少女は眠る。
王子様が現れる、その日まで。
スリーピング・ビューティー
「・・・今日もまた無駄足ね。しょうがないわ。ホテルで休みましょう」
そういうと、シェリーはため息をついて手にした本を閉じた。
ここはエジプト―――。熱気を帯びた大地と、のどが渇くほどに熱い空気が、シェリーの額に玉のような汗を浮き上がらせていた。そんな天気にもかかわらず、シェリーはいつもの正装のままだ。すその広がったスカートが、砂埃を巻き上げる風にひらひらとたなびいていた。
シェリーがため息をつくのも無理は無い。ここ数日間、魔物の気配を感じるのは感じるのだが、いつもその場所に向かえば逃げられた後という苦い思いをしていた。エジプトの砂漠を捜し歩いたが、まったく見つかる様子は無い。隣で、ブラゴがフン、と鼻を鳴らした。
「なるほどな・・・弱い奴だ」
そう呟くと、ブラゴはすたすたと歩き出す。その様子に、シェリーは驚いたようにブラゴを呼び止めた。
「待ちなさい!ホテルはそっちじゃないわよ」
「少し散歩をする。お前は休んでいろ」
そういうと、ブラゴは人ごみにまぎれて消えていった。ブラゴの消えた通りをしばらく見つめていたシェリーだったが、爺を呼びつけるとホテルへともどって行く。
クーラーの効いた車に乗り込むと、シェリーはもう一度ため息をついた。
最近、ブラゴの様子がどうもおかしい。何度も何度も魔物に逃げられているせいなのだろうか。一人で行動することが多くなっていた。元々勝手にどこかへ行くことが多かったブラゴだが、ここ数日はシェリーがホテルにいる間はいつも姿が見えない。
一体どうしたのかしら、とシェリーは首をかしげた。
―――前はもう少し一緒にいたのに。
別に困ることがあるわけでもないが、なぜか引っかかる。
そうこうしているうちにホテルに着き、シェリーはホテルマンに案内されるままに部屋へと向かう。心はもやもやと晴れないが、疲れが溜まっているのだろう。ふかふかとしたベッドを見ると、体を休めたいという衝動に駆られた。
足下に置かれた荷物を開く事もせず、シェリーはベッドに体を横たえる。すぐに襲ってくる睡魔に身をゆだねることにした。ここ最近飛行機やら船やらの中でゆっくりと眠る事も出来ず、暑い砂漠をさまよいながら魔物がいつ襲ってくるかという緊張感に耐えていたのだ。眠りたいと思うのは、ごく自然なことだった。
―――ごめんなさい、ブラゴ。ほんの少し―――
散歩に言ったというブラゴが心配ないわけではなかったが、ベッドの誘惑はあまりにも強かった。
眠らせて、と呟いて、シェリーは深い深い眠りに落ちていった。
―――ああ、ここはどこ?
はっきりしない意識の中で、シェリーは誰かに問いかけた。
周りは暗く、冷たく、そして寂しい。
シェリーは、ふとこの感覚を前にも味わったことがあるのだと気づいた。
そう、この夢は何度も見たことがある。
冷たくて、暗くて、寂しくて―――
誰かに助けて欲しかった。
誰かに見つけて欲しかった。
自分が望んで身を沈めたはずなのに、いざ「ここ」に来るとそう思う。
シェリーは、そんな自分の弱さを呪った。もう何年もたつのに、未だにそのときの恐怖を忘れられない自分を。
―――誰か―――
もがくように、シェリーは必死に手を伸ばそうとする。
だが体は言うことを聞かない。
夢だとは分かっている。助かったという事も覚えている。
だが、駄目だ。
伸ばした手を引き上げてくれる人はいない。
あのときのように、彼女は―――ココは、いない。
あの時、彼女は光だった。
もはや意識もそぞろになっているシェリーが、暗闇の中で唯一見た光。
それがココだった。
―――ああ、私にはもう―――
光が無いんだ。
絶望に沈むしかないんだ。
この、暗くて冷たくて、寂しい川の中で。
そうか、とシェリーはぼんやりとする意識の中で思う。
何度眠っても、いくら眠っても、なぜかシェリーは心が休まらなかった。
それはきっと、この夢が、何度も何度もシェリーを絶望の中へと陥れていたからなのだと。
そしてこの夢は、いつまでも自分を苦しめるのだろうと。
ココを救うまで。それまで、ずっと。
昔の自分と、ココの変わり果てた姿。
それが脳裏に浮かんでは消え、そしてまたシェリーは深みにおちていく。
