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▽レス始

「Small happiness! 〜小鳩の挑戦〜(GS)」

竜の庵 (2006-11-21 23:23)


 横島忠夫の財布は中学時分から使い続けている、色褪せた茶色い牛革製品だ。
 中学校の入学祝に、小遣いの増額&某大手銀行口座の通帳&財布、という三点セットで母からプレゼントされた。

 特に拘りはない横島だ。手入れやメンテの類には疎いが丈夫な品物なら、少々の汚れや傷は気にならない。
 使い続けて愛着も湧いたこの財布は、横島の一人暮らしを支える大事な相棒であった。

 豪勢な暮らしに憧れは当然ある。

 だが、せんべい布団やカップ麺、ウーロン茶の空き缶といった、四畳一間に散らばるリアリティの欠片達が、彼に夢を見させない。

 リアリティの欠片の最たるものと言えば、小銭だ。
 横島が最も世話になる金銭であり、馴染み深いが出入りも激しいドライな奴。

 何気なく財布を手に取ると、ずっしりと重い。
 昨日、コンビニでそこそこ大き目の額のお札を崩したからそのせいだろう、と横島は思う。

 確かな重みに、青年は我知らずニヤついて。
 あー、マイ・ボスのお金好き好き〜ってのは…コレの発展系なわけだ、と。
 当人が聞いたら心外極まると怒り出すに違いない推察をしてみた。

 ぞくり。

 …天井の染みが怒れるタイラント・美神に見え、自分でも重症じゃないかと悩み始めて数分後。

 薄い木製のドアをノックする音が聞こえた。

 「あの、横島さん? いらっしゃいますか…?」

 「小鳩ちゃんか。開いてるよー」

 開いてるも何も、鍵を掛ける習慣がない。盗みに入られたところで、このリアリティの園から金目のものなど発見出来よう筈も無いし。逆に見つけてほしいくらいだ。

 「こんばんわ、横島さん。あの、これ…大根の煮物なんですけど…お裾分けにっ」

 「おおー。いつもあんがとな、小鳩ちゃん」

 横島のリアリティに一筋の亀裂を生むのが、この隣人の存在かも知れない。
 茶色がかった三つ編みの髪に、包容力豊かな微笑みを浮かべる、そばかすもキュートな童顔。何より、全ての要素、特徴を凌駕して存在をアピールする…アンチ・リアリティな胸部。

 「八百屋さんが型の悪い大根を一本、オマケしてくれたんです。そうしたら作り過ぎちゃって…」

 「くーーっ! ビバ人情! うっは染み染みやー…ええ色やぁー」

 大袈裟に喜んで雪平鍋を受け取る横島に、小鳩は頬を紅色に染めて俯く。

 「米に合うんだよなー、これがまた! …って、米切れてたなそういや…」

 夕飯が一品増えた幸福に、水を差す痛い現実。むう、と考え込むこと数瞬、選択肢なんて無いことに横島は気づいた。

 「冷める前に食いたかったけど、ちっと買い物行ってくるわ。米と…あー、味噌も切らしてたな…」

 「あ、でしたら小鳩もお付き合いします! うちも丁度、お塩を切らしていたところなので…」

 「おっけ、じゃー鍋置いてくるから下で待っててくれる?」

 「はいっ」


 小鳩が階段を下りていく軽快な音を聞きながら。
 横島は鍋を一口しかないコンロの上に置いて、適当な雑誌で蓋をした。ラップなんて気の利いたものは持っていない。

 「ついでに買うかー…貰ったもんにハエとか入ったら泣けるしな」

 ちゃぶ台に置きっぱなしだった太った財布をジーンズの尻ポケットにねじ込み、その存在感に一人満足して。

 小鳩を待たせることのないよう、大急ぎで彼は部屋を出て行った。

 …何時も通り、鍵は掛けずに。


            Small happiness! 〜小鳩の挑戦〜


 米は高い。
 一人暮らしを始めて間もない頃に横島は思ったものだ。
 常日ごろお世話になっている、近所の商店街の皆様には悪いのだが。
 最低限の自炊しかしない横島にとって、米の値段は生命線でもある。

