HONKY TONK――――よろず屋を営む王 波児が経営する裏新宿と呼ばれる世界でも有数の危険地帯に店を置く喫茶店だ。そこには毎日様々な客が訪れる。表の世界で生きていけなくなった者、人生に絶望した者、組織や人に追われて逃げてきた者と本当に様々だ。
だからか、ここには表ざたに出来ない様な仕事を裏の世界に生きるあらゆる分野のスペシャリスト達に依頼する中継地点としてもよく使われている。
そして今この時にも――――店の奥で男が二人、ある商談の話しを行なっていた。
一人は体格の良い軍人のような面持ちと殺伐とした雰囲気を纏った欧米系の人物。
そしてもう一人は、黒の帽子を深くかぶり、黒の白衣を着込んだ全身黒一色の優男。
「Dr.ジャッカル……キミに運んでもらいたいものはこれだ」
欧米系の人物……Aと名乗った男が足元に置いていたアタッシュケースを手に取り、テーブルの上に置く。
「これは?」
Dr.ジャッカルと呼ばれた優男はそれを細く冷たい目で一瞥すると切れた帽子の隙間からAの心の内を覗くかのような視線を送る。その視線にさらされたAは、額から一筋の汗が伝うのを自覚した。
Dr.ジャッカル 赤屍蔵人
この裏新宿で何かを営む人物なら、必ず一度は聞くことがある名の一つだ。
最強最悪の運び屋、赤屍蔵人。
その想像を絶した戦闘能力の高さから同業者からも忌み嫌われる裏稼業界最強の一人。
(どうやら、噂通りの人物のようだな)
これでもAは数々の地獄のような戦場を渡り歩いてきた歴戦の猛者だ。その猛者が目の前に座る優男に完全に気圧されている。いうなれば、住む世界の次元が違うのだ。
「どうかされましたか?」
「……いや、これだが、お前ほどの奴なら遺跡、とゆえばわかるだろう」
遺跡――――この一般人には表の意味しか成さないただ一言に、赤屍の口元が愉悦に歪んだ。
「……なるほど。では、私の相手は……」
「…………」
若干の沈黙の後にAは口を開くが、その内容は、豪雨と雷によってさえぎられた。
死神と妖精の闇夜の舞闘
深遠の闇が辺りを覆い隠し、わずかな月明かりに照らされた人通りのない深夜の道路にただ一台の車が走る。
どこにでもある何の変哲も無い車……それを遠くから見つめている一人の人影があった。
「あれが今回のターゲットか……」
まだあどけなさを残した少年は望遠鏡でただ一台、公道を走る車を追いながらつぶやく。
(ったく……よりにもよってあのDr.ジャッカルが相手かよ……怨むぜ、山本さん)
そう毒づいた少年、御神苗 優の脳裏に昨日の会話が思い出される。
「いい加減にしてくれよ、山本さん。これ以上働いたら冗談抜きで過労死しちまうよ」
学校まで電話をしてきた山本に優は開口一番に愚痴る。しかし、だからといって優を責めることはできないだろう。なにせ優はこの一ヶ月ですでに五件もの仕事をこなしているのだ。いくら優とはいえ、これ以上の無茶は勘弁して欲しかった。
「そうゆうな、優。今回の仕事は今までとは別格なんだ。下手をしたら、あの大蛇の時のように世界は混乱に見舞われる可能性がある」
「!?どうゆうことだよ!」
「落ち着け。今回発見された遺跡はヤマタノオロチの神話に登場する『天叢雲剣』だ」
「あ、天叢雲剣だって!?」
天叢雲剣――――スサノオがヤマタノオロチを倒した際に尾から出てきた一振りの剣。
「現時点では天叢雲剣がどんな能力を持っているかはわかっていないが、数ある日本神話の武具の中でも最高クラスの代物だ。少なくとも、『水晶の髑髏』以上の遺跡であることは間違いない。どうだ?これでも引き受けないか?」
自分の身体のことを考えれば断りたかったが、それ以上に自分の生まれ育った国の秘宝が悪用されるのは我慢ならない。
「……わーたよ。それで?相手はどこなんだ?」
「米軍だ。遺跡を運んでいるのは情報通りなら二人だ」
「二人……?それなら俺じゃなくてもA級エージェントで十分じゃ……」
A級エージェントの名は伊達ではなく、そこらの国の特殊部隊以上の実力がある。別に二人だけならスプリガンが出張る必要はないんじゃないか……そんな考えが頭の中をちらつくが、次の一言でその甘い考えは吹き飛んだ。
「その二人の内の一人が、赤屍蔵人でもか?」
「赤屍蔵人って、まさか……あの史上最悪の運び屋が相手なのか!?じょ、冗談じゃねー!そんな化け物ジャンや朧に回してくれよ!」
「あの二人は今、別の任務についている。すぐに動けるのはお前だけなんだ」
それからどうなったかはあえて語る必要はないだろうが、一つだけ。結局いつも通り押し切られた明記しておく。
「クス……どうやらいらっしゃったようですね」
これから始まる楽しいひと時を思い描いているのか、赤屍は見るものを恐怖と絶望に塗りつぶす薄い微笑を浮かべる。
