美神令子は病室のベッドの上から、窓の外を眺めていた。
齢100を超える老女でありながら、その瞳は強い生の光を放っている。
しかし彼女は気づいていた。
自分の後ろには、死神という名の神がいることに。
ふぅと小さく息を吐き、意を決して声を出す。
「まさか死神が迎えに来るとは・・・ね」
死神のほうを見るでなく、言葉をつむぎだす。
一方、死神は何も答えない。
美神も返事を期待していなかったのか、相変わらず窓の外を眺めていた。
しかしそれはどこか懐かしい、涙が出てきそうなくらい求めていた時間のような気がした。
(こんなこと考えるようだから、お迎えが来るのかしらね)
そしてどのくらいのときが流れただろう。
死神が意外な言葉をもらす。
「・・・久しぶり・・・とでも言おうか」
「???」
死神の方に訳が分からないという顔を向ける。
が、すぐある事が思い浮かぶ。
もう何十年前になるだろう?一度だけ、死神の仕事を邪魔したことがあった。
「思い出してもらえたかな?」
「・・・ええ」
ふと自分が一番輝いてきた時代が鮮やかに蘇る。
確かにあった自分の黄金時代。
決して結婚生活が、子供たちの成長を見守っていくことが、現役引退後孫たちの笑顔に囲まれている今の生活が不幸だなんて言わない。
いや、むしろそれは全て『幸せ』だった。
それでも・・・
「さてどうする?」
美神の感傷を死神の無遠慮な言葉が遮る。
「また、運命に抗ってみるか?」
その言葉にピクリと反応する。
本音を言えば、『死』というものに抗うつもりはなかった。
しかし『運命』となると話は別だ。
「あら、そんなこと言っていいのかしら?」
自分の顔に笑みが自然と浮かぶのが分かる。昔に、アイツがそばにいた頃の自分に戻っていくのが分かる。
そうアイツ・・・フフフ、そうだアイツだ。
さっき感じたのはそれだ。なんだそうゆう事か。
「私の人生に『敗北』の文字はないのよ?」
「フッ・・・変わらないな」
言い終わるが早いか、死神は持っていた鎌で美神の斬りかかる。
そう来るのを読んでいたのか、ベッドの上に座ったまま『盾』の文珠で防ぐ。
「文珠か・・・」
「最期の戦いに、ケチる必要ないからね」
消え行く文珠を愛しそうに見つめながら、これが最後の一個なんだけどね、と付け加える。
死神は感情もなく、そうかとだけ言ってまた斬りかかる。
しかし、今度は避けるでなく、防ぐでもなく、完全に読まれているはずのソレが美神の幽体を肉体と切り離す。
「な!?」
死神の驚きの声が部屋に響く。
例え齢100を超えた老女の体であろうとも、あの『美神令子』ならば避けられたはずの攻撃だ。
「アンタの思い通りにだけはなってあげない。それが『私』でしょ?」
死神の驚く顔を見た美神の顔は晴れやかだった。ただ、ついさっきまでは溢れんばかりだった生気というものが、全く無くなっていたが。
そして死神に優しくほほ笑みかける。
「さて・・・何のことかな?」
平静を装っているセリフではあるが、間違いなくビクッと肩を動かしたのが見えた。心なしか背筋も伸びている気がする。もう何十年も前に死んでしまった夫が嘘をつくときの癖だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が病室を支配する。
そして夫であれば必ずこの後「堪忍やー、仕方がなかったんやー!」と言って土下座をし、泣きながら許しを請うて来るはずである。
が、今回ばかりは先に沈黙を破ったのは、美神の方だった。
「ま、いいわ」
自分の正体を言うわけにはいかないのだろう。コイツが夫以外であるということは論外だし、彼の性格からすれば最初に名乗ってもいいはずである。
「でもね、これだけは言っておくわ」
キッと死神を睨み付ける。死神がまたビクッと動くのを確認して、言葉を紡ぎだす。
「姿かたちが変わったくらいで誤魔化されるほど、アンタへの想いは安いものじゃない」
死神はその言葉に一瞬驚きの表情を浮かべるが、すぐに微笑みに変わる。もっとも仮面のような顔から表情が見えるわけではないが、それでも美神は確かに彼が微笑むのを感じた。
暗に認めてくれたのだろうと勝手に解釈し、ゆっくり死神にもたれかかる。本来ならばすり抜けるはずだが、死神は美神の体を優しくそして暖かく包みこんだ。
