病んだ心を持つ少年 第二部
時系列的におかしくなっていますが、空の境界の殺人考察の後となっています。
痛覚残留/黒桐幹也、式森和樹
学生が休みに入る七月の終わりに、僕はいつも事務所に顔を出す友人といっても差し支えのない少年と共に居酒屋の暖簾を出た、時間的には夜半過ぎ、彼の恋人と言える少女達に連絡は入れて今日は僕のアパートに泊まってもらうことになったけど。
一緒の仕事のついでに寄った店は彼の家としている寮には遠く、僕も少年もタクシーを利用するようなお金は持ち合わせていなかった。
非としては終電を逃す時間まで彼を帰すことを思いつかなかった僕にあるのだろうけど。
色々複雑な事情を抱えている少年だが僕に懐いてくれているようなところは本当の弟のように思えて嬉しかったのか、口数の少ない彼が口を開いて会話をしてくれたので長々と引き止めてしまったことだろう。
結果としては僕のアパートが近いのでそこに泊まってもらう運びになった。
それでもお金がないので二駅といえる距離を二人で歩いて返ることになったのだが、給料の少ない雇い主に微妙に不満が沸き起こったが今それを考えても仕方がない。
日付の変わりそうな雨上がりの繁華街を二人で歩いていた、空気は雨上がり独特の蒸し暑さを持っており夜だというのに、いやよる独特の絡みつくような暑さを伝えてくれる。
そのせいか、明日が平日だからか繁華街には人通りも少なく閑散と寝静まっているようだ、僕と彼は互いに会話をすることもなく、席ほどまではポツリポツリと酒の力で口が回っていたのかもしれない少年も黙り込み、二人で足元にある水溜りで水音を立てていた。
そんな時に、僕は道の傍らに蹲っている少女を見つけた。
黒い服の少女がおなかを押さえて前かがみになって蹲っている。
そして、その少女の黒い服、妹の通う礼園女学院の制服、その服装で僕は少し驚いた。
妹の通う学園は校則に厳しい全寮制の女子校、門限どころか平日の外出すら許されていない厳格を通り越した学校だったはず、そんな少女がこんな時間に。
何らかのトラブルか、それとも寮を抜け出しての夜間外出かと考えるがどれも想像の域を出ない、でも目に付いた以上ほうっておくのも後味が悪い、妹と同じ学校に通っている生徒ともなれば尚更に。
僕は傍らにいる和樹に声を掛ける。
「あの子、どうしたのかな」
別段返事を期待したわけでもない、彼は他者に対する興味が薄い、只僕は自分が彼女に関わる了解の言葉を彼に放ったつもりだった。
「血の臭いがする。怪我している」
彼の目線は彼女を捉えて言った、うそを言うような少年でも、この手の、血臭を間違えるのも彼らしくない、怪我をしている言うならば怪我をしているのだろう。
その言葉で僕はもう一度彼女を凝視する、少女をジロジロ見るのもどうかと思うが、そうも言っていられない。
蹲っているのは、髪の長い少女、俯いて表情は伺えないが大人しそうな整った顔立ちだというのは判る、髪をストレートに降ろしているが右側の髪が少し不揃いになっている、他は左右対称の綺麗な髪形なのに、そこだけが不自然。
良家のお嬢様といった風貌であるだけに尚更に。
「どうしたの、そんなところで」
少女に声を掛けてみる。
「はい、なんでしょう」
血色の悪い、明らかに体調を崩している青い顔で少女は答える、唇が紫色、酸素欠乏症、チアノーゼを起こしているのは明白だ、手をお腹に当てているようだが怪我しているのならそこだろうか。
勘だけど一応聞いてみよう。
「お腹、怪我してるの」
「あの、その・・・・・・・違います」
僕の問いに彼女は口をどもらせて答え、一瞬の逡巡を見せるが、その間は肯定なんだろう。
だけど、いや痛みを堪えて僕に答えるその姿は危なっかしくて、危うさを感じさせた、儚いと言うか、存在が希薄というか、そう、地に足が付いていないような、そんな安定感のなさ。
今にも消えてしまいそうな、始めてあった和樹君のような、何もなさ、なんとなくそう感じる。
「怪我、しているね。礼園の生徒だろう、学校に連絡しようか、それとも救急車を」
