インデックスに戻る(フレーム有り無し

▽レス始

「山紅葉(GS)」

犬雀 (2006-09-15 20:19)

「山紅葉」


相棒ほど頻繁でも熱心でもないがタマモも散歩ぐらいはする。
もっとも地面の上を歩くことを嫌い、変化の翼で空を行くタマモを散歩と称するには各方面から異論もでるだろうが、特に銀髪メッシュの人狼とか。
東京の空が汚れているとはいえ、ごみごみした下界を歩くより気軽に遠くに行けるこの空の散歩は相変わらず横島を引き摺り倒しつつ地面を爆走する相方に多少なりとも優越感を感じさせ、それがまたものぐさな彼女にこの趣味を続けさせることになっていた。

込み入った地上とは違い、直線で移動できる空は遠くに行くにも適している。
なによりあの信号機とやらでいちいち止まらなくて良いのが嬉しい。
特に目的など無いものの、それでも飛んでいればそれなりに興味を引くものが目に入る。
そうして見つけたお気に入りの場所がタマモには何箇所かある。
前に見て感動した海の近くの雑木林であったり、打ち捨てられた廃工場だったりと様々な光景が目に新鮮だった。

そんな中、最近のタマモのお気に入りはつい先日開通したばかりというスーパー林道のパーキングエリアである。
特に変わった場所というほどもない。
見晴らしはいいが景勝地というわけでもなく、ただ林道を通るドライバーが少し休むための場所である。
トイレはあるが売店などない。
それどころか自販機すらない。
故に人が居ることも滅多にない。

ただ山の中をナメクジが這ったかのようにうねる道。
その中にポツンとあるパーキングエリアは真新しいだけに、その寂れ方が無機質で冷たい人工物の香りを放っている。
だがそれを圧倒するだけの山の空気は彼女を和ませた。

山は緑のままに霞んでいる。
向かいに見える山肌に湯気のように沸き立つのは雲のかけらだろうか。
あの木の種類が違う場所は沢なのだろうか。

ふと自分がいたあの山のことを思い出しそうになり、慌てて頭を振って何となくネガティブな想いを抱きそうになった心を振り払う。
山の空気は確かに和むが、それと同時にどうしようもない記憶も掘り起こしてくる。
それだけがこの光景のたった一つの瑕疵なのかも知れない。
もっとも景色には何の罪も無いことはわかっているが、それでも暗い記憶が湧き上がるのは聡明な彼女をしてもどうしようも無いことだった。

気を取り直すように大きく背伸びをして道路の反対側を見れば、コンクリートで覆われた法面の護壁の上に張り出すように枝を伸ばす一際立派な紅葉の木があった。
人里を離れているとはいえまだ秋には遠い。
実際に紅葉はまだ色づきもしていない。
緑色の葉をサラサラと風に揺らせている。
その風にのって空に舞うのはカエデの種だろう。この辺りの杣人たちが「山トンボ」と呼ぶ種はクルクルと回転しながら風に乗り、山のあちこちへと飛んで行く。

なんとなく目で追ったその一枚が近くに打ち捨ててあった廃材の近くに落ちる。
この山の中までわざわざゴミを捨てにきたのだろうか。
だとすれば随分と無粋なことをするものだと思う。

薄汚れた廃材の匂いが鼻についてせっかくの良い気分を汚された気がしてタマモは再び手を翼に変えた。

ニ、三度試すように羽ばたき、舞い上がろうしたタマモの耳にかすかな鳴き声が聞こえてくる。
それが自分と同じキツネのものだと知ってタマモは緩やかに羽ばたき、声の聞こえたと思しき廃材の影へと舞い降りた。
近くに寄れば腐った鉄の匂いがますます鼻腔を刺激する。
わきあがる不快感をこらえながら覗きこんだ廃材の影に一匹の子ギツネが横たわっていた。

