病んだ心を持つ少年
閑話 後編
カタリ屋と人形師
「で、用件はなんなんだい、彼の話に来たんだろう、僕と世間話をしに来たわけじゃない」
「まさかな、今あいつの治療をしているのはお前だ、経過を聞きたくてな、どういう具合だ」
「彼、和樹君か、いいとは言えないけど、少しはマシになってきているよ、それに僕のところより君のところのほうに彼等は良く出向くだろう」
言外に僕より知っているんじゃないかなと含めて。
「ああ、黒桐となら偶に話をしているようだな、他の奴らと一緒になって、よく金を払えとせっついて来る、カタリ屋、金貸してくれ」
「それは丁重にお断りするよ、蒼崎橙子君、僕は金融業者でもないからね。
それに式君に借りればいいじゃないか」
カタリ屋がおどけた調子で言う、完全に冗談のつもりだろうが。
「怖いことを言うな、あいつに借りると取立てが厳しそうだ」
確かに式の取立ては、考えるだけで怖い、ナイフを突きつけられるだけでは済まないかもしれない、秋隆とかを差し向けられるのも嫌そうだ(空の境界の不思議人物です、両義家の使用人ですが)。
冗談でも橙子は式には金を借りまい、幹也の給料を滞納しても。
そして滞納することをちっとも悪いことだと思っていなかったりする。
何席にいったアンティークを見つけたら事務所の金で買って、従業員の給金まで使い込む女だ。
因みに現在会話を広げながら将棋に興じている二人だった、プロ真っ青の腕前で一進一退の攻防を続けている。
手だけが別の生き物ように迷うことなく忙しなく動き会話を続けるこの二人の知性はかなり高いようだ。
今更の気もするが。
そしてそのまま会話を続けていく。
私が目覚めたのは女の泣きじゃくる声、良く知った女の声、悲しみと喜びの入り混じった咽び声。
沙弓姉様の泣き声、只ぼんやりする頭でそれが悲しみに染められた響きじゃないことはわかった。
何で泣いているのか朦朧とする頭で考えるうちに。
思考が明確になっていくうちに。
後のことは沙弓姉様に聞いたのだけど私は半狂乱になって兄様を探したのだそうだ。
沙弓姉様が泣きながら取り縋っている兄様に私も取り縋って泣いていた、体の痛みなど無視して。
痛々しい兄様を見たときは涙が止まらなかった。
兄様は私たちの為に、ここまで傷ついたのだから。
全身に刀傷と銃創で傷つけられ、私たちが引き摺っていたときにはかろうじて繋がっていた兄様の左腕と右足が無かったから。
その今や無い腕と足の痛々しさが私の心を苛んだ。
「ふふっ、だがあの時のあいつ等の目はいい目をしていたぞ、私に向ける目は純粋だった」
橙子が自嘲気味に笑い、思い出すように軽く上を向く、そう何かいいものを思い出すように目を細めながら。
「君も悪趣味だ、あれがいい目だったのかい」
カタリ屋は口調とは裏腹に気分を害した様子も無く残り少なくなった菓子を突付いていた、因みに将棋は決着がついたのか手元にあるのはチェスに変わっている。
「ああ、いい目だったさ、純粋だっただろう、あれは純粋な混じり物が無い目だ、式に近い目だったぞ、私はああいう人間は好きだ」
あの時、半狂乱の凛と沙弓が橙子の存在に気がついた瞬間浮かべた表情、一切の感情を排し、向けてくる殺意、その目は敵意に満ち、それに染まっていた、一片の混じりっ気無しに。
痛む体を闘争に適した状態に持っていく速度、感情の切り替えどれもが優れていた。
そして橙子に向けた純粋な、無垢なる殺意、穢れない殺しの空気。
只、横臥する少年を守ると発露する感情と、発動する行動。
ある意味完璧な感情、純粋と言うのには橙子にとって価値がある。
本当に純粋な感情はその種類が愛であれ、憎悪であれ難しいものだから。
稀有なものだから。
美しいものだから。
その感情を浴びるのは心地いいのかもしれない、実際橙子は、思い出したのか更に愉快そうに笑っている、純粋な殺意を叩きつけられた記憶だと言うのに。
「あそこまで純粋に男の為に敵意を向けられるとはね、羨ましいくらいだ、私にはそう言うのは無いからな、ふふ黒桐でもいいかもな、あいつなら自分の全てをかけて愛する相手の為ならああいう目をしてくれる筈だ」
この女、そんな純粋な殺意さえ、凪のように感じ、笑って流して相手の殺意を霧散させたのだから対したものなのだが、いやそれに美さえ感じたのだから。
そう人間が迸らせる瞬間の感情の美を。
そして。
