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「よこしマホラ 第一話(GS×魔法先生ネギま)」

キウン (2007-01-17 15:18/2007-01-17 15:19)
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「……あれ?」

 横島が目を覚ました直後、空を見た。
 昨日はアパートの自室で寝たはずなのに、天井ではなく空があった。
 吹きすさぶ朝の風が、剥き出しの肌を撫でて、痛みのような冷たさを感じながらも、体を起こす。

「ここ、どこだ?」

 横島は見知らぬ公園のベンチで寝ていた。
 何故ここにいるのかはわからない。
 目を擦り、はっきりとした視界にして辺りを見回しても、そこは公園。
 段々と脳が覚醒するにつれ、現実味が増していく。

「ううっ、さぶっ」

 皮膚を切り裂くような寒さが、これは現実であると横島に伝えてくる。
 頭がしっかりしていくにつれ、どういう事態に陥っているのか、横島にもなんとなく理解できてきた。

 やはり見知らぬ場所で眠っていた。
 幸いにして、昨日は夜遅くまでバイトをし、帰って来るなり着替えもせずに布団の中へ潜り込んでいた。
 服装はいつもの格好で、中身が少ないといえど財布も一緒に持ってきている。

「ど、どーゆーことだ!?」

 咄嗟にその場で立ち上がり、頭をかきむしる。
 アパートで眠り、起きたら見知らぬ公園……どう考えても不自然だった。
 眠っている間に何者かが運んだのだろうが、それを行うメリットが全く見えない。
 第一に、その何者か、というのは一体誰なのか。

 一番最初に思い浮かんだのは、横島の雇い主だった。
 美神 令子。
 業界でもトップシェアを誇る敏腕GSであり、コネも装備も実力も超一流。
 その反面、お金にがめつく、横島を極めて安月給でこき使い、場合によれば奴隷のように扱うときもある。

 しかし、それほど非常識な美神であっても、ここまですることは考えにくかった。
 そもそも美神の行動理由は、金儲けか保身、たまに人情。
 アパートに侵入し、横島を起こさずに運び、見知らぬ街の公園のベンチに置いていくのは、それのどれにも当てはまりそうになかった。

「ふーむ……でも、絶対にないって言い切ることもできないんだよなあ」

 横島はどっかとベンチに座りこみ、空を仰ぎながら唸り始める。
 美神ならば横島になんでもする。
 一度、説明無しで縄をくくりつけられ、崖から突き落とされたこともあった。
 彼女曰く「あんたに心の準備なんてさせてたら時間がいくらあっても足りないわ!」とのこと。
 まさしく本当のことなのだが、ためらいもなく実行することができるのが美神なのだ。

 とはいえ、美神とて人の子。
 仕事に関してはシビアだが、完全に突き落とすことはしない。
 時には食事を奢ったり、業界の先輩、師匠として影ながら横島を支えたりする、寛容な心も持ち合わせている。
 長い付き合いの中で生まれた淡い恋心を抱き、それを表面に表して横島に接することができない、かわいらしい面も。

 しばらくその場で唸り続けていた横島だったが、いくら座しても結論はでないという結論にたどり着く。
 そろそろ寒さに耐えきれなくなってきており、ベンチから立ち上がって、公園を出て、見知らぬ街を歩き始めた。

 あたりをうろついてみるも、やはり見覚えのある光景は一切ない。
 それどころか建物がどことなく変わっているように見えた。

「ど、どことなく西洋ちっくのような……日本であることは確かだけど」

 どこも開いてはいないものの商店があり、その看板にはちゃんとした日本語が書かれている。
 仕事で欧州にも行ったことがあったため、似たような感覚を感じ取っていた。

 しばらく道を行くと、二十四時間営業のコンビニを見つけた。
 とりあえず、中には入らずに公衆電話に十円を投入する。
 誰もいない可能性があったが、構わず務めている事務所の電話番号をプッシュした。

『この電話番号はただいま使われておりません』

 機械的な音声が、受話器から漏れる。
 横島は動きを止めた。

「かけ間違えたかな?」

 受話器を下ろし、再び十円を入れ、今度は一回一回確認しながらボタンをプッシュした。

『この電話番号はただいま使われておりません』

 ゆっくりと受話器を下ろす。
 寒いというのに背中から汗が流れてゆく。

「な、なんかまた、ヤバイことに巻き込まれちまったのかな……」

 嫌な予感は的中し、手当たり次第知り合いに電話をかけるも、全て不通。
 GS仲間や友人、学校、離れている親の会社、全てが当人へと繋がらなかった。

 思いつく限りの電話番号が全て存在しない番号、もしくは間違った相手へと繋がる番号と知り、横島は驚愕した。
 もう顔すらもおぼろげにしか思い出せない小学生のころの友人の番号が不通であったために、受話器を下ろして、力なくうなだれる。

 横島は、十七歳にしては信じられないほど多くの経験をしてきている。
 ただの荷物運びから霊能力に目覚めてGSになったのは勿論、幽体離脱でのTV衛星、TVゲーム世界、中世ヨーロッパ、中世日本、竜宮城、南極などに行ったこともある。
 一般人では想像もできない修羅場を乗り越えてきていた。

 が、しかし、ここまで情報が少ないことは初めてだった。
 無自覚のままに巻き込まれ、知り合いの電話番号が全て使えなくなると言う怪奇現象。
 あまりに唐突だったために、推測すらできない状態に陥っていた。

「や、ヤバイってレベルじゃねーぞ……」

 咄嗟に懐に手を入れ、財布を出した。
 寒い中身で、千円札が一枚と小銭が少々。
 とてつもなく孤独感を味わいながら、落とすようなことがないように慎重に財布を戻す。

「美神さーん……」

 なんだかんだ言いつつも、一番頼れる人の名を呟く。
 一向に返事はない。

 最初に来た公園にまで戻り、ベンチに座る。
 横島には落ち着いて、考えをまとめるための時間が必要だった。
 しかし、新しい情報がないまま考えたところで、答えが出るはずもない。
 ただただぼんやりするだけで、時間は過ぎてゆく。

「……?」

 だいぶ空が明るくなってきた時分、公園の入り口にゆっくりとした足取りで入ってくる人物に気が付いた。
 ズボンのポケットに両手を入れ、たばこをくわえたスーツの中年男性だった。
 やや長身で穏やかでありながら精悍さを持っている。

 横島は彼を一目見たときに本能が危険を告げているのを感じた。
 いくつもの修羅場を越え、怒るとすぐに暴力を振るう上司の下で働いていたために、そういった勘は特に鋭い。
 中年男性が横島をまっすぐ見据え、ベンチに向かって歩いてきたときに横島は思った。

 このおっさん、ゲイだ、と。

 朝早い時間に、少々にやついているような笑みを浮かべ、こちらに寄ってくる中年の男は実に気味が悪い。
 いくら寒いとはいえポケットに手を入れながら歩いてくるのも怪しい。
 よくよく考えてみれば、横島は公園のベンチに座って、両手を広げて背もたれに乗せ、足を組んでいる。
 横島には男色の毛は一ミリたりともなく、ただ単に自然にそうなっていただけなのだが、ピンチを呼んでいるように思えた。
 突然逃げ出すのも不自然だと思い、なるべく目を合わせないようにして立ち上がる。
 公衆トイレがある方向には絶対に目を向けず、そそくさと立ち去ろうとした瞬間だった。

