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「転ばぬ先にあるものは(GS)」

竜の庵 (2006-09-05 19:37)


 その日、妙神山修行場には二人の来客がありました。


 「小竜姫! お前に聞きたいことがある!!」


 ただでさえ鋭い眼光を、殊更に厳しくして空間転移してきたのは、魔界軍所属の軍人、ワルキューレ大尉その人。

 妙神山修行場の管理人、小竜姫は突然現れた魔界の友人に、驚きながらも微笑を返して挨拶します。


 「ワルキューレ? 珍しいですね、定例会議でもないのにここに来るなんて」


 異空間内の修練場で素振り一万回の日課をこなしていた彼女は、神剣を収めるとワルキューレの只ならない様子に、のほほんとした空気を引き締めました。

 「なにかあったのですか? 貴女がこれほど緊張しているとは」

 「…緊急且つ重要、そして全ての任務を排してでも最優先すべき案件が発生した」

 「!!」

 ワルキューレは魔界でも特殊部隊に所属する、エリート軍人です。その彼女が通常任務から離脱し、神族の助けを請ってでも為さねばならぬ重要案件。小竜姫の額に汗が滲み、知らずに喉がゴクリと鳴りました。

 「…まずはこれを見てくれ。小竜姫、貴様に聞きたいのは…」

 「こ、これは…!」


 ワルキューレが示した書類は、ぺらんとした一枚のチラシでした。


 「小竜姫よ…お前は、コレに乗れるか!?」


 チラシには、ずらっとある乗り物が並んでいました。黒字で書かれた数字に斜線が引かれ、赤字で新しい数字…価格が大きく紙面に踊っています。


 《新学期の通学には新しい自転車で! 今なら盗難保険無料キャンペーンも!》


 「私に…自転車の乗り方を教えてくれぇーーーーーーーっ!!!!!」


 ワルキューレの魂からの咆哮は、異空間を軋ませるほどに真摯で悲痛なものでした。


            〜 転ばぬ先にあるものは 〜


 「…なるほど。魔界軍の訓練スケジュールに変更があって、新たにトライアスロンが組み込まれた、と」

 がっくりと項垂れ、覇気を失ったワルキューレから、小竜姫が根気よく事の次第を聞き出してみるとなんのことはありませんでした。

 魔界軍の訓練は魔族の気質のせいもあり、非常に苛烈極まりないものです。中でもワルキューレの所属部隊である特殊任務遂行第2大隊は、訓練途中での脱落者数が飛びぬけて多く、死傷による強制脱落も少なくありません。個人の強さを重んじる魔族です、脱落者に対しては侮蔑と卑下、生涯付きまとう屈辱の日々が待っています。
 ワルキューレは第2大隊でも優れた成績を誇る、模範的軍人。弟共々一目置かれる存在でした。

 「走るのも! 泳ぐのもいい!! だが、なんなのだ自転車とは!? そんなものを利用する状況が、我々の任務中に存在するか!? いやない! ないったらないー!」

 特殊任務の多くは、単独で行うもの。彼女が過去に遂行した、美神令子の護衛任務も単独でした。逆に言えば、スタンドアローンによる戦闘力の高さが必要なのが、特殊任務遂行部隊なのです。
 移動手段にしても、基本は高速・隠密・機動性が求められるので、身一つでの行動がほとんどです。身体能力に優れる魔族が、バイクや自動車といった外部移動手段に頼っていては困りますし。

 「無論! 無論だ! 怪我やその他事情によって身体能力が激減している場合は、そのような移動手段を取ることもある! だがー! それでも自転車はありえん!! 自転車漕ぐくらいなら、走ったほうが絶対速い! どんなに怪我が酷かろうが、毒に蝕まれていようが!」

 万難を排して有事に臨む。魔界軍ならずとも、必要な心得ですよね。ここでいう万難とは、文字通り『あらゆる困難』であります。つまり、想定する困難はあらゆる状況、あらゆる境遇での困難、となります。

 『あ、じゃあアレだよね? こっちの移動手段がさ、自転車しかないなんていう笑えない状況だって考えられるよね? ん、ある意味笑える?』

 神魔族間で協定が結ばれているとはいえ、いついかなる時に、デタント状態が崩壊し、戦争になるかは分かりません。軍上層部の考える万難の最悪ケースが地上界を巻き込んだハルマゲドンなら…自転車に乗ることだって必要かも知れません。

