そこは赤い世界。
全ての生命が一つになって生まれた赤い海。
その海に面した砂浜に、少年は力なく座り込んでいた。
紫がかった銀の髪、赤い瞳。
男子学生服を着、手には薄汚れた赤いレオタードのような服。
血の匂いのする海風に晒されながらも、彼は瞬きを忘れたかのように彼方
を見つめる。
ジッと。
ただジッと。
少年は飽きることなく見つめ続ける。
いや、
少年は何も見てはいなかった。
ただ目を開いているだけ。
彼は何も認識してはいなかった。
彼の魂は、既に何年も前から己の心の深い所で眠りについていた。
泣きながら。
姉だった女性。兄だった男性。厳しく、そして哀しかったあの女性。
初めて出来た親友。父。
自分に似ていた少女。初めて好きになり、最後は光の中に消えていったあの子。
初めて自分を心から「好き」といってくれたあの人。
そしてほんの少し母の匂いがした、蒼い月のような彼女。
みんな少年を置いて行ってしまった。あの赤い海へ。
最後に、傷付け合い憎しみあってもなお、
少年が一緒に居たいと願った少女が彼を置いて海に還った時、少年は全てを放棄した。
少年は座りつづけた。
何年も。何十年も。何百年も。
少年は死ねなかった。既にその身は彼の望まざる力により、神に等しい存在へと堕ちていたから。
故に少年はヒトではなく、生物ですらなかった。
そのうち地球が無くなり、太陽さえ消滅したが、少年は変わらず宇宙空間に漂いつづける。
胎児の様に丸くなり、永遠の闇に眠りつづける少年。
と、ふいに彼の周りに三つの光が現れた。
赤い光。
蒼い光。
白銀の光。
三つの光はまるで蛍の様に少年の周りを浮遊する。
(シンジ・・・。)
(・・・碇君。)
(シンジ君・・・。)
輝きを増した三つの光は少年を包み込み、この世界から消滅した。
後に残ったのは主の居なくなった世界。
故に存在意義を失い、程なくして無へと還った。
新世界極楽大作戦!!
第一話
西暦2001年、東京。
新世紀を迎えてはや一年。しかしそれで何かが変わるわけでもなく、世界は以前と同じ喧騒に包まれていた。
変わらないのは人間も同じである。
やっぱり某神父は貧乏だし某ヨーロッパの魔王も貧乏がエンドレスだ。某強欲GSの営業方針も変わらない。
そしてこの男もまた。
「・・・・・相変わらず、ここからの眺めが一番だな。」
横島忠夫、19歳。
かつて世界最強のGSと呼ばれた彼は半年振りにここ、東京タワーにやってきた。
時刻は5時過ぎ。この時期、夕焼けが一番美しい時間帯だ。
夕焼けに赤く染まった景色。「彼女」の愛した優しく、儚いこの時間。
とても、美しい。
「・・・・・。」
暫くの間、横島は夕焼けを見つめ続けると、
「さて、時間だ。帰りますかっ!」
そう言って踵を返した。
横島は現在、ある想いを胸に、GS業(といってもアルバイトだが)を休業し、妙神山のお世話になっている。
目的はもちろん修行のためだ。いや、修行6割小竜姫目当てが4割か。
そこで斉天大聖に師事し、秘伝の武術を教えて貰っているのである。
2年前、横島から退職願いを提出された雇い主、美神令子はこれを受け取らなかった。
理由を問う横島に、美神はこう述べた。
「アンタがこうする理由はわかる。私は何も言えないし引き止めない。
だけど忘れないで、アンタが帰る場所はここだという事を。
何処に行ってもいい、絶対帰ってきなさい。・・・正社員の椅子、用意しとくから。
それに・・・、アンタは私のパートナーなんだから。いいわね。」
その言葉を聞いた横島は深く頭を下げた。
涙でグチャグチャの顔を隠すために。
「美神さん、俺、美神さんと出会えたこと、ほ、誇、り、り・・・。」
もう駄目だった。感情が目から溢れ出るのを止められない。
横島の涙混じりの声に、美神はこれまで誰にも見せたことのない限りなく優しい顔で言った。
「頑張りなさい。」
と。
シロは大泣きし、タマモも文句こそ言わなかったものの暗い顔をした。
しかしその二人もおキヌに肩を抱かれ、
「妙神山に行くだけだし、二度と会えなくなる訳じゃないわ。」
と諭されると、渋々ながらも横島の休職を認めた。
「おキヌちゃん・・・。」
横島は驚いた。説得するのにある意味一番手間が掛かると考えていた彼女が、
こうもあっさりと同意の立場にたったのだから。
「横島さんが行かれるのは大変寂しいですけど、でももう決めた事なんですよね。」
「ああ。」
その言葉に顔を伏せてしまうおキヌ。
だが折角の横島の決意を笑顔で祝福するために、彼女は横島への想いを押し殺し、言葉を続けた。
「頑張って下さいね。どんなに修行が辛くても、横島さんなら絶対に大丈夫ですから。だから・・・。」
おキヌは横島に近づくと、そっと身を預けた。
ずるいでござるぅっ、とシロもおキヌを真似て横島の背にかじり付く。
「・・・だから、またいつか一緒に働いてくださいね?