 ぽん、と肩に手を置かれた。
 まだ数メートルの距離があったはずなのに、一気に間合いを詰めてきた。
 恐る恐るながら横島が振り返ると、そこにはやはりくだんの中年男性が、物静かな微笑をしつつ見下ろしていた。

「う、うわあああああああ!!」

 思わず絶叫しながら、肩に下ろされた手を振り払い、全速力で逃げ出した。
 何を言ったわけでもないのだが、ちょうど精神的に追いつめられていたために、勝手な想像は止まらない。
 ただただ恐怖から逃れようと、手足をばたばた動かしながら、反対方向へ走る。

 横島、通常の格闘技の心得とは無縁の存在ではあるが、逃げることだけは達人クラスの能力がある。
 中年男性は、突然逃げ出した横島に対して、攻撃を仕掛ける。
 ポケットを鞘に、自身の拳を刀と見なし、居合いの要領で思いっきりパンチを繰り出す。
 音速を超えた拳で巻き起こる衝撃波が、横島の背中に命中した。

「へぶしっ!」

 並の相手だったらそのままKO。
 直撃したために、並よりちょっと上でも負傷し、逃げ足はぐんと遅くなる。
 倒れた横島の元へ相変わらずゆっくりとした足取りで迫ってゆく。

「う、うわああああああ!! 通り魔だぁあああああああああああ!」

 しかし予想に反して、倒れていた横島はひょっこりと起き出して、ダメージなぞ何もないかのように再び逃げ始めた。
 走るスピードは全く落ちず、むしろ一層早くなっているようにも見える。

 横島は悲鳴をあげながら、街を疾走した。
 朝の低い気温であるが故に音が大きく響き、家々に人の視線が増えていく。

 中年男性はそれを最も嫌っていた。
 ここは彼のホームステージではなく、少し目についただけでも厄介なことになりかねない。
 最低でも彼の属する世界での罰則を科されることはないだろうが、表の職業柄彼のバックに迷惑をかけてしまう。

 学校教師という極めて外聞が重要な職業に就いていることを呪いつつ、横島を追いかけた。
 もちろん、彼は同性愛者ではなく、ゲイというのは横島が勝手に思いこんでいるだけのこと。
 横島に声をかけたのは事情を聞こうとしたからであり、拳を撃ち込んだのは何も言わずに逃げたからだった。
 その気になれば、先回りをして捕まえる手があったが、大声を出されて仲間を呼ぶ危険性を回避するための行動だった。
 しかし、それが裏目に出た。
 仲間は呼ばれなかったものの、人目を呼び寄せてしまった。
 仕留め損なった横島を追いかけるも、逃走術が実に巧みで、瞬動と呼ばれる特殊な歩法をもってさえ追いつめられなかった。

 誰かが通報したのか遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえ、中年男性は軽く舌打ちして姿を隠した。
 横島の方も、中年男性が追いかけるのを諦めたことがわかると、裏路地に潜り込んで、警察をやり過ごした。
 確かに何者かが追いかけてくる脅威はあったが、警察には嫌な思い出がいくつもあった。
 また同時に、異常な状況に巻き込まれている間は、変に時間を使いたくないという思いもある。
 パトカーが去っていくと、横島は再び街をあてどなく歩き始めた。


 場所は変わり、麻帆良と呼ばれる学園都市の学園長室。
 タコのような頭部を持った老人が、備え付けられた電話の受話器を取っていた。

「ふむ……なるほど。
 一般人の目など気にする様子もなく大声を張りあげて逃げるバンダナ男か」

 片方の手で豊かに蓄えられた白髭を撫でながら、唸る。
 彼の部下……横島を追いかけた中年男性からの報告を聞いていた。
 何の前触れもなく何者かが麻帆良付近の公園に姿を現したことを検知したため、それの調査に行かせていたのだった。
 声を掛ける前に逃げられ、やむなく捕獲を試みようとしたが失敗、現在も尚尾行中とのこと。

 この老人こそが、麻帆良学園の学園長であり、関東魔法協会の理事の老魔法使い。
 見てくれと内面の双方人並み外れた、権力と実力を持つ大人物だった。
 麻帆良学園は教育機関としての一面を持つ他に、敷地内に存在する世界樹を守護するための組織でもある。
 常にその全域を大規模な結界が守護しているものの、今日は年に二度の大停電の日。
 学園都市のメンテナンスを行うために、一定時間主電源が落とされる。
 その結果、一部結界の効力が弱まり、それを突いてくる勢力が度々現れてきている。
 学園都市付近での不審者には、特に敏感になる時期に横島が現れたのだった。

 学園長は当然ながら、その存在に疑問を持った。
 この世界では、魔法というものを一般人に明らかにすることはタブーとされている。
 それを破ったものは資格を没収されたり、一時的もしくは恒久的にオコジョにされてしまう。
 当然、何もないところから突然現れる人間は、この世界では魔法使いかそれとも特殊な『気』の使いに限られる。
 しかしそれでさえ、何の前触れもなく、他の魔法使いに関知されずに現れることは不可能なことだった。
 出現方法自体謎であるのに、魔法使いとかちあって、わざわざ一般人の目に触れるようなことをする者がいるとは、学園長には想像できなかった。
 だからこそ、この学園の中でも敏腕の魔法先生である中年男性、タカミチ・T・高畑は横島を逃がしてしまったのだが。

「ともあれ、監視は続行、ひょっとしたら情報部の勘違いで、ただの一般人かも知れぬ。
 怪しい挙動や、魔法使いであるという何らかの動きを見せたら、捕まえるのじゃ。
 本気を出せば、今でも出来るんじゃろ?」
『ええ、まあ……』

 そういう学園長でも、その人物が一般人であるとは思っていない。
 そもそも一般人であるならば、いくら人の目があろうと、タカミチが逃すことはないだろう、と思っていた。

「とにかく、今日は大停電でみんな気が立っておるからな。
 いつまで経っても尻尾を見せなかったら、適当に見切りをつけて戻ってくるのじゃよ」
『わかりました、学園長。では、尾行を続行します』
「うむ、ではよしなに」

 学園長は受話器を下ろした。
 タカミチは相当な実力者で経験も豊富。
 本人の判断を学園長は信頼していた。
 湯気の立ったお茶を飲み、熱い息をほぅと吐き出した。
 大停電を目前として、山となった仕事へと、また再び向かい合い始めた。


 また再び場所は、最初の公園に戻る。
 既に時刻は昼を過ぎ、横島はベンチにぐったりと腰掛けていた。
 傍らには薄っぺらい財布の中の、なけなしのお金で買われたいくらかの本が山積みになっていた。
 所持金を残り十円にした菓子パンをかじりつつ、ぼうっと空を見上げている。