 「私には! 『あ、あるかも? じゃあ自転車の訓練もさせよっか皆に?』等と軽い調子で書類に判を押してゴーサインを出した軍上層部の姿が!! 手に取るように見えるーーーーーっ!!」

 憎しみで人が殺せたら。
 今のワルキューレの憎悪の念は、一般人なら死ねるかも知れませんが魔族相手ではちょっと足りないでしょうね。
 握り締めていた六道サイクルのチラシは、青白い炎を上げて燃え尽きてしまいました。

 「はー……でもワルキューレ。そんな事情でしたら、大半の魔族の方は自転車に乗れないのでは?」

 「……ジークは…」


 『よっと。へえ、姉さんこれ意外と簡単ですよ! 片手離しっ! はははは、面白いや! …ね、姉さん!? 何故に僕に重火器なんて向け…!? うわ、うわああああああああああああああああああ!?』


 「………初見で乗りこなしたのだ。姉たる私が…そこで乗れないなどと言い出してみろ!? 部隊内で笑いものになること請け合いではないかっ!?」

 何を思い出したのか、冥いオーラを撒き散らしながら吠え立てる大尉さん。

 「落ち着いて下さい。とにかく、貴女はここに修行に来たというわけですね? 多少本意とは違いますが、そういうことなら歓迎しますよ」

 オトナの余裕というのでしょうか。小竜姫は母性溢れる微笑でワルキューレの肩を抱くと、ぽんぽんと叩きました。藁をも縋る思いのワルキューレにとって、その暖かさは魔族でありながらも、女神の慈愛を感じるに十分です。

 「小竜姫…済まない…っ! 私はもう、お前しか頼る者がいないのだ」

 「お任せ下さい。妙神山修行場を預かる神族として、そして一友人として必ず! 貴女を一人前の自転車乗りにしてみせます!」

 どーん、とちょっとだけボリュームの足りない胸を叩き、小竜姫は請合います。力無き者に手を差し伸べるのは、神族の勤め。ましてや苦しんでいるのが己の親友と来れば、助けない道理がありません。

 「では早速始めましょう。で、自転車は用意出来ているのですか?」

 「勿論だ。ジークが乗っていたのを強だ…接収してきた。ちょっと待っていてくれ」

 そう言って、ワルキューレは転移していきました。ややもせずに戻ってきた彼女が担いでいたのは、多少の硝煙と血しぶきに塗れているママチャリです。火薬臭いのですが、そこは歴戦の兵たる小竜姫。別段気にすることもなく、興味深げに乗り物を見回します。

 「…ふ。ワルキューレ、あなたが乗れないのも無理はありませんね、これでは」

 がしゃこん、とスタンドを蹴飛ばして自転車を立てたワルキューレは、驚愕に目を見開きました。自分では発見出来なかった構造上の不備かなにかを、この神族の慧眼はあっさり見抜いたのでしょうか。

 「な…! 小竜姫、それは一体!?」

 その問いには答えず、優しい手つきで小竜姫はママチャリのベルをちりりんと鳴らしました。
 サドルを一撫でし、前面に取り付けてあるライトを覗き込み。ワルキューレは固唾を呑んで小竜姫の一挙手一投足を見守ります。

 「…ワルキューレ。普段私たちはどうやってこの地に立っているでしょう」

 「は? それはこうして、両の足で踏みしめて…」

 「その通り。こうしてしっかりと地面を掴まえているからこそ、私達は力強く立つことが出来る」

 小竜姫は時々、とても遠回しに物事の本質を語るときがあります。お説教好きで、普段から修行者に対して精神論や根性論を語っているので、仕方ないのかも知れませんが。
 だからこそ、ワルキューレは今の彼女が、とても大事なことを語りかけてきているのを、理解していました。教わる立場じゃなけりゃ、『いいからさっさと本題に入れ鬱陶しい』と一蹴してしまうところですが。

