許可なんていらないさ
混色の湯
丸い眼鏡が特徴的な朝比奈が手荷物を抱えて姿を見せた。一見すると黒色の髪と瞳をしているがよく目を凝らせば深い緑の艶が判る。行儀よく毛先を整えた髪形はどこか両家の子息のようだ。それでいて眉の上から走る傷跡は頬にまで及び、彼が歴戦の戦士であることを示した。その傷跡は皮膚の上で止まったらしく、彼が視力的に障害を負ったというわけではないらしい。藤堂が穏やかに微笑して朝比奈を受け入れる。
「今日も来てくれたのか」
「藤堂さんのためですもんねー! 毎日来ますよ」
浮かれた様子であれこれと手荷物を披露する朝比奈をスザクが苦々しげに見ていた。
スザクは朝比奈が預言者として暮らすための庵を建てるのを手伝った。その時に感じた直感は正しかったらしく、スザクと朝比奈はそりが合わない。どこが嫌いというわけではないが同じ藤堂という人間を少なからず恋い慕う者同士の諍いとでも言うべき事態になっている。
「毎日来るな、暇人」
「お前みたいなチビと二人きりになんて出来るもんか。それに預言者として預言を聞くついでさ」
しれっと言ってのける朝比奈と唸るスザクの様子に藤堂が困ったように二人を見た。
「だったらさっさとルルーシュのところへ行けよ。藤堂さんのそばに何でいるんだよ」
「オレはこの館の深部への立ち入り権がないからな。こうして入口で健気に待ってるんだよ」
「なんだよ、藤堂さんの好意に便乗してるだけじゃないか」
神域へ入りこんだ朝比奈の命乞いをしたのは藤堂だ。その藤堂の願いを聞き入れる形で、地の神であるルルーシュは朝比奈を預言者として生かすことを選択した。預言者とは言え一介の人間である朝比奈は神殿の深部への立ち入りは許可されていない。それを気遣って藤堂は外部と深部が混じり合う広々とした部屋まで顔を出す。朝比奈を調子に乗らせるわけにはいかないスザクが何度か藤堂は奥へ留まるよう諭したが落ち着かなげに顔を覗かせてしまう始末だ。逆にルルーシュから藤堂の集中力が落ちたと言われれば一騎士であるスザクに進言する余地はない。ルルーシュがわりあい藤堂の好きにさせてきたことも影響しているだろう。
「藤堂さん、この木の実、食べれるんですよ。ちょっと独特の味かもしれないけど、病みつきになるって」
楽しげに話を聞いている藤堂を目の前にしてしまえばスザクの言葉など喉元で磨滅してしまう。藤堂は素直な性質で筋の通らないことは頑としてきかない頑固さもある。極端に人間との接触を禁じられて育っている所為か疑うということを知らない。おそらく朝比奈から滲みだしているやや害のある好意にも気付いていないだろう。スザクが苛立たしげに足音も高く部屋を出るのを藤堂は不思議そうに見送った。
「ルルーシュ、あの眼鏡!」
扉をノックもなく開いて不満をぶちまける騎士に神は気付かなかった。何かの報告に目を通しているらしく書類をぱらぱらめくっている。スザクは不機嫌そうに部屋のソファへどっかと腰をおろした。騎士服である少し仰々しい衣服のしわも気にしない。丸く頸部を覆うように立った襟の中へ顎を引いて不機嫌そうにぶつぶつ言っている。
「なんだ、機嫌が悪いな。朝比奈が来たのか」
「判ってるならさっさと追い返してくれよ。毎日毎日、なんだよあいつは。藤堂さんとずっと話しっぱなしさ。藤堂さんが誰の贄だか知れたもんじゃないや」
不機嫌をあらわにするスザクにルルーシュはいつになく上機嫌に笑った。
「なるほど、なかなかに重症だな。我慢強いお前がそこまで言うからには目に余るか。だが殺せないぞ。預言者を殺す手続きは厄介だし、藤堂の感情をどう納得させるかだ。あれでいて藤堂はしつこいぞ」
