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「father(GS)」

鮭茶漬け (2007-10-21 14:35/2007-10-23 05:03)

 月の無い新月の夜に、林の中の砂利道を少々頭の寂しい中年男性が黙々と歩いている。
優しげな顔に丸眼鏡を掛け、夜の黒に染み込むような神父の僧服を着込んだ彼の歩みに迷いは無い。
街灯も月明かりも無い闇を、光源を持たずに呼ばれるように神父は進んで行く。
草木の揺れる音と共に波の音が響き、海が近い事を知らせる。


「近いみたいだね…」


神父は一言呟くと、目前の道を塞ぐように成長していた背の高い草を掻き分けた。
林から一歩踏み出し視界が開けた神父の目の前に、切り立った断崖と夜に染められ黒く染まった海が現れた。
潮風か不気味に鳴り響き黒い海は威嚇するように激しく波の音を響かせる。
付近に民家も大きな道路も無いこの不気味な場所に、まともな神経を持ち合わせる人間ならば近寄らないだろう。
だが、神父以外の例外が切り立った断崖の上に一人居た。
白いタートルネックのセーターとジーンズを着た、線の細い小柄な若い女性だ。
長い時間潮風に吹かれたせいなのか、肩口で揃えられた美しかったであろう黒髪が激しく乱れていた。
女性は生気の失せた顔で身動ぎひとつせずに崖の先端に立ち、黒い海面を見つめ続けている。


「やあ、こんばんは」


この異常な状況で神父は表情一つ変えずに女性に歩み寄り、近所に挨拶をするかのような気軽さで女性に声を掛けた。


「…こんばんは、神父さん」


女性は足音に過敏に反応して振り返ったが、すぐに無表情に戻りボソボソと挨拶を返す。
二人はそれきり口を閉ざして見詰め合う。


「そうか、呼んでいたのは君か」


二人の沈黙は神父が突然奇妙な事を口走った事で終わった。


「何の話?」

「いやいや、大した事じゃないさ」


警戒心を強めた女性が怪訝な表情で聞き返すが、神父は柔らかく誤魔化す。


「そう、ならおやすみなさい」


女性は特に興味が無いのか何も聞かずに挨拶だけ残し去ろうとするが、神父はこのまま終わらせるつもりは無い。


「ああ、ちょっと待ってくれないかい?」

「勧誘ならお断りですよ」


女性は軽い調子を崩さない神父に嫌気が差しているのか、振り向きもせずに刺々しい声で返す。


「違うよ。 ちょっと気になることがあってね」

「何?」

「こんな時間にこんな場所で、何をしていたんだい?」


神父の問いに女性は一瞬硬直した後、力なく俯きながら小さく答える。


「想像つくでしょ?」

「自殺か…」

「お説教なんて聞きたくないわ」


開き直ったのか、軽い笑顔すら浮かべながら女性が刺々しく返した。
だが、神父は気にした様子も無い。


「そう言わずに話してくれないかい? 話してくれれば無理に止めたりしないよ」

「…わかった。 聞いたら帰ってよね」


神父の真摯な視線に、無視して力尽くで止められるより良いだろうと諦めにも近い考えで女性は頷いた。


「旦那に先立たれた。 言葉にしちゃえばこの程度のよくある不幸話よ」


話を始めた彼女は、最初に軽く自嘲すると力無く続けた。


「結婚した当初はあの人にも夢があったの。画家になりたいってね 」

「子供の頃からずっと一緒だったから、あの人の本気は痛いほどわかってた。だから応援したくて私も必死で働いたわ」

「勿論あの人も働いていたけどね、少しでも絵に集中させてあげたくて無理矢理やめさせちゃった」


幸せな記憶なのだろう、女性の顔には少し生気が戻っていた。
その表情は禁欲を誓っている神父ですら少し心が動く美しいものだった。


「でも無理し過ぎたみたいでね、気が付いたら病院のベットに寝てて、その横であの人が泣きながら私に謝ってた」

「それがきっかけであの人は夢を諦めた。 いえ、私が諦めさせたのね」


女性の声のトーンが少し下がり、顔が歪む。
第三者である神父にも女性の後悔の強さが伺えた。


「夢を捨てたあの人にはもう私しか残っていなかったんじゃないかな」

「本当に私の為だけに生きてくれた。だから、この人が私の為に生きるのなら、私はこの人の為に生きようって決めたのよ」


強い後悔と愛情によって編み上げられた強固な絆だ。
神父の人との出会いが多い人生を振り返っても、これ程までに強い絆を見た事はあまり無い。


「それからの生活は幸せだった、かな…。お金に困ることも無くお互いが無理をする必要も無くて」


幸せを語る女性の顔から生気が抜け始め、目尻には大粒の涙が溜まる。
今にも泣き崩れそうなほど顔を歪めて、鼻をすすりながら小さく結末を呟く。


「でも、4日前かな…ぼんやりしちゃってよく覚えてないけど、あの人が……死んじゃった」


女性の話はこれで終りだった。


 女性の話を聞いた神父は、己の異能である霊能力を使って彼女を霊視する。
彼女の夫の霊の痕跡を探る為だ。
女性の話ほど想い合って居たのならば、生前の想いの強さ故に悪霊化する事があるのだ。
だが、悪霊の気配が欠片も無い。
女性に残った清浄な霊気の欠片が、女性の夫が既に成仏した事を示している。
その事実を確認した神父は、若干苛立ちを感じた。