 「自転車も同じく。この乗り物を己が足のごとく動かすためには…地面をしっかりと噛む必要があります」

 そこまで言って、やれやれと肩を竦める小竜姫は…とても優しい笑顔で言いました。

 「故に、車輪が二つしかないこの自転車では、立つことは愚か走ることなど夢のまた夢ですね。ワルキューレ、あなたほどの者がどうしてそれに気づかないのです?」


 「………………………………………………………」


 こちらを哀れむような目線に、ワルキューレが思い出したのは、痛い過去でした。


 『く、この防衛線はもう保たんぞ!?』

 『大尉殿! ここは自分に任せて戦線から離脱を!』

 『ジーク! それではお前が!』

 『大丈夫ですよ姉上…僕にはこれがありますから!』

 『これ? って貴様また怪しげな魔界通販に手を出したな!?』

 『心配いりません! この『アスモデウスの指輪』は本人の鑑定書付き! 今までに購入した方々の素晴らしい体験談も効果を裏付けています!』

 『だからそれが眉唾だと言っているだろう!?』

 『購入者番号2045番のDさん…僕も貴方のように生き残ってみせます! さあ! 姉上は離脱を! たぁーーーーーっ!!』

 『ジーークーーーーーッ!? 死ぬから! それは死ぬからーーーっ!!!!』


 ああ、当時のジークと今の小竜姫がダブって見える。

 「つまり、この自転車は不良品! 本来なら、恐らくはもう一つか二つ、車輪が付いているはずなのです!」

 非の打ち所の無い、見事な論理です。ワルキューレは、自転車に乗れないくらいで大騒ぎしていた自分を恥じました。上には上がいるんだな、と。小竜姫は恥ずかしい人番付で言えば大関クラスです。序二段クラスの自分では太刀打ちできません。というかしたくありません。

 「小竜姫…分かった、分かったから…一緒に頑張ろう? な?」

 無知の知を知る、という格言があります。この場合は無恥の恥を知れ、でしょうけれど。ワルキューレは労わりの気持ちを前面に押し出して、小さな大関を抱擁して慰めました。

 「え? 何ですか? ワルキューレ?」

 「もう何も言うな……言えば言うほど格付けが上がっていくから…」

 「??」

 すれ違う気持ちとは、今の二人の心境を言うのでしょうか。

 ただ、ワルキューレの小竜姫に対する友情が、半分くらい同情になりかけたのは、小首を傾げている小竜姫を見ていると納得出来なくもありませんね。


 「ワルキューレ…そんなにショックでしたか? 私に自転車の真実を聞かされて…」


 いえあなた自身の真実がショックでした、とはとても言えない魔界軍大尉でした。


 真実とは残酷なもの。
 自転車が二輪車である、という天界震撼の驚愕事実に打ちのめされた小竜姫は、人の価値観というものは容易く崩壊するのだな、とママチャリを見つめながら韜晦していました。

 「…小竜姫よ。腐っても恥ずかしくてもお前は武神。こと運動能力にかけては、私よりも上のはず。お前ならこの悪魔の乗り物を手懐けることが可能かもしれん」

 「し、しかし…これは物理に反しています。車輪の接地面積が前後2点のみでは体勢の保持が出来ません…! これでは…搭乗し、この保持器具を外した瞬間、バランスが崩れて倒れてしまいます…」

 保持器具とは、スタンドのことです。悪魔の乗り物なら大尉さん乗れるだろ! という突っ込みは些事ですね。ワルキューレのママチャリを見る目は、強敵を睨むというより、鑑定不能の呪いアイテムを見つめるような感じでちょっと怖々したものですから。魔族だって呪いは怖いのです。

 「しかし、人間は、生まれて10年もせぬ内から自転車を乗りこなすというぞ。人にあって我ら神魔にない『何か』が、存在するというのか…いや、ジークが乗っていた事実が、特別な感覚の存在を否定している」

 ワルキューレも小竜姫も、物事を理論的に推測し、合理的な答えを導き出すタイプなのでしょうか。お母さんが幼稚園の送り迎えに使うようなママチャリに、やたらめったら難しい公式を当てはめようとしています。

