一応の形だけの整備をするためらしく、次の第三試合は当初予定していた時間から約一時間後に変更されることになった。そのため今は大会運営委員会の整備班十数人が闘技場で目まぐるしく動き回っている。
しかし、それは先にも述べたとおり形だけのもので、別に壊れた石柱を取り替える、瓦礫を撤去するなどのそれではない。
ならば、そもそもなぜ整備をする必要があるのか?
それはそう難しいことではなく、たんに結界の点検のためだ。
ただでさえ第一試合の大将戦で結界が軋むほどの膨大な力の衝突があったというのに第二試合の次鋒戦では志貴がその異能の瞳『直死の魔眼』で結界を殺し、大将戦では銀次が『雷帝』となった影響で出力が本来の十分の一以下に落ちていたとはいえ、あろうことか力ずくで破られたのだ。
いかに世界最強クラスの結界であろうとも、もしかしたら不備が出ているのではないかという疑念は当然の如く出てくる。
そんなこんなのトラブルのせいで未だ控えの場に行くこともなく、選手専用の席にこうして鷲羽ちゃんと愉快な仲間たちチーム(以後鷲羽ちゃんチーム)が座っている。しかし、その瞳に写るものは今ではなく、過去。今までの試合の光景だ。
「すごい……」
恐らく意識せずに呟いていたそれは呟いた本人である天地以外には誰に聞かれるわけでもなく、虚空へと解けて消えていく。ただ座って見みていた。それだけのことで口の中はカラカラで、唇は乾ききっている。
はっきりと言おう。天地は気圧されていた。
この大会に集う、『地球人』達に。
正直、天地はこれまでの試合をその目で直に見るまではどこか安心にも似た感覚が胸の内にあった。
ここが自分の知るところとは『違う所』だとはいえ、相手はあくまで地球人だという鼻で笑ってしまいたくなるほどに甘い思いが……
いきなりだが、天地は異星人、つまりは宇宙人である。
正確には地球人と『樹雷』という銀河に名だたる皇家の者双方の血を引く混血で、その身に宿す力は従来の地球人とは比べものにならないほど高い。そして天地はその力を余すことなく使ってこれまで数多の異星の強敵と渡り合ってきた。だからこそ、地球には大した力を持った人達はいないと、そう心のどこかで思っていたのだ。
だが、そんな甘い考えも今、ここで、目の前で行われた激闘の数々によって粉々に打ち砕かれた。
少し記憶を遡れば天地の脳裏に浮かぶのは強烈で、激烈な試合という名の儀式。
それは、非日常に身を置く彼からしても空想の産物としか思えない吸血鬼の究極と、千年の時を無数の転生を繰り返すことで生きてきた人の究極との魂を賭けた死闘。
それは、奇天烈にして奇怪な動きをその身一つで再現する蜘蛛の如き学生と、身体を無数の蜂へと変える奇妙な男性との生物の存続をかけた壮絶な貪り合い。
それは圧倒的な速さを、力をもって敵を文字通り捻り潰す真祖と呼ばれる神がかり的な美女と、圧倒的で無慈悲な雷という名の暴力を従える人の可能性を提示するかのような暴君との災害の激突。
それだけではない。
この闘技場という名の一つの世界で展開された意思と力の激闘はそれら全てが凄まじく、その度に天地は痛切に思い知らされる。
例え自分の宿す力が強大だろうと、例え自分の力が相手に勝っていようと、このままでは勝てないと。
意思の前に、力で。力の前に、意思で。
けれど、それもここまでだ。
なぜなら天地は知ってしまった。この場にいる者達は地球人である前に数々の死地を乗り越え、生き抜いてきた一流の戦闘者だということを。
そして、天地は感じてしまった。心臓の鼓動が増すほどに徐々に胸の内から湧き上がるような、この熱い血の滾りを。
気がつけば天地はまるで今にも溢れ出しそうな思いを必死に押し止めるかのように、拳を充血するほど強く握り締めていた。
「へっ……面白そうじゃないか!」
天地の左隣の席に座る魎呼も天地と同じことを思ったのか、拳と手の平を強く打ち合わせ試合を待ちきれないと言いたげだ。だが、同じく天地の右隣に座っている阿重霞は露骨に大きく重いため息をこぼし、天地を挟んで魎呼をジト目で射抜く。
「はぁ……いいですわね、あなたは単純で」
阿重霞にしてみれば今までの試合は確かにこの大会に対しての甘い見識を壊すには十分すぎる衝撃だったが、その分らしくもない不安も増大してくる。
まあ、もしもあのハオとかアーカードとかアルクェイドとか銀次とかのようなこの世界の中から見ても正真正銘な化け物連中と万が一でも当たるようなことになった時のことを考えたら不安にもなるだろう。
いつもならここで魎呼が食いついてそのままなし崩しに拳を含んだケンカに発展するのだが、その気配は何故かない。それというのも魎呼が口を半開きにさせながら石のように固まってしまっているからだ。魎呼の視線をたどってみるとどうやら阿重霞の左隣を見ているようだ。
日常でも様々な表情を見せる魎呼だが、さすがにこんな魎呼は珍しい。そのためそこになにがあるのか気になって、天地と阿重霞も頭の上に疑問符を浮かばせながら首を向けてみると、
「うふ、うふふ、うふふふふふふふふ」
顔を俯かせとても不気味に笑う奇妙で怖い鷲羽ちゃんがいた。
「わ、鷲羽ちゃん?」
誰もが引きそうな、というか実際に阿重霞と魎呼が離れた中でただ一人勇敢にもその場に留まって声をかける勇気ある者がいた。
彼の名は影が薄いながらも皆さんご存知の柾木家の二大良心が一、柾木天地。言うまでもなくもう一人は砂沙美だ。
本当は天地としてもすぐにこの場から逃げ出したかったのだが、それにもまして何かいやな予感がしたのだ。自慢じゃないが、彼はこういった予感に限ってははずれたためしがない。そして、それは当然の如く的中していた。
「うふふふふ……私でさえまだ完全に解明しきれてない霊的対象を物質化まで昇華させるO.S.、私ですら空想の産物だと思ってた吸血鬼、血を一定の形に凝固させる特殊能力、原理が私でもわからない蜂の集合体、人間の領域を遥かに超えている異常発電細胞……ああ、駄目だわ。我慢できない……こんなにも、私の知的好奇心を刺激するものが揃っているなんて……!」
ぶつぶつと鷲羽はまるで何か質の悪いものに取り付かれたかのように呟き、そのまま幽鬼のような雰囲気で立ち上がると一番近くに座っていた殲滅者チーム、正確にはアーカードの元へとゆっくりと向かって行く。
