ざっ ざっ ざっ ざっ
空気の透明度が違うのか、今日の空はやけに青く冴えて見えた。
つい先日までは、中天の太陽にホースの水を浴びせたくなるくらい、眩い輝きが怨めしかったのに。
今、おキヌが見上げる青空に浮かんだ太陽は、なんだか小さく感じる。
ざっ ざっ ざっ ざっ
女所帯の美神除霊事務所。
とは言っても、半数は家事とは無縁の少女二人。自室の掃除くらいはやらせているが、炊事や洗濯を任せるには心許ない。
ものぐさな所長もまた、毎日の家事に追われるような性格とは言えず。
結局、家事一切は氷室キヌの独り舞台、独壇場である。
ざっ ざっ ざっ ざっ
掃き掃除のコツは、箒を丁寧にしっかり動かすこと。急いでは細かい塵が飛散するし、あまりのんびりでは穂先に塵が絡まない。
その辺りの呼吸は、おキヌにとってはお手の物だ。氷室神社の境内を掃き清めるのは彼女の役目だったのだから。
竹箒を動かしていると、義理の姉、早苗の事が思い出される。広い境内を姉妹で掃いているとき、話題はいつも彼女の彼氏に対する愚痴であったり、惚気だった。
「…あっちはもう、里の御山が真っ赤だろうなー…」
女物の洗濯物がたなびく、事務所の裏庭。
おキヌが掃き集めた落ち葉の大半も、紅に染まっていた。
ふと手を止めて見上げた秋の空。吹く風の空々しさ。
郷愁もそそるけれど、今のおキヌにとっては。
「…洗濯物、ちゃんと乾いてくれるかなぁ」
夕飯の買出しまでに取り込めるかが、一番の問題であった。
新涼日歌。
「秋と言えば!」
「散歩でござる!」
「熱々のキツネうどん。鍋焼きキツネでも可」
「ちゃうわっ! この俺が何故、お前たち天然野生獣っ娘コンビを郊外の山中くんだりにまで連れてきたと思っとる!?」
「だから散歩でござろう??」
「私は、30食分のお稲荷さんと引き換えだって言うから」
東京都郊外、と呼ぶにはあまりに深い山の中。色とりどりの紅葉が舞い散る山腹の一角に、横島忠夫と犬塚シロ、タマモの3名はいた。
彼らの足元はふかふかの落ち葉で埋まり、いい腐葉土になるに違いない。
山肥ゆる秋、である。
「で、結局は何の為なのよ」
紅葉を一枚、くるくると摘んで回すタマモ。山の空気が肌に馴染むようで、無愛想な口ぶりの中にも一抹の懐かしさが見え隠れしている。
もこもこの白いセーターに、紅葉と同様の真っ赤なミニスカート姿の彼女は、山景色に違和感無く溶け込んでいた。深窓の令嬢の趣だ。
「秋と言えばスポーツの秋! 芸術の秋! そしてぇーーーっ!」
青いつなぎの作業服に身を包み、大きな籠を背負った横島は、火箸をタマモの鼻先に突きつけて叫んだ。
「一攫千金の秋じゃあっ!!」
木々の間を吹き抜ける風の冷たさに、横島のテンションは似合わない。タマモは九房のポニーテールを片手で抑えながら、紅葉を運んでいった風の行方に目を向けた。
「………徳川埋蔵金でも見つけようっての?」
「んな大博打が出来るか! マツタケじゃマツタケ!! 秋の味覚の王者! ミカキングマツタケ!!」
ピンと来ないタマモに、じれったくなった横島は力説を開始する。当のタマモは秋空の如く上の空だったが。
「……っつう訳で、この辺の松林がマツタケの群生地である可能性が十分ある! しかも私有林じゃねえ! 掘り放題なんだよタマモ君!!」
「あれ…馬鹿犬は?」
ご高説を右から左に流し聞いていると、シロの姿が無いことに気づいた。
マツタケがいかに高級食材で、国産品一本でカップ焼きそば幾つ買えるとか…どんどん卑屈になっていく横島を無視して、タマモは秋色の木々の間を、落ち葉踏み踏み歩いていく。