 「こうなれば、道は一つ。ワルキューレ、私がこの身をもって自転車の真実、確かめてみるしかありません!」

 自転車はメソッドやロジックで乗るものではないんだ、と小竜姫は強い決意を露にしました。

 「剣を交わせば、互いの気持ちも見えてくるはず…! さあワルキューレ、この、荷台部分をしっかり支えていて下さい! 離したら駄目ですよ!? 絶対ですよ!?」

 「あ、ああ。落ち着いていけ、小竜姫…ああそうだ」

 涙目で言い含めてくる小竜姫を制して、ワルキューレは自分の貴重な体験を話すことにしました。死地へ挑む友への、せめてもの餞別にと。

 「私が魔界で試したときなんだが」

 「はい」

 「このペダル部分を見てみろ? そう、ギザギザになっているだろう? 踏み外す事故を減らすための、滑り止め仕様なのだが…私は、焦っていたのだろうな」

 ふ、と。遠い故郷を思い出すような儚い目をしたワルキューレは、自分の足元へ視線をそのまま落としました。
 若かりし頃の過ちを語る。今の彼女は全てを受け入れ、克服した者の表情をしています。小竜姫ですら一瞬、彼女の表情に見とれてしまったくらいです。

 「力強く漕いだ足が、ペダルを勢いよく空回りさせてな。高速で一周してきたペダルに…」

 「ペダルに…?」

 「脛を砕かれた」

 「―――――――――――――――っ!!??」

 「ちょっと誇張したが、ギザギザがとっても痛かったぞ。さあ小竜姫、私の二の轍を踏むなよ! 行け! 羽ばたけ!」

 魔族の強靭な握力でもって荷台を支えたワルキューレ。準備は万端ですが、肝心の小竜姫が、サドルに跨ったままふるふると震えて動きません。ワルキューレの語った『高速ペダル、ギザギザ脛強打事件』の余りの恐ろしさに、一歩が踏み出せないのです。

 「わるきゅーーーれぇぇぇぇぇ…なんでそんな話したんですかぁぁ? ぐすっ」

 「? 何がだ? 予見出来る問題点を指摘し、注意を促す行動にどこか不満が?」

 「……ぐすっ。もぉいいです…」

 力んだ足がペダルを逆回転させてしまい、踏み外した足の脛を強打することは、よくある事故です。小学生くらいの子供がそうやって傷をこさえますね。
 小竜姫は未知の乗り物による未知の攻撃の恐怖から、すっかり体が萎縮してしまったようです。

 「大丈夫、私は武神私は武神私は武神…転んだって泣きません」

 そう、彼女は小さな身で大きな剣を振るい、勇猛果敢に敵に挑んでいく竜の一族。たかが脛を食う魔物(ママチャリです、念のため)程度に遅れをとってはいられません。

 「ワルキューレ、行きますよ!」

 「いつでも来い!」

 「はあああああああっ!!」

 小竜姫の周りに、彼女の発した霊気が風のように巻いて流れていきます。気合は十分、覚悟も完了。
 意を決して、小竜姫はスタンドに足をかけました。

 「この小竜姫と出会ったからには、往く事も退く事も叶わぬと知りなさい!! てやっ!」

 こんなことで使っちゃいけない決め台詞まで叫んで、小竜姫はスタンドのストッパーを蹴り上げ、重心を前へと移しました。

 「! っと、っは、きゃ、っやああ!」

 キコキコ、と少し油の足りない音を出しつつ、ゆっくりとママチャリは前へ進みます。ワルキューレの的確なサポートもあって脛を食われることもなく、小竜姫は近年浮かべたことのないような明るい笑顔で後ろを振り返りました。親友…いえ、今や戦友の戦乙女もまた、片手を上げて軽い敬礼をして見せます。

 「流石だな、小竜姫…私のサポートがあるとはいえ、一発で乗ってみせるとは」

 「伊達にっ、妙神山でっ、修行の日々をっ、過ごしてっ、いるっ、わっ、けっ、ってワルキューレ! お願いですから両手で支えてーーっ!?」

 「あ」

 乗り手の小竜姫が後ろを向き、支えているワルキューレが片手を離した結果。
 焦った小竜姫はペダルを踏み違え、ギザギザのペダルが高速で回転し。
 とうとう牙をむき出しにした獰猛な魔物は…


