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「終わらない夜を唄おう4(夜が来る!)」

娑羅刺那 (2005-09-02 00:26/2005-09-02 02:31)

 一緒に戦って欲しい。

 自分に割り当てられた寮の一室で、涼子は数時間前に言われた言葉を反芻していた。

 戦う。人生は戦いだ、などというがそういうことではなく、はっきりと敵と言う存在と、己が命を賭けて争うということ。

 平穏な日本という国の、しかも一介の女学生がそんな事で悩むなんて涼子は想像したことも無い。

 争いごとがまったく無い人生を送ってきたわけではない。部活や、通っている道場で練習試合を人よりも多くやっている自覚はあるし、喧嘩もそこそこの数をこなしている。ただ、命をかけて、明確な殺意と覚悟のもと行われる殺し合いと呼べる物なぞ、ついぞ体験した事も想像した事もなかった。

 火倉の言葉を思いだす。

 真月と呼ばれる、蒼い、もう1つの月。人の目には映れども、観測の結果物理上は存在しないと言われる幻の月を何時、誰が言い始めたのか”真の月”と呼ぶようになった。それが5年前。真月が煌々と輝く夜に決まって起こる凶悪事件はルナシィ、月狂病と呼ばれ、涼子もニュースで何度か見聞きした覚えが在る。

 帰った直後にネットで検索をかけてみた。

 ルナシィ、それはイギリスの方では随分と昔から認知されている心の病なのだそうだ。

 英語でlunasyは精神異常、狂気と言う意味で、lunatic――月の、月的な、狂気の意――の名詞形である。

 luna、和訳ではmoonと同じ月と言う意味だが、lunaに関係する言葉に面白い物を見つけた。

 lunatic asylum、lunatic fringe、前者は精神病院の昔の呼び名であり、後者は少数過激派、熱狂者たちという意味合いだ。

 月には魔力が満ちている。そう思わせるものを無機質な文字の羅列に感じることが出来た。

 次に月で検索をかけた。

 月の満ち欠けと海の満ち引きの関係に始まり、動物の生態にも深く関わりそして人の心を狂わす物として太古の昔より月は共にあった。日本では昔から月の光を浴びながら寝ると狂うと言われるし、竹取物語の台詞の中でも「月をご覧になってはなりません」とある。

 犯罪と月の関係は5年前よりもさらに遡る。

 イギリスを恐怖のどん底に叩き落した劇場型犯罪の元祖、切り裂きジャック。彼の犯した殺人は確実な物だけでも5件、不確定な物を含めれば10数件にも及ぶ。売春婦のみを狙い残忍な手口によって次々と彼女たちを血祭りに上げたジャックは結局逮捕される事無く、もう100年以上経っている。

 二重人格と言う言葉を定着させた、ジキル博士とハイド氏のモデルとなったイングランドの職工ウィリアム・ブローディ。市議会議員でもあった彼は夜な夜な強盗、殺人を行い昼は人畜無害な人間を装ったそうだ。結局彼は、潜伏先のアムステルダムからアメリカへ逃亡する途中、逮捕され絞首刑に処せられた。

 そんな彼らが満月や新月の晩に犯行を行っていたという記述まである。

 現在でも満月の晩には精神病院、救急病院は大忙しだし、出血が増えるので手術を嫌う医師まで居るほど。放火、殺人、強盗、強姦、満月そして新月の日は犯罪も目白押しだ。

 またイギリスでは、1842年に月狂条例――Lunacy Act――という法律が施行された。満月の夜に月狂病の患者たちを狂気の発作を起こさないようにと一晩中鞭で打つ法律であったそうだ。

 火倉の言では、それらの犯罪の幾つかは実は精神疾患でも薬物中毒による錯乱でもなく、人類の敵によるものだと言うのだ。その者たちは光狩と呼ばれ、平安の昔からこの世の闇に潜んでいたのだという。奴らは人の精神、心といった部分に巣くいじわじわとそこを食い散らかし、やがて人を唯の肉の塊に貶めるという。