本当なら晩夏の光を受けて輝くはずの毛皮は泥に汚れ、かすかに開いた口から切なげな声を漏らし、じっと目を閉じている子ギツネは随分と衰弱しているようだ。
おそらく母親とはぐれたのだろう。
この大きさではまだ子別れには早い。

餌を獲ることも出来ず、母親を探して山をさ迷い歩き、ついにこの廃材の影で力尽きたのかも知れない。
乳離れはしているらしく、開いた口から小さいなりに野生を感じさせる牙が覗いていた。

「あ…ちょっと待ってよ」

慌てて腰のポシェットからおキヌが持たせてくれたお弁当の稲荷寿司を取り出す。
酢と油揚げの香りが山の空気に溶け合って、刺激を受けたタマモのお腹が小さくクウとなったが、とりあえず唾を飲み込んで腹の虫を誤魔化すとそのうちの一つを倒れている子ギツネの前においてやる。

鼻を刺激する酢の香りが気付けになったのか子ギツネは閉じた目を薄っすらと開けるがすぐに力なく閉じてしまう。

タマモはもう一度、別な稲荷寿司を取り出すとそれを細かく千切って口に含んだ。
飲み込みそうになる気持ちを必死に抑えて、口の中で細かく噛み砕くと掌にのせ、子ギツネの口元に運ぶ。
タマモの唾液のためか酢の匂いは薄れたが子ギツネは口を開こうとはしない。

「あんたね。意地張っていたら死ぬわよ!」

つい人の言葉で話しかけてしまったが子ギツネは身動きしない。
一息ついて落ち着くと今度はキツネの言葉で話しかけてみるがそれでも反応は無い。

「あーもう! 黙って口を開ける!!」

ついに焦れたタマモが子ギツネの首を掴むとその口を無理矢理にこじ開けペースト状になった稲荷寿司を無理矢理押し込んだ。
随分と乱暴な方法だが他に良い手があるとも思えない。
間違って喉に詰まったりしないようにと細心の注意を払いながら、日が西の山の頂に差し掛かるまでタマモは何度となく噛み砕いた稲荷寿司を子ギツネの口に運び続けた。


夜の帳が降り始めたころ、子ギツネはやっと持ちなおしたようだった。
それでもまだ立つ力はないのか、寝そべったまま星の光に輝き始めた緑色の目を彼女に向けてくる。

「なによ…」

聞いても答えは返ってこない。
もしや都会の暮らしに馴染み始めてキツネの言葉を失ったのかしら?とうろたえ出すタマモをただじっと見ているだけだ。
目に強い警戒心がある。

「あんたねー。命の恩人…もとい恩キツネに対してそんな顔向ける?」

子ギツネは答えない。
ただ見つめているだけ。
円らな瞳をむけられてタマモの方が焦り始める。

「あ…いや…あのさ…私もキツネなのよ。フォックス。わかる?」

子ギツネの目が「でもお前は人間じゃねーか」と言っているように見える。

「あ、あは…ちょっと待ってね…」

自分でもなんで焦るのかわからないが、とにかく今はこの子ギツネの警戒心を解きたいとタマモは姿を狐のそれに変えた。

「どう? キツネでしょ?」

子ギツネは答えない。
それどころか目にある警戒の光がますます強くなった気がする。
その視線が自分の尻尾を見ていることに気がついてタマモは慌てて尻尾を隠そうとしたが、自慢の金色の九尾は小柄なタマモの体で隠せるようなものではない。

「し、尻尾が多いのは偉いキツネの証拠なのよ! さあ遠慮なく敬いなさい!」

相変わらず子ギツネは答えない。
むしろ視線が冷たくなった気がする。

「ごめんなさい…言い過ぎました…」

えもいわれぬ冷たい視線に我知らず怯んでしまう。
仮にも大妖怪の自分がだ。
こんな子ギツネでありながら野生の力を身に秘めているのだろうか。
そしてそれに怯む自分はもしかして野生を忘れ始めているのだろうか。
考えてみれば本性はキツネでも転生前だって人と暮らしてきたのだ。
正体が知れて追われるまで都で暮らしていたのだ。
獣の本性が子ギツネの持つ野生に引け目を感じるのだとしたらそれは自分にとって堕落ではないか。
なんだか怖い考えになりそうな頭を必死に振るタマモに驚いたのか子ギツネはその耳をピタリと寝せる。

