魔に身を堕とし爪振るう者。
第四話 蛇神
私はどうしちまったんだろうねぇ。
私を二度も殺した奴が愛しいなんてさ、私のする事を悉く邪魔する奴が愛しくなるなんて馬鹿げてるじゃないか、嘗ての敵と恋仲なんて陳腐な三文小説に劣るよ。
それでも、愛しいんだからねぇ。
それに、それに、それにそれにそれに。
こんなにも人間が憎いだなんてこれ程にも憎いだなんて、これが憎悪かい、今まで私が感じていたのは一体なんだってのさ、これ程身を焦がすものこれ程冷めていくもの。
これが憎悪、こんな物を私は感じたことなんてないよ、私にこんな感情を与えた奴は赦さない、私は私の男をこんな風にしちまった奴を赦しはしないよ。
たとえ私がこの男に巡り合ったのが壊れたお陰だとしてもさ、私が私になれたのが壊れた男のお陰だったとしても、私は忠夫をこんな風にした人間を赦さない。
メドーサ、元神族の女性神、堕天し魔族として生きる元女神、ブラックリストに載るほどの札付きの悪党、そして元アシュタロス陣営の一人、嘗て横島に存在を滅せられた者。
彼女の生がどんな風に彩られていたのかは知らない。
彼女が何百年生きたのかは知らない、神として何年存在したのかも知らない、魔に身を堕として何年経ったのかも知らない、只愉快な生を送ってはいないだろう、満足な生を送っていないだろうことは簡単に想像が付く。
満足な生を送っていれば彼女は堕天しなかっただろうし、堕天してもまた違った生を送っただろう、それが穏やかか激しくかは判らないが。
彼女の長い生の中に安寧も安定も安全も安心も幸福も慈愛も愛情も無い、限りなく無い。
それを不幸と断じるのは彼女の主観問題であり客観的視点により断ずるものではない。
だけど彼女は不幸と自身を蔑んではいなかっただろうに思う、彼女は自身を蔑むには気丈に過ぎ、そして自身を其処まで卑下するほど卑屈でもない、只幸福とも思ってはいなかっただろう、幸福というには彼女は満たされていなかっただろうから。
不幸とも幸福とも言えない生の中で居場所を保持するためだけに戦っていたのだから。
その彼女が魔界にて再び生を取り戻したとき正直彼女はどうでもよくなっていた、何もかも、現在過去未来どうでもよかった、長きに渡り神として魔として生きて、戦いに負け自分の居場所も失って今や神からも魔からも裏切り者の自分が居場所も無く生きる意味も無く目的も無く、只存在する、それならどうでもよかったのだ、自分がどうなろうと、自分という存在がどうでもよかったのだ。
故に彼女は魔界軍、軍隊に組み込まれると判ったときも反抗はしなかった、只駒として生きる軍隊の一兵士としてなら居場所ぐらいにはなる。自分がどうなるカなど考えずとも、仕事、任務、訓練等が密に組み込まれている軍隊では考えずとも動いていく。
只駒として動けばいいのだから、何も考える事無く、只戦えばいい、機械のように。
だから軍隊は居心地が良いとか悪いとかじゃなくて、何も考えずにいられる場所だった。
彼女にとって、軍隊という場所はそういう場所だった。
だから彼女は黙々とこなした、訓練を、任務を、それがどんなものであれ。
元々が魔界でも裏切り者のレッテルを張られる彼女が真っ当な任務など回って来るはずも無い、任務は苛烈で部隊の仲間が全員揃って帰って来れるなど稀有な任務も文句を言わずこなしていった。
本当に駒のように、只機械的に無感情に無感動に、それ故に彼女は優秀だった。
結果、彼女は軍でも力を持つ女将軍の目に留まり、彼女の経歴により女将軍の殆ど私事といえる任務を受ける事になる、無論正式な命令としては出されたのだが。
彼女は嘗ての敵の所に護衛に一人として送り込まれるとき苦渋の記憶が甦り、僅かに渋い感情が沸き起こったがそれを否とすることは主張しなかった。
流されるのがその時の彼女のスタイルだったから、流されて生きるのが。
それが彼女メドーサ少尉のそのころの全てだった。
彼女が横島の隠れ住む場所に行っても当初受け入れられるはずも無かった。
