「ひぃぃぃぃぃ!? Gメンはなにやってるヨ! 税金返すヨロシィィィ!」
爆炎と魑魅魍魎が舞う街中を、情けない声を悲鳴を上げる小柄な人影が右往左往していた。
既に中年から初老に近い年齢であるにも関わらず、子供と見間違えるほどの低身長。
オカルト界の小さいオッサン、美神令子に次ぐガメつさと横島忠夫に次ぐ助平さを持つ、無駄に商魂逞しい厄珍堂オーナーである厄珍だ。
「客も盾になるGメンも居ないし最悪ネ!」
厄珍の叫びの通りに、周囲には彼にとっての客であるGSも、身を守ってくれるオカルトGメンも一人として居なかった。
居るのは暴れ回る魑魅魍魎に抵抗する術を持たず、厄珍のように逃げ惑う無力な一般市民だけである。
「大人しく店に隠れてれば良かったアルゥゥゥゥ!」
突進してくる悪霊を必死で掻い潜り、厄珍は叫びながら後悔した。
突如現れて暴れ始めた魑魅魍魎達を見て、GSに高値で除霊道具を売り捌くチャンスだと意気込んで行商に出た結果が今だ。
「ふー…地獄絵図ネ、これは」
建物の影に逃げ込み、多少余裕が出た厄珍は改めて周囲を見回し呟いた。
悪霊に憑かれ自分の親を襲う子供。
妖怪や魔族に生きたまま喰われ、その身を引き裂かれて泣き叫ぶ男女。
餓鬼の類に憑かれたのか同族喰いの禁を犯している人間すら居る。
親が、子が、男が、女が、老人が、この場にいる全ての人間が等しく地獄を覗き込んでいた。
「神も仏も居るのに、酷いもんネ」
裏の世界で生きる厄珍ですらも目を逸らしたくなる光景に、思わず本音が漏れた。
厄珍が背中に背負った、自身の身長より大きい風呂敷包みの中にあるオカルトアイテムを使えば何人か助ける事は出来る。
だが、大量の魑魅魍魎と戦いきれる程の力量も道具も厄珍は持ち合わせていない。
助けた後、厄珍に攻撃が集中して助けた人々諸共に、周囲に転がっている死体の仲間入りを果たすことになってしまうだろう。
厄珍は分の悪い賭けに出てまで人助けをするほど善人ではないのだ。
「ごめんなさいヨ」
結論を出した厄珍は謝罪だけ口にして、罪悪感を微塵も感じる事無く人々を見捨てて地獄絵図に背を向けた。
ビルの中に隠れ身を隠す結界を張って、暫く動かずに居れば助かるであろうと考えた厄珍は非常階段を注意深く上る。
既に厄珍の頭の中に先程の地獄絵図は微塵も残っていない。
人の気配が無い静かなビルの中、時折外から悲鳴と爆音が聞こえる。
まるで紛争地帯にでも居るようだと心中でぼやきながらも周囲への警戒は怠らない。
三階までの全ての部屋のドアをチェックしているが、未だに進入できそうな部屋は無かった。
厄珍がいい加減諦めて廊下で結界を張る事を考え始めた時、四階でドアが開け放たれた部屋を一つ発見した。
「逃げ出した後みたいネ」
小さな会社のオフィスの中を見回し、厄珍は隠れる場所を決定した。
書類がばら撒かれ、少量の血痕が残っているが既に人が逃げ出した後ならば隠れ易い。
肩に食い込む風呂敷包みを丁寧にデスクの上に置いて、厄珍はようやく一休み出来た。
若くない厄珍には結構な運動だったのだ。
「だ…れ……か」
外の魑魅魍魎に気付かれる前に、素早く結界を張ろうとしていた厄珍の耳にか細い声が聞こえた。
悪霊かと警戒し、両手に破魔札を構えながら周囲を探索する。
「脅かしっこは無しヨ。 悪霊かと思ってオイちゃんチビりかけたアルヨ」
「…あはは、ごめんなさい」
すぐに見つかった声の主は、背中に大穴が開いた血塗れの中年女性に、庇われるように押し倒されている小学校高学年程度の少年であった。
少年自身も傷を負っているのか吐血しており、顔色は青白く声も弱々しく震えている。
「おじさん、かあさんを……助けて」
少年の言葉に、厄珍は内心厄介な拾い物をしてしまったと溜息を吐きながら一応女性の首筋に手を当てた。