「こら、マズイよなあ……」

 菓子パンがまずいというわけではない。
 横島の買った本の中に、地図が混じっていた。
 その地図には、横島が先日まで存在していることを知っていた地名が書かれていない。
 霊能力者の間で修行場が有名な妙神山。
 小竜姫と呼ばれる神が管理人であるそこは、平野になっていた。
 公衆電話に備え付けられた電話帳には、見知った人物の番号が一切載せられていない。
 新聞の株価欄には、父親が勤めている会社、仕事で関わった企業、上司の知り合いの名家の子会社、何もない。
 日付欄を見ると昨日まで20世紀だったのが、いきなり21世紀になっている。

 菓子パンのビニール袋を公園のゴミ箱に捨て、横島は何することもなくその場でぼんやり考えた。

「美神さんがいてくれれば、いつも通り俺のわからんことを教えてくれるのに」

 横島は見習いとはいえGSである。
 超常現象を解決するスペシャリストと言い換えてもいい。
 しかし、その世界の中でも霊能力という分野で考えれば世界でもトップクラスであるにもかかわらず、知識は極めて貧弱だった。
 最初はただの変哲のない荷物持ちで、たまたま才能と縁と運があったためにGSになれただけなので、無理もない。
 本人も自覚する勉強嫌いで、向上心もない。

「ああー、こんなんだったら、もっと美神さんからオカルトのこと教えてもらってればよかった!」

 後悔先に立たず、いくら悶えても、答えが出るわけではなく、横島はその場で悶々とし続けた。
 馬鹿の考え休むに似たり、という格言通り、納得のいく結論を出すころには早くも日が傾きかけていた。

「……ひょっとして異次元に来ちゃったんじゃないか?」

 不意に思いついた考えを口に出した。
 横島にとっては異次元というのは割と身近な存在だった。
 近所に魔鈴という魔女が住み、東京の地価が高いという理由で自宅を異次元に持っている。
 また、以前に南極に隠されたバベルの塔に侵入したとき、宇宙の卵の中に入って、その世界でのアダムとイブに性教育を施した。

「なわけないかー、は、はははは、は……はは……」

 空笑いに段々と起伏が無くなっていく。
 確かに元の世界と類似した異次元には来たことがないが、それが全くないとは言い切れない。
 彼の経験からすると、異次元に迷い込んでしまった場合、自力で帰ることは困難。

 以前魔女の魔鈴の料理屋でクリスマスパーティを開いたとき、ドジを踏んで、クリスマスケーキの異次元に閉じこめられてしまった。
 そのときはすぐに魔鈴が異次元に再接続をしたために助かったが、もし助けが来なければ元の世界へと戻ることができなかったかもしれない。

「……み、みがみざーん! だ、だずげでーっ!」

 横島は美神に助けを求める。
 怒ると鬼のような雇用主が、今では優しい女神に思えていた。
 けれども、一向に助けに来る気配はない。

 男の泣き声が、街に虚しく響いただけだった。


 やがて横島は泣きやんで、ベンチに疲れるように座り込んだ。
 気怠げに右手をかざす。

「はんずおぶぐろーりー……」

 力なく呟くと、右手の表面に白い手甲が現れる。
 微かに発光するそれは、先端が伸びて剣のようになった。
 横島は、それを確認すると、手の甲を下に向けるように返した。

「もんじゅー……」

 一瞬にして手甲は消え、今度は手のひらが発光しはじめる。

「ひいふうみい……五つしかないか……これじゃ戻れんだろうなー」

 手の上に浮遊するかのように五つの球体が現れた。
 大きさはビー玉よりも一回り大きいくらいで、翡翠色をしている。
 一見してただの珠にしか見えないが、文珠と呼ばれる極めて応用範囲が広い特殊なものである。
 悪霊に対するあらゆる攻撃方法の源である霊力をこの形状に凝縮し、一定のキーワードをこめ、解放することによって様々な効果を引き起こす。

 例えば『倒』の文字を入れたときには、重力を反転させ、相手をひっくり返して『倒』す。
 『剣』の文字をこめれば剣が現れ、『護』の文字であれば結界を張られる。
 GSの中でもかなり特殊な能力である。

 複数の文珠を連結させることにより、更に応用範囲が広がっていく。
 もちろん、それにはかなりの鍛錬をつみ、並ではない集中力が必要だ。
 一つの可能性の未来の横島は、一度に十六文字連結を可能とさせ、時間跳躍を行ったが、現在の横島ではせいぜい三つ。
 それもかなりの精神集中を行わなければ成功できないという代物だった。
 無論、一つだけでも強力な能力であり、二文字連結『合』『期』で美神と合体すれば並の魔族をかるく陵駕する力を得ることが出来る。

 文珠の力を使えば確かに次元を越えること自体は比較的たやすいと言えた。
 しかしそれは飽くまで元の世界での話。
 こちらの世界では元の世界とは様々な法則が異なる場合があり、下手に異次元へ渡ろうとするとどんな危険が起きるかわからない。
 くわえて、次元を越えることができるとしても、どこの次元へと行くことは指定できない、と予測された。
 手がかりも何もない段階で文珠を使っても、元の次元に戻れる保証はどこにもない。
 更に、篭める文字がわからなかった。

 広げていた手を閉じると、手のひらは発光を止め、浮遊していた文珠も消えた。

「あー、もう……どうすりゃいいんや……ん?」

 ふと、公園の横で何かが動いたような気がして、横島はそちらに目を向けた。
 木の後ろから、スーツを着たメガネの男が姿を現す。

「ま、また出たぁあああああああああああああ!!!!」

 顔面が蒼白になり、横島は絶叫した。
 横島は極めて女好きで、どこへ行っても常にナンパしている。
 もちろん、がっついており、顔も美形とは言い難いために成功率は極めて低い。
 反面、身近にいる女性には横島の『良さ』が見えて、それなりに好意を持つ人もいるのだが。
 そして、男とそういう行為をすることを何よりも嫌っていた。

「とっ、通り魔だあああああ!!」

 タカミチには突然殴りつけてきた人物という印象があった。
 最初は自分がゲイを誘うようなポーズを偶然とっていたところに、現れた人物であるからゲイだと勘違いした。
 それに加えて、逃げようとしたら突然殴りかかってきたために、通り魔だ、とも今では思いこんでいる。

「も、文珠ッ!」

 咄嗟に手を出し、二つの文珠に文字をこめる。
 『転』『移』

 美神あたりが聞いたら、通り魔風情に文珠を二つも使うなんて、と怒っただろうが、横島は必死だった。
 通り魔でゲイ。
 そんな相手に迫られて、余裕を持っていられない。
 一番手っ取り早くなるべく遠くまで逃げるために、適当な文字をこめて発動させた。

 タカミチは即座に居合い拳を横島の顎目掛けて撃ち込んだ。
 先ほどまでずっと横島のことを監視しており、魔法とおぼしきものを使用したために、捕獲にかかったのだ。
 この時期では麻帆良の関知していない魔法使いが付近でうろつくことを麻帆良はよしとしない。
 下手に見逃していれば大変なことになりかねないので、タカミチは少々乱暴でも力ずくで押さえ込もうとした。