「いえ、大丈夫ですから。大丈夫ですから呼ばないでください」
頑なに誰かを呼ぶことを拒んでいる、何で、この距離なら僕でも判るぐらい微かな血の臭いがするというのに。
「大丈夫って顔じゃないだろう。何処か病院に行って治療しないと。何処を怪我しているんだい」
我ながらしつこいと思いそうだが、ほうっては置けない、彼女のような危うさを僕は見すぎている、放っておくには僕は手遅れだ、放って置くには今更だ。
「病院に行きたくないの」
「はい、そうです」
逡巡もなくそう答えられた、何かわけがある、いやお嬢様学校の少女がこんな時間に怪我をして蹲っているんだ、わけがないわけもないだろう。
・・・・・・・困った。
病院にも学校にも、そして、多分警察への連絡も彼女は断るだろう、この分だと家族への連絡も嫌がりそうだ、だが、見ず知らずとはいえ怪我をした少女、それも先ほどまで雨が降っていたのでずぶ濡れ、ずっと雨に打たれていたのだろうか。
夏だというが、この時間に長時間雨に打たれていて、怪我もしている、最悪命に関わりかねない。
こういう人を捨て置けなくなったのは何時からだろう、彼にあってからだろうか、それとも式と出会ってからだろうか、だから自然に。
「じゃあ、僕のところに来る、治療は彼がやってくれると思うから」
了解はとっていない、でも彼が他人の治療に慣れているのは知っている、覚えた経緯も知っているが、彼を巻き込む形になってしまうが、仕方がない。
「いいんですか!?」
少し縋る様な目で少女が僕と彼を見る、もう怪我をしていることは否定しない、認めたというよりはもう誤魔化しきれないとおもったのかもしれない、もしかしたら何かに、誰かに頼りたかったのかもしれない。
僕はうなずいて。
「一人暮らしの部屋だから君のような女の子を連れ込むべきじゃないとは思うんだけど。今のところこっちが君に何かしようとは思っていないけど、僕も健康な男の子だからね悪い偶然が起こらないとも限らないし。それに君の治療をするのは彼だよ、同年代の男の子に肌を見せることになることになるけど、それで構わないなら、おいで。たいした部屋じゃないけどね」
少女は喜んだ。
手を差し伸べると彼女はその手に捕まり、よろけるように立ち上がった。
「大丈夫、歩ける」
「大丈夫です、歩けます」
只、僕は彼女が座っていたところに赤い水溜りがあるのが眼に入った。
これは急がないと。
だけど少女はそれ以後はしっかりした足取りで僕たちについてくる。
「辛いんだったら言ったらいいよ。男二人いるんだから君ぐらいなら背負って歩けるから。それと彼は無口だけど気を悪くしないであげてくれるかな。君を悪く思っているわけじゃないから」
「傷は塞がっていますから、大丈夫です。歩けます。それに気にしていませんから」
片手を腹部に当てたままの彼女は、僕には嘘を吐いている様に見えた、子供が痛いものを痛くないというような、それを大人がやっているような、そんな嘘を。
少し歩いて、彼女はよろけ。
倒れそうなところを彼が抱きとめ、そのまま僕の部屋に連れて行くことになった。
症状は失血性の失神、血が足りないということだ。
少女の名前は判らない、聞かなかったし、名乗らなかった、余り深く詮索しないほうがいいと思えたから、余りに近づこうとすると彼女は逃げてしまうだろうと思えた。
今、彼女は僕の部屋のベッドで眠っている、彼が和樹が彼女の服を脱がせ、腹の刺し傷を救急セットで治療していたが明らかに刃物による傷なのだそうだ、治療の間目の置き場に困ると思ったがその傷を見て何かを感じるような感性を僕は持ち合わせていない。
湧き上がるのは彼女のようなお嬢様が何故そんな傷を抱えて、夜の街を濡れ鼠でいたかという疑問、確かに人にはいろいろあるのだろうが、疑問に覚えるかどうかは別の話だ。
確かに出血は止まってはいたが、何の治療も受けていない傷跡は痛々しく、頑健さとは縁遠い少女の傷としては余りに不似合い、その少女を半裸にして黙々と治療する光景に少し怖いものを感じる。