少なくともフェレスとワルキューレにとっては彼女は明確に敵対していた時期がある、特にフェレスは横島に近づく存在に対しては過敏過ぎるほど過敏になっている状態。
敵であった彼女が近づくだけで彼女は攻撃態勢に入ろうとしたほどだ。
それを彼女は皮肉な笑みで命令書を突き出すことで何とか踏み止まらせたのだが。
逆にベスパとパピリオにしてみれば一応は元同僚、それなりに顔見知りだ、こちらに派遣された理由を知れば警戒はしても敵対姿勢は取らなかったし派遣主は信頼に足りた。
それはワルキューレにとっても同じだったが。
それにも彼女は別の皮肉な感情が沸いただけだったが、嘗ての敵が今じゃ仲間かい、と自嘲を篭めて。
玉藻はそもそも彼女の存在を知らない、ベスパの存在も知らなかったのだから当たり前だが、警戒を発しても敵とは認識しなかった。
そして敵と自分に害なすものと認めなかったのは、当の護衛対象、横島忠夫。
これには皆が驚き、最も意外に感じたのは彼女自身だったのだけれど、事前にある程度の任務内容を聞かされた彼女は反応等予想していた。
彼女が派遣された時何とかベスパと変化した玉藻だけが横島に近づき世話を出来る状態で彼女は何の警戒も与えず近寄ることが出来、彼女には激しい脅えの反応を見せなかった。
嘗ての仲間こそが最大の恐怖の対象と成り果てていた横島にとっては嘗ての敵は恐怖の対象とは成り得なかった。
無論それは彼女の中にある微弱な横島の霊気が横島に自分に近いものと本能的に理解させたためでもあるのだが、これは彼女本人も知らないことだし。
これからも判ることではないだろうし。
それでもその時彼女の目に映ったのは部屋の隅の椅子に座り若干の脅えを見せる目でこちらを窺う視線、根源的な他者への恐怖は薄れたといっても消し去れるには時間が足りず、激しく脅えないだけで僅かな脅え払拭するには至らない。
恐怖に縛られた人間の姿。
嘗ての彼を知る彼女から見れば哀れに写り、フェレスが顔を見せたときの脅えようは、横島もフェレスも悲惨に写った、過去外道を繰り返した彼女の目から見ても。
この横島の状態はどれだけ下劣で外道で非道で非情な手段を取られたのか彼女には判ったのだから、彼女はここまでの外道ではないが外道の術は知っている。
人間にしろ、魔族にしろ、神族にしろ、壊す方法など似たようなもの、どれだけやれば意志持つ存在がどうなるかぐらいは理解している。
どう壊れていくかも判っている、それがどれだけ狂ったことなのかも。
故にそれを成された人間に哀れの感情を見せ、横島に慕情を寄せるフェレスに対する横島の本能的行動は彼女の視点からも悲惨で哀れに過ぎた。
それでもその時の彼女の感情はそれ程動いてはいなかった。
哀れには思うが、哀れ以上には思わない、悲惨には思うがそれに対して何かをしようとは思わない、只流されるまま任務をこなすこと。
彼女は未だ自分の生きる意味なんてものは持ち合わせておらず、居場所も無かった。
彼女にはそれをすることだけがその時の彼女の全て。
ちっぽけな、流されるだけの軍隊という居場所しか持たない彼女の。
居場所が出来た。
任務をうけて暫く経って彼女に軍隊以外の居場所が出来た、少なくとも任務ではなくここにいたいといえるような感情は持てるようになった場所が。
そうなることが彼女の幸福なのかどうかは判らないが、誰かに求められるのは悪い気は彼女はしなかった、彼女は誰かに求められたことなど皆無に等しかったのだから。
横島は彼女には直ぐに僅かな脅えも無くし、彼女が近くにいるのを厭わなくなった。
彼女の前では落ち着いているし、ストレスが掛かっているようにも見えない。
そうなれば横島の近くに居るのは必然と彼女となる、パピリオや玉藻、ワルキューレでは脅えを見せ、ベスパでも僅かな脅えは取り払えない、フェレスなどは近寄りたくても近寄れない。
横島の安定と安全を考えるならばメドーサが殆ど付きっ切りになるのが望ましかった。
其処までやはり何時自害するか判らない横島は目を離せる存在ではなく常に誰かが傍に目の届くところにいる必要がある、だが横島に何のストレスも与えずに居れるのは、変化した玉藻ぐらいで、これは彼女にストレスを強いた。