「ちょっ!?わ、鷲羽ちゃん!?落ち着いて!たぶん一番ヤバイ人のところに行こうとしてるって!!」
これにはさすがの天地も嫌な予感がどうのこうのといっていられずに後ろから羽交い絞めにして動きを封じようとする。が、
「離して天地殿!科学者の知的好奇心は何人にも止められないのよ!!」
その小さい身体のどこにそんな力があるのか、鷲羽は凄まじい力で天地を引きずり憤怒の表情でアーカードに少しずつだが確実に近づいていく。
ちなみにアーカードはその事態に気づいているのかいないのか特に反応はない。さらに一言付け加えるなら夕暮れの光景が元通りになったにもかかわらず何故かセラスは未だにアーカードの膝の上にいたりする。
「ふ、二人とも見てないで手伝ってくれ!」
一人では止めることができないと賢明な判断を下した天地はほとんど泣き顔で少し離れたところで呆然とこっちを見ている阿重霞と魎呼に救いを求める。それでようやく現状を認識した二人は慌てて天地達のもとに駆け寄るとそれぞれ鷲羽の片腕を掴み、動きを封じにかかった。
「鷲羽さま!どうか落ち着いてくださいまし!!」
「こらぁ鷲羽!いい加減にしろ!!」
こうした努力が実り、激しい抵抗されながらもどうにか動きを封じることに成功した三人は息も絶え絶えにぐったりと席に身を投げていた。ちなみにそのささやかな騒動の中心だった鷲羽はどこからか取り出したお茶をのほほんと飲みながら一息ついている。
「いやー、ごめんね。どーも理想的なのが多すぎて軽く暴走しちゃったわ」
「は、ははは。そ、それより鷲羽ちゃん。あの手紙のことだけど……今までの試合を見てどう思う?」
これ以上この件を持ち出したくない天地は話を逸らすため別の話題を持ち上げる。ちなみに天地の言う手紙とはこの『別の場所』に来たときに一緒に落ちてきた奇妙な内容のもので、その内容はこうだ。
『拝啓 天地、阿重霞、魎呼、鷲羽さま
突然の事態に混乱されているかもしれないけど、ここに指定されている場所に一ヵ月後に来て、ついでにそこで行われるある大会に参加するといいよ。そこに君達がここに来ることになった原因と理由がある。
じゃあ、僕はいろいろと忙しいから失礼するよ。
ああ、それから最後にもう一つ。善意からヒントをあげよう。
世界の様子を注意深く観察するんだ。
では、またね。驚天動地前代未聞のとんでもない災いを送りつけてきた所の住人さん。
しっかりと、君達には働いてもらうよ。送りつけてきたこの『黄昏』の中でね。
By 悪い神さま』
ただでさえいきなりこんなわけのわからない別の所に送られて動揺していたというのに、止めにまったく身に覚えのないことへの報いのような内容の手紙があったのだ。混乱したのは言うまでもない。
それから鷲羽のおかげで何とか一ヶ月間無事に過ごすことができたが、それだけの期間でもここが元の場所とは違うということに気づくには十分すぎるものだった。
ちなみに何故ここで鷲羽の名が出てくるのかは気にしてはいけない、いけないのだ。
とにもかくにも手紙に書かれた場所、つまりはこの孤島へと指定された日時に訪れた天地一向はそこで書かれていたこの大会を見つけたのだが、登録受付の人に聞いても自分たちは招待されていないといわれ、仕方なく鷲羽がデータベースにハッキングして登録情報を上書きしたのだ。
その際一応いろいろと探ってみたが、特にめぼしいものは見つからなかった。
天地の問いかけにわずかに沈黙し、鷲羽は自分の考えを語りだす。
「……たぶん、私達にとってこの大会に出場することはあまり意味がないでしょうね」
「え?でも、あの手紙には……」
「出たほうがいいってだけで明確に出ろとは書かれてない。つまり、相手にとっては私達がこの大会に出ようが出まいがどっちでもよかったのよ」
「なら、なんでわざわざ出場したんだよ?」
そこまでわかっているのになぜわざわざ出る必要があるのか?魎呼から当然と言えば当然の疑問があがる。
「ちょっと大会自体に気になることがあってね。それと……まあ、念のためかね」
「?まだ何かあるんですの?」
その言葉の裏に含むものに気づいた阿重霞は疑問の色を浮かべて問い、それを鷲羽は真剣な表情で肯定した。
「まあね。けど、それはまだ憶測だし、なんともいえないわ」
実際のところ、鷲羽はかなり深いところまでその聡明な頭脳を遺憾なく使い辿り着いていた。だが、その考え付いた先にあったものは鷲羽ですらありえないと思うほどにかなり馬鹿げていてとてもじゃないが信じられるものではなかった。
「まあ……」
その思考を一時中断し、スクリーンを見上げる。そこにはすでに第三試合の先鋒戦の対戦表が出ていた。
「だからといってあっさり負ける気はさらさらないけどね」
先鋒戦 イヴVS鷲羽
黄昏の式典 第十一話〜箱庭への誘い〜
「先鋒戦!イヴ選手VS鷲羽選手!!始め!!」
司会の始まりの合図が終わるか否かという際どいタイミングで、イヴの足元の地面が弾ける。
優しくも厳しい一陣の旋風とかしたイヴの眼光の先には鷲羽の姿がしっかりと捉えられ、下手な小細工など不要と言外に言うかのように真っ向から徐々に距離を詰めていく。
速さこそ今までの異常な参加者達と比べれば若干引けをとっているようにも思えるが、イヴの動きにはそれを補えるほどの鋭さがあった。実際それを証明するように武術の達人たる鷲羽の目が驚きの色を宿し、感心した様子で向かってくるイヴを見据えている。ちなみに鷲羽はこの大会で自分の発明品を使うつもりはないらしく、あくまで素手だけで戦うらしい。
鷲羽のささやかな驚きなど露知らず。イヴは自身の間合いに入ると即座に踏み込んだ勢いとその小さい身体の全体重を腰という名の砲台に装填させ、右腕という名の弾丸を一切の躊躇もなく鷲羽の顔面へと打ち出した。
余りにも速く、余りにも的確に打ち出された拳はもはや少女の放つそれではなく、威力もヘビー級ボクサーすら霞みかねない領域に至っている。
だが、当たれば一瞬で意識を刈り取るだろうそれも鷲羽にとっては脅威となりえない。
わずかに首を傾けそれを軽々と避け、軸足を基点に身体を半回転させる。その回転の勢いを殺さぬままに足から腰へと体重の重点を移動させ、お返しとばかりに自分から間合いの中へと踏み込んできたイヴへと腰、肩、腕から神技とも言うべき連動する衝撃を乗せた接近戦においての理想の一撃を繰り出そうと腰に力を溜める。
(どうする!?)
