少しの不安と安心と


   不安になるんです

 人通りの多い通りは好きではない。唯一無二の女性から与えられた能力は制御が効かず野放図だ。一定範囲内にいる人間の思考がすべて言葉となってマオの頭の中へ流れ込んでくる。普段はそれを嫌って大きなヘッドフォンと濃いヴァイオレットのゴーグルをしている。ヘッドホンからは周囲の声を殺す愛しい彼女の声が流れ出るようになっている。青灰色の短髪を揺らしてマオは建物の影から標的を見つめた。
 艶やかな黒髪はうなじの辺りで切られ、制服の襟がうなじを隠している。制服の黒さとは違う、濡れ羽色の艶を放つ髪。その顔立ちは恐ろしいほどに整っている。パッチリ開いた大きな紫水晶のような瞳。マオはその瞳を見るたび何度も零れ落ちそうだと思ったものだ。その頭脳は明晰。大人顔負けの戦略と知略の持ち主だ。その判断は冷酷で冷静。目的にたどり着くためにはどんな汚い手段も厭わない。マオ自身も彼の障害になった際には容赦なく銃口を向けられた。その時の手段は奇抜なものだった。予想もつかなかったそれにマオは確かに敗北した。
 マオの指先が特徴的なゴーグルを額へと跳ね上げた。ギアスの紋様揺らめく紅い瞳があらわになる。ルルーシュと違ってギアスの能力に制御という枠が存在しないマオは常に能力を働かせている。その所為か瞳は常にギアスの紋様を浮かび上がらせ、水面のように赤く揺らめいていた。マオの能力をしても一度敗れている相手だ、油断は出来ない。マオは用心深く、少し離れた位置にいたルルーシュを見つめた。
「…つまんない」
頭に流れ込んでくる思考はその他と変わらない日々の些事に対する不満や意見ばかりだ。時折彼の妹であるナナリーや旧友で幼馴染だというスザクのことが混じる程度か。ほかに特徴はない。ありふれた学生のありふれた権力に対する不満。彼の裏の顔を思えばこそ、逆に奇異にも見える。今日の昼飯は何だったとか課題が多くてうんざりだとか。学生なら誰もが抱く思考だ。マオは縋りつくように壁に立てていた爪から力を抜いた。
 ルルーシュは後ろを振り返りもしない。けれどもただ一瞬、名前を呼ばれた。

マオ?

その声に過剰反応したマオはとっさに体を隠したが杞憂だったのかルルーシュはそれきりだ。マオはこっそり呟いた。
「…ルルはボクがいなくっても変わらないのかな」
言葉にするとその力がぐんと重みを増してマオにのしかかってきた。ルルーシュの思考に乱れは感じ取れない。マオと会う約束もろくにしていないのにルルーシュは平然と日々を過ごしている。マオの細い肩がすとんと落ちた。襟までかっちりしたチャイナドレスの裾を翻してマオは背を向けた。
 目の奥がジワリと熱い。鼻の奥がジンジンしてきた。紅玉のような瞳はみるみる潤んで紅い唇を噛み締めた。マオの皮膚は白くその血液のありかが指でたどれそうなほどだ。マオは乱暴に目元を拭うとルルーシュの方へ体を向けた。
「あれ?」
目の前を歩いていたはずのルルーシュの姿がない。人通りも少なくルルーシュの思考は常に頭の中へ流れ込んでいる。有効範囲外に出た様子はない。ルルーシュの思考が唐突に自身の名前で埋まった。

マオ
マオ

マオ!

「ルル?」
「一体なんなんだお前は」
唐突に響いたのは思考ではなくルルーシュの肉声だった。しかも背中の方からする。マオは慌ててそちらへ体を向けると目を見開いた。仁王立ちのルルーシュがそこにいた。
 成長の過渡期にある手脚はむやみに長い。胴回りは綺麗にくびれてほっそりとしている。
「ずいぶん面白い真似をしてくれるな」
睨みつけてくる瞳は聡明に輝く。その場しのぎの言い訳などすぐに見破られてしまうだろう強さ。紫水晶のようなそれにマオは見惚れた。ルル−シュは不機嫌そうに鼻を鳴らすとマオの目の前へ歩み寄った。
「理由は」
「え、だって…」
マオが途端にしゅんとする。悪戯を見つかった子供のようなその仕草に口元が緩みかけるのをルルーシュは必死に自制した。
 長い手足はのびのびとジェスチャーしてマオの状態をルルーシュに教えた。子供のように無邪気で無垢なそれは彼の実年齢を判らなくさせた。マオが指先をもじもじといじってルルーシュを窺い見る。
「だって、ルルってば…ボクがいなくっても平気そうで…」
紅い唇が不満げに尖った。紅い瞳がゆらゆら揺れる。泣いた後のように濡れた瞳は不安げにルルーシュを見つめた。
 ルルーシュの口元がフッと笑った。
「くだらんな」
「くだらなくなんかないよ!」
ムキになるマオの下顎をルルーシュの指先が捕らえた。少し伸び上がったルルーシュが唇を重ねた。フワリと触れるそれは紅い。ルルーシュの紫苑の瞳がマオを見た。聡明な瞳。ムキになって突っかかってくるマオをいなしながらルルーシュは舌を潜り込ませた。濡れた舌が絡み合う。マオの吐息が熱を帯びて浅く早くなっていく。
「オレを疑うとはいい度胸だ」
「…うぅ」
 ルルーシュが挑むようにマオを見た。指先がからかうように唇をなぞった。マオが不満げに唸る。
「それなりの代償は支払ってもらおうか」
マオはためらいながらルルーシュの頬に手を添えてそっとキスした。熱く火照った唇が触れ合う。ルルーシュはマオの頭をガッチリ押さえ込んで心ゆくまでその感触を堪能した。マオの瞳が潤んでルルーシュを映し出す。
 ルルーシュはすばやく体をひるがえして建物の影へマオを引っ張り込んだ。


《了》

微妙すぎる…!          10/13/2007UP

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