「ぬおあ!?」
まあ予兆かと問われれば、それは予兆でしたとしか答えようのない出来事ではあった。
その日、横島忠夫の自宅のトースターが壊れた。ボン、と黒焦げの食パンを排出し、一瞬炎が内部から燃え上がるという派手な断末魔の末に、トースターは沈黙した。
「…むう。ガス台で炙れんかな…熱ううっ!?」
食パンは貴重な食料である。本当にトースターが壊れたか、二枚目で試す気にはなれなかった。また炭になったら困るし。
海苔のようにガス台で炙った食パンは、斑に焦げ目もついてそれっぽく仕上がった。香ばしい匂いもするし、懸念材料だったガス臭さも付いていない。
「…何この虚しさ」
つまらないことに器用さを発揮したもんだ、と横島はジャムもマーガリンも塗らない無印トーストを頬張りながら、じっと己の手を見つめて物悲しくなった。
そして翌日、事態は更に深刻の度合いを深める。
「あああああああああああっ?!」
炊飯器が、壊れた。
バイトに行く前に仕掛けておいたタイマーが作動せず、疲れ果てて帰ってきた横島が見たものは、出掛ける前と同じ状態にある内釜であった。電源そのものが死んでいる。コンセントは刺さっているのに。
由々しき事態である。
横島に料理のスキルは無い。出来るのは目玉焼きとか、野菜炒めとか、袋ラーメンとかカップラーメンとかレンジでチンするご飯とか。
米は鍋で炊く、という方法もあるが…おキヌか小鳩にでも尋ねれば、実演付きで教えてくれるだろう。でも、心優しい彼女らは下手をすると毎日ご飯作りに来てくれたりする可能性もある。下心というか乙女心も込みで。
有難いけれど、そこまで甘えてもいられない。
が、更にその翌日。
「何ですとおおおおおおおおおおっ!?」
冷蔵庫が、温くなっていた。
元々大したものが入っていた訳ではないが、先日の給料で自分へのご褒美とばかりに奮発した牛ステーキ肉の残りが、何だか土気色に染まっている。買った当日に半分食べて、残りは後日のお楽しみでラップに包んで冷凍しておいたのに。
事ここに至って、横島はある風説を思い出し戦慄した。
曰く『電化製品の故障は連鎖する』。
トースターに始まった横島家近代文明崩壊の危機は、あからさまな形で主人たる横島忠夫を襲おうとしていた。
「電子レンジからも異音がっ!?」
マイナスイオンだったら良かったのに。
〜それぞれの戦場〜
「っつーわけで、「嫌」給料前借り「嫌」させてくださ「嫌」…何でじゃあああああっ!?」
「だって今月分払ったばっかじゃない。何となく損した気分になるのよねー」
「オノレから見たら小銭に等しい俺の給料払うんがそんなに嫌かあああっ!!」
冷蔵庫とついでに電子レンジまでご臨終と相成ったその日のバイト先。
言わずと知れた美神除霊事務所の所長室で、フローリングの床を額で穿たんばかりに土下座する横島は、美神のつれなさに絶叫を上げていた。
中古でも何でもいいから、とにかく必需品を新調すべく、横島は財布の中身を一円単位まで確認した。
幸い美神も言ったように、給料日からさほど経っていなかったお蔭で、そこそこの金額が残っている。福沢さんの優しげな微笑みが一枚燦然と輝いていた。日本で発行される最高額紙幣の存在感は、横島に勇気を与える。
清水の舞台から飛び降りるつもりで、福沢さんとの別れを決断した。
要は総買い替えの決意である。
「あんたに角氷に塩コショウして『今日はサイコロステーキだ♪』って自分を騙して飢えを凌いだ後の空虚感は分かるまいっ!? それでもそんな刹那の快楽に縋るしかない己の惨めさもおぉぉ…ちくしょう…笑いたければ笑うがいいさあぁぁぁぁ…」
「泣くな鬱陶しいっ!」
しかし、トースターはまだいいとして、炊飯器と冷蔵庫と電子レンジ…当然のように資金不足だ。特に冷蔵庫が痛い。学校帰りに寄ってみたリサイクルショップでも、横島家にあった小さなタイプで福沢さんの上半身は吹っ飛ぶお値段だった。
