氷室キヌは悩んでいた。
何を悩んでいるかといえば、女子校生にとってはこれ以上ないほどの悩み。
恋の悩みである。
「はあ。やっぱり横島さんと美神さんはお似合いなのかなあ?」
同僚と上司の関係について考えてみる。
横島がセクハラをしても何だかんだといって許し、最後には結局いい雰囲気となってしまう二人。
横島が美神に対して遠慮が無いのに比べて、自分はどこか遠慮されている。
もちろん、それは大事にされているということであり、本来ならば歓迎すべきことなのかもしれない。
とはいえ、やはりそれは美神との差を大いに感じさせてしまうのだ。
「はあ。……私って何が足りないのかな?」
胸か。
胸なのか。
やはり私には胸が足りないのか。
そもそも私に胸が足りないのは、私のせいではないはずだ。
大事な成長期に、現代と比べたら碌な物を食べていなかったわけで、胸が足りないのは当然なわけで。
つまり今飽食万歳な現代でなら私の胸はまだまだ成長するはずだ。
事実この前下着を買いに行って計って貰ったとき、少しばかり大きくなっていたではないか。
大喜びで帰ったら体重も同じように増えていて、声を殺して泣いたことはこの際忘れる。
ついでにその時幽体離脱して少しでも体重を減らそうとしていたところを横島に見られたことも忘れる。
まあ、つまり、胸が要因ではない。
そのはずだ。
そうでなければならない。
ではやはり他の要因か。
料理だって出来るし、掃除だって出来る。
GSの仕事だって最近はかなり慣れて来た。
もちろんそれらは美神にだって出来ることだけど、仕事以外は決して負けているとも思えない。
「美神さんにあって私に無いものって、なんだろ?」
「お困りのようね、おキヌちゃん!」
「タ、タマモちゃん!?」
シュタッと現われたのは美神家の居候、子狐タマモである。
「話は聞かせてもらったわ」
「聞いてたの!?」
おキヌの顔が真っ赤に染まる。
胸に対する愚痴を延々としていたことを聞かれれば、恥も外聞もあるまだ300と16だからな女の子には当たり前の反応だ。
「美神さんにあっておキヌちゃんにないもの……私には分かるわ!」
「本当!? 教えてタマモちゃん!」
文句を言おうとしたおキヌの顔が、ぱっと輝く。
タマモはふふんと笑うと指を立てポーズを取る。
そしてびしっとおキヌを刺すかのごとく指差す。
「おキヌちゃんに足りないもの……それは『ツンデレ』よ!」
「つ、つんでれ……!」
ガーンと背景に雷が落ちる。
ムンクの叫びのように固まるおキヌの周りを歩きながら、タマモは言葉を続ける。
「ツンデレ。それは男心をくすぐるとても大切な要素よ。言葉が出来たのはつい最近だけど、その要素自体は昔からあったわ。
ツンとデレ。初めはツンツンで可愛くない女。だけど自分の前では時々だけど可愛らしい面を見せてデレてしまう。
これがおキヌちゃんにはないのよ!!」
「わ、私にはない……」
ガガーンと、再度雷が落ちる。
つんでれなるものはおキヌも聞いたことはあった。
たしか友人の魔理が、同じく友人の弓に対して「お前らってツンデレカップルだよな」とか言っていた。
その時つんでれとは何かを聞いたが、まさかそれこそが自分に足りないものだったとは。
「おキヌちゃん、昨日撮ったものだけど、これを見なさい」
ぴっとリモコンを押すと、そこに映像が出てくる。
そこには横島と美神が映っていた。
恐らく人工幽霊が撮っていた映像だろう。
そこでは二人がなにやら話していた。
『み、美神さーん。給料前借りさせてくれないですか? 食費ももうないし、腹が減って腹が減って……』
『何言ってるのよ。給料だってもう一人前にしたんだし、これ以上散財できないわ!
どうせえろい無駄遣いでもしてるんでしょ。自業自得よ!」
『……美神さーん。うう』
『で、でもまあ、今日はちょっと晩御飯作りすぎたし、腐らすのも、も、ももったいないから御飯ぐらいは食べさせてあげるわ』
『み、美神さん!』
『か、勘違いしないでよ! あんたが餓死したら、明日の除霊に差し支えるから食わしてあげるんだからね!』
『あれ、美神さん、さっき御飯作りすぎだからだって……』
『う、うるさいわね! 食べるの、食べないの!?』
『もっちろん頂きます! ついでに美神さんのそのボディーもぉぉぉ!』
『調子に乗るなぁぁぁぁ! というか誰がついでだ!』
ぷちっと画面が切れる。
「どう、これが美神さんのツンデレよ。理想的なツンデレだわ。
最初に厳しいことを言っておきながら、すぐに別の理由にかこつけて甘いことを言う。
言葉の初めにどもってうろたえていることをアピールする。
そして照れ隠しの言い訳が前後と矛盾する!