「……Dr.ジャッカル。わかっているとは思うが……」
車を運転するAはバックミラーを通し、視線だけで赤屍に注意を促がす。数多の戦場を渡り歩いてきたAは赤屍からわずかに漏れる穏やかともいえる殺気を感じ取っていた。それはなぜかあの地獄ともいえる戦場の風景を無理矢理記憶から引きずり出す。
「心配せずとも、無事に運びますよ。ただ、私は仕事の過程を楽しませていただくだけです」
その言葉が紡がれたその時、耳に響くような轟音がこの深遠の覆う闇の中に轟いた。状況を把握するためにサイドミラーを確認したAは驚愕の悲鳴を上げた。
「なっ……!?バズーカだと!?正気か!?」
Aが叫ぶのも無理はない。高速で飛来する破壊の弾はもしこの車に命中すれば、車はもちろん下手をしたら遺跡にまで被害の及ぶ可能性がある。そして、それをわからない妖精でもないだろう。
「クス……」
混乱の極致に追い込まれ、悪態をつき、相手の正気を疑っていたAの耳に赤屍の嘲笑がやけに大きく聞こえてきた。
「どうやら……あれはこの車を狙っているわけではないようですね」
「なに……?」
呆けた声をAが出したその瞬間に弾は車を追い越し、側面の岩山に命中した。
地響きを響かせながら前面に大量の土砂や大岩が転がり落ちてきて道を封じる。
「クっ!?これが狙いか!!」
眼前に現れた大岩に衝突寸前の所で急ブレーキをかけ、横向きに滑らせながら車を停止させる。すぐさま隣に座っている赤屍に声をかけようと首を向けるが、すでにそこには赤屍の姿は無く、いかなる手段で物音を立てずに車を出たのか、漆黒の闇を微かに照らす月光を背に立っていた。
「あなたは中にいてください。でなければ……」
暗闇と同化した死神は静かに笑う。なぜなら待ち人たる妖精が同様に月光に照らされながら現れたのだから。
「命の保障はできませんので……」
赤屍は抑えきれない狂気と歓喜の響きをその言葉に込めて、一歩、また一歩、地を踏みしめ、優へと確実に歩み寄る。
その様は、恐鬼のようで、狂鬼のようで、凶鬼のようで、数々の死闘を潜り抜けた百戦錬磨の優でさえ、赤屍からほとばしる底知れない雰囲気に飲み込まれそうになるほどだ。
「はじめまして、スプリガンの御神苗 優君。私は赤屍蔵人。裏新宿で運び屋を営業している者です」
「……俺のこと知ってんのか?」
愚問だ。優自身、そう思う。自慢じゃないが、自分は裏の世界ではかなり有名だ。むしろ知らない方がありえない。だが、それでも優は少しでもこの避けられない戦いを先延ばししようとしていた。せめて、この異様な雰囲気になれるまでは……。
「クス……もちろんです。実を言うと、キミのことは前々から興味があったんですよ。世界最強クラスのエージェント、スプリガンの中で最強といわれる方がどの程度のものなのかとても興味深い。実に、ね」
嬉しそうに、楽しそうに赤屍は言葉を紡ぐが、切れた帽子の隙間から見える狂気の瞳は一時も優を捕らえて放さない。その瞳を見たとき、優は覚悟を決めた。
すなわち、戦う覚悟と、殺す覚悟を。
「では……時間も押してるので、そろそろはじめましょう。くれぐれもあっさり殺されて私の楽しみを奪わないでくださいね」
途端、空気が凍った。
いや、実際には凍ってなどいない。だが、確かに凍ったのだ。赤屍から溢れ出る冷たく、鋭利で、容赦のない殺気によって。
「……お手柔らかに、頼むぜ!!」
A・Mスーツを発動させた優は殺気に飲まれることなく、むしろその殺気を飲み込むかのように裂帛の気合を吐き出して、勇敢にも自ら赤屍に仕掛けた。
人間の限界を超えているとしか思えない超速で間合いをつめた優は赤屍の手前で緩急をつけるとフェイントを織り交ぜ殴りかかる。これを表現するならば、吹き荒れる荒き疾風。だが、優が荒き疾風なら、赤屍は黒い閃光だった。
銀色に光り輝く鈍い閃光が、拳を潜り抜け、優の首を、頭を、心臓を正確に射抜かんと走る。
「なっ!?くっ!!」
神がかり的な超反応でとっさに身を翻した優はその閃光を皮一枚で避け、続けざまに回し蹴りを赤屍の胴体に向けて放つ。
タイミング、速さ、力、全てが完璧だった。だが、その渾身の蹴りは胴体に届くことはなかった。
「クス、なるほど。あなたも、あるいはバトルの天才と呼べる可能性を秘めているようですね。それでこそ楽しめるというものです。ですが……」
突如現れた血のように紅い……いや、血そのもので構成された盾で事も無げに優の蹴りを受け止めた赤屍は、笑う。
ぞくっ
その直後、言いようのない悪寒が優の全身を駆け巡り、蹂躙する。
優は考えるよりも早くもう片方の足で盾を蹴りつけ、即座に距離を取った。
その直後、閃光が走り――――背後の木々が突如として倒れた。
何故倒れた?