「へぶっ!」

 不意を突かれた横島は、いつもの回避が間に合わず、顎に直撃をうけた。
 脳が揺さぶられ、意識が落ちる。
 しかし、それと同時に文珠が発動し、横島を光が包んだ。

「しまった……」

 横島を包む光は膨張したかと思うと、すぐに収縮し、跡形もなく消え去る。

 光が消えた公園には、横島の姿が消え、自分のふがいなさを自分で呪うタカミチだけがいた。


 場所は少し変わる。
 公園と麻帆良を結ぶ線分上の、途中に横島は姿を現した。

 転移の文珠で瞬間移動をしていた横島を、麻帆良の結界が弾いて、入り口で出現したのだ。
 タカミチの居合い拳を顎に当てられていたせいで、横島は気絶している。
 幸か不幸か、横島は橋の柱の裏側に転がっており、誰一人気付くものがいなかった。

 横島が自力で目を覚ますと、もうとっぷりと日が暮れていた。

「う、うーん……」

 激しい頭痛に耐えながら、身を起こす横島。
 辺りを見渡し、また自分が見知らぬ場所にいることに気付くと、大きく溜息をはいた。

「俺が一体何をしたとゆーんだ……」

 小声で文句を呟きながら、立ち上がる。

「さて……」

 次はどこへ行くかを悩みはじめる。
 橋の入り口付近にいるが、入り口は固く閉ざされて、実際橋の上に閉じこめられていることになる。
 その気になればよじ登れるが、それよりも反対方向へと進むことにした。
 説明のつかない一種の勘というべきか、霊能力の高い人間に備わっている勘が働いていた。

 こちらに進んでいった方がいい、と。
 横島は黙って橋を渡っていった。

 橋は川を越えるために造られていた。
 中々長く、道幅も広い。
 橋の四分の一まで到達すると、向こう側に巨大なシルエットが見えてきた。

「な、なんだありゃあ!」

 世界樹。
 一般常識は通用しない、巨大で膨大な魔力を蓄えた木だった。
 横島はその大きさに圧倒され、しばし口をあんぐり開けて、それを見ていた。

「こ、コスモプロセッサかと思った……」

 確かに、シルエットだけならばキノコ形の巨大な機械『コスモプロセッサ』に似てなくもない。
 コスモプロセッサの脅威を知っている横島は、誤解に気付くと心拍の乱れを正し、再び橋を渡ることを再開した。

 と、その瞬間、橋の電気が消えた。
 橋の照明だけではなく、一方の岸の電気全てが消える。

「も、もう勘弁してくれよ……一体俺が何したってゆーんだ、酷いぞっ、神様ッ!」

 天を呪いながら、横島は真っ暗になった橋を渡り始めた。
 ちょうどそのころ、とあるガイノイドが大停電に乗じて、結界の電力供給予備システムをハッキングしていた。
 更にそれに横島の持つ能力の特異性によって、麻帆良の魔法使い誰一人に気付かれることなく麻帆良へと侵入してしまった。
 そのことが後々厄介なことを呼び寄せてしまうが、ここではひとまず置いておく。

 とぼとぼと真っ暗な橋の上を歩く横島。
 空気が横島の霊力と反応して、ちりちりと音を立てる。

「や、やばいな……なんかこう、とてつもないモンが近づいているような気が……」

 霊能力の虫の知らせは、様々な現象で現れる。
 今回のように空気と霊力が反応して音を立てることや、ラップ音、ポルターガイストなど。
 それでも横島は足を止めなかった。
 横島の意思ではなく、何かに吸い寄せられていくように。

「……ん?」

 微かに音が聞こえたような気になり、横島は足を止めた。
 その音は湖に張った氷にヒビが入るようなものに聞こえる。

 音のする方へと顔を向ける。

「……え?」

 真っ暗な夜空の中で、はっきりと動くものが二つ。
 高速で空中を浮遊しており、横島のいる橋へと近づいている。

「ゆっ、ユーフォーやッ! 未確認飛行物体が、こっちに来てるッ!
 や、やばい、アブダクションされてまうッ! 火星人の襲来だ! 警報ならせ警報ッ!」

 夜空を高速で飛行する何かが、横島のすぐそばにやってきた。

「クリュスタリザティオー・テルストリス!!」

 突然道路の一部に鋭い氷が出現し、橋のすれすれを飛行していた片方をはじき飛ばした。
 バランスを崩した一方は、車用道路に転げ落ち、その場にうずくまる。

 子どもだった。
 メガネをかけた十歳ほどの子どもが、杖に乗り、空を飛んでいたのだ。

 もう片方の飛行物体は余裕を持って、同じく道路に着地する。
 こちらは二人組。
 明らかにロボと……。

「うっ、うわーッ! ゆっ、ユーフォーかと思ったらガキとアンドロイドと偉く過激な格好をした幼女だったーッ!」

 予測の斜め上な事態に横島は取り乱して悲鳴を上げた。
 まだユーフォーであれば想像できたが、空を飛ぶのが年端もいかぬ子どもだったためにもっと仰天した。

 横島曰く「偉く過激な格好をした幼女」は、横島に今気が付いたという風に見た。

「一般人か? 認識阻害は正常……体質的に受け付けぬものか」

 確かに過激な格好だった。
 黒一色のワンピースは、下部のスカートが透明な布地であり、細くて脂肪の少ない白い太ももが露わになっている。
 身を隠すためか、黒いマントを羽織っているが、逆にそれが一層露出狂に見せていた。
 下着の替わりに用いている貞操帯が、年齢に合わぬアンバランスさを醸しだし、趣味さえあればそれだけで魅了されてしまうだろう。

「ぐッ……く、くそう!
 どーせ露出狂なら、こんな幼女じゃなくてむちむちぷりぷりの色気むんむんの美女出してくれよ、美女ーッ!
 不幸続きなんだから、もっとサービスしてくれてもええやないか、神様の馬鹿ッ!
 こんな中途半端もん見せられたって、煩悩なんて沸くわけないやろ、アホーッ!」

 しかし横島のストライクゾーンから外れるどころか、もはや暴投。
 空を高速に飛んでいたことなど忘れ、橋の柱に「かみ」と書かれた紙を貼ったわら人形を五寸釘で打ち付けていた。

「……」

 いきなりの行動で呆気にとられる幼女だったが、自分が侮辱されていることに気付くと、怒りがこみ上げてきた。
 無礼なことを喚き散らす男に向けて、手をかざすと、魔法の射手を無詠唱で放つ。

「ど、どわぁっ!」
「あ、危ないですッ!」

 横島もそれに気づき、脅えて柱に背を向け、目を閉じる。
 そしてそれと同時に最初に橋に落ちたメガネの子どもが、魔法の射手の斜線上に飛び込んだ。

「……ひ、ひえぇっ! そ、空飛ぶだけじゃなくて、暗黒ビームまで出しおったぞ、あ、ああ、あああの露出狂の幼女!」
「誰が露出狂の幼女だッ!」
「す、スンマヘン、スンマヘン、つい口が滑って! ど、どーか、命ばかりはお助けをっ!」

