君は誰だっけ?
なんでいるの?!
ギルフォードの目の前を見慣れぬ影がよぎった。どこかの制服らしい格好をしながら見慣れない。似たような制服の一団も見かけなかった。学生というものはとかく群れやすく帰宅や通学の道も似たり寄ったりで、制服を見かけるのは常に複数だ。それが一人でふらふらしているかと思えばその場所が神聖ブリタニア帝国の政治を司る場所に程近いともなれば不審も抱く。ギルフォードはついでのつもりで軽く声をかけた。紛れ込んだだけならギルフォードの軍服を見て逃げ出すだろうと踏んでいた。
「何か、用事でもあるのですか?」
振りむいた彼は理知的な顔でフレームを極力減らしたタイプの眼鏡をかけている。艶やかな黒髪と深い蒼色の瞳。皮膚の色合いや髪色からイレヴンかと思ったがどうもはっきりしない。イレヴンにありがちな卑屈さや対極の傲岸さもない。ただ困っていると言いたげに微苦笑した。
「すみません、ご迷惑ですか。僕は…その、なんでここにいるのか、ちょっと判らなくって」
「迷い人か? 所属は? 連絡の取れるところへ迎えの要請を」
「空座一高です。学年とクラスは」
「カラクラ? そんな学校は聞いたことが、ないが」
「そうですか? 地元では意外と有名なんですけど。ちょっと素行に問題のある生徒が何故か集まってしまって」
ますます聞いたことがない。素行不良の生徒が集まる学校が内政に直結する地域にあるとは思えないし、そんな話も聞いたことがない。
「…悪いな、力になれそうもない」
嘆息するギルフォードを彼は珍しそうにちろちろと見た。ありふれた軍服だが時折無駄な諍いや畏怖を呼ぶ。
「神聖ブリタニア帝国の軍服が珍しいか」
「神聖…? すいません、ここは」
自分のいる地域すら知らない様子にギルフォードの仏心が動いた。もとよりギルフォードは冷淡な性質ではないし困っているなら助けてやりたいと思う。
「一緒に来ますか? 少し詳しい方がいらっしゃるからその方に伺ってみるという手もありますが」
「お願いします。さっきからうろうろしていて、実は困っていたんです」
彼はほっと安堵したかのように笑むとはにかむように眼鏡の位置を直した。
「名前は? 私はギルバート・G・P・ギルフォードと言いますが」
「石田雨竜です」
名前から察するにやはりイレヴンだろうと見当をつける。
「雨竜くんか。よろしく、ギルフォードと呼んでくれ、長い名前だろう」
「ありがとうございます、ギルフォードさん」
年長者の余裕で微笑するギルフォードに雨竜は素直に笑んだ。笑うと案外可愛らしい幼さが垣間見えた。
「ただ少し、優しくないというか…我慢を要する相手かもしれないが」
「我慢なら慣れています。自分の思い通りに事が運ばないことにも」
「それなら、いいかな」
ギルフォードは淡く微笑すると雨竜の手を引いた。
手続きを雨竜の分も済ませてからギルフォードは雨竜を呼んだ。雨竜にとってはことごとく物珍しいらしく、お上りさんよろしくあたりをきょろきょろしている。さすがに体裁が悪いと感じたのかあからさまにきょろきょろしたりはしないが目が泳いでいる。自分も若いころはこんなだったろうかと思うとギルフォードは苦笑した。
「こっちだよ」
雨竜を後ろに控えさせておいてから慎重にノックする。穏やかな物腰の声が返り、部屋の主がいることを知らせた。談笑する気配があるのを見ればロイドあたりがいるのだろう。
「失礼します。ギルバート・G・P・ギルフォードです。少々おたずねしたく思い」
扉を開ける。雨竜が覗きこむのが気配で判った。予想通りロイドがいたがそれだけではなかった。
「今ちょうど君の話をしていてね、ちょうどいいよ」
「あはぁ、猫が猫連れてきたぁー!」