「だから、か…。 でもそれは彼に対する裏切りではないのかい?」


彼女の若さからして夫も若いのだろう。
未練も多く楽な死に方をする事が少ない若者の幽霊は悪霊になりやすい。
だが女性の夫は、彼女を信じていたからこそ未練を残さず成仏したのではないか?
その信用を裏切っている女性に、神父は僅かな苛立ちを感じたのだ。


「あんたになんか私の気持ちはわからない、なんてありがちな事は言わないけどさ……」


最早女性には怒る気力も無いのか、小さく呟いてから俯いてしまった。


「私はただの人だよ? 人が人の苦しみを理解しちゃいけない。 わかっていいのはカミサマだけだよ」


俯いてしまった女婿の肩に優しく手を置いて、神父は己の持論を説く。


「カミサマねぇ…。 ねぇ、本当にカミサマが居るのならさ、何で助けてくれないんだろうね」

「この世界は残酷で不条理で……神様は手助けをしてくれはしない」


それが長い信仰を経て神父が手に入れた答えの一つだった。
いつだって生きて行くのは人間なのだ。


「あはは、神父さんの台詞じゃないね」


神父の信徒らしからぬ台詞に女性がようやく顔を上げて弱々しく微笑む。


「神様が万事片付けてしまう世の中なら生きている意味なんて無いさ。 神は拠り所であればいい」

「拠り所?」

「辛い時に泣き言を言ってもいいし、腹が立った時に愚痴ってもいい。 神様は文句も言わず反論もせずに受け入れてくれるさ」


それは自身が作り出した偽りの神だろう。


「そして、君を理解してくれる。 神の導きは常に心に在る。 しっかり見つめればね」


それでもきっと、本当の自分が望む方向へ導いてくれる。
自分自身が作り出したカミサマなのだから。
自身の心に結論を下すのも、救いをもたらすのも自分自身。
だからこそ、神は拠り所であればいい。
それが、嘘偽りの無い神父の本音。


「でも、死んで楽になりたいのよ。 この気持ちはきっと何を言われても無くならない」

「だろうね。今言ったのは僕の持論だ。 君の為のモノじゃない」


涙を零しながら弱さを吐露する女性の背中を優しく擦りながら、神父は一旦言葉を切ってから決め手となる言葉を吐き出す。


「 だけどね、産まれて来る命の為に生きてみようとは…思わないかい?」

「産まれて来る命…? まさか…!」


神父の言葉に衝撃を受けながらも、女性の顔に生気が戻る。
その顔を見て神父は確信する。
もう大丈夫だ、と。


「君はもう母親だよ。 それをよく考えてほしい」

「なんで…わかるの?」

「私はこれでもプロのGSでね。 霊能力でわかるのさ」

神父には妊婦を見分ける能力なんて無いのだが、今回はハッタリをを通すことにした。
霊能力者にはハッタリも大事だと言い切っていた自分の弟子を思い出し、自分も彼女に染まってきたのかと神父は少し悲しくなった。


epilogue


まだ背負った苦しみと悲しみは重いままだが、確りとした足取りで去って行く女性を神父は優しく見送った。
あれほど情の深い女性が、愛した男の子を投げ出す筈は無いという確信が神父にはあったのだ。

女性の背中が見えなくなると、神父は突然虚空に笑顔を向けた。


「ありがとう…。 君のお陰で二人の命が救われたよ」


神父の視線の先には、女性には見えていなかった小さな人魂が浮かんでいた。
人魂は神父の礼に少し嬉しそうに跳ねるが、少しすると落ち込むように高度を下げる。


「大丈夫だよ、彼女は優しい人だからね。 もう死のうとはしないさ」


神父の確信に満ちた優しい言葉を聞いて、小さな人魂は今度こそ嬉しそうに跳ね回った。


「君は本当に優しい子だね……」


神父に女性の事を教え、更には子供の存在すら教えたのはこの小さな人魂だったのだ。
産声を上げることすら出来なかった胎児の、水子の霊。
それが小さな人魂の正体だ。


「送ってあげるから安心して逝きなさい。 神はきっと君を慈しんでくれるよ」


神父の言葉を聞き、人魂が嬉しそうに神父に擦り寄る。
見ず知らずの、本当に何の繋がりも無いあの女性とその子供の為に、精一杯声を張り上げて助けを求め続けた優しい子だ。
その上業も未練も無い無垢な状態。
道を開いてあげれば自然と昇れるだろう。


「いっておいで」


次こそはきっと、幸せな未来を。
神父は声にならなかった言葉を胸に仕舞い込み、自分が開いた道を昇って逝く霊魂を見送った。


「汚く見えても、世界はやっぱり美しいんだ。 だから、はやくこっちに戻っておいで」


赤く染まった水平線を見つめながら、唐巣神父はそっと十字架を握った。


end


あとがき
ども、お久しぶりです。
お話書くのも久しぶりなのでどう書けば良いのかまったくわからないという状態になりながらなんとか仕上げました。
故に出来はお察しください。


ちなみにコレ、自分の中で連作にしてる『横島忠夫はモテる男が嫌い』と『最悪の客』の最新分です。
死んでからの救い
死んだ先での救い
生きている内の救い
といった感じのテーマです。
救いがテーマなのは、自分がお話の最後は救いがないと嫌な人なんで。

蛇足
今月まで投稿が無かった理由ですが、単純に書きたいもの、書けるものが無かったんです。
で、またネタ切れになってるので暫くは投稿は無いかもしれませぬ。


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