日々の諸費もかかるので、所持金全てを予算に回すことも出来ない。更に更に、最近は粗大ゴミを廃棄するにも経費がかかるとか。怖いのであんまり詳しく調べなかったが、コンビニで売ってるシールがうんちゃらーとか何とか。世知辛い。
結局どうにもならん、という結論に至った横島は、駄目元で美神に給料の前借りを願い出て当然のようにボツにされ、現在に至る。
爪の手入れに余念の無い美神は、やすりに付いた削りカスを官能的な唇を尖らせて吹き飛ばすと、ここ数日で文化レベルの急落した横島家の実態に、やれやれと肩を竦めた。
「パンが無ければ菓子パンを食べればいいんじゃない?」
「どこの我侭女王だあんたはっ!?」
「米なんか鍋炊きでいいじゃない。あと冷蔵庫? 近場の空き地に穴掘って貯蔵庫とか作れば?」
「都会の真ん中でんな朴訥な事やってられるかいっ!」
「我侭なのはあんたじゃないの。とれる手段全部試してから泣きついてきなさいよ」
素っ気無い雇い主の台詞に、横島のヘンな袋の緒が切れた。堪忍袋とは色合いが違う感じの。
「わーかーりーまーしーたっ! えーえー! 美神さんに甲斐性求めた俺が全部悪かったったら悪かったっすよ! 何だよちくしょおっ!! こーなったら文珠カモンッ!」
逆ギレ袋だったらしい。
やけくそ気味に叫ぶ横島の手の中に、文珠が一つばしゅっと生成される。すわ実力行使かと、美神も素早く机の引き出しから神通棍を取り出した。
「厄珍堂で文珠買い取ってもらいます!! ふははははは! 俺は知っている! 知っているぞ! こいつが一粒何メートルどころか一粒ン億円にも相当するオカルトアイテムだって事を!!」
「んなあっ!?」
そんな前例をもし作ってしまえば、横島の文珠は美神だけの切り札にならなくなる。横島自身だって事務所の丁稚奉公から解放され、傍から消える可能性もゼロではない。
めくるめく損得勘定が美神の脳裏に渦巻き、前貸しを渋る理由が自分の『なんとなく』なだけに気付いた彼女は、馬鹿らしくなって財布から適当に万札を数枚抜くと、横島に手渡した。
「今回だけだからね。あーそうそう、新聞に新しい電器屋が出来たってチラシが入ってたわね。開店セール中で安いかもよ。行ってみたら?」
そんなプチ情報まで付けた美神の真っ赤な顔に、平身低頭して恭しく福沢さん数枚を受け取った横島は気付かない。
当然、実はちょっぴり多めに渡されている事実にも。
「―――ッ! さっさと行けっ! 馬鹿っ!」
「わぷっ!?」
物凄く恥ずかしくなった美神に事務所から叩き出された横島だったが、彼女が玄関先で横島に叩きつけた紙切れが、例の電器屋のチラシなのに苦笑しつつ…載っている地図を頼りに歩き出すのだった。
「……………」
確かに新規開店した感じの真新しい電器屋はあった。商店街の外れ、空き店舗になっていたスーパーの建物をリフォームしたらしい。花輪が並び、法被を着た店員が懸命に店頭で呼び込みを行っている。
「いらっしゃいませー! 只今開店セール中につき全品半額っ! この機会に是非TANAKA電機をご利用下さいーっ!」
問題はその店員だった。
「………関わらんほうがいい。絶対に。見なかったことに「ああ! そこにいるのは横島さん!! 横島さーーーん!! 横島さーーーーーんっ!!」……目え良いなオイ」
手を振る度に、鉢巻の尻尾が揺れるその店員は、人間ではなかった。
「ジーク…………軍隊クビになって地上に追放でもされたか?」
「いえ、れっきとした任務ですよ、これは!」
渋々店先へと赴き、満面の笑みの魔族ジークハルト…通称ジークの前で胡乱気に問うた横島へ、彼の魔族は滅相もないとばかりに反論した。
「姉上も中で働いてますよ! 良ければ挨拶「何故ソレを先に言わん!」…横島さんが消えたっ!?」
現在ジークはベレー帽代わりに鉢巻を巻いている。攻撃性の発露と呼び込みの熱意が上手いことシンクロして、テンションが上がっているようだった。
