私立葵学園の生徒、式森和樹は歩いていた。
本来なら、高校生たる彼は、まだ学校にいて然るべき時間である。
だが、「ボク、そんなことしらないもーん」とでも言いたげに、堂々と道を闊歩している。
別に、和樹は普段からサボリは常習の不良というわけではない。むしろ、なにかと問題のある二年B組の生徒としては、かなり真面目な方だ。
彼が昼休みが終わったばかりというこの時間に帰途についている理由は、ただ単に午後から魔力診断があるからである。
魔力診断とは、正しい魔力を知るために月一度義務付けられている行事だ。
魔法は、生涯何回まで使えるか、というのが生まれたときから決まっていて、この生涯魔法回数を使い切ってしまえばあえなくご臨終となってしまう。
だから、特に葵学園のような魔法エリートが集う学校においては魔力診断は重要なのだ。
若いし、なまじ回数が多いため『あれ? 俺、そんなに魔法使ってたっけ?』と、そういう事態が起きやすい。
一万回以上使える超エリートが、十代半ばで死んでしまったという逸話も存在するほどだ。
だが、和樹には、そんな心配はまったくの杞憂であった。
生涯魔法回数七回。
一般人と照らし合わせてもかなり低い数値の彼が、どうして自分の魔法回数を忘れることなどが出来よう。
「いや、出来るわけがない。かっこ反語表現」
抜けるような青空を見上げながら、ぽそりと和樹は呟いた。
まぁ、ぐだぐだ言っても仕方がない。魔法ばかりは天性のもの。
これが就職、進学に多大な影響を及ぼすとなれば笑うに笑えないが、要するにその他の技能で人生やっていけばいいのだ。
と、意外に前向きな式森和樹(勉強、スポーツともに平均点の男)。
「……ありゃ?」
考え事をしていたら、いつの間にか寮の自室の前に着いていた。
時々、思考の中に沈みこむ癖はどうにかしないといけないな、と思いつつ、ドアのノブに手をかける。
で、開けた。
固まった。“二人とも”。
「…………………………………」
なぜか、一人暮らしのはずの和樹の部屋に一人の人間がいた。
それは女の子だった。
やけに露出の多い服だな、と思ったら、下着姿だった。
“彼女”は、胸こそやや小ぶりなものの、無駄な贅肉などはなく、極めてスタイルは良かった。
きめ細かく白い肌が、どうしようもなく和樹の男の本能を刺激する。
和樹とて、エロ本の一冊や二冊押入れの中に所持している。その中に載っている誰と比べても、彼女は和樹好みの体をしていた。
(いや、こーゆー表現はどうかと自分でも思う)
つつい、と視線を上にやる。
……目が合った。
なかなか愛らしい顔立ちの少女だ。何が起こっているのかわからない様子で、ぽかんと和樹を見ている。
「ぁ……」
状況を把握し出したのか、その女の子の顔が徐々に紅潮していく。
そして、爆発寸前、和樹は素早く扉を閉めた。
「失礼しました」
一言、ドアごしに謝っておく。
たっぷり二十秒ほども観察しておいて、ふてぶてしい態度である。
「……いや、眼福眼福」
いや、いいもん見た、と感想をこぼしてくるりと回れ右。
わざとではないとは言え、これは明らかな覗き行為(にしては堂々としてたが)。しからば、逃走しなければなるまい。
自分の部屋に、女の子がいるのなんて気付いてマセンデシター、なんて言い訳が通じるはず……
ちょっと待て。
「僕の部屋……だよな?」
ネームプレートを確認する。
まさかぼーっとしてて、女子寮と間違えたなどということはあるまい。しっかりと「式森和樹」と書いてある。
「そして、ここは男子寮」
和樹の脳細胞が急速に活動を始める。
男子寮。自室。下着姿の女。
いくつかのキーワードから導き出される和樹の答えは……
「恥女?」
「違います!」
否定の声を、扉から顔を出した少女が放った。
「なんでそんなことになるんですか、もう……。とにかく、お帰りなさい、和樹さん」