しかし、鷲羽の表情にはこれで倒す、という意思は見えない。むしろこれにどう反応するのかを楽しんでいるようにも見える。
(速い!?でも……!)
回避から一点の淀みもなく繋げられた動きによって繰り出されようとする突き出しの間の無さにイヴは畏怖にも似た念を覚えるが、すぐさま次の行動をするため意識と身体をリンクさせる。
後方に引いても、側面に回ってもこれほど見事な体技を収めている鷲羽から逃げることは難しいだろう。ならば、元よりどう行動するかの選択肢など一つしかない。
その行動とは、さらなる前進。決断は一瞬に、イヴは決意の瞳を持って鷲羽の懐へと密着するほどに強く踏み込み、強引に腕を振り切れないように対処した。
(やるぅ!)
どんな熟練の戦闘者でも相手の懐に自分から飛び込むという行動は簡単にできるものではない。そんな勇気ある行動を戸惑いなく実行に移したイヴを鷲羽は胸の内で賞賛するが、同時に口元に微かな笑みの色を宿す。
まだ、甘い。
スイッチを切り替えるようにすぐさま連動していた衝撃の道を左腕へと移し変え、柔軟な筋肉をフルに活用することでアッパー気味の一撃をイヴの顎めがけて容赦なく振り上げる。
対処しようにもイヴの細腕では受け止めたとしても打撲を負うか、最悪骨に罅が入る。それほどの威力が込められていた。イヴもそれに気づいているのか無理に腕を差し入れようとはせず、いや、防御をしようともせずに対抗するように鷲羽の下顎目指して拳を繰り出す。
あまりにも無謀な行動に鷲羽は信じがたいものを見たような表情でイヴの鋭い眼差しを覗き見る。言うまでもないが、拳速は鷲羽のほうが遥かに速く、イヴの拳が鷲羽の顔を捉えるころにはイヴの小さい身体は空を舞っていることだろう。
だからこそわからない。
実際に拳を交えたのはこのごく一瞬だが、それでもイヴが少なくない修羅場を潜り抜けてきたということはわかる。それがなぜこんな自殺行為と言っていい無謀な行動に出たのか?
結果的にいえば、その一瞬の躊躇が鷲羽を救う要因になった。
不意に、風を切り裂く音が鷲羽の耳に飛び込み鼓膜を震わせる。
直後に言いようのない悪寒が背筋を駆け巡り、体勢が大きく崩れるのもいとわずとっさに大きく仰け反った。
何かが真上を高速で通り抜ける。鷲羽は崩れた体勢からほとんど無理やり身体を捻じ曲げ追撃の一撃をかわし、後方に大きくバクテンをしてイヴとの距離を離すと正面を見据え、その頭上を通り抜けたものの正体を知った。
(髪の毛の拳、ね……これが司会の言ってたトランス能力か)
そう。先ほどの風切り音の正体、それはイヴの輝きながらも透き通るような長い金の髪が文字通り拳に姿を変えたものだった。
元々事前に情報があったためか。さして動揺することなく鷲羽は目の前にある事実をありのまま受け入れると改めて構えなおす。
だが、イヴにしてみればこの事態をそう簡単に受け入れることはできない。なにせ今の攻撃は自分の能力の詳しい所載が知られていないからこそできる最善の策だったのだ。それをぎりぎりとはいえかわされた……この時点でイヴと鷲羽の心理的な負担は明確に分かれることになったことは言うまでもないだろう。
明らかに身を硬くしたイヴを視界にはっきりと写しながらも鷲羽の思考はイヴの能力の正体を暴くために高速で回転し続ける。
(現状でわかってるのは髪の毛を一瞬で拳に変化、変質、操作したってことだけ……けどこの能力が髪の毛、あるいは物体だけに関係していると決め付けるのは早い、か……いくらなんでも情報が少なすぎるわね。かといって逃げ回るのは性に合わないし、次は私から仕掛けて探ってみるか)
一秒もかからずすぐさま思考を纏めると鷲羽はわずかに腰を落とし、イヴに悟られぬように足に力を溜め始め、
「今度は、こっちからいくよ!」
その宣言を鍵として、溜められた力を一気に爆発させた。
一切の無駄が取り除かれ、限界以上の力と速さを出すことを可能にさせるそれは見方を変えれば感情のある精密な機械のようにも感じられた。
「っ!?」
イヴは意識では来ることを理解していたが、身体を硬くしていたためにわずかに身体の動作が鈍る。それは、ここにいたっては何よりも痛い出遅れだった。もちろんこの好機を見逃すほど鷲羽は甘くはなく、疾風のようにイヴへと接近するとすぐさまその間合いのうちに捕らえた。
「くっ!」
苦し紛れとはわかっていながらもイヴはとっさに右拳を放つがやはり軽々とかわされる。
しかし、本当にわずかだが覚悟を決める時間を稼ぐことはできた。
(来る!)