「じゃあルルーシュはあいつの好きにさせるって言うのか。あの朝比奈の」
「そうはいってないさ。そうだな、俺も藤堂と屈託なく話してみたいものだ」
「朝比奈は屈託どころか邪気まみれさ。気づいてないのは藤堂さんだけ。あいつの目つきの嫌らしさを知らないだろう」
ルルーシュが弾かれたように笑った。そのうえでスザクにぺらりと一枚の書類を示した。金色のインクで書かれた書類はふわりとスザクのもとへ舞い落ちる。きらきらする文字を目で追いながらスザクはルルーシュの真意を問うように目線を投げた。ルルーシュはどうだと言いたげに頬杖をついてスザクを見ている。
「本気かい。まぁことはうまく進むだろうけど。朝比奈が絶対乗り込むと思うけどな」
「それも承知の上さ。何よりお前、見たくないか。藤堂のすべてを」
スザクは深く息をついてから書面を折った。紙飛行機のような形をしたそれはすべるようにルルーシュのもとへ帰った。ルルーシュはその書類を持って椅子から立ち上がった。
「朝比奈も交えたうえで勝利するのが目的だ。好敵手がいるならなお燃えるだけさ」
自信満々に言い切るルルーシュの後ろからスザクはついていった。
「よくもまぁ毎日顔を出すものだな、朝比奈! ここまで勤勉な預言者を俺は見たことがない」
声高に宣言して応接の間へ入るルルーシュを藤堂がパチクリと見つめた。朝比奈が瞬時に身構える。暗緑色の瞳が油断なく年少の見かけをした神と騎士を睨む。
「藤堂、朝比奈はどうだ。何か気に障る事でもしたか」
ふるふると藤堂が頭をふる。ルルーシュが癇に障る声で笑うと大仰に言いきった。
「それは残念だ。お前の気を殺いだりしたら殺してやろうと思ったんだが」
「悪いけど、オレ、藤堂さんが嫌がるようなこと絶対にしない自信があるぜ。お前と違って愛してるからな」
「ほぅ、俺の藤堂への愛を疑わしいとでも? 藤堂より後の贄を要求しないことでもってオレの愛ははかれると思ったんだが、お前が馬鹿なだけか? それとも足りないのか?」
「足りてないね、全然。藤堂さんへの愛がその程度ならオレがもらって帰るぜ」
「お前いい加減にしておけよ! それ以上暴言を吐くなら」
「スザクくん、朝比奈!」
身構えるスザクの様子に藤堂が慌てて割って入る。藤堂は想いの機微には疎いが感情の発露には敏い。人が激昂したりするのを何より嫌い、怒鳴り声や暴力を極度に嫌う傾向があった。藤堂は座敷牢に囚われておりその際の経験が影を落としているらしい。座敷牢では与えられるすべてからの逃げ道などなく、享受するのが唯一のすべだ。藤堂は好意も敵意も嫌悪もすべてを受け入れて自身を保ってきた。
「スザク、藤堂が怯えるだろう」
ルルーシュに言われてスザクはようやく構えを解く。藤堂が少し恥ずかしげに目線をうつむける。スザクが慌てて言いつのった。
「藤堂さんは悪くないですから。悪いのはこの眼鏡です」
「お前、ホント失礼だな! オレが何をしたって言うのさ。お前が藤堂さんを怯えさせてるんじゃないか」
言い返そうとするスザクをルルーシュが制した。
「それより藤堂! お前は温泉というものに入ったことはあるか?」
「おんせん? それはなんだ…おん、せん?」
「地面からわき出る湯をためた天然の風呂さ。景色や効能が色々とあるらしいぞ。そこへお前と行こうと思ってな」
「私が行ってもいいのか?」
藤堂がおずおずと問うとルルーシュはにっこりと満面の笑みを浮かべた。人形じみたルルーシュの微笑みは美しい。
「馬鹿だな、いいに決まっているだろう。俺がお前を拒否するなどあり得ない」
「藤堂さんが行くならオレだって行くよ。お前たちだけに任せておけるもんか。それに温泉は嫌いじゃないしね」
「お前本当になれなれしいな」