「え……っと。ただいま、でいいのか? この場合」
「もちろんです。それと……これからは、ああいうときには一声かけてもらえると……。嫌とは申しませんから」
きゃっ、と顔を赤らめる謎の少女。無論、和樹は初めて会う。当然のごとく、そんなことを言われても戸惑うばかりだ。
いや、ま。……嬉しくないと言えば嘘になるが。
「これから一緒に住むんですから、そういうことにも慣れないといけませんね」
「ちょい待ち。その前に、君は一体? てゆーか、一緒に住むって?」
「そういえば、名乗ってませんでしたね。
わたし、宮間夕菜っていいます。明日から葵学園に通うことになってます。よろしくお願いしますね」
と、夕菜と名乗った少女は、花開くような笑顔を浮かべる。
ぼけーっと、馬鹿みたいにそれに見とれていた和樹だが、はっと我に帰ると、一番重要な事を問い質しにかかった。
「いやいやいや。だから、一緒に住むって、なんなのさ。それに、なんで僕の名前知ってるの?」
「まあまあ。とりあえず、お茶でも淹れますから」
と、部屋にぐいぐいと引っ張り込まれる。
和樹の部屋は、男子の一人暮らしらしくそれなりに散らかっている。
何故あるのかわからないガラクタの類が部屋の三割までをも席巻しているので、狭苦しいことこの上ない。
ペコちゃんの人形、消火器、盗難注意! の看板にどこかの家の庭石まで。酔った勢いで持ってきたものが散乱している。
……未成年がどうとか言うのは野暮ってもんだ。
それでもなんとか中央のテーブルの辺りの物を部屋の脇に押しのけ、なんとか二人が座る分を確保した。
常備してあるお茶セットで日本茶を淹れ、ずずずっ、と二人して飲む。
「それで、なんでいきなりこの部屋来たの? まさか、男子寮に間違って入寮させられたとか?」
「いえ、わたしが頼みました。和樹さんと一緒がいいって」
「……なんで初対面の男と同棲するの?」
「そんな、同棲だなんて……。わたしたち、夫婦なんですから、同棲って言い方は相応しくありませんよ」
ぶっ、と思わず茶を噴き出した。
「ま、待った待ったぁ! 夫婦って一体なんなのさ!?」
「あ、もちろん、実際にしているわけじゃありませんよ? 和樹さんは結婚できる年齢じゃありませんから。
でも、気分だけでも夫婦の方がいいじゃないですか」
和樹は頭が痛くなった。
夫婦である。結婚である。人生の墓場である。薔薇色の鎖がじゃらじゃらと自分に絡み付いてくる幻覚が襲い掛かってきた。
いや、待て待て。
とりあえずその幻視から抜け出し、和樹は思考の海に沈んでいく。
何でこんな状況に? ……そうだ。きっとこれは夢だ。生まれてこの方、彼女ができない僕の鬱屈した精神が見せた夢だ。ハハハ、そうだよ。いきなり部屋に美少女が訪れるなんて、漫画か小説じゃあるまいし……
「……いかん。自分を騙しきれん」
「? なんのことですか」
不思議がる夕菜を尻目に、和樹はさらに考えを深める。で、安易な結論に走った。
「とりあえず、こういうときは寮長に……」
「駄目です!」
立ち上がろうとした和樹の首に、夕菜が腕を回す。俗に言うチョークスリーパー。その手際のよさは熟練の業を感じさせた。
「ぐぇっ!? ちょ、極まっ……極まってる……!」
「あ、ごめんなさい!」
慌てて外す夕菜。
これ以上プロレス技をかけられてはかなわんと、和樹は詳しい話を聞くことにしたのだった。
話を聞くと、こうだ。なんでも、宮間家は優秀な魔術師を多く輩出している家系らしい。名前くらいは和樹も聞いたことがあった。
だが、ここ最近、他家の魔術師に押されることが多く、家名を盛り返すために優秀な魔術師の血を入れたいとの事。
「……で、僕が選ばれたって?」
「そうです」
「いや、待った待った。僕の魔法使用回数が七回しかないってこと、ちゃんと調べた?