 「―――っ!」


 ワルキューレの脳裏には、涙目で自分の脛に魔界軍特製の打撲・擦り傷用軟膏を塗る様子が、フラッシュバックしていました。
 その恐怖に思わず『両手で』自分の体をかき抱いて…

 「あ」


 ガツ、と鈍い音が脛辺りに。抗いがたい激痛が小竜姫を襲いました。
 次いで、支えを失った自転車が迷走を始め…
 パニックに陥った小竜姫に、自転車を制御する術は無く。
 舞台のはじっこから、横倒しになって自転車諸共に…

 「小竜姫ぃーーーーーーーーーーーーーーっ!?」

 ワルキューレの居場所から最期に見えたのは、力無く伸ばされた、彼女の華奢な右腕でした…

 「というか、最後まできちんとハンドルを持っていないと駄目ではないか」


 「いったあああいいいーーーーーーーーーーーーっ!!!」


 舞台の段差から転落した小竜姫の悲鳴は、彼女の心に確かなトラウマを残した証になりました。


 「…数十度の試行で、自転車という乗り物の持つ特性のほとんどは掴めたと言っても過言ではありませんね、ワルキューレ」

 「うむ。この魔物は自走することによって接地面積を点から線へ変える。そうして自身の重量を加速によるベクトルの分散によって均一化し、バランスの保持を行うのだ」

 妙神山の山頂に存在するこの修行場、下界よりも僅かに夜の訪れが早いのですが。
 太陽が高い頃から、二人の神魔族が行ってきた乗車訓練は、そろそろ佳境を迎えようとしていました。夜の帳が降りきる寸前の、そうですね、名句をもらって『昼と夜の一瞬の隙間』、そんな時間帯のことです。

 「ここまで丸裸にしてしまえば、既に恐れるものなどありません…さあワルキューレ、止めを刺してしまいましょう。颯爽と乗りこなして弟さんを見返してやりなさい!」

 「ふ…何を言う小竜姫! 恐るべき魔物の全てを看破したのは、紛れも無くお前だ。私はサポートに徹しただけに過ぎない。こいつを屈服させる役目、業腹だが神族に譲ろうではないか! さあ乗れ!」

 「いえ貴女が!」

 「いやお前が!」


 太陽が山肌に落ちきってしまい、よくは見えませんが。小竜姫、ワルキューレ共に全身擦り傷だらけのアザだらけ。過酷な修行痕にも見えますが、全ての傷は一台のママチャリがつけたもの。

 「…どーして乗れないんでしょうねー」

 「何故だろうなー……」

 舞台中央に鎮座するママチャリ。まるで妙神山が祀っている御神体のようです。二人は舞台の端に腰掛けて、御神体に背を向け不甲斐無い己を恥じていました。

 「く…情けない。己の百分の一も生きていない人の子ですら、会得出来る技術だというのに…」

 「重火器は扱えても自転車は扱えないのか、私は」

 自嘲気味になるのも、仕方がありません。


 「「はあ……」」


 力無いため息が揃って漏れたとき、狙ったように救世主は現れました。異空間の扉を開け、逆光を浴びて舞台にシルエットを伸ばすその人は。


 「何を黄昏ているんでちゅかこの馬鹿共はぁーーーーーーーっ!!!!」


 高く幼い怒声は、インパクトだけはありました。妙神山預かりの魔族パピリオ。この後二人が師と仰ぐことになる存在が、ここに降臨したのです。


 「パピリオ…目上の人に馬鹿とは何事ですか。仏罰、下しますよ」

 「私も混ざっているのだな、馬鹿の内に…ちょっと驚いたぞ」

 パピリオ登場のテンションとは裏腹に、二人のソレは上がりません。数多の敗北が、二人の戦意を失わせてしまっているのです。恐るべしは脛喰う魔物。

 「全く大の大人が情けないでちゅね…あまりに見てられまちぇん。二人とも、こっちに来るでちゅよ」

 御神体…ならぬママチャリの横にずんと立ったパピリオ。妙な威厳を漂わせて保護者とその友人を手招きします。
 もう近寄るのも嫌だと言わんばかりの二人に、小さな少女は口元を歪めてママチャリを指し示しました。