……完璧なツンデレだわ。養殖ではなく、天然のツンデレだからこそ、この味が出るのよ」
「み、美神さん……。まさかこれほどの……」
身近なライバルのあまりの戦力に愕然とする。
だが、自分だって負けない。
負けるわけにはいかない。
たしかにつんでれでは一歩劣るかもしれない。
だが今からつんでれ道を学べば私だって!
「おキヌちゃん、残念だけどそれは無理よ」
ツンデレを極めようと決心したところへ、タマモの無情な声が響く。
「な、なぜですか! わ、私だってつんでれくらい……!」
「ツンデレを甘くみるなぁぁぁぁ!」
「ふぎゃ」
タマモの髪が鞭のようにしなりおキヌの顔を叩き、倒れる。
地味に痛い。
顔を抑えながら立ち上がろうとすると、バックに炎を纏った狐娘が仁王立ちしていた。
「ツンデレは一日にしてならず!」
どん!とどこからかホワイトボードを取り出す。
「どこから出したんですか?」
「そんな恥ずかしいこと聞いちゃ駄目よ」
恥ずかしいとこから出したんだー、と少し赤くなるおキヌを尻目に、タマモはホワイトボードに何やら色々書き込んでいる。
「この表を見なさい!」
美神令子のデレ推移
1.丁稚の癖にナマイキ!
2.大好きなお兄ちゃん。幼い日の初恋。でも、何かがひっかかる…
3.雇い主を蔑ろにして、引っ越してきた子に手を出すなんて最低!
4.あんたの成長に報いるところが必要ね! ああ、あんたの給料、少しだけ、本当に少しだけ、ああ、あ、上げてあげてもいいわ!
5.これ(ネコミミ装着)なら押し倒してくれるよね? きょきょきょ、きょ、今日はあなたが雇い主にゃんっ!
「で、デレ推移? というか4から5の間に一体何が」
「現在美神さんのデレ度は第4段階ね。でも今のデレ加減から考えると、第5段階に移行するのも時間の問題よ」
なんてことだ。第5段階ということは、にゃん、か。
にゃん、は強力だ。
特に普段ツンツンの美神さんがやるとその威力は凄まじい。
「わ、私は!? 私のデレ推移はどうなんですか!?」
「おキヌちゃんは……こうね」
氷室キヌのデレ推移
1.最初からクライマックス
「こ、これは一体? というか日本語おかしくないですか?」
「初期にツン成分が多かった美神さんと比べて、おキヌちゃんは最初からデレが過剰!
一巻ですでにデレてるじゃない! そんなあなたがツンデレを極めようなど、片腹痛いわ!」
ががーんとうな垂れる。
なんてことだろう。
私には永遠につんでれなるものが身につかないのだ。
「最近のツンデレはデレが多すぎるわ。ツン:デレ=9:1がツンデレ黄金比と呼ばれてるぐらいよ。
美神さんでも最近多いぐらいなのに、あなたのデレは……」
「でれでれの私には、つんでれなど不可能なんですね……」
うな垂れるおキヌに、タマモが優しく微笑む。
「ふふ、大丈夫よ。私が誰か忘れた? 確かに普通ならこれからツンデレを極めることは不可能かもしれない。
でも私にはかつて男供を手玉に取った知識がある。
この知識であなたを立派なツンデレにしてあげるわ!」
「本当ですかタマモちゃん!? ありがとうございます!
でも、どうして私にここまで……?」
「何言っているのおキヌちゃん。あの時あなたは私を助けてくれたじゃない。
だから今度は私があなたを助ける番よ」
なんと感動的なことを言う狐だろう。
やはり世の中助け合いだ。
今夜のお揚げはタマモだけ増量しよう。
「さあ、レッスン1。どんなことでも基本が大事。まずはツンデレの基本を完璧にするわよ」
「は、はい!」
「私の後に続いて声を出すのよ。……行くわよ。
か、かか勘違いしないでよね! あ、ああんたのためなんかじゃないんだから!」
「勘違いしないでよね! あんたのためなんかじゃないんだから!」
「ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!」
「ふみゃ!」
咆哮と共に放たれたナインテール・ローリングソバットがおキヌに決まる。
だから地味に痛い。
「それじゃあただの嫌な奴でしょ! ツンデレの基本!