 さて。

 時間の都合で食事をバイト先で済ませる場合、専業主婦も真っ青な料理手腕を持った氷室キヌの手による、栄養満点・味もばっちり・ボリュームも文句無し・ついでに愛情も篭った料理で横島は癒されている。否、生かされている。

 そんなおキヌに、いつだったか聞いてみた。

 「材料ですか? ぜーんぶご近所の商店街ですよー。色々オマケしてくれるんです」

 なるほど。
 笑顔のおキヌがそういうのだから。
 横島も日々の食料の大半は、近所の商店街で仕入れていた。

 が。

 が、である。

 米、というのは日々大量に消費するものだ。いわんや横島のような食べ盛り、しかも学生とGS見習いの二足の草鞋的生活を送っているなら尚更だ。
 自然、横島は安い米を求めて周辺の米穀店・スーパーを回るようになった。外来米も嫌いではないし安いのだが、出来る限り国産のものが食べたい。おかずの味との相性もあるし。

 地道に足で安い店を探した結果、横島が納得したのがここ、『スーパーろくどう』であった。

 「ここさ、米も安いし、塩とか砂糖も安いんだ。アパートからはちょっと遠いけど、小鳩ちゃんも憶えとくといいよ」

 自動ドアを潜って店内に入ると、ろーくーどうー♪ ろくどうー♪ と、店のBGMが流れていた。カートを使うほどの品数は二人とも買わないが、小鳩の買い物があるので横島が籠を持った。どっちが持つかで少しだけ揉めたが、小鳩にはそんなやり取りも楽しい。
 どうせ米袋の10キロや20キロ、荷物のうちには入らない。…横島に限っては。

 「うわあ…横島さん。見たことない果物がたくさんあります」

 「一個でこの値段はありえんな…」

 「お野菜も高くなりましたね…」

 「ビタミンが採りづらい世の中やのー…」

 等と。

 横島と小鳩は楽しげに、けれど所帯じみた会話をしつつ青果コーナーから野菜コーナー、奥へ突き当たって鮮魚コーナーと。一つも籠に入れること無く華麗にスルーしていく。
 目標は米と塩。日持ちしないものは、基本的にNG。冷蔵庫の電気代だって、この二人にとっては馬鹿にならないのだから。

 「あ……お肉」

 「肉だなー…」

 「牛肉ですって横島さん…」

 「100g…輸入牛でもこんなすんのかよ! ハム何枚分だよ!」

 「こ、このお肉一枚で…うちの食費一ヶ月分…」


 「「…………」」


 「見なかったことに」

 「しましょう」


 精肉コーナー…それは質素倹約を美徳とし、常とするしかない戦士にとっては…家計を朱に染める『鮮血の罠』(命名横島)でしかない。
 …横島は悔しげに奥歯を噛み締めながら、朝食用の薄いロースハムだけそっと籠に入れた。


 惣菜には、見向きもしなかった。
 これに関しては、わざわざスーパーで出来合いのものを買う理由がない。
 小鳩は勿論、横島も今日のように差し入れてもらったりおキヌの料理で堪能したりと、事欠かないので。


 青果から惣菜へと、各コーナーをショーケースの冷風を受けながら回ってきた二人。残るは本命、米と塩のみ。
 事ある毎に『米! 塩!』と強めに呟いて他所に目が行かないようにするのが、堅実な買い物のコツである。
 本人に多少の余裕があれば、普段商店街で購入している品々との価格差にも気がつくのだろうけれど…余裕がないので。

 「箱ティッシュとかトイレットペーパーとか、もっと安くならんかなー」

 …この程度の認識である。

 「今は原油価格も落ち着いてますし、購買者層が広くて、需要も常に多い商品ですから。新商品の開発や既存製品の改良に重点を置いて、市場では大きな波を起こさないよう価格の変動を抑えて調整していると思いますよ。製紙業は薄利多売の典型ですし」

