だから、なんでそんなに無防備なんだよ! 酒艶にあてられて ざわりと揺れて落ちる花弁が桜だと気づいて少し驚いた。氷輪丸も括られる斬魄刀の中には天候を操る力のあるものもいるから花の盛りも調整できるのかもしれない。桜の名を冠する鎧姿の男を思い出す。桜の姿を模しながらありえない花弁の量と鋭さだ。斬魄刀と持ち主の双方がかなりの名手として名を轟かせている。氷輪丸は手元へ目を戻すと押さえ紙を噛ませた書類を綴じる。確認しながら隊長の印が要るものや目を通すだけのものと仕分けしていく。 「お前何やってんだ」 目を上げると日番谷が入り口で立っていた。まだ少年期の小柄さで斬魄刀の大きさが扱いづらくはないだろうかと思ってしまう。氷輪丸は少し考えてから頼むと言われたからと返答した。日番谷が歯ぎしりする隙間に名前が混じる。訳が判らないので黙っておく。氷輪丸に頼むと言った松本に被害が及んでも困る。日番谷は大きくため息をつくと白い髪をグシャリとかき上げた。幼く賢しらな額があらわになる。 「なるほどな。…ったく、何が素直で可愛いだ。ただの馬鹿だろ」 氷輪丸は手の中にあった書類を組紐で閉じた。作業を続けようとする氷輪丸の目の前をバンっと殴られた。書類の山が一瞬揺れた。呼んだって来やしないっていう灰猫の方がマシに思えるな。びっくりしてすくんでいる氷輪丸を日番谷は冷たく睨んだ。松本を呼び戻せ。だが、あるじ。お前は黙ってろ! がんとはねつけられてしゅんとしおれた氷輪丸が席を立つ。尻尾が力なく脚へ巻き付く。 「主、怒らないでほしい」 「松本次第だな。はやくしろ。お前まで怒鳴りたくないぜ」 氷輪丸はなんとか瀞霊廷内を駆けまわって松本を見つけ出すと日番谷の呼び出しと仕事ができぬ詫びを伝えた。松本がポンポンと氷輪丸の頭を撫でる。悪かったわね。隊長のこと嫌わないでね。黙りこむ氷輪丸に松本が時間と場所を囁く。なんだ、それは。いいから来るの。遅れないでよ。訳がわからぬなりに今度こそうまくやろうと思った。 刻限も場所も間違いない。だが聞こえてくるのは愉しげに騒ぐ人混みだけだ。門前に立つと知己のように迎えられて酒瓶と猪口を持たされる。お好きなところでお楽しみください。愛でる桜も酒も豊富にありますぞ。あたりは酔漢で溢れている。手持ち無沙汰に酒宴の間を行き来する氷輪丸に声がかけられた。 「氷輪丸」 鎧姿であっても細い体躯や般若の仮面。長い黒髪を一つにくくって背中へ流す。 「千本桜」 持ち主と千本桜の双方が名を轟かせている。何だ、飲んでいないな。斬魄刀同士で気安い会話もする。いきなり放り込まれた。待ち合わせか? 知らぬ。場所と刻限を言われただけで何をしろとも言われていない。だったら花見を洒落込め。白哉が酒も良い物を揃えさせたぞ。白哉は千本桜の主だ。生まれもいいと聞いている。 千本桜は氷輪丸を連れて腰掛けへ座らせる。緋毛氈の毛足は長い。背もたれこそないがゆったりした座り具合は室内にいるかのようだ。硬い竹や藤の感触もする。小卓がきちんと設えられて酒が飲めるようになっている。千本桜に促されるまま杯を重ねる。 「景気がいいな」 斬魄刀二人の前に顔を出したのは恋次だ。六番隊副隊長。千本桜の持ち主のすぐ下の部下だ。