上半身を半裸にしている気を失っている少女が少年に治療されている図、それを眺めている僕、式に見られたら僕は無事じゃすまないなという考えが浮かんで。
死を覚悟した。
その後治療を終えた僕等は少女をベッドに寝かせ、男二人は床で雑魚寝することになった、そう言えばこの部屋に式以外を泊めるのは初めてだったかもしれない。
朝目覚めると、少女はベッドの上で正座していた、他に座るスペースがなかったのだろう、見渡すと和樹は起き上がっているようだったが、寝起きかなのか、起きてだいぶたつのか表情からはまったく判らない。
再び、少女に視線を向けると、彼女はぺこりとお辞儀をした。
「昨晩はお世話になりました。御礼は出来ませんが本当に感謝しています」
「あっと。ご丁寧に」
寝起きに言われて頭が回っていないのか、そんな返答をしてしまった。
「傷は大丈夫なの。痛まない、昨日気を失ってから悪いとは思ったんだけど患部を見せてもらったけど。ああ、勝手に見たことは謝るよ」
昨日の傷跡を見た後では心配にもなる、軽い傷では決してなかった、即命に関わることは無いと和樹は言っていたけれど、刺された位置が良かったらしい。
「大丈夫です、ご面倒をおかけしました。私の体を見たことは気に致しませんので」
その後、家を出ようとする少女を引き止めて朝食を共にすることにした、たいしたことも出来ないけど、それぐらいはしてもお節介にはならないだろう。
それに少女の表情は芳しくない、ここで放り出すのは余りに無責任じゃないか、一度は助けて、二度目は放り出す、それは偽善だろう。
僕は後ろで最後の診察を行っている二人を尻目に台所に立つと調理を始める、それでもやはり大したものはなく備蓄していたスパゲティとミートソース、それに茄子とベーコン、式が僕の家に来るようになって遥かにマシになった食糧事情とはいえ、男の一人暮らし冷蔵庫の中身など寂しいものだ。
完成品は茄子とベーコンのミートソース、朝から少し重いものが出来上がってしまった。
三人分を食卓に運び食べ始めるが、少女と和樹は一言もしゃべらない、なんとなく野居心地の悪さを覚えてテレビを点けてみるが、余り食事時に見るような内容ではなかった。
「橙子さん好みの事件だなぁ。このニュースを見てたらニヤリと笑ってコーヒーでも飲んでそうな」
本人に聞かれたら、殴られるではすまないような気もするけど、居ないのだからどうでもいい、だが本当に我が雇用主が喜びそうな猟奇的な事件が報道されている。
放置された地下バーで発見された余人の高校生の死体、四肢を引き千切られて、切断されてではなく、血の海の中で発見された。
四人は四人とも素行不良で、彼らの過去を語るキャスターの内容はどうもろくな人間じゃなかったようだ、別段そのことに対しては何も感じないが朝から聞きたい話題でもないので、気分は悪くなる。
ふと、テレビから目を離すと少女もテレビに目線をやり、僕の視線に気が付いたのかあわてたように立ち上がり、出て行こうとする。
僕はそんな彼女を追いかけて、少女の手首を掴んで引き止める、だけど彼女は嫌がるように身動ぎをして、それでも足はとまっているようなので手を離す。
ニュースを見てあわてて立ち上がる、彼女はあのニュースに関わりがあるんだろうか。
「どうしたの、落ち着いて。まだ体が悪いんだからそんなに走り出したりしちゃ」
あえてニュースの内容には触れないようにする、どうも彼女は何かに動転しているようだ、落ち着けるのが第一で。
「いいんです。ご迷惑をおかけしちゃいましたけど。私、やっぱり・・・・・・・・駄目なんです。戻れない」
儚い顔、虚ろな表情、何もない顔、それでいて何かに苦しむ顔、苦痛に耐える顔、その顔は初めてあった時の彼等や、目が覚めたばかりの、何もないガランドウの式に似ている。
だから、余計に、本当に、捨て置けない。
それでも無理やりに彼女を留め置くことも、それは彼女の苦痛になるだろう。
「さようなら、もう二度と、会いたくありません」