 「…貴女はどこのリサーチャーですか?」

 「え? 常識ですよね?」

 「小鳩ちゃん…ええんや…もうええのんや…」

 「ええ? 横島さんどうして泣いて…」


 肩に置かれた大きな手にどきどきしながら、小鳩は首を傾げました。
 ナチュラルに備わった、市場動向を見切る小鳩の眼力に敬服。


 まずは塩。
 小鳩の家で使っているのは極めて普通の食塩で、価格もお手ごろ。料理中に少し物足りなく感じることもあったが、下手に自然塩や岩塩の上物に慣れてしまうと後戻りが出来なくなる。
 分相応が一番。小鳩は1kgのお徳用パックを胸に抱くと、はふ、とため息をついた。

 「小鳩ちゃん、それこっち入れていいよ。重いだろ?」

 「あ、有難うございます。うち、塩結びとか良くやるから…結構お塩使うんですよ。お漬物と一緒に食べたら凄く豪華ですよね!」

 「! こ…小鳩ちゃん…っ! 俺は今、君の中に宝石を見た…!」

 眩しげに目を細め、しかしどこか悲しげに…横島はひたむきに前向きな彼女を礼讃した。清貧も極まれば福と転じる。彼女の存在は金銭的弱者を照らす女神のようだった。

 「奇跡の娘や…ほんま奇跡の体現者や…」

 「よ、横島さん? 小鳩を拝んでもご利益はありませんから!?」


 小鳩の眩しさに忘れそうだったが、横島の本命、米である。
 棚一面…横島に選り好みはないが、こうもずらっと銘柄が並んでいては、彼ならずとも目が泳ぐというもの。

 「むう…米処のブランド米はやっぱり高いのう」

 「一人暮らしでしたら、お米を主食にするよりもパスタの方が低コストだ、って何かの本で読んだことありますよ」

 「…素パスタって旨い? 白米みたいにさ」

 「………多分、何かしらソースがいるかと」

 「性に合わねーなー…日本人はやっぱ米でしょ! という訳でこれにしとくか」

 横島が選んだのは、小鳩も知っているブランドの10kg入り白米だった。小鳩はてっきりもっと安いのを選ぶと思っていたのだが、意外な拘りに思わず理由を尋ねてしまう。

 「ん、別に? 旨い米ならオカズ無しでもいけるだろ? その分浮くし。冷めても旨いから弁当にしてもいいし」

 「でも安いお米を探して、ここに辿り着いたんですよね?」

 「おう。そこそこ安いよこれも。まー…横島家の家訓にさ、『食事で残せるのは食器のみ』ってのがあるんやけど、おかんが言いたかったのは多分、米だけは残すな、って意味じゃねーかなって」

 「…ざっくばらんな家訓ですね…」

 「ガキの頃…飯、残したらえらい怒られてさー…タマネギ残しても米は残すなって。ソウルフード舐めんなってさ。タマネギ残しても怒られたんだが」

 日本人を日本人足らしめる魂の一食、ごはん。
 横島は少し固めに炊いたご飯を、よく咀嚼して食べるのが好きだった。
 お陰で歯も丈夫だし、胃腸関係の病に罹ったこともない。

 「実はこの米、一度だけお袋が送ってきたことあってさ。ま、最低でもこのクラスの米食って生きろって理由だろうと」

 それっきり食料も現金も仕送られたことないけど! と、横島は担ぎ上げた米が煎り米になりそうなほどに熱く怒れるオーラを放って、小鳩の苦笑を誘った。

 「っと、もう全部買い物済んだ? 小鳩ちゃん」

 「はい。お塩だけですから」

 「んじゃさっさと帰って飯にすっか」


 夕食の買い物には少し遅めの時間帯だったが、そこそこの人数がレジには並んでいた。平日のスーパーのお約束らしく、稼動レジ数は設置された数の半分程度だ。十分に客は捌けているので問題はない。

 「いらっしゃい・ませ」

 無愛想なレジ係の声が前方から聞こえてくる。…無愛想というか、無機質?