さくさく さくさく
枯葉を踏む音と感触が心地よい。
「んー……」
ぽん、と。
タマモは狐形態に戻ってみた。
首を伸ばして空を見上げると、人間の姿では気づけなかった森の深さが感じられる。
四肢で踏み割る乾いた枯葉も、動物の接近に大慌てで逃げ出す小さな虫も。
全てが本能の奥底で、タマモに野生の感覚を取り戻せと囁いてくる。紅葉の擦れるざわざわとした響きが、未だ成獣とは言えない小柄な狐の体を擽ってこそばゆい。
「…よしっ」
タマモは大きく息を吸うと、普段はイノシシと馬鹿にしている人狼少女のように、全力で駆け出した。張り出した木の根を跳び越え、倒木の下を潜って獣道を駆け抜けていく。
(うっわー…やば、ちょっとシロの気持ち分かるかも)
無心に体を動かす快感は、除霊の手伝い時とは一味も二味も違った爽快感に満ちている。
日の出と共に飛び起きては、散歩ラヴ臭を撒き散らして屋根裏部屋から出て行くシロが鬱陶しかったけれど。なるほど。
(…ま、今くらい過ごしやすい時期なら…散歩もいいかもね)
真夏も真冬も関係ない相方とは神経の繊細さが違うのよ、なんて。
聞かれもしない言い訳を用意しつつ、タマモは軽快に疾走していった。
…ふさふさの尻尾いっぱいに、紅葉をぺたぺたと纏わり付かせているのに、気づきもせず夢中になって。
ウィンドウショッピングなんて滅多にしない美神令子であるが。
一斉に秋物の飾り付けに替わる今時期は、年頃の女性として目が行くのも当然だった。
ちょっとした調べ物のためにGS協会本部に出向いていた帰り道、気まぐれに訪れたショッピングモール。
遊歩道の脇に植えられた街路樹は、ビル風のせいか自宅周辺の木々と違って丸裸だった。
(寒々しいわねぇ…うう、おでんと熱燗が恋しくなったわ)
ガード下のサラリーマンを思わせるが、美神らしい感想ではある。
道に面した大きなショーウィンドウに映り込む自分の姿は、着飾ったマネキンなんかより余程洗練されている。華麗な姿態と美貌による除霊スタイルが、彼女の売りなのだから。
「…っくしゅ!」
…勝ち誇った冷笑も、生理現象には勝てず。
寒風の冷たさにくしゃみが出た美神は、周りの目も気にせずポケットティッシュを出して鼻をかんだ。
そのあけっぴろげな仕草に、足を止めて見蕩れていた男性の一人が、顎をかっくんと落とす。
(うう…寒。手袋着けてくれば良かったわー)
擦り合わせた掌に吐きかける息が白い。もうそんな季節なんだなー、と美神はコートの襟を立てた。
ふとショーウィンドウの中に目をやると、マネキンの首には暖かそうなマフラーが巻かれていた。海外の老舗ブランドで、造りの丁寧さに比べて価格が良心的なため、幅広い層に人気のあるブランドだ。
(…そー言えば、おキヌちゃん今日庭掃除するって言ってたわね…)
ちょっとだけ懐具合を考えて。小さく微笑んで。
(…ま、福利厚生の一環ってことで)
美神はコートのポケットに手を突っ込むと、店の入口へ向かって、足早に歩いていった。
シロにとって、山は街よりもずっと過ごしやすい空間だ。
故郷での生活は、山との共栄、自然との共存の日々そのもの。獣を狩り、山菜を採り、川魚を釣って生活の糧としていた。
懐かしい山とは植生から何から違うが、やはりこうした山の息吹を感じる場所に来ると、ほんの数年前まで住んでいた小さな里を思い出してしまう。
眼下に鬱蒼とした紅の森を望む、付近でも一際高い樹の頂上にいるシロ。まるで誂えたかのように一本だけ伸びていた枝に腰掛け、らしくもない回想に浸っていた。