何故木の表面が滑らかなんだ?
何故――――赤屍は、血のように紅い剣を持って笑っているんだ?
否。そんなこと疑問に思うことが疑問となる。単純に切り倒したのだ。
それこそ優の目でも捉えきれないほどの悪魔のような速さで……
「その服は、少々邪魔ですね。少し、待ちますから、脱いでもらえませんか?もし、脱がない場合は……」
血の剣を垂直に構え、静かに囁くその姿は……
「次で、細切れです」
まるで、黒衣の死神が大鎌を振りかぶっているように見えた。
この服、オリハルコン繊維で作られたA・Mスーツといえども、あの魔剣の前には少々硬い石のようなものだろう。しかも優にはあの魔剣をかわしきる自信は無い。
ならばどうするか?簡単だ。実に簡単な答えだ。
死神の言葉通りこの服を脱いで、自身を縛る枷を外せばいい。
スーツを脱ぎ捨てた優は五感を、全ての神経を赤屍の動きに集中させる。
自分の一挙一動を監視されているような感覚にさらされた赤屍は、ただただ笑う。
「クス……いいですね。それでこそ、私が闘いたかったスプリガンの御神苗 優です。これなら、私も楽しめそうだ」
静かに、嬉しそうに、狂った歓喜の声を上げた赤屍に向かい優は駆け出す。
それが、本当の始まりとなった。
優の動きは今までの直線的なものから一変して、変則的なものに変わった。前と思ったら左、左と思ったら後ろとまるで空を舞う木の葉のようにしなやかに揺れ、赤屍の動きに対応する。
何故、さっきまで眼で追うことすらほとんど叶わなかった優が赤屍の動きに対応できているのか?
感じているのだ。空気の動きを、地面の振動を、肌で感じているのだ。それは、己の師より教わり、その師を超えた動きであった。
しかし、それでも赤屍との死闘は互角だった。
一閃の煌き。いつの間にか優の手には大型のナイフが握られ、優の頬にわずかに刻まれた傷から、血が流れる。赤屍を見れば、同様の箇所に同様の傷が刻まれていた。
「素晴らしいですね。まさか、私に傷をつけるとは……まだまだ楽しみたいのですが、なにぶん時間も無い。そろそろ終わりにしましょう……」
そう言いながら赤屍が無造作に手を振ると、傷が無いはずなのに血が宙を舞い――――無数のメスへと変貌した。
「「なっ……!?」」
優と見守っていたAの口から漏れたのは、まったく同一の感情。すなわち、驚愕。
無数のメスの軍隊は優を取り囲むかのように動き、自らを統率する指揮者の言葉を静かに待つ。
「中々楽しめましたよ……御神苗君」
賞賛のように、死刑宣告のように告げた赤屍は、静止している軍隊に指揮を出そうとして、止めた。
「やれやれ……予想よりも速かったですね。これは少しあなた方を甘く見すぎていました」
向ける視線の先は優ではなかった。気づけば、数十人の軍隊が、三人を取り囲んでいた。
「こいつらは……米軍機械化小隊(マシンナーズプラトゥーン)!?ちくしょう……ここで増援かよ」
米軍機械化小隊――――率直に言えばサイボーグ部隊のことだ。現在発表されている軍事技術は氷山の一角に過ぎず、裏では想像を絶する超兵器が数多く存在する。これもその内の一つだ。しかし、これらの超兵器の背景には巨大な組織の影があるようだが、詳しいことはわかっていない。
この時、優は死を覚悟した。たとえこのメスの軍隊を突破したとしても、その先にあるのは数十人のサイボーグに死神。いくら数々の死地を乗り越えてきた優といえどもこの状況はどうにもならない。だが、そんな優の予想とは裏腹にサイボーグ達は赤屍とAにも銃器を向けていた。
「用件はわかっているな?アレックス・マクドガル大佐……貴様が奪った遺跡を返してもらおう」
「は……?」
あまりにも急な展開に優は唖然とアレックスと呼ばれた男とサイボーグ部隊の隊長であろう人物を交互に見る。