 横島は恐怖に陥っていた。
 目の前の幼女が見かけ通りに恐ろしい存在であることは、足下にころがって気絶しているメガネの少年を見て分かっている。
 メガネの少年は魔法の射手を横島のかわりに体で受け止め、そのまま気絶してしまったのだ。

「ふんっ……まあいい。私が興味があるのは坊やだけだ」
「え゛ッ!? 露出狂で、ショタコン!? あ、いや、幼女だからショタコンというのもちょっと変か……」

 幼女は横島を睨み付けた。

「ひっ、ひぃぃ! す、スンマヘンスンマヘン! ま、また口が滑って、思ってもないことをべらべらとッ!」

 幼女は横島の処遇を決めあぐねていた。
 腹立たしいことこの上ないが、しかし、こう頭をぺこぺこ下げられるとやる気を無くす。
 それに彼女には時間がなかった。
 制限時間内に目的を達成すれば、いくらでも力を発揮できるのだが、目の前の男が煩わしかった。

「……」

 とりあえず、うるさいので眠らせておこうと手をかざした。

「ひぇっ! さ、サイキックソーサー!」

 横島が体を庇うように突き出した手の表面から、六角形の盾が出現した。
 魔法の射手の一矢は、六角形の盾に弾かれて、消失する。

「貴様ッ! とぼけたふりをして一般人になりすましおって! 魔法使いかッ!」
「い、いいいい、一般人です! ぴちぴちの現役男子高校生ですぅッ!」
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」
「は、話聞いてねぇぇぇぇぇ! じゅ、呪文唱え始めたぁぁぁぁ!」
「セブテンデキム・スピリティス・グラキアーレス……」

 幼女は魔法の射手17矢を放とうとする。
 咄嗟に横島は文珠を一つ出現させ、『閃』の文字を篭めて、地面に叩きつけた。

「なっ!」

 横島の足下を中心とし、強烈な閃光が辺りを包み込む。
 物質的な光だけではなく、魔力も霊力も強い波動が起こり、一種のジャミング状態に陥った。
 閃光が消えると、そこには横島の姿はない。

「くっ、逃げられたか……まあいい、増援を呼ぶにしろ撤退したにしろ、力を取り戻してしまえば何事でもない」

 幼女は振り返って、気絶したままのメガネの少年を見た。
 そこへ、黄緑色の髪をしメイド服を着た女性型アンドロイド……ガイノイドが声をかけた。

「マスター」
「何だ、茶々丸」
「まだ、アレはいます」

 ガイノイド――茶々丸は、アームを飛ばした。
 何の変哲のない橋の柱を掴むと、ワイヤーを巻き上げる。

「ば、ばれてもーた! こんなあっさり!」
「あ、アホかぁッ!」

 思わず幼女はずっこけた。
 橋の柱とよく似た模様の布を広げて、横島は柱にくっついて隠れていたのだ。
 遠目で、しかも暗闇の中で、本物の柱とよく似た模様の布の差異を見分けるのは難しい。
 しかし、強い風が吹けばたなびいてしまうし、欠点だらけの身の隠し方を敢えてするとは予想もしていなかった。

「こ、こんなにコケにされたのは十五年ぶりだ。
 貴様、ただ殺すだけではすまさん、じわじわといたぶって、地獄を見せてやる!」
「ひっ、ひぃぃぃぃ! たっ、ただ俺は自分で自分を守るためにやったのに、こんな目に遭うなんて酷すぎるッ!
 べ、弁護士を呼んでくれ! 国選でいいからッ!」
「うるさい黙れ!」

 アームが元の位置に戻り、茶々丸はそのまま横島を羽交い締めにした。
 マシンである茶々丸に人間の横島の力がかなうわけもなく、手足をじたばたと振ることは悪あがきにしかならなかった。

「助けてください! おっ、俺には俺の帰りを今も待っている家族がッ!」

 横島の家族は両親が二人。
 共にナルニアにおり、横島は一人暮らしをしている。

「私の知ったことか」
「ド畜生ぉぉぉぉぉぉ!!」

 もはや慈悲は請えないとわかった横島は、羽交い締めされたまま二つの文珠に文字を篭めた。

 『脱』『出』

 とにかく、茶々丸の拘束から『脱出』しないかぎり、逃走することはできないと判断した結果、考えついた文字だった。
 もちろん、横島が何かを企んでいることを見抜けぬ茶々丸ではない。

「いでっ、いでででっ! う、腕が外れるッ!」

 茶々丸は腕部のモーターを唸らせて、横島を締め付ける。
 激しい痛みに横島は文珠を落としてしまった。

 ころころと一つの文珠が転がって、幼女の足下で発動した。

「何ッ!」

 『脱』

 幼女の服が一瞬だけサイズが大きくなり、まるで生き物のように跳ねた。
 文珠の効果通り、服が『脱』げて、幼女は全裸になった。

「え、エクサルマティオー!?」

 信じられなかった。
 幼女は裏の世界で『闇の福音』『不死の魔法使い』と呼ばれ、十五年前までは600万ドルの賞金がかかっていた猛者だった。
 その正体は、吸血鬼の真祖で、絶大な魔力を持つ魔法使いである。
 事情があって、その力の大半は封じられ、数百年の歳月を生きているのに中学生として生きていくことを強いられているが、それでも並の相手には出し抜かれない自信があった。
 エクサルマティオー、つまり武装解除の魔法を、泣きわめいている情けない男にかけられるとは夢にも思っていなかった。

 もっとも、横島のやったことは魔法ではなく霊能力。
 エクサルマティオーではなく『脱』の文珠の効果。
 そして意図して脱がそうとしたわけではなく、全くの偶然の結果だった。

「しっ、しかし、何故このタイミングで武装解除なぞ……」
「ああっ、違うんです! これは脱出しようとしたら間違えて脱がしちゃっただけで!」
「ば、馬鹿が! 脱出しようとしてどこをどう間違えたら服を脱がすというのだ! 嘘をつくのははたいがいにしろ!」

 とはいえ、未だ気絶したままのメガネの少年は、記憶をけそうとして間違えてパンツを消してしまったことがあるのだが。

「このまま生き延びさせていたらろくでもないことを起こしそうだ。
 貴様には過ぎた慈悲だが、今ここですぐに殺してやろう!
 リク・ラク・ラ・ラック・ライラック……」
「ぎぃやああああああ! ま、またあの暗黒ビームッ!」

 幼女が一歩近づく。
 すると足下に魔法陣が突如出現する。

 メガネの少年が事前に仕掛けていた罠だった。
 捕縛結界から伸びた魔法の縄が、幼女を拘束する。

「なっ! き、貴様! まだ罠をしかけていたというのかッ!」
「し、知らん! こ、今回だけは本当に知らん!
 しかし、ひょっとしたら今はチャンスなのかッ!?」

 メガネの少年が仕掛けた罠にはまる幼女。
 幼女は完全に横島がしかけたものと勘違いしている。

「茶々丸」
「ハイ、マスター。結界解除プログラム始動」

 茶々丸の耳飾りの一部が開き、科学の力によって捕縛結界の術式に干渉し始める。
 一瞬にして幼女をくくりつけていた魔法の縄が消え去った。

「こ、こんなこったろうと思ったよチキショー!
 なんで俺ばっか、ろくでもない目に遭うんだ、コンチキショー!」
「ふふ……惜しかったな、貴様。
 なるほど、今までの意味のないエクサルマティオーや低姿勢は全て誘い込むエサだったのか。
 どんなムシケラでも油断してはならぬ、ということを学習したよ。
 では、ご退場願おうか、この世からッ!
 リク・ラク・ラ・ラック・ライラック……」
「いーやぁぁぁぁぁぁ! もうあかん! もうダメや! 文珠ももうない! サイキックソーサーじゃ防げない!
 ハンズオブグローリーだと間に合わない! 死ぬのはいやじゃああああああああああああああああああ!!!」