ちなみに、鉢巻には『必売』の二文字が。
超加速もかくやという速度でもって自動ドアを潜った横島を見送って、ジークは再びメガホンを口に当てて呼び込みを再開した。変わんない人だなあと思いつつ。
店内は至って普通の家電量販店だ。BGMも賑々しく、活気に満ちている。
郊外型の巨大店舗には品揃えの点で一歩譲っているが、その他の部分で見劣りはしていない。開店初日という緊張感がいい方向に働いているようだ。
商売人の血か、実はチェックの厳しい横島の目から見ても、店内の雰囲気、店員の態度共に合格点を付けられた。
「さてワルキューレさんはどこかなーっと…おお、携帯電話。今どきの高校生が携帯の一つも持っとらんっつーのは、問題あるよなあ…」
各社各種色とりどりの新製品が並ぶ携帯電話販売ブース。とても月々の電話代まで賄いきれない台所事情の横島なので、羨ましげに薄型だのワンセグだの煽り文句の踊るPOPを見て、口の端を歪めるしかない。
「お…こりゃまた斬新な。凄えなあ…D−666S…何か不吉な型番だな」
何気なく手に取った機種は、やけに毒々しい装飾の施された、一線を画すデザインのものだ。コンセプトはきっと地獄。
「それが気に入ったか横島。今ならブラックプランというお得な料金プランもあるぞ」
足音も気配も無く、唐突に背後から耳元に吹きかけられた冷たい吐息と言葉。
しかし、横島の桃色センサーが捉えた背後の人物の正体は、驚くものではない。
(いや、逆に大仰に驚いてよろけたフリしてその胸元へ顔を埋めるのも一つの策というかお約束、典型では!?)
「うわあとつぜんうしろからこえがしてぼくびっくりー!」
一瞬の思考と平坦を極めた棒読みで、横島はパライソへとダイブを敢行するも。
「ならば脳内で良く反響するよう、風穴を開けてやろう。まずは縦に貫通…」
「脳味噌に穴が開くと流石に死ねる気がするのでマジ勘弁を」
顎下に触れる冷たい鉄の感触が、違う天国への門を開きかけたので断念。胸元から上へ視線を巡らせると、春桐魔奈美仕様のワルキューレが弟と同じ法被と鉢巻姿で、横島を見下ろしていた。
ささっと何か鋼の光沢を放つものを法被の袖の内に仕舞い込んだのに、周囲の誰も気付かない。気付いたら迷わず通報が正しいブツである。
「久しぶりだな、戦士横島。何を買いに来たか知らんが、私の任務達成に協力するがいい。戦乙女の名に懸けて、成績首位を掴み取らねばならんのでな」
問答無用に二の腕を掴むと、ワルキューレは黙々と大型テレビの並ぶ一画へと横島を連れて行く。
「さあ選ぶがいい。50型以上限定で!」
「いやいやいやいや、ワルキューレさん? 迷彩服も着ないでこんなとこで何やってんすか? 競争激しい業界なら何でも戦場のオールマイティ傭兵ですかあんたは」
プラズマだHDDだ地上波デジタルだと、横島には縁の無い言葉の並ぶエリアに追い込んでおいて、お構い無しにワルキューレは高額商品を薦めまくる。
「俺が買いに来たのは炊飯ジャーと冷蔵庫と電子レンジであって、テレビは健在だ! それに4畳半一間に壁一面塞ぐテレビ置いたって虚しいだけやっ」
「ふむ? その辺ならばお勧めがあるぞ。我が軍で開発した新製品でな…」
「ちょっと待て」
ワルキューレは台所家電のコーナーを見ながら、横島にとって聞き捨てならない台詞をさらりと言い捨てる。彼女にどさどさと渡されたカタログの山を脇に置き、こめかみを押さえながら横島は聞き直した。
「我が軍で、って言ったか今」
「ああ。何だ? 私が地上にいるんだ、軍務に関わっていないほうがおかしいだろうが」
「…突っ込み待ちにしか聞こえねえ…ちゃんと説明しろ。でないとお客様アンケートに『接客態度が悪かった』って名指しで書き込むぞ」
鉛筆を構える横島に、一瞬だけ険しい眼光を向けたワルキューレだったが、開店初日からケチをつけられては困る。まあ良かろうと呟いて奥の休憩スペースを顎で示した。