自分の本当では彼に激しく脅えられるというのが痛いほど実感してしまうから、仮初の体は偽りなのだから、慕情を寄せる相手を欺き続けるのは彼女自身を欺き続けるのに等しかった。
次点ではベスパだが彼女とて横島に対する感情は複雑なものがある、それに横島本人に全くのストレスを与えない訳ではない。
そして彼女の中に生じた僅かな慕情は姉への背徳感が彼女を苛み、彼女自身のストレスが強かった、自身への嫌悪から生じる不快感が。
その点で彼女はうってつけだった。
横島にストレスを与えず、精神状態的に横島に対する過度の思い入れが無い、無論しこりのような感情はあるが、そんなものは彼女にはどうでもいいことだったし。
だが、敵対していた存在である彼女をそう易々と受け入れるだろうか。
以外にも頭を下げて彼女に頼み込む存在がいた、それは真摯な声で嘗ての敵に心の其処から慈悲を求めるような声で愛情の篭った声で懇願した、フェレスが彼女に頼み込んだ。
それは哀れな女の慈悲を求める懇願かもしれなかった、無力な自分の代わりに誰かに縋ろうとする行動かもしれなかった、故に真剣だった。
「あんたには私は恨みもあるしあんたにも私に恨みがあるでしょう、今更それを忘れるなんて出来ないしあんたにも忘れろなんて言わない。でも今は横島君の為にあんたが横島君の傍にいてあげて。悔しいけど私には何も出来ない、何もしてやれない、こうやってあんたに頭を下げるしか出来ない。でも横島君はあんたが必要、あんたがいてくれればまた笑ってくれるかもしれない。私に向けられないのは悔しいけど。アイツがまた笑ってくれればそれでいいから。メドーサ、お願いします」
フェレスは彼女の前で膝を付いて頭を下げた。
彼女がここに来て数日後、彼女が傍に居る時横島が安定していると判った時、フェレスは人間だったころの尊大さも天邪鬼なところも捨て真摯に真剣に彼女に頭を下げた。
パピリオにもベスパにも玉藻にもワルキューレにも頼まれた、心の底から。
フェレスは嘗ての敵に最も横島を庇護している存在が彼女に任せる、信の置ける存在と認めて、信頼を置いて任せる頼み。
それは彼女がここにいることが望まれた、いてもいい場所になる言葉。
駒でもなく、兵士でもなく、無機的な命令でもなく、居てくれ、居て欲しいと言われて存在できる場所、存在する意味が与えられる場所。
ちっぽけな居場所でしかなかった軍隊ではなく、望まれて存在できる場所。
彼女の今までの生の中であったのだろうか、誰から真摯に頼まれていて欲しいと言われたことが。
確かにそれには横島の世話という理由はある、だが、他者に心から必要だと感じられる時代があったのだろうか。
魔に堕ち、戦いに明け暮れ、謀略に明け暮れ、魔界ですら元神族として居場所が無く、魔族としての居場所の為に戦い、貶める。
居場所の為に戦い、存在理由の為に他者を貶め、命を刈り続ける。
そんな中に他人にここまで真摯に真剣に頼まれたことなど彼女には無い、彼女には無かった、それが哀れなのかは判らない、それが悲惨なのかは彼女が断じることだ。
だけど彼女はこの頼みで自分が流されず頼まれたから、頼みを聞いてやろうと思ったから横島の世話を熱心に行ったのは間違いない。
彼女は嘗ての自分に辛酸を舐めさせた男にまるで恋人のように世話を焼いたのだ。
それは自分が居てもいいと望まれた場所、それが嘗ての敵だったとしても、自分が居てもいい場所、そして自分がいたいと思えるようになってきた場所を守る為の献身だったとしても、彼女は哀れで悲惨な横島のお陰で安寧を手に入れたのかもしれない。
それからの彼女の献身は度が行き過ぎたものがあっただろう。
任務としては。
もう既に任務ではなく頼みになっていたから当たり前にことなのだろうけど。
まるで姉のように母のように恋人のように妻のように家族のように優しさにあふれていた。
そして彼女にも、彼女が世話をする相手にも何の感情を持たなかった訳ではない。
