久々のスクランです。
ラブ米です……い、一応。
相変わらず、原作は無視の方向で。
―――昼休み。矢神高校、水飲み場。
今日も今日とて水(ノンカロリー)のみで空腹を凌ごうとしていた播磨拳児は、ざり、という足音を耳にして振り返った。
そこは市内でも最凶の不良である播磨が出没するスポットとして知られているため、一般人は近づかない。
よって、どうせ天王寺あたりだろうと、半ば睨むような目付きでその人物を見やったのであるが…
振り返った直後、播磨は硬直し、その一瞬後には苦虫を100匹まとめて噛み潰しました、というような渋面を作った。
「げ……お嬢」
「…………………」
しまったな、という感じの播磨に対して、お嬢こと沢近愛理はむっつりと黙ったまま。
てっきり機銃掃射の如き罵詈雑言で責め立てられると思い込んでいた播磨にとっては、その態度は余計に怖かった。
「いやな、今のは空腹感が引き起こす自然現象であってな、欠食児童とかにはよく見られる兆候なんだよ。
やっぱよくねぇよな、飢餓って。空腹は人の心を荒ませるし。そう、悪いのは全部空腹なんだよ。マジで。
だから、別に俺ぁお嬢を見てあんな顔したんでなくてな、例えてん…塚本が来ててもそうしてたんだって。
よって、俺に責任は無いんだよ。いや、むしろ今のはお前の見間違い…つーか、蜃気楼?」
「…………………」
言い訳めいた事をつらつらと並べてみる播磨だったが、愛理の態度は変化しない。
いや、彼がもっと聡明な人物だったなら、先程から愛理がなにか言いたそうにしているのに気付いただろう。
口を微かに開いたり閉じたり、視線をあてどなく彷徨わせたりして、その頬を薄い桃色に染めているのだが…
まあ、そこら辺に気付けと彼に言うのは無茶である。
「………ふぅ」
もはや独り言と化した言い訳を続ける播磨を複雑な視線で眺めながら、愛理は軽く溜息を吐いた。
こんな滑稽なものを見せられたら、今まで自分がやきもきしていたのが馬鹿みたいだ。
今日はちょっと『なんでもないこと』を訊くためだけにやってきたのだ。ちゃっちゃと終わらせて帰ろう。
本当は、全く『なんでもないこと』では無いのだが……鈍感、というか馬鹿な播磨の事だ。愛理の真意には気付かないだろう。
そう考えると、寧ろ勇気が持てた。意を決して口を開く。
「…ねえ、播磨君。ちょっとあなたに訊きたいことがあるんだけど」
「……あ? 訊きたいこと、だぁ?」
どうやら愛理が気にしていないことを悟ると、突然態度が大きくなる播磨。
しかし、どうにも『播磨君』というのが気にかかる。
『ヒゲ』と呼ばれるよりかは遥かにマシだが……沢近愛理の口から聞くと、どうにも気持ちが悪い。
それを口に出すとどうなるかは流石に理解していたので、大人しく話を聞くことにする。
「あなた……やっぱり、元気な娘より、大人しい娘の方が好みなの…?」
あの娘みたいに、とは付け足さなかった。
彼自身の口から『付き合っていない』と言質は取ったのだが、彼らが親密である事自体は変わらない。
何故二人の関係がそうまで気になるのかは、愛理には解らない…解らないと自分で自分に言い聞かせている。
しかし、それでも気になるものは気になる。疑問は解決しなければならない。それが彼女の性分だった。
一方、播磨としては、全く愛理の思考が読めなかった。
突然現れ、唐突に意味不明な事を訊いて来る。
彼の中で沢近愛理という人物は『よくわからねぇ』とされているが、今回は特に『よくわからねぇ』だった。
播磨としては、特に女性の好みなんてない。強いて言えば、好きになった女が好み、といった所か。
今の所、意中の女性である塚本天満が元気な少女であるため、一応好みはそうなるのだろう。
しかし、そんな事情を天満の友人である愛理に言える訳が無い。
よって、テキトーに誤魔化して逃げる事に決めた。
「んなの、テメーに関係ねぇだろ。
俺ぁ、腹満たすので忙しんだよ。特に用事が無いなら、さっさと消えろや」
「な、なによその反抗的な態度は!