彼女はそうお辞儀して部屋を出て行った、始終顔に苦悩を貼り付けて、泣きそうな顔で。
僕は、でも彼女とかかわりを持つだろう、そう思う、いやそうした、後でもう一度彼女と会ってみよう。
その後僕は和樹を伴って僕の勤め先“伽藍の洞”に向かう、住宅街にある廃墟とどう意義の事務所、こんなところに居城を構える経営者の感性を疑ったことは一度や二度ではないが、その詮索は意味のないところだろう。
雑然とした事務所、乱雑な印象を受ける事務所に、藍色の着物を着た少女がいた、こんな場所には不釣合いなほどに可憐で、それえいて惚けたような瞳を僕に向ける。
「おはよう式、朝からこんなところにいるなんて珍しいね」
「こんなところとは失礼な奴だな。黒桐、一応は君の職場で、私の事務所だ。将来的には私と君の愛の巣になる予定もあるんだぞ」
式の向こうにいる雇用主がサラリと言ってきてくれる、何やら物騒なことを言ってくれる、僕としては無視の方向で行きたい。
確かに雇用主、青崎橙子さんは美人だろう、飾り気のない黒のスーツを着ていても格好のよさが滲み出てくる、実際彼女に言い寄ろうとする男性は多いんじゃないだろうか。
だけど、式の目の前でそんなことを言われてもちっとも嬉しくない、というか蜘蛛の巣にかかった獲物のような気分が普段からしているのに、今は・・・・・。
「冗談にしておかないと殺すぞ。おばさん」
式、君だんだん口が悪くなる、やっぱりここにこないほうがいいんじゃないかな、何と無くだけど、いや居なかったそれはそれで僕が危ないのか。
それでも即座に懐からナイフを取り出すのはどうかと思うよ、オリハルコン製のだし。
どうも橙子さんは式と僕をからかう為にだけ言っているとは思えない。
傍らの和樹は我関せずとソファに座ってお茶を入れようとしているし、本当にマイペースだね。
「ほう、私と遣り合おうというのか式。生憎だが私は不死だ、勝ち目はないぞ、小娘」
その巨大なトランクは何ですか、大体いつも思うんですが中身はいったい何なんですか。
式の後ろに鎌を構えた死神が、橙子さんの後ろに獅子の幻影が見えたような気がする、僕は和樹の前に座って、和樹が用意してくれていた、お茶を啜った、程よく渋くて美味しい。
後ろの喧騒をよそに僕と和樹はお茶を楽しんだ、時折高速で何かが飛んできたりはしたけど。
視界の端に滑るような足取りで近づきナイフを振りかざす式と、距離をとろうとしてトランクの中にいる何かを式に襲い掛からせようとしている橙子さんというシュールな光景が、見えたけど、僕の周りではおおむね平和・・・だと思いたい。
ああ、お茶が美味しい。
「ふん、生娘と変わらんような女が私をおばさん呼ばわりなど万死に値することを思い知らせてやる。覚悟はいいだろうな、式」
「年齢不詳の魔女が何をほざく、幹也は私のものだ」
「何、男に対する手管に負ける気はせんよ。黒桐に私を堪能させてやろうか。あっさりと捨てられるのはお前だぞ、式」
「殺す!」
ああ、お茶が美味しい。
この争いは二人が力尽きるまで続いたんだけど、最後には式を膝枕にしてやって、橙子さんは自分の机で座っていてもらった。
式が勝ち誇った笑みを浮かべ、橙子さんは不満そうな表情で僕を睨んでいたけれど、祖コのところは気にしないでおこう。
でも、橙子さんに相談があったんだけど、この機嫌じゃ切り出しにくいなぁ。
久しぶりの連載再開となります病んだ心を持つ少年、これは完全な改訂版でこれ以前の話は戯言遣いsaraの戯言部屋にある改訂版を参照してください、こちらの過去ログのところにも御座いますが、少々内容が異なります。
さて今回は、以前の連載とは流れが違いまして、空の境界、痛覚残留編、またの名を浅上藤乃編となっております、原作でもかなり痛い話の近作ですが、出来るだけのハッピーエンドを目指しています。
目標はどのような経緯をたどって、藤乃に自分の救いを見つけることが出来るか。
では遅筆ながらも楽しみにしてくださる皆様が居られましたら感謝申し上げます。