「実は、デタント推進派が上層部の実権を掌握したことで、軍縮の流れが進んでいてな」
白いベンチに並んで腰掛けたところで、ワルキューレは予想外に固い話から切り出してきた。タイトスカートから伸びる、すらっと長い足が組まれるのを眼で追っていた横島も、眉を顰める。
「神族側でも同様にデタント推進派の勢力が強くてな。いわゆる穏健派が神魔両方の多数派を占めたことで、デタントから更に一歩踏み込んだ取り組みを行おうという話になった。そうでもしないと軍縮なんぞ成立せんしな」
「軍縮ってのと、お前ら姉弟が電器屋で働くのがどう繋がるんだ?」
「簡単だ。軍縮の流れの一環として、今まで軍需品を生産していた工場の一部を民生品の生産に回すことになった。その民生品というのが、いわゆる電化製品だったわけだ。ほら、銃火器と電化製品は似ているだろう?」
「似てねーから。活躍の場も使命も字面も似てねーから!」
「馬鹿には難しいか? で、生産品の販売地に地上が選ばれ、丁度開店準備の進んでいたこの店に介入し潜入工作を施した。そして地上任務の多い我々特務の魔族が販売に当たっている。ジークには会ったか?」
「馬鹿って言われるのには慣れてるが…魔族が日本円なんぞを稼いでどうすんだ? 魔界の通貨とか知らんけどよ」
「さあな。将来的に…魔族も地上で暮らそうというのかもな。人も神族も魔族も関係無い、軍人など無用な世界で」
「ふむ。すると、人間と魔族や神族との間で愛を育む可能性もあるって事だな! つまりルシオラに惚れた俺は先見の明に溢れるパイオニア! だっはっはっはっは! 何気に俺ってすげー!」
能天気に笑う横島を、ワルキューレは驚きの表情で見詰めていた。ルシオラのことをこんな…茶化すような物言いで笑えるようになっていたとは。
あの事件から幾らも経っていないというのに、人類で最も過酷な選択を迫られたこの男は、かくも笑う。ワルキューレには無い強さだ。
人間と神族・魔族が恋に落ちるケースは神話の時代から存在するが…それを指摘するのは野暮というものだろう。
横島につられるようにして、ワルキューレも目を細めた。
「うむ。一刻も早くその世界が実現するよう、私の任務達成に手を貸せ。具体的には買え。高額商品を買え」
「それは任務っつーかノルマだろうが!!」
「気にするな。そら、炊飯ジャーと冷蔵庫と電子レンジだったな? 全部買うなら私が口を利いて安くしてやる。来い」
「むう…釈然としないんだが…安いならいーや。頼むぜ」
横島も出来る範囲でワルキューレのノルマ達成に貢献するのに、吝かではない。
これも縁だろう。
潔く観念して、横島は立ち上がったワルキューレに苦笑してみせるのだった。
「これがお勧めの炊飯ジャー…『全自動炊飯鬼・ムラサメ』だ」
早まった。
「因みにムラサメとは、『蒸らし上手で冷めても美味い』の略」
「…炊くと呪われそうな名前だな」
神速で横島は後悔する。
くわっと見開いた目。牙の連なる口。
「…これはあれか。精米地獄の獄卒か何かか…?」
銀色の炊飯ジャーの蓋にへばりつく形で、小さな鬼が横島を睨んでいた。
「通信鬼の技術を応用した、機能管制用小鬼を搭載した最新型だ。こいつが身をもって炊飯の全行程を管理してくれる」
そーっと横島が炊飯鬼の蓋の方へ手を近づけると、小鬼がキシャアアアッと威嚇してきた。牙鳴りが凄い。
「気をつけろよ。保安機能付きだからな」
「保安機能?」
「うむ。12ケタのパスワードとDNA認証による本人確認を行わねば蓋が開かない」
「……金庫かなんかと間違ってないかソレ」
「因みにDNA認証には血が必要だ。かぷっと噛まれてくれ」
「こんなんに毎度毎度齧られたら指が何本あっても足らんわっ!!」
「貴様の部屋なら、これくらいのサイズが適当か?」
「……これは普通だな?」
