「猫ノ妹(8〜12再録)(GS)」桜華 (2004.09.23 01:44)
それは、ケイが横島と暮らし始めて間もない頃のこと。
「いってらっしゃい!」
笑顔で、ケイは横島を送り出した。
バタンと、ドアを閉じる。
部屋の中に、ケイは一人。
「ふぅ」
大きく息をつき、気合を入れる。
さあ――――お仕事を始めるとしようか。
「え〜っと、まずはお洗濯、と」
ケイは洗濯機に洗い物を放りこむ。靴下、ズボン、上着、Tシャツ。大事なもの、痛めたくないものはきちんとネットで囲む。
自分の子供用パンツに、兄のトランクス。
「…………」
兄の下着をまじまじと見詰めるケイ。おもむろに、自分の腰に当ててみる。
「兄ちゃんの、でっか」
ゴムをびろんびろんと伸ばして遊び、それも洗濯機へ。
洗剤を入れて、蓋を閉じ、スイッチオン。
ボタン一つで簡単操作が売りのその洗濯機は、洗濯漕上部から勢いよく水を吐き始めた。
「よし!」
それを確認し、リビングへと戻る。
次は掃除だ。
「と、その前に着替えなきゃ」
一度部屋に戻り、ケイは再びリビングへと現れる。
その姿は――割烹着に、三角巾であった。しかもはたきを装備。
「母ちゃん直伝! 人間の掃除用戦闘服!」
びしりとはたきを彼方に指して言うケイ。いつの間に買ったのやら。
それはさておき、掃除だ。
現代は、掃除機という便利な代物があるのだ。
「ええと……母ちゃん曰く、『妙に鼻の長いずんぐりむっくり』だから――――あ、あった!」
押入れの中に放りこまれていた掃除機を見つけるケイ。それを引っ張り出す。
「次に――鼻の天辺にあるスイッチをオンに、と」
スイッチを入れる形。しかし、掃除機はうんともすんとも言わない。
「あれ?」
首をかしげる。母の言うとおりにしたはずなのだが……
「――あ、そっか。尻尾を入れてないんだ。
母ちゃん曰く、『伸びる尻尾があって、その先についてる二股の棘を壁の穴に差し込め』ば動くんだ」
掃除機後部についてるコードを引っ張り、コンセントを差しこむケイ。
さて、突然だが、ここでケイのこれまでの行動を振り返ってみよう。
1.掃除機を出した
2.スイッチを入れた
3.コンセントを差した
――つまり、スイッチは入れっぱなしだったのである。
当然、コンセントから電力が供給された掃除機は、己の在るべき活動を開始する。すなわち、『吸い込む』のだ。
不運があったとすれば、吸い込み口のすぐ前に、ケイの尻尾があったということであって……
結論。
「みぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?」
ケイは悲鳴をあげて跳びあがった。
「みぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜! みぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
尻尾を吸い込まれて大混乱のケイ。縦横無尽に走りまわるが、コードは思いのほか長く、掃除機は離れない。
そんなしつこい家具を、ケイのエンドルフィン大爆発中の頭脳は敵と認識した!
即座に攻撃行動に出る!
「みぎゃぁ! みぎゃぁ! みぎゃ、みぎゃぁ!!」
猫パンチ! 猫パンチ! 猫キック! 猫頭突き!!
「みぎゃぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
こいつでとどめだ、猫アッパー!!!
たかだかと宙を舞う掃除機。
だがしかし、昨今の家具というのは、思いのほか丈夫なものであって――ぼろぼろになりながらも、しかしケイの尻尾を離さない! そのまま重力に惹かれ、ケイへと自由落下する!
「みぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
自分の攻撃に耐えきった敵に、ケイは混乱どころかヒステリー状態だ!
もはやケイの頭は自分の尻尾がなくならないうちにこいつから逃げることでいっぱいだ! 他のことまで回らない!
爪と牙を存分に立て、ところかまわず全力疾走するケイ。
コタツが切り裂かれ、中の綿が出る。
テレビの上の花瓶が落ち、床に水をばら撒いた。
蛍光灯が割れ、床に粉々になって落ちる。
横島の大事な漫画本が本棚とともに倒れた。その後ろから秘蔵のエロ本が出てきたが、哀れケイの爪の餌食となってしまった。
カーテンは見るも無残である。
そこまで言っても、しかしケイの尻尾は開放されていない。
ああ! なんてしつこい掃除機だ!!
「みぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
逃げられないと知ったケイは、もう一度攻撃行動に出た!
「みぎゃ! みぎゃぁ!!」
リバーブロー! ガゼルパンチ!!
「みぎゃみぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
そして怒涛の連打、ニャンプシーロール!!!
ラッシュ! ラッシュ! 振り子のように円運動をしつつ、その反動を込めて左右からひたすら連打を浴びせ掛ける!!
行け! もはや後がない! 会長に渡された酸素ボンベを使うならここだ!?
「み〜〜〜〜〜〜〜ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
そして決着はついた。死力を尽くし、最後まで立っていたのは―――ケイ!
「はぁ、はぁ、はぁ」
極度の興奮と無酸素運動で、ケイは肩で激しく息をしている。
だが、そのかいあって、尻尾は開放された。もっとも、長時間吸引されていたせいかぼさぼさになっていたが。
「うう〜〜〜〜。尻尾がボロボロ〜〜〜〜〜……にゃ?」
滝の涙を流しながら尻尾をさするケイだが、顔を上げた瞬間、その姿が固まった。
倒れた本棚。割れた花瓶と蛍光灯。見る影もないコタツとカーテン。
破壊され尽くした掃除機。
ケイの顔に、さぁっと縦線が入る。
「…………どうしよう……」
その顔が青かったのは、無酸素運動ゆえのチアノーゼだけではないだろう。
その日、横島が帰宅したとき。
「あうう〜〜〜。兄ちゃん、ごめんなさい〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
大泣きしながら、花瓶をのりでくっつけようとするケイ(割烹着+三角巾)の姿があったとか。
ちなみに、洗濯物はまだ干されてはいなかった。
おそまつ
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ケイはリビングにて、料理雑誌を読んでいた。
