お互いの、モノ
02:白からの誘惑
ひゅうっと空を切る摩擦音。舞いのように優雅にそれでいて力強く。スザクは黙って藤堂の動きを見ていた。滑らかでとどまりを知らず美しくさえある。薄布をまとっただけで鍛錬をする藤堂の体躯は引き締まって美しい。
「どうだ、スザク」
朗々と響いた声にスザクは目を向けた。濡れ羽色の髪と紫水晶の瞳。スザクが一礼するとそれを当たり前のように受ける。藤堂は鍛錬に夢中で気づいていない。知らせようとするのをルルーシュが止めた。
「いい、させておけ。出来はどうだ? モノになりそうか」
「モノになるどころか、オレを超えました。もうオレの方が藤堂さんに教わらなくてはならないくらいです。元々才があったと思われます。飲みこみも早く、一を教えれば十を覚えるというのを実践している」
「文武両道だな」
ルルーシュという名の地神に捧げられた生贄である彼に藤堂という名字を与えてルルーシュは可愛がっていた。藤堂もそれに応えるように知識や技術を体得していく。主に武術面をスザクが、知識面をルルーシュが受け持って藤堂に教えていた。
「ルルーシュ」
藤堂がようやくルルーシュに気づいた。
「綺麗な動きだった。そう言えばお前、スザクのことはなんと呼んでいる」
「…す、スザク、くん」
「もうオレの方が実力では低位ですから敬称は要らないと言ったんだけど。おさまりが悪いって。最初に覚えたことを引きずる性質だったんですね。オレも初めから呼び捨ててもらえばよかった」
スザクが微苦笑を浮かべるのを見てルルーシュは楽しげに笑った。藤堂はその頬を赤らめてうつむいてしまう。
「ところで、何か用事があるんじゃないのか、ルルーシュ」
スザクも砕けた口調になる。階級こそ違う三人だがそれぞれに親しみを込めた呼び名で呼び合い敬語もあまり使わない。他者の目があればスザクは控え敬語も使うが人の目がなければ友達のように振る舞った。
「シュナイゼルからの呼び出しさ。たまには会おうじゃないかとね、大方いい贄が手に入って自慢したいんだろうよ。まぁそれは俺も同じだからな。せいぜい藤堂を自慢してやるまでさ。そういうわけで、藤堂」
藤堂がきょとんとルルーシュを見た。スザクもびっくりしたようにルルーシュを見ている。ルルーシュは大仰に演技ぶった動作で手を差し伸べた。
「出かけるぞ、支度をしろ。スザクもだ。天神様に会いにゆくんだ、それなりの格好をしろよ」
「判った」
スザクの手が藤堂を導く。藤堂はされるままにとことことスザクについていく。藤堂にはシュナイゼルなる人物が何なのかも判らず説明もなかった。スザクとともに水で体を清め、スザクが用意した衣服を四苦八苦して纏う。大きな布を巻きつけたような衣服は初めてで藤堂は多少手間取った。スザクはそれを微笑ましいような顔で見てから手伝った。
ルルーシュも他所行きの格好で、二人を待っていた。ルルーシュが扉を開いて腕を振るだけで光の道ができる。藤堂はそれに呆然と見惚れたが二人は慣れているのか恐れげもなく足を踏み出していく。
「さぁ来い、藤堂。わが兄君に会わせてやろう」
「兄君?」
「天地は対であり。俺が収め司るのは地の部分だ。そして天の部分を預かっているのがわが兄君シュナイゼルというわけさ。俺は大地と人間の死を司っている。だから人々は死後の安定を俺に求め願うのさ。そしてシュナイゼルは天候と生を預かっている。子宝に恵まれたければシュナイゼルに願い出ればいいというわけだ」
「いきなり殴ったりする性質の人じゃないから、こわくはないよ」
必死に頭を働かせている藤堂の様子にスザクは笑って言った。
「…そ、そうか」