一言答えりゃ済む話でしょ!? ほら、さっさと言いなさいよっ!」
「う、うるせぇ奴だな…」
愛理としても、こんなぶっきらぼうな返答は予想していた。
しかし、それで引き下がるような真似は出来ない。出来る筈が無い。
プライドという点でもそうだし、第一、この疑問を放って置いて、今夜安眠できると思えないのだ。
播磨は、まさかこんな下らない質問に愛理がここまで執着してくるとは思わなかった。
別に彼女の事を真剣に嫌っているわけではないが、良く解らない上に何故か逆らえない、播磨が苦手とする人物だ。
出来るだけ怒らせたくはない。下手に怒らせたら、やけに堂に入った足技が待っているのだ。
もう考えるのも面倒になって、播磨はぞんざいに答えた。
「あーあーそーだよ。そ−なんだよ。その通りだよ。
これで満足したか? んじゃ俺はパン買ってくっから、これでな」
勿論嘘だった。パンを買えるぐらいなら、始めからここで水道水など口にしていない。
しかしその矛盾を指摘するでもなく、愛理は彼の後姿を見送った。
握り締めた拳が、少し震えていた。
「負けないわ……負けてたまるもんですか……!」
誰に向かって言ったのかは、彼女自身にもわからなかった。
―――5時間目。矢神高校、屋上。
播磨は屋上からグラウンドを見下ろした。クラスメイトがサッカーをしていた。
結局、パンを買う事はせず、水で腹を誤魔化した。勿論誤魔化しきれていない。ぐうぐうと猛抗議している。
この空腹のまま体育の授業に参加するのはどうかと思ったし、そもそもかったるかったのでサボった。
播磨は本は読まないし、昨今の不良少年にしては珍しく煙草も呑まないため、自然暇を持て余す事になる。
流れる雲を見詰め、播磨はただぼんやりと時を過ごしていた。そういう時間は嫌いではなかった。
始業の鐘が鳴ってどれぐらい経ったのか、播磨がぼんやりと天満の事を夢想していると…
がちゃり、きぃ…と金属的に軋んだ音を立て、屋上に通じる扉が開いた。
すわ、生徒指導か!?と即座に立ち上がった播磨であったが……屋上に上がってきた人物を確認すると、元通り腰を下ろした。
「食後の休憩か。随分な御身分だな、拳児クン」
「…ほっとけ」
悠々とした足取りで播磨の隣に立ったのは、この学校の物理教師である刑部絃子であった。
やれやれ、と呟くと、白衣を翻して、自身もまた播磨の隣に腰を下ろす。
「…いいのかよ。一応教師だろ、お前」
「お前、じゃない。絃子さん、だ。
それに、幸い今は授業が入っていなくてね。君が居ないと聞いたので、少し探してみたという訳さ」
「連れ戻す、とか言うんじゃねぇだろな」
「言わんさ。教師という職業は、授業の他にも色々細々とした仕事がある。私もそれを放り出してきた所だ。
ほんの少し…50分ばかりの小休止さ。たまにはそんな事があってもいいだろう?」
「…やけに物分りがいいんだな、今日は」
「ふふ、そうかもな」
実は絃子、播磨が保健室に行ったのではないかと踏んでいたのだが…
それが杞憂になった事で、少しばかり機嫌が良いのだった。敢えて何故かは問わないが。
しかし、それは気になる事でもあった。授業をサボるのならば、ベッドがある保健室の方が寛げる。
それに、あまり認めたくない事だが、播磨は美人の保険医と仲がよろしい。
彼女ならば、『ハリオったら気分が悪そうだったので、保健室で休ませました〜♪』とか平気で言いかねない。
しかも、あろうことか『ハリオ』の腕などとりつつ、そこに自分の胸部を押し付けなんかしながら。
そうなるのだろうなぁと内心諦めていたのだが…見事に外れた。
嬉しさ紛れに、戯れに訊いてみる事にする。
「なあ、拳児クン。君は何故、こんな所にいたんだい?