最近の愛読書である。ケイは料理の腕は確かだが、山育ちだったためにそのレパートリーは少ない。マヨネーズなんか知らなかったし、秋刀魚とかの海の魚はここへ来て初めて食べた。
料理の種類を増やすため、ケイは目下勉強中なのである。
――と、ケイの耳がピくりと揺れた。捉えた音に反応し、ケイが雑誌から顔を上げる。
「兄ちゃんが帰ってきた。けど、これは――?」
化け猫の超感覚が捉えた、兄の足音。それを間違えるはずがない。
問題はもう一つ、足音があるということ。
覚えのないリズムで、その足音は地を刻む。
やがて二つの足音は、部屋の扉の前まできた。
がちゃりと、ドアが開く。
「ただいまぁ」
いつもならば玄関まで走って跳びつくのだが、今日はそれはなかった。
ケイはリビングの影から顔を出し、玄関を見る。
横島の隣に、一人の男性が立っていた。スーツを見事に着こなした、しっかりとした印象を受ける男性だ。男のくせに腰よりも長く伸ばした髪に、長髪の人物に縁がないケイはちょっと驚いた。
「ケイ? ―――ああ」
視線に気づき、横島が苦笑する。
「こいつは西条ってんだ。スケコマシの穀潰しの女ったらしの世間知らずの坊ちゃん」
「だれがスケコマシの穀潰しの女ったらしの世間知らずの坊ちゃんだ。妄想癖と虚言癖と絶叫癖を兼ね備えた前科持ちの助平大王が。
――――初めまして、ケイさん。西条といいます、よろしく」
横島の紹介に、男性――西条輝彦は同じく嫌味で応えた。
再びリビングで一人、ケイは料理雑誌を眺めていた。
横島と西条の二人は、あれからすぐに部屋へと入っていった。なんでも、西条は横島の家庭教師とやらをしているらしい。大体において週に1回か2回、こうして2時間ほど教えて帰るのだ。
ケイは雑誌を眺める。
読んではいない。部屋のことが気になって、ケイは仕方がなかった。意識を集中して、部屋の音を聞き取る。
『じゃ、30分したら戻ってくるから』
『おう』
西条が部屋から出た。そのまま、こちらへとやってくる。
ケイは慌てて雑誌に顔を伏せた。今までずっと山にいたために気づかなかったが、自分はどうやらこんなにも人見知りが激しいようだ。
そんな自分を見て、西条が苦笑する。無理に会話をすることなく、リビングを横切り、台所へ――
「あ……」
「ん? どうかしたかい?」
慣れた手つきで、棚からコップを取り出す西条。どれだけその場所に馴染んでいるかが、よくわかる。自分以上に、彼はこの家に慣れている。
「ボ、ボクがやります!」
「そうかい?」
ケイは慌てて立ち上がった。小走りで台所へ行き、西条の手からコップを奪う。
「コーヒーでいいですか?」
「ああ。お願いするよ」
リビングへと戻る西条を見て、ケイは安堵した。
横島は料理がからっきしで、だから台所はケイしか使用しない。飲み物とかも、いつもケイが出す。時々横島が手伝おうとするが、彼女は頑として拒み、兄を台所に入れはしなかった。
それは横島の役に立ちたいがためであり、母から教わった男女の概念であり、台所は自分の城だという縄張り意識からであった。
だから、縄張りを守れてケイは安堵した。自分の役割を奪われずにすんで安堵した。
コーヒーを造り、リビングへと踵を返す。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
ケイからカップを受け取った西条は、そのまま口へと運んだ。
よくあんな熱いもの飲めるな、と感心しつつ、ケイは 西条の向かい側に腰を下ろした。
「ケイくん、だったね?」
「はい」
「化け猫なんだって?」
「……はい」
「で、横島くんの妹か」
「悪いですか?」
人間ではなく化け猫である、すなわち兄と種族を異にする事を指摘され、ケイはむっとした。
苦笑しつつ、西条は首を横に振る。
「気に障ったのなら謝るよ。いや、なに。彼らしいと思ってね」
「らしい?」
「ああ。以前も、除霊対象相手に情けを見せたことがあった。ほっとけないとか、その程度の理由でとどめをさせないことがね」
それは兄の優しさからだ。自分だって、兄がいなければ今ここにはいない。3年前に、あの髪の長い女に殺されていたことだろう。
「ま、つまりは甘チャンだってことなんだけど――僕は、嫌いじゃないな」
「ボクもです」
くすりと、ふたりして笑い合う。
『なぁにぃ!?』
と、向こうの部屋から横島の絶叫が響いた。
「どうやら躓いたようだね、彼は。時間からして最終問題あたりか」
「兄ちゃんはなにをやってるんです?」
「前回の復習だよ。僕が作ったプリントでね。見るかい?」
言って、西条はケイにA4の用紙を1枚手渡した。内容を、ケイは声に出しながら読み進める。
「『ボガードが遊園地に侵入した。アトラクションに誤作動を与える危険を回避するために、
(1)ボガードの特徴、性質、弱点を記せ。
(2)平均的なGSに推奨される装備と行動を記せ。
(3)自分が用いるであろう装備と行動を記せ。』
なんです、これ?」
「オカルトGメンに記録されている除霊ケースから抜粋してね。
彼は実力は確かなんだけど、知識がまったくと言っていいほどないからね。敵について知っているといないじゃ、それこそ雲泥の差だよ」
「それはわかりますけど……(2)は、やる必要ないんじゃないですか?」
「大ありだよ。彼に常識の線引きを誤らせないためにもね」
横島がこの世界に入ってからであったGSの中で、一般的な技術の持ち主は、実は3人しかいない。雇用主の美神令子、その師である唐巣神父、そして西条だ。もちろん、その実力は一流であり、並の及ぶところではない。だが、3人とも、これと言って目立った能力を持っているわけではないのだ。
他の連中はといえば、バンパイア・ハーフのピート、妖狐のタマモ、人狼のシロ、テレパスのタイガー寅吉、魔装術の伊達雪之丞、式神使いの六道冥子、呪術師の小笠原エミなど、なんらかに特化した、あるいは先天的な特殊能力を有する者ばかりである。
「色々とバラエティーに富んだ連中だからね。(2)と(3)で、自分と一般の間を浮き彫りにさせてるんだよ」
「ふぅん。でも、兄ちゃんが叫ぶような問題なの、これ?」
「いや、それは多分4問目だろう」
「3問までしかないよ?」
「直前に加えたんだよ。もう一つ、彼の線引きを疑うべきものがあって――」
ばたん、と。部屋の扉が開き、足音も慌しく、横島がリビングに駆け込んできた。
「西条! ラストのこれはいったいなんだ!?」
西条にプリントをつきつける横島。
ケイが覗きこんでみると、一番下に手書きで、
『(4)この仕事の報酬はいくらが適当か?』
とあった。
「……なにこれ?」
「そうだ! なんだこれは!?」
ケイという味方を得て、勢い込む横島。
「だってほら、君はずっと令子ちゃんのところで働いているじゃないか。だから、金銭面においても感覚が間違ってないかなと思ってね」