視界の先に覗く頭の位置から来るべき箇所を予測し、イヴは現状において最速で動かせる髪の毛の拳を予測したそこに滑り込ませた。
だが、それは鷲羽の策略のうちだ。鷲羽は絶妙な体重移動で重心をずらすと木の葉のように不規則な動きでイヴの側面へと一瞬で回りこむ。突如として視界から消え失せ、現れた側面からの気配にイヴの表情は完全に凍りついた。
(フェイ、ント!?)
その単語が頭に浮かんだまさにその瞬間、鷲羽の拳はイヴに届いた。
沈黙が闘技場を跋扈し、会場中の視線は一箇所に集中している。
そう……拳を繰り出した鷲羽とそれを可愛らしい羽根の細工が施された盾で受け止めているイヴの二人へと。
もちろんイヴは盾など持っていなかった。ならばなぜ、それはそこにあるのか?
簡単なことだ。髪の毛を拳に変えたのと同じように、腕が形を変えたのだ。その中で鷲羽は顔を伏せ、小さくつぶやく。
「……なるほど。そういう原理ってわけね」
「え?」
微かに耳に届いた冷たく悲しい響きを持った声にイヴは思わず呆けた声を漏らし、その隙に鷲羽は距離をとる。だが、その表情は硬く、真剣な瞳でイヴを射抜いていた。鷲羽は気づいてしまった。この能力の正体に、そしてその能力を行使することができるイヴの境遇に。
「一つ聞いてもいい?」
だから、鷲羽はイヴへと問いたい。
「……なに?」
その中に含まれる真剣なものに気づいたのだろう。イヴは警戒の色を出しながらも鷲羽の会話に乗った。
恐らく次の言葉はイヴを傷つけることになる。だが、それでも鷲羽は気づいてしまったからにはどうしても聞かなければならなかった。一人の人間として、そして……科学者として。
「その身体は、あんたが望んだものなの?」
「!?……違うよ」
その問いにイヴは目に見えて動揺しながらも、消えるようなか細い言葉を搾り出す。
返答は、鷲羽にとって予想通りのものだった。この『別の場所』は確かに色々と違う箇所は多いが、科学力という点ではそこまで元の場所と差があるわけではない。
ならば、あれを……ナノマシンをその身に宿しているイヴは実験体として投与、あるいは生み出されたのだろう。だが、鷲羽にはそれを行った科学者を責める権利はない。なぜなら、鷲羽も知識を探求し、新しい発見を喜びとする科学者の一人なのだ。だが、それでも自分のすることができることはしたい。
「なら「けど」……」
それを取り出したいか?と続けようとした鷲羽の言葉を遮り、イヴは静かに語り始める。
「今は、この身体でよかったと思ってる。私が私だったからスヴェンに……トレインに……みんなに会うことができたから……たくさんの人を護ることができるから」
恐らくイヴの脳裏には様々な記憶が思い出されているはずだ。それこそ楽しかったことに限らず、辛い事も。だが、イヴは今を生きているのだ。例えどんなに過去が辛かったとしても今はみんなと一緒にいる。それだけで、イヴは強く生きれる。だから、見惚れてしまうほど優しい笑顔で、胸をはってこの身体でよかったと告げることができる。
境遇を考えれば、イヴの言葉はとても短いものだった。しかし、込められたそれは第三者の鷲羽でさえ心の底からのものだとわかる強さがあった。
鷲羽はあまりにも強く、重い言葉に微かに唖然としてしまった。まだ十代も前半の女の子が、辛い宿命を望まずに背負ってしまっているにもかかわらず、それを笑顔でよかったと言ったのだ。
鷲羽は思う。
それはどれほどの強さが必要だろうかと。
そしてそこまで言わせることができる人達との絆の深さを。
「……強いわね」
思ったことを素直に口に出し、鷲羽はとても優しい笑みを浮かべた。
しかし、それも一瞬。すぐさま一転して眼光を鋭くする。
それは暗に手加減はしないと告げていた。
実際に鷲羽はもう手加減をするつもりなどさらさらなかった。相手がそれほど強い決意を持って戦っていると知ったのだ。これに応じなければ武術を嗜む者として失格。
その鷲羽の気迫を肌で感じたイヴは先ほどとは違うほどよい緊張を保つ。冷静に今の戦況を分析して、攻め方を少々変えてみることにした。
(接近戦じゃ勝てない。なら……)
イヴはゆっくりと右腕を持ち上げ鷲羽へと突き出す。想像をトランスという形を持って具現化させるため光に包み込まれた右腕は瞬く間にそれを創り上げる。
「これはどう?」
光が晴れたとき、その腕には天使が背に宿す美しい純白の翼を生やしていた。
その翼が一度はためくと羽根は無数の弾丸と化して機関銃のように鷲羽に襲い掛かる。
「!?へぇ……」
その独特な活用法に鷲羽は素直に驚き、感心したような声を漏らしながらも巧みに腕を動かし羽根を弾き飛ばしていく。どうやらこの羽根は牽制が目的らしく、速さはそれなりにあるが威力はまるでない。この程度ならいつまででも弾いていられるだろう。
とりあえず明らかに誘っていることが読み取れるので鷲羽は無理に仕掛けようとはせずにその場に力強く根付く大木のようにたたずみながら意識を研ぎ澄まして冷静に羽根の弾丸を捌いていく。
だからだろうかか。その異常に気づけたのは……
休むことなく襲い来る羽根の弾丸を次々に捌きながら、鷲羽は不意にこの闘技場全体に違和感を持ち始めた。
(ん?これは……試合が始まった時と比べて残留してた電気量が激減している?)
