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▽レス始

「駆逐艦南冥に沈む 改訂版(GS+RSBC)」

彷徨く者 (2007-04-23 10:19)


 1948年6月 〜印度洋〜


 第三種軍装を己の血で染め上げた駆逐艦長は、迫り来る独逸海軍機を睨め付けながら、自分の愚かしい迄の錯誤が此の状況をもたらしたと信じていた。

 現状は控えめに見ても最悪と言って良い状況下の追い込まれつつあった。彼が守るべきか弱き羊達−船団からはぐれた四隻の高速輸送船−は独逸海軍機の攻撃に曝され其れを護るべき牧羊犬は、彼が指揮する傷付いた旧式駆逐艦一隻に過ぎなかった。

 其れが、独逸軍の印度洋・太平洋方面における対日攻勢−陽動作戦<フリードリヒ>作戦に従い、独逸軍の要衝ゴアより発進した長距離航空機と、重装軽空母『グラーフ・ツェッペリン』艦載機に拠る、僅かな隻数の護衛戦隊だけでは対処し切れぬ飽和攻撃を受けた結果だとしても、彼は自分の無能を信じて疑わなかった。

 彼はかつて『此の世に自分程信じられんモノがほかにあるか』と迄言い切った事があり、其の実力はさておき、彼の自分に対する不信感と劣等感は病的な迄と言っても良いだろう。

 尤も真に無能な人間に対し、帝国海軍が旧式とは言え特型駆逐艦一隻を任せたりはしないのだが、彼は常にそうである様に自分の錯誤が、自分の愚かしい指揮が此の絶望的な状況を招いたと頑なに信じていた。
 最悪の状況下にありながら、巧みな操艦と戦術指揮で艦と輸送船を護る事に成功した人間とは思えぬ自己評価である。艦橋に居る者は彼を信頼に足る駆逐艦長として、尊敬の念すら抱いていると言うのに対し余りにも皮肉な自己認識であり、彼を信頼すべき上官と認めた部下達に対し侮辱にも等しい行為であったが、哀しいかな彼は其の事実に気付いてはいなかった。彼は自分の評価に対し酷く愚鈍な所があったのだ。


 開戦劈頭、初めて実戦投入された反応弾(A10E)に因り、首都ワシントンが潰滅、最高司令官たる大統領と共に軍の指揮系統を失った合衆国軍は、侵攻した独逸軍の猛攻に因って信じられない程呆気なく崩壊してしまった。其の結果、強大な独逸軍と対峙せねばならなくなった帝国は築き上げてきた戦略の見直しと言う難問に直面していた。
 独逸海軍を凌駕する規模の艦隊戦力を有する帝国海軍ではあったが、奇襲によるイニシアティブの喪失と、急速に進展した事態の推移に追随出来ない上層部の混乱により、印度洋で猛威を振るう独逸海軍東方艦隊に対し対応が後手に回っていた。

 そして上層部の無策のツケを払うのは現場の人間と決まっていた。


 彼の指揮する陽炎級駆逐艦『不知火』は、重装軽空母『グラーフ・ツェッペリン』から放たれた攻撃隊に因って、KC−2船団よりはぐれてしまった四隻の高速輸送船を護る為に、海上を縦横無尽に疾駆し激しい対空戦闘を継続していた。

 僅か数隻の旧式駆逐艦とカラチに逃げ込んでいた十数隻の高速商船のみを寄せ集めて編成されたKC−2船団は、快速を活かし一気にコロンボへ向かっていたが、先行したKC船団に対する独逸海軍東方艦隊第7戦隊の襲撃に拠って、其の存在を帝国海軍から忘れ去られていた事に気付いていなかった。
 比較的小規模な此の船団に対し東方艦隊は些かも容赦する事無く、独逸人的生真面目さを持って襲い掛かってきたのだった。
 東方艦隊司令部は当面攻撃する術の無い極東の島国が、合衆国の半分に達する粗鋼生産力と、英国を凌ぐ造船設備を持つ事の意味と其の危険性を充分に認識していた。