「いくらなんでもあの女が金にがめついって事はわかっとるわ!」
「じゃ、いくらだと思うね? この仕事の報酬」
「え? えっと………………50万?」
頭を捻りに捻って出した横島の答えは、相場のはるか下であった。
「……なんでそんなに安いんだい」
「だってだって、ずっと貧乏やったんやもん! 自給250円で一日一食なんざざら! 3日間水だけで過ごしたりしたりなんかしちゃったりしてお前そんな俺が1000万とかの大金を想像できるかいやできるない!!」
反語法を使ってわめく横島。西条の懸念とは逆の方向で線引きを間違っているようだ。
「苦しかったもんねぇ。長かったもんね、250円時代。255円も合わせれば20巻分だよ」
「兄ちゃん……可哀想……」
横島の絶叫に思わず涙する二人。西条はなにやらわけのわからない電波を拾ったみたいだ。
「自宅と仕事場の往復で自給一時間分飛ぶんだぜ? 空きっ腹かかえて歩きで帰ってる途中で金落として追っかけたら美神さんにぶつかって痴漢呼ばわりされて派出所連れてかれて前科持ちだよコンチクショー!!」
「いつ聞いても涙なしではいられないね、そのエピソードは……」
「兄ちゃん……ぐす……」
「ああ。あのときのカツ丼は美味かったなぁ……」
遠い目をする横島。さめざめと流す涙が哀愁を誘う。
それはさておき。
「で。問題はできたのかい?」
「ああ、一応、全部」
「よし。じゃ、答え合わせといくか。
ケイくん、コーヒーありがとう。おいしかったよ」
そうして、横島と西条はリビングから去っていった。
一人になったケイ。西条の使ったコップを、台所に持っていく。それを洗いながら、横島の部屋の音を聞くべく、聴覚に集中する。
『だから、ここで神通棍は危険だろう? ボガードは機械に侵入できるんだから、外れれば大惨事だよ』
『そうか? まずはずれはしないと思うが』
『君、令子ちゃんの場合を考えてるだろ? 確かに彼女ならはずさないけど、普通は七割程度だよ、命中率。それに鞭状にもなってないから、確率はさらに下がるだろうね』
『あ、そっか』
『それから君の場合だけど。ここで文珠の使用は安易過ぎないかい? 確かに一発でケリはつくけど、文珠のストックがない場合はどうするんだい?』
『そうだな。必然的に、『栄光の手』が主軸になるな』
『文珠とて万能じゃないんだ。それなりの制約も存在する。文珠に頼った戦いは控えるべきだよ』
『おう』
ちゃんと勉強をしているみたいだ。
コップを水切りかごに置き、リビングへと戻る。
料理雑誌に目を通しながらも、やはり意識は部屋の会話へと向いていた。
『それにしても、いい子だね、ケイくんは』
『……手ぇ出すなよ?』
『出さないよ。僕の守備範囲はもっと上からだ』
『どうだか』
『失敬な。――参考までに聞くけど、仮に手を出したとしたら、どうする?』
『文珠で完膚なきまでに消し去ってやる』
『おお、恐い恐い。相変わらず、君は身内のことになると冗談が通用しないね』
『大事な妹だからな。彼女の母親には恩もあるし』
くすりと、兄の笑う声が聞こえた。
『どうしたんだい?』
『いや――玄関開けるときさ、「ただいま」って言うんだ。するとさ、「おかえりなさい」って声が返ってくるんだよ。
なんでもないことだけど……なんか、それが嬉しくってな』
『……そうか』
『高校から5年間一人暮らしだったからなぁ。結構、寂しかったのかもな』
『よかったじゃないか』
『ああ。家事全般もやってくれるし―――ほんと、俺にはもったいないくらいに、よくできた妹だよ』
「―――そんなこと、ないよ」
にこりと、ケイは笑う。
「兄ちゃんこそ、とってもいい兄ちゃんだよ。
ボクを助けてくれた。ボクを抱きしめてくれた。ボクを暖めてくれた」
立ちあがる。
お茶を入れよう。眠気の吹き飛ぶコーヒーがいい。西条さんはブラックだった。兄は砂糖を1杯。
お茶を入れて、持っていこう。それで少しでも、兄が喜んでくれるなら。兄の役に立てるなら。
「兄ちゃん、西条さん。お茶が入ったよ」
「おお。ケイ、サンキュ」
コップを渡すと、お返しとばかりに頭を撫でてくれた。
それがとても暖かで、それがとても優しくて。
ケイは、頬が緩むのを押さえきれなかった。
「えへへ」
顔を赤らめて照れ笑いしながら、心の底から思う。
(―――ほんと、ボクにはもったいないくらいだよ)
そうして、幸せな日常は過ぎていく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人でごった返す、黄昏時の商店街。
夕食の買い物をする主婦、学校帰りに遊びに寄る学生、仕事帰りのサラリーマン。
さらには季節柄、クリスマス商戦で看板を掲げるサンタクロースが加わり、その混み具合は従来以上であった。
そんな中を、たくさんの買い物袋を抱えて、ケイは歩いていた。
いつもの、夕飯のための買い物である。しかし、今回はそれだけではない。
もうすぐクリスマス。クリスマスといえば、恋人と過ごすか、家族と過ごすか、あるいは一人で泣き寝入りをするかの三択を迫られるものだ。
そしてケイは、その聖なる日を家族と過ごす。兄、横島忠夫と。
そのための買い物である。
ケイがクリスマスの存在を知ったのは2週間ほど前であろうか。ちょうど、商店街でクリスマスソングが流れ始めたころだ。色鮮やかに飾られた、ツリーやイルミネーションを、ケイはとても不思議に思った。
だから、兄に聞いてみた。その答えがクリスマス。キリストの生誕日とされる日が近いということを知った。その日を、皆祝うことも。
だから、今日のケイの買い物は多かった。クリスマスツリーに、ケーキを作るための材料、その他もろもろの飾り付け。
胸に抱えた荷物は、小柄なケイの視界を被い尽くすほどだった。
前が見えなくとも、ケイは超感覚を持つ化け猫である。聴覚や触覚で、周りの状況はある程度把握できている。
帰ったらまず、この荷物を隠そう。明日、兄が帰って来るまでは絶対にばれてはいけない。そうでなくちゃ、兄を驚かせられないから。
きちんと隠したら、プレゼントを作るんだ。もう2週間前からずっとやってる。初めてだからなかなかうまくいかないけれど、完成には程遠いけど、なんとか間に合わせなくちゃ。
そんなことを考えながら、尻尾をゆったりと振りながら、ケイは商店街を歩く。
しかし――もう一度言おう。ケイは前が見えなくてもさして問題はない。しかしケイは小柄である。そして商店街は、今は人ごみが激しいのだ。
つまり――
ドン!
「うわ!」
ケイは誰かに背中を押され、小柄ゆえにバランスを崩した。
ドン! ドン!
「うわわ!」
また押される。荷物が崩れかけ、慌てて押さえた。
ドン! ドン! ドン!