第二試合の大将戦に銀次が放出した電気量は凄まじいものがあり、一時間も経過していたというのに未だに多くが弱々しくも残留していた。もちろんそれは普通では気づけない量だけの微弱なものだったが、そういったものが専門の鷲羽には鮮明に感じ取ることができた。
しかし、今改めてもう一度測定してみるとその量は明らかに少ない。もちろん自然に消滅していったという可能性もあるが、あまりにも急激に減少しすぎているのだ。一応イヴのナノマシンが吸収しているのかとも思ったがどうやら違う。
意識を逸らしすぎたためか、捌ききれなかった羽根に袖を切り裂かれる。しかし、鷲羽は一瞬の判断ミスが取り返しのつかない事態に繋がるかもしれないというのにその思考を中断させようとは思わなかった。なぜならこの現象は、この世界に現在起こっているものとまったく同質なものなのだ。
鷲羽はあの手紙にあったヒントのとおりこの世界の様子を注意深く観察して、あることに気づいていた。
元々存在したものが減少していくように、この世界のありとあらゆるエネルギー、それこそ鷲羽でも解明しきれない未知のものまでもがどこか別の場所に吸い取られていることに。
これは鷲羽の勘だが、この闘技場で起こっているこの現象はそれと無関係ではないだろう。そもそも自分達をこの大会に呼んだということは何かがあるということに他ならないのだから。
徐々に服を切り裂かれることにもかまわずに鷲羽は意識を徐々に闘技場へと拡散させ、そこを見つけた。間違いなく、そこから外に電気エネルギーが吸収されている。そしてその方角にあるものを脳裏に描いたとき、鷲羽の頭の中で組み立てられていた歯車が噛み合った。
(どこの馬鹿がやっているかは知らないけど、予想以上にスケールが大きい事態が進行しているようね)
真剣に勝負を挑んでいるイヴには悪いが、鷲羽にはこれ以上試合を続けている余裕はない。本当にそんな馬鹿げたことをやっているとしたら相手に真意を確かめなければならない。
鷲羽の予想通りなら、この顔も知らない相手は『箱庭』を創り上げている。
どうやってかまではわからないが、様々なこの世界の観測結果に加えて元々違和感があったあそこにエネルギーが集中している以上はほとんど間違いないだろう。
だが、すぐに終わらせるにしてもイヴは簡単にやられてくれるほど甘い相手ではない。故に鷲羽は
「ギブアップするわ」
と、もっとも早く終わらせられる方法を選んだ。
「え?」
あまりにも唐突なその宣言に思わずイヴは耳を疑い、羽根の弾丸を止める。なにせ今の状況はどう考えても自分が不利なのだ。鷲羽が棄権する理由など、少なくともイヴには思い当たらない。完全に混乱の極致に至ったイヴは呆然と鷲羽を信じられないと言いたげな表情で見る。
その視線を受けた鷲羽は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
「ごめんね。本当は私も続けたかったけど、一刻も早く確かめなくちゃいけないことができちゃってさ。この決着はまた今度あらためてつけさせてもらうわ。だから、この負けは貸しにしとくからね!」
鷲羽は結界が解けたのを確認するとすぐさま駆け出した。
真実を確認するために――――
次鋒戦 スヴェンVS魎呼
黒猫チームサイド
「…………」
三人の待つ控えの場へと戻ってきたイヴは物凄く不機嫌だった。それこそ不完全燃焼だと言いたげに黒いオーラをまとっている。
本来なら戦うことを好かないイヴだが、今回は別だ。せっかく性別が同じで同年代ぐらい(ホントは二万歳)の自分より強いかもしれない相手と戦えたというのに、それがあんな終わり方では納得がいかないのも当然といえよう。
しかも理由が不明なのでなおさらだ。
「そう拗ねんなよ姫っち。過程がどうであれ勝ったことには変わりねーんだ。それで納得がいかねーならまた今度闘ればいいだろ」
「ハートネットの言う通りです。あなたは闘い、そして勝利を得ました。それは誇るべきことです」
「……うん」
完全に納得することはできなかったが、トレインとセフィリアの言うとおりとりあえず今の試合は勝ったのだ。鷲羽とはこの大会が終わった後にいつか別の場所で決着をつけることもできる。
それよりも今優先すべき問題は次の次鋒戦だ。
「……次は俺か」
スクリーンに映し出された次鋒戦の対戦表を見ながら、スヴェンはくわえていたタバコを何故かここに備えられていた灰皿に押し付ける。
「大丈夫か?スヴェン」
問いかけるトレインのその声には心配だとかそういったものはない。それだけ相棒を信用しているということだが、むしろ別のところを気にしている。そう。相手が女性だということを。
「まぁ、何とかなるだろう。こいつには捕獲用の装備も色々と備えられてっからな」
スヴェンは傍らに置いていたアタッシュ・ケースを手に取ってそう言い残すと悠然と闘技場へと足を踏み入れた。
鷲羽ちゃんチーム
一方の鷲羽ちゃんチームの方でも黒猫チームとは違う黒いオーラが充満していた。せっかく有利に試合を進め、勝利まで後一歩だったのに突然棄権などしたのだからそれも当然だろう。
もっともその黒いオーラを放っているのは魎呼一人だけだが……
なにやら勢いよく駆けて戻って来る鷲羽を睨みつけながら、魎呼は腹の底から大声を出し怒鳴りつける。
「おい!どういうつまりだってどこ行くんだよ!!」
だが、鷲羽はそれにかまわず魎呼の横を通り抜け、
「ちょっと調べることができたから抜けさせてもらうわ!後適当にがんばっといて!!」
という言葉を残してあっという間に消えてしまった。
残された三人はしばらく呆然と鷲羽の駆けていった通路の奥を見ていた。
「……えーと、どうする?」
二人よりわずかに先に我に帰った天地はとりあえず二人に意見を求めるが、阿重霞はともかく魎呼の返答はだいたい予想できた。
「こうなったら絶対に勝つ!」
ほらやっぱり。
「次鋒戦!スヴェンVS魎呼選手!!始め!!」
始まりの合図を聞くが否や、まるで鏡合わせのようにスヴェンと魎呼の二人はまったく同じタイミングで後方へと大きく跳ぶ。すると瞬く間に当初十五メートルほどだったお互いの距離は三十メートル近くにまで離れ、二人は油断無く相手を視界の中心に捉えながら沈黙する。
今までの序盤から激しいぶつかり合いとなっていた試合とは対照的な珍しく静かな始まりだった。
(……穏便にってわけにはいきそうにねぇな)