少女達も冷静になれば敵ではないと理解して、と言うより状況に混乱したのかもしれない、何故自分が生きていると言う疑問に。
彼女たちは理解していたはずだ意識を失った時点で待っているのは死だと。
「止めておいたほうがいいとだけ言っておくよ、両儀君に殺されるだろうからね、君が死ねるとも思えないけど、彼女はそんな君さえ殺しかねないから」
一応礼儀のつもりかカタリ屋が橙子の最後の不穏な発言に突っ込む、黒桐幹也は両儀式のものだ、これは確定事項。
「冗談のつもりはないぞ、黒桐のことは気に入っているんだ、寝取ってやろうかとさえ思っている。
式よりは気持ちいいと言う自負はあるぞ」
その眼鏡の無い目つきの悪い美人が妖しげに微笑む、本当に意地の悪い微笑を。
幹也が見たら絶対に何か企んで居ると看破する目をしていた。
因みに何が気持ちいいんだろう。
このときカタリ屋は内心思った、黒桐君、僕の助手に本当にしてあげようかな、と。
なんとなく本当に目の前に居る天才が今言っていることを本当に実行しそうな気がして、その先の未来も簡単に予測できたカタリ屋の心からの同情の発露だった。
基本的に他人に干渉しない彼にしては珍しいことに、黒桐青年に心から同情した。
因みに後日マジに、“赤の称号を冠する稀代の天才魔術師”たる人形師蒼崎橙子と、“全ての生の概念を殺しうる瞳を持つ者”、殺人嗜好者両儀式。
黒桐幹也と言う青年を掛けての、基本的に式が一方的に吹っかけた、大喧嘩が勃発したとかしないとか。
勃発理由は何故か優しげな(この時は眼鏡をかけていた)雇用主に入れられたお茶を飲んだ従業員が何故か朦朧としているうちに半裸になった雇用主がつまみ食いを敢行したのか、敢行前に式が来たのか。
従業員の恋人、和服の美人が冷静に激昂し常時携帯しているナイフで切り掛かったと言うのが理由らしい。
勝者はどちらか不明だが。
殺人技能者たる式と、人形師たる橙子ではこと肉弾戦ではスペックが違いすぎるのではあるが両者生存はしていたらしい。
因みに全身に生傷を作っている従業員が居たとか、恐らく止めるために。
追記。
式に数時間正座させられ頬にナイフをピタピタと叩かれて、因みに半泣きの式に“浮気か”と折檻される従業員が居たとか。
普段感情を滅多に表に出さない女が出した執着心はそれなりに従業員の心を苛み+自分が思われていることに喜び。
それをやはりボロボロの様子でからかって時折誘惑の言葉を投げかける橙子がいたり、その度に殺す目をする式を宥める従業員がいたりと、なかなかに愉快そうな展開が待ち構えていたそうだ。
それ以来、従業員が幸せな不幸という状態に陥ったとか陥らなかったとか。
話が逸れた。
「で、実際のところはどうなんだカタリ屋、式森の具合は、肉体のほうなら問題ない、私が作った義手や義足は、本物以上に機能している、私が聞いているのはあのことだぞ」
「肉体のほうは君が保障するなら問題ないだろう、僕はそんなことできるわけが無いんだから、でも“あれ”かい、君は知っている筈じゃないのかい、幾ら僕が語っても騙っても、覆せないものはある、真実にできないものはある“あれ”がそういうものだと言うのは君がよく分かっているはずだよ、蒼崎君、僕にカタルことで“あれ”は治せない、僕はカタル今年かできない僕には治せない、肉体を復元することしかできない君にも無理だね」
そう一度捩れた鉄の棒がどれだけ直そうと思っても、もう二度と元のように真っ直ぐにはならないようにね。
どれだけ小さな歪みでもそれはもう歪みなんだから。
カタリ屋はそう付け加え、やはり微笑んで、続けた。
「それに君は“あれ”が、歪んでいるからこそ価値があると分かっているだろう、それに彼には“あれ”が必要だ、“あれ”が彼らを守ってくれるはずだよ」
「判っているさ、カタリ屋、確かに“あれ”は興味深い、私の好奇心をいたく刺激される、だが“あれ”は危険だ、必要だが、危険だ」
そう蒼崎橙子と言う女は危険を嫌悪しないし無理に回避しようともしないが、身内を守ろうとする気性は持っている、そして過ぎたる力が自分を、持ち主を滅ぼすことも良く知っている。
目覚めた私達にぶっきらぼうに話しかけてくる女と男か女か判らないけど優しげな銀髪の人。
私たちが助けられたと理解して、警戒を解くと、私たちが質問する前に、目つきの悪い美人が話しかけてきた。
