こきこきと首を鳴らしながら、横島は古臭い階段を上がっていた。
仮の自宅であるおんぼろアパート『幸福荘』の階段である。時刻は丑の時であり、横島の持つ藁人形が効果を発揮する時間帯でもあった。
そんな深夜の静まり返ったアパートの階段を横島はゆっくりと上っていく。その足取りは千鳥であり、傍目から見るとなんとも危なっかしいものだ。
横島の顔をアパートの照明が照らし出す。横島の顔はだらしがないほどに崩れ、至福のそれに染まっていた。しかたねえよなと、横島は締まりの無い笑みを浮かべた。楽しかったのだ。この時間が永遠にと思える程に楽しかった。
人界での依頼を完了させた祝いでの酒盛り。場所は美神除霊事務所であり、酒盛りのメンバーは人界における美神除霊事務所と関係のある人物達だった。
そのフルといっても過言ではないメンバーが一同に会せた事は、本当の偶然と少しの必然。ある者は出張帰りであり、ある者は休日、またある者は仕事をキャンセルして、皆が横島とその空間の為に集まった。
楽しかった。下らない話で盛り上がり、何時もの如くのドンちゃん騒ぎ。嘗てあった黄金時代を感じさせる馬鹿騒ぎだ。
本当に、そこに居る人達が嬉しかった。この空間が嬉しかった。縋りたくなるくらいに輝いていた。だからこそ、横島の胸は堪らない虚しさに襲われていた。
今回の事は偶然の産物だ。違う道を歩む者達が、たまたま顔を合わせただけの話。無論、顔を合わせようと努力する者達もいるが、横島は知らぬ話である。そう、問題は横島の歩む道が、皆の道から離れてしまった事だ。
何時もの騒ぎは稀の騒ぎで、何時もの顔は偶にの顔になった。拠点を美神除霊事務所から妙神山に変えたのだから当然のことだが、寂しさが尽きるはずも無い。あの空間は本当に大切なモノだったのだと、離れてから実感できた。
ただ、今の妙神山の生活に潤いが無いわけではない。小竜姫様にしごかれ、パピリオにせがまれ、ワルキューレにどやされる。これも一つの宝物だということは朧気ながら理解している。だけど、やはりあの美神除霊事務所での生活に比べると、乾いているのだ。
それを、今回の酒盛りではっきりと自覚してしまった。その感情が悔しくて、嬉しくて、悲しくて、横島は宵もたけなわになり、殆どの者が寝静まった時に、書置きを残して、気付かれぬ様にそっと、美神除霊事務所を抜け出したのだった。
それが、約一時間前。千鳥の歩みで帰ってきたのだが、存外はやく着いたものである。強制的に造らされた、酒でも侵されぬ理性の隅で、横島は自嘲の溜息を付いた。
何時からこうなったのか。あの確かにあった黄金時代。世界とか人類とか、そんな大仰な事を考えず、ただただ女性を追っ駆け回せていた時間。こんな無理して格好つける必要が無かった時間。いつまでも続くと思っていた奇跡の時間。
この選択をした事に後悔は無い。けれど、と改めて思うのだ。忘れさせられた、十年後からやって来た未来の自分との邂逅の記憶。奇跡の時間を延長させたあの世界は、どんなに眩しいものかと。はあと、横島は溜息をついた。
「酔い、覚めちまったな」
歩みは既に止まり、眼前には古臭いドア。ネームプレートには『横島忠夫』の字が記載されている。
「まあ、何つうかあれだよな。とりあえず、殴ろう」
静かに、横島は霊力を体内に循環させる。そして、呟く言葉はたったの一言。
「浄化」
体内の不純物を昇華させ、意識を覚醒させる術。即ち、それをしなければ成らない事態が起こっている。
呟いた時から横島の意識は戦闘へ。常なら、私は何も知らなかったで済ませるだろうが、今回ばかりはそうはいかない。横島は苛立っていた。人が良い気分で帰ってくれば、大切な帰還場所に不法侵入するとはと。
柄じゃねえし、面倒くさいが、やらねばなるまい。人の家に不法侵入する不届きものには人誅を。横島は懐から符を取り出すとドアに貼り付ける。そして、右足をドアに押し当てると、発頸の要領でぶち破った。
「くぉら!天竜!!人の家に不法侵入してんじゃねー!!」
叫び、横島は両手に創ったサイキックソーサーを瞬時に投擲した。真っ直ぐ飛んでいくドアの左右を追従し、ソーサーは狙い違わず狭い部屋の中心に向かっていく。
容赦の欠片も無い全力のソーサーは、下級神魔程度なら両断できる程に鋭い。もはや、それは知人相手に放つものでは決してなかった。
だが、しかし横島の考える不法侵入者のポテンシャルは、桁違いで格上なのだ。男であり、最近格好よく育っている野郎には、例え王子といえど遠慮するつもりは無い。
故に、その行動は完璧なる必倒。横島は吹き飛び行くドアの符に呪を送ると、疾風となって部屋に飛び込んだ。
「閃光」
部屋が光に塗り潰される。金属製のドアに貼り付けた符は、金気の力を増幅させ光の闇を生み出すと、横島の姿を消すまやかしとなる。
横島の戦法の一つ、姿消し。横島はその名の通り姿を消すと、真っ直ぐに奔った。左右をソーサーで挟み、正面をドアで隠す。敵の姿はこちらから確認する事は出来ないが、気配の消し方は間違いなくこちらが上。
故に真っ直ぐ。中空で止まった、否、受け止められたドア。気配で相手の攻撃のタイミングは察知でき、逆に自身のタイミングは判らないという、不意を付くには万全の状況。
横島は躊躇う事も無く全力で拳をドアに打ち込んだ。それは、相手よりも一テンポ速い先を取った攻撃であり、左右正面、三方向からの同時攻撃でさえある。
確信さえもって横島は笑った。これで、終わりだと。だが、横島の予想は容易く崩れ去る。
「はあっっ!!」
裂帛の女の声と共に、想像外の魔力の奔流が部屋を蹂躙する。洒落にならねえと横島は舌打ちした。三方同時攻撃を受けながら、カウンターまで決めるとはと。
横島の眼前、凄まじい勢いで鉄のドアが向かってきていた。相手は、左右から迫るサイキックソーサーを両手で受けると同時に、横島と同じように、ドアを右足で蹴飛ばしたのだ。
恐るべきは、ソーサーを軽々と受け止める魔力と、弾け飛んで来たドアを逆に蹴り飛ばし、尚且つ揺るがない程の力だろう。そして、何より恐ろしいのが、これをやったのが、自分の義妹と呼べる存在だということか。
「不法侵入は犯罪という事を、軍では教えとらんのか?」
横島は吹き飛んできたドアをいなしながら後方に飛ぶと、ドアが元あった場所から不法侵入者に声を掛けた。非常に疲れた、呆れとも取れる声だ。
横島がドアをどかし、部屋を改めて覗いてみると、眼前には予想道理というか予想外というか、見知った顔がある。
女は、不敵とも取れる笑みを浮かべながら、にこやかに言った。
「不法侵入じゃなくて、夜這いだよ」
横島の義妹であり、戦友であり、パートナーをも勤める、魔界第二軍所属特殊部隊少尉、“べスパ”だった。
あとがき
題名通り気分転換な話です。主に自分がですが。本編を楽しみにされていた方がいるなら、本当に申し訳ありません。でも、これを書く時間は三時間位しか使ってないから問題ないですよね。多分。本編は今月中くらいには出せればと、考えています。
それでは、文字通りの気分転換な短いお話。楽しんで頂けたら幸いです。
どうも、九十九でした。