医学に多少明るい厄珍には背中の傷を見れば即死だとすぐわかるのだが、一応は少年の為に確認だけでもしておく。
「死んでるヨ」
「そう、ですか…」
女性の体からは温もりは失われ、死後硬直が始まっている。
女性と触れ合っていた少年なら気付いていた筈なのに、悲しそうな顔をしているのを見て厄珍は気付いた。
「ちょっと動かすアルヨ」
「あ……」
女性に弱々しく縋って涙を流していた少年の上から、厄珍が女性を退かす。
母から離された少年は悲しそうな声を上げるが、厄珍はそれに構わず少年の体を観察した。
「ボウズも長くないネ。 医者でもヒーラーでも助けられないヨ」
少年の体を診て、厄珍が一言発した。
女性ごと何かに貫かれたのだろう、少年の腹には小さくは無い穴が開いていた。
流れ出ている血の量からも、少年がそろそろ事切れる事が厄珍には理解できた。
最早少年は視界も無くなる寸前、感覚など無い事は容易に想像できる。
だから、女性が体温を失っていることに気付かなかったのだろう。
「…そうですか」
厄珍の言葉を聞いた少年の顔に恐怖が浮かぶ。
少年は泣き喚く体力も無いのか、ただゆっくりと迫り来る死の恐怖に顔を歪めた。
その顔を見た厄珍が、彼にしては珍しい気紛れを起こした。
「ボウズ、一つ教えてやるネ」
幽霊を怖がる子供をあやすように、普段の厄珍からは考えられない優しい声で少年に語り始める。
「死は終わりじゃないアル。 もう一度生まれるための準備でしかないネ」
オカルトを識る者にとって、死は終わりではない。
魂は巡り、再び生を受ける。
「怖いのは当たり前。 悲しいのは当たり前」
だけど、死は終わりではない。
「行き着く先は無じゃないネ。 だから、絶望する必要は無いヨ」
終わりでないのならば、絶望はしなくて良い。
普段の厄珍ならば決して口にしない、優しい気休めを吐き出した。
「そっか…、おじさん、ありがとう……ございます」
「冥土の土産って奴ヨ。礼なんていらないアル」
恐怖は消えないが少し落ち着いた表情で少年が礼を言う。
それを照れ臭く感じたのか厄珍が顔を背けて突っぱねた。
「ねぇおじさん、GSの人なの?」
短い沈黙の後、少年が会話を再開した。
外の悲鳴と爆音は未だ止まないにも関わらず、厄珍と少年の二人の間に流れる空気は不思議な程凪いでいた。
「違うヨ。 ワタシ商人ネ。 オカルトアイテム売ってるアルヨ」
「商人、ですか…。 あの、かあさんはちゃんと逝けましたか?」
少年の言葉に厄珍は己の迂闊さを呪った。
これ程陰気が渦巻いている中で、まともに成仏出来る霊など居ない。
大抵が陰気に犯されて悪霊に堕ちる。
そうなれば狙われるのは今にも息絶えそうな少年ではなく厄珍だ。
そうなっては堪らないと、厄珍が慌てて腰に下げていた霊視ゴーグルで女性を見る。
「成仏してないネ。 悪霊になりかかってるヨ」
女性の霊は自身の死体の上から、倒れている少年をぼんやりと見下ろしていた。
陰気に影響されて意識が消えかかっている。
「かあさんを、送ることって出来ますか?」
「道具があるから可能ネ」
厄珍には一般人並みの霊力しかないが、それでも除霊できる道具を持っている。
持っている道具はどれも恐ろしく高額な品ばかりで、厄珍はガメつい商売人なのだが自分の命が掛かっている以上は使う。
「それって、苦しくないですか?」
「ワタシネクロマンサーと違うヨ。痛くて苦しいのは仕方が無いネ」
ネクロマンサーという単語が理解できない少年は、僅かに首をかしげながらも続ける。
もう、少年には時間が無いのだ。
「痛くも苦しくも無い方法ってありますか?」
「あるにはあるけどネ。高いヨ?」
厄珍が持っている秘蔵の香を使えば、多少の未練や恨みつらみなど浄化して成仏させることが出来る。
だが、その香はとてつもなく高いのだ。
厄珍としては破魔札や吸引札で済む事に使いたくはない。