紳士を自称しているスヴェンはたとえどのような相手であれそれが女、子どもであるならばできれば傷つけることは避けたいという思いがあった。そのためできれば怪我を負わせることなく終わらせたかったのだが……どうやら目の前の相手は想像以上の実力者のようだ。
(闘気、重心の位置、構え、どれをとっても超一流……体捌きも下手すりゃ時の番人クラスか)
スヴェンほどに数多の戦闘経験を積み重ねているものであれば、相手のわずかな動きから感覚的に実力を測ることも可能だ。そして、彼は強いが上に悟ってしまった。
この相手に出し惜しみをすればあっという間に負けてしまうと。
(序盤は温存しときたかったが……使うか)
隙のない仕草でスヴェンはアタッシュ・ケースを持つ右手とは逆の左手で右目を覆う眼帯に手をかけると、躊躇なく剥ぎ取った。
そこから現れるのは澄んだ色をしたある魔法に近い異能を宿す亡き友から受け継ぎ、進化した瞳。
その様子を黙って観察していた魎呼は今のスヴェンの行動に対して思案する。
魎呼はその性格ゆえか周りからも無計画に戦いを進めていると思われがちだが、それは大きな誤りだ。実際に魎呼は『真剣』な戦いになると思慮深くなり、普段通り激情に捕らわれない限りはいつもよりはるかに冷静になる。
相手の力量がわからないうちは迂闊に飛び出すわけには行かない。なにせ、魎呼から見てもここは異常の巣窟だ。負ける気はしないが、勝てる気もしない。そういった者達があまりにも多すぎる。目の前の相手がその分類に含まれないとは言い切れない。
だが、相手の能力に関するヒントはある。それは選手紹介の際に司会が言っていたあの言葉だ。
(『支配する目で戦場を見通す』ねェ……やっぱあの眼がアイツの能力に直結してるってことかい)
先の鷲羽にしてもそうだが、司会は早口で言っていため普通はここまで明確に覚えられているはずがない。それだけ鷲羽と魎呼の頭脳が桁外れに優れているのだ。
だが、残念なことにこの『別の場所』にまだ精通しきっていない魎呼にはその情報を生かしきる手段がない。あくまで憶測止まりになってしまうのだ。その点、今回のスヴェンは能力の判別がしやすいため運がいいとも言える。
不気味な沈黙が一分、二分と続いていく。
そして沈黙する時間が長引くたびに魎呼の頭の中の比重は傾く。攻めるか、攻めないかで。
今の魎呼の頭の中を簡単に表現すれば、時間という重りを徐々に天秤の片方に乗せていっているようなものだ。今はまだ何とか冷静という重りががんばっているが、このままではそう遠くないうちに逆転するだろう。
ちなみにスヴェンの方を見てみると若干緊張からか額に汗が浮かんでいるが、それだけだ。相手が動かないのならまだまだこの沈黙を続ける気でいる。
三分、四分、五分。時間は止め処なく流れ行き、ついに、というかやはり魎呼の天秤が逆転した。まあ、彼女の性格を知る者にとってみればこれほど我慢できたことの方が驚愕に値すべきことだ。実際に控えの場で見ていた阿重霞など三分目あたりで「信じられない」と呟いていたとか。
「ああ!もうやめだー!!こんなじれったいのは私の性に合わないってーの!!」
言いながらもその目にギラギラと輝くものは押さえきれない闘志。それは一種の圧力さえ持って地面に皹を奔らせ、正面に立つスヴェンの肌をも打ち付ける。
(来るか……!)
今までの沈黙が一転して、まるで猛獣のような威圧が噴き出した魎呼に対しスヴェンもまた警戒を強める。スヴェンにしてみればこれは好機だ。侮れない相手ということ以外はまるで情報がないが、正面から向かって来るのならば御しやすい。
元々掃除屋の目的とは相手を倒すことでも殺すことでもない。制することを目的としているのだ。そういったことは手馴れている。
しかし、スヴェンは一つ失念していた。
制するべき相手が、
「いっくぜーーーー!!!」
人の域とは限らないということを。
「!?」
その現実を直視したとき、スヴェンは迂闊にも完全に意表をつかれたといえよう。
魎呼は重力を無視するように空中に浮かび、文字通り飛翔してきた。だが、それはいい。空を飛べること事態は彼にとってすでにそう驚くべきことではない。
問題はその超絶した速度。あろうことかその速度は恐らく弾丸すら超えている。実際に対峙したわけではないスヴェンにはわからないだろうが、それは大会最速クラスであるあのアルクェイドにすら匹敵していた。
だが……彼の眼の前には、全ての速さが無意味なものに成り果てる。
それは、どんなものであろうと例外はない。
一秒どころか半秒とかからずにスヴェンの元に辿り着いた魎呼はこの速度で激突したときの相手の安否など気にも留めずに速度を落とさずそのまま体当たりをしようとして……身体が空を切った。
「なっ……!?」
ありえないはずの事態に魎呼は目を点にしながら止まることも忘れてそのまま瓦礫の山に轟音をたてながら突っ込む。普通の人間なら考えるまでもなく即死ものだが、もちろん魎呼は普通ではない。
何もなかったかのように瓦礫の山を抜け出し、そこに帽子を拾うスヴェンの姿を見る。
はっきり言って今の現象は魎呼でさえも理解不能だった。なぜなら、魎呼は完全にスヴェンを捉えていたのだ。万が一避けられたとしてもすぐに軌道修正することもできるほど正確に、だ。
だからそれは避けられるはずがない。ないのだが……現実にスヴェンはありえない事態を起こしてしまっている。
一瞬転移かと疑ったがすぐにその考えを破棄する。見ていた限りそんな兆候はない。それにそれなら帽子が落ちることもないだろう。
そんな疑問が渦巻いている魎呼をしりめにスヴェンは帽子についた砂埃を落とし、再び被り直していた。
「ぎりぎりだったな……もう少し『支配眼(グラスパーアイ)』の発動が遅ければ死んでいたかもな」
「『支配眼』?ないだいそりゃ」
恐らくそれがあのありえない状況の中で必殺の体当たりをかわすことができた手品の種なのだろうが、やはりどういう能力なのかは名称から読み取ることはできない。
「悪いが、俺はたとえ女とはいえ戦っている相手にわざわざ自分の能力を教えるほどあまくはねェんだ」
「ま、そりゃそうだね。なら、力ずくで聞き出してやるよ!!」
魎呼は周りの瓦礫を吹き飛ばしながら空高く飛翔し、手の平に浮かべた光を一本の棒状に伸ばして頭上からスヴェンに切りかかる。
だが、スヴェンは動かない。迫る魎呼の姿をその眼に焼き付けているだけだ。
(今度こそ正体を暴いてやるぜ!!)