休むのならば、普通、保健室あたりが妥当だと思うがね」
「…あそこは、ちょっとな…。
確かにベッドもあるし、お姉さんも親身にしてくれるんだが…
どうもあのノリに押し切られるっつーか、いつの間にかとんでもねーことになりそうな気がするっつーか…
まあ、あんなコトがあったんだ、また天満ちゃんに誤解されるような事態だけは避けてぇんだよ」
「なるほどね…」
確かに彼らしい理由で、概ね絃子にとって好ましい理由だった。
特に、あの保険医…姉ヶ崎妙の危険性を何となく理解している所が良い。
彼女は何というか、非常に『押せ押せモード』な女性なので、密かに危惧していたのだ。
しかし、自分と播磨は教師と生徒の関係。そう表立って彼女の行動に抗議するのは難しい。
かと言って、そのまま放置しておくのは…と、内心やきもきしていたのである。
「まあそういう事なら、しばらくここでゆっくりして行くといい。
幸い、誰も寄り付かないようだしな……私も少し、寛ぐとしよう」
手を上に組み、ん…と背筋を伸ばす。
その際に、Dカップ(ハミングバード鑑定)もの肉のカタマリが押し上げられるようにシャツに密着する。
おっぱい密着24時〜衝撃の映像99連発〜…とか下らねぇ事を思い浮かべつつ、播磨は思わず視線を釘付けにしてしまった。
いかに硬派な播磨といえど、健康極まりない青少年であるからして、その反応は当然である。
めざとくもその視線に気付き、絃子は妖艶に口唇の端を持ち上げた。
「おや、どうしたね拳児クン?」
「なっ、なんでもねぇよッ!!」
慌てて顔を背けようとする播磨だったが…
その前に、絃子に両頬を挟まれ、強制的に目を合わされた。
「……拳児クン」
「な……んだょ…」
何処までも深く透き通る切れ長の瞳に見詰められ、播磨は情けなくも声が裏返った。
はらりと絃子の長い黒髪が播磨の顔に掛かる。シャンプーの香りがした。
いや、それ以前に、さっきから何となく甘ったるい匂いがする。
これは絃子の体臭なのか…?と、播磨はぼんやりそう思った。
「触りたいかい……? 私は別に、構わないよ。そう……君なら、ね」
「なっ!?なっ!?なぁぁsbgんjlrbんgほsfh!!?」
混乱のあまり、脳内にバグが生じる播磨。
一方、オトナの女風に迫ってみた絃子であったが……内心、ドキドキものだった。
今でも心臓は爆発しかねない勢いでフル稼働しているし、よく見れば頬が微かに赤い。
常にポーカーフェイスのクールビューティ、刑部絃子がこんな顔をするのは大変珍しいが…
まあ、それに気付くどころではないのが播磨の現状だった。
「ふ、ふふふふふふざけんにゃにょイトコッ!!
て、てんめぇ、俺をからかってそんなに楽しいか!?楽しんだろな畜生ーッ!!」
「落ち着きたまえ拳児クン。唾が飛んで……おっと、口の中に入ってしまった。
……ふむ、これは……美味い。拳児クンの味がするな………」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
首筋までどす黒く変色し、播磨は乱暴に絃子の手を振り払った。
そのまますっくと立ち上がり、息も荒く絃子を見下ろす。
サングラスを掛けていても解るほどに厳しく睨みつけたが、それに動じる絃子ではなかった。
「どうしたんだい拳児クン? 5時間目が終了するまで、まだあと30分もあるぞ」
「てめぇ……一体、なんのつもりだ…!?」
「…はて、何のことかな?」
「ざけんなッ!!今のぁ、悪フザケにもほどがあんぞッ!!」
「悪フザケ……か」
ふ、と絃子は苦笑を漏らした。
相変わらず、女心に鈍い男だ。
「てめ、なに笑って…」
「すまない。確かに今のはやり過ぎた様だ。
さて……仕事もあるし、私はそろそろ失礼するとしよう。君はここで頭を冷やしていくといい」
まだ対応を決めかねている播磨を残し、絃子はさっさと屋上を立ち去った。
後ろ手で扉を閉めて、少しの間瞑目する。
(確かにやり過ぎたな。今の彼には、時期尚早だったか。
しかし……ここまでお膳立てしてやったのに、くちづけさえしないとはね……思ったよりも手強い。
やはり、彼に対するには、塚本天満の様な、元気な女性を演じた方が良いのかもな…。
……よし。明日からは、もっと別方面から攻めてみるか)
小さく、よし、とガッツポーズを取り、絃子は気合を入れ直した。
―――放課後。矢神高校、廊下。
顔を洗い直した播磨は、頬をパンパンと叩きながら、廊下を歩いていた。
先程から、全然思考が定まらない。何か考えようとすると、どうしても屋上での情景を思い返してしまう。
いくら想いを寄せている女性がいるとしても、播磨はあくまでも健康体である。
故に、絃子の『悪フザケ』は、決して嫌なものではない…寧ろ今夜のオカズ…いやいや。
とにかく、『とんでもねぇ目に遭っちまったぜ』と、すぐにでも忘れられるような類の記憶ではないのだ。
(確かに絃子は悔しいけど美人だし、胸もデカイし…いやいや、俺には天満ちゃんがいるんだぁ!
すまねぇ天満ちゃん!!例え一瞬でも、君とは違う女の事を思ってしまった…!!
なんて不甲斐ねぇ奴なんだ俺はッ!!すまねぇ、すまねぇ……!!)