同じように酒瓶を抱えてすでに酔っ払っているようだ。千本桜、隊長が探してたぞ。白哉が? 散り桜が見たいってよ。中座を詫びる千本桜に応える。代わりに恋次が隣へ座る。いいかと問うから構わないと言った。 主に求められるというのは幸せだ。恋次の紅い目がチラリと氷輪丸を見た。日番谷隊長と上手くいってねぇのか? 卍解が扱えるようになったって聞いたからお前従うって決めたんだろ? それは我の話であって主は我など要らぬかも知れぬ。硝子の猪口を弄んでうそぶく。やけになって煽るのを恋次が窺うように眺めている。氷輪丸は堪える方っぽいけどな。蛇尾丸とか見ろよあいつら。ちっと遠慮して欲しいぐらいだぜ。捨てぬだろ? まぁなぁ。酒精の回った氷輪丸は艷めくように笑む。長い碧瑠璃の髪は一筋だけでも麗しい流れで項を隠す。額で交差する傷は見苦しいというより戦闘力や経験の証のようでもある。薄く開けた口元からは燃える朱が覗く。猪口の酒を舐める仕草の艶に氷輪丸は気づいていない。 氷輪丸を眺めるために女給が集まって酒ばかりが溜まる。氷輪丸はいちいちそれを消費するからすでに酩酊している。千本桜と恋次と勧められるままに煽る。怜悧な眼差しはとろりととろけて首筋へ色香が漂う。尻尾がゆらゆら揺れる。氷雪系最強のとおりに尻尾や四肢の先端は薄氷で覆われて控えめな照明でさえ反射する。時折がくんと首が折れるのを恋次が心配する。 「おい、大丈夫か。飲み過ぎてんじゃねぇだろうな」 千本桜も飲まされ倒れたことがあるから斬魄刀であっても酔う。氷輪丸はそんなことを構わぬげに酒瓶を呷る。白く冷徹な肌に赤みがさしてチラチラと注目を集めだしている。長い髪の奥へ眠る首筋の白さに周りがたじろぐ。ごちんと恋次の肩へ重みをかぶせる。長い碧瑠璃が恋次の赤い髪と絡む。半ば閉じかけている目蓋に恋次が慌てた。眠いのか? 横になれる場所探すか? 氷輪丸が返事をしたつもりでも言葉に鳴らぬ音ばかりが漏れた。くぷーと喉を鳴らされて恋次の方が大慌てだ。 「氷輪丸!」 恋次が呼びかけと同時に脇腹を掴んだ。びくんびくんと跳ねる氷輪丸がぽかんとあたりを見回した。恋次が猪口と酒瓶を避ける。 「潰れる前に帰ったほうがいいんじゃねぇの? 日番谷隊長に叱られんぞ」 「………主は我などいらぬ」 不貞腐れるような物言いに恋次のほうが目を瞬かせた。我が仕事を手伝うと言っても要らぬという。黙ってろ、するんじゃねぇ、それは松本の仕事だ。それしか聞いたことがない。我は戦闘でしか要らぬ。潤んで瞬く海藍の双眸に恋次が嘆息した。 「…俺は蛇尾丸に日常業務させる気はねぇけど」 あの二人に任せたら二度手間なんだよ。でも捨てぬ。こだわるな。日番谷隊長に要らねぇとか言われたのか? 馬鹿だと言われた。……乱菊さんに騙されすぎなんじゃねぇ? だいたい遊ぶためにお前に業務押し付けてんじゃねぇの。恋次は気軽く言い捨てて盃を呷る。軽く言うのは気負う氷輪丸を気遣っているのだとすぐ判る。判るだけに情けなさも募った。 氷輪丸の踵がかんと藤の足を蹴る。酒で感情表現が子供っぽくなっている。明らかに不満気な氷輪丸に恋次がポンポンと頭をなでた。日番谷隊長はお前の事いたわろうとしてんだと思うけど。斬魄刀は仕えるものだが。雑用や尻拭いをさせたくねぇんじゃねぇの。