その暖かさと懐かしさに、ゆっくりと美神の目が閉じていく。
「それに、約束だったじゃない。私の事看取ってくれるって」
それは夫の死の間際。病床に就いていた夫の枕元で、ずっと言い続けてきた事。自分より年下の人間が先に死ぬなんて許さない。私のことを看取ってからにしなさい、と。
医者に見放され、いつ死んでもおかしくないような状態から半年も生き続けたのは、その言葉ゆえだろう。
「一つ破ったんだから、もう一つくらいは果たしてもらわないとね」
とても理不尽な、しかし彼女らしい言葉。彼女は最期まで自分の知っている『美神令子』で在ろうとしている。彼にはそれが嬉しかった。自分の死の直後、自殺までしようとした彼女が。
「・・・いろいろ言ってやりたい事・・・あったはずなのにね。もう・・・声・・・出てこないよ・・・」
だんだん弱々しくなってくる彼女言葉を聞き続けた。それが美神令子としての人生の最後の言葉だから。
次が最期の言葉になるだろう。だから最高の言葉を送りたい。
死しても、約束を守ってくれた彼に。そして彼を愛した自分に。
最後の力を振り絞り、死神の姿の最愛の人を見つめる。目を開けているつもりなのに、ほとんど彼の姿が見えない。
「ねぇ・・・また・・・逢おう・・・ね・・・」
そこまで言うと、彼女の全身から力が抜けていくのが分かる。
死神はベッドにもう動くことのない、微笑みを浮かべた老女をそっと横たえた。
そしてその上に浮かぶ球体になった美神の魂を掴むと、それに囁き掛けた。
「ああ、絶対に・・・だ」
そう短く答えると、その場から消え去った。
コンコン
「レイコ。入るよ」
病室の外から若い女性の声が響き、扉を開く。中に入ってきたのは、金毛白面九尾狐のタマモだった。
そこでタマモは病室に死臭がしていることに気付く。人間ならば感じられないだろう。妖孤であるタマモだからこそ感じることの出来る、微かな死臭。
そして、この部屋は個室なので死ぬ人間なんて一人しか考えられなかった。
「レイコ?」
そっと彼女が寝ているはずのベッドに近づく。一歩ごとに死の匂いが濃くなっていくのが分かる。
(なんで?昨日まで元気だったじゃない)
ベッドの横まで来て、美神の顔を覗き込む。
微笑んでいた。
愛する人を失ってからずっと見せることのなかった、心からの笑顔。
そしてタマモは全てを悟った。そして納得がいった。アイツが迎えに来たのだ、と。
「ねぇ、レイコ。アイツに言いたいこと全部言ってあげた?」
タマモは美神の顔をそっとなでながら、決して答えることのない彼女に話しかける。
「ごめんねって。ありがとうって」
溢れてくる涙も拭わずに。
「アンタの事だから、言えなかったんでしょう?最期まで素直じゃないんだから」
とても優しい顔をして、とても優しい声で。
「でも、再会の約束はしたんでしょう?そういうところだけは、しっかりしてるんだから」
顔をなでていた手を止めると、ふと窓の外の空を見上げた。そして涙を拭う。
透き通るような青い空に、出逢った頃の美神達の姿が見えた。それが幻影と分かっていても、タマモは言わずに入られなかった。
「さよならは言わないよ・・・また会おうね」
その幻影は、頷いてくれた・・・様な気がした。
自分の勝手な思い込みかもしれない。でもそれで良かった。自分が人間を好きになったのだなと自覚することが出来たから。それが誰のおかげかということも良く分かっていたから。
そしてすぐ横のベッドに目を戻す。
(だから、また会おうね)
あとがき
はじめまして。亮と申します。あまりこうゆう事はやったことがないので、至らない点があれば言っていただけると幸いです。
原作の最後の夢の内容が事実と仮定すると、美神が死ぬのは108才(誕生日などは考えないとして)ということになります。それを見て書き上げたのがこのSSです。その設定を生かせてませんが・・・。読み返してみると主役が美神かタマモか微妙なラインですが、一応美神のつもりです。この話に至る経緯ですが、一応設定らしきものは存在します。あくまで設定としてあるだけです。でももしかしたらそのうち書くかもしれません。その時はまたお付き合いお願いします。