それはこういう照れ隠しの台詞は内心でテンパッてるということを分からせるために、最初にどもる!
こんなの基本中の基本よ!」
「すいません、タマモちゃん!」
「タマモじゃない! コーチと呼べ!」
「はいコーチ!」
「やっぱり老師と呼べ!」
「はい老師!」
「誰が年寄りだぁぁぁ!」
「きゃうん!?」
怒りと共にナインテール・サマーソルトが顎にヒットする。
目上の者は時に理不尽である。
「やっぱりコーチでいいわ。はい次!
べ、別にいいけどね! あ、あんたがどこで何しようと私には関係ないんだから!」
「べ、別にいいけどね! あ、あんたがどこで何しようと私には関係ないんだから!」
「こ、こんなことされたって、全然嬉しくなんかないんだからね!」
「こ、こんなことされたって、全然嬉しくなんかないんだからね!」
「この洗いを作ったのは誰だー!」
「この洗いを作ったのは誰だー!」
「女将を呼べ!」
「女将を呼べ!」
そのツンデレレッスンは朝まで続き、人工幽霊は響くその声に恐れおののいたという。
「はあはあ……、よくやったわおキヌちゃん。もう免許皆伝ね」
汗だくで、目も寝不足で虚ろながらもタマモはおキヌに卒業を告げる。
「し、師匠……」
同じく徹夜で汗だく、透き通るくらいに白い顔に隈を作りながらも、それに応えるおキヌ。
「前世から続く、ツンデレの記憶、経験。全てあなたに授けたわ。
あなたはもうデレデレのおキヌではない。
究極かつ至高、日本の誇る文化遺産をその身に受け継ぐに相応しい女性。
ツンデレおキヌよ!」
その言葉に胸が熱くなる。
そうだ、自分はやったのだ。
もう、美神に対してコンプレックスを持つことはない。
自分は同じ土俵に立ったのだ。
「早速私、横島さんのところへ行ってきます!」
徹夜でハイテンションのせいか、しわくちゃの服のまま出かけようとするおキヌを、慌てて呼び止める。
「待ちなさい。忘れたの? ツンデレにはツンの熟成が必要よ。
ツンとデレのギャップがあってこそ、ツンデレは映えるの。
これから一週間、ツン期間を設けなさい」
「つん期間?」
「そうよ、具体的にはこれから一週間ほど横島とあまり話さないようにするの。
目が合ったら、わざとぷいっと目を逸らしなさい。
今まで親切にしてくれたおキヌちゃんが冷たくなったら、きっとあいつ落ち込むわよ。
そこでツンデレへ生まれ変わったおキヌちゃんが現われれば!」
「横島さんの心の天秤は、一気に私の方へ!」
テンション高い二人にとてもツッコミを入れたくてうずうずしてる人工幽霊がいるが、二人はとんと気にしなかった。
横島は貧乏である。
高校を卒業した後は仕送りは止まったが、
その分給料は上がったため普通の人ならちゃんと計算して使えば新卒社会人並みの生活は出来る。
だが横島は普通の人では当然ながらなかった。
給料が上がれば上がった分だけえろいことに使う。
しかもエロいことは日々グレードアップしている。
今までは借りることがメインだったのに給料が上がった以降は買うがメインになっている。
しかも最近ではタイガー、雪乃丞と共にキャバクラなどにも繰り出す始末。
もっとも二人はその後彼女らにフルボッコの刑に処せられたが。
要はまあ、煩悩魔人の彼にとって金=エロなのであるため、給料が上がろうが大部分はエロに直結するのである。
そのおかげか、最近では煩悩が上がると共に霊力も急上昇。
そろそろ霊力がなんか四桁に達しそうになり、
西条曰く「キミは能力といい霊力といい、なんかもー人類という名の大気圏を性欲一つで突破してるな」とのこと。
とはいえ霊力が上がろうがどうしようが、貧乏は貧乏である。
例え宝くじで三億円が当たろうとも、二億と九千九百九十九万九千円はエロに使うと豪語する男であるから当然ではある。
つまるところ、
「は、腹減った……」
貧乏なのである。
少しは反省して食費を貯めればいいじゃないと思う者もいるが、
そこで反省するような殊勝な人物であればセクハラなどのしないのである。
「お、おキヌちゃんは最近なんか冷たいし……。シロと美神さんは盆だから家に帰ったし。
タマモは……居るけど別になんの役にもたたないしなあ。