魎呼には確信にも似た予感があった。スヴェンは再びその『支配眼』という能力を使うという予感が。そしてそれは見事に的中し、正面からスヴェンの姿が消失する。しかし、それは本当に消えたわけではない。超高速な動きによって一瞬で魎呼の側面に回りこんだのだ。
(速い!?)
間違いなく速さでは完全にこっちが上回っているにもかかわらずそれを超える速度を出すという完全な矛盾。恐らくケースで殴られたのだろう。緩んだ腹筋に加えられた痛みに魎呼は微かに肺に溜まっていた空気を吐き出すが、この痛みの代償はあり、この能力の一端を掴んだ。
それは、
(超高速移動!!)
口元に思わず笑みが広がる。たぶん鏡を見ればさぞかし自分は嬉しそうに笑っていることだろう。
それほどに気分は高揚していく。その胸に広がるのはただ一つの感情。
(おもしろいじゃねェか!)
それは、喜び。
地面に落ちる寸前で体勢を立て直し、魎呼は地に降り立つ。同様にスヴェンも危なげなく着地する。
きしくも両者の距離はあの沈黙していた時と同じだった。しかし、あの時と決定的に違うのは両者の表情だ。魎呼は心底楽しそうに、スヴェンは焦りからか表情が優れない。
(今ので気絶してくれねェか……厄介だな)
スヴェンとしては意を決してケースを使ったのだからできれば今の腹部への一撃で終わって欲しかったのだが、やはりそうあまくはないらしい。しかし、だからといって試合を長引かせることはできない。
あの速い攻撃を避け、かつ銃を使わずに魎呼を倒すためには『支配眼』が必要不可欠なのだが、これには二つ欠点がある。
魎呼はスヴェンの能力の特性を超高速移動と判断したようだが、実際には似て否なるものだ。
スヴェンの『支配眼』の正体。それは『目に見える全ての動きを支配しスロウにする』というものだ。
さらに詳しく説明すると最大で約五秒間、時間の流れを遅くし、その中で神速の速さで動くことを可能にする。
だが、先にも欠点と述べている通り当然強い能力には少なからずデメリットも存在する。
一つ目は身体への負担。なにせ発動させている間の感覚は通常と同じとはいえ、現実にはその数倍以上の速さで肉体を酷使していることになるのだ。当然身体への負担は普段の比ではない。
二つ目は体力の消費量。これは魔力に頼っているわけではなく、体力で能力を行使しているためだ。
普段ならこの二つの欠点もさして問題にならないのだが、魎呼のような相手の場合は別だ。
自称『紳士』であるスヴェンはできれば女性相手に武器は使いたくない。捕獲用の道具では今までの魎呼を見る限り間違いなく逃げられる。やけに身体が丈夫で気絶させるのも無理。逃げ回ることも不可能。
……ここまで相性が悪いのも珍しい。
はっきり言って本気を出しても勝てるかどうかわからない相手に対して本来の実力の半分すら発揮できない現状では話にならない。
このまま戦っても無駄にこのもう一つの切り札『A・W・ケース(アタッシュ・ウェポン・ケース)』のギミックをばらすだけだろう。
スヴェンは意識を決して魎呼から逸らすことなく、チームメイトがいる選手の控え場に目をやる。
その視線に気づいたトレインはそこに込められた意図を悟ったり、微かに笑いながら頷いた。
(すまねェな)
スヴェンは心の中でトレイン達に謝罪し、
「ギブアップだ」
と前の試合での鷲羽のように司会へ告げる。
「は?」
魎呼にしてみれば、これからが本当の闘いだというのにこの目の前の相手は何を言ってるんだ?とそんな感じである。
しかし、そうやって呆けている間にもスヴェンは何も言わず魎呼の横を通り抜け、チームの控えの場へと戻っていく。だが、当然の事ながら魎呼が納得するはずもない。気を取り直した魎呼は慌ててスヴェンの後姿へと視線を送り、怒鳴りつける。
「って、ちょ、ちょっと待ちやがれ!どういうことだよ!!てめェ逃げるきか!?」
魎呼の罵倒のような言い草にスヴェンは立ち止まり、振り返ることもなく口を開くと平坦な口調で告げる。
「……その通りだ。俺じゃあんたに勝てそうにねェ。なら、まだ俺の能力や装備がばれていないうちにやめといた方が次の試合を有利に進めることができる。後は仲間にまかせる」
それだけ言ってスヴェンは再び歩き出すが、そこに魎呼が挑発するように言葉を投げかける。
「へっ……能力ってーのは超高速移動のことかい?」
「…………」
スヴェンの肩が一瞬ピクリッと震えたが、何も語ることもなく歩き去っていった。
「勝者!魎呼選手!!」
後に魎呼はこの勝利宣言は物凄く虚しかったと語ったという。
あとがき
まずは前回返信できなかったポットさんとなまけものさんに。
>ポットさん
どうやら四肢、もしくは身体全体の動きをまず束縛するために秋葉は檻髪を使ったと思われているようですが、実際に秋葉が最初に狙ったのは蛮の顔、正確には眼です。
試合前のアルクェイドが秋葉に言った忠告の中での一文に
>「あいつが、あのウィッチクイーンの孫だからよ。妹は知らないと思うけど、ウィッチクイーンはお>そらく魔法使いも含めて最高クラスの神秘の行使者。そんな奴の孫ってだけでもヤバイのに…>…しかも『あの眼』……私の予想が正しければ妹、地獄を見ることになるわよ」
こうやって『あの眼』とあるとおり、事前に秋葉は蛮の眼が何らかの効力を持つと推測することができました。ですが、これだけでは秋葉が容赦なく蛮の顔を狙う理由としては正直低いと言わざるを得ません。そのわずかな差を埋めたのが志貴という存在です。
