同族? さぁねぇ
同じモノ 違うモノ
時折風のそよぐ音がする。まだ年少のものがいるにしては静かだ。骨董を商う神狩屋に客が来店しているのを瀧は見たことがない。経歴ごとほこりに埋もれる商品はすでに一枚の絵画だ。差異もなく融けこむそれは景色の一部だ。動かされているのかもしれないが一見して判るような差異はない。古物に独特の匂いが満ちてそれは通常の感覚を鈍らせる。古書店に似ているのかもしれない。どんなに洗浄しても消えない気配がある。それを嗅ぎつけてやってくる変わり者も居る。居心地の良し悪しは案外個人差に拠る。瀧はなんとも思わぬ。気配が香るほどの古物と付き合った経験もないし、瀧の性質として相手のそれなど嗅ぎつけない。目の前で透き通る茶褐色の液体を眺めた。普段はコーヒーを飲んでいるから紅茶は案外珍しい。淹れるのに手間がいることやその上品さが近寄りがたい。無愛想と言われれば僥倖の瀧にも似合う似合わぬくらいは判る。たぶん自分にはこういう繊細なものは駄目なのだ。
向かい側に座っている神狩屋はしきりに話題を振っては瀧の薄い反応を見ている。瀧は聞き手に回ることが多い。そも話さない。一日中誰とも口を利かずに過ごすくらいなんともない。神狩屋の声は耳朶を打って滑る水だ。孔へ溜まっては吐き出されていく。徹底的に排除したいほど不快ではないがなくなれば判る。すっかり冷めた紅茶に口をつけて瀧は鈍色のぜんまいや螺子を見つめた。煌めく鉱石は偽物かも知れないが一律いくらで売るというからそれなりなんだろうと口は出さない。愛想も商売っ気もないし人のやり方に口は出さない。本人がそうしたいというならすればいいと思う。
「修司、まじめに聞いてくれているかい」
「なにをだ」
「毀れたものも入れていいかな」
まじめに聞く内容ではなかった。信用問題との兼ね合いで何とかしろと思いながら黙る。カップの底が茶渋で透ける。これは本物の銅線だねぇ。神狩屋の声が空々しい。紅茶を飲み切ると居心地が悪くなりそうでカップを置いた。
神狩屋が席を立つ。ちょっとここにいてくれないかな。裏を見てくるから。訪問者があるはずなんだよ。瀧は黙って店の入口から目に付く場所へ移動した。偉丈夫であるから余程の見落としでもしなければ瀧に気づくだろう。奥へ消える神狩屋の背中を見送って瀧は力を抜いた。珍しいと思う。神狩屋は忌まれる瀧を構う数少ない部類だ。忌まれながら必要とされる能力と役割が瀧をかろうじてこの世界につなぎとめている。これが絶たれたら瀧の体は霧散して何もなくなってしまうのではないかと思わなくもない。陶芸で身を立てているが報道に露出するわけでもないので知らぬものも多い。食っていけるが贅沢はできないだろう。身の回りを世話してくれるものがいるから瀧は食事ができるし陶芸をやれるし、忌まれている。
けたたましく悲鳴を上げる立て付けの悪い戸に目を向ける。季節感なく黒い上下を着るのは瀧と類似する。違うのはきちんと着こむ瀧に対して彼は脱いだ上着を学生のように肩がけにしているところだ。袖も通さないし手首をそらせるような引っ掛け方をしている記憶もあった。透ける山桃色の髪は伸ばしているというより伸びたという感じだ。無造作な其処に技術の介入はない。厳しく睨みつけるような顔立ちはそれでも調った部類だ。精悍といわれるだろうそれは瀧と似た。面と向かうのは初めてなのかもしれないと気づく。入谷克利。群れることが引き金になることを理由に常に単独で行動する騎士。爆発的な破壊力の能力。驚くほど類似する入谷を瀧は遠慮もなく見据えた。
入谷も口を利かない。双方ともに能弁な性質ではないから会話がない。群れれば聞き手に回るほうだ。二人の目線だけが雄弁だ。突き刺す瀧の目線を入谷は押し潰す。暴力的でその方向は時折自分さえ傷つけた。
「<葬儀屋>か」
返事をしない。肯定を前提にしているから瀧の返答など影響もしない。<葬儀屋>というのは瀧の能力と効果を忌み嫌い侮蔑や恐怖やお前とは違うという差別を込めた呼び名だ。特に感情を揺さぶられた覚えはないが違うと言ったところでじゃあなんだと言われると何もないのでそのままにしているだけだ。入谷も瀧の応えなど待たない。