出すものを出してもらえば話は別なのだが。
「あの、これでお願いできませんか?」
少年は震える手でゆっくりと右手首に身に着けていた時計を外し、厄珍に差し出した。
「ボロッちい時計ネ。 こんな物じゃいくらあっても足りないアルヨ」
死の間際の少年に対して言う事ではないが、厄珍はそこまで気を使うほど優しくは無い。
「父さんの、形見なんです」
厄珍はだから何だと言うのだ、と言わんばかりの渋い顔を作る。
今更そんなお涙頂戴の品を貰っても厄珍には何の得も無い。
「だから、担保にします」
「は?」
少年が続けた言葉に、厄珍は呆気にとられた。
「大切なものですからあげませんよ。 必ず、お金は払いますから」
「払うってボウズ……」
薄い笑顔すら浮かべて、少年は言い切った。
「死は終わりじゃないんでしょ? 」
少年の顔に、少しだけ悪戯小僧のような色が浮かんだ。
厄珍自身が吐いた言葉を利用しようというのだ。
妙な所で頭の良さを発揮させる少年に呆れながらも、厄珍はつい差し出された時計を受け取ってしまった。
「約束…ですよ」
言いたい事を言い終えたからなのか、少年は先程までの弁舌が幻であったかのように簡単に息を引き取った。
「とんだペテンネ。 オイちゃんの返事も聞かずに…」
しかも商売人相手に約束と来た。
「フン、絶対に払わせるから覚悟するヨロシ」
ブツブツと呟きながら風呂敷包みから香を取り出し、親子の亡骸の前に置くと安物のマッチで火をつけた。
香の匂いが陰気を散らし、あの世への道標として煙が天井すらもすり抜けて天に昇って行く。
効果など確かめるまでも無い。
厄珍にはあの親子が安らかに昇って逝くのが確かに見えたのだから。
「ヤな客だったアル 」
親子を見送った後、パイプに火を灯して一服しながら愚痴る。
さっきまで話していたとはいえ、死体のある部屋で長時間過ごしたくない厄珍は風呂敷包みを背負った。
「こんなボロッちい時計、質屋も買い取り拒否するヨ」
吐き捨てるように呟くと、ポケットの中から少年の時計を取り出し無造作に投げ捨てた。
epilogue
「ボロッちい時計ね~。 厄珍、アンタ趣味変わった?」
バイト達には任せられない買い物をしに、久しぶりに自らの足で厄珍堂に来ていた美神令子は、厄珍の腕の時計を眺めながら何気なしに口にした。
「担保にって押し付けられたアルヨ。 しかも厄介な事に呪い付きネ」
「ギャラ払ってくれるんなら祓ってあげるわよ?」
「無理ヨ。 特殊な呪いアル」
約束という、優しく厄介な呪い。
そんなものは一流のGSである令子でも祓えないだろうと内心でだけ呟き、小さく苦笑した。
「困っているってより嬉しそうね?」
「全然。 厄介極まりないアルヨ」
言葉とは裏腹に小さな苦笑は厄珍の顔から消えることは無い。
「それにしてもアンタが騙されるなんて、その客結構なやり手ねぇ」
「最悪の客だったアルヨ。 とっとと見つけ出してこのボロッちい時計叩き返してやるヨ」
悔しそうに吐き捨てるが、厄珍の口元から苦笑が消えることは無かった。
あの少年は確かに厄珍にとって最悪の客だった。
金を払わなかったからではない。
一方的に丸め込まれてしまったからでもない。
だが、厄珍が代金を受け取る気を無くしてしまっている。
商売人にとって最悪の客とは、代金に対する執着を商売人から奪ってしまう相手なのだ。
end
あとがき
前作の感想ありがとうございます。
コスモプロセッサ起動時の厄珍の話を書いてみました。
厄珍の口調が全然合ってる気がしない。力不足を痛感中です。
前作の喪服=学ランのトコですが、御指摘を頂いたので返答。
実はアレはわざとはっきり描写しなかったんです。
自分の下手な文章で狙いを外してしまいましたね。
それではまた。
2007/06/14 少々の文章の改定と誤字の修正。