「真紅、落ち着け」
「十分落ち着いてるよ、雨水君」
「じゃあ何でそんなに犬歯が伸びているんだ?」
「そろそろ増えた血を外に出さないといけないからよ」
そうは言いながらも『それでけじゃないけど』と考えているかりん。
雨水は後方に下がるがそれ以上にかりんは雨水に近づく。
彼らの距離は段々と縮まっていき、彼等の距離はゼロになる。
「やめてくれ真紅!」
純粋に力なら雨水の方が上だ。(かりんの思考がプッツンして正気をなくせばその限りではないが)。
しかし心優しき雨水がかりんを力づくで引き離すことなど出来はしなかった。
「ダ・メ」
こういう場面でなければ嬉しいが、この状況では怪しいものに感じてしまうかりんの笑顔。
その笑顔のまま、かりんは雨水の首筋へと牙をつきたてた。
そして雨水の声にならない悲鳴が上がった。
それから一時間後。
何故か不機嫌な―――若干自己嫌悪気味な―――顔をしている雨水と、それをなだめているご機嫌なかりんがいた。
「雨水君。明日のお弁当は雨水君の好きなもの作ってあげるから機嫌を直してよ、ね」
流石に不機嫌な雨水もかりん手作りの弁当の魅力には負けたのか、しぶしぶといった感じだがとりあえず機嫌を直したようだ。
かりんが雨水に対し何をしたかと言えば、増えた血を注入したのだ。
それ自体は紆余曲折あったものの、付き合い始めた彼らにとってはごく普通の出来事になりつつあった。
ただ今回はかりんは増血が限界という訳だけでなく、とある欲求の為である。
その欲求が何かはひとまず置いておくとして少しかりんのことについて説明しよう。
かりんの血を注入された人間は『こうありたい』という潜在的に思っている行動をとることがある。
ということは雨水は何か潜在的にこうありたいと思っていたことを行動し、自己嫌悪に陥っている事になる。
で肝心の雨水のとった行動とかりんの欲求だが・・・。
きっかけは偶然だった。
かりんは増血が限界に近づいたので、雨水に噛み付き、増えた血を注入した。
そしてそれは彼らが付き合い始めたから初めてのことだったのが大きな要因だったのだろう。
いきなり雨水がかりんの顔を真正面から見つめると
「かりん気分はどうだ?」
と言って来たのだ。
「うん、だ・・・!? 雨水君今なんて言ったの!?」
大丈夫と続けようとしてかりんは驚きのあまり聞き返した。
自分の耳がおかしくなっていなければ、今聞き流せない台詞があったから。
「あ、ああ、気分はどうだ? って」
かりんのいきおいに驚きつつ雨水は答えた。
「その前に何か言わなかった?」
「お前の名前を呼んだけど」
「もう一回呼んでみてくれる?」
「かりん」
「もう一回」
「かりん」
「もう一回」
「かりん、って何回呼べばいいんだ? まあ大丈夫そうだな。俺バイトがあるからここで。じゃあな」
そう言いながら雨水はバイトに向かう為立ち去っていった。
残されたかりんは少なくない驚愕に包まれていた。
付き合い始めてそれなりに時間が経ったが、雨水に名前で呼んでもらったのは今が初めてだったのだ。
家に帰り、かりんは幸せな気分で眠りに付いた。
次の日。
かりんが登校し、友人たちと話していると雨水も登校してきた。
昨日の今日であり、かりんもどう話しかけようか迷っていると、教室に入るといきなり赤面しどこかに立ち去って行ってしまった。
雨水が戻ってきたのは授業開始直前であった。
そして午前中の授業も終わり、昼食の時間になった。
かりんと雨水はいつものように屋上で食事を取ることにしたのだが、雨水の様子が少しおかしかった。
何時もは食事―――しかもかりんの特製―――の時間となると何時もの冷静さが嘘のように嬉しそうにお弁当を食べるのだが。
それに何度もこちらをちらりと見ては赤面したり落ち込んだりしている。
そんな何時もと違う雨水の様子が気になるかりんは直接聞いてみる事にした。