「さぁついたぞ。ふふ、お前を自慢するのが楽しみだな。俺に捧げられる贄はあまりものばかりで愚痴や不満しか口をついては出なかったからな」
扉がぎぃと開く。豪奢な造りのそこは天井がない。あらゆる法則性を無視したような作りに藤堂は開いた口がふさがらなかった。天候を操るというだけあって雨模様も操れるのか、天井がない。
一行の気配を察したのか扉が内側から音を立てて開いた。目の前に設えられたテーブルも椅子も高価そうなものばかりだ。光に満ちてルルーシュの住処とはそれこそ天地の差だ。
「久しぶりだね、ルルーシュ」
にっこりと穏やかに微笑する男の姿にスザクが膝をついた。藤堂も慌ててそれに倣う。ちろりと盗み見れば男は顔立ちも物腰も穏やかで凪いだ海原のようだ。くすみのない練色の金髪と勿忘草色の瞳。全体的に色素が薄く白で出来ていると藤堂は思った。
「お久しぶりです、兄上。ご健勝そうでなによりです。このたびは何事で? 俺の力でも必要になりましたか?」
「そうつまらない話ばかりするために呼んだりはしないよ。用事というかね、いい贄が手に入ったものだから自慢したくてね…君の方は、何かあったかい?」
ルルーシュは当然のようにテーブルにつく。その斜め後ろへスザクと藤堂が控えた。シュナイゼルはその白い手を差し伸べる。
「スザクくんと…後ろの君は初めてだね。席についてくれて構わないよ。今、飲み物を持ってこさせるから」
「それでは、失礼します」
スザクが下座につくのに倣って藤堂も末席へついた。
「あぁーいらっしゃったんですねぇ、あれぇ、初めての子がいますね」
ひょっこりと覗いた眼鏡の男は恐れる風でもなくルルーシュたちを見た。四角いが角のない丸みを帯びたフレームの眼鏡をしている。藤色に色付いた髪と天藍の瞳、白い肌。天に属する者たちの色素は薄いのだと藤堂は新鮮な思いで男を見た。
「どちらさま?」
「名乗りが遅れまして。俺に捧げられた贄です。名は藤堂鏡志朗。名字は俺が贈りました、美しいでしょう」
ルルーシュは誇らしげに藤堂を指し示す。藤堂は視線が集中するのを感じて顔をうつむけるようにして一礼した。
「藤堂…なるほど、君に藤棚を贈ったっけね…そこからとったのかい。いい響きだね」
「へぇ、藤堂さん。どぅもー僕はロイドです。ロイド・アスプルンドっていうんですけどロイドでいいですよ、所属名は発音しにくいでしょ」
「ろ、ロイド」
「よくできましたぁ」
チュッとロイドは藤堂の頬にキスをした。ルルーシュは隠すこともなくロイドを睨み、シュナイゼルが鷹揚に取りなした。藤堂の方はあまりの衝撃に身動きすら取れず固まっている。
「君の贄が綺麗なのはよく判ったよ。だが私もいい贄を手に入れてね」
「失礼します」
透けるように薄い布をまとった青年が姿を見せた。飲み物を捧げ持つ様子から見るに彼がシュナイゼルの言う贄だろう。黒色とは微妙に違う黒褐色の髪を長くのばしてうなじのあたりで一つにまとめている。視力に障害があるのか、眼鏡をかけている。その白い体の半分を幾何学模様の紅い刺青が彩っている。
「貴族からの贄ですか」
「下賤は食べ飽きてね。たまには高価なものが欲しくなったのだよ」
淡々と飲み物を用意する彼は静かな物腰で、それはいっそ冷淡にも見えるのは彼の聡明さがにじみ出ているからだろう。瞳の色は薄氷色をしていてその系統は藤堂にもつながりそうだ。
「見ての通りの髪色でね。疎んじられていたのをたまたま見つけて白羽の矢を立てたというわけさ」
「ギルバート・G・P・ギルフォードと申します。ギルフォードとお呼びください」