「なんの用だ」
明確に嫌われたものだ。瀧は却って入谷を見据えた。魁偉であるとさえ言われる瀧よりは線が細いのかもしれない。精悍な中でも細いほうかもしれない。白いシャツは日差しを反射して膨張し黒い衣服が不自然にそれを引き絞る。目測を安定させない。同じような格好をした二人が対峙した。
入谷は神狩屋が管理するこの支部の構成員であるから何か用があるのかもしれないと思う。
「お前に用はない」
瀧の返答もそっけない。親しく気を使うような間柄ではないしそんな小細工を吹き飛ばすだけの容貌だ。瀧は入谷が来ることなど知らなかったし興味もない。その辺りの調整は神狩屋の領域だと認識している。入谷の嫌そうな顔が見えたが無視する。二人が所属するこの団体自体が忌まれる。その中でもさらに能力のあるものは忌まれた。それが明確に強いほど強い。破壊力と利便性が同じ方を向いた時、とてつもない禁忌が生まれた。瀧の立ち位置はそういうものだった。雅孝なら奥だ。用があるなら直接言え。体を引いて腕を組むと瀧は意識の外から入谷を押し出す。訪問者があるからいて欲しいと言われたがその対応にまで指示はない。
丸投げするつもりで瀧は目蓋を閉じた。考えるべきは主である神狩屋であって瀧ではない。だが、がたがたと軋む音をさせて入谷は瀧の向かい側へ腰を下ろした。目蓋を開くと入谷の不遜な顔が向かい側で笑んでいる。己とどこまでも似ている偉丈夫な容貌と己とどこまでも違う不遜さ。自信の在り処と言うよりは社会との折り合いの付け方の違いだ。入谷は外れていても社会の中で生きていて、珍しくなくとも瀧は社会と隔絶している。黒い上着を肩へ引っ掛けて入谷が傲岸に頬杖をつくと瀧を見据える。瀧も睨み返す。入谷は好き放題に言い放つ。絶え間ない言葉の渦と言うよりは一太刀一太刀切りつけてくる。人嫌いらしいな。<葬儀屋>が、か? 笑わせる。ヒトの終わりを見送る奴が人が嫌いなんて。甘ったれてんのか? 見かけによらないっていうのは本当らしいな。お前みたいな形で脆弱なこと言うなよ。
瀧の濃灰の双眸が入谷を見据えた。榛色の玉は瀧を睨み返す。言いたいことがあるなら言えよ。お前に言っても仕方ない。言いたいことはあるんだな? 入谷の言葉に瀧は肩をすくめた。それこそ入谷に言う言葉ではない。干渉してこない性質だと聞いていたのに入谷はジロジロと瀧を見分する。なりも性質も吟味しているに違いなかった。瀧は己が魁偉であることも可愛らしさとは無縁であることも識っている。入谷が同類であることも承知している。どこからか吹き込んだ風が軽やかに入谷の長い髪を揺らした。しかつめらしい顔で入谷は瀧を見つめる。お前意外と可愛いな。訳が判らない。あんまりな言葉に返事ができない瀧に入谷が言い募る。なんか、オレがいないとお前が困るかもしれないっていう可愛さがある。オレがいなきゃこいつは駄目なんだって言う。……なんだ、それは。神狩屋も同類だな、アレ。瀧の呻きを無視して入谷は納得したように一人でつぶやく。お前、生活の世話、他人にやってもらってるだろう。シャツのホコリとか毛玉とか、そういうの全部そいつが処理してるだろ。お前は其処まで気が回るとは思えないしな。ぞんざいなくせに手入れが行き届いてるアンバランスで判るんだよ。いっそ耳が塞げたら良かったのに。
がたり、と音がした。入谷が立ち上がって瀧の前に立つ。瀧も背丈があるが入谷もなかなかだ。しっかりと作られた体は引き締まる。骨格の良さが際立つ動きをする。入谷の動きは力まないのに力強く、弱々しくもない。呼吸する体が其処にある。驚くほど白い指先が瀧の黒髪を梳いた。短髪なので梳るというよりは撫でているに近いようだ。頭蓋を確かめるように指先はうなじや耳裏まで移ろった。興味が無いように力の抜けた動作を繰り返す。鬱陶しくなって払い落とすと入谷がニヤニヤと笑った。優位を誇りながら同情も同調もしようとしない。上から見ているだけの表情だ。