「あ…んじゃ私はそろそろ帰るわね…あんたもちゃんとご飯食べなさいよ…」

居心地が悪くなって人の姿に戻り、手を翼に変えるタマモを子ギツネはただ黙って見上げる。
目の前のキツネが人の姿に変化したり、手が翼になったとなれば驚きそうなものだが、それでも黙ったままの子ギツネの顔をタマモは警戒させないように注意しながらそっと覗きこんだ。
星の光を受けて輝く瞳の中の自分はなんだかとても不安そうな顔をしている。

「ねえ…もしかしてアンタ、口がきけないの?」

そういえば先ほど聞いた鳴き声もキツネの鳴き声と言うよりも単に呼気が漏れただけの意味のない音だった気がする。


子ギツネはその問いにも答えなかった。


次の日、タマモは再び林道へとやってきた。
まだ朝早いというのに残暑のせいか山にはセミの声が暑苦しく響いている。
そんな中を急いで飛んできたのだろう。
タマモの額には大粒の汗が滲んでいた。

昨日とは違う少し大きめのポシェットが重そうに膨らんでいる。
大汗の理由はその辺にもありそうだった。

パーキングエリアは昨日と変わった様子が無かった。
もともとそれほど車通りがある道ではない。
長距離トラックが抜け道に使ったりしているようだが、先を急ぐ彼らはこんな場所で休もうとは思わないだろう。
30分も走れば寂れたとはいえ市街があるのだ。

とりあえず廃材の影へと回って見れば、昨日の子ギツネはまだそこにいた。
やはり衰弱が激しいのか、横たわったまま警戒に満ちた視線をタマモへと向けてくる。

「そんなに警戒しないの。今日はいいものを持って来たんだから」

膨らんだポシェットの中身を引っ張り出して見せても子ギツネは黙って見ているだけ。
もしかしたら野生に生きる彼らにとって缶詰など食べ物とは思えないのかも知れないと思い至ってタマモは苦笑する。
プルトップの蓋を開けると肉汁の匂いがあたりに立ちこめ、道路の向かい紅葉の枝に止まっていたカラスが興味深そうに二匹のキツネを覗き込みながら鳴いた。

「ほら。シロの大好物のドックフードよ。これなら気にならないでしょ」

こっそりとシロのヘソクリをガメて来たタマモが得意げに蓋の開いたドックーフード缶を子ギツネの鼻先に置く。
かすかに子ギツネの鼻が動いたが、それでも人から施しを受けるのが嫌なのか、はたまたタマモの身に染み付いた人間の臭いを嫌うのか、ニ、三度鼻を鳴らしただけで食べようとはしなかった。

「ちょっと! 蓋を開けたものを持って帰れないのよ。食べなさいよ!」

興味はあるのだろう。鼻先が先ほどからピクピクと蠢いている。
にも関わらず子ギツネは食べようとはしない。
昨日に比べて光を増した目の輝きからすれば、まだ歩くのは無理でも食べられないほどに衰弱しているとは思えなかった。

「食べないなら食べないでいいわよ! でも持って帰るのも嫌だからここに捨てて行くからね! 後は好きにしなさい!」

捨て台詞ともとれる言葉を残してタマモは再び天に舞い上がる。
山の風を楽しむかのように舞うタマモの姿に、木の上で二人を見守っていたカラスがつられて飛び立って行った。


それからしばらくドッグフードを持ったタマモがこのパーキングを訪ねる日々が続いた。
あいもかわらず厳しい残暑の中、それでも気の早いキリギリスがギーと鳴き、気の長いセミがジーと鳴く。
そんな季節の狭間の、ほとんど人の居ないパーキングエリアには二匹のキツネが何をするでもなく佇んでいた。