「うわ! うわ! うわわわ!」
なんとか荷物を落とすまいとするも、次々と押されていく。
どんどんどんどん押されていく。自分の意図とは関係のない方向へ。
しばらくして、なんとか解放された。押し出された先に、人がいなかったのだ。
どんな人ごみの中にも、なぜか、ふっと人のいなくなる場所がある。
ケイが押し出されたのは、そんな空間だった。
「うわあ!」
しかし、ずっと押されつづけていたそのベクトルは、急に静止できるはずもなく。
それどころか、ケイを押す、逆に言えばケイを支えていた人の壁がいきなり消失したことで、ケイは今度こそバランスを崩した。
身体が斜めに傾く。それを止めようとして、足が出る。一歩。
胸に抱えた荷物も傾く。落とすまいとして手が出る。二歩。
袋の中から、上にあったものが顔を覗かせる。なんとかキャッチしようとして、身体を伸ばす。三歩。
とん
ケイは4歩目を踏み出すことができなかった。再び、人の壁に当たってしまったからだ。
「……大丈夫?」
紫色の奇妙な衣服に身を包んだ金髪ナインテールの女性は、ケイを支えながら、そう尋ねた。
「怪我はござらんか?」
その後ろで荷物を受け止めてくれた、白髪の髪を後ろでまとめた女性がケイを覗きこむ。前髪に一房、赤色のメッシュが入っている女性の服もまた、隣と同じ紫。
なにかの制服だろうか、と、ケイはそれを見て思った。
「あ……大丈夫です。ありがとうございます」
「そ。ならいいわ」
「気をつけるでござるよ。人ごみは危ないでござるからな」
言うと、白髪の女性は、ケイの荷物を持ってすたすたと進んでいく。
「ちょいと、バカ犬。どこ行こうってのよ?」
「その娘一人にこの荷物は多すぎるでござろう? 途中まで運んであげようと思ってな」
「あんたねぇ……はぁ。で、道はこっちでいいの、きみ?」
呆れ顔で嘆息した後、金髪の女性はケイに尋ねる。
「あ、はい。合ってます。そっちで」
「そ。んじゃ、行こうか」
そして、金髪の女性はケイの手を取り、歩き出した。
人ごみを掻き分け、彼女らは商店街を抜けた。
その後の道も同じだったため、白髪の女性は分かれ道まで荷物を持つと言い出した。
金髪の女性も、ケイの手を離しはしなかった。
悪いと思いながらも、ケイは断りきれずに、されるがままになっていた。
道すがら、彼女らは歓談する。
「へぇ。じゃ、お兄さんにプレゼントを? しかも手作り? やるわねぇ」
「どっかのアホ狐とはちがうでござるなぁ」
「言うじゃないの、バカ犬。あんただってろくにプレゼントも用意してないくせにさ」
「はっはっはぁ! ちゃぁんと用意してるでござるよ!」
「……言っとくけど、『肩叩き券』とか『お散歩同行券』とかはプレゼントに入らないからね」
「うぐ!」
「なんだ、図星?」
「そ、そういうお前こそ、どうなのだ!? ちゃんと、ぷれぜんとを用意しているのであろうな?」
「もち」
「……あらかじめ言っとくが、『油揚げ1年分』とかは、ぷれぜんとでなくて嫌がらせでござるよ?」
「なんでよ!? 最高じゃないの、油揚げ1年分!!」
「図星でござったか」
最初はいささか緊張していたケイだったが、
「あ、この制服? 六道女学院って高校の制服なの。知らない? そう」
「普通科の他に霊能科っていうのがあることで有名でござるが……知らないでござるか」
「きみはどこの学校? ――え? 通ってない? 学校に行った事もないって?」
「じゃ、こっちにきたのは最近でござるか? ――は? いや、だってお主、化け猫でござろう?」
「どうしてわかるかって……そりゃ、わかるわよ。私もこいつも人間じゃないし。私は妖孤で、こいつは人狼。ヒトよりも感覚ははるかに優れてるわ」
「別にそう驚くことでもござらん。他はどうか知らぬが、この街には結構いるでござるよ、人間社会で生活している妖怪は」
二人もまた、自分と似た境遇であることを知り、
「じゃ、お兄さんは人間なんだ?」
「いいでござるなぁ。道を失った妖怪に手を差し伸べる。その御仁は、さぞや素晴らしい方に相違あるまい。まるで先生みたいでござるよ」
「あんたねぇ。あいつがそんなことすると思う?」
「思う!」
「……ま、あいつならやりかねないわね」
「やる!」
徐々に、話に華が咲き始めた。
「拙者の先生? 素晴らしい方でござるよ。ちょっとスケベでござるが」
「あれでちょっと?」
「ちょっと! それに、とても心優しいのでござる。お主の兄君よりも、きっと優しい――いいや、先生のほうが優しいでござる」
「そんなのいいでしょ、どっちだって。――よくない? きみも結構頑固者ねぇ。両方とも同じくらい優しいでいいじゃない」
そして、分かれ道。
「なんだか、寂しいでござるなぁ。せっかく仲良くなれたのに」
「ごめんね。本当は家まで送ってあげたいんだけど、ちょっとこれから用事があるから」
すまなそうにする二人に礼を言い、ケイは一人、違う道へと歩き出した。
いつもと同じ、一人きりの帰り道。
住宅街に入り、クリスマスソングはもはや届かない。
イルミネーションも、家々がやっているこじんまりとしたもののみだ。
面白かったな、と、ケイは先ほどまでの二人を思い出す。
荷物を持ってくれた白髪の女性。
手を繋いでくれた金髪の女性。
そこには、兄とはまた違った暖かさがあった。
言うなれば、姉、だろうか。同姓ゆえの気安さがあった。
また会えるかな、と期待し、また会えるよね、と思う。
「――そういや、名前も聞かなかったな」
まさか、今から戻って名前を聞くわけにもいくまい。用事があると言ってたし。
「失敗したな」
まぁ、仕方がない。
ケイはすぐに頭を切り替えた。
時刻は、いつもより少し遅い。あの二人との会話が楽しく、ついついゆっくりしてしまったのだ。
兄が帰って来るのはまだ先だろうが、確実にそうと言えるわけでもない。急いで帰って、この荷物を隠さなくては。
帰って荷物を隠して、夕飯の下拵えをしとこう。兄へのプレゼントはそれから作る。
間に合うだろうか? いや、間に合わせるんだ。ぜんぜん間に合うペースじゃないけど……絶対に、間に合わせるんだ!
荷物を落とさないよう細心の注意を払いながら、ケイは歩調を速めた。
明日はクリスマス。
兄ちゃん、喜んでくれるかな……?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<前編>
「……は?」
昼下がりの仕事場で、彼女――美神令子は自分の耳を疑った。今のは聞き間違いだろうか? そうに違いない。
「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれる?」
「ですから、今夜は用事があるんで、クリスマスパーティーは休ませてくださいと」
「……………………は?」
聞き間違いでなかったことを確認し、ならばと自分の頭を疑った。私は正気でいるのだろうか? 気付かないうちに悪霊に取りつかれたのではないか?
でないと目の前のこの男から――横島忠夫から、そんなセリフが聞けるはずがない。
「どうしたんです、美神さん?」
美神が呆けていると、扉が開き、もう一人の正社員が入ってきた。蒼がかった髪を腰の下まで伸ばした、巫女でありネクロマンサー、氷室キヌだ。
「ああ、おキヌちゃん。いや、ずっとこの調子なんだよ、今日のパーティーを休むって言ってから」
「ええ!?」
横島のセリフに、キヌもまた、驚愕する。
「なになに?」
「どうしたでござるか?」
キヌの大声を聞きつけ、階上から二人の少女が降りてきた。金髪をナインテールにしたタマモと、銀髪に赤いメッシュを入れたシロ。
「横島さん! パーティーを休むって、その、あの、どうして――!?」
「んー? いや、今夜は」
「うそ!?」
「いったいどういうことでござるか、先生!?」
三度、驚愕の声。しかも今度は二重奏だ。
「ま、まさか先生、拙者というものがありながら……」
「横島、彼女できたんだ?」
美神・キヌ両名が言えなかったその言葉を、タマモはあっさり口にした。
「いや、彼女じゃないよ。今夜は家族と一緒に過ごそうと思ってな」
「なんだ、家族でござるか」
横島の説明に一安心するシロ。しかし、他の三名は懐疑的だ。
「そういうことなんで、今のうちにプレゼント渡しておきます」
言って、横島は全員にプレゼントを手渡す。
「はい、おキヌちゃん」
昼間プレゼントを貰っても、嬉しくもなんともない。むしろ蔑ろにされているようで、悔しい。
「じゃ、仕事行ってきますんで」
バタンと扉を閉めて、横島が退室する。
後に残るは、四人の女性。
一人が言う。
「……タマモ」
「わかってる」
そしてタマモは、横島の後を尾けはじめた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ダメだ! 間に合わない!」
部屋の中。ケイは作りかけのプレゼントを放りだし、ベッドに仰向けに倒れた。
そろそろ飾り付けを再開しなければならない。ケーキだって、まだ下地しか作ってないし。その上、プレゼントまで完成させなくちゃいけない。
それを全部一人でやろうというのだ。土台、無理だったのかもしれない。
「……むり?」
ならば、ケーキ作りを諦めるか? 市販のものを買ってきて間に合わせる?
ならば、飾り付けを諦めるか? 適当にやって、それでごまかす?
ならば、プレゼントを諦めるか? 未完成で手渡すのか?