 「…横島・さん。ミス・花戸。スーパー・ろくどうを・ご利用いただき・誠に・有難うございます」

 ろくどう、と胸に書かれた紺色エプロン姿のアンドロイド…マリアがそこには立っていて、ぺこんと会釈してきた。

 「マリア!? なんだよまた家賃滞納してんのか…甲斐性ねーなカオスのじいさん」

 「大家さんの・薙刀・とても鋭かった・です。道路工事の・アルバイト・先月末に・終了して・マリア・新しいアルバイト・探していたら…ミス・六道に・この職場・紹介されました」

 「意図的に触れんようにしとったが…やっぱ六道系列なんだな。手広いなー、あそこは」

 「六道財閥・傘下企業数・数百を・超えます。産婦人科から・永代供養の・霊園まで・カバー・可能」

 「揺りかご以前から大丈夫なんですね…」

 「モノが怪しくなけりゃいいや。マリア、これとこれな」

 「ありがとう・ございます。ポイントカード・お持ちですか?」

 「俺はあるけど、小鳩ちゃんのは無いな。作ってやってくれるか?」

 「了解しました。今日の・お買い物分から・ポイント・つけます」

 マリアとこうやって喋っていられるのは、横島達の後に並んでいる客がいないからだが、他のレジにはちらほらと列が出来ている。ここに並べばもっと早いのに、と小鳩は不思議に思った。

 それが顔に出ていたのだろうか。

 マリアは小鳩に無表情を向けると、心なしか曇った声で話し出す。

 「…マリア・無愛想・です。お客様と・コミュニケーション・取ること・地域密着型・スーパーでは・とても大事。でもマリア・それが・出来ません。笑顔・作る機能・マリア・必要でしょうか?」


 数世紀前の話だ。
 マリアには、人と同じく、いや、それ以上に柔らかく暖かな微笑を浮かべる機能があった。
 が、とある事件、人物に関わって以来…マリアはその機能の凍結をカオスに依頼し今日に至っている。
 最低限の喜怒哀楽は、高次に進化した人工魂魄の恩恵もあって、表情になくとも表現はできる。いわゆる『雰囲気』を生み出せるのは、マリアが機械より人間に近い証拠だろう。


 「いや、そのまんまでいいんじゃね?」

 横島は、マリアの疑問を一蹴した。なんら迷いなく、躊躇いなく、表情に偽りなく。

 「なーマリア。天気の良い日はさ、何がしたい?」

 質問を返してくる横島に、マリアは少し戸惑ってから答えた。

 「快晴時は・ドクター・カオスの・お布団・干します。降水確率・10%未満なら」

 「それもいいけど、もっと、マリアの個人的にしたいことだよ」

 「マリアの・個人的に…?」

 「ほら、お天気が良い時って、なんだか楽しくなりませんか? 気分まで晴れてくるっていうか、心が軽くなるっていうか…」

 横島の言わんとするところを察して、小鳩も便乗してきた。二人が自分のために何事か考えてくれたのは分かるが、肝心の意図が読めない。マリアはおろおろと二人の顔を交互に見ると、困惑気味に話し出す。

 「…アパートの・裏手に・小さな・空き地あります」

 「うんうん」

 「…そこには・野生化した・黒い猫・います。首輪・していましたから・元飼い猫の確率・90%超過・です」

 「それで?」

 「……晴れた日になると・その黒猫・日向ぼっこに・現れます。マリア・時々・エサをあげに・空き地に・行きます。ドクター・カオスの・残した・ごはん・です」

 横島の狙いはもう達成したも同然だったが、黙って先を促した。

 「最近になって・黒猫・家族出来ました。母猫に・なりました。仔猫・3匹生まれました」

 小鳩はにこにこしながら。横島もマリアの様子に満足しながら。
 滔々と語られる『マリアと黒猫』の物語に、相槌を入れる。
 野良犬がちょっかいかけてきたのを追い払ったり、カラス避けの仕掛けを半日がかりで製作、設置したり。
 仔猫がマリアの膝で眠ってしまい、動けなくてカオスに救難信号を送ったり。…某榊さんのようですが。