子ギツネはタマモの持って来たドッグフードを彼女の前では食べようとはしない。
タマモも心得てきたののか、黙って彼の前に蓋を開けた缶を置くだけである。
どっちにしろ犬の絵の印刷された缶詰は次の日になれば綺麗に空になっているのだ。
ならば何もわざわざ自分の前で食えと強要することも無いだろう。
頑なな子ギツネの態度は野生に生きるものの持つ矜持なのかも知れない。
それがタマモには少し眩しかった。

すでに毛並みも元に戻ってきている子ギツネは我関せずとばかりにタマモの横に寝そべったまま、そこが自分が本来いる場所なのだとでも言いたげに真っ直ぐに道路の向こうに続く山を見ている。

彼の横に座り、一緒になって道路の向こうの山と深緑の葉を風に揺らせている大きな紅葉の木を見ていたタマモだったが、それにも飽きたのか返事は無いだろうと思いながらも色々と子ギツネに話しかけてみた。

例えば、今、自分が暮らしいてる人間の世界のこと。
そこで出会った仲間のこと。
優しい元幽霊。
直情的な狼。
金にはがめついが時折子供のように隙を見せる家主。
そしてよくわからないけれど事務所のムードメーカーらしい少年。

思いつくままにとりとめなく話してみても子ギツネは答えない。
相変わらずじっと山を見ているだけ、しかしその無関心振りがタマモにはかえってありがたくて彼女は頬を少しだけ緩める。

苦笑としか見えない表情をしてしまったおかげで言葉が途切れ、また沈黙の時間が通り過ぎていく。
ジリジリと照りつけていたはずの日が、山からの涼風に押し返されたはじめたころ、タマモは再び口を開いた。

「私ってさ…本当は山ってあんまり好きじゃないのよ…」

無言のまま子ギツネの耳がピクリと動いた。
目の端で自分を見上げる子ギツネは「ならばなぜここにいる?」と疑問の光を湛えている。
思わず撫でようとして伸ばした手を避けられ、今度ははっきりと苦笑しながらタマモは独白を続けた。

「転生して……初めて見たのがこんな山の景色だったわ…」

確かにこれほど拓けては居なかったが風に乗る草木の香りといい、湿った腐葉土の臭いといい、それは生まれ変わったあの場所と似ていた。
目覚めて今生をどう生きるかを考える間も無く、山の良さを知る間もなく人に追われた。
今でも時々思い出す。
無表情に銃を構えたまま迫ってくる緑色の服の男たち。
わけもわからず追い回されたあの夜。

「………もうね…悔しくて…悔しくて…それでも必死に逃げて……だけどとうとう追い詰められて……」

もう駄目だと思った。
周りから濃厚に鉄と死の臭いが近づいてくる。

「……その時に見たのよ………」

子ギツネは答えない。
ただ無音で彼女を見上げるだけ。

「………もの凄く綺麗な紅葉の木をね……」

悪戯めかして舌を出して笑うタマモから子ギツネは慌てて顔を背けた。
視線が道路の向こうにある紅葉の木に止まっているのをタマモは気がつかないふりをしながら溜め息をつく。

「血みたいに真っ赤でね……きっと私もこんな真っ赤な血を流して死ぬんだなーって思ったのよ。真っ赤な葉っぱがヒラヒラと風に揺れててね……」

そのままタマモは抱えていた膝に顔を埋めた。
妖怪である自分にとって死は身近な存在でもあり、もっとも遠い存在でもある。
過去に追われ、そして転生しても追われ、それが自分の性ならば大妖怪とはなんと哀れな存在であろうか。
激しい絶望とともに痛む体を叱咤する彼女の前の紅葉はそんな妖怪の苦悩など知らぬとばかりに赤く染まり、そしてただ揺れていた。
美しいと…純粋に美しいと思った。
その無形のあり方に憧れすらも感じた。

