それは突然の出来事・・・祥子様と私はその日、何度目かの・・・その、デートをしていた。
最初はいろいろどぎまぎしていたファーストフードも、何も問題なく注文出来るようになっていて・・・(勿論、手でもって食べられていた)。
最近は少女小説に興味を持たれたらしくて、駅ビル内にある書店で何冊かを購入するのを私は手伝った。
ただ私と違い、この手の作品を初めて購入される祥子様に、私はデートの数日前に同じ山百合会のメンバー『黄薔薇様(ロサ・フェティダ)』支倉令様に教えられた、最近のお勧め小説を紹介した。
レジで祥子様が精算をしている間、ざっと目を通してみたが・・・なかなか良さそうな内容だったので・・・
「あら裕巳? 貴方もそれを買うの?」
その後戻ってきた祥子様に、立ち読みは駄目と軽いお叱りを受けた後、私も同じ小説を購入した。
「はい、面白そうですから」
「そう・・・おそろいね」
そういいながら、お店のロゴマークがプリントされた、紙のブックカバーで包まれた小説を手に持つ祥子様。
「はいっ!」
私も嬉しくて、元気に頷いたのだった。
途中昼食を取ったファーストフードで、飲み物の事をちょっと言い争った以外は本当に楽しくて・・・
だから油断していたのか、気が抜けていたのか。
帰り道、駅の階段を下りていた私は・・・
「きゃっ・・・!」
うっかり足を踏み外してしまったのだ。 何気なく張られていたポスターを見たその突然、足下の地面を感じられなくなった。
目の前の景色が、やけにゆっくりと下へと移動している。
そして、気が付くのがほんの一瞬遅れたのが致命的。
何度かたたらを踏むように、数歩階段を歩いた後・・・直ぐに限界が訪れ、完全に前のめりに倒れる私。
この先にあるのは、多分凄い激痛と強い衝撃。
「裕巳!」
斜め後ろから聞こえる、祥子様の悲鳴。
上手く転げれば、何とか痛いだけで済むかも知れない。
・・・でももし、うまくいかなかったら?
そうなったら、私は手か足かの骨を折って・・・
私がその先の、もっとも最悪な考えに行き着き掛けたその時。
「きゃっ!?」
今度は疑問符混じりの悲鳴を、私は上げていた。
何故かといえば、次に来ることを感じていた痛みは来ずに・・・何か柔らかいようなが、私の転倒を防いだからだ。
本当に柔らかい・・・何かこう、布団のような。
ただ直前に目の前が真っ黒な何かで覆われたのを見たため、誰かが受け止めてくれたと言うことは理解出来た。
階段を上り下りする人達の、騒ぐ声が聞こえてくる。
「あ・・・あの、すいませんでした・・・・・・・!」
私は慌ててその柔らかい人(何だか変な呼び方)の顔を見上げ、危険から救ってくれたお礼を言おうとしたのだが・・・
「・・・」
一瞬、私は自分が夢を見ているのかと思った。
だって、普通・・・目の前にゴリラがいたら、誰だって驚くでしょう?
ここは人が作り上げた、町の駅の構内であって、サファリパークでもジャングルでもないのだから。
幸い悲鳴を上げなかったのは、助けてくれたと言う事実がそうさせたのだろうか?
「大丈夫、裕巳?!」
急いで駆け下りてきた祥子様が、頬に冷や汗をかいて問いかけてくる。
「あ・・・は、はい、大丈夫です」
私は何とか再起動して、祥子様に自分は何ともないことを告げた。
最初何度かたたらをふんだ時に、無理な力が掛かって指先が痛かったが、しばらくしたら落ち着くと思い黙っておくことにする。
「そう・・・よかった・・・」
「申し訳ありませんでした、祥子様」
本当に安心してがくりと肩を落とす祥子様に、私は心の底から謝った。
あれは完全な、私の不注意だったのだから・・・
「いいのよ、貴方が無事なら・・・でも、これからはもっと注意して歩く事、良いわね?」
「はい・・・あの、それよりこの人・・・じゃない、えっと・・・」
私が何か良い言葉を見つけようとあぐねいていた。
何しろ目の前にいるのは、巨大なゴリラなのだから。
今まで駅の構内でゴリラに助けて貰った、なんて事はなかったから、上手く説明することが出来ずにいる。
「あ、申し訳ありませんでした、助けて頂いたのに何もお礼を言っていませんで・・・あら? 貴方もしかして、ゴリさん?」
「その・・・えっと・・・って、えぇ?!」
なんと祥子様は、目の前で私を見下ろしているゴリラの人(助けて貰ったから呼び捨てするのがはばかられる)を見るなり、開口一番その言葉が出た。
驚きもせず嬉しそうなこの口振りは、間違いなく以前出会った親しい人(ここ重要)と会った時のものだ。
と言うことは・・・
「あの・・・お姉様? お知り合いなのですか?」
ちょっと恐る恐る、私は祥子様に問いかける。 だって、今まで知らなかったことだから・・・
あの祥子様が、ゴリラの人と面識があるだなんて・・・
ゴリラに偏見が在る訳でもないし、動物園に行った時、大声を張り上げて空に吠えている姿がかっこいいと思ったこともある。
だけど、流石にこの状態は・・・やっぱり普通じゃないと思ったから。
「ああ、この方は・・・」
私の問いに、祥子様が答えようとしたその時。
「おーい、こんな所にいたのか」
階段の下の方から、足音と一緒に近づいてくる渋い声。
ただ、ゴリラの人の影に見えているはずのその足音は、かなり変わっているように思えた。
硬い靴の音などという、生やさしい物ではない。
たとえて言うなら・・・そう、機械が出す音・・・「がしゃん、がしゃん」という音。
「おや、そこにいらっしゃるのは・・・祥子さんではありませんか?」
渋い声の主が、ゴリラの人・・・いや、ゴリさんの横にたどり着いた。
「・・・・・・」
ゴリさんの影から現れたその姿を見た時、今度こそ私は固まってしまった。
だって・・・いや、その・・・えっと・・・この円筒形の体に、手足が生えているのは・・・
あと目が、車かバイクのサーチライトみたいなのは一体・・・
「あらお久しぶりです、メカ沢さん」
どうやら、こちらも祥子様のお知り合いの方らしい。
しかしこちらは、失礼かも知れないが・・・明らかに・・・ロ
「ん? おお、こちらはもしかして、祥子さんのプティスールですか?