ずらりと冷蔵庫の並ぶ一画で示されたのは、一人暮らし用の小さな冷蔵庫だった。
白物家電の代表選手だが、最近はカラーバリエーションも豊富で、金色のものまであった。正直目を疑う。
「俺はてっきり、『霊蔵庫だ』とかいって悪霊でも凍らせておけるパチもん勧められるかと」
「失敬な。そんなもの店頭に並べて売れるものか」
馬鹿なことを、と蔑むように横島を睨んだワルキューレはきっぱりと言った。
「そっちは法人向けだ」
「あるんかい!?」
「なあ、トースターも買ったら安くしてくれるか?」
「トースターとは何だ? …パンを焼ければいいのか。ならばこっちだ」
何だかんだ言いながらも、炊飯器、冷蔵庫共に極めて一般的、魔界のまの字も感じさせない地上のメーカー品を、ワルキューレの選定で購入した横島。
彼女が何も言わなかったところを見ると、ノルマは別に魔界製品に限ったものではないらしい。
それならついでにトースターも買ってしまうかと、ずんずんと前を歩く彼女に相談してみた。
「これは魔界軍で制式採用されていた加熱調理器を、民間向けに仕様を調整したものだ。元々魔界ではだぶついていた代物だからな、こうした転用品は安いぞ」
「トースターっつうか、これは…ホットプレートだな」
特設コーナーに山積みになっていたのは、見た目は家庭で鉄板焼きを楽しむような、ごく普通のホットプレートだ。
「商品名は『焼け野原壱型』」
「そのセンスだけはどうかと」
…ネーミングは魔界製品だけに少々突飛だが、性能重視の横島には気にならない。お値段も安めだし、元軍用品って事は頑丈で長持ちしそうだ。
「パンと玉子一緒に焼けるんかー…ふむ、魔界製でようやくまともなもんが出てきたな」
「ムラサメは午前中に10台売れているが?」
「……物好きっているもんだなー」
「そうそう、この調理器は専用の燃料が必要でな。これも不用品を再利用したものなのだが…ガスカートリッジがいる」
「カセットコンロみたいなもんか? 電気代の節約になる…んかな」
「これだ。毎日使っても一本で半年はもつぞ」
ワルキューレが差し出したのは、カーキ色の円筒形をした…とっても手榴弾ちっくなカートリッジだった。
白い目で横島はカートリッジとワルキューレを交互に見詰める。きょとんとした表情のワルキューレに、喉まで出掛かった疑問は無意味と悟り、呑み込んだ。
駄目だこの人本気だ、と。
「火力は折り紙付きだぞ。試したいならそこの実演ブースで…」
「結構です。というかこのガスは安全なんでしょーか」
「当然だ。暴風雨の中でも着火可能だぞ? 商品名の『荒れ狂う火種』は伊達ではない」
「日用品に付ける名前かいっ!?」
「ん? …っと、間違えた。これは調整前の焼痍手りゅ…カートリッジではないか。失敬した」
猛る横島から目を背けたワルキューレは、はははと無表情で笑うと、ぽいっと売り場のワゴン内へ荒れ狂う火種を投げ捨てた。
…そして袖から出したヘルメットを被って、素早く伏せた。
「おわあああああああああああっ!? 投げるな職業軍人!! 危ねえだろ!?」
「おお、つい防御姿勢を。だがピンを外していない手榴だ…もといカートリッジなら安全だぞ?」
咄嗟にでっかいサイキックソーサーを展開した横島の当然のツッコミに、冷静に女兵士は答えた。手品のように取り出したヘルメットは、今度は魔術のように袖の内に仕舞われる。
「今ど真ん中なカミングアウトしたな?」
「はっはっは。さあこっちだった。本物のカートリッジはほらこの通り、きちんと民間用に改良が施されている」
改めて取り出したソレは紅白に塗り分けられ、口の部分がソケット状に加工されており、本体と接続出来るタイプだった。
引き抜きたい衝動に駆られる丸いピンが無いだけで、随分と危険物臭さは抜けているがー…
「これなら別売りの起爆装置を取り付けない限り爆発はせんぞ」
本質に変わりはないようである。