「へぇ、じゃあちびは行かないってのか」
「お前が行くのになんでオレが残るんだよ。行くに決まってる」
「ルルーシュ、スザクくんと朝比奈は行ってはいけないのか? 私は…みんなで行きたい。みんなで楽しみたい」
藤堂の言葉にルルーシュは判っていると言いたげに微笑した。その頬を白い手が優しく撫でる。
「お前がそう言うことくらい判らない俺だと思うか? 大丈夫だ、全員入れる広さを確保してある」
藤堂が安堵したように笑んだ。
ルルーシュがすいと虚空を撫でれば扉が現れる。朝比奈と藤堂はそれを驚いたように見つめる。ルルーシュは当たり前のように扉を開く。ルルーシュとスザクがその扉の奥へ吸い込まれ藤堂と朝比奈もそれにならった。扉をくぐればすぐに深い森の中で目の前で大きな池から湯気が立っていた。ルルーシュは迎え入れるように藤堂を導き、湯の張られた池のような場所を示した。
「さぁ、裸の付き合いというやつだ。すべてを見せてみろよ」
「…ここで、沐浴するのか」
「浴びるんじゃなくてつかるんだよ。服を脱いではいればいい、湯加減はちょうどいいはずだ」
藤堂が何のためらいもなく身にまとう布を脱ぎだす。後ろで目を見張る朝比奈をスザクが小突いた。朝比奈もすぐにやり返し諍いが続く。ルルーシュはわれ関せずとばかりに藤堂の脱衣を一心に見つめている。何度か抱いた体だが、こうして目の前で焦らすように脱ぐ様を見るのは格別だ。
「お前何見てるんだよ!」
「お前こそなんかやましいこと考えてるんじゃないか!」
ルルーシュを小突いた朝比奈をスザクが乱暴に小突き、諍いが喧嘩に発展しかけた時、藤堂が振り返って小首を傾げた。
「皆、入らないのか?」
「いや、入るぞ」
ルルーシュが慌てて仰々しい衣服の留め具を解きスザクと朝比奈もそれにならう。
「藤堂、入る前に湯をかけて体をならせよ。いきなりはいると毒だぞ」
「毒? 毒なのに入るのか?」
「そう言う意味の毒じゃない。体が慣れなくて悪影響だという意味だ。何事も段階を踏まねばならないだろう」
藤堂の学習能力は高く、すぐにルルーシュが言わんとした意を理解した。何か入れ物を探す藤堂にルルーシュが用意した手桶を渡す。行儀よく離れた位置へ身にまとう布をたたんでおいてから手桶で湯を汲んで浴びる。湯を浴びて皮膚がつやつやときらめく。湯をはじく皮膚は瑞々しく張りがある。浅黒いような日に焼けた色をしているが瑞々しく湯をはじいて煌めいた。額をあらわにした鳶色の髪が湿り気を帯びてうなじを隠すように垂れる。プルプルと猫のように湯をはじくと湯船へそっと足先を垂らす。湯の温度に驚いたように爪先を引くが、ゆっくりと体を沈めていく。藤堂は肩までつかるとふゥッと大きく息をついた。藤堂の裸身が湯の中へ消えていくのを三人が固唾を呑んで見守っていた。藤堂がくるりと振り向く。
「私だけ入っているのは、気が引けるというか…皆、入らないのか?」
その時になって三人ともが裸のまま藤堂の所作に見入っていたことに気づいた。ルルーシュは愉しげに笑い、スザクと朝比奈が照れたようにむくれた。
「いや、入るさ。お前が美しくて見入ってしまった」
ルルーシュがしれっというと掛け湯をして体を沈ませる。朝比奈もスザクも手桶を回して順繰りに湯を浴びてから湯船へ浸かった。髪が水蒸気を吸ってしっとりと重く湿る。色合いも微妙に濃さを増して、朝比奈などは黒髪のようだ。藤堂がおずおずと湯を手ですくって鼻を近づけたり舌先でちろちろ舐めたりしている。
「珍しいか、藤堂」
「…湯が湧いて出ると言っていたが…なぜ湯が湧くんだ。水じゃないのか」
「地熱いうものがあってな…と言ってもお前には判らないか。地面の内部に熱く熱されている部分があって」