「どうした雨水君?」
「いや・・・」
言いよどんだ雨水だったが、かりんの心配する顔を見て話し出した。
「なあ、真紅。昨日俺変なこと口走らなかったか?」
「変な事? 特に何も・・・あっ!?」
一つだけ思い当たることがかりんにはあった。
「雨水君が私の名前を呼んでたけど・・・」
「やっぱり夢じゃなかったのか。何でか分からないけど真紅にかまれた後は、そのなんだ、か、かりんってしか呼べなくなってたんだよ」
昨日と違い赤面しながら『かりん』と呼ぶ雨水。
付き合いだしてからまだ日が経っていないとはいえ初々しいことである。
「あ、それもしかして私の血のせいかも」
上記でも書いたが、かりんの血を注入された人間は『こうありたい』という潜在的に思っている行動をとることがある
つまりは雨水はかりんのことを名前で呼びたいとは思っているという事になる。
その結論に両者は頬を赤く染める。
まったくもって初々しい反応である。
「あれ? でも今は元に戻ってるよ?」
注入されてから段々と弱くなるが、個人差があるがかりんの血の効力は大体一ヶ月ぐらいはある。
どうやら雨水はかりんの血に対する抵抗力・適応力が強いようだ。
結論も出たことで二人は食事にする事にした。
この月はかりんの増血のペースが早く(未だに不幸な雨水とこれまで以上に一緒にいるというのもあるのだが)、そのたび雨水に増えた血を注入しては雨水はかりんと呼び、その後恥ずかしがった。
まあそんなことがあった為、『雨水をかむ=名前を呼んでもらえる』という図式がかりんの中には確立されても不思議ではないだろう。
いつも名前で呼んで欲しいのだが、不器用でシャイな彼が早々そんな大胆な行動を取れるわけがない。
血の効果が切れるまでの間だが、名前で呼んでもらえるのはかりんのとっては至福のひと時なのかもしれない。
「まったく人の気も知れないで・・・」
名前で呼んでもらえて喜んでいるかりんを尻目に雨水はそう思う。
雨水はかりんに噛まれ、名前を呼んだことについて―――元論それもあるにはあるが―――不機嫌になっているわけではない。
かりんの血の効力である『こうありたい』という潜在的に思っている行動、それを今回もとらずにすんだことにホッとし、同時にそんなことを考えていることに自己嫌悪していたのだ。
かりんはいささかならずドジである。
何も無い所でも結構転ぶ。
その度に雨水にはかりんのスカートの中が見えてしまう。
かりんが雨水の首筋に噛み付く。
そうするには必然的にかりんと雨水は抱き合う格好になるのだが、その時かりんの平均以上に発育した胸が雨水の体に当たる。
いくら雨水が人一倍理性的であったとしても健康な高校生。
そんなかりんを抱きしめたい、キスしたいと考えてもしまうのももっともだろう。
そんなことを考えるのは当たり前なのだが、まじめな雨水はなし崩し的になるのがいやなのである。
(「とりあえずは名前で呼べるように頑張るしかないか・・・」)
そう考え、自分が『かりん』と呼んでいるところを想像すると恥ずかしくなってくる。
ま、とりあえずは明日の弁当のリクエストか。
青春の苦悩を頭の片隅に追いやると雨水はそんなことを考え始めた。
結局の所、雨水の心配は杞憂に終わる。
かりんの方も恋人としてのステップアップを望んでいたのだから。
まあ当面はそんな色気のある話にはならないだろう。
平常時にもテレながら何とか『かりん』と呼べるようになった雨水が
「自分のことも名前で呼んでくれなきゃ不公平じゃないか」
と発言した為、かりんは『け、健太くん』と赤面しながら言い、言って貰った方の健太も同様に頬を染める純情カップルなのだから。
あとがき
いかがだったでしょうか?
私の知る限りかりんSSって見かけたことが無いので
「だったら書いてしまえ」
と思い書いてみました。
初々しいほのラブな二人が書けていれば良いのですが。