「そこで何故起爆装置を売る。っつかお前ら本気でこんなもんが売れると思ってるのか?」
明らかに周囲の商品ラインナップから浮いているⒸ魔界の商品群。地上侵攻のための事前工作にしか見えない辺り、横島には頭が痛かった。
そう考えると、あの携帯電話も魔界製なのだろう。悪趣味極まりない、としか言いようが無い。
「大体だな、魔族のセンスは基本的にきな臭過ぎる。一般家庭のお茶の間を戦場と同じに考えるな。もっと大衆受けするもんを作れよ」
「例えば?」
「例えばー……そう、ワルキューレも含めて魔族の綺麗どころを集めてだな、グラビア写真集なんぞをぱーっと華やかに出版して…」
「ほほう?」
真っ先に閃いたアイデアを披露すると、ワルキューレは意外に真剣な表情で食いついてきた。
こういう斜め上だか下だか分からないが、とにかく予想外な発想と視点で先を読ませない横島の思考には頭が下がる、とは彼女の弁。
「それで?」
「………ツッコミがいないのか、この空間には…! ええい、ならばとことんいくのみ!」
横島も動機は不純だが、発想自体に含むところはない。魔族の美人は人間から見ても美人。だからそこに価値観の相違を補正するヒントがあるのでは、と。
一箇所でも共通点があれば、良き未来への突破口に出来ないだろうか。
人間が魔族を悪魔と恐れ、魔族が人間を下等生物と蔑む悪しき慣習を正す事が。
「…とまあ、そんな感じでグラビアは世界を救う! 以上!」
途中、興が乗って『世界平和と紐パン』なるトンデモ話に発展した横島の演説を、ワルキューレは最後まで真剣に聞いていた。周囲の客はドン引きだが。
横島本人の嗜好が、種族差も何もかも突き抜けた三界随一のドスケベなのは語るまでもない常識なので、演説にはある種の説得力があった。
「主観に塗れた蓋然性の乏しい理想論だが…ふふ、私は嫌いではないぞ、その青臭さは。まあ問題は、当面の事情とこれっぽっちも関係無い話だったことだが」
今までライフルやらマシンガンやらを製造してきた軍需工場で、どうやって写真集を造れと。製造ラインを生かさないにも程がある。
現状にそぐわない、つまり任務上無意味な時間。
以前のワルキューレなら、下らんと吐き捨てた次の瞬間には忘れてしまう内容だったかも知れないが。
様々な交流を経て、今、法被姿で人間相手に営業用スマイルを浮かべる彼女には、有意義な時間だ。少なくとも、無駄ではない。
「あれ? 何か脱線してたな…悪い」
魔族では辿り着けない境地にいる横島のあけすけな態度は…戦乙女が微笑むに十分なもの。
その大人の微笑にどぎまぎしてみせる姿もまた、人間・横島忠夫の言葉に嘘が無い証拠だ。
「貴重な話を聞かせてもらった礼に、トースターは私が融通してやろう。この『焼け野原弐型』は更に火力をアップしたタイプでな、燃料にナパーム弾の…」
「地域一帯焼き払う気かお前はっ!?」
「大丈夫だ。お前ならきっと焼け残る」
「せめて生き残ると言ってくれ…」
呆れたような疲れたような声音の横島に焼け野原弐型の箱を押し付け、ワルキューレは嫣然と微笑む。
「あとは電子レンジだったな。任せておけ」
「もー好きにしてくれ…安けりゃ何でもいいぞ」
「確かサイクロ〇スとかいう兵器を家庭用に改造したも「却下だ色んな意味で却下あああああああああっ!!!」」
横島は結局、ワルキューレのノルマ達成に多大な貢献をする羽目となった。完全に身から出た錆である。
「ま…前借り分も空っぽに…うははははは…はは…は…」
福沢さんの微笑みを失った軽くて薄い財布の中を覗いた彼は、再来月の給料日までどうやって生き抜くか…絶望感と共に乾き切った笑い声を周囲に撒き散らすのだった。
…日々是戦場也。
「ではTANAKA電機開店記念セールの個人売り上げトップ3を発表します!」
すっかり夜も更けたTANAKA電機店。
閉店後の店内にずらり並んだ売り子一同を前にして、表彰台とマイクの設えられた簡易ステージ上では、店長と思しき人物が喋っていた。