「……そしたらさ。今の世の中にはこんな綺麗なものとかとても美味しいものとかがもっとあるんじゃないかって思えてね。そう思った途端「死んでたまるかー!!」って力が出たのよ」

タマモの笑い声に子ギツネはホッとしたかのように尻尾を垂らす。
撫でようと伸ばした手をまた拒絶され、行き場のなくなった手をフラフラさせながらタマモはあの夜を思い出す。

最後まであがこうと必死に藪を走り、森を駆け、唐突に切り拓かれた森の一角。

そこで自分は出会ったのだ。
優しい元幽霊の少女と不器用で助平な少年に。

「………なんかよくわからないうちに助けられて……でも、その時はすぐに別れたわ」

子ギツネは答えない。
ゆっくりと尻尾を風に揺らせるだけ。

「………で、まあ…色々あってまたそいつらと出会って……今は世話になってやっているってわけね」

子ギツネは目を閉じゆっくりと頭を下した。
それで話は終わった。
何も返ってこないけどタマモは満足そうに微笑んで立ち上がる。

「………だからさ…困った時は誰かの世話になるのもいいと私は思うんだけど?」

子ギツネは答えなかった。


それからまた幾日かタマモは子ギツネの元を尋ねた。
相変わらず廃材の影で寝そべりながら子ギツネは山を見ている。
タマモが来ても愛想なんて持ち合わせていないかの如くヒゲ一つ揺らそうとはしない。
毛皮はすっかり元通りの色合いを取り戻し、目にも力が現れているにもかかわらず腹ばいに寝そべったままだった。
いつまでも変わらぬ子ギツネの様子にさすがにタマモもこれはおかしいと感じ始めていた。

「ねえ…今更聞くのもなんだけどさ。あんたどっか怪我してない?」

労わりをこめて差し出す手は拒絶されたが、ここで引くわけには行かないとタマモは強引に彼の前足をとる。
途端に子ギツネの口から小さく苦鳴が漏れた。
外から見てもわからなかったがどうやら折れていたらしい。
自分の迂闊さを呪いながらもタマモはヒーリングしようと口を近づける。
それに対する子ギツネの反応はやはり拒絶だった。
威嚇のために開いた口から鋭い牙を覗かせる子ギツネの目を見ながらタマモは躊躇なく舌を出す。
鋭い警告音が子ギツネの口から漏れた。

「咬みたきゃ咬めばいいわよ。私は止めないからね」

子ギツネの目が丸く見開かれる。
しばらくにらみ合っていた子ギツネの口が閉じられ、波打っていた背中の毛が元に戻るのを認めながらタマモは優しく彼の足に舌を這わせた。

「……私のヒーリングだとこんなもんだけど…どう?」

子ギツネは答えない。
無音のまま顔を背け、それでもゆっくりと立ち上がろうとしてよろける。
手を差し出そうとするタマモに警告のつもりか牙を剥き、覚束ない足取りながらゆっくりと歩き、そしてすぐに倒れた。
多少の傷なら自分のヒーリングで治せるはずだが、それはあくまでも多少のである。
つまり相当に重傷だったということだろう。
いかに野生の生き物にとって弱みを見せることが死に繋がるとはいえ、今の今までそれを隠し通していた子ギツネを誉めるべきか、それとも気づかなかった自分の間抜けさを嘲笑うべきか、わずかに悩んだタマモの頭にふいに浮かぶのは煩悩の固まりの少年の情けない顔。
確かにある意味、反則と言っても良い彼の文珠ならこの傷も癒せるはずだった。
しかし子ギツネを抱いて町へ連れて行くなど考えられない。
第一、子ギツネがそれを良しとするはずはなかった。
タマモとて人に媚びぬ彼の矜持を傷つけたいとは思わない。
だったら文珠を貰ってくればいい。
考えが纏まってしまえば決断は早かった。