 真月の存在は、そんな者たちの力を助長させるものであり事実5年前からルナシィのものと思われる事件は増大した。

 それを狩る者が火者と呼ばれる夜を守る者たち。火倉たちは大津名市を拠点とするその一派なのだそうだ。

 人を喰らう光狩と、それを狩る火者。自分にその火者になれと言う女性、火倉いずみのあの赤い瞳。真直ぐな瞳、その中に決意と覚悟が見えた。とても冗談を言う人間のそれではなかったし、さりとてクスリやハッパをキメている様にも見えなかった。

 あれこそが、狂信者と言うものだろうか。信じられないような話を、真剣に話しそれをまた自分に信じろと言う。

 信じられるわけが無い。そう断ずる事ができたならどれだけ楽だっただろうか。しかし涼子は知ってしまった。異形に堕ちた親友を。大きく裂けた口、骨を易々と砕く異能、涼子を食うと躊躇いも無く言える精神を知ってしまった。そして、あの蒼。あれこそが涼子に別世界を覗かせる大穴となった。

 あの蒼の男は、羽村亮と言うらしい。火倉より1歳下であるらしいから、順当に行っていればすでに学園を卒業し、就職なり進学なりしている歳だろう。自分と大差ない歳の男の異常な殺気、そこにこそ異形の跳梁跋扈する異界を見た。

「どうしろっていうのよ」

 枕に顔を埋めて呻く。

 出来るはずが無いのだ。多少荒事には慣れている。それでも命のやり取りをする、そんな修羅場は今まで経験した事も見た事も無い。多少一般人より喧嘩が得意、というだけの学生に彼らを相手取り戦うなんてことは土台無理な話というものだ。

 またも火倉の赤い瞳がちらつく。「忘れたければ、記憶を消してあげる」そうあの女は言っていた。

 火倉はそんな事さえもできるらしい。涼子の頬、転んだ時にでもできたのか髪に隠れていた擦過傷を、目の前で治されなければそんな話も信じる事もなかったはずである。

 火者も光狩も蒼の男も、そして火倉たちと会った事も全て忘れることができる。それはこの上なく魅力的な話だ。涼子は別にお話の中に出てくる英雄でも勇者でもない。ただの日本の学生なのだ。自分の本分も領分も理解しているつもりだ。こんなものは、それこそお話の中の者たちに任せておけばいい。そんな考えがどうしても浮かんでしまう。

――臆病者と笑わば笑え

 涼子はまだ死にたくない。家族の事が大好きだ。十数年も生きていればそれこそ喧嘩だってなんだってするがそれでも好きだ。学校生活も退屈で不満は探せばいくらでも有るが、だからといって手放したいものではない。涼子は、死にたくないのだ。

 そしてなにより、家族と同様に育ちそして学校生活を常に共にした大事な人が居る。

 涼子は治療中ということで会えなかった響香の事を想った。


 部室から見える空は、涼子の内面と同様曇り濁っていた。

 記憶を消し元の生活に戻るか、それとも火倉たちと共に戦うか、答えは3日待ってくれると火倉は言っていた。

 火倉たちに助けられてから一日もたっていない。それでも涼子は答えを携え天文部にいる。もとより考えるのは得意ではない。ならば最初に決めた想いのままを火倉たちに伝えるのが上策だ、と火倉に渡された携帯の番号に朝一番連絡し、課業終了後に会う約束を取り決めた。

 部室には百瀬ともう1人、三輪坂と名乗る女性がいたが「答えは部長が聞く、ここで待つように」と言うと2人ともどこぞへと消えた。

 実際記憶を消せるのは火倉1人のようだから、答えを聞いた直後に処置をすることを考えればそれが妥当だ。だから涼子は1人、部室から空などを眺めて時間を潰している。

 記憶を消す。元の生活に戻る。そう答えを出したのは昨日の夜。その答えに不満は無い。無いはずなのだ。それなのに、涼子の心には引っかかるものがある。その正体を涼子は理解していた。それでいいのか、と叫ぶもう1人の自分を涼子は認めていた。