 横島自身もほぼ諦めかけたその瞬間、少女が突如乱入し、強烈な跳び蹴りを幼女にかました
 本来外敵から守るはずの茶々丸も、横島を羽交い締めしていたために見過ごしていた。

「マスター!」
「い、今だッ! 忍法抜け身の術ッ!」

 茶々丸が跳び蹴りを食らってはじき飛ばされた幼女に気を取られ、横島の拘束を緩めた。
 その一瞬の隙を狙って、Gジャンの上着を犠牲にし、するりと抜け出して、逃げた。

「ネギッ!」

 跳び蹴りを喰らわした少女は、道路に転がっているメガネの少年を拾うと、橋の柱の影に隠れた。
 ちょうどそこには先に逃げていた横島がおり、がたがた震えていた。

「た、助かったぁ……」
「あ、あなたは?」

 ツインテールの少女は、警戒しつつ横島を見た。

「お、俺は何の罪もない通行人だ。
 あああっ、なんで今日はわけのわからないことを立て続けに遭わなきゃあかんのや!」

 少女はきょとんとした目で、年上の男が頭をかきむしって泣いている姿を物珍しそうに見た。


 一方そのころ幼女は。

「くっ、何故今日はわけのわからない妨害に立て続けに遭わなければいけないのだ!」

 茶々丸に体を起こさせて、憤慨していた。
 横島と少女とメガネの少年の姿を見失い、憤りながら辺りを見回していた。

「申し訳ありません、マスター」
「えぇい、どこへ行った!
 ……クソ、あのへらへらした馬鹿はやはり素直に殺してやることは出来んっ。
 殺してくれ、と自分から求めてくるまでじわじわと嬲って、苦しませて殺してやる!」

 全ては誤解なのだが、幼女は怒り狂っていた。
 彼女に『登校地獄』の呪いをかけたサウザンドマスターは、たまねぎやにんにくの詰まった落とし穴という魔法使いらしからぬ戦法で勝った。
 確かに効率的な攻撃方法といえど、屈辱を強いる罠を、それもいくつも仕掛けたのだ。
 幼女に関知させずにエクサルマティオーを与えることができるほど、実力者なのに。
 変な低姿勢も気にくわないものの一つ。
 彼女は悪を自称しているが、自身を誇りある悪と言っている。

 いつの日か自らも同じ悪に滅ぼされることを覚悟している。
 それ故に覚悟なきものを見下し、憎悪している。
 横島のようにへこへこ謝り、みっともなく泣きわめく相手が最も嫌いなものだった。
 しかし、そんな相手に、魔力が回復しているにも関わらず、欺かれ、出し抜かれ、馬鹿にさえされている。
 へらへらした顔を思い出しただけで、沸々と怒りがこみ上げてきた。

「八つ裂きにしてやらねば、気がすまんッ」

 幼女の魔力が怒りによって高まり、ばちばちと手のひらに黒い静電気が現れる。

 そんな姿を、横島は柱の裏から覗いていた。

「な、なんか、すっごくヤバイことになってるみたいだ……」

 その脇では、少女が気絶しているメガネの少年の頬を叩き、目覚めさせていた。

「あ、あれ? アスナさん……どうしてここに? ……って、あの通行人の人はッ!」

 メガネの少年は目覚めると共に辺りを見回した。
 横島の五体満足の姿を認めると、ホッと息をつく。

「大丈夫だったんですね……え? あれ? な、なんで大丈夫なんですか?」
「こ、こんガキャァ! 俺が大丈夫なのがまるで不服みたいにいいやがってッ」
「そっ、そういうわけじゃないですよ! た、ただエヴァンジェリンさんがなんで見逃したのかなって……」
「二人とも静かにした方がいいぜ、声が聞こえて、気付かれるかもしれねえ」

 少女――アスナの背中から、ひょいと白いものが現れた。

「な、なんだこの小動物!?」
「しょ、小動物!? お、俺っちはケット・シーに並ぶ由緒正しいおこじょ妖精なんだぜ! 言葉に気をつけな、兄ちゃん」
「なんだとッ!」

 横島は咄嗟に手を伸ばし、オコジョ妖精をつかみ取った。
 ぎりぎりと握力で体を締め付けていく。

「俺はなあ! 白くて前歯が長い小動物がだいっ嫌いなんだ!
 昔、クソネズミのネクロマンサーに体を操られたことがあったからなッ!」
「ぎっ、ギブギブッ! 兄さん、お、俺が悪かった! こ、こんなしめられたら、いくら俺っちでも口から実が出ちまうッ」

 オコジョは横島の手から抜け出すと、また再びアスナの肩に飛び乗った。
 脅えつつも、顔を出し、口を開く。

「な、なんでぇ、兄さん。一般人じゃなくて魔法使いだったのか」
「魔法使いなんてファンタジーなモンじゃないわい! 一般人かどーかと言われると、本当はちょっと一般人やないけどな。
 見習いだけど一応ゴーストスイーパーだ」
「ご、ゴーストスイーパー? 退魔師っぽいけど、聞いたことねぇな」
「かーっ、これだから小動物は……いいか、ゴーストスイーパーってのはな、ロマンと冒険に溢れた夢の職業なんだ。
 ただなりたいと思ってもなれない。
 特殊な才能と、死を恐れない勇気を持った選ばれし者しかなれない、崇高な職業よ!」
「お、おおっ! なんだかよくわからないけど、頼もしい!
 兄さん、あのエヴァンジェリンを倒すのを手伝ってくだせぇ!」
「嫌じゃッ! あんな化けモン相手にして勝てるわけがねーだろ!
 へ、下手したら死んじゃうかもしれないんだぞ! 怖いやないかッ!」
「え? い、言ってることが違……」
「いいか、勝てない相手と戦っても負けるだけだ。
 ここは一旦撤退してだな、美神さんに……俺の上司に頼めば、金になるようだったらぱぱーっとやっつけてくれるから……」
「て、撤退って一体どうするんでぇ、兄さん」
「ちょっと待て、今死ぬ気で精神集中して、文珠を出すから……」