「絶対にあんたの怪我を治すから! 一回、戻るわね。動いちゃ駄目よ?!」

そしてタマモは返事も待たずに飛び立った。
子ギツネは見る見る小さくなるタマモの姿が消えるまで目で追っていたが、茜色に染まった雲に彼女の姿が掻き消えると頭を巡らせ、まるでそこにタマモがいるかのように道路の向こう側の紅葉の葉を見つめ続けた。


「というわけで文珠を出しなさい!!」

「なにが「というわけ」なんだよ!!」

遅めの晩飯の久々の牛丼卵つきを今まさに貪ろうとしていた部屋に飛び込んできたタマモの開口一番がこれでは横島とて反論したくもなるだろう。
普段はクールでおしゃれな少女が自慢の髪の毛が乱れるのもかまわず、さらに肩で大きく息をしながら「拒否すれば焼く」とばかりに目に剣呑な輝きを浮かべて手を差し出してくるのははっきり言って怖い。
もしや自分は何か取り返しのつかない失敗をこの少女にしでかしたのではなかろうかと首を捻るがどうにも覚えが無かった。

「いいから!」

「せめて理由を言えや!」

文珠は自分の切り札である。おいそれと使っていいものではないと師匠の令子からきつく言われている。
その割には「覗」とかくだらないことに使っているが、それは心の棚においといてとりあえずこの剣幕なら無駄だろうと思いながらも聞いてみるとタマモは目に見えてうろたえ出した。
そのリアクションがかえって不気味に感じられ横島は思わず二歩ほど後ろに下がる。
それを拒否ととったのかタマモは顔に狼狽の色を浮かべ、しばしの逡巡の後ポツリと呟いた。

「………怪我…」

「怪我?………ってお前怪我したのか?!!」

三歩ほど一気に詰め寄って肩を抱く横島に今度はタマモが驚いた。
真剣な横島の瞳には目をまん丸にした自分が写っていて、それがなんだかむず痒い。
とにかくと痛みを感じさせるほどの力で握られた彼の手に自分の手を添えてタマモは今まで経緯を語り出した。

「……つまり最近、お前が居なかったのはそのキツネの世話をしていたと…」

「うん…」

いつの間にかちゃぶ台の前に向かい合って座りながら二人で牛丼を分け合っている。
もっともタマモはネギが駄目だから肉ばかり、逆に横島はネギばかりというとても不平等なメニューになったが、その辺りはあとでゆっくり賠償を請求することにして出がらしの番茶をタマモに差し出した。
「ありがと」と珍しくも素直に礼をいいながら、熱いのか湯飲みに息を吹きつけているタマモの姿に苦笑しながら横島は先を促す。

「…で…そのキツネが怪我をしているんだけど私のヒーリングじゃ駄目なのよ」

「それで文珠か…」

「うん…」

一度落ち着いてみればタマモとて自分が無茶を言っていることぐらいは理解できる。
何しろ切り札。
しかもその万能さゆえに精製には多量の霊力を消費し、横島の煩悩をもってしても一週間に二個、多くて三個が限界のそれをたかがキツネの怪我に使えとは無茶もいいところだと思う。
だけどタマモには彼が文珠を渡してくれるという確信があった。
普段、馬鹿でスケベでどうしょうもない男だが、それでもこの男は無類に優しいのだと。
でなければ自分が今、ここにいるわけがない。

「……んで…どこだよ…」

ポリポリと頭をかく横島に抱きつきたいという衝動をタマモはありったけの努力をもってなんとか抑えこむことができた。


翌朝、夜明けとともに訪ねてきたタマモに叩き起こされ横島はタマモと二人で山へと向かった。
本当なら文珠さえあれば横島はいらないのだが、より正確な発動を求めるならやはり彼の力が必要だろう。
そう言って頼み込むタマモに横島は盛大に溜め息をつき、目の下のクマをこすりながら履き慣れたジーパンに足を通す。
男の着替えを見る趣味は無いと背中を向けていたタマモに横島が笑いを含んだ声をかけてきた。