「第三位! テレビ・オーディオ機器担当宮本武君! 146万円!」
おおー、っと歓声と拍手が沸く。ワルキューレとジークは壁際でじっとその様子を見守っている。
「第二位! PC担当長谷川加奈君! 186万円!!」
おおおーーっとさっきよりも大きな歓声と拍手。ジークの喉がごくりと鳴った。
「そして第一位! 250万円という破格の売り上げを記録したのは!」
すっ、とワルキューレが壁際から背を起こした。不敵な笑みを浮かべながら、前髪を軽く梳いてみせる。
「『悪魔のように働きます』でお馴染みの派遣会社デルビッシュ所属! 春桐魔奈美さん!」
割れんばかりの拍手喝采が、ワルキューレを包む。その羨望の視線に応えながら、ワルキューレは表彰台へと歩んでいった。勝者の貫禄と生まれ持った軍人としての矜持が、堂々とした足取りに現れている。
「流石姉上!! 自分は姉上の弟である事を誇りに思います!」
感涙に咽ぶジーク。ちなみに彼は呼び込みに専念していたため、圏外もいいところだ。
「…ミッション・コンプリート。一流の軍人ならば当然の結果だな…ふはははっ」
受賞者三名の表彰も終わり、してやったりの表情のワルキューレがステージを降りた瞬間…ぱつんと店内の照明が落とされた。
「む…何だ?」
いぶかしむワルキューレを尻目に、突然ドラムロールとスポットライトの乱舞が始まる。ステージを見ると、いつの間にか表彰台が撤去されていた。
ドラムロールは最高潮に盛り上がり、七色のスポットライトがステージの中央に集まった瞬間、ステージがぱかっと開いて一人の人影をスモークと共に吐き出した。
「姉上、これは!?」
「慌てるな! 私がトップなのは間違いな――――」
「そして! 開店記念セール個人売り上げチャンピオンは! 700万という異次元の売り上げをたった一日で達成した…この人!
短期アルバイトの机妖怪・愛子さーーんっ!!」
「なあああああああああああああああああああああああああ!?」
ドドン! というドラムロールの締めと共に、そこに燦然と立つ一人の女子高生。
そう、表彰台を片付けたのは自前の机の上に立つからであった!
「どーもー♪ バイト先で勇名を轟かせるのも青春よねー♪」
セーラー服の上に法被を纏った愛子の姿は、明らかに異質だったが。妖怪であるハンデなんて、売り上げ女王の冠の前では些細な違和感でしかない。
誰もが彼女を賞賛し、祝福の拍手を惜しまず注いでいた。
…真っ白な灰になった一人の魔族を除いて。
「なるほど! 姉上、プロボクシングと同じですよ! 一位の上にチャンピオンが君臨するなんて、地上はやはり遊び心がありますね!」
得心がいった風のジークが笑顔で姉に話し掛けた。上には上がいますね! と某有名ボクサーの最期の姿を模した彼女へ、朗らかに。
急激に色が戻ったワルキューレは、弟の邪気の無い笑顔に極彩色の鉄拳をぶち込んだ。必売の鉢巻が、血飛沫と共に宙に舞う。
「…一等賞の上って何だその謎順位はああああああああああああああっ!!」
誰もが壇上の愛子に注目する中、隅っこでひっそりと、けれど拍手の雨に負けないくらいの勢いで、姉による弟への打撃は降り注ぐ。ナイス血の雨。
「スマイルの練習もしたのにっ!! 鏡割るくらい練習したのにぃぃぃぃっ!!」
二種類の雨音は、TANAKA電機の前途を祝すかのように…いつまでも続いたとさ。
おわり
後書き
竜の庵です。
横島ツッコミ祭りの短編でしたー。
このくらいのサイズで、もっとたくさん書けるようになりたいのです。筆が遅くていけません。表現力をもっと身につけて、面白いものを。むーん。
作中の売り上げ金額は適当です。今はノルマ自体古い制度の気がしますし、愛子が異常ってだけ伝われば。売り子スキル持ちの妖怪。
ではこの辺で。最後までお読みいただき有難うございましたっ!