「……やだな、それ」
どれもいやだ。
市販のケーキなんて嫌いだ。自分が作ったものを食べてくれるから嬉しいんじゃないか。
飾り付けを面倒がってどうする。せっかくのクリスマスなんだ。部屋も美しくしたい。
プレゼントを未完成で? 笑わせる。そうなら、はなから作らないほうがマシだ。
自分の兄への愛情は、そんな程度ではないはずだ。
「よ、っと」
ケイは腹筋に力をこめて起き上がり。
「よし! まだもう少し時間がある。ぎりぎりまでがんばろ!」
再び、プレゼント造りを再開した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「おお、坊主。いらっしゃいアル」
「おいっす、厄珍。頼んでたもの届いてるか?」
厄珍堂に、横島が顔を出す。
「ああ、届いてるアルよ。ほれ」
「さんきゅ」
品物を受け取る横島。すでに包装がなされ、その中身は窺い知れない。
「それにしても、クリスマスプレゼントに奇妙なものを選ぶね、坊主は」
「ん……これが一番、あいつが喜ぶと思ってな」
「誰ね? それ使うとしたら、おキヌちゃんか? それともシロちゃんか? タマモちゃん? 令子ちゃんなわけないからね」
「違うよ」
「じゃ、誰ね? あの四人以外に、坊主に女に縁があるとは思えないね」
「おいおい、酷い言いようだな」
苦笑し、横島は包装紙を撫でる。
「―――妹だよ」
「妹? 坊主、妹いたアルか?」
「ああ。最近、できた。とても大切な――家族だ」
微笑むその瞳は、とても優しい。
「ふぅん。ま、頑張るね。あ、御代はこんだけね」
「……た、高いな」
「これでもサービスしてるね。坊主んとこには世話になってるしね」
「もちょっと負からないか?」
「負からんね」
「そこをどうにか!」
しばらく交渉を繰り返した後、横島はなんとか1割引でプレゼントを購入したのであった。
「清しこの夜、か」
今夜はクリスマス。
彼女と過ごす、初めての。
「喜んで、くれるかな?」
プレゼントを抱え、期待と不安で、横島は呟いた。
商店街から、クリスマスソングが小さく響いていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<後編>
「ただいまぁ」
「おかえりなさぁい!」
横島の返事とともに、ケイが玄関まで駆けてくる。
そのままダイビングしてくるケイを、横島はがっしりと受け止めた。
「ただいま」
「お帰りなさい、兄ちゃん」
再び、帰宅の挨拶。
扉を閉め、中に入る。
居間に入り――横島は、驚愕した。
モール、ツリー、プレート。部屋は、朝とはまったく違った様相を呈していた。
「こりゃぁ……すごいな」
「まだ、ツリーの飾り付けがすんでないけどね」
「手伝うよ」
「兄ちゃんは休んでてよ。仕事で疲れてるでしょ?」
「二人でやったほうが早いよ」
二人での飾りつけ。
ツリーは結構大きく、確かにケイ一人では大変そうだった。
「これを、こっちに――サンタはこの辺でいいか」
「兄ちゃん、こんな感じでどう?」
「おう、いい感じだ」
そして最後に、二人で天辺に星をつけて――
「よし、完成!」
ツリーの飾りつけは、終了した。
「じゃ、兄ちゃんは部屋にいってて。料理の準備してくるから」
「手伝う……」
「もうほとんどできてるから。後は運ぶだけ。いいから任せてよ。準備できたら呼ぶから。それまでお部屋で待機! わかった!?」
「……わかりました」
ケイの強気な態度に、思わず了承してしまう横島。
自室に戻り、10分ほどたっただろうか。
「兄ちゃん、いいよー!」
ケイの呼び声で居間へと戻る。
パン! パパン!
部屋に入ると同時に、クラッカーでのお迎え。
「メリー・クリスマぁス!」
その微笑みに、横島も笑顔で返す。
「メリークリスマス、ケイ!」
そして横島は、今日の昼に買ったプレゼントを出した。
「兄ちゃん、せっかち。プレゼントは最後だよ」
「いや、これは今渡したいんだ。今のほうが、きっとケイも喜んでくれると思うから」
「むぅ。わかった」
段取りを崩され、ケイは少し不満げだった。
それでも、部屋からプレゼントを取ってきて、横島へと渡す。
袋から取り出されたのは、50cmほどの編物だった。白一色の、特にこれといった模様もない編物。
「………マフラー、か……?」
ケイを見ると、恥ずかしげに俯いていた。
「あの……その……初めてだったんで……色々、頑張ったんだけど、その、それくらいのものしか作れなくって……長さも足りなくって……ごめんなさい……」
もじもじと胸の前で指をこすり合わせながら、ケイは言う。
その仕草がなんだか可愛らしくて、横島は苦笑した。そのまま、白いマフラーの出来損ないを首に巻く。
「あったかいよ」
「うう〜。でも、未完成……結局、間に合わなかった……」
「いやいや。俺は嬉しいぞ。ケイがこんなにも頑張って作ってくれて。ありがとな」
言って、横島はケイの頭を撫でた。
その暖かさに、ケイは頬を染める。
「に、兄ちゃんのプレゼントは、なに?」
「これ。開けてごらん」
恥ずかしさも手伝って早口になった問いに、兄は笑ってプレゼントを手渡した。
包装紙を取ると、中身はろうそく。青色の、30cmほどのろうそくだった。
確かに、これはパーティーの間に使ったほうがいいだろう。ケイは納得した。
でも、せっかくのクリスマスプレゼントが、ろうそくだなんて。ケイは兄のプレゼントに、少し悲しくなった。
それが表情に出たのだろうか。横島はケイからろうそくを取り上げた。
「あ……」
怒ったかと思ったが、見上げた兄の瞳は優しい。
「ケイ、電気を消して。ろうそくに火をつけよう」
「は、はい」
言われたとおりに電気を消す。闇が訪れた。
摩擦音とともに、マッチに火が灯る。横島は順番に火をつける。
ケイが用意したろうそくすべてを灯した後、真ん中に自分の買ってきたろうそくを置く。
「ケイ」
横島は、自分の妹に呼びかける。
「正直、これがケイのためになるかといわれると、俺には自信がないんだ。
だけど、俺自身も会いたいし。なによりケイも、もう一度会いたいだろうから」
なにを言っているのだろう? ケイは兄の言動に首をかしげた。
「だから……点けるよ」
そして、横島はろうそくに火を灯す。
「! なに!?」
超感覚を持つケイが、素早く周囲の変化に反応した。
霊気が、ろうそくの上方に向かって収束している。
あれが呪的道具であったことに、ケイはようやく気づいた。
収束した霊気は、ある一つの形を作り上げる。
「あ……」
ケイの口から、言葉にならない声が漏れた。
あまりの驚愕に、手足の震えが止まらなかった。
瞳には、涙さえ浮かべて。
そこに現れた霊。それは――
「かあ………ちゃん……」
娘の呼びかけに、彼女の母、化け猫の美衣は微笑んだ。
驚愕が過ぎ去った後に訪れるのは、歓喜という名の感情の激流。
溜めに溜め込んだ想いが、決壊した。
「かあちゃあああああああああああああああん!!!」
ケイは母に飛びついた。
母の幽体は、ケイをがっしりと受け止める。
二人きりのクリスマスを祝おうと、ケイは思っていた。兄と二人きりで。それは、今の自分にとって兄がすべてだから。