と反省して、大空に愛しの天満ちゃんの顔を描こうとし……何故か絃子のDカップが空に浮かぶ。
違う違う違ぁぁぁぁう!!と壁にパチキかまし、鬱モード。
6時間目からこんな感じであるからして、校内で播磨を恐れる生徒が増えたのも当然の道理である。
『違う、違うんだ、俺は…俺は…ち、違うぅぅぅッ!!』と叫ぶ度に、播磨から人が遠ざかっていく。
『播磨君、ついにクスリに手ぇ出したのか!?』とか、『やっぱり播磨君ってスジモンとツルんでたんだ…』てなもんである。
「違う…違……俺は絃子のことなんて何にも……Dなんて、Dになんて……むしろ俺は貧乳派…」
「……あ、あの…………」
「ツルペタマンセー………ん?」
危うく旅立ちそうだった播磨を我に返らせたのは、遠慮がちに問い掛けてくる小さな声だった。
まだ鬱モードから完全に立ち直っていないまま振り向くと、そこにいたのは……
「妹さんか……。どうしたい?俺になんか用か?」
「いえ、その…………」
妹さんこと、塚本八雲。播磨の想い人、塚本天満の一つ下の妹さんだ。
声を掛けられ、何か用事があるのかと問い掛けた播磨であったが…
八雲としては、播磨に用などなかった。ただ、元気がなかったように見えたから、心配して声を掛けてみただけだ。
しかし、八雲はそれを口に出せるのも憚れるほどの口下手だったので、結局は口篭ってしまう。
声を掛けられたまま何も話しかけられない播磨は、首を傾げるのみだったが…
長いとはいえない付き合いの中、播磨は八雲が口下手で不器用で純真な少女だという事を理解していた。
故に、こちらから何か話題を振り、八雲が用件を喋りやすい雰囲気に持って行こうと考えた。
「あー……なんだ、その……あぁ、あん時の猫、元気にやってるか?」
「あ……はい。…良かったら、また遊んであげてください。
あの子、とても播磨さんに懐いているみたいだから…」
「お?…おう。妹さんがそう言うなら…」
猫(伊織)は、八雲の家で飼われている。
八雲と天満は姉妹であるからして、同じ家に住んでいる。
つまり、猫と遊びにというのを口実に、堂々と天満ちゃんの家に行ける…!
と一瞬考えた播磨であったが、いやいやと首を振る。
(妹さんが厚意で誘ってくれてんだ。それを単なる口実にしちゃいけねぇ。
確かにあの猫の事もちったぁ気になってたし、いっぺん様子でも見に行ってみるか…。
そん時に天満ちゃんに会えればラッキー、てな程度に思っときゃいい)
と、改めて思い直す。
確かに播磨は天満の事が超好きだが、それだけが全てという訳ではない。
彼は彼なりに、八雲の事を数少ないトモダチ(だといいなぁ…)と思っているし、彼なりに大事に思っている。
八雲が播磨の中でどうでもいい格付けなら、速攻で全ての思考を天満ちゃん優先にしている筈だ。
これは彼なりの矜持、今時珍しいぐらいに硬派で馬鹿な不良たる由縁なのだ。
「まあ、都合がついたらメールでも送るわ。
そん時ぁ、またおにぎりでも作ってくれな」
「は、はい…」
思わぬことを言われ、八雲は半ば呆然としたまま、反射的に返事した。
播磨としては、何となく思いついた事を言ってみただけなのだが…
八雲は、まさかそんな事を覚えているとは思っていなかったのだ。
姉さんの事だけじゃなく、ちゃんと私のことも覚えてくれている…そう思うと、じんわりとあたたかいものが胸に沁みる。
そんな気持ちを何と言うのか八雲は知らなかったが、いつまでも浸っていたい気分である事は確かだった。
「んじゃ、俺はこれで。まだ早いが…気ぃつけて帰れよ?」
じゃあな、と八雲に背を向ける播磨。
もう話す事も思いつかなかったが、八雲はその背中を呼び止めたい衝動に駆られた。
下らない世間話でも良い。動物園の話でも、万石の話をしても良い。
話す事など、探せばいくらでもある筈だ。しかし……結局、八雲が口を開く事はなかった。
「………………」
ふぅ、と小さく吐息を漏らす。
少しだけ視線を落とし、真直ぐと前を見る。
(こんなのじゃ……きっと、駄目。いつまでもこのまま……進めない。
私は多分、変わらなきゃいけない。変わった方が良い。
もっと、もっと播磨さんと色々なことをお喋りしたい……それはきっと、このままじゃ無理。
変わらなきゃ……少しずつ、変えていかなきゃ……)
八雲は、前だけを見据え、一歩を踏み出した。