 「だから・晴れた日は・マリア・仔猫と一緒に・日向ぼっこ・したいです」

 マリアの思考演算回路は、大回りに遠回りを重ねて、ようやくその結論に辿り着くことが出来た。不安げに二人の表情を伺い、自分が変なことを言っていないか確かめる。
 勿論、二人が変な顔をすることはなかった。
 マリアの表情は、話している最中…とても柔らかな微笑だったから。

 「日向ぼっこかー。マリアらしいよな」

 「マリアらしい・ですか?」

 「マリアが猫の親子と一緒になって、ぼーっと空を眺めてる様子が、ぜっんぜん違和感ねぇよ」

 横島に、マリアを気遣っている様子はない。マリアがアンドロイドであり、横島の煩悩対象から極めてほんのちょっぴり、ごくごく微妙にはみ出ていた分、偽りの無い気持ちをさらりと伝えられる。

 「マリアに愛想笑いは必要ねーよ。自然体でいりゃあ、いつか客の方から話しかけてくるさ」

 「マリアさん、綺麗だから少し気が引けちゃうだけですよ」

 「横島・さん。ミス・花戸………」

 マリアの体内、ここ、と特定出来ない何処かが…熱を帯びたように暖かくなっていた。
 あらゆる機能は正常で、負荷がかかっている部品もない。
 彼女の創造主、ヨーロッパの魔王ことドクター・カオスに今の状態を尋ねたら、きっとこう言うだろう。


 『温くなった心がどこにあるかなんぞ、ワシにも分からんわい』、と。
 困ったような、嬉しいような表情で。


 「……んー? なんか、あっちの方うるせえな。揉め事か?」

 何事かと横島が背伸びして見やる方向には、タバコのカートン販売やギフト商品の取り扱いを行っている、サービスカウンターがある。
 ギフトセットのサンプルが並ぶガラスケースを挟んで、二人の中年女性が言い争いをしているようだった。

 「あの方は・当店の・ブラックリスト第7号の・お客様です。通称・『セレブ・クレーマー』田所様」

 声のトーンを少し落として、マリアはメロン片手に怒鳴り声を上げるお客を横島達に紹介した。

 「何故にセレブ…」

 「あのお客様は・お得意様でも・あります。数日に一度・大きな額のお買い物・されていきますので。そして・決まって・翌日になると・ああして・商品の不備・指摘しに・ご来店・されるのです」

 身なりを見れば、ブランド品のバッグやらやたらとでかい石の付いたイヤリングやら…およそスーパーに買い物に来る格好ではない。見せびらかしに来ている、としか思えない趣味の悪さだ。

 「タチ悪いなー………大口の客だから無下にも出来ないんか」

 「本人も分かっててやってるんですね…」

 クレームの内容は、購入したメロンに傷が付いていたとかなんとか。ほとんど言い掛かりに聞こえるが、品質管理の徹底を謳っている以上は、傷物を販売したとして糾弾されても仕方の無いことだ。