あー、腹減った……」
もうこうなったら、タマモを捕まえて狐鍋にしてしまおうかという少し危険な考えが脳裏に横切り始めた時、
普段あんまり鳴らないチャイムが鳴った。
「あーい……、開いてますよぉ……」
勝手知ったるなんとやらで、入ってきたのは最近冷たいおキヌちゃん。
「あ、おキヌちゃん! どうかしたの?」
最近目が冷たいので、なんか怒られることしたかなーと思いつつ、
もしかしたら料理を作りに来てくれたのではないかという淡い希望も持ちながら問いかける。
よく見れば手に葱がはみ出たビニール袋をぶら下げているのでその考えもあながち間違ってはないかもと思うが、
「……」
おキヌちゃんは俯いたままである。
「お、おキヌちゃん?」
「……だ」
「だ?」
「だ、だだだ、だだだ」
「怪獣ダダ? ダダダ文庫? マシンガンの真似?」
おキヌは顔を上げると、大きく息を吸い込み、
「黙りなさい、この豚野郎!」
時が止まった。
「…………へ?」
まさかおキヌちゃんがそんな汚い言葉を、と脳が拒否しているところへ更なる衝撃が横島を襲う。
「口を開かないで! あなたイカ臭いのよ!」
自分から部屋に訪れておいて何を言っているんだというツッコミすらも横島は忘れる。
「……おキヌちゃん?」
「なんて汚い部屋かしら! まるで豚小屋のようね! 豚のように汚らわしいあなたにはお似合いだけどね!」
そう言いながらずかずか入り込んで来るのを、横島は黙って、というか唖然としながら見守る。
「本当は手が汚れてしまうから嫌だけど、わ、わわ私が特別に掃除してあげます……あげるわ!」
デレた。とはいえエロ>萌えな人間である横島にとって、そんなもん分からない。
というか、ツンデレ自体横島はあまり知らなかった。
「なんて汚い台所でしょう! ここ人の食べる物を作り出す場所じゃないわ! 出来るのはせいぜい豚の餌ぐらいね!」
「おキヌちゃん?」
「た、たまたまここに材料があるから、豚野郎なあなたに人間様のお食事を恵んであげるわ!」
「おキヌちゃん!」
とまあ、そんな調子でおキヌは掃除をしながら、同時に食事を作っていく。
食事は上手かった、はずだが実際には味など分からなかった。
おキヌは終始そんな様子で、最後の去り際に、
「か、かかか勘違いしないでよね! べ、べべ別にあなたのためにやったわけじゃないんだからね!」
と言い残して去っていく。
後には魂の抜けた横島が、口から葱をはみ出しながら突っ立っていた。
数日後ランランララーと、今にもスキップしそうな様子で歩いているのはおキヌ。
「最近横島さん事務所に来ないし、今日も私から行っちゃいましょう。
前回のつんでれも上手くいったし、今回もつんでれで行きます」
ぴんぽーんとチャイムを鳴らすが、いつものように中から声が聞こえない。
留守かと思いきや、ノブは簡単に回る。
「……入っちゃいますよ~」
中はガランとしてて、誰もいない。
よく見ると荷物もなくなっている。
「あれ、横島さんどうしたんだろう? ナルニアのお父様やお母様にでも会いに行ったのかな?」
首を捻っていると、ちゃぶ台の上に手紙が一つ。
それは横島の汚い字で、こう書いてあった。
『人というものが信じられなくなりました。
旅に出ます。
捜さないで下さい。
よこしまただお』
横島は逃げ出した。
「…………………………………………………………………………………………………………」
おキヌはグレた。
「タマモさん」
「何よ、人工幽霊」
「ツンデレを教えるというのは分かります。
ですがそのレッスンに『Sの進め』とか『女王様の憂鬱』とか必要だったんでしょうか?」
「必要ないわね」
「じゃあ、どうして?」
「……暇つぶしよ」
ポテチを齧りながら、手を変化させると、山奥で「ツンデレ怖いツンデレ怖い」と唸っている横島の元へと飛んでいった。
お、終わりなんだから!
あとがき
知ってる人は久しぶり、知らない人は初めまして。
ちょっと昔このサイトに投稿させて頂いていたのりまさです。
おキヌちゃんものはあまり書いたことないので書こうかなーと思ったら、いつの間にかタマモものになってました。
最後タマモがちょっと黒いかな。
それでは。