もし違ったら、申し訳ない」
渋い声の主・・・メカ沢さんは、こちらを振り返って(目と思しき部分がこちらを向いたから、多分そうなのだろう)、私を見るなりそういった。
「ええ・・・私の妹、裕巳ですわ」
誇らしげに私のことを紹介する祥子様。
「あ、えっと・・・初めまして、福沢裕巳です」
固まっていた私だが、流石にこの状況で黙っているのは失礼と本能的に感じ、反射的に自己紹介する。
「おお〜、なかなか聡明で可愛らしいお嬢さんですな。
流石祥子さん、よい妹を得られましたな」
円筒形の体は表情が全く変わらないのだが、声のトーンから嬉しそうにしているのが解る。
「あ、有り難うございます」
先ほどのドジぶりの後で、『聡明』という言葉を聞くと少々恥ずかしくて、私は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「あっはっは・・・おっと、そろそろ行かなくては。 すいません祥子さん、今日はこれで失礼します。
機械がありましたら」
「はい、またの機会に・・・本当に妹を助けて頂いて有り難うございました」
頭を下げる祥子様に合わせて、私もぺこりと頭を下げた。
確かに少々変わっているが、間違いなく私はこのゴリさんに助けて貰ったのだ。
奇異である以上に、その事実の方が私の中では勝っていたのである。
「・・・・・・・」
私と祥子様にお礼を言われたゴリさんは、恥ずかしそうに頭をぽりぽりと掻いている。
その光景に、私は面白くて心の中でクスリと笑った。
「所で、あの方達は誰だったんですか?」
あの2人(?)と別れた後、私に問いかけた。
「つい数ヶ月程前お世話になったことがあって、それ以来の付き合いなのよ。
見かけはちょっと変わっているけれど、とてもいい人達なのよ?」
今日はお二人だけだったけれど、後1人・・・あの人達のお仲間でいらっしゃる、フレディさんって言う人には特に良く助けられたわ」
嬉しそうに話してくれる祥子様。 だけど一言言わせてください。
ちょっとどころじゃあないと思いますよ・・・祥子様。
「はぁ・・・フレディさん、ですか・・・」
だけどそんな失礼なこと言える訳が無くて、私は相槌を打つだけだった。
「例えば・・・以前町で足を捻挫した時、馬を使って病院まで運んでくれた事があったのよ
思えばその時から、付き合いが始まったのかしらね」
「う、馬ですか?!」
この都会で馬とは・・・一体何物なのだろう? そのフレディという人は・・・
「結構ダンディな人だから、そうね・・・山辺さんに似ている、といえばわかりやすいかしら?」
細く美しい指を顎に当て、祥子様はその『フレディ』と言う人の事を説明してくれた。
「山辺さんみたいな人・・・ですか」
私の脳裏には、西部劇風の服装に大きな馬に乗った、江利子様の恋人である山辺さんの姿が思い浮かべられていた。
「所で裕巳・・・足、大丈夫?」
「え?」
私は驚いてしまった。 私は足の事は言っていないはずなのに・・・
「何で私が足の事を聞いてきたのか? そんな顔をしているわね」
「・・・その通りです、祥子様」
心の中を言い当てられた私は、歩きながら素直に頷いた。
今度は駅の平坦な所だし、先ほどの事もあって足下には気を遣っているから大丈夫だ。
「馬鹿ね、そんなこと位解るに決まってるじゃない」
呆れたように溜息を付いた後、祥子様は・・・
「だって私は、貴方の姉なのよ?」
と、優しく微笑みながらそう言われた。
「・・・祥子様・・・」
その素晴らしいまでに説得力のある言葉に、私は思わず立ち止まって、祥子様の顔を見上げていた・・・