂たちを眺めながら言った。ルルーシュも続きを待つ。
「結構な事件だったらしいじゃない。枢木、ね。けっこう高位に属していたらしいからね」
朝比奈の暗緑色の目がちろりとルルーシュを見た。意味ありげに瞬くそれは呼吸しているかのように揺らめき息づいていた。眉の上から走る傷跡の肉色が浮かぶ。ルルーシュの紫苑の瞳は静かにそれを眺めた。
水飛沫をあげるのを面白がっている。ギルフォードがくすくす笑う。藤堂は水をすくったり水面を揺らしたりしている。そう言う仕草は幼子のそれによく似ていた。藤堂の成長は座敷牢の中で停滞していた。生贄として捧げられた事が解放へつながり、彼は驚異的な吸収力を見せた。子供の成長がとどまるのを知らぬそれを実践している。
「珍しい名字だからね、記憶に残るよ。また聞きの話だけと変な名字だなって思ったし」
「それで?」
「まぁ別に珍しい話じゃないよね。捧げもの以外を食っちゃあいけないって法は神にはないんだし。ましてそれが自ら食われに行ったなら、ね」
ルルーシュの紫苑がぶわりと圧迫をかける。紋様が浮かび上がる瞳が紅い。朝比奈の笑いが少しひきつった。
「そうだな。捧げもの以外を喰ってはいけないという掟はない。それはつまり今にも適用される」
朝比奈の目がぎらりと煌めく。ふわぁと殺気が辺りを覆う。顔に傷を負う程度の戦闘経験が朝比奈にはある。
「ルルーシュ!」
藤堂の朗々とした声に緊張が砕かれた。硝子のように張り詰めたそれは鋭く、だがそれ故に強度もなかった。朝比奈がふゥと笑って息をつく。藤堂が何か持っている。きらきらと日差しを屈折させるそれをギルフォードも珍しげに眺めている。
「透明な石がある」
「そう言うものもあるんだよ。とっておけばいい。藤堂、お前は運がいい」
「藤堂さん、見せてー」
朝比奈がたったっと軽やかに駆けよっていく。三人で覗きこむ様は微笑みを誘う。朝比奈は見た目だけで判断するなら可愛らしいタイプだ。目が大きく口や鼻もこじんまりしている。
「ふん、人間はしたたかだ」
なりと性質が違うことなど知っているはずだがな、とルルーシュが自嘲する。藤堂の濡れた髪が深みを帯びている。彼の髪色は鳶色をしている。ギルフォードの髪も黒色に見えた。二人とも薄い蒼色の系統の瞳をしている。朝比奈がきゃあきゃあと楽しげに話している。朝比奈は相手で対応を変えるだけの技術があるらしく、藤堂には素直だ。藤堂も朝比奈には信頼を置いているようで多少の触れ合いは何とも思う素振りもない。スザクがやきもきする原因がそこにあるのだが当の藤堂は気付いてすらいない。
ルルーシュはため息をつくと二人が集めた野草を選別してやった。腹でも壊されたり、まして中毒で死なれても困る。人間というのは厄介だ、とルルーシュはひとりごちた。強く弱く、手がかかる。
「だからこそ愛情も湧くか」
ルルーシュは痛むように眩しげに、藤堂を見た。
俺がどんなやつでもお前は捧げられると言ってくれるだろうか?
《了》