用意を終えてから彼は洗練された動きで一礼した。厳しいしつけを受けていたのだろうことが判る。
「偶然ですね、俺の藤堂の瞳も灰蒼で、それ故に疎まれ生贄のためだけに生かされていましたよ。おかげで世間知らずですが仕込む楽しみがある」
自慢げに話すルルーシュの話を聞くともなく聞いていた藤堂の肌が粟立った。ぴぃんと何かが琴線に触れて椅子を蹴立てて立ち上がる。同時にギルフォードも気づいた。
扉がどぉんと破壊され、武器を持った数人の男たちがなだれ込んできた。
「神は死せり!」
呪われごとを吐きながら武器を向ける男たちに藤堂は立ち向かった。ダンと床を蹴って体を沈め、一気に間合いを詰める。トンと男の腹部へ狙いを定めて一撃を繰り出す。タイミングと筋力の強さを合わせて押せば男が吹っ飛んだ。ギルフォードは剣を携えて数人を相手にしている。
「藤堂さん!」
スザクの声とともに剣が投げられ、藤堂はそれを受け取った。シャランと抜いた剣の鞘で相手の両手を払い、刃で切りつける。ギルフォードの方も武道の心得があるらしく着実に男たちを倒していく。
「なるほど、美しいな」
「兄上の贄も、なかなかで」
二人は舞いでも舞っているかのように男たちをあしらい、打ち倒していく。ギルフォードの動きは線が細いがその分、優美だ。対して藤堂には力強さがあり、武のなんたるかを体現していた。二人が背中合わせに動きを止めた時、立っている襲撃者はいなかった。二人ともさりげなく露出の多い格好をしていて、運動で上気した肌が色っぽい。それぞれに刺青の色が映えた。ギルフォードの紅は発熱しているかのように鮮烈に、藤堂の蒼は冴え冴えと見る者の目を覚ます。
「助かりました。結構なお手前で」
「いや、こちらこそ、気づかずにすまなかった」
二人とも傷跡のように頬にまで刺青が及んでいる。生贄に刺青を施すのは見た目の模様の美しさのほかに逃亡防止の効果もあった。どんな衣服を着ても刺青が見えるようにと、刺青の範囲は足先や頬、目の上にまで及ぶこともある。また刺青を持つ者は何かしら後ろ暗い事情がある者たちだという認識が広まっているのも刺青の範囲を広げる要因ともなっていた。それでも高貴な生まれのものは刺青の範囲を半身にとどめることが許され、下賤のものは加減なく全身に及ぶ。
「それにしても、貴族だったのだろう? なんで、ここに?」
剣の汚れを裾で拭いながら藤堂が問えばギルフォードは痛いような目をして笑んだ。
「没落貴族ですよ。生きていたければ芸を覚えろ、奉公に出ろと言われました。それにこの髪色。不吉な色だと疎まれましてね。親は生贄に支払われる金額に目をくらませて私を二束三文で売りました。あなたは?」
藤堂も苦笑する。
「私は気付いた時から座敷牢にいた。この目の色が忌み嫌われていたようだ。神に捧げられるためだけに生かされていた」
「なるほど、お互いに嫌われ者、ですか」
二人はクックッと笑いあった。互いの境遇の相似が警戒心を解いた。打ち合わせもなく息の合った動きを見せたことで気心が知れたような気さえした。
「どーしますぅ、殿下ぁ。こ・れ」
ロイドがツンツンと足先で襲撃者をつついた。
「何を言っているんだい。殺すに決まっているだろう。ルルーシュ、仕事を増やしてすまないね。物事のつり合いを人間は判ってくれなくて困るよ。晴天があればこそ雨天があると判ってくれなくてね、旱が続くだの大雨が続くだのと不満ばかりだ」
「俺の方も大して変わりませんよ。多く生まれれば多く死ぬだけのことに気づいてはくれませんからね。疫病だの飢餓だのとつり合いを判ってくれない」