―――誰か・・・私を
救って欲しいとは言わない。
そんな贅沢は言わない。
でも、せめて―――
私を、奮い立たせて。
この暗闇に打ち勝てるように。
誰でもいい。なんでもいい。
私を、奮い立たせて。
「シェリー」
不意に、声が聞こえた。
シェリーはガバッと跳ね起きる。起きた瞬間に眠っていたのか起きていたのかわからない奇妙な感覚にとらわれ、頭を抱えた。
「やっと起きたか」
声のほうを見ると、ブラゴが腕を組んで壁にもたれかかっていた。ブラゴの目の前には見慣れぬ色の魔本が置いてある。
「それは・・・!どうしたの、ブラゴ」
「火を貸せ」
突然のことに理解がいかず、シェリーは慌てて床においてあったバッグをまさぐる。手に触れた金色のライターをブラゴに放ると、ブラゴは手馴れた様子で魔本に火をつけた。
目の前で燃やされる魔本を見ながら、シェリーは何がなんだか分からずにポカーンとしていた。
そんなシェリーに気づいたのか、ブラゴはライターを放り投げると同時に呟く。
「散歩に行ったら魔物がいてな。お前がいなくても十分な相手だった」
「え・・・」
魔本は、ぶすぶすと煙を立てて消えていく。その光景を目の当たりにしながら、シェリーは状況が飲み込めずにいた。
なぜ魔本が?なぜブラゴが?私が眠っている間に?
様々な考えをめぐらせつつあっけに取られているシェリーには目もくれず、ブラゴはさっさと部屋から出ようとしていた。
「ま、待ちなさい!これは―――」
「明日は北に行くぞ。気配がするからな」
呼び止めるシェリーに、ブラゴはぶっきらぼうにそういうとドアノブに手をかける。
「そうじゃなく、なぜ・・・」
貴方一人で戦ったの、という言葉を飲み込んで、シェリーはブラゴを睨みつけた。
シェリーには、ブラゴのパートナーとしての自信があった。人間と魔物という違いがあるため、十分では無いかもしれないが、努力している。
親友を救うために魔物を倒す。王となるために魔物を倒す。
そのためにともに戦うことを決めたのに、一体なぜブラゴは一人で戦いなんかを―――
シェリーの視線に気づいているのかいないのか、ブラゴはさっさとドアの向こうへと去っていく。
「まちなさ・・・」
「もうここには魔物はいない。分かったらさっさと休め」
そう言って、ブラゴは扉を閉めた。
シェリーはぽかんとして、ブラゴの去った扉を見つめていた。
―――もしかして・・・
ブラゴは、自分を気遣ってくれていたのだろうか。
ここ最近のシェリーの疲労を考慮して、勝てる相手だと自分ひとりで戦いを挑んでいったのか―――?
まさか、とシェリーは自嘲気味に笑みをこぼす。
ブラゴにかぎって、そんな気のまわし方をするわけがない。あのブラゴが―――
そう思いながら、カーペットに付いた焦げ跡を見る。
その焦げ跡は、なぜかシェリーを安らかな気持ちにさせた。
自分の考えている「もしかして」が限りなく真実に近いことを確信できたから。
シェリーは、もう一度ベッドに横になり、目をつぶる。
さっきのようなざわめく不安感は無い。
夢を見ても大丈夫。今ならそう思える。
これから何度も、何度もあの夢を見るのだろう。眠るたびに暗くて冷たくて寂しい暗闇でもがくのだろう。
でも、大丈夫だ。
シェリーはもっと深い暗闇を知っている。
冷たいけれど、あたたかくて、厳しいけれど、優しくて。
私が不安になる暗闇を、追い払ってくれる暗闇。
安らかに身をゆだねることが出来る、暗闇。
そこに光は無い。でも、大丈夫。
暗闇には彼がいるから。
私を奮い立たせてくれる、彼がいるから。
光を見つけるまで、光を救う日まで、私は暗闇でもがき続けよう。
だから、今は眠ろう。
眠り姫のように。深く、深く。
「まったく、人間というのは弱い奴らばかりだ・・・」
空を眺めながら、ブラゴが呟く。
空には、満天の星が煌いていた。
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Rです。ここではかなり(どころじゃなく)珍しいガッシュの二次です。シェリーとブラゴの関係はいいですね。付かず離れずで。
果たして受け入れられるのか?とも思いますが、GSのほうがあまりうまく進まないので気晴らしに。
では、これにて。