「牛丼大盛り二杯な」

「な! そんな理不尽な!」

「あほう! これ一個搾り出すのに俺はほとんど徹夜じゃ!」

着替えを終えた横島がまだ後ろを向いていたタマモの頭を軽く小突く。
なるほど目のクマはそういう理由によるものであるならばタマモには拒否権は無い。

「………せめてキツネうどん一杯に……」

「交渉成立だな」

愉快そうに笑いながら横島は出来たばかりの文珠をタマモに手渡した。


さすがに横島を抱いて飛ぶわけにもいかず、仕方ないから彼の愛車のマウンテンバイクに二人乗りして数時間。
幸い休日のせいか交通量も少なく、思ったより早く例の林道の入り口へとたどり着くことが出来た。
もっとも横島はフルマラソンに近い距離を二人乗りさせられてほとんど死に掛けていたが、弱音を吐くたびに脅したりすかしたりしたせいか今は無言で自転車をこいでいる。
途中で「きつねうどん」が二杯になったのは仕方ないだろう。
とはいえ林道。
いかに舗装されていても勾配はきつい。
たちまちカメの歩みのようにヘロヘロになる自転車にタマモが焦れる。

「私、先に行くから!!」

「待てってば! 俺一人じゃ場所わかんねーだろ!」

「この先をまっすぐだから迷わないって!!」

そのままタマモは天に舞いあがり、通いなれたパーキングエリア目指してまっすぐにとんでいった。
いっそこのまま帰ろうかと思っても後の祟りを考えれば行くしかない横島である。
ガクガクと笑い出す膝を騙しつつ、ゆっくりゆっくりとかなりの勾配のある坂道を登っていく。
それでも登りがこれだけきつければ帰りは楽だろうと甘い夢を頼りに必死にこぐこと一時間。
何度目かのカーブを曲がった先にある直線の途中に見慣れた少女の姿があった。
やっとゴールへたどり着いたとの高揚感で残った力を振り絞り、加速して少し緩やかになった直線を登っていけば、ザワザワと風に揺れる山の光景の中、そこだけ時間が静止したかのようにタマモは道路の端に立ち尽くしていた。
近づいていくにつれ彼女の表情が、彼女の周りにあるものが見えてくる。
道路の端に立つタマモは横島が今まで一度も見たことも無い、まるで能面のように無表情のまま足元にあるボロキレを見つめていた。

高揚感ではなく焦燥感に突き動かされ、必死に自転車を進めた横島はタマモの足元にあるものが何かを知った。
自転車を投げ捨てるように放り出すと放心したまま瞳から溢れる涙を止めようともしないタマモの肩を抱く。

「…………なんで……?」

その問いに対する答えを彼は知らない。
ただ嘗ての自分と同じように赤子のように泣き始めた少女を嘗ての令子と同じように抱きしめることしか出来なかった。


二人の足元にはボロキレのようになったキツネが転がっている。
体に大きなタイヤの後をつけ、ズタズタになった子ギツネの不思議とそこだけは綺麗な頭。

その小さな口に咥えられている紅葉の葉が晩夏の太陽を受けて真紅に輝いていた。


         終


後書き
ども。犬雀です。
犬の在では珍しくも無い光景ですが、それでもやはり見るたびに心が痛みます。
もしタマモがそんな光景に出会ってしまったら?
こんな考えが今回の話を書く動機となりました。

こちらはそろそろ紅葉の季節であります。


では


1>シーク様
ありがとうございます(笑)

2>たあ様
ありがとうございます(笑)

3>鈴虫様
制裁は…されたでしょうねぇ(笑)

4>冬様
あはは。それもありですね(笑)

5>鴨様
ありがとうございます(笑)

6>sara様
芸能人ってよく知らないんですけど、テレビで見る限りきっと普通と違う人が好きなんじゃなかろうかと(偏見?)

