横島ケイ。六道女学院中等部に通う1年生。
彼女は苦労人である。とてもとても苦労人である。
学生でありながら、5人家族の家事を一手に引き受けている。この時点でまず苦労人である。
家計簿もつけている。やりくりは大変だ。さらに苦労人である。
最近家族が一人増えて、家計に響いている。ますます苦労人である。
しかし、彼女は今が幸せで、だからつらいと思ったことなどない。
というのは嘘で、まぁ、何度かはつらいと思ったこともある。
今回は、雨音がやってきて少したった頃の、そんな彼女の苦労話である。
*
夕方の横島家は、雨音とケイしかいないのが常である。
タマモとシロは部活か仕事。横島は仕事か大学。家事があるため帰宅部のケイと、そもそも学校に通っていない雨音しか、この時間に家にいることはできない。
二人の間に、特に会話はない。買い物帰りのケイは、そのまま夕食の仕度をする。雨音にできることは、その邪魔をしないことだけだ。
だから雨音は、居間で、以前に借りてきたビデオを見て大人しくしていた。
流れる子供向けアニメでは、小学生の主人公が台所に入り、料理をしている女性にママと呼んでいた。
ママと呼ばれた女性は、振り向くことなく、どうしたのと聞き返した。
「…………」
それを見ていた雨音。クッキーを口に咥えたまま、台所に目を向ける。
そこではケイが、鼻歌を歌い、しっぽを振りながら、楽しげに料理していた。
とんとん。とんとん。とんとんとん。
包丁の音が、規則正しく響く。
「…………」
雨音はリモコンを取り、ビデオを巻き戻した。
台所で料理している女性は、ママと呼ばれていた。
「…………」
とんとん。とんとん。とんとんとん。
包丁の音が、安らかに響く。
「…………」
雨音は立ちあがり、台所へと駆けていった。
台所で料理をするケイの鼻歌は、雨音にはとても優しく聞こえた。
「雨音ちゃん? もう少しだから待っててくれる?」
「…………」
「雨音ちゃん?」
とてとてと駆け、雨音はケイの腰に抱きついた。
ケイは最初に少し驚き、次に苦笑した。
「雨音ちゃん。くっついてると危ないよ」
言いながら、包丁の動きを再開する。
とんとん。とんとん。とんとんとん。
リズミカルに響く音の中、雨音は小さく呟いた。
「……ママ」
ずだとん!
……ケイ、まな板を両断。
「あ、あ……。雨音、ちゃん?」
振り向いたケイは、顔面真っ赤だ。
雨音はきょとんとした表情で、
「ママ?」
と聞き返した。
「いや、あの……ママって、なんで……?」
「お料理つくる人。ママ」
「えっと、それはちょっと違うかな〜、なんて……」
「お台所いる人。ママ」
「いや、それもなんか違うと思うんだけど……」
「……ダメ……?」
うるうるうるうる
「ダメじゃない、ダメじゃないよ! うん、いいよ。ママって呼んでいいよ」
ケイ、陥落。
今泣いた烏が、もう笑う。
「ママ〜」
(とほほ……)
なついてくる雨音に、嬉しいやら悲しいやらのケイだった。
*
その日の夕食時。
家族5人の騒々しい食卓で、雨音がケイに呼びかける。
「ママ、おかわり」
「「「ママァ?」」」
「いや。なんか、料理する人がママと、そう思ってるらしくて、雨音ちゃん……」
呼ばれなれてないため、顔を赤くしながらケイが言い訳する。
「ははは。ママか。いいじゃないか、ケイ」
「ん〜。たしかに、私もシロも、料理できないし」
「拙者は出来るでござるよ!」
「ステーキばっかでしょうが、あんたは」
ケイ=ママ説に話の花が咲く中、雨音が首をかしげる。
「パパ」
「ん? どした、雨音?」
「ママ」
「ど、どうしたの、雨音ちゃん?」
「………ふーふ?」
ぶふぅ!
お茶を飲んでいたタマモが吹いた。
ご飯を食べていたシロが吹いた。
雨音に意識を向けて箸を中断していた横島とケイは、そのままで固まった。
「あああああ雨音? あんた一体なに言ってんの?」
「パパとママ。ふーふ。ちがう?」
「違う違う違う! 先生とケイは夫婦(めおと)ではござらん!」
必死に否定するシロタマ。
ようやく金縛りから解き放たれた横島とケイも、やんわりと否定する。
「ふーふじゃ、ない?」
「うん」
「じゃぁ……あいじん?」
どがしゃぁ!
四人はテーブルに頭をぶつけた。
「あああああ雨音? あんた一体どこでんな言葉……」
昼ドラだ。
「あいじん、ちがう?」
「違う違う違う違う! 先生はそんな不届きなことはせぬでござるー!」
「じゃぁ……ないえんのつま?」
どがらがぐわた!!
四人は椅子から滑り落ちた。
「……あ、あ、雨音? あんた、ンな言葉、どこで……?」
昼ドラだ。
「な、内縁の妻とはー! 戸籍上赤の他人にある男女がー! 一定期間以上を共に過ごした場合に夫婦と認められることでありー!!」
シロは錯乱し、この間習った政経の授業を復習していた。
「?」
雨音は相変わらず、きょとんとした表情。
「パパ? ママ?」
残る二人は、床の上でいまだに復活できないでいた。
二人は兄と妹だ。血の繋がりはなくとも。夫婦ではない。愛人でも、内縁の妻でもない。
しかし雨音にとっては、父と母だ。
(この違い、どうやって納得させるかな〜)
床に顔をうずめさめざめと落涙しながら、横島は必死に考えていた。
(兄ちゃんと夫婦兄ちゃんと夫婦兄ちゃんと夫婦あるいは愛人すなわちいけない関係二人一緒に背徳の世界……)
床に顔をうずめながら、ケイはどっかの世界へと逝っちゃっていた。
その後、横島とケイが夫婦でないことを理解させるのに、横島は一晩を費やすのであった。
*
翌朝。
ケイが起きて台所に行くと、そこにはシロタマの姿があった。
「あ、ケイ、おはようでござる。朝ご飯、もうすぐできるでござるよ」
「おはよ、ケイ。お弁当ももうちょっとで終わるから、ゆっくりしててよ」
笑顔の二人。シロの手元にはぎとぎとの肉料理の数々が。タマモのそばの弁当箱には油揚げの積層充填が。
「…………」
「ふっふっふ。これで拙者も雨音から母上と呼ばれるようになるでざるよ!」
「雨音からママーって呼ばれてでもって横島と夫婦ってことでうふふふふふ」
「………………」
「「うふふふふふふふふはははははははははははは!」」
怪しい笑みを浮かべる二人の前で。
ケイは今月がピンチになったことを涙ながらに受け入れるのだった。
横島ケイ。六道女学院中等部に通う1年生。
兼業主婦な彼女の苦労は、こうして、主に姉妹のはちゃめちゃな行動によって生まれるのである。
黙祷。
==========================================
こんばんは。桜華です。
今回の作品は唐突に思いついて即興で書き上げたものです。いや、まぁ、なにがやりたかったかっていうと雨音のママを作りたかったってだけなんですが。
おっかしいなぁ、どうしてシロタマってこんなギャグ担当になってんのかなぁ……
ちなみにこのあと、ケイご乱心です。シロタマは台所立ち入り禁止です。
そんなこんなで、また次でお会いしましょう。
ではでは。
==========================================