不満気な氷輪丸に恋次も続ける言葉がない。氷輪丸の口元は引き結ばれたままだ。れんじ、ねむい。自棄酒の煽りだ。恋次は黙って後ろへ回れという。背中貸すから少し寝てろ。野郎の膝枕はぞっとしねぇだろ。氷輪丸はぺたぺた腰掛けの上を這って恋次の後ろへ回ると重心を預ける。そういえばこういうことは日番谷を相手にしたことはない。当然である。日番谷のほうが華奢で小柄だからだ。少年の体へ成人男性の体躯を任せようとは思わない。恋次の背中に預けた体が温かい。ぽわりと弛む眠気に身を任せる。小首を傾げるようにして眠る氷輪丸に恋次は苦笑して嘆息した。もともと生真面目な性質の氷輪丸であれば気を張るばかりで弛めどころがない。恋次は微温くて冷たい重みを感じながら猪口を舐めた。 ぴくん、と体が震えてしまう。もぞもぞともどかしい刺激に尻尾を振ろうとして動かない。控えめに潜められた会話が聞こえる。何してんすか。愛撫。かじ、と尻尾に噛み付かれて声を上げて氷輪丸が起きた。跳ね上がった体が転ぼうとしてバタバタした。もたれていた恋次の背中に肘を当ててしまったかもしれないし。腰がビクビクするほどの刺激は直接つながる尻尾からだ。びっくりして涙目の氷輪丸の目の前で日番谷が尻尾を舐る。先端の薄氷に歯を立ててパキンと割ろうとする。 「あっや…ッ、な、に?」 逃れようとビクつく尻尾はしっかり抑えられたままだ。見かねた恋次が口を出そうとするのを日番谷が封じる。黙ってろ。 「…ったく。顔が見えねぇと思ったら。松本から聞いたぜ。松本の差金で出向いたらしいな?」 悪意のある言い方に氷輪丸がだんまりを極めた。その沈黙に日番谷の機嫌がみるみる悪くなっていく。 「やっぱり阿散井みたいな男がいいのか」 「日番谷隊長、前提がおかしいっすよ」 「おとこ?」 例えに引っ張りだされた恋次が異を唱えるがあっさりと無視された。氷輪丸は唇を尖らせるような子供っぽい真似をしない分根が深い。平素の冷静さが失われているのは確かだった。藤の椅子脚がパキキと凍りつつある。霊圧を制御しきれていない。 「俺みたいなガキに抱かれる気はないんだろ?」 氷輪丸の冷気が凍った。ごうと吹雪いたのは一瞬ですぐさま散る桜の破片がそれを隠した。 日番谷が履物を脱ぎ捨てると腰掛けに体を乗せる。 「証明する気があるなら今ここで俺を咥えろ」 腰紐を解くそれに氷輪丸が怯んだ。日番谷が氷輪丸の衿を掴んで引っ張る。体勢の転換でバタつく隙をつかれて、脚の間に日番谷が鎮座した。こんな時は袴を履いていないのが恨めしい。流しの裾を割るだけで氷輪丸の下肢は顕になってしまう。日番谷も判っていて仕掛けている。 「どうした、氷輪丸。阿散井の前ではしたなくなれないか?」 ぷるぷる慄える尻尾まで捕まった。魅せつけるように開いた日番谷の唇が尻尾を食んだ。かぷ、と噛み付かれる歯や唇の感触にブルリと震えてしまう。 「…っれ、れんじは、かんけい、ない」 その言葉は明確に日番谷の機嫌を損ねた。日番谷の手が氷輪丸の着物の裾を掴むとガバリと広げた。 「ふわっ、あぁ!」 緊張と驚きで尻尾がびんと突っ張る。羞恥と日番谷の嬲りとで氷輪丸はすでに涙目だ。 「ちょっ日番谷隊長!」 慌てた恋次が氷輪丸の後ろからめくれそうになる裾を抑えた。