私たち皆待ってますから。」
「ありがとうおキヌちゃん、シロ、タマモ。・・・行ってくるよ。」
こうして横島は美神除霊事務所を後にし、妙神山の門を叩いたのである。
そして2年後、半年振りに斉天大聖と「精神と時の部屋」から出てきた横島は、小竜姫に断りを入れて美神除霊事務所に遊びに行った帰り、この思い出の場所に来たのだ。
「小竜姫様達に、なんか買って帰ってやらんとあかんやろうなぁ〜。」
ポケットの上から財布の感触を確かめながら呟く。
横島の脳裏には、妙神山で待つ義妹の姿が浮かんでいる。
グッジョブでちゅっ!とサムズアップサインで笑う可愛い義妹の姿が。
「・・・とりあえずパピにはお菓子かな。・・・!?」
そう言って文珠を出そうとした横島だが、ふいに異様な気配を感じ、辺りを確認する。
おかしなところは何も無い。下界を望めば帰宅ラッシュの車で溢れる車道が見えるし、人々に変わった様子も無い。
だが異変は下界ではなく、この場所に起きた。
キイィィィィィィィィィンッ
「な、なんだぁっ!?」
周囲に満ちる異様な気配。
人の物でも神魔族の物でもない「それ」が、横島を包み込んだのだ。
「くっ、敵か何かかっ!?」
今まで感じた事も無い感覚に、横島は用心の為栄光の手を展開しようとしたのだが。
「何ぃっ!?」
愕然とした。
「くっ、くそっ。なんでだよっ!?」
横島の右手が。
「も、文珠も駄目か・・・。」
横島の左手が。
「何で、ここまでなのかよぉ・・・。」
横島の体が。
泡のように溶けて消えていくのである。
「・・・・・すんません美神さん、みんな。ゴメンな・・・ルシ、オ・・。」
最後に横島の頭部が消え去ろうとした時、彼は自分の名を叫ぶ兄弟子の声と、
少女の声を聞いた様な気がした。
「たすけて。」
「うぉうぁあああああああっ!!!?」
「横島さん!?」
ドゴンッ!
「ぐああああああっ!?」
「ほあああああっ!?」
覚醒し絶叫と共に跳ね起きようとした横島だが、急に額に衝撃を受け、その相手共々のた打ち回った。
「って〜。!? しょ、小竜姫様!?」
漸く引いてきた額の痛みを強引に堪えた横島は、ガチンコ相手を確認して驚きの声をあげた。
相手の少女も痛みに震えながら、こちらを振り向く。
「は、はい。おはようございます、横島さん。」
額を摩りながらそう笑顔で答える少女。しかしまだ痛むのか、ダバダバ流れる涙が痛々しい。
彼女は横島の兄弟子、三界にその武を知られる妙神山管理人、神龍・小竜姫である。
妙神山にいるはずの彼女が何故ここにいるのか?
そして、自分はあの後?