 陽炎級駆逐艦『不知火』。特型駆逐艦として生を受けた彼女は、帝国海軍が想定していた水雷夜襲戦術を具現化する為に設計された艦隊型駆逐艦だったが、近年急速に発達した電測兵装に因り水雷戦術を過去のモノとしてしまった。結果、彼女は帝国海軍の戦術転回に従い魚雷発射管を一基のみ残し、対空火器と対潜兵装を増設、新たなる脅威として台頭した航空機と潜水艦に対して備えなければならなかった。条約型駆逐艦と言うコンパクトなプラットフォームに対し可能な限りの武装を施した陽炎級故に、余裕の無い設計が祟り水雷兵装を廃したとは言え充分な対空戦闘能力と対潜戦闘能力を付与出来るモノではなかった。

 彼自身、水雷兵装の撤去と対潜、対空火器の増設は、急速に進展する現状に対応する為に必要な措置だと思っていたが、斯様な状況下で中途半端な戦力を備えた陽炎級を指揮せねば為らぬ立場に満足していた訳ではなかった。


 己に与えられた困難な役割を十二分に理解していた彼は、不知火が搭載する対空電探が独逸軍機を捉えるやいなや、危険な爆発物でしかない九三式酸素魚雷の投棄を命じた。第二次第四艦隊事件以来、酷く肩身の狭い存在である水雷兵科の将兵達から恨みを買ったが、独逸海軍機の襲撃、其の序での様に行われた銃撃に因り、艦橋と魚雷発射管付近に銃撃を受け少なくない負傷者を出した事で、艦長の判断が正しかった事が証明された。強大な破壊力を持つ九三式酸素魚雷が爆発したら、ブリキ缶と揶揄される駆逐艦など消し飛んでしまっただろう。

 特型駆逐艦として敵主力艦を仕留めるべく生み出された猟犬が、か弱き輸送船を護る牧羊犬として印度洋で熾烈な対空戦闘を継続している皮肉な現状に彼は僅かに頬を歪める。

 全く現実って奴は、何処までも皮肉に出来てやがる。

 独逸軍機の波状攻撃を受けながら彼と、不知火に護られた四隻の高速輸送船は巧みに生き延びた。彼が叩き込まれた操艦技術は追い込まれた状況下で絶頂を見せ、魔法使いの魔法の如く独逸軍機の攻撃をかわし続け、神業と称しても良い艦長の操艦に応えるべく乗員もまた最高の技量を発露し、少なくない数の独逸軍機を海底に叩き込み、其れに倍する数の攻撃を頓挫させ四隻の輸送船を護り抜いた。

 しかし独逸軍機の攻撃は執拗で容赦無く、一隻も印度洋を通過させんとばかりに異常な迄の戦意と執念で彼等に襲い掛かってきた。

 己の能力に徹底した不信感を抱いている彼は、編隊を維持し襲撃機動を仕掛ける魁偉な独逸軍機を見ながら、此の戦場で果てる運命に在る事を感じていた。

「此奴は拙いな……」

 彼は溜息と共にぽつりと漏らす。独逸海軍機の襲撃に因って無理矢理露天艦橋に改造され、随分と人手の減った艦橋は各部署より送られて来る損害報告の処理に追われており、彼の呟きを耳にする者はいなかった。彼は冷静に事態を把握していた。

 此が最後の攻撃だろう事を、既に日は傾きだしている。

 空母の運用に熟練した日本海軍将兵には、些か理解出来ぬ珍妙な重装軽空母にとって薄暮攻撃に対し多くの制約があるだろう。世界で最も経験を積んだ母艦航空隊を有する帝国海軍とて、事故の危険性が付きまとう薄暮攻撃には慎重にならざろう得なかった。
 結局の所、世界最大規模の外洋艦隊を有する日本海軍に挑戦せねばならない筈の独逸海軍は、未だに沿岸海軍の呪縛に囚われ、通商破壊戦術に拘泥する余り本格的な航空母艦を未だに保有していなかった。