――仕方、無いじゃない

 そう1人ごち、もう1人の自分を納得させようとする。それでも、声は止まない。

 それでいいのか、お前はそれで後悔しないのか。と、もはや叫びに近い勢いで涼子を責め立てる。

 自分は勇者でも選ばれた者でもなんでも無い。ただ少し荒事に慣れた女、ただそれだけだ。そんな者が入った所で彼らの足手まといにしかならない。なにより自分は死にたく無いのだから。

 涼子はまるでそこにもう1人の自分がいるかのように、拳を力いっぱい握り締めた。

 ごう、と何かが吹き荒れる音が聞こえた。周りで何か起こったわけではない。内面で、もう1人の涼子が荒れ狂った音だ。消されまいと足掻く彼女の怒りの声だ。

 内側から自分を食い破り、表に出ようとする彼女を抑えている時火倉が現われた。

「待たせてしまってごめんなさい」

 そう言った彼女は目の下にクマを作っていた。心なしか表情も冴えない。

「お疲れですか?」

「ちょっと、色々あって」

 火倉は言葉を濁した。色々、というのが響香の治療の事であると直ぐに気づいた涼子は、これから彼女の申し出を断ることに強い罪悪感を覚えた。

「響香には、会えますか?」

 だから、そう聞いた言葉は、実際に響香を心配する想いが大半だったが、極わずかにではあるが申し出を断る瞬間を先延ばしにしようという矮小な思いもまたあった。

 そんな涼子の内面なぞ気づいた素振りも無く、頷いた火倉は「こっちよ」と言って部室から外へと案内した。

 道すがら、2人とも無言だった。話すに話せなかった。自分でさえ納得しきれていないと気づかされてしまった想いを抱え、どうして彼女と雑談なぞできようものか。

 日がささない、暗く長い廊下を無言で進む。床を踏む音がやけに大きく響く。外から届く野球部の物であろう掛け声が酷く遠く聞こえる。自分が異界に迷い込んでしまったような感覚を涼子は味わった。

 どれだけ歩いたろうか、幾つも教室を通り過ぎた時ふいに火倉が手を握ってきた。何事かと見やる涼子に「ここから、人忌みの結界を張ってるから」と答えてそのまま進む。

 人忌み、つまりは人避けのようなものかと納得していると、目的地に着いたようだった。

 そこはなんの変哲も無い普通の教室。ただ、長いこと使われていないのか埃とカビの臭いが僅かながら感じられた。

「ここに彼女はいる」そう告げる彼女の言葉を惚けた頭で半ば聞き流す。

 ここに、親友が、あの響香がいる。胸に湧き上がるのは昨日の夕日の中で感じた恐怖、怖気、そしてそれに勝る愛しさ。

 何年も一緒に遊んだのだ。自分が手を引きさまざまな所へ連れまわした親友、その姿が瞼を閉じるとまるで今そこに在るかのように浮かび上がる。いや、今彼女はこの扉ごしに確かにいるのだ。そう自分を納得させると、扉を開いた。

 そこは異様な内装をしていた。教室にあるはずの椅子や机は取り払われ、中心に病院にあるようなベットが1つ、空間を独占するように鎮座している。そしてそれの周りに見たことも無い文字がが床一面に書びっしりと書かれている。窓にはカーテンが引かれ、ただでさえ暗い空間をさらに暗く深いものにしている。

――夜だ

 幼い日に、恐ろしくて両親の布団に潜り込んで震えた夜が、そこにあった。日の光も星の瞬きも、文明の明かりさえも寄せ付けない深く濃い闇。寂しくて、薄ら寒くて、どうしようもない夜がそこにあった。

 響香はベットの上に1人仰臥していた。近づいてみるとひどく穏やかに、深くゆっくりとした呼吸を確認することができる。その事に喜びながら小さく「響香」彼女の名を呼んだ。

 彼女が起きる気配は無い。安らなその寝顔を、そっと撫ぜる。そしてもう一度彼女の名前を呼んだ。起きて欲しいのか、それとも起きて欲しくないのか、自分でもわからないほどに小さく優しく声をかける。