 オコジョは横島に通じるものを持っているのか、横島の「撤退案」を受け入れようとしていた。
 しかし、メガネの少年はそれを受け入れようとはしなかった。

「大丈夫です! 僕が、エヴァンジェリンさんを止めますから!」
「馬鹿! ガキが何言ってる! あいつは、半端じゃなく強いぞ!
 地面凍らすわ、暗黒ビーム出すわ、露出狂だわ……そういえばお前を狙ってたぞ、貞操のピンチなんだぞ!?」
「大丈夫ですって! 実は事前に罠を張ってたんです。
 うまくひっかかったら捕縛結界が発動して、動きを止めるんです」

 一瞬、空気が止まった。
 横島は無言で少年の胸ぐらをつかんで、ぶんぶん振り回す。

「お、おどれかッ! その罠が何故か俺がしかけたものとあいつに勘違いされたんだぞッ!
 一瞬で抜け出したし、怒って俺を殺そうとしたし、ますます恨まれて……。
 どうせやるならもっとあくどく、もっと強力な罠しかけんかい! 中途半端なことしくさりおって!」
「あぶぶぶぶぶ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいッ!」

 アスナが間に入り、ゆさぶられていた少年を横島からもぎ取った。

「そ、そんな……あの捕縛結界は強力なやつなのに……」
「あのアンドロイドの子が、なんかやったら一瞬にして破られちまったぞ。
 いいか、あんな捕獲用の罠じゃなくてな、一発で消し飛ぶくらいの威力の罠をしかけなあかん!」
「で、でも、エヴァンジェリンさんは僕の生徒ですし」
「生徒?」
「ぼっ、僕、学校の先生なんです」

 横島は目を丸くした。

「……えっと、今、こんなジョークが流行ってるのか?」
「じょ、ジョークじゃありませんよ! 本当なんですって!」
「あのな、ボウズ。この日本にはな、労働基準法っていうのがあってな……」
「本当なんですって!」

 とはいえ、横島も労働基準法に守られていないのだが。

「兄さん、兄貴! そんなことより、今はあのエヴァンジェリンをどうにかしないとマズイですぜ」
「そ、そうだった……と、とにかく一旦逃げるぞ」
「い、いえ、僕はやっぱり教師としてエヴァンジェリンさんを止めます!」
「しつこいぞ! まだひきずってるのか! くだらないジョークで遊んでいる場合じゃないっつーの!」
「で、ですからジョークじゃないんですよ!」
「ちっ、ああ、もうわかった。わかったよ。お前は教師、あのエヴァンゲリオンだとか何とかが生徒。
 ああわかったよ、わかったから、逃げよう、な?」
「え、エヴァンジェリンさんです! あと僕は魔法使いなんです。
 倒せるかどうかわからないけど……いえ、教師として、彼女を絶対に止めますから!」
「だから、そういうジョークは……」

 横島はふと思い出した。
 空中でドッグファイトをしていたのは、確かに目の前のメガネの少年。
 杖にまたがって空を飛んでいたのも、やっぱりメガネの少年。
 オコジョがしゃべっているのは、横島の知り合いの魔鈴の飼っている黒猫と似ていた。

 ひょっとしたら、本当に魔法使いかもしれない。
 よくよく見てみると、あの幼女――エヴァンジェリンと同じような魔力を持っていることに気が付いた。

「本当に、止められるんだな」
「ええ、絶対に止めます」
「絶対に絶対に絶対だな! 男の約束だぞ!」

 メガネの少年は横島の顔を見て、頷いた。
 人に認められる、ということが嬉しかったのだろう。
 顔には気力が満ちていく。

 オコジョもアスナも男と男が交わす友情のシーンを見て、心が温まる気がした。

「お前が負けたら俺が殺されるんだからな! 俺の命のために全力で戦ってくれよ!」

 オコジョとアスナはずてーっと転けた。
 一瞬覚えた感動は一体なんだったのか、と頭を抱える。

「俺はお前を信じるからな、ボウズ。これを持って行け」

 横島は精神集中し、一個の文珠を作り出した。
 『護』という文字をこめ、メガネの少年に手渡す。

「こ、これは?」
「文珠っていうモンだ。詳しくは時間が無くて説明できないが、言うなればお守りみたいなものか。
 いいか、これはやられそうになったらお前を守ってくれるものだからな、絶対に落としたり、無くしたりするなよ!」
「あっ、ありがとうございます!」

 メガネの少年は頭を下げて礼を言った。

 一方でエヴァンジェリンの方と言うと。

「あ、あいつら……あんな大声を張りあげて私が気が付かないとでも思っているのか!?」
「マスター、罠である可能性があります。いくらなんでもあからさますぎです」
「くっ、分かっている。
 坊やだけならまだしも、あのへらへらしている奴も一緒だろう。
 弱そうに見えて何度も私を罠にかけている、あれも間抜けを装って何か罠を張り巡らしているに違いない。
 ふふふ……いかに怒っていても、我を失うことはしない……逆に罠を張って倒してやる!」

 茶々丸は時間制限があることを言おうとしたが、どう見ても怒りで我を失っている自分のマスターには敢えて告げるようなことはしなかった。
 横島の方は全く罠をしかけておらず、大声を張りあげているのも頭に血が上っていたためだった。
 双方の考えは食い違い、エヴァンジェリンは無駄な時間を与えてしまっていた。

「兄貴! そのまま行っても従者のいるエヴァンジェリンには勝てねーぜ!
 あの二人組に勝つには姐さんの協力が必要不可欠だ!」
「……そう、だね、カモ君。アスナさん、僕に力をかしてください!」
「わ、わかったわよ。ひ、非常事態だからね、十歳だし……」
「兄貴、今回は俺っちが頼んで、姐さんにパクティオーするように頼んだんでさ!」
「ぱくちおー? ぱくちおーってなんだ?」

 横島が口を挟んだ。
 すかさずオコジョ――アルベール・カモミールが答える。

「パクティオーっす。
 時間がないから説明は省きやすが、簡単に言えば姐さんの攻撃力防御力がアップする魔法みたいなもんす」
「何ッ! じゃあ、俺もそのぱんちおーとかいうのをやるぞ! 生き残る可能性があるならなんとしてでもッ!」
「ぱんちおーじゃなくて、パクティオーっす、兄さん!」

 この会話はエヴァンジェリンの耳にも届いていた。
 パクティオーがなされるのならば、確かにエヴァンジェリンは不利になる。
 後顧の憂いを断つためには、阻止すべきなのだろうが、しかし、カモのあまりの説明口調に警戒した。
 非常事態に一々説明することはありえない。
 更にエヴァンジェリンは横島を相当の使い手と見ており、実力者がパクティオーのことを知っていないはずがない、と。

 これは罠だな、と確信した。
 横島を出し抜くことができた、とついつい口元に笑みがこぼれるのを止められない。
 茶々丸はそんな不利になっていく状況で笑うマスターを見て、思考回路にいささかの混乱を起こした。

「で、そのオパンチーというのは一体どうやればできるんだ?」
「パクティオーっす! オパンチーって、とってもいい響きだけど流石に無理ありすぎっすよ、兄さん!
 簡単でさ、ネギの兄貴とキスするだけでいいんす」