唖然とするギルフォードの後ろで雨竜が息を呑んだ。
「君は確か、石田雨竜。対面したことはあったかな」
「雨竜? 何故お前がここにいる」
「藍染! それに何で竜弦までいるのさ!」
悲鳴のように雨竜が叫ぶとつかつかと二人の方へ歩み寄る。
「雨竜くん? 知り合いか」
「…かつての、そして今も敵である藍染と…竜弦です。父親の」
「父親?!」
ギルフォードは無作法を承知で竜弦を見た。年若い外見をしており、雨竜とは年の離れた兄弟だと言っても通じそうな相似を見せている。眼鏡をかけていることや纏う雰囲気が酷似している。違うのはその色合いくらいで、雨竜が濃く強い色合いなのに対して竜弦は淡く薄い色合いだ。淡い蒼の艶持つ銀髪に淡水色の瞳。雨竜をそのまま漂白したような相似にギルフォードは呆気にとられて二人を見た。
「敵、ね。冷たい言い方をする。こうして異郷の地でまみえたというのに、実に冷たいな」
「何がだ。だいたい、僕はお前らと会う気なんてなかったのに」
それでもその関係はけして友好的とは言えないというのが感じられる。雨竜にそれを隠す気はないらしくむしろむき出しで威嚇している。
「おやおや、喧嘩は御免だよ。もめ事は嫌いな性質なのでね」
シュナイゼルは当たり前のように紅茶を優雅にすすっている。ロイドも当然のように茶菓子へ手を伸ばすがギルフォードはかなり恐慌をきたしていた。
「待ってください、殿下やロイド博士はこれをご存じで?! 彼らは一体」
「パラレルワールドというものを知らないのかい? 現状と同時期の時の経過を持つ全く別の世界。いやはや、小説で読んだことはあるが事実目の前に現れると壮観だね」
「面白いですよぅ。解剖してみたくなっちゃう」
「なんでお二人はそれをすんなり受け入れるんですか?!」
恐慌をきたしたギルフォードをむしろ不思議そうに二人は見た。
「度量の浅さが知れてしまうよ。君はそんなに順応機能がないのかい?」
「よくナイトメアフレームに乗れますねぇ」
「そこは関係ないでしょう!」
噛みつくように怒るギルフォードをシュナイゼルはいなした。
「なんで二人がいるんだよ! いつもいつも僕の邪魔ばかりして! だいたい、こんな」
「お前に関係ない。及ばない技量を人の所為にするような教育はしてこなかったつもりだが」
「ふッ、手厳しい親だね。その子ありてその親ありと言ったところか」
「お前らなんで余裕なんだよ!」
優雅に紅茶をすするのを張り飛ばしそうになるのを雨竜は必死に我慢した。
「気が合う人間というのは実にイイね。気分がいいよ。やはり捕まえて泣かせてこそだと思うが」
「そうだろう。手のうちで遊ぶ楽しみというものがあるのだろうね」
藍染が優雅にカップを捧げればシュナイゼルが応じる。竜弦が黙って紅茶に口をつけ、ロイドはもぐもぐと茶菓子をほおばる。ギルフォードは卒倒できたらどんなにか楽だろうと思いをはせた。雨竜はいらいらと爪先を上げ下げする。
「そんなことは聞いてないよ! だいたいなんでお前らがいるのさ! 僕だけが偶発的に紛れたと思ってたのに…」
「偶発とは時に複数で起こり得る。勉強になったじゃないか、滅却師」
「お前に言われたくないね」
藍染はおやおやと肩をすくめる。竜弦は元より取り合わない。雨竜は苛立たしげに足先をかつかつと鳴らして不機嫌をあらわにする。藍染も竜弦も気づいていて取り合わないのだから腹立たしい。雨竜が眼鏡の位置を直せばつられたように竜弦も同じ動作をして彼らの間の血のつながりを示す。それでいて竜弦は同調の価値など欠片も感じておらず、むしろ嫌悪する傾向がある。雨竜は生まれてこのかたこの父親から優しさというものを明確に感じた覚えがない。
「ふふ、冷たい父親だ」