「はああぁぁぁぁ…これが世に言うほーむしっくでござろうか…」
爪楊枝のような霊波刀も出せなかった、幼い頃。父に肩車されて歩いた散歩道は、道とは名ばかりの『谷越え崖登り川下り何でもアリ!』的な、人狼族の運動能力全てを駆使した楽しいものだった。
その後シロが少しだけ大きくなり…病に冒され天狗の妙薬が必要になる少し前の頃だ…父と通った道を一人で巡ろうとして、あまりの過酷さに文字通り尻尾を巻いて引き返した苦い思い出がある。
「今なら、父上と同じ道を歩める…?」
掴むべき枝は高く、渡るべき谷は深く、下るべき川は激しかった。
しかし成長し、立派な霊波刀使いとなった今なら…
「いや…駄目でござろうな。散歩とは楽しくあるもの! 手段が結果になってはいかんのでござる!」
散歩道、ここに極まれり。
散歩のために散歩をしては無意味なのだ。四季折々の移ろいを楽しみ、健康である自分を誇り、帰れる場所、共に歩める存在のあることを喜ぶ心こそが肝要である。
自分を肩に乗せて走る父は、終始笑顔だったのだから。
「…はっ! つまり、先生と一緒ならばおーるおっけー!? 里の者に改めて先生を紹介し、父上の墓前にも、む……婿殿でござるなんて報告したり!? おキヌ殿の持っていた雑誌に載ってた『ばーじんろーど』代わりに父上の散歩道を通れば既成事実にも!?」
様々に事実誤認のある妄想が、シロの脳裏で弾けてライスシャワーを降らせる。
「こうしてはおれん! せんせぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
目の眩むような高さから、シロは躊躇することなく飛び降りた。敬愛する先生、横島忠夫の下へ。
「拙者とばーじんろーどを歩むでござるよぉーーーーーーっ!!」
遠吠えにも似たシロの雄叫びは山中に木霊し、またはらりと数枚の紅葉を散らせた。
満面の笑みに少しだけ恥じらいを混ぜた、思春期の少女のようなシロの表情。秋風の冷たさは、顔の火照りを冷ますのに丁度良いものだった。
「何故じゃあぁぁぁーーーーっ!? シロもタマモもいつの間にかいねえし!? 人狼妖狐の超感覚でマツタケウマウマ大作戦がパーじゃねぇかぁぁぁっ!!」
日も入らぬほどに草木の密集した山奥で、横島はからっぽの籠を背に絶叫していた。
「オマケに迷ったぁぁーーーっ!! 川〇浩も〇岡弘も真っ青な未開の地に迷い込んだぁぁっ!! 方位磁石が回る! 謎の石像が睨む! 蔦だと思ったら蛇だったぁーーっ!!」
踏み出した足先に当たった白くて丸い何かの事は、スルーで。カルシウムは足りているし。
「シロぉーーーーーーーーーーっ!! タマモぉーーーーーーーーっ!! お願い迎えに来てぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
横島の助けを求める悲痛な叫びは、くけけけけけけと聞こえる謎生物の鳴き声に、あえなく掻き消された。
…遭難の似合う男である。
「ねーねー、人工幽霊一号〜」
『何ですか鈴女様』
「なんで秋ってあるのかな? 夏より寒いんだからもー冬でいいと思わない?」
『では鈴女様は、季節は二つで良いと?』
「だって暑いと寒いしか違いなんてないしー。あ、でも夏でも寒い日はあるよね? あれ?」
『ははは…でも鈴女様。四季、というのはこれでもひどく大まかな区分なのですよ。中国では24節気72候といって、一つの季節、例えば秋なら立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降と6つの時期に分かれ更に…』