銀髪の人が口を開きかけていて少し悔しそうで、女のほうは少し勝ち誇っている感じだったけど。
「さて、お前ら、不幸にもこんなところに巻き込まれたようだが、諦めろ、全部こいつのせいだ」
顎でしゃくるように銀髪の人、面倒くさいし今更なので以後カタリ屋。
そう、この渦巻きに巻き込まれることは愉快かもしれないが不幸でもある、係わり合いが無いほうが波風の無い人生が送れると言うものだろう。
只ぐるぐる渦巻きに巻き込まれるのはカタリ屋の意思と言うよりはぐるぐる渦巻き自体の持つ意思なのだから彼に何の責も無いのだが。
彼らにとっては幸運であるわけだし。
巻き込まれることによって命が繋がったのだから。
そして橙子は尋ねた、何故血を流し、血を浴びてここに来たのだと。
話したくなければ話さずともいいといったが、ここにはカタリ屋が居る、彼の話術に掛かれば話さない言葉など無いのだろうけど。
カタリ屋はそれをしないだろうけどね、彼は本当に他人に無関心だから、関心がありそうでかれは無関心、過去や素性には囚われないと言う意味ではいいのかもしれないけどね。
只、凛も沙弓も話すことを拒まなかった、壊れかけている彼女達に、そして今生きている奇跡に戸惑っている彼女たちに、そして思い人を助けてくれた恩人に。
何より身を焦がす情念を吐き出したかったのかもしれない。
身に渦巻く、汚い感情をやわらげたかったのかもしれない。
少女達の語りだしたことはあまりに理不尽だったけど。
式森和樹、神城凛、杜崎沙弓、このぐるぐる渦巻きに巻き込まれた三人は、九州に位置する旧家の家の嫡子。
どれもが戦いを現代において生業にするくそったれな一族。
神城は“剣”、杜崎“体”、式森“形無し”、只どの家もが目指すは力、純粋な力。
その力を求め、それ以外と隔絶した狂った一族。
力を求めすぎた一族。
その狂った家の次代の候補として筆頭になった彼等。
“縮地”の凛、“直死の魔眼”の沙弓、“九頭龍”の和樹。
速さを極めた凛。
殺しを極めた沙弓。
そして使い手が地上最強の陸戦生物に至ると言う蝦夷の古武道、否対仙術闘争術九頭龍を会得した和樹。
彼等は齢15で師に到達しうる力を身に付けた。
凄まじいといえる力を、人の限界の力を。
それは悪しき偶然、“縮地”は天才の技でその才がそのとき生まれただけ。
生まれなければ惨劇は起きなかったかもしれない。
“直死の魔眼”は偶発的に生まれる超能力のようなものだ、これはもっと稀有。
得なければ平穏が狂っているが更に狂うことは無かったのかもしれない。
必然で力を得たのは母が“九頭龍”を会得していたことのみ。
只、三人は強かった、悪いのはそれだけだった。
そのくそったれな一族は下らない事を言い出した、力に盲信するクズは下衆なことを思いついた。
“誰が一番強い”力に固執する彼らには重要だったのかもしれない、その力の順位とは。
どの家の次代が最も強いのかと。
故に下らない結論を出した、戦わせればよい、と。
だが、彼等はわかっていた、武術に於いての戦いとは常に殺し合いだと、試合は死合なのだと、故に生き残ったものが一番強い。
つまりは子供たちに殺し合いをせよと命じた。
少女と少年は拒否をした。
少年は当時より家により加えられた虐待のような鍛錬の結果無感情、無表情に近い状態ではあったが。
珍しく激しく拒否をあらわにした。
幼少より共に育った少女と殺し合う事を頑なに拒否した、少女も同様に。
だが拒否は受け入れられず。
故に逃げた、少年、少女が心赦せる、愛しき相手と殺しあうぐらいなら、この下衆な一族などと。
その狂った一族は歯向かった子供に怒って、追っ手を差し向けた“殺せ”と命じて。
だが、彼等は強かった。
阻む親族、兄弟子、師、それを皆殺しにして逃げた。
凛がその速さをもって自分が教えを受けた姉弟子を斬り殺し、沙弓がその魔眼を持って強大な魔術を切り殺す、和樹がその戦闘力を持って血路を開く。
只、彼等は強いといっても個人でしかなく、相手は集団を越えた組織だった、組織に個人では立ち向かえない、それは摂理であり原理。
次第に衰える、人間だから、疲労が、磨耗する神経が、理性が、狂いだす精神が。
それでも彼は、式森和樹は最も多くの血を浴び、血を流した。
只見てはいけないものを見たのかもしれない。
見なければ壊れなかったかもしれない。
今まで何も感じていなかった人間の死に様と言うものを見なければ。