だから、プレゼントが単なるろうそくだと知ったとき、ケイは落胆した。自分は兄に愛されていないのかと思った。
しかし違った。
兄のプレゼントは最高だった。自分が期待していた以上に最高だった。
もう会えないと思っていた母に、会わせてくれた。
「かあちゃん、かあちゃん、かあちゃん……!!」
自分でも制御できない感情に身を任せ、ケイはひたすらに泣きじゃくった。
兄からのプレゼント。それは母との再会。
兄からのプレゼント。それは3人でのクリスマス。
「兄ちゃん……ありがとう……!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ケイは笑った。
その日、ケイは家族で、楽しい楽しいクリスマスを過ごした。
『清しこの夜』を歌った。意外にも、一番オンチなのは美衣だった。初めて聞く歌だから、仕方あるまい。
作ったケーキを切り分けた。幽体ゆえに母が食べれなかったのが残念だ。でも、自分の口周りについたクリームを拭き取ってくれた。それだけで、とても嬉しかった。
色々とお話をした。兄と出会ってからの生活。母は逐一頷き、微笑みをもって聞いてくれた。
そんな、夢中になったパーティーが過ぎ去っていった。
夜もふけ、ケイは美衣の膝で寝入ってしまった。
とても幸せそうな顔だ。横島すら見たことのない、あどけない顔。子供の顔。
(無理してたんだろうなぁ)
まだ遊びたいざかりなのに、家事を一手に引き受けて。
突然、子供から大人になることを強要されたのに。不平もなにも言わずに。
美衣はケイの頭を撫でている。優しく、嬉しそうに。幸せそうに。
それが、本来あるべき姿だったはずだ。2年前のあの事件がなければ、この化け猫の親子は、今もまだ、あの山奥でこうして暮らしていたことだろう。
自分がもっとうまく動けていれば、こうはならずにすんだのかもしれない。
自分が美衣を殺したも、同然――
『そんな事はありませんよ』
思考が中断する。
意識を戻すと、美衣がこちらを見つめていた。
「……声に出してた?」
『いいえ。でも、そんなに沈んだ顔をされては、何を考えているかはおよそ察しがつきます。
横島さん。あの出来事にあなたがどのようにかかわっていたのか、私にはわかりません。
ですが、これだけは言えます。
私の死は、あなたの責任ではありません。ですから、そんなにご自分を責めないでください』
「……ありがとう」
横島は笑う。まだ影を引きずっているが、それでも笑う。
美衣も笑う。横島を安心させるために、心から笑う。
「ケイ、喜んでたな」
『私も嬉しいです。横島さん、ありがとうございます。もう一度、この子と会わせてくれて』
「よしてくださいよ。俺の都合でやったことなんだから。俺だってもう一度美衣さんに会いたかったし、それに、俺がケイの喜ぶ顔を見たかったから」
『どうです、ケイは? きちんとやってますか?』
「ああ。俺にはもったいないくらいによくやってくれてる」
『この子には、本当に苦労させてしまいました。私が床に伏してからは、家のことすべてを引きうけて。まだ遊びたい年頃なのに』
「…………」
『なによりも、この子を残して逝ってしまった。この子の嘆きようは、それはもう、見ていられませんでした』
「だから、霊になってまで見守っていた?」
『はい』
「愛してるんだね、ケイを」
『もちろんです』
沈黙。ケイの寝息だけが響く。
『ありがとうございます』
「なに?」
『ケイを受け入れてくれて』
「気にすんな」
『この子、横島さんのこと大好きで。いつもいつも、横島さんのことを話してました。また会いたいと言ってました。
――ありがとうございます。この子の、兄になってくれて』
「だから、気にす――」
横島の返事が、美衣の唇によって塞がれる。
キス。
自分の唇に触れる美衣のそれは、とてもとても、冷たかった。
自分の唇に触れる横島のそれは、とてもとても、暖かかった。
やはり彼女は死んでいる。横島は改めてそれを実感した。
やはり自分は死んでいる。美衣は改めてそれを思い知った。
『お礼と――私の気持ちです』
言うと、美衣は横島の胸に頭を預けた。
「み、美衣さん――?」
『ケイから聞きませんでした? 私も、あなたが大好きなんです』
だからこそ、悲しい。やるせない。
死んでいる。それが悲しい。生者との恋はありえない。これ以上、進みようがない。
死んだ、それはすなわち、終わったということだ。生者の世界には、自分はもはや入れない。
『イヤリング――着けてくれてるんですね。ありがとうございます』
ズボンに固定されている鈴のイヤリングを見て、美衣は嬉しさに目を細める。
胸に頬をつける。伝わる心臓の鼓動。今の自分にはない脈動。
それが、今の自分と彼との、自分と娘との、決定的な差。
だから、自分はもう、娘の面倒を見れない。娘を守れない。娘の傍にいてやれない。
『横島さん』
すっと。美衣の腕が、横島の胸の中へと沈んだ。
「美衣!?」
ごとんという音。膝枕をしていたケイの頭が、膝を透けて床に落ちたのだ。ケイがうめく。
横島は卓上に振り向く。ろうそくは、残りわずかとなっていた。
『もう、時間です』
「時間って――どういうこと?」
額を押さえながら、起きあがったケイが言う。
「時間って、どういうこと? ねぇ、母ちゃん!?」
『もう、ここには居られないということなの、ケイ。お母さんはあのろうそくの力でここにいる。ろうが尽きたら、もう、姿を保ってはいられないの』
「やだ! そんなの、やだ!」
『ケイ、わがまま言わないで』
「やだよ! そんなのやだよ!」
母に抱き着こうと、ケイはかけ――そのまま、母の身体をすりぬけ、兄の胸にぶつかった。
「あ……」
母の身体にさわれない。それはなによりも、終わりであることを語っていた。
「やだ……やだよぅ……会えたのに……せっかく、もう一度会えたのに………」
自分の胸で泣くケイに、横島は後悔していた。やはり、やめたほうがよかったのかもしれない。
喜んでくれる、その確信はあった。
だが、再び会うということは、再び別れるということ。悲しみの別離を、もう一度味わわせるということだ。
幼いこの子には、それはとても酷なことだったのかもしれない。
『横島さん……』
美衣が横島を見つめる。
言いたいことは、わかっていた。
横島は、深く頷いた。強く頷いた。
ケイを託す母の瞳に、任せろと強く誓った。
『ケイ……顔を見せて、ケイ』
母の呼びかけに、娘は振り向く。
『ケイ……今、幸せ?』
「うん……楽しいよ。幸せ、だよ」
確かに今の生活は楽しい。兄は優しいし、商店街の人たちもよくしてくれる。昨日会ったお姉さんも、ケイは好きだ。
幸せ、といえるだろう。しかし、そこに美衣の姿はない。
「でも、母ちゃんがいない……母ちゃんが、いないんだ………」
『ケイ……』
娘の頭を、美衣は撫でる。もはや触れることかなわないが、意識だけでも、動作だけでもと撫でる。
『大丈夫。お母さんはね、貴方の隣にいるわ。あなたの傍で、ずっとあなたを見守ってる。
あなたは一人じゃないの。私もいるし、横島さんもいる。だから、泣く必要なんてどこにもないのよ』
「…………」
『泣かないで。ね、ケイ』