「……断る。これは、危険すぎる。アーカムの手で封印されたほうがいいものだ」
「へ?」
アレックスの言葉に優は固まった。それも当然だ。今出たアーカムという組織は彼の所属しているところなのだ。
(いったいどうゆうことなんだよ……)
混乱ここに極まり、遂に優はさっきまで殺し合った中である赤屍に声をかけた。
「おい……これはいったいどうゆうことだ!?」
「クス……聞いての通りです。私の依頼内容は彼と遺跡を無事にアーカムかスプリガンの元まで運ぶことですから」
「じゃあなんでこんな回りくどいこと……」
言葉の途中で、ふと優は赤屍の噂の一つを思い出した。
曰く、Dr.ジャッカルは報酬より仕事の過程をとる。
「……お前、スプリガンと闘うためにか?」
返答は、薄く狂気が見え隠れする微笑みだった。
「つまり、どうあっても渡すつもりは無いんだな?」
「そうだ」
どうやらあっちの方もようやく話しが終わったらしく、双方から闘気と殺気が漏れ出した。今まで赤屍に気を取られていたため気づかなかったが、両者ともかなりの実力者だ。もちろんスプリガンには及ばないが、アーカムのA級エージェント以上の実力者であることは間違いない。
まぁ、とはいっても……
「さて、見られたからにはお前等にも死んでもらわなくちゃな」
こちらを見て愉悦に笑う者達を見ると、全てがそれに達しているというわけではないようだ。
「クス……」
「何がおかしいんだ?恐怖で壊れたか?」
赤屍が笑う。それは無謀な彼らを笑ったのか、それとも別の何かに対して笑ったのか、彼らには生涯わかることはないだろう。なぜなら……
「いえ……それより、まだ気づかないんですか?」
「何……?」
ずるっ、と何かがずれる音が、辺りにやけに大きく響く。
「あなた方は、五分ほど前に死んでいることに……」
瞬間、辺りに赤い、紅い、朱い花が咲き乱れた。彼らには笑った意味が生涯わからない。なぜなら……笑う前に、死んでいたのだから……。
「っ!?バカな……貴様はいったい……」
唯一生き残ったのは、アレックスと会話をしていたすでに壊滅した部隊の隊長だけ。
「クス、依頼人さん……私の依頼はここまでです。後は、御神苗君にお任せしますよ。そうそう……これをアーカムの会長に渡していただけますか?黄昏と共に、と言えばわかりますので。では、失礼します。もっとも、御神苗君とはまた近いうちに会うことになるでしょうが、ね」
辺りに血の池を作り出した死神は手紙を優に渡すとメスの軍隊をその身にしまいながら三人に背を向け悠然と歩き出す。三人は呆然とその姿が見えなくなるまで食い入るように死神を見つめ続けた。
その後、米軍の男は一人だけでは任務を続行できないと判断をしたらしく、戦闘を行なわないまま退却した。アレックスは優の説明のおかげで無事にアーカムに保護され、遺跡は厳重に保管された。
もしもこの仕事の時の話を聞かれたら、あの場にいた三人は口を揃えてこういうだろう。
死神がいた――――と
これは、終わりと始まりの舞台の一ヶ月ほど前の出来事だった。
あとがき
ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました。
本文を見て、あれ?っと思われた方がいるかもしれませんが、これは次の長編に繋がっています。どのように繋がっているかは秘密ですが、けっこう多くの作品をクロスさせて、二部構成になっています。
なお、アレックスはオリジナルなのでご了承ください。
ちなみに一ヶ月ほど前に投稿した『破壊の王と真祖の姫』『選択の後に―――』も元々はこのSSと同じく序章のつもりで書いたようなものですので、よければご覧ください。
次の投稿はいつになるかは定かではありませんが、後二、三作ほど短編を投稿してから長編の方も投稿しようと思っているのでよろしくお願いします。