 横島はカモを捕まえて、ぎりぎりと絞り始めた。

「ぐはっ! あ、兄さん……な、なにするんすか!」
「男とキスなんてできるわけねーだろ!
 っつーか、今日はもうホモのおっさんに散々追いかけ回されて、その手のネタを言われると殺意が沸いてくるんだよ!」
「す、すんませんっす! な、何がなんだかわからないっすけど、とにかくすんませんっす!
 お、俺っちが悪かったっすから、も、もう……実、実が出る……」

 横島の手から解放されたカモは、よろよろとした足取りで地面に魔法陣を描いていく。

「ちょ、ちょっと待て! 俺はそのパクなんとかはせんぞ!」
「あ、いや、これは姐さんとのパクティオー用で……」

 横島はアスナを見た。
 アスナは流石に恥ずかしいのか、顔を赤らめてそっぽを向く。
 メガネの少年――ネギも同様に顔を赤くしている。

「ゆっ、許さんぞッ! 俺は絶対許さんぞッ!
 アスナちゃん……だっけ? 君はまだ中学生じゃないか!
 キ、キスだなんてそんな不埒な行為、お父さん絶対に許しませんッ!」
「あ、兄さん……キスっても、別に恋愛感情は無くても……ただ儀式としての唇の接触行為なだけでさ」
「だ、ダメだダメだ!
 俺だってキスなんて数えるほどしかしてないのに、こんな子どもにキスさせてたまるかーッ!」

 横島の本音が出た。

「兄さん! 兄さんの気持ちは痛いほどわかりまさぁ!
 けど、けど、これは生き残るためなんす! どうか歯を食いしばって、お耐えになってくだせぇ」
「い、生き残るため……ぐ、ぐぐぐぐっ……」

 横島の目から血の涙が滂沱と溢れた。
 それほどまでに辛いのか、とカモは密かに感動し、ネギとアスナはちょっと引いていた。

「お、俺は何も見てないッ! ぱ、パクティオーだかなんだかも知らん! ちょ、ちょっと星見てよっかな!」
「あ、兄さん……あんた、漢の中の漢でさ……」
「う、うるさい! お、俺に話しかけるな、星を見てるんだからッ!」

 横島が血涙を流して星を見ている間、アスナとネギは微妙な空気の中でパクティオーを終えた。
 通常時ならば胸をドキドキさせてやったのだろうが、横島が全て台無しにしてしまっていた。
 カモはカモで、仁王立ちして耐える横島をあこがれの目で見つめている。
 エヴァンジェリンはエヴァンジェリンで、パクティオーによって放たれた光を見て、これも罠か、と一人で笑い。
 茶々丸はそれを見て、更に思考回路が混乱を起こしている。

 シリアスな戦闘シーンのはずが、横島が混入したことによって、ただのコメディと化していた。

 パクティオーを終えて、ネギとアスナと横島とカモが姿を現したとき、エヴァンジェリンは大声で笑った。
 ついに勝った、と。
 いつまで経っても罠にひっかからなかったために痺れを切らして、姿を見せた、と。
 実力から言えば、本気を出せば四人とも敵ではないとエヴァンジェリンは踏んでいた。

「ふ、ふふふッ! ハーッハッハッハ! 全力をもってお前らをねじ伏せてやろう!」

 エヴァンジェリンは哄笑をしながら空を飛んだ。
 大規模な魔法を行うために、狭い橋ではなく、橋の外の上空で手をかざす。

「あ、マスター!」

 茶々丸が声をかけようとしたが既に遅し。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック……」

 エヴァンジェリンが呪文を唱えるとほぼ同時に、橋の照明がついた。
 大停電の終了が来たのだ。
 それと同時にエヴァンジェリンの魔力を封じ込める結界が効力を発揮する。

「し、しまった!」

 エヴァンジェリンはそのとき全てを悟った。

 これもまた罠だった、と。
 魔力を取り戻しているのは、大停電の間だけと最初から知っていたのだ。
 その上で「罠をしかけているふりをして時間稼ぎの罠」だった、と。

 エヴァンジェリンは横島を見た。
 さっきのようにへらへらしている顔は消え、覚悟を決めたもののようなきりっとした顔になっている。

「か、完敗だ……」

 もちろん全てエヴァンジェリンの勘違いだった。
 横島は、エヴァンジェリンが力を封印されていたことすら知らない。
 「罠をしかけているふりをして時間稼ぎの罠」というのも全くの天然。
 血涙を流しすぎて顔がやや青ざめ、そのためにきりっとしたような顔に見えていただけ。

「きゃん!」

 結界が本格的な効力を取り戻し、エヴァンジェリンの体内から魔力が拡散する。
 空を飛ぶことすら不可能になるほど魔力が落ちた。

「ど、どしたんだ?」

 横島は様子が変であることに気づき、一歩足を前に進めた。
 その足下に文珠が転がっていることに気づきもせず。

「ど、どわぁっ!」

 横島は文珠を踏んづけてしまった。
 先ほど『脱』『出』の文珠のうち、残った方の一方、すなわち『出』。
 横島は横に重力を感じ、橋から飛び『出』した。

「ぎゃふっ!」
「な、なっ! き、貴様ッ! 何故ッ」

 そして更に運悪く、その上にエヴァンジェリンが落ちてきた。
 両者一体となり、川の方へ真っ逆さまに落ちてゆく。

「なっ! あ、あの人! エヴァンジェリンさんを助けるために飛び出したッ!?」

 横島の足下で繰り広げられたドラマを知らなければ、確かにそう見える。
 エヴァンジェリンでさえも、そうだと思った。

「ま、まさか、僕の生徒って言ったから!?」

 ネギは適度な勘違いをしつつ、茶々丸とともに橋から飛び降りた。
 横島は落ちながら、杖に乗って追いかけてくるネギを見た。

 当然、川になぞ落ちたくない横島は、上に乗っているエヴァンジェリンを落として、自分だけ助かろうとする。
 しかし、空中で体勢が崩れている状態で上手く動けない。

「あっ!」

 逆にエヴァンジェリンを上に投げ、自分は一層加速をつけて下へと落ちる。

「エヴァンジェリンさん!」

 ネギはエヴァンジェリンをキャッチした。
 ネギが体勢を整えるや否や下を見た。
 ちょうど横島と目があう。

 ネギは横島が
 「よくやったなボウズ、お前の生徒を助け出したんだ……頑張れよ」
 と言っているように見えた。

 一方横島は、
 「なんで敵のそいつを助けて、味方の俺を助けんのじゃ、ボケーっ!」
 と目で語っていた。

 すれ違いである。

 一方で救出劇が行われており、もう片方では悲劇が。
 川に一本の大きな水柱が上がる。

 茶々丸は迷っていた。
 自分が助けようと思っていたエヴァンジェリンは既に救出されている。
 残るは横島のみなのだが、マスターが恨んでいた男を勝手に救出してよいものか、悩んでいた。
 これがネギであれば、彼女にさえわからない思考でもって救出するのだが、まだ関わり合いの短い横島を助けようとは思えなかった。

「ちゃ、茶々丸さん! その人を助けてあげてください!」
「……わかりました、ネギ先生」

 ネギに頼まれたのだから仕方がない、と、ぷかりと浮かぶ男の背を掴むと、そのまま高度を上げて引き上げた。

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