少年が背後に少女二人を庇い迫り来る追っ手に拳を振るう最中、終に追い詰められそれでも最後の盾ぐらいにはなろうと少女の前に立ちふさがったとき。
少年の父と母は、少年に苛烈な虐待のような訓練を課した両親は少年を追い詰めるために追撃し最後の最後で。
少年に止めを刺そうとした人間を後ろから貫いた。
父は優しげな笑みを血の被った顔に浮かべ少年に背を向け追っ手に仁王立ちをして立ち塞がり、母は傷ついた息子に初めて、少年の記憶で初めて涙を見せ、「生きて」と懇願し、伴侶とともに立ちふさがった。
“形無し”の式森、当代“九頭龍”女龍の母、式森憐と“神威”風刹の父、式森和馬、この時、少年の生涯で初めて師ではなく親として。
彼等は和樹に接し。
鬼となった。
少年は二人の末路は知らない、その間に呆然とする少年を二人の少女が引き摺って逃げていたから。
只その後も追っ手があったということは・・・・・・・・・・・。
只二人の夫婦は少年が見えなくなり気配も察せ無くなったとき呟いた、互いにしか聞こえない程度の声で。
既に両手を血に染めて、自身も血を流して、目だけがギラギラと生を訴えるといった状態で。
「愛していたの、和樹、御免なさい」
「沙弓と凛のお嬢ちゃんはお前が守ってやれ、和樹」
そして夫婦は互いに一瞬視線を合わせ。
「さぁ、あなた、私たちが初めて出来る子供への手向け盛大にやりましょう」
「ああ最後の手向けだ、愛していたぞ、憐、和樹」
その後は殺しては逃げ、殺しては逃げを繰り返し、気がついたらぐるぐる渦巻きに巻き込まれていた。
半死半生の和樹を担いで二人の少女が迷い込んだ、この螺旋の不可思議空間に。
これが理不尽な話の顛末、力に心酔した一族の愚かな決断。
その理不尽に巻き込まれ少年は心を、体を、そして特別な“あれ”を歪めた。
体は義体を使い、精神は病み、他人を打ち消した。
そして彼自身が気付いていない“あれ”は・・・・・・・・・・・・・・。
「つまりは“あれ”はあのままだと言うことか、近い内に目覚めるぞ」
「だろうね、でも僕は楽しみでもあるんだ“あれ”の存在は一度は語り合いたいぐらいだよ」
カタリ屋は本当に楽しそうに話す、特に何も心配していないと言う風に。
そう歪んだ“あれ”が顔を出すのを心待ちにしているのかもしれない。
和樹の魂に巣食う存在“ナイアルラトホテップ”。
外なる神。
千の異形。
無貌の神。
這い寄る混沌。
“魔物の咆哮”に記述されし邪神。
さて今回のお話はここでお終いだよ。
では僕は次の舞台でカタルとしよう。
後書き。
今回は和樹が壊れた原因がメインでしょうか、最後の最後で親の愛を見せられ、それを生き延びたが、そのとき心が壊れた、以前から罅が入っていた心に止めを刺されたといったところです。
因みに彼の両親は最後の最後で家よりも息子を選んだと言うことです、虐待のような鍛錬を課しても、それが彼らには普通だったから、より強くなることが当たり前だったからです、只息子の死を目前にして彼らは守らずに入られなかった。
ここで解説。
九頭龍とは電撃文庫、ダディー・フェイスに出てくる主人公の使用する武術です、作者としてはそのまま使うよりは少し弄りますが。
はっきり言うと人間外なる武術です、水の上に立ち、飛んでくるランチャーを掴んで投げ返す、一撃で人体を破壊し、銃弾を見切る、行為の術者になれば無いはずの階段で空さえ歩く武術よりは仙術という規格外の様式。
はっきりいって化け物になる格闘技ですかね。
次回は他のメンバーが登場ですかね、多分、さて誰でしょう、まぶらほか空の境界のキャラです。
ではレス返しです
>九尾様。
名探偵に対する考察は、ぐるぐる渦巻きの小説内にある言葉を作者が引用して自分の意見を加えたものですので小説のほうにも似たようなことは書いてあるのですが。
因みにカタリ屋は本人は探偵ではないと言うくせにやっていることは漫画も名探偵と同じです。
>33様
確かに、どんな名探偵でも自分の周りで事件が起こりますモンね。
>D,様
あのシーンは後日ですね、但しあの場に凛ちゃんは居ませんでした、只あれが本格的に沙弓が壊れ狂う原因です、沙弓が望んだ殺しではありますが。
>1トン様
橙子は幹也と絡ませて式と三角関係と感じでいこうと思います。
名探偵は死を呼ぶ存在は間違いないでしょうから、死にすぎです。
>tetu様
カタリ屋あまり語らせられなかった気が。