「そんなムズいこと言われても分かんないー! 季節なんて発情期くらいしか気になんないしー」
『はつじょ…っ! 女の子なのですから、もう少し慎みを持たないといけませんよ? それでは素敵な異性と出会えても、良い伴侶とするには…』
「いいもん! 令子お姉さまとつがいになるから!」
『オーナーの教育が全然身になってない!?』
「それとも、人工幽霊一号、鈴女とつがいになる?」
『いえですから…女性同士や人工魂魄とは結婚出来ないんですよ…』
「そだっけ?」
『…鳥頭…(ぼそ)』
「鈴女、鳥じゃないよ?」
『ああああ…また一から教え直しですか…』
事務所の屋根近く、小さな巣から顔を出す妖精・鈴女と。
事務所に宿る魂、渋鯖人工幽霊一号の会話は…
「あ! ほらほら、令子お姉さま帰ってきたよ! やっぱり美人だよねー!」
『そーですね…』
人工幽霊一号の、疲れた相槌でいつも終わるのでした。
「んー……ん。はぁ〜…」
竹箒を持ったまま大きく背伸びして、おキヌは目尻に浮かんだ涙を欠伸と共に拭った。
家事の合間に少しずつ進めていた庭掃除も、日が傾いてきた時分になってようやく終わりの目処がついてきた。
枯葉の山はおキヌの腰くらいの高さにまで育ち、ゴミ袋一つでは足りない。いっその事燃やしてしまえばいいのだけれど、氷室神社と違ってここは街の真ん中である。立ち昇る黒煙があらぬ誤解を生むかも知れない。
「横島さんに手伝ってもらえば良かったなぁ…一緒にお掃除なんて、素敵だったのにー…」
想い人は、朝一で犬神コンビを連れて出掛けていった。シロの引く大八車が車道を疾駆する様は中々にシュールだったと、おキヌは思い出して苦笑する。
「…疲れて帰ってくるよね絶対。お夕飯は精のつくものにしないと!」
肉主体のメニュー幾つかをピックアップして、栄養のバランスも考慮して。
瞬く間に今夜の献立完成。あとは足りない材料を買い出してくればOK。家事能力にどんどん磨きがかかるおキヌである。
「おキヌちゃんいる?」
腕に紙袋を抱えた美神が裏庭に現れたのは、丁度乾いた洗濯物を取り込んでいる最中だった。
「あ、掃除は終わっちゃったのね。ご苦労様」
「お帰りなさい、美神さん。調べ物、ちゃんと分かりましたか?」
「ええ。それよりも、はいコレ。おキヌちゃんにプレゼント」
「ふえ?」
今日は何か記念日だったっけ? と小首を傾げながらおキヌは紙袋を受け取った。
「寒くなってきたからさ。従業員に風邪なんか引かれたら商売に障るし」
鼻の頭を掻き掻き、照れくさそうに美神は言う。
「うわ…これ、クリスティン&ガッバーネのマフラー!! どうしたんですか美神さんこれ!? うわぁー! ふかふかっ!」
紙袋から取り出したマフラーの質感に、おキヌが歓声を上げた。たっぷりと空気を含んで逃がさないその手触りは、価格なんて聞かなくてもモノの良さをダイレクトに伝えてくる。
「ん、まぁ、アレよ。日頃の感謝を込めて? おキヌちゃんには世話になりっ放しだからさ」
「弓さんが欲しがってたんですよ、これ! ほんとに貰っていいんですか?」
「もっちろん。その代わり、美味しいご飯これからもよろしくね」
「はい! 有難うございますーっ!」
早速巻いてみると、柔らかな肌触りが少しも不快感を与えない、極上の巻き心地。思わず鼻の下まで覆って堪能してしまう。
「…………」
「? どうですか美神さん。似合います?」
おキヌは上機嫌にその場でくるりと回ってみせる。美神は困ったような微笑を浮かべて……口を開いた。
「……なんか、冬の早朝にゴミ出しに来た主婦みたいよ」