 「二人とも、コレを制したいでちゅか? コレを乗りこなして、汚名返上したいでちゅか? 正直に言うでちゅ」

 オトナ二人は困惑しながらも、その問いに首を縦に振って答えます。

 「よろしい。ではこれを見るでちゅよーっ!」


 パピリオは蝶から生まれた魔族。
 夜空に舞った彼女は、まるでモンシロチョウのように可憐でした。アゲハのように華麗になるには、もう10年くらいは必要ですね。
 着地するのは勿論、ママチャリのサドル上。そのままでは足が届かないので、立ち乗りのようにしてペダルに足をかけ、躊躇なくスタンドを蹴倒します。


 「パピリオ?! 危険です、よ…!?」

 「これは……!?」


 万物には命が宿ると言います。そう、ほんの数分前までは単なる鉄のフレームの集合でしかなかったママチャリが、パピリオという適格者が乗り込んだ瞬間、生命を得たのです。
 ライトを光らせ、縦横無尽に舞台上を駆け巡るその姿に、小竜姫とワルキューレは息を呑みました。薄暗闇の中、キコキコキコとアグレッシブに走り回るママチャリからは、脛喰う魔物の面影など微塵もありません。

 「…なんと…逞しい姿…」

 「まるで…雄雄しき軍馬のようではないか…!」

 小さなパピリオが体格に合わない大人用自転車を駆る様を見た感想は、人間には理解しづらいものでしたが。
 後輪を僅かにスライドさせて停車したパピリオに、誘蛾灯に誘われる蛾のごとくふらふらと近づいた二人は、どちらともなく跪いて頭を深く垂れました。

 「一体、貴方様は何処でこんな技術を…?」

 小竜姫の問いに、パピリオは無言で懐から一枚のカードを取り出しました。無言ですが、すっごい得意げなのはお子様の証拠です。

 「これはっ!?」

 「これは東京都荒川区で発行されている『自転車運転免許証』!?」

 「ワルキューレ知っているのですか!?」

 「知りたいならば教えてあげまちゅ! これは…」

 ママチャリの荷台に立った(危険ですから真似しないように)パピリオは、口を開こうとしましたが…

 「平成14年7月に荒川区内で交付が開始された、れっきとした公認免許だ…! しかしこれは荒川区在住及び在勤の人間で、しかも筆記・実技試験そして実地講習を受けねば取得不能の狭き門! パピリオ、お前が何故それを持っている!?」

 「詳しいでちゅねワルキューレ!? パピもそこまで知らなかったでちゅよ!?」

 ワルキューレは模範的軍人です。自転車訓練の事を知った際に、自ら出来る範囲で情報を集めていました。自転車運転免許制度も情報の中にありましたが、自らが語ったような事情もあって、取得を断念していたのです。
 というか、ゼロから教えてもらう類の免許ではありませんから。それでもちょっとだけ欲しかったのは、ワルキューレだけのひみつです。

 「簡単に言うとでちゅね」

 パピリオは免許証を懐に入れ直しながらさらっといいました。

 「ぶっちゃけ住民票とか偽造しまちた」

 「わ、悪い子がここにーーーーーーっ!?」

 「区内の小学校に偽造書類で転入して、手続きしたんでちゅよ」

 「ああああ……パピリオが悪の道に……私はベスパさんになんと報告すれば…」

 細かいことを言えば、偽造うんぬんは全て人間の法律です。魔族であるパピリオに適用はされないでしょう。最も、神魔族の罰則は人のそれより厳しいのですが。小竜姫が頭を抱えるのも無理はありません。
 …偽造書類一式を整えたのが、小竜姫のもう一人の親友だと知ったら、雷鳴のような仏罰が彼女に落ちるでしょうね。八つ当たり分も含めて。