優秀どころか、魔法使いとしては落ちこぼれもいいとこなんだけど」
和樹がこんな風に言うのは、自分が落ちこぼれだと開き直っているからという理由だけではない。
魔法の使用回数なんかで、自分の一生が決められてたまるかと、それなりに前向きになっているからこそ、自分の少ない魔法回数を簡単に言えるのだ。
こんな自分の力ではどうしようもないことでコンプレックスを抱いてもいい事なんかないし。
割と楽観思考な和樹であった。
「大体、こんな風にして夫を決められるなんて、君も嫌でしょ?」
「いえ……和樹さんなら嫌じゃありませんし。実家に言われたのとは関係なく、私は……」
「え?」
その言葉の中に、なにかただならぬ響きを感じ、和樹が聞き返そうとしたとき、ダンダンと乱暴なノックの音が会話を遮った。
「あっ、来ちゃった……!」
夕菜がそのノックに反応する。
どうも、知り合いらしい。仕方なしに出迎えようと腰を上げると、ドアが開いた。
「ちょっと、入るわよ」
ずんずんと、ドアを開けた張本人がこちらに向かってくる。
またもや女性だ。
顔くらいなら和樹も知っている。三年生の風椿玖里子だ。
学園の影の支配者。現在の生徒会が彼女の傀儡だという事実は、葵学園の誰もが知るところである。
その政治的手腕に加え、モデルも真っ青な美貌とスタイル、おまけに魔法使用回数も葵学園の中で群を抜いている、
まさに才媛である。
和樹のような凡人にとっては、高嶺の花もいいところだ。
その玖里子に、夕菜は急いで歩み寄った。
「帰ってください。和樹さんはわたしのものです」
「あら、いつから和樹は夕菜ちゃんの所有物になったのかしら?」
「ずっと昔からです!」
「いいじゃない別に。運が良ければ一回だけで終わるんだし」
「一回だけでも許せますか!」
うーむ。この場合、彼女たちが僕を取り合っているということでいいんだろうか? ……男なら垂涎ものの状態のはずなのに、ちっとも嬉しくないのは何故だろう?
和樹は胡乱な頭で考える。
などといううちに、玖里子は夕菜のバリケードを突破し、和樹に迫っていた。
「さあ、しましょう」
なにを、と聞き返す暇もなく押し倒される。
さらに制服のボタンを外そうとしている辺り、なにをしようとしているのか和樹にも察しがついた。
「って、いきなりなにを――!?」
「わかってるくせに。ふふふ……」
年齢に見合わない妖艶な笑みを浮かべ、玖里子はさらに和樹の服を脱がしていく。
「ちょ、やめてください、風椿さん!」
口では抗議しつつも、体が動かないのは青少年の悲しき性というものだろうか。
「あら、あたしの事知ってるの? うれしいわね」
ふー、と玖里子に息を吹きかけられるだけで、和樹は金縛りにあったかのように体が動かなくなる。
これから来るであろう快楽に身を固くし、さらに別のところも固くなりそうになったところで――
悪魔が降臨した。
「か・ず・き・さ・ん?」
「み、宮間さん? なんでそんなに怒り狂ってるんでせう?」
「なんで玖里子さんにいいようにやられてるんですか! しかも嬉しそうだし!」
「いや、待って。それでなんで僕が怒られなくちゃ……」
そんな和樹の弁明を遮るように、玖里子が前に出た。自然、夕菜と対峙する格好となる。
「いいじゃない、別に。和樹だって男だし。ねえ?」
僕に振らないで下さい! と和樹は必死のジェスチャーで伝えようとする。
「で、でも……そういうことはもっと純粋な……。ちゃんと、二人の合意の上にですね」
「愛がなくても出来るって。夕菜ちゃんも、そんな子供みたいなこと言ってないで」
「そんなの、わたしが許しません!」
夕菜のボルテージは天井知らずに上がっていく。
「失礼するぞ」
と、そこへ、さらに場を混乱させる第三者の登場。
小さなノックと共に入ってきたその人物、竹刀袋を抱えた人物。またもや美少女である。
黒い髪を綺麗に切り揃え、和風美人といった風情だ。意志の強そうな瞳が、真っ直ぐに和樹を射抜く。