 どれだけそうしていただろうか。響香は軽く身じろぎすると、ひどくゆっくりとその瞼を上げた。

「涼子、ちゃん?」

 怯えた小動物のように、母にすがる幼子のように、小さくか細く、それでも明確な意思を持って彼女が呟いた。

 そんな彼女に頷いてやると、「おはよう」と声をかけた。

 すると彼女は唐突にその眼に涙を一杯にためると

「ごめんね、ごめんね涼子ちゃん。私、わたし涼子ちゃんに酷いことした。ごめんね……ごめん」

 一心に謝りながらはらはらと涙を零した。嗚呼、元の響香だ。涼子はたまらず彼女を抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫よ。気にして無いから。私、大丈夫だから」

 柔らかな髪を撫ぜながら、幼子に母がするように優しく語りかける。

 戻ってきたのだと。あの異形の彼女はどこかへと去り、元の臆病で弱々しい、けれども優しい響香が戻ってきたのだと、喜びに涼子までも涙を流しながら彼女をいっそう強く抱きしめた。

 10分もそうしていただろうか。やがて響香は泣きつかれたのか、またベッドに身を沈めて眠りについた。

 1脚だけある椅子を引っ張り出して枕元に座る。そして彼女の髪を撫ぜながら背後にいるであろう火倉へと声をかける。

「ありがとうございます。彼女を元に戻してくれて」

 響香を起こさないように、酷く小さい声ではあったが何故か火倉は聞き漏らすまいという確信があった。

「ごめんなさい」

 確かに聞こえてはいたのだろう。だが、返ってきた言葉は涼子の予想外の言葉だった。

「何故、謝るのですか」

 嫌な予感に心をざわめかせながら問う。髪を撫ぜていた手が凍りついた。

「彼女は、元には戻っていないの」

 足元が急に消失した。抗うまもなく奈落へと落とされる恐怖を涼子は味わった。

 呟くように「何故」と問うと火倉辛そうにぽつりぽつりと話し出した。

 普通、光狩という物たちはウィルスのような物で人の精神面に着床、その後人のエゴ、欲求といったものを糧に増殖、侵食し最終的には宿主そのものを乗っ取ってしまう。初期段階で発見したならばその存在そのものを切除し駆除することも可能だが、末期段階になり宿主そのものを乗っ取ってしまったものは助ける手立ては無くなる。すでにそれは人ではなく、人の殻を被った光狩そのものとなってしまうのだと言う。

 だが、と涼子は反論する。響香本人が言っていたではないか。昨夜ピーターパンと出会いこの体になったのだと。ならばまだ二日しかたっていない。それならまだ助かる見込みはあるのではないのかと。

 しかし、火倉の言葉は非情だった。

 普通の光狩ならば、助かる見込みもあったのだろうと。つまり、響香に取り付いた光狩は普通の物では無い、と言うことなのか。

 火倉はさらに続ける。

 響香は、正確に言うのならば光狩に取り付かれたのではなく、光狩そのものになったのだと。

 前例事態が稀である為、治療方法が確立されていない。ならばせめて人を襲う事の無いように、と設けられたのがこの床一面に書かれた奇怪な文字なのだそうだ。これは響香の力を弱め、体を縛り体力を削り取るもので、命に支障はないが動き回る事など出来ないように張られた鎖の代わりとなっている。

「じゃあ、響香は一生このままなんですかっ」

 こんな暗い部屋に独り。満足に動くことも叶わぬ中、いつ訪れるとも知らぬ朝をひたすらに待ち続けると言うのか。

 耐えられるわけがない。そんな寂しさに人の心が堪えられるわけがない。それを、火倉は響香に強いるというのか。

 激昂し、掴みかかる手を火倉は避けようともせずに受け入れた。避けれるはずなのに。少なくとも目は確実に涼子の手の動きを察知していたのに、避けもせず揺るがぬ紅をこちらに向けてくる。

