許してしまう
 愛してしまう


   あなただから

 「中佐」
空気のこもった通路に低い声が響いた。朗朗と響くそれは藤堂の耳朶を打つ。人気はすっかり途絶えて声をかけたディートハルトと藤堂の二人きりだ。くすんだ金髪は長くうなじの辺りで一つに結われている。藤堂と同じように前髪を上げているが相違点は一房の前髪が垂れているところか。背丈も藤堂より幾分ある。藤堂だってけして低い方ではなくむしろ高い部類に入るだろう。洒落た洋服を着こなしていながらそれが嫌味になっていない。穏やかに微笑する表情は物腰柔らかで見るものを安堵させる。そういうところは藤堂の部下である朝比奈と似ているかもしれないとふと思った。
 「ディートハルトか」
「嬉しいですね、中佐と会えるなんて。今日はあなたの騎士はいないのですか」
「騎士?」
ディートハルトが指先をヒラヒラと振った。小馬鹿にしたような態度だがディートハルトがすると妙に様になった。長い手脚は器用に藤堂を壁際へ追い詰める。背中に触れる壁の感触に体を震わせるとディートハルトが楽しげに笑んだ。吐息が触れ合うような距離にまで顔が近づく。誰かに見られたらと心配する半面で誰かが来てこの状況をぶち壊して欲しかった。
 ディートハルトの唇が弓なりに反る。
「朝比奈、さんですよ」
殊更に名前をゆっくりと紡ぐ。藤堂はムッとしながら言葉を綴った。
「朝比奈は騎士ではないし拘束するつもりはない」
「えぇ、あなたはそうでしょうとも。けれど」
ディートハルトの指先が藤堂の唇を撫でた。よどんだ空気は重みを増して藤堂の四肢に絡んだ。沼の底にでもいるかのように手足が重い。もがけばもがくほど底へ落ちていくような感覚に支配される。何もないはずの空気の重さに藤堂は喘いだ。衣服の上からだというのにまるで素肌の上を這いまわっているかのような指の動き。
 かつん、と止まる足音に目を向ける。ディートハルトの顔が楽しげに笑んだ。細い影が藤堂の足元まで伸びてくる。
「何してるんだ、この変態!」
裏返るような恫喝にもディートハルトは動じない。
「残念、時間切れですか」
ディートハルトの体が傾いだと思った瞬間唇が重なった。熱っぽいそれは融けていきそうな温度を持っていた。体の境界を越えて犯されたような気分になる。呆然としている藤堂の頬をディートハルトは愛しげに撫でた。
 「可愛いあなたと離れるのは辛いですが仕方がありませんね」
「とっとと失せろ変態野郎!」
朝比奈の手が伸びてディートハルトの襟首を掴んで引き剥がした。その手ははらりとのけてディートハルトは笑う。歯噛みしている朝比奈をよそにディートハルトは余裕で藤堂へ目線を投げた。
「大概ヒマなやつだなお前」
「中佐のためならいつでもどこへでも駆けつけましょう」
「それは、わざわざすまん」
気取ったお辞儀をされて藤堂が反射的に頭を下げた。朝比奈が真っ青になって藤堂にしがみつく。丸い眼鏡の奥の瞳が潤んだように濡れていた。
「お礼なんか言わないでください!」
 ぽかんとしている藤堂と顔から血の気が引いている朝比奈の様子とにディートハルトは体をよじって笑った。朝比奈が潤んだ瞳でディートハルトを睨みつけ、藤堂は不思議そうに小首を傾げた。朝比奈の悲鳴のような言葉がワンワンと通路に響いた。
「朝比奈、声が大きい」
「藤堂さん…!」
朝比奈の目から涙が伝った。思わずそれにギクリとなる藤堂をよそにディートハルトは笑い涙を拭っている。眼鏡を取って乱暴に目元を拭う朝比奈にかける言葉が見つからない藤堂はおろおろと両手を彷徨わせた。
 「朝比奈、どうした? お前らしくもない」
「…藤堂さんはコイツのことが好きなんですかぁッ」
「は?」
完全に食い違う会話に藤堂は心中で途方にくれた。ディートハルトだって朝比奈だって大切な仲間だ。ディートハルトが藤堂の肩を叩く。振り向いた頬に唇を乗せた。唇を噛み締めてディートハルトを睨む朝比奈の様子に、ディートハルトは哂った。朝比奈の紅い唇が色をなくして戦慄いている。
 濡れた唇を指先でなぞるとヒラヒラと手を振る。
「あなたの騎士が限界のようだ。私はこれで失礼しますよ」
藤堂がこくんと頷くとにっこり笑って通路を何事もなかったかのように立ち去った。朝比奈がひしッと藤堂にしがみつく。
「とう、どう、さぁん!」
ディートハルトの暴挙を許すのはひとえに諍いの種を残したくないからだ。藤堂たちの方がもともとの黒の騎士団に編入したようなものだから分はわきまえているつもりだ。
 藤堂は真っ直ぐ朝比奈を見た。朝比奈がディートハルトと藤堂の接触を嫌っているのはすぐに判った。だがその理由がいまいち判らない。ディートハルトに問うても意味ありげに微笑まれるだけで朝比奈にいたってはぐぅと言葉に詰まる始末だ。藤堂の灰蒼の瞳が朝比奈を映し出す。暗緑色の朝比奈の目が潤んだように煌めいた。
 朝比奈の体が伸び上がって藤堂の唇を奪った。唐突なそれに藤堂は身動きすら取れなかった。目を瞬かせる藤堂の視界で朝比奈がプイと顔を背けた。
「朝比奈」
「あいつだってしてたでしょう、だったらオレだって」
その白い頬が紅い。唇も色を取り戻して熱でも帯びているかのように紅い。藤堂の指先が朝比奈の頬に添えられる。朝比奈が気付く前に藤堂は唇を乗せた。弾かれたように離れると朝比奈が顔が一瞬の間をおいてにゃあと笑んだ。涙に濡れた瞳が嬉しそうに藤堂を映す。
 「藤堂さん、もう一回! もう一回してください」
「――…ッ馬鹿者…ッ」
真っ赤になる藤堂は顔を背けた。そこに朝比奈が駄々をこねる子供のように縋りつく。
「藤堂さん、すっごい、すっごい嬉しかったです」
朝比奈の細い腕が藤堂の体を抱きしめた。華奢なそれを振りほどかず藤堂は朝比奈の好きにさせている。藤堂の胸に頬を摺り寄せて朝比奈が笑った。
「嬉しいです」
藤堂は黙って朝比奈の髪を梳いてやった。


《了》

微妙、微妙…! なぜディートハルトが出張るのか(謎)             10/06/2007UP

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