 当然、そのクレームが店側の過失であるなら、だが。

 「………マリア・ちょっと・行ってきます。今のマリアのまま・コミュニケーション・してきます。横島・さん。ミス・花戸。お会計・失礼致します」

 「んあ…おう、ぬは! 虎の子の樋口一葉…まさしく最後の一葉…っ! さよなら紙のお金…!」

 震える手から五千円札とポイントカードを受け取り、精密な手捌きでレジ業務を済ませるマリア。案外似合っていた。

 小鳩も制服のポケットから小さながま口を取り出し、お塩一袋の質素な買い物を終えた。お釣りにはレシートと、ちゃんとポイントカードも添えられている。

 「今後とも・スーパー・ろくどうを・ご贔屓に。ご利用・ありがとう・ございました」

 丁寧に頭を下げたマリアは、ぱたぱたとサービスカウンターの方へ駆けていった。レジにはひっくり返した買い物籠を置いて、休止をアピール。如才ない。

 「マリアさん、元気出してくれたみたいで良かったですね」

 「あんなもんでいいなら、軽いもんだよ。さー帰ろ帰ろ! すっかり暗くなっちまったよ。お袋さんと貧の奴、腹空かせて待ってるぞきっと」

 「あ! そうでした! 小鳩、何も言わずに出てきちゃったので…あああ、ごめんねお母さん…」

 「おし、じゃあ急ごう! なーに、腹減ってるほうが飯は旨いし!」

 「はい!」


 出口への道すがら、サービスカウンターの背後を通った二人。マリアはセレブ・クレーマーの持っていたメロンを手に、淡々と『コミュニケーション』を続けていた。


 「…以上の・事実をもって・該当商品の・表面擦過痕は・35時間前の・入荷時から・お客様の・購入時に・至るまで・存在・しなかったことを・証明します。尚・このデータは・青果担当・ミスター・小林の・厳密な・品質管理を・裏付ける・ものです。彼が・1時間置きに・データとして・保存・蓄積してあった・青果コーナー・映像資料から・マリアが・該当商品の表面・マスキングパターンを照合・商品を特定した・結果が…」


 「凛々しいなぁマリアさん…」

 「…………真っ白になっとるな、クレーマーのおばはん」


 ろーくーどうー♪ ろくどうー♪

 みんなのスーパー スーパーろくーどーう♪

 『何でも〜揃うわ〜〜』

 ろーくーどうー♪ ろくどうー♪

 『私も〜令子ちゃんと〜行こうかしら〜』

 みんなのスーパー スーパーろくーどーう♪


 BGMに混ざって聞こえる、テンポの悪いお嬢様の声は…合いの手のつもりだろうか。横島は逃げるように店を出た。


 「ああいう音楽って、耳に残っちゃいますよね。知らずに口ずさんでたり」

 「んだなー。ろーくどーうー…」

 「ろーくーどうー、ですよ」

 「おろ?」

 「ふふふ…」


 花戸小鳩のささやかな喜び。

 近所のスーパーへ行くだけの、小さなデート…みたいなもの。

 劇的な出来事があるでもなく。いわんや横島忠夫との仲に進展を望むべくもない、一方的な楽しみ。

 こうして肩を並べて一緒に歩けるだけでも、小鳩は幸せだった。

 それに帰り道が最後まで一緒、というだけで気分はまるで…

 (新婚さんだよね…)

 今日もまた、横島のいい所が見られた。マリアはきっと、今日の横島の言葉を糧にしてアルバイトに精を出すことだろう。

 …何だか横島株を急上昇させてしまったようで、少し悩ましかったが。

 「やー、小鳩ちゃんとこうして歩いてると…なんかデートみたいだなー、なんて…うははははは…帰る場所まで一緒だし!」

 小鳩の内心を見透かしたような横島の発言に、少女の胸は高鳴る。想いが通じたような錯覚が、ほんの少しの勇気を与える。

 「横島さん…小鳩が……小鳩が彼女だったら…嬉しいですか?」

 「ぐっはあ!? そんな薔薇色人生喜ばん男がこの世に、いや三界含めて存在するわけないって!! 流石に本人目の前にして言えないけど、小鳩ちゃんの魅力がたゆんたゆんに詰まった夢の塊が…男否漢の浪漫を! 隠し切れない憧憬の想いを! 駆り立てる! 滾らせる! 迸らせる…っ!!」