おキヌは割烹着に三角頭巾…おさんどん姿で掃除をしていました。
「ひぃーーーーんっ!? せっかくのクリスティン&ガッバーネがぁぁぁっ!!」
秋の夕暮れ空に、やってることはまんま主婦じゃん。な、女子高生の叫びが響き渡った。
事務所の玄関先。
「慣れない事をするからでござるよ…散歩を甘く見たな、女狐」
「だぁってぇ〜……ひぐ…」
日が落ちて間もなく、シロが大八車にえぐえぐと泣いているタマモを載せて、帰還した。
なぜに泣いているのかと言うと。
「見た目一緒だったんだもん! 卑怯よあんなの!!」
「タマモ…紅葉が一面に浮いていて水面と地面の区別がつかんかったとゆーのは…天然野生獣っ娘コンビの片割れとしては恥ずかしいでござるな」
「さーーむーーーいーーーっ! お風呂入るっ!! 暖かい布団で寝るーーっ!!」
タマモさん、ランナーズハイ状態で山中を駆け回った挙句、小さな沼に気づかず突進、見事に全身濡れ狐と化していました。
…野生の本能はどうした。
おキヌに借りたタオルで、泣きじゃくる仔狐の全身を拭うシロも呆れ顔である。
「…ね、ねえあんた達。横島君は?」
妙に顔の赤い美神が、そわそわしながら二人に尋ねた。
聞かれた一人と一匹はほえ? と美神の赤く染まった顔を見上げて、何度か首を捻り…
「「さあ??」」
揃った返事は、何故自分達にそんなことを聞くのか? と言わんばかりのとぼけたものだった。
「拙者、先生を探して山中を駆けずり回ったのでござるが…全く見つからず。てっきり戻っているものと」
「私はすっかり完璧に忘れてたわ。これじゃご褒美はもらないわねー」
「へ? 帰ってきてないわよ…?」
タマモはともかく、シロが探しても見つからなかったと言う事は…横島の身に何か災厄があったのかも知れない。川に落ちて匂いが消えたとか、冬眠直前のクマにお持ち帰りされたとか。
「あ、そ、そう。いないのね? それならいいのよ? うん、それなら、ね」
まあ、それはそれとして。
こくこくこく、と細かく自分を納得させるように頷いた美神は、咳払い一つでいつものペースを取り戻すと、シロ&タマモに居間に来るよう言って身を翻した。
「はいこれ。タマモ、あんたの分も置いとくわよ」
タオルに包んだタマモを抱えてシロが居間に入ると、そそくさと近寄った美神に紙袋を一つ手渡された。
思わずシロは匂いを嗅ごうとして額をぺしゃりとはたかれ、涙目になったり。
「何でござるか? 食べ物??」
些か乱暴に包みを破るシロ。
出てきたのは、ニットの帽子だった。銀髪に映えるライム色の、頭頂部にぽんぽんの付いた子供っぽいものだ。
「あんた、真冬でも野球帽被ってたじゃない。寒い時は相応の格好しないとね」
「美神殿が拙者に!? これは一体!? だ、代償に何を求め…いやまさか!? 拙者、これでも武士のはしくれ! これしきのことで先生を譲ったりは…!」
さーっと顔面に斜線が走ったシロ。帽子をしっかりと胸に抱きながらも、必死に首を振って後ずさりしていく。
「横島なんかいらんわ!! 人の好意を何だと思ってるのよ全く! って言うかしっかり迷ってるんじゃないっ!」
明らかに腕の中の帽子と、今や行方不明の横島とを天秤に掛けて挙動がおかしくなっているシロに、美神の疲れた突っ込みが飛んだ。
「……んで、これが私の?」
狐だか怪奇タオル獣だか分からない姿のタマモ(inタオル)は、前脚で器用に紙のラッピングを解いていく。
今しがたの賄賂ショックに、シロに腕の中から落とされたのでちょっぴり不機嫌ですが。
「…こっちも帽子?」