「…………」
袖で涙を拭き、ケイは顔を上げる。
『いい子ね。お母さん、嬉しいわ』
「母ちゃん……また、会える?」
『ええ。きっと会えるわ。あなたは私の娘だもの。きっと、また会える』
「それじゃ……それじゃ、さよならは言わないからね」
涙を必死で押さえる。泣かないでといわれたのだ。泣いてたまるものか。
笑え。笑って送り出せ。最後に母に笑顔を見せろ。
「またね、母ちゃん……」
ケイは笑う。唇を引きつらせ、目に涙を溜めて。それはまったく笑顔には見えなかったが。それでもケイは、必死に笑った。
その瞳から溢れた一滴が、頬を伝い、床へと落ちる。
「ええ。またね、ケイ……」
母も笑う。唇を震わせて、必死に笑う。
その瞳から、一滴の涙がこぼれた。頬を伝わり、顎に垂れ――雫は、床に落ちる、その前に消失した。
ろうそくが、消えた。
美衣の姿は、どこにもいなくなっていた。
それを確認し、ケイは横島の胸へと顔を埋める。
「ケイ……」
小さく、小刻みに。胸の中の仔猫は泣いていた。
「兄ちゃん……ありがとう………」
それだけを言い、後はただ、静かに泣いていた。
白雪が降り注ぐ、清なる夜。
鈴の音が響く、静なる夜。
年に一度の、聖なる夜。
仔猫はひたすらに、震え、泣いた。喜びに泣いた後、悲しみに泣いた。
道化はそんな仔猫を、ひたすらに抱き続けた。
聖なる、静なる、清なる夜。
二人の聖夜は、静かに、清らかに、ふけていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<後編の裏>
「タマモ、先生を追っかけて、何するでござるか?」
仕事が終わり、イヴの夜。
パーティーがなぜか中止になり、シロタマは、横島を尾行して家までやってきていた。
「静かに。黙ってなさい、バカ犬」
「狼でござる!」
「だから静かに!」
小声で叫び合う二人。
「横島が本当に家族と過ごすかどうかわからないでしょ? 誰と過ごすか、その確認よ」
「家族なら、父や母でござろう? 先生に兄弟はござらんのだし」
「親と一緒にクリスマスなんて祝うわけないでしょ。一人よりよっぽどやるせないわよ、それ。
ま、せいぜい大学の一人身仲間と飲みってんでしょうけど」
二人の盗み見る中。
横島は自宅のドアを開け、言った。
「ただいまぁ」
「おかえりなさぁい!」
それに反応して駆けてくるのは、一人の女の子。
可愛いひよこのプリントされたエプロンを身につけ、耳と尻尾を生やした女の子。
「タマモ、あの子は―――」
「そうね。あの子だわ」
女の子は横島に抱きつき、横島もそれを受け止める。
女の子は嬉しそうに話ながら、玄関から中へ下がった。靴を脱ぎ、横島がそれに続く。
玄関の扉が、締められる。
「……帰ろっか、シロ」
「でござるな」
肩をすくめあい、二人は事務所へ歩き出した。
「シロ、昨日の会話、覚えてる?」
「昨日の?」
「あの子の兄と、あんたの先生と、どっちが優しいかってやつ」
「ああ。覚えてるでござるよ。あの子も強情であったからなぁ」
「正解は私のだったわね」
「どっちも同じくらい優しい、か。確かに、その通りでござる。先生より優しいやつなんて居ないんだから。当然のことであった」
「そうね。妖怪を拾って匿うなんて、あいつ以外にできないわよ」
会話する二人の顔には、微笑みが宿っている。
ふと、タマモは頬に冷たさを感じ、空を見上げた。
闇の中から、白い冬の精たちが舞い降りている。
「わぁ。シロ、雪だ」
「今宵は『ほわいとくりすます』でござるな」
「そうだ。狐うどん食べてかない?」
「肉料理のほうがいいでござる!」
「レストランなんか、予約でいっぱいに決まってるでしょ」
「だからって、こんなきれいな日にうどんはなかろう?」
「それもそうね。じゃ、さっさと帰って、おキヌちゃんの手料理を頂きますか!」
「うむ。それが一番でござるな!」
降りしきる雪の中。
二人の少女は、我が家へと帰っていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
もはや通いなれた通学路を、彼女――タマモは歩いていた。
はぁ、と、一人溜息をつく。
疲れた。端的にかつ的確に表せば、彼女の今の状態はそういうものだった。
仕事、学校、学校、仕事。加えて休日の補習と、心休まるときがない。
「明日の補習は……あ〜、数学か。嫌いなのよね、二次関数」
思い出し、再び溜息。苦手だからこその補習なのだが、そうは言っても割りきれるものではない。
嫌だからとてサボるという選択肢は、彼女の中にはない。シロと違って、ただでさえ出席日数が危ういのだ。そんなことをすれば留年するのは目に見えていた。
それだけは。それだけは出来ない。
そんなことをしたら、自分を助けてくれたあいつに顔向けが出来ないから。
「だからって、つらいもんはつらいのよねぇ。仕事もあるし」
しかしながら気力でどうにかなるものならば受験戦争など根性あるやつが勝つんであって。
今日の復習と明日の予習、加えて自分が出ねばならない仕事の有無などを思い出すと、道端なのに思わず頭を抱えたくなってくる。
「理数はあいつもダメだしなぁ。ミカミもミチエも忙しいし……あれ?」
ぼやきながら進む彼女の視界に、見覚えのある姿が映った。
少し垂れ気味の耳。腰から生やした茶色い尻尾が楽しそうに揺れている。自分で気づいてないのか、鼻歌を歌いながら歩くその姿が、周囲の人々は暖かい微笑みを浮かべさせている。
あの娘だ。
声をかけようとして――思いつき、タマモはそれをやめた。
そろりそろりと、気配を殺して忍び寄る。
やがて気づかれないままに背後まで来たタマモは、
「や」
呼びかけとともに、少女の肩に手を置いた。――人差し指を伸ばして。
「ふえ?」
振りかえった少女――ケイの頬に、タマモの指が突き刺さる。
「はは。引っかかったぁ」
「む〜。あ!」
おかしそうに笑うタマモに、むっとするケイ。だが、それが誰であるかを知り、
「あのときのお姉ちゃん!」
「久しぶり。元気してた?」
笑顔を作るケイに、タマモも同じく、笑顔で返した。
「ほら」
自販機から缶ジュースを取り出し、ケイに放る。
「あ、ありがとう――あつっ!」
「あ、ごめん。熱かった?」
「いえ――だいじょうぶです」
ジュースの熱さに、舌をやけどしたケイ。気丈にも応える。
「化け猫だもんねぇ。猫舌なのは当然か。COLDにすればよかったかな」
「いえ――それも、この時期は寒すぎて」
「よねぇ」
苦笑し、タマモも缶を傾ける。
横目でケイを眺める。缶に息を吹きかけて冷やそうとしているケイの姿は、幼く見えて、とても可愛らしく感じられた。
一生懸命に息を吹きかける姿に、保護欲をそそられる。
(なるほど。あいつが放っとくわけない、か)
それもまたあの男らしくて、しかし最近自分に構ってくれていないことも事実なので、彼女としては嬉しいやら悲しいやらだ。
「どうだった?」
「ふえ?」
不意に、タマモは尋ねた。質問の意味がわからず、ケイが目をぱちくりさせる。
「クリスマス。お兄さんにプレゼント渡せた?」
「あ――うん、一応。……結局、完成できなかったけど」
「マフラー?」