 米袋の重みなど無きが如し。
 横島は唐突な小鳩の問いかけに、抜群に恥ずかしい謎の身悶えで答えた。人通りの少ない路地で幸いである。

 「じゃ、じゃあ…小鳩がお嫁さんだったら…?」

 「あ、結婚は無理」

 その態度の急変に、思わず塩の入ったビニール袋を落としそうになった。
 やっぱり、自分のような取り柄の無い女では、釣り合わないのだろうかと。小鳩は横島周辺の女性事情を脳裏に描き出してがっくりと落ち込む。
 重暗いオーラを放つ小鳩に気づくわけもなく、横島はだってさ、と弁を続けた。

 「もしも小鳩ちゃんと所帯持つなら、言い方がアレだけど、金で苦労かけたくないんだよなー。じじくせー考え方だけど、結婚つーのは女の幸せだと思うんよ」

 自分の結婚観を語るなど、横島自身初めてだ。冗談混じりにハーレムやー、ドーム一杯の美女やーと吼えてみても、現実と浪漫は違う。決して諦めてはいないが!

 「で、小鳩ちゃんの幸せってのは、これまでの苦労を帳消しにするくらいにすんげえ幸せじゃないと駄目だと思うし…貧の野郎がいたお陰で、金銭面での苦労ってのは俺なんか話にならないくらいだったろうし。なら、最低でもそっち方面の苦労は結婚してからかけられない」

 貧乏神。花戸家最大の不幸にして、小鳩にとってはかけがえのない家族。故あって今は福の神として花戸家に財を与えてはいるが…現状ではぶっちゃけ、五円玉貯金を毎日している程度である。

 筆舌に尽くし難い苦労の末に、小鳩は前述の『貧転福の極み』に至り、周囲がのけぞって震えるほどの不幸だったわけではないのだが。
 人並みか、と問われると…首を縦には振れなかった。

 「俺はまだ学生で、GS見習いで、時給255円で。これじゃ無理だって! せめて美神さんに認められる一人前のGSとして独立して、惚れた女の一人くらい余裕で守れる男にならんと! んな訳でまだ無理!」

 前時代的、と白い目で見られるのも覚悟の上で、横島は断言した。亭主関白になれる可能性など、何代遡っても遺伝子のどこにもないのは分かっている。父が父だし。母の遺伝子は恐らく、商才くらいしか伝わらない…伝えてくれない気がするし。

 「横島さん…そんなに真剣に、小鳩とのことを考えていてくれてたなんて…」

 「いやまあ、隣にこんな美少女が住んでたら妄想せん方が失礼かなーって」

 「もうそうっ!?」

 横島に他意がないのは小鳩も分かっている。でも、少女の淡―い幻想と横島の妄想が同じ水位で存在するのは…
 踏み出した一歩の先に広がる荒野の広大さに、小鳩は本日二度目のはふ、というため息をついた。

 30分も歩けば、もうアパートは目の前だ。結局デート時間は2時間にも満たなかった。

 「それじゃ小鳩ちゃん、また明日。鍋はいつも通り洗って返すから」

 「はい。あ……えっと、じゃ、じゃあお休みなさい横島さん!」

 横島の部屋の前で、小鳩は想い人の顔を見上げ、ほんの少しだけ何かに躊躇した後。慌て気味に頭を下げると早足で自室へと帰っていった。横島にはなんのこっちゃ分からないが。