 火倉は自身の胸倉を掴む手に、そっと手を重ねると諭すように口を開いた。

「いいえ、1つだけ確実ではないけれど元に戻る方法が、あるにはあるの」

 その治療法とは、実に単純なものだった。

 響香をこうした直接の原因、ピーターパンの存在を消す、ようするに殺せば響香の体は元に戻るかもしれない、というのだ。

 まるであつらえたかのように理由が向こうから降って湧いたようだ。涼子自身が戦う理由。親友を助ける為に、元に戻すために戦う。実に分かりやすく、そして強固な理由のようにも見えた。

 それでも、と弱気な涼子は反論をする。

 自分でなくてもよいのではないか。いつか火倉たちがピーターパンを倒してくれるのではないのか。素人の自分はただ黙って日常が帰ってくるのを待っていればいいのではないのか。

「私たちもその存在を追っているから、無理に戦わなくてもいい。いつか私たちが……奴を殺すわ」

 まるで涼子の考えを読んでいるかのように、火倉が助け舟をだす。

「でも、その場合は、貴方は彼女を忘れなければならない」

「ど、どうして」

「記憶を消すっていうのは、そんなに便利なものではないの。私たちと光狩のことだけ綺麗に忘れる事はできないし、なにより彼女はまだ光狩そのものなんだから」

「じゃあ、記憶を消さないで戦わないって事もできるんじゃないんですか」

 感情にまかせて、つい本音を言ってしまった。戦いたくは無い。けれど響香の事は忘れたくない。そんな自分勝手で汚い感情を吐露してしまった。

 火倉はそれを聞いても怒る事も、蔑むでも無く変わらぬ表情で淡々と続ける。

「光狩という存在は、人のあるはずが無いって意識から生まれたこの世の忌み子なの。彼らの存在意義はただ1つ、この世に在ろうとする事。彼らの存在を知るものが居る、ただそれだけで彼らが存在しやすい世界へとこの世は進んでしまうの。酷い事を言うようだけれども、光狩の存在を知って戦う事をしない人はいたずらに敵に塩をおくるだけの存在なのよ。私は、1人の人間以前に、仲間を束ねる者としてそんな人を放置するわけにはいかないの」

 紅の瞳がその覚悟を物語って強く瞬いたように感じた。

「そんな、勝手な」

 掠れて言った言葉は、けれど本心ではない。火倉が本当に仲間を思っているからこその、非情とも言える考えに共感さえしている。もともと、火倉たちが居なければ自分の足も元には戻らなかったし、なにより響香はこうして生きてすらいなかったろう。

「ええ、わかっているわ。之は私の身勝手。だから貴方は抵抗してもいい。記憶を消そうとする私を倒して彼女と2人で逃げてもいい。でも、その時は私は全力をもって貴方を無力化する」

 本気だとわかる。憎まれても嫌われても、自分の決めた道を貫こうとする狂気とも言える想いをその瞳からうかがい知る事ができた。ただ、それが何のために、自分と大差ない歳の彼女がどうして、そこまでの覚悟を決めているのかはわからなかったが。

 涼子はその瞳を見続けることができず、目を逸らした。逸らした先に、響香の小さな手のひらが見えた。

 眠りにつくまで涼子の服をけして話さなかった手。竹刀を振り回し、喧嘩を繰り返し、分厚く節くれだった自分の手のひらとは比べ物にならないほどに小さく、か細く、愛しい手のひら。

 涼子はそれに縋りつくように握った。折れないように、痛みを与えないように、そっと、柔らかに。

「涼子ちゃん」

「響香、寝てなかったの」

「途中から、目が覚めてたの。ごめんね、お話、聞いちゃった」

 すまなそうに、そしてなにかの決意した者特有のまっすぐな目を向けてくる。

 響香は何度も噛みながら、いつも通りか細い声で、けれども決然と言い放った。

「私の事なんて、忘れちゃって。忘れて涼子ちゃんは普通の生活をして。幸せになって」

 その言葉に衝撃を受けた。言葉を発した響香の顔に覚悟を知った。

 響香がまた涙を流している。体がおこりにかかったかのように震えている。握っていた手のひらは、痛いほどに握り返されている。見ればその手は真っ白になるほどに握り締められている。