「お前が私の良人か」
「なんか、今日こればっかり言ってる気がするけどちょい待ち! 説明を!状況説明を誰か頼むーーー!!」
そろそろ混乱が頂点に達してきた和樹は、叫び声を上げる。
「あ、神城凛」
「凛さん」
どうやら、言い争っている少女二人とは顔見知りらしい。
凛と呼ばれたその少女は、二人に軽く会釈し、和樹に向き直る。竹刀袋から、日本刀を取り出しながら。
「お前のことは調べさせてもらった。――勉強、並。運動、並。……箸にも棒にもかからん男だ。
そんな男を良人とせねばならんとは、なんたる屈辱」
「って、好き勝手言ってるなぁ……」
別に事実なので反論の余地はないのだが、初対面の人間にそれだけボロクソに言われる筋合いもない。
凛はすらりと日本刀を抜き放つ。刃金が、光を反射して冷たい輝きを放つ。
悪寒が和樹の背筋を走った。
「悪いが死んでもらうぞ!」
「うおおおおおっ!?」
心底、恐怖から和樹は後ずさった。だが、玄関側に凛が立っているため、逃げることは出来ない。窓から飛び出ようにも、ここは四階だ。
日本刀が振り下ろされる。
夕菜が慌ててこちらに走り寄ろうとしているが、到底間に合いそうにもない。
和樹は死を覚悟しながら、必死に手を伸ばし、たまたま触れた物を頭上に掲げた。
「ちぃっ!」
舌打ちする凛。恐る恐る見ると、ペコちゃん人形が脳天から胸くらいまでを斬り裂かれ無残な姿を晒していた。
一歩間違えれば、自分がああなっていたと考えると、ぶるりと震える。
もし凛の剣筋が怒りで鈍っていなかったら、もし自分があそこで諦めていたら……。
「あ、ありがとうペコちゃん」
しばし黙祷を捧げ、すぐにそんなことしている暇はないと飛び上がった。
凛が刃を抜くのに苦労している間に、テーブルの上にある携帯電話を引っ掴む。
「あっ! 警察ですか。日本刀を持った暴漢が部屋に――!」
次の瞬間、携帯は真っ二つに切断された。
「ひぃぃ!?」
「貴様! なにをしようとした、この軟弱者!」
「軟弱者って! いきなり日本刀で斬りかかられたら誰だってこうする!」
沈・黙
「…………………………」
それもそうか、と一瞬納得してしまった凛はその沈黙を振り払うかのように日本刀を一閃した。
「ええい、とにかく――」
「それ以上和樹さんを傷つけさせません!」
再び凛が襲い掛かる前に、夕菜が彼女の前に立ちふさがった。夕菜の怒りに呼応して集まった水精霊が今か今かと出番を待っている。
「いいでしょう。立ちふさがるというのなら、女性でも容赦はしません」
光が、凛の刀に集まっていく。剣鎧護法という、本来病魔退治に使う技だが、彼女は剣技に応用しているようだ。
「今のうちね。しましょう、和樹」
そんな状況知ったこっちゃないとばかりに、玖里子が再び和樹を押し倒す。
「ちょっ! 風椿さん、この状況でなにを」
「決まってるじゃない。さっきのつ・づ・き」
「させません!」
「なにを不埒な!」
二人の攻撃の矛先が玖里子に向く。
夕菜の放った水流を、玖里子は取り出した霊符で受け止めた。そのまま、三、四枚の霊符を懐から取り出す。
その後、成り行きで大乱闘開始。
それぞれ劣らぬ大魔法使いの魔法合戦である。
和樹は、あたかも大海の荒波に翻弄される一枚の木の葉のように振り回されるばかりだった。
(結局……彼女たちはなんなんだよぅ)
頭のどこか冷静な部分で、和樹はそんな風に嘆いていた。
あとがき
皆さん初めまして。春秋(はるあき)といいます。
初の二次創作に挑戦してみました。
とりあえず、コンセプトは『和樹が別の性格だったら?』です。原作のは、あまりにも押しが弱いような気がするので……。
とりあえず、今回のところは原作をほぼトレースしました。
次は、多分原作とはちょっと変わった展開になると思います。
さ〜て、半分くらい見切り発進で投稿しましたが、ちゃんと形になるのかな、コレ^^;
クロスとかも考えている、移り気な春秋でした。