 それは横島の部屋へお裾分けに赴く寸前の出来事。元貧乏神の貧に呼び止められて、がっしと肩を掴まれての熱弁に、小鳩は目を丸くしていた。

 『ええか小鳩。この世の男っちゅー生き物の大半はな、お約束に弱い属性を持っとる。横島も例外やない!』

 『お約束…? デ、デートの約束とか?』

 『ちゃう! シチュエーションに対する反射的欲求! 限定状況に於ける鉄板的カタルシス!』

 『貧ちゃん? ちょっとよく分からないんだけど…』

 『ふっふっふ…この温度差や。この温度差が小鳩! お前を完璧なるお約束使い…プロミス・マスターへと昇華させる…っ!』

 『な、なんか…凄いね』

 『意識したらあかんぞ、小鳩! 無垢の魂がお前を高みへと押し上げるんやからな。横島を落としたいんやったら、まずはこの辺の呼吸から会得していかんと』

 『ぜ、全然ついていけないけど…貧ちゃんが一生懸命なのは分かるわ! こ、小鳩頑張るよ貧ちゃん!』

 『よう言った小鳩! 早速最初の第一歩や! これこれこうして…』

 『そ、それは確かに、色んなところで聞くね…それがお約束…なんて洗練された…無駄の無い動きなの!?』

 『小鳩には素質がある! 我に勝算アリや! さあ行け小鳩!』

 『う、うん!!』


 貧の叫び倒す内容は、小鳩にとって未知の領域だ。しかし、根っこが良い子の小鳩は、大事な家族の一員である貧の、必死な様子に何とかして応えてあげたかった。
 貧の語った内容で辛うじて理解出来たのは、最初の手段だけ。息を呑む中身とは、まさしく状況と属性を巧みに取り入れた極悪なコンボ。


 (駄目ぇぇーーーーーーーっ!! やっぱり出来ないよぉぉーーーっ!! 部屋に入ろうとした横島さんを『あ、忘れ物です♪』なんて呼び止めて、彼が振り返った瞬間ちょっと背伸びした私がほっぺにキス、『うふふ、じゃあお休みなさい横島さん☆』って語尾を☆または♡で締めるなんて大技…貧ちゃんごめんね…小鳩には高すぎる敷居だったよぅ)


 生来が真面目で、貧の都合で少女漫画の一冊も買えずにいた初心な少女には、致命的なまでに『小悪魔スキル』が足りなかった。小鳩を責めるなかれ、責めるなら小鳩のスキルを読み違えた貧を責めるべし。

 「ただいまー…」

 待ち構えていた貧に疲れた笑顔を返し、全てを察した現福の神の労いの言葉を背に受けて。

 花戸家のドアはぱたんと閉じられた。


 『
    大根の煮付け

    大変おいしゅうございました

                         DA☆TE  
                                 』


 ちゃぶ台の上には、綺麗に洗われ水気まで切ってある雪平鍋と、空の鍋底に佇むメモ用紙一枚。

 「…………空き巣より兆倍厄介な野郎のこと、すっかり忘れてた………」

 茶目っ気たっぷりなメモの内容と本人とのギャップに、横島が発した気配こそ、純粋なる殺意。

 窓の外で数羽のカラスが変な声で鳴きながら飛び立っていった。明日は雨のようだ。

 「………鍵だ。美神さんに頼んで、どっかいいセキュリティ用品の会社紹介してもらおう。事務所クラスの防犯体制であのドチビ似非悪魔野郎から、食料を守るんや…! 雪乃丞…小鳩ちゃんの料理の怨みはその生命で償ってもらうぞ…!」

 無意識に握り締めていた数個の文珠。

 書かれている文字は…


 『怨』 『雪』 『乃』 『丞』 『飯』


 でした。何気に同時起動数の自己ベスト更新。

 文珠効果も相まって、その日の横島邸はさながら邪気の坩堝。実害は怨対象がいないので皆無であり…雇い主に見られたら憤死ものの無駄遣い。ついでに霊力枯渇で空腹に拍車、と良いとこなし。


 「あ。味噌とラップ買い忘れた…これもお前のせいじゃあーーーーーっ!!」


 八つ当たりも交えつつ、横島の怨念は更ににヒートアップするばかりだった。


 「俺の大根返せぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!!」


 ……食べ物の恨み、げに恐るべし。


 終


 後書き


 竜の庵です。
 ダブルヒロインもの…なんてジャンルはないか。小鳩8:マリア2くらいのヒロイン比率ですね。
 スーパーろくどうは六道家に近いという設定で、お嬢様友情出演。販促に繋がるのかは、全く分かりませんね?

 というか今でも外来米って売ってるんでしょうか。

 ではこの辺で。最後までお読み頂き、有難うございました!


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