世話をするうちにおぼろげに表情が穏やかになるのに嬉しさを感じ。
その変化をフェレスに話すことで彼女が泣くことに共感し。
仲間と喜びを分かち合うことを知り。
稚拙ながらマトモな言葉を話し出したことに驚きを感じ、それが自分への感謝を表す言葉となれば涙がこみ上げるほどの悦びを彼女に与えた。
彼女の中でも横島は彼女の中心になった、どん底の自分を拾い上げてくれたのはこの壊れた横島、そんな相手に敵だった時の感情は持ち続けてはいられない。
彼女もまた淡い慕情を抱くようになり、それは彼女にとって久しい感情だっただろう。
彼女の抱いた欲望、慕情も欲望の類だろうから、庇護欲、母性欲、様々な愛を、友好を捧げる欲望、魔になって彼女が始めて真剣に抱いた他者に対する友愛の感情。
そして自分の前だけでも嘗ての様子の片鱗を出すころには彼女ははっきりと横島を愛していた。
だからこそ別の感情も宿ったのだろう、それは致し方ない。
自分の愛する対象が壊されることに何の感情も抱かない存在など居るわけが無い。
横島への思いが募るほど、憎しみが増す、怒りが増す、殺意がます、様々な不の感情がとぐろを巻いて暴れ狂う。
彼女は横島のお陰で居場所と暖かさを得た、だが同時に凄まじいまでの殺意も生じた。
それは嘗て無いほどにだがその殺意は理不尽に対する怒り正しい怒り。
誰が彼女の感情を否定する、理不尽に対する怒りを持って何が悪い。
そして日々募る生活の中、横島に絶対の安心を与えるために抱きしめ、次第に体を開き。
横島は女の心音を聞きながら眠りに付くことになる。
それを見つめる女の瞳は何処までも深く、何処までも澄んだ優しさに満ちていた。
後書き。
グーラーも出すといったのにメドーサだけで今回終わってしまいました。
今回はメドーサが献身に至る経緯、嘗ての敵が横島に尽くしだす経緯みたいなのを書いてみようとして書いたものです。
次回はグーラーが出れるように頑張りますが、そろそろフェレスもマシな扱いになるのでは。
>D、様
母性本能の辺りが少し当たっているでしょうか、最も貢献したのはメドーサで辺りですが。
他の役割分担は大体当たりです。
>バル様
人界編は秘密です、でも容赦は無いですよ。
>九尾様
何をしたと明確には考えていませんが、各種拷問等と考えておいてください。
マトモな思考力を奪ってからなので横島も見破りようが無いんです。
あと、強い存在自分が強いと自覚している存在は過剰に何かをするってことが無いんです、自分が弱い存在で特に弱い集団である場合外道な行動をすると際限がありません、集団の群れてる奴の苛めみたいなもんです、個々は弱いのに集団でやり過ぎる。
喧嘩慣れした人が相手に過剰な怪我をさせないようなものです。
>皇 翠輝
次かその次でフェレスも報われると思います多分。
復讐はふふふ。
>神逆
死すら赦さないのが基本方針です。
>偽バルタン様
徹底的に悪役やってもらう予定です。
今回は少し救われた物語になってますよ。
>人間が地上最悪生物ってのは定義上間違ってないんですよね、地球全体の生態系とかから考えると、同族間でこれほど殺し合いをする種族はほかにちょっといないでしょう。
>鈴様
今回は少し横島がマシになる経緯ものっています。
思考力を奪ったところでの裏切りですからね本当に効いたでしょうね。
>nacky様
知人友人親族殆ど使われています。順序的には思考力を奪う環境に叩き込んでから知り合いによる拷問をおこなったんですけど、拷問と言うよりは虐待かな。
後美知恵は確かに自分だけの正義みたいなものをもっているふしがありますね。
>大仏様
フェレス、玉藻が平気になるのは後のほうですから。
今回はかなり癒されていると思うんですけど。
>榊野雫
それはもう生き地獄を、死なせませんよ死んだら其処で終わりですからね。
情報公開ネタは考えていますがちょっと違う感じですかね。
>ナーガラ様
この一年っていう期間は女将軍が玉藻達の行動をある程度赦す許可を得るための期間ですからね、認めています、美知恵達は神界からも見放されているという事で。