 「だが…パピリオが自転車操縦のプロであることに間違いはない…くっ!」

 ワルキューレも規律にはうるさいのでしょうが、今回の事情は全てに先んじて行うべき優先事項。何しろトライアスロン訓練まで日にちがないのですから。

 「マスター・パピリオ! 私に…貴女の力を貸してくれ!」

 「修行は辛く厳しいものになりまちゅよ…構いまちぇんか?」

 「無論だ! 魔界軍大尉の肩書きにかけて、どんな地獄の特訓にも耐えてみせる!!」

 荷台から飛び降りた(危険ですから!)パピリオは、傷だらけのワルキューレの肩にそっと手を置いて、お空の星を指差しました。適当に。

 「そこまで言うなら暇つぶしに教えてあげまちゅ! あそこに見えるトップ・オブ・ママチャリストの星を掴ませてあげまちゅよ!」

 「あ、わ、私も! パピリオ師父! 私にもご教授下さい! お願いします!」

 厳しくも暖かな師弟関係に結ばれた魔族二人を見て、慌てて小竜姫もパピリオに土下座して頼みます。ここまで来て置いてきぼりは嫌でした。

 「ならば冷蔵庫の蜂蜜プリンを2つともパピに献上する事でちゅね」

 ここぞとばかりに、いつもは頭の上がらない保護者に向かって、要求を突きつけるパピリオ。一つ300円以上もする高級プリンは、つい先日、とある神族がお土産に持ってきたものでした。奇しくも、偽造書類を製作した彼女が。
 小竜姫の目が逡巡に揺らぎます。仏道に仕える身とて、甘いものがおいしいことに変わりはありません。甘露の如きあの味わいを思い出して、小竜姫の迷いはピークに達しました。

 「…………っ! 仕方ありません…っ! 武神として、この魔物に屈服したまま背を向ける訳には!!」

 「商談成立でちゅね。では今夜から特訓を開始するでちゅよ! 明日の夜明けごろには、お前たちをトラウマから解放して、いっぱしの自転車乗りにしてみせまちゅ!」


 こうして、パピリオ先生による良い子の自転車教室が開催されたのでした。

 時に地に伏し、

 時に涙を流し、

 時に鞭打たれて。

 夜明けを告げる輝かしい朝日が、妙神山を照らし出した頃…

 そこに佇んでいたのは、最早魔物の恐怖に怯える無力な兎ではなく、死線を潜り抜け生死の境を彷徨った一戦士…そう、フェダーイン・ワルキューレの姿です。

 「戦士ワルキューレよ。パピの修行に良く耐えまちた。『コーンを倒さずに8の字走行』、この最終訓練に合格したお前は、既に立派な自転車乗りでちゅ」

 「マスター・パピリオ…!! 私は…っ!」

 「泣くんじゃありまちぇん! パピまで涙が出て……ふあああふぅ」

 パピリオの涙は、あくび混じりでした。いつもは日が落ちると同時に眠っていたので、今回の徹夜訓練はちょっぴり堪えました。…まだ子供ですから。

 「目がしばしばするでちゅ…眠ぅい…まあそんなわけで良かったでちゅねワルキューレ。パピはもう寝まちゅ。おやすみぃー」

 「有難うございました! マスター・パピリオ!」

 徹夜なんてどうってことのないワルキューレは、踵を鳴らして、とても綺麗な形の敬礼をマスターへ送りました。
 パピリオの小さな背中が、今はこんなにも大きく見える…ワルキューレは万感の思いを抱いて、去っていくパピリオを見送るのでした。


 「……小竜姫よ。お前はとっても頑張った。今は眠れ…安らかに」

 敬礼姿勢のままのワルキューレ、実は足元にボロ雑巾のようになった小竜姫を寄りかからせていました。口元が、なにやらぶつぶつと動いています。

 「自転車怖い魔物怖い脛痛い転ぶのやだお家帰る自転車怖い魔物怖い脛痛い転ぶの…」

 気を失って尚、気高き武神は悪魔と戦っています。ワルキューレは零れる涙をベレー帽のつばで隠して、ボロ雑巾のような(二回目)姿の親友を優しく地面へ横たえました。

 「努力だけでは乗り越えられない壁、か……認めたくないものだな」

 体力と、何故か霊力まで使い果たして泥のように眠る小竜姫は、まぶたもぴくぴく動いています。いい夢を…見ているわけありませんね。

 「うあああ……きこきこきこきこって……ぎざぎざ……きざきざがぁぁぁぁぁ……」

 うわ可哀想。ワルキューレは声に出さず思いました。しかし、彼女は立ち止まっていられません。傷だらけのママチャリに跨ると、呻く小竜姫を一瞥してからびしっと敬礼し、魔界へと転移していきました。

 「ふふふふふ…待っていろジーク! 私の華麗な運転で度肝を抜いてくれる!! では失礼するぞ小竜姫! ふははははははははっ!」


 …しかし彼女は知りませんでした。

 魔界で姉の帰りを待っていたジークが、暇つぶしの余興で一輪車に跨って綱渡りまでこなしていることを…!