もはやいちいち説明する必要すらありませんが、志貴は『直死の魔眼』という反則のような眼を持っています。故に秋葉の中では意識している、していないにしろ効力のある眼は危険という第一印象が根付いていることになり、自分を脅かす可能性がある眼をまず真っ先に潰そうと無意識の内に考えていたわけです。
ちなみに秋葉は蛮の時の選手紹介の内容を覚えていません。
それと蛮がわざわざ月夜チーム、ひいてはアルクェイドに魔眼をかけた理由は第九話の後書きに述べているとおり確認のためで、それを行ったのは後の二人を信頼していたからです。
ちなみにその確認をした原因となった元凶はこの大会に参加しています。
>なまけものさん
…………素晴らしい。準備期間という本編の核心に触れようとしているのもそうですが、まさかあえて『烈火の炎』のそこを突っ込まれるとは思いませんでした。
本当はすぐにでも語ってしまいたいんですが、今はまだ語れません。
ただ蛇足として、この大会に参加している作品全てはくだらなくも大切な部分を担っています。
それでもこの件について物凄く簡単に言うと、超越者達が数多あった異常を確信に変えた事態、でしょうか。
ちなみに題名については良いのが浮かばなかったためですが……やはりおかしいので変えちゃいました。『箱庭への誘い』に。
なお、一日たったらちゃんとタイトルに表記します。
ここからが今回の本当の後書きになります。
あれから色々と考えた結果、『天地無用!』は一番絡めやすいと思われる漫画の新・旧の魎皇鬼編に設定することにしました。ここら辺なら一対一に限れば他の作品とのパワーバランスも極端に壊れているというわけでもないでしょうから。それにネックであったある点が解決しますし。
ちなみに説明していなかったと思うので『BLACK CAT』について説明すると、時期はだいたい本編終了後の三ヵ月後ぐらいで、ある事態のためにトレインはオリジナルのハーディスを持っています。これはなまけものさんのところで書いた『数多ある異常』、つまり『烈火の炎』と共通するものがあります。
試合の内容については両方とも棄権による勝利になってしまいましたが、鷲羽については例えイヴ以外であったとしてもこの結果に変わりありませんでした。私の考える話の根本にはどうしても鷲羽の力が必要であったためです。まあ、そのぶん後で優遇しようと思いますが。
そしてスヴェンVS魎呼ですが……はっきりいってスヴェンが不憫でなりません。
女性ということで自慢の『アタッシュ・ウェポン・ケース』の凶悪すぎる武装の数々を使うことができず、気絶させようにも肉体の耐久度が桁違いに高いためそれもできない。さらに元々のスペック差が離れすぎているため『支配眼』を連発しないと攻撃がかわせない……
実力云々の前にもっと根本的なところでスヴェンの敗北は決まっていたような気がします。
まあ、魎呼の身体能力は一対一の先頭で見ると恐らく通常か満月時どちらかのアルクェイドに匹敵するものがあると思いますので、最低限『支配眼』の連発は仕方ありませんが。
それと言い忘れていましたが、当然ながら魎呼の神秘に対する知識、抵抗力は皆無といっていいです。
……そういえば、もしもスヴェンの相手が鷲羽だったらどうなってたんでしょう?……実験?
おまけ
相性表
イヴ ― 白眉鷲羽 ○
もっとも簡単にこの二人の関係を表す砂沙美と鷲羽ですね。あれに少し知的なものを取り入れるとこうなる、っていう感じですね。◎でないのは……なんででしょう?けどこの二人は◎にはならない気がするんですよね。
スヴェン=ボルフィード ― 魎呼 △
これはスヴェンが魎呼を嫌っているからではなく、魎呼がスヴィンを嫌っているためです。もっともその嫌いというのも何となく苦手という意識からです。まあ、スヴェンの紳士道が合わないのでしょう。
裏設定7
今回は前回、桜葉さんからの質問である『影の薄い火影チームとアンダーグラウンドチームですが、他のチームに個人的にでもつながりのある人はいるのでしょうか?』の返答です。
他のチーム内の人物と個人的な繋がりがあるのは八人の中で紅麗だけです。その繋がりがある人物は二人いて、一人はウィンフィールドでこれは親しい関係というよりもC-COM財団のトップとして訪れた紅麗と覇道財閥トップの覇道瑠璃の会談の時に応対の役を務めたぐらいですね。
なお、この会談の内容は彼にすら知らされていないのと、瑠璃から直接この会談が行われたことは他言無用と釘を刺されています。
もう一人はセフィリアですが、この二人に関しての関係はまだ明かせません。
他の七人もこの大会に来てから数人と知り合いになっています。
全員挙げると多くなるのでここでは各作品の主人公の烈火と留美奈がもっとも仲のよくなった人物に絞りますと、烈火が葉、留美奈が優です。
これ以外の人物をここで書くのは長くなりすぎますので気になったキャラがいたらレスにて聞いてください。
それでは次回、黄昏の式典第十二話〜世界の縮図〜をよろしくお願いします。
なお、以前言っていた『とある魔術の禁書目録』の二次創作『とある超能力の一方通行』をArcadiaのその他投稿掲示板に投稿いたしました。
……なんか宣伝じみてるのでそのうちここは消すかもしれません。