ルルーシュがとうとうと説明するのを藤堂が興味深げに聞き入っている。その藤堂の体を撫でまわそうとした朝比奈をスザクが湯の中へ沈めた。ごぼがぼともがく朝比奈に藤堂は気付いていない。ルルーシュの説明を熱心に聞いている。
「お前、殺す気…!」
「うるさい黙れッ!」
スザクが心なしか紅い顔で叫ぶ。朝比奈の眼鏡がぷかりと浮いた。
「朝比奈?」
藤堂が不思議そうに小首を傾げる後ろでスザクと朝比奈が格闘していた。ぶくぶくと吐息が泡となって弾ける。
「藤堂、判ったか?」
「…地面の奥が熱いのは判った。なぜ熱い?」
「それは…ちょっと…」
無垢な子供の問いのような藤堂の問いにルルーシュが嫌な汗をかいた。それをスザクが遮った。
「藤堂さん、それより湯加減はどうですか、熱くないですか」
朝比奈の手がむやみにもがいてスザクの腕や腹を引っ掻いた。藤堂が目を瞬いて二人を見た。
「大丈夫だ…スザクくん、朝比奈が」
「それこそ平気ですよ。多少のことじゃあ死にませんから」
「…息ができないんじゃないか?」
朝比奈を気遣う藤堂の肩へ尖った顎が乗せられる。
「余裕だな、藤堂。他者を気にするとは。俺のことは無視か」
「ルルーシュ?」
藤堂が困ったようにルルーシュを見る。濡れた鳶色の髪を撫でてやりながらルルーシュの指先が妖しさを増す。髪を梳く指先はそのままうなじへ滑り、空いた手は胸や鎖骨を撫でた。藤堂の体は均整がとれているが暑苦しさとは無縁の痩身でもある。骨格に歪みもなくバランスもいい。筋肉のありかをたどるようにルルーシュの指先がひらめいた。紫水晶のような瞳が湯気でかすんでますます宝石じみて見えた。藤堂の体がかすかに震える。潤んだ灰蒼の瞳が煙る視界に映る。
「泣くなよ、藤堂。可愛がっているんだ…お前は実に愛おしい」
困ったように凛々しい眉が寄る。ルルーシュは愉しげに笑うとひらめかせる指先をきわどく動かした。
「美しく愛おしい。お前のありようは実に稀有だ。だからこその存在価値か…お前は万物と引き換えにするだけの価値があるよ」
愛おしげにそう言って潤んだ皮膚へ唇を寄せようとした瞬間、飛来した手桶がルルーシュの頭部を直撃した。かこーんと間抜けた音を響かせて直撃した手桶の衝撃にルルーシュがもんどり打った。藤堂はおろおろと手桶の飛来元とルルーシュとを交互に見て慌てている。
「誰だ、スザクか!」
痛みにもんどり打つルルーシュがそれこそ射殺しそうな眼差しを投げた。藤堂が一人おろおろしている。スザクはにっこり笑うとルルーシュに指摘した。
「指先がいやらしいよ、ルルーシュ。藤堂さんに何するつもりだったんだい」
朝比奈がぷかりと浮いているのを見て藤堂が蒼白になる。慌てて朝比奈を起こして揺すっている。
「あ、朝比奈!」
おろおろする藤堂をよそに主従が睨み合った。どちらも退く気配はなく、己の正当性を主張した。
「俺の贄である藤堂になにをしようと誰に赦しを請うこともない!」
「限度ってものがあるだろう、ルルーシュ。オレは目の前で寝技に持ち込まれるのを指を咥えて見ている気はないんだ」
「ふふ、お前がそこまで行儀がいいとは初耳だが? 寝技ではなければいいと?」
スザクが濡れた前髪をかきあげると挑戦的に笑んだ。
「藤堂さんが困っていただろう。オレは藤堂さんが困るようなことはしたくないんだ」
「藤堂の拒絶は仔猫がじゃれて爪を立て、仔犬が甘噛するのと大差ない。儀式的な拒絶だ」
「本当にそう思っているなら君は幸せ者だ」
ふっふっふと音を立てそうな笑みを互いに浮かべている横で藤堂が真っ青になって気絶した朝比奈を揺すっている。朝比奈にすでに意識はない。眼鏡がぷかぷかと浮いていた。
《了》