 此の攻撃さえ凌ぎ切れば、独逸軍機の襲撃から逃れる事が出来るのだが……

 我ながら都合の言い考えだと彼は僅かに苦笑を漏らす。予測とは常に最悪の方向へと外れると言う事を、此までに厭と言う程学んでいた。彼の予測通り、僅か一個小隊の独逸軍機は際だった戦術機動で、海面を舐める様な高度で水飛沫をものともせず悠々と侵攻して来る。既に搭載された対空迎撃奮進弾を使い切り、度重なる防空戦闘で少なからぬ損害を受けている彼女に出来る事など僅かでしかない。
 一機が対空砲火に拠りバランスを崩し海面に激突するが、不知火に出来たのは其処までであった。


 独逸海軍航空部隊を指揮する大尉は、此の攻撃が成功しない事を確信していた。己の練度に不安がある訳ではなかった。彼等は数少ない独逸海軍母艦航空隊として世界最強の母艦航空隊を備えた日本海軍に挑むべく、過酷な訓練に耐えてきただけに充分な練度を持つと信じていたが、其の攻撃は成果を挙げていなかった。

 投入する戦力が少な過ぎたのか? 

 戦術的合理性から言って彼等の信頼すべき艦長が下した判断に間違いは認められなかった。船団からはぐれた輸送船四隻に対し一個中隊を投入し輸送船殲滅を命じたのだ。惜しむべくは此の輸送船四隻を護衛する駆逐艦艦長の力量を読み違えた事だろう。勇気と知略に溢れた艦長が指揮する旧式駆逐艦は印度洋を縦横無尽に駆け巡り、航空隊の攻撃を徹底的に妨害し、頓挫させた。駆逐艦に幾ばくかの損傷を与えた事と引き替えに僚機を喪った二個小隊は既に攻撃を終了しており、大尉率いる一個小隊が残された最後の牙だった。

 大した男だ。

 大尉は人種差別とは無縁の男だったが故に、敵駆逐艦艦長(日本海軍では駆逐艦長)に対し惜しみない賞賛を送る事に忌避感はなく、勇敢な敵駆逐艦艦長に対し敬意すら抱いていた。尤も武人として好敵手と出会えた喜びと、軍人としての経歴を汚しかねない存在に対する怒りが、己が滅び行く種族に属する事を教えてくれた。

 成る程、此の悪しき世界に幾ばくかの幻想を抱く愚か者と言う訳か……なればこそ、私の経歴に不名誉を刻み込んでくれた礼をせねばならないな。

 広大な海洋で活動する事を前提に開発され、長大な航続距離を備えた日本機と異なり、欧州生まれの彼等の航続距離はさして褒められたモノではなかった。既に日は傾きかけ、此が最後の攻撃と為るだろう。戦果無しと言う恥辱を頂かぬ為にも緻密な戦術が必要だった。

 四隻の高速輸送船を護る為に、彼の酷く勇敢な駆逐艦艦長はあらゆる手段で抵抗するだろう事が予測された。


『限界だな……だが輸送船は護らねばならない……どんな事をしてでもな』


 選択肢など無かった。帝国海軍軍人としての責務を果たすだけの事だ。其れに半端な戦力でしかない旧式駆逐艦と、戦時体制に移行していない現時点で宝石よりも貴重な高速輸送船四隻の価値など比べるのも莫迦らしい。今度は口に出す事無くひとりごち、矢継ぎ早に命令を下す。誰も信ずべき艦長の判断に異を唱える者はいない。多くの者が海洋国家たる海軍の在り方を正しく理解していたし、其れ以外の者は、まぁ、そんなモノだろうと達観していた。運命の受け入れたかにも色々あると言う事だろう。

「やはり俺は無能だな……」

 流麗な設計に纏められた日本機とは異なる怪鳥の様なシルエットを持つ攻撃機から、投下された魚雷を睨み付けながら呟く。


 既にサイは投げられた。


 後は結果をご覧じろ。


 為すべき事を全て為し終えた。死を前に妙に平静だった。既に死を受け入れてしまったからだろうか? まぁ、良い。悔いばかりの人生だったが、最後に己の職責を果たせる幸運にありついただけでも良しとしなければならない。誰かを犠牲にして自分だけが生き残るなんて、あの時だけで充分だった。