「お前、寝たことあるか」
意味を取り違えるふりをしてた気は悪態をつくのをこらえた。眉根が寄る。感情的に無視した。そこまで立ち入った話をするような信頼関係を入谷と築いていない。ただでさえ真っ当さや正当性を持たない団体での関係だ。相手の真っ当さはおろか生死さえ曖昧な其処に、大手を振って言いふらせる関係などない。
「関係ない」
吐き捨てて言い捨てる。入谷は気を悪くするでもなく口元だけで嗤った。神狩屋が常に浮かべる人好きのする笑みではない。あれはあれで壊れているのだが見た目は真っ当だ。入谷はそういった外聞を全く気にしない、ただ凶暴なだけの捕食者が居る。
聞いてるぜ。具合がいいんだってな。それだけで情報源が判る。瀧の具合の善し悪しがわかるものなど数えるほどだ。どんどんしかめられていく瀧の表情に入谷は満足気だ。そういうとこがいいんだろうな。試す気はあるか? なにを? 真っ当じゃないなら時間帯も気にしなくていい。堂々と言ってのけた入谷にカップや中身を投げつけてやりたい衝動を殺した。処理しきれない場合の瀧の反応は沈黙だ。叫びだしたり泣き出したりしない。不機嫌に押し黙って消えるだけだ。神狩屋も戻ってこないし訪問者の対応はしたのだから役目は果たしたとして帰ろうとする。立ち上がろうとする瀧の肩や頤が思いの外強い力で拘束された。
「どこに行くんだ?」
また関係ないって言うか? 嘲りだ。何か機嫌を損ねる様なことをしたのかと思いながら駄目ならもう構わないで欲しいとも思う。瀧の身なりも態度も動物の威嚇と大差ない。相手が怯んで逃げるならよし。ダメなら自分が消える。諍いを戦闘に発展させない。
だが入谷は明確に攻撃の矛先を瀧へ向けている。逃げまわる結果として疲労と傷が無数にまとわりつくだけだった。
「男と、寝たことあるか?」
沈黙した。年齢に相応の世間への気遣いはまだ残っている。瀧の自宅のような鄙なら気にせず入谷を叩きだすところだがここの主は神狩屋だ。伏せていた目を不意に上げた。突き刺す視線を感じた。かちりと合った視線は凶悪で眼球ではなく瀧自身を押し潰そうとする。
「不愉快なら訊くな」
「不愉快?」
入谷の表情が一瞬驚いたがすぐに目を眇めて嗤う。暢気なやつだなお前も。他人を気にする前に自分を省みろ。意味がわからない。眉を寄せて口元を引き結んだ。威圧的ななりは明確に威嚇する。
「馬鹿だな」
声が近い。眼の前に迫る入谷の顔がぼやけた。唇が重なっているのだと気づくのが遅すぎた。頤を固定されて逃げようがない。キスしたまま入谷が言いつける。くちを、あけろ。ばさりと入谷の肩に引っかかっていた上着が落ちた。柔らかに広がる黒い溜まりが虚のように口を開ける。
頬を撫でてから耳をくすぐり、髪の隙間へ突っ込まれた指が瀧の頭部さえ固定した。腕力に物を言わせれば勝てると思うのに両腕が上がらない。反射的に入谷のシャツや腕を引っ張ったり押しのけようとする。自分が手加減しているのか入谷が強いのか判らない。びくともしない入谷は好きに唇を吸った。柔らかい舌はそれでもきちんと芯があって力強い。自律しているかのように予想させない動きはあっという間に瀧を翻弄した。息が乱れて体温が上がっていく。入谷はあくまでも暴力的に瀧を支配する。それは神狩屋にはないことだ。神狩屋は猫のように相手を追い詰めて遊ぶ傾向がある。博識の常として腕力や敏捷性に劣るから小手先や心理戦を展開するのだ。入谷は明瞭に力で支配する。
ぎぢ、と爪が鳴って入谷のシャツに紅い華が咲く。入谷は笑ってから口を離した。呆然と椅子へ沈む瀧を横目にいやらしく嗤う。
「見てないで出てこいよ」
音もなく開いた其処から顔を出したのは神狩屋だ。
「なんだ、判っていたんだね」
「わかりやすいぜ」
入谷の指が瀧の額を弾いた。解かってないのはこれだけだ。いい思いはしたろう? こういうのも悪くないな。瀧だけが意味が判らない。わからないなりに口を出さない。勝手にしてればいいと思う。開き直るなよ。入谷が瀧の頭を叩いた。神狩屋は薄く笑っていた。
《了》