三者の攻防で氷輪丸の帯が解けかける。恋次がため息をついて氷輪丸に言った。 「帯の結び目後ろに回せ。弛んでるの結びなおしてやるから」 「…れんじ…」 思い切り尻尾を引っ張られて息を呑む。 「阿散井だ」 氷輪丸の口元が震えた。眇めた目が揺らぐ。瞳孔ばかりが線のように細くなるのは蛇を思い出させる。氷輪丸も形態としては竜である。体温があまり変化しない。だからこそ冷気をまとっても大丈夫なのかも知れなかった。 恋次が黙って帯を緩める。後ろからであってもうまい具合に合わせを調節してくれる。その間にもびよびよと尻尾を引っ張られたり舐られたりする。 「あ、主。尻尾は…い、や、だ」 「嫌じゃねぇだろ。感じてるくせに」 日番谷の手は直したばかりの合わせを思い切りくつろげる。氷輪丸が息を呑んで目を潤ませても容赦しない。 「ガキに好き放題されるのは嫌か?」 戦慄く口からは何も漏れてこない。泣き出しそうに悲痛なそれに日番谷の手が伸びる。衿を掴まれて引き寄せられて唇が重なる。慌ててもがいても日番谷の力に抗えない。離れた舌先を銀の糸がつなぐ。後ろで恋次が喉の詰まった声を上げた。振り向く氷輪丸の前で千本桜が肩をすくめた。 「恋次、白哉にお前が氷輪丸の帯を解いたと報告して構わないか?」 「その言い方で報告すんのはやめろ!」 弾かれたように跳ね上がる恋次を連れて千本桜が遠ざかる。猫の仔でも連れて行くように衿を掴まれて恋次は引きずられていく。苦しくないのだろうかと思うほど強い引っ張りだ。案の定、恋次がバタバタ暴れるが千本桜が何事か言うような間をおいて大人しくなった。そのまま二人していなくなってしまう。 「氷輪丸」 日番谷の声に氷輪丸の体が跳ねた。恐る恐る目をやるのを日番谷はじろっと睨む。 「阿散井を下の名前で呼ぶな。朽木に殴られてもかばわないぜ」 氷輪丸が小首を傾げる。だが主、れんじがれんじと呼べと言った。あれも無自覚なネコなんだよ。朽木が苦労するわけだぜ。 「ところでお前、阿散井の背中で寝てた時に涎垂らしてないだろうな」 慌てて口元や頤を拭うのを見て日番谷が笑い出す。馬鹿、もう遅いよ。ぐいと引き寄せられるのは腰骨だ。尖りを撫でられてそのまま谷間をなでられる。尻尾がぷるっと慄える。怯えた尻尾が大腿部へ絡む。日番谷もしつこく追わない。 「それで。ここで俺を咥える気は?」 瞬間、そこがどこであるかを意識した。屋外だ。周りには他の死神もいる。飲んだくれていようが潰れていようが衆人環視の前に変わりはない。 「――な、ない! ないっ!」 がたがたと後ずさる氷輪丸が台を踏み外した。わぁっと悲鳴を上げて落ちるのを日番谷は頭を抱えるようにして嘆息した。どたんごちんと不穏な音がする。日番谷は頭の痛さにしかめっ面をして氷輪丸が落ちた場所を覗きこむ。 長い裾を乱して白い脚を露わにして氷輪丸が気絶していた。地面は芝生でもあったが、ごちんという音の原因は千本桜と恋次が放り出していった酒瓶だ。運が悪いったらない。衿も裾も乱す氷輪丸は蠱惑的で無防備だ。尻尾だけが酔いを払うようにブルルッと身震いした。日番谷は改めて嘆息してから口を開いた。 「――起きろ、馬鹿野郎が!」 《了》 |
様々に 投げた 2013年11月24日UP