「小竜姫様、何でここに?」
愛弟子のように四つん這いで小竜姫に駆け寄る横島。だが二人が今いるこの場所に気付き、立ち止まった。
辺りにはブランコがあり、滑り台があり砂場がある。
今は何時なのだろうか、夜とわかるだけで正確な時間はわからない。
「ここって・・・、俺ン家の近くの、公園?」
「はい、どうやらそうみたいですね。気が付いたら私と横島さん達はここに倒れてたんです。」
立ち上がり、衣服に付いた砂埃を払いながら小竜姫は答えた。
ちなみに今の彼女はジャケットにミニスカートという、いつものお出掛け様ルックである。
「おかしいなぁ〜、俺は東京タワーで・・・って横島さん『達』?」
疑問符をあげる横島。
「ええ、そこの彼と。」
「!?」
そう小竜姫が指差したほうに振り返る横島。
そこには学生服姿の華奢な少年が倒れていた。
紫がかった銀の髪に白磁の肌。
まるで少女の様に整った顔立ちの美しい少年だった。
「・・・・・小竜姫様。」
「・・・はい?」
妙な表情で小竜姫に横島は振り向いた。
つられて彼女も妙な表情になる。
「・・・これ、どなたっすか?」
「・・・・・ハイ?」
妙な表情のまま見つめあう二人。
そんな二人の間に、色気のある雰囲気など欠片も無かった。
「と、とにかく一度妙神山へ戻りましょうや!!」
「そ、そうですね!」
自分を襲った謎の現象。そして突然の空間転移。
横島は小竜姫、並びに斉天大聖に相談するために妙神山へ戻る事にした。
とりあえず放っておくわけにもいかないので、横島は見知らぬ少年を背に担ぎ、小竜姫と右腕を組む。
そしてその右手のひらに最近漸く作れるようになった双文珠を放出した。
『転/移』
二人は文珠の力で直接妙神山へ空間跳躍を行った。
妙神山に帰ってきた横島と小竜姫は奇妙なことに気が付いた。
普段なら外出してきた横島は、帰って来ると必ず突進してきたパピリオの鬼タックルに吹き飛ばされているのだが、なぜか今日はそれが無い。
もう一つ、師の気配。
武神・斉天大聖の力を感じられないのだ。
そして先ほどの鬼門達のあの言葉。
「おや、小竜姫様自らが人間をお連れになられるとは。」
「オイ人間。貴様、姫様の期待を裏切ぬよう精進せいよ!」
横島と小竜姫は愕然とした。
もとより、鬼門達は嘘や冗談を吐けるような性格ではない。本当に横島を知らないらしいのだ。
それに姿を消した住人たち。
斉天大聖、パピリオ、ヒャクメ。
彼らは何処に消えたのか?
「・・・え〜っと。これは一体、どーいう事っすかねぇ?」
部屋に入るなり、横島はポツリと呟いた。
小竜姫に至っては言葉も出ないようだ。
妙神山修行場、宿舎居間。
どこかの温泉宿のような様相の室内に二人はいた。
コチコチと古びた音を立てるクラシックな壁掛け時計。映像が映るまでたっぷり5分はかかる真空管式のテレビ。
そんな時代を誤認させるこの部屋も、今朝横島が下山するときと大きく変わっていた。
横島やパピリオ、それに斉天大聖が常駐するようになって、妙神山宿舎は少しずつ近代化していたのだ。
テレビは大型デジタル液晶になったし、各部屋にエアコンも付いた。台所はシステムキッチンだし、乾燥機付きの大型全自動洗濯機のおかげで、わざわざ外で手揉み洗いの洗濯をする必要も無くなった。
これは楽ちんですねと人間社会に疎かった小竜姫もホクホクしていたのだが・・・。
横島と共に帰ってくると、すべての家具がかつて小竜姫一人で暮らしていた頃のものに戻っていた。
古びたコタツ机の脇には、彼女が以前愛用していた赤いハンテンがあった。
それを手に取る小竜姫。
横島は彼女に近づくと、あらためて部屋を見渡した。
「なんか、俺が雪と二人で修行に来た時はこんな感じでしたよね。この部屋。でもなんで戻ってんすか?
それにパピや師匠、ついでにヒャクメはどこに・・・?」
「・・・私が下にお買い物に行く前はいつもの部屋だったのに。一体何が・・・、アッ!?」
「ど、どうしました!?」
突然声をあげた小竜姫に、背中の少年を落としそうになりながらも、横島は彼女に向き直った。
小竜姫はポカンと口を開け、ある一点を見つめたまま動かない。
「小竜姫様?」
彼女の表情をいぶかしんだ横島は、その視線をたどってみた。
「・・・壁? いや、カレンダーか。・・・ハァ!?」
漸く横島も小竜姫の態度の原因を理解した。
壁に掛かるカレンダー。小竜姫が神界の商店街で買い物をした折に福引で当てたものだ。
だが、問題はそれに印刷されてある年月日にあった。
「せ・・・、1998年!?」
その日付は3年前の今日を示していた。