 結局、自分は逃げ出しただけなのかもしれない。


 投下された航空魚雷と言う鋼鉄の死神を睨め付け、彼が引きずり続けていた記憶が呼び起こされる。


 あのぬるま湯の様な環境に耐えられなかったのだ。


 世界を震撼させた忌まわしくも哀しき戦い。愛する人を失ったあの戦役以後、悲劇の英雄として多くの者が彼を腫れ物を扱う様に接し、最も身近にいた彼女達迄もが無意識に彼女の事を封殺した事が、彼の未成熟な精神を徹底的に追い詰めた。

 彼は救いを求めていたが誰も其の事に気付く事無く、ただ時が解決するだろうと積極的な行動を取らなかった。彼女達自身恋愛に未熟な部分があると同時に臆病でもあった。愛する人を失った想い人にどう接すればいいのか分からなかったから、そう接したと言った方が正確なのだろう。

 彼女達もまた優しさに溢れた人間達だった。お互いを大切に思っている優しさ故に何も出来ない事が在る。彼女達が犯した過ちもまた優しさ故であり、優しさだけでは解決出来ない事が在ると言う事に気付いていなかった。

 優しさ故に矯正する事の出来ない歪んだ関係から逃れる為に、高等学校卒業と同時に彼は全てを捨て海軍士官学校の門を潜った。其れは彼に対し想いを寄せていた彼女達に対する明確な裏切り行為なのかも知れない。だが彼は決断を下した。誰にも告げる事無く、誰も追う事が出来ぬ世界へ身を投じたのだった。


 あれから十数年の歳月を経た。自分は海軍士官としての道を歩み、海上勤務一筋、彼女達との絆を全てを断ち切ってしまった。

 彼女達が今何をしているのだろうか? 結婚し平穏な家庭を築いているのだろうか? 

 もう自分の事など忘れてしまっただろう。彼女達と過ごした時間は鮮烈でこそあれ酷く短いモノでしかないのだから。

 そんな自分が、彼女達の生活を守る為に戦い、南洋で果てる。

……まぁ、それもいいだろう。


 此が逃げ出した自分が、彼女達に出来るせめてもの贖罪。


 死を前にして思い起こされる最も輝いていた頃の記憶……貧窮に喘ぎ、仲間と言える存在と共に馬鹿をやりながらも充実していた楽しき日々の思い出。
 そして彼の一生を変えた運命的な出会いと別れ、愛と言うには余りにも未熟で、紅蓮の様な想いと唐突で余りにも残酷な別れ……刻み込まれた疵は余りのも大きく、深く抉られ、醜く爛れ、魂まで達した疵痕は未だ癒えていなかった。


 眼下に広がる紅色に染まった海原……対空砲火の黒煙に汚されながらも印度洋に沈み行く夕日は美しかった。


 昼と夜の一瞬の邂逅か…………なぁ、またお前に逢えるかな?


 傷付いた不知火が輸送船に向けて放たれた魚雷を受け止めるべく、茜色に染め上げられた海上を疾駆する。独逸軍機の襲撃に因り傷付き、戦塵で薄汚れていたが、夕日に照らし出された其の姿は神々しい迄に美しかった。日本造船技術の粋を極めて建造され、世界を瞠目させた傑作駆逐艦の名に恥じぬ優美さと力強さを併せ持つ、其の姿は日本的美意識の結晶として、此の大戦を生き延びた輸送船の乗員に長く記憶され語り継がれる事になる。


 二発の魚雷を受けた駆逐艦は、眩いばかりの閃光と破滅的な大音響と共に瞬く間に大海原に飲み込まれた。ブリキ缶と称される駆逐艦に水中防御力などある筈もなく、独逸軍機は輸送船攻撃を頓挫させ続けた殊勲の駆逐艦を撃沈する事を成功させた。大尉は酷く不愉快な気分で物足りなげに渦巻く海面を見詰める。不快な勝利だった。彼等は主目的である輸送船撃沈を遂に果たす事は出来なかったのだ。


 畜生、此が素晴らしい戦争の夏と言う訳か……


 大尉は旧式駆逐艦の見事な戦いから、護るべき通商航路を持つ海軍士官の在り方を教えられると同時に、此の戦争の行く末に言い知れぬ危惧を抱く事となる。


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