「そ。あんたは髪のボリュームあるからね。頭に乗っけるだけのを選んだわけ。あとで被ってみなさい」
包みから現れたのは、モスグリーンのベレー帽だ。タマモはしばしそれを睨んだあと、徐に美神を見上げて言った。
「これは遠回しに、縦型社会の軍隊の如く自分に隷属せよっていう脅し?」
「あんたの知識はどっから仕入れてくるの…?」
至極真面目にこちらを凝視する仔狐に、美神は呟いた後、鋭く目を細めて告げる。
「別に上官命令で九尾の襟巻きにしてあげてもいいのよ?」
「ありがとうございます美神さん大事にしますから皮を剥ぐのは横島だけにして下さい」
三味線職人が猫を見る目のような、美神の座った視線にタマモはタオルの中に全身を引っ込めてガタガタ震えだした。
…タオル獣は亀のようです。
「お夕飯の準備、出来ましたよー。わ、シロちゃん似合ってる!」
「ホントでござるか? 拙者、ふぁっしょんには疎くて…」
「私の見立てを信じなさいって。…あんた、一度全身コーディネートしてみるのもいいかもね」
「馬鹿犬にも衣装って言うしねー」
「タマモちゃんも似合う似合う! …なんかしっとりと濡れてるね、タマモちゃん」
「…言わないで」
居間に姿見を持ち込んであーだこーだとお喋りする3人に、おキヌも加わって。
外の寒さとは無縁の暖かさに、人工幽霊一号も頬を緩める光景だ。
「今晩はですね、栗ごはんを作ってみたんです。あと、肉じゃがのお芋をかぼちゃにしたやつと、キノコを牛肉で巻いたのと…タマモちゃん用に、お揚げの福袋煮も」
「秋っぽいわねー、食欲そそるわぁ」
「福袋って何…?」
おキヌを先頭にわいわいとダイニングへ向かう。
誰もいなくなり明かりを落とされた室内には、テーブルの上にぽつんと置かれた小さめの紙袋が一つあるだけ。
それが一体誰に宛てたものなのか…知っているのは、奥手で照れ屋なツンデレ所長と、中身の男性用皮手袋のみ。
食卓は賑々しく、箸の動きは活発だ。おキヌも笑顔でお代わりをついでいく。
「中身は白滝ときのこかぁ…私てっきり、中にもお揚げ入ってると思ったわ」
「女狐の福はその程度でござるな」
「馬鹿犬にもお裾分けしたげるわ。はい挽肉。大好きなお肉よー? 感謝して味わいなさい」
「あ、ほらシロちゃん。きのこも食べなきゃ駄目。お肉剥がして食べるなんてお行儀悪いよ」
「う…きのこは昔、間違って原色のものに手を出して3日3晩寝込んだ事が…」
「山育ちが聞いて呆れるわね…シロ、人狼の里でも肉しか食べなかったんじゃない?」
「あ、そうだ。デザートに栗善哉も作ってありますから。お茶と一緒にどうぞ」
「「「わぁーい♪」」」
秋の夜は、ほくほくの栗ごはんと共に暮れていく。
問答無用に流れていく季節も、それぞれに味わいがあり過ごし方の妙がある。
ここにある極めて平和な一例もまた、妙なる生活の極一部に過ぎない。
『…いい月ですね』
「ほんとまん丸―!」
人間・元幽霊・人狼・妖狐・人工魂魄・妖精と…
平等にそれぞれの秋を謳歌する、満月の夜。
しんしんと舞う紅葉が、月光の中、世界を美しく彩っていた。
終
後書き
竜の庵です。
以前に夏のお話を投稿したなぁと思いまして。秋ものも書いてみました。
作者の故郷は秋の時期が極めて短い北国でして、憧憬も含めて目一杯秋らしい内容にしてみたつもりです。
お話の最後に、横島でオチをつけようとも思ったのですが、蛇足な気がして中止に。パターン化はキケンですし。
ちょこっとでも秋を感じて頂ければ幸いです。
ではこの辺で。最後までお読み頂き、有難うございました!