 それほどまでに悲しいというのか。

 それほどに恐ろしいというのか。

 それほどの覚悟だというのか。

 涼子は、自分がどれだけ醜かったのかを自覚させられた。友が自分の心配をし、火倉が信念を貫いているというのに、保身だけを考える自分をはっきりと見つけてしまった。

 鈍い自分でさえはっきりと認識してしまったのだ。感受性の強いこの親友が悟っていいな訳が無い。なのに、そんな涼子を罵倒することもなく、ただその心配をしてくれるというのか。

――嗚呼、この子が弱いなんてのは間違いだ

 なんて強いのだろうか。腕っ節だけで肝心な時にはからっきしの自分とは比べ物にならないくらいに強いのだと、今初めて気がついた。

 響香は1人、こんな暗い深い夜の中もとの体に戻る日をひたすらに待ち続ける覚悟を決めている。長年連れ添った友に忘れ去られる悲しみと恐怖に耐える覚悟を決めている。

 涼子はたまらない怒りを感じた。

 1人で夜が終わる事を待ち続ける覚悟をしてしまった、悲しい強さを持つ親友に。その覚悟を決めさせてしまった火倉の言葉に。親友の体をこんな風にしてしまったピーターパンに。そして、なにより彼女をここまで追い詰めてしまった自分自身に。

 何時まで逃げているつもりだったのだ。戦わねばならない、命をかけねばならない価値がこの友にはあったはずではないのか。

 命が大切じゃないなどとは言わない。それでも、それだけではないはずだ。友を失い、惨めに背中を見せて逃げ出して、それで自分は本当に生きていると言えるのだろうか。

――ふざけるな

 そんな生、想像するだけで吐き気がする。貫かねばならぬ自分があったはずだ。涼子にはそれがあったはずなのだ。それをなさないで生きる事なぞどうして許容できよう。

 今、内面で燻り押さえつけられていた涼子と、弱気を吐いていた表の涼子が意見を一致した。

「ふざけるな!」

 つい、怒鳴っていた。

 目の前に居る響香がびくりとその身を震わす。

「私は、響香を失った人生なんて欲しくない! 背中を向けて逃げ出すなんて私は許せない! 響香をこんなにした奴を許しておくなんて出来ない!」

 ただただ猛る想いを言葉に乗せて吐き出し続ける。

「いいわ。戦って、叩き潰してやる。殺せというなら殺してやる。私の為に、響香が居る日常を、私が、私の手で取り戻してやる!」

 勢いよく後ろを振り向く。

 そこには初めて見る火倉の微笑みがあった。彼女は黙って右手を差し出してくれた。

 その手を黙って握る。自分以上に節くれだち、固くなった手のひら、そこに戦う者の覚悟と過酷さを垣間見た。

 強く握る。火倉がそれ以上に強く握り返す。

 覚悟を決めた。それがたとえ周りからみて愚かな行為だとしても、それでも自分自身だけは裏切らないように。

 絶対に生き残る。生き残って、ピーターパンを殺し、響香を元に戻し、日常を取り戻すのだ。

 響香の夜を、終わらせる。


後書き

 どうも娑羅刺那です。投稿掲示板復活おめでとうございます&おつかれさまでした。ということで早速投下させていただきます。

 今回は一般人(多少気の強い感はありますが)である涼子の戦う決意、というものを書きました。原作では結構すんなり主人公は戦いの場に身を投じるわけですが、そんな怖いことをすんなり一般人が了承するもんかなという思いからこの話を書く事になりました。

 しかし、読み返せば読み返すほど台詞少ないですね。しかも説明ばっかりですし。他の皆様のように台詞回し巧くなりたいもんです。今後の課題です。

 こんな話ですが、多少なりとも感じる物がございましたら一言でもかまいません、感想批評をいただけると嬉しいです。

白様>いつもいつも感想ありがとうございます。今回心理描写ばっかりで(しかも微妙ときたもんだ)アレですが少しでも面白いと感じていただけたら幸いです。


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