ルルーシュもシュナイゼルも襲撃に慣れているのか襲撃者の後始末の話をしている。スザクもロイドも驚いたふうもなく、ギルフォードすら平然としている。
シュナイゼルが手を差し出せば灼けるように発光し、肉が焼ける臭いがした。思わず目を背ける藤堂が恐る恐る目線を戻す頃には襲撃者たちはわずかばかりの灰となっていた。ギルフォードがまるで埃でも拭うかのように始末をする。シュナイゼルはにっこりと藤堂に微笑んだ。
「不快な思いをさせてすまないね。酒でも如何だい、いいものが手に入ったのだよ。その歳なら、酒や煙草を覚えるのだろう、人間なら」
ルルーシュがべりっと藤堂をシュナイゼルから奪い返す。
「ダメですよ兄上。これは俺のものです…くく、この歳で初物だという体は実に愛らしかった」
薄い布地の上をルルーシュの手が這い、藤堂が慌てる。刺青の模様をなぞるかのように指先がうごめき、藤堂の体のありようを暴いていく。
「おや、妬けるねぇ。ギルフォード、そういやな顔をするものではないよ、君の体をここで拓いてもいい」
灰の始末をしたギルフォードが警戒するようにシュナイゼルを見るのをあしらう。警戒心剥きだしで歩み寄る体をシュナイゼルが抱きしめた。
「ルルーシュ、ごらん、この線の細さを。それでいてあのように戦うのだから人は見かけによらないね」
「殿下ずーるーいでーすよぅー。僕だって彼を抱きたいのにぃ」
「ルルーシュ様」
スザクが控えめにルルーシュをたしなめ、ロイドは不満を全面に表した。
「私への贄だよ。どうしようと構わないだろう?」
「スザク。これは俺のものだ」
平然としている主二人に従者二人は嘆息した。生贄二人はわたわたともがいて拘束から逃れようと必死だ。
「シュ、シュナイゼル様、お戯れが過ぎます!」
「おや、私に意見する気かな? 反抗的ならそれなりの対応があるよ」
ギルフォードの慌てぶりすら愉しむようにシュナイゼルは唇を寄せる。
「ルルーシュ見てごらん。幾何学模様だが、内股のここ。薔薇に見えるだろう。職人技さ」
「なッ、や…!」
あっさりとギルフォードの下肢をさらそうとするシュナイゼルにギルフォードが泡を食って対抗した。
「兄上、それなら俺のこれにだってありますよ。大事なモノのすぐそばにね。ご覧になりますか」
「――ルルーシュ!」
「薔薇ではありませんがね。けど、この腰骨のラインにそっての模様が実に美しいのですよ」
藤堂は力ではルルーシュに勝る。だが神であるルルーシュは筋力の差をいとも簡単に覆そうとする。
「自慢のし合いーつーまーんなーいよーぅ」
ロイドはぶぅうと膨れて席に着くとテーブルの上に伸びた。スザクは疾うに諦めたらしくギルフォードの用意した紅茶をすすっている。
「ロイドさん、どうせ饗宴の幕は上がりますよ。そうなれば人手が要ります。オレたちの出番は、ある」
ロイドの目が危険に煌めく。スザクは平然と生贄二人を眺めていた。
「なるほろ。じゃ、せいぜい体力温存しときましょーかねぇ。あ、そーだぁお菓子があるけど、食べる?」
「甘いもので養分補給、ですか。いただきます」
シュナイゼルとルルーシュは互いの贄を自慢しあっていて終わりそうもない。自慢するたびその箇所をさらされそうになっている生贄二人は真っ赤になって必死に隠している。その姿はどこか間が抜けていて、彼らが崇め奉られる神だとは思えない半面、そうでしかあり得ない微笑ましさだった。
「…オレも、慣れたな」
菓子を取りに奥へ引っ込むロイドの細い背中を眼で追いながらスザクはぼそりと呟いた。藤堂から返してもらった剣は刃を美しく煌めかせていた。広い部屋に無邪気で自慢げな声と押し殺した悲鳴が満ちた。
《了》