「どうしてわかるの?」
「いや、手編みのプレゼントの定番って言ったらそれかなー、って」
はぐらかしながら思い出す。クリスマス以降、あいつが大事そうに巻いている真っ白なマフラーを。首に一巻きしか出来ない長さで、あちこちほつれた拙いマフラー。
やはり彼女のだったのか、とタマモは得心した。
それを巻きながら嬉しそうに微笑むあいつと比例しながら、事務所の空気が凍り付いていったのを覚えている。冷戦とはこのような事をいうのだろうかと、二学期に学校で習った歴史を振り返ったりしたものだ。
「お兄さん、喜んでた?」
聞くまでもないことを聞く。あいつの様子を見れば、喜んでいないわけがなかった。
「うん。多分……」
「多分ってなによ」
「だって……あんなに短いマフラー、役に立たないし」
「貰うこと自体が嬉しいってこともあるのよ」
「そうかな?」
「そうよ。あたしだって、あいつからプレゼント貰えたら、それがなんであれ嬉しいわ」
言ってから、しまったと思った。目の前の彼女はまだ、自分と兄が知己であることを知らないのだ。
別に知られたからとてどうというわけでもないのだが、秘密にしておいたらそれはそれで面白い。主にタマモが。
「へぇ。お姉さんもお兄さんがいるの?」
だが、ケイは違う解釈をしてくれたようだ。ほう、と心の中で安堵する。
「兄ってわけじゃないわ。似たようなもんだけどね。
そうねぇ……う〜ん、なんていうか……この世で一番大切な人、かな?」
男の姿を思い浮かべ、タマモは呟いた。
「追い詰められた私を助けてくれた。そして今も、ずっと助けてくれている。
あいつが笑ってくれるから私は今の仕事をやってる。あいつが喜んでくれるから学校に通う。あいつが撫でてくれるから勉強する気になる。
あいつが抱きしめてくれるから。あいつが私を癒してくれるから。だから……だから私は、頑張れるんだぁ」
夕焼けに色付きはじめた空を見上げ、男を想う。
梅雨明けの、まだ湿気た、だが夏の香りのしたあの夜。彼のマンション。抱きしめられた。彼の胸の中で泣きじゃくる自分を、彼は優しく抱きしめて、撫でてくれてたんだ。
そして言ってくれた。別にいいと。学校なんか、行かなくたって構わないと。
それは、彼女にとってはなにより嬉しい言葉だった。イジメにあっていた彼女には、この上ない救いの一言。肯定。
逃げ場となってくれた彼に、彼女はこの上なく感謝した。
「ある時ね、誓ったの。願ったの。こいつの傍に居ようって。こいつの傍に居たいって。
隣でなくてもいい。一番でなくても構わない。だけど、居させて。貴方の傍で、貴方を見つめさせて」
彼の心の中には、自分の知らない誰かが住んでいる。それを彼女は理解していた。
時々見る彼の寂しげな表情。彼にそんな想いをさせるソイツを憎らしく思い、彼の中に住まっているソイツをうらやましく思った。
一番には、なれない。少なくとも、今は、まだ。
だけど、傍にいることは出来るから。それは否定されていないから。
「ただ、それだけを、許してください、って――――」
そう、願った。
茜色に濃く染まった空。夕焼けに憂える。
夕焼けは好きだ。そう、あいつは言っていた。
でも、嫌いだ。あいつは、そうも言っていた。
背反している。
自分も同じ。
夕焼けは好き。あいつが好きだから。
でも、嫌い。あいつが寂しそうだから。
「ただ、それだけで、満足だから――――」
茜色に濃く染まった空。夕焼けに憂える。
あいつの顔がそこに浮かぶ。寂しそうな顔。嬉しそうな顔。情けない顔。楽しそうな顔。自分に向けてくれる、笑顔。
なんだか急に、あいつに会いたくなってきた。最近は泊りにも行っていない。今夜あたり行ってみようか。目の前の少女を驚かすには、なかなか上策かもしれない。
「そう、願ったの……」
思慕するのをやめ、タマモはケイに振り返る。赤一色に染まったケイは、真摯な表情で、同色のタマモを見つめていた。
「キミは、そういう人、いる?」
こくりと頷くケイ。その唇が、タマモの予想通りの動きを描き、喉が期待通りの言葉を発する。
『兄ちゃん』と。
微笑み、タマモは立ちあがった。
「さて、と。そろそろ帰んなっきゃ。仕事に遅れちゃう」
「…………ちょ、ちょっと待って!」
唐突に現れ、唐突にケイを誘い、唐突に帰り始めるタマモ。しばしその後姿を呆然と見つめていたケイだったが、思い出したかのように慌てて引きとめた。
「どうしたの?」
「あ、あの――名前……」
「ああ」
教えていなかったな、と、今更のようにタマモは思い出した。
くすりと、笑う。それは、彼女がいたずらを思いついたときの、可愛い悪女の笑顔だ。そんなこと、ケイにはわからないが。
「ヒ・ミ・ツ! 今度会ったときに教えてあげる。バイバイ、ケイ! 迷子になるんじゃないわよ!」
言い残し、彼女は走り去っていった。
その背中を追うことを諦め、ケイもまた、タマモに背を向ける。
遅くなってしまった。今から晩御飯を作って間に合うだろうか。今日は、兄に仕事はなかったはずだ。帰りは早いだろう。お腹を空かせた兄を待たせるわけにはいかない。
気が急ぎ、走ろうと足を上げた。
『バイバイ、ケイ!』
2,3歩走り、ふと思う。
ボク、姉ちゃんに名乗ったっけ?
「お姉ちゃ……!」
振り返る。
しかし、そこに彼女の姿はすでになかった。
ただ、赤く染まった坂道が続いているだけだった。
子供の笑い声。どたん、ばたん。キャメル・クラッチー! 痛い痛い、ギブギブギブ! ナァー、ご飯だよー。お兄ちゃん、宿題教えて〜。
遠い商店街からのざわめき。パッパー、とクラクション。あら、奥さん、偶然ね。お待たせ、いや〜、彼氏がうるさくてさぁ。どうだい、これから一杯、いい店知ってるんだよ。
子を叱咤する母。静かになさい、御近所に迷惑でしょ。宿題はやったの? もうすぐお夕飯ですからね。
家から漂う晩御飯の香り。リズミカルな包丁の音。から揚げの揚がる音。とんとんとん。じゅー、じゅー。
日常が響き渡る中。
赤い坂もまた、日常の通り、ただ、だらだらと、長く続いているだけだった。
ぴんぽ〜ん
「はぁ〜い」
晩御飯をさぁ食べようというタイミング。
こんな時間に誰だろう?
訝りながらも、ケイは玄関へ向かう。
「どちらさまですか?」
尋ねる。
返答は、がちゃりという開錠音だった。
「え?」
驚くケイをよそに、扉が外に開く。
「こんばんは」
悪戯成功。
そんな会心の笑みを浮かべながら、訪問者――タマモは、ケイに挨拶したのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
△記事頭 怒涛の連打、ニャンプシーロール!!!会長って誰だーー!!
猫のケイならさしずめ虎王乱撃だな。あるスーパ−ロボット虎龍王の必殺技です。
【九尾(2004.09.23 02:06)】
>そうねぇ……う〜ん、なんていうか……この世で一番大切な人、かな?」
>男の姿を思い浮かべ、タマモは呟いた。
タマモさん ケイちゃんに宣戦布告っすかw
【明鴉(2004.09.23 20:32)】
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