7>ダヌ様
笑っていただけて嬉しいです(笑)
タマモいじめは…マイブームですので、今回もある意味、イジメかもしれません。

8>名称詐称主義様
タマモいじめ以外にも手を出したいのですが…どういうわけかタマモ率が高くなってしまってます(笑)

9>ジェネ様
過分なお褒めの言葉ありがとうございます。
犬よりもっと上手な書き手の方と交流して何とかその才能を啜りとろうとしてますがまだまだであります(笑)

10>山の影様
実はギャグは書いていて「外したら?」と思うと怖いので出来れば書きたくないのですが…今後も努力します(笑)

11>いりあす様
良識の微妙な大人って好きなんです。
いえ…犬がそうまわりから評価されているというわけではないですじょ(逸らしつつ)

12>k82様
確かに神父のまわりにはトリビアの種がいっぱいですな…自分も含めて(笑)

13>純米酒様
タマモは好きです。でも他のキャラも好きです。
ただ、なんでだか最近はタマモものばかり書いている気がします。なんでだろ?(笑)

14>レンジ様
ありがとうございます(笑)

15>食用人外様
黒エビスは美味ですよねー。いや…犬は下戸ですよ(笑)

16>ヴァイゼ様
文珠で直すは考えましたがどう考えても修羅場ネタになりそうなので(笑)
それはそれで面白いかもです(笑)

17>にゃら様
人工幽霊の話だと留守番のタマモとシロが泣きながら拭いたそうです(笑)

18>零式様
直すでしょうねー……令子たちに回収されていなければですが(笑)

19>ぬーくりあ様
朝に読まれたのですか?…うわー。だったらもっと爽やかな話にすればよかった(笑)

20>スケベビッチ・オンナスキー様
寝る前もいけませんか?こりゃ少し考えてSS書かなきゃ駄目ですなー(笑)

21>シヴァやん
芸能界とのからみなんてのも銀ちゃんがいるから面白いですね。
でも田舎者の犬は芸能人って実際に診たこと無いのです(笑)

22>kou様
知り合いが言うには携帯が壊れてもなんとかなるそうなんですが、そこから始まる物語ってのも面白そうですね(笑)

23>黒覆面(赤)様
ふふふ…実は壊れを少なくして「壊れ書きの犬雀」から脱却しようとしているのです(嘘)

24>にく様
そうですね。タマモには幸せになって欲しいです…いや本気ですよ?(笑)

25>武者丸様
トリビアのあの生真面目な流れがそもそもギャグだと犬などは思うのです(笑)

26>十六夜様
ですね。やはりタマモには幸せになって欲しいです…欲しいんだけど…なんでだろう?(笑)

27>HEY2様
なるほど、確かにこんな大ネタは最後に持ってくるでしょうね。
それはそれで面白い話になったかもです(笑)

28>aki様
あはは。バレましたか。
実はこの話はタイトルを先に思いついたんですよ(笑)

29>ミアフ様
銀ちゃんも登場すればまた違った面白さが出たでしょうね。すっかり忘れてました(笑)

30>AS様
公衆電話で電話した横島が振り向けばそこには笑顔の夜叉がいた…なんてオチもありでしたな(笑)

31>木藤様
ダイエット中でありましたか。お役に立てて幸いです。
今度、腹筋を一緒にやりませんか?(笑)

32>柳野雫様
うーん。意識してないのですが…指が勝手にタマモいじめを(笑)

33>zero様
実際には危険だそうです。って言うまでもないですね(笑)<レンジ電話

34>aki様
あれ?28番のaki様とは別な方でしょうか?
それはともかく笑っていただけて嬉しいです。(笑)

35>Yu-san様
サイコーですかー!?(笑)

36>みょー様
はいです。漢とはこうありたいものです!(間違った力説)

37>亀豚様
おっぱいの大きなお姉さん。果たして彼を気に入るでしょうかねー?
なにか事件が起きれば評価も変わると思うのですが(笑)

38>偽バルタン様
あのナレーションはいつ聞いても笑えます。そういや犬は副音声の方を聞いたことがないなぁ(笑)


△記事頭

▲記事頭

e[NECir Yahoo yV LINEf[^[z500~`I
z[y[W NWbgJ[h COiq@COsI COze