「言っていろ」
藍染の揶揄にも竜弦は動じない。もっとも、揶揄程度で動じる冷淡さなら可愛げがあると雨竜は心中で毒づいた。竜弦のそれは徹底していて、雨竜は結果以外を彼に求められた覚えがない。
雨竜と竜弦の密やかな冷戦的親子喧嘩とそれにちょっかいを出す藍染と、それを黙認しているシュナイゼルとロイドにギルフォードは卒倒寸前だった。ただでさえ厄介な存在である雨竜と加えて関係してる二人の人間というだけで目眩を起こしそうなのに、目当ての二人は情勢を黙認している。ギルフォードは自身の力量では処理しきれない限界に倒れそうだった。
「殿下、どうして」
「なぜかって。彼が同類だからだよ。もっとも、竜弦の方は毛色が多少違うようだが」
「そうですねぇ、同類が一番近い言葉ですね」
ロイドはそううそぶいて高級茶菓子にしきりに手を出す。目の前に伸びるその手をぴしゃりと打つのも忘れてギルフォードはしゃがみこんでしまった。
「私はどうしたら」
「どうもしなくていいのさ。そういう流れだ。なにもしないという選択肢を覚えた方がいい」
ギルフォードは目の前が発光したかのような眩しさに目を眇めた。
雨竜が目蓋を開けばそこは見慣れた自宅だった。見慣れた天井が安堵をもたらす。目の前で諍いを起こした竜弦も藍染もいない。
「…ゆ、め?」
嫌な夢を見た気がする。思い出すそばから消えていくそのかけらだけでイライラする。
「…まったく、夢見が悪いってこういうことだな」
傍らの眼鏡を探せば、すぐに指先がこつんと当たる。
「…変な、夢」
けれど名前だけは明確に覚えている。
「ギルバート・G・P・ギルフォード」
誰の名前なのかどこに属する名前なのかも判らない。それでもその響きは心地よく。雨竜は振り払うように頭をふると寝台から体を起こした。
はっと気づけば往来だった。送迎の車が遠ざかっていくのが確認できる。
「今、のは」
目の前に彷徨う少年などいない。何よりここば行政機関である地域で、防犯も完璧だ。無関係な他者が迷い込むことなどあり得ない地域である。
「気の所為」
茫然とギルフォードは頭をふりながら、念のためとうそぶいてシュナイゼルの部屋を訪ねた。
「殿下、失礼します」
そこにロイドがいて強烈なデジャヴを覚えながら人影は彼らのほかにいない。安堵のような失望のようなそれをどうしたらいいか判らず、ギルフォードはそこに立ちつくした。
「お茶を一緒にする気はないのかな」
シュナイゼルの声にギルフォードは動きを取り戻す。
「…石田、雨竜は」
口をついて出た名前にギルフォードの方が驚いた。響きから察するにイレヴンだろう名前にロイドがきょとんとした。
「まったく、開口一番それかい。イレヴンなどどうでもいいだろう。それとも相手が私じゃ不満かい」
シュナイゼルが椅子から立ってギルフォードの頤を捕らえる。衝撃に動けないギルフォードはシュナイゼルの口付けを真正面から喰らった。
「あぁ、殿下ずるいー」
見当違いなロイドの意義もギルフォードには届かない。呆然とするギルフォードにシュナイゼルはつまらなさそうに息をついた。
「つまらないね、反応がないとは。そんなに嫌かい」
「へ、ぇ、あ? わ、私は」
慌てふためくギルフォードの様子にようやくシュナイゼルは満足したとでも言いたげに微笑した。
「まったく、君の口から他の男の名前を聞くとはね。だれだい、イシダウリュウとは」
ギルフォードは困惑げに微苦笑を浮かべた。
「…私にも判り兼ねます。申し訳ありません、戯言です、お忘れください」
困ったように戸惑うギルフォードにシュナイゼルは甘い甘い口付けをした。
「君は可愛いね」
褒め言葉のような揶揄のようなそれをギルフォードは黙って受けた。
《了》