 そして、それを見た軍上層部の魔族が『あ、一輪車でしか移動出来ない場合ってのもあるんじゃね?』的な会議を始めたことを…!

 魔界軍の訓練は本当に苛烈ですね?


 さて、物語冒頭で『二人の来客』と言っていたのを、覚えておられるでしょうか。
 一人はワルキューレです。
 そして、もう一人は…


 「おいパピリオー? んだよ、昨日の夜から姿消してたと思ったら…」

 「ヨコチマ、おんぶしてー…パピ眠くて…」

 「うわフラフラじゃねえか、ったくしゃあないのー」


 そう、ワルキューレが訪れる前に遊びに来ていた、我らが横島忠夫その人でした。

 彼の登場で、物語はフィナーレを迎える準備が整ったといえるでしょう。


 結局彼の背中で眠ってしまったパピリオを、ゲームやらぬいぐるみやらが散乱する彼女の部屋に寝かせた後、横島は麗しの竜神様を探して行動を開始しました。

 (猿はゲームに夢中! パピリオはあの様子じゃ昼まで起きねぇ! 鬼門はどうでもいいし…つまり! 今! ここで自由に動けるのは俺のみ!)

 今の時間帯なら、小竜姫は自室で眠っているはず。モーニングコール代わりに起こしに行ってあげることに、なんら罪悪感はありません。起きぬけのぽややんとした小竜姫なら、霊力満タン、気力充実の今の横島が初速で負けることもないし。

 「小竜姫様ぁーーーって、いないし。向こうか?」

 妄想しつつも小竜姫の寝室に辿り着き、音もなく障子を開けて…布団すら敷かれていない部屋の様子に首をかしげます。
 直ちに横島は霊力とも超能力とも異なる謎のセンサーを起動し、小竜姫を探し始めました。

 程なくして、横島は異空間内へと到達。恐るべき精度のセンサーです。

 「小竜姫さ…ぐあはっ!? なんて無防備な姿で寝てるんだこの人!?」

 思わず叫んでしまったのは失策でしたが、舞台で仰向けになって無防備な寝姿を披露している小竜姫には、届いていませんでした。
 横島の本能が、チャンス到来を知らせます。何をするってナニをするためのチャンスです。こうもあられのない姿を見せられては、我慢出来るわけがありません。

 「横島突貫します! 小竜姫様ぁーーーーっ! こぉーーんなところで眠ってたら『怖い悪魔』に食べられちゃいますよほーーーーーーーーーうっ!!」

 助走もそこそこに、横島は眠り姫に向けてダイブを敢行しました。もう空中での姿勢制御もお手の物です。
 けれど、横島は知らず知らずのうちに自分が、地雷を正拳突きもしくは踵落としで触れていたことに、気づいていません。

 「怖い悪魔………魔物……ぎざぎざ……ぎざぎざぁぁーーーーーーーーーっ!!!!」

 かちり、とスイッチが入った音が聞こえました。
 横島のダイブする姿と、一つ目を光らせて(ライトです)悪霊の如き悲鳴をあげて(ベルです。ちりりん)、自分の脛へと喰らいついてくる魔物(ママチャリですね)の姿が重なり合って、トラウマスイッチ、オン。


 「ぎざぎざぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」


 「ギザギザって何やああああああぁぁぁぁーーーーーーーっ!?」


 惨劇の朝となりました。小竜姫の振るう神剣は両刃なので、峰打ちが出来ないんですね。一体どこにこんな暴力が残っていたのでしょう、小竜姫。純粋な暴力は見ていて気持ちいいほどです。


 型どおりのオチが演じられたところで。

 『毎日がお祭り』で有名な妙神山修行場よりお暇しましょう。


 …え? 私?

 そうですね。天界で最も暇な者、とでも言っておきましょうか。ふふ、お約束ですね。すっきりしました。

 おっと、そろそろゴルフの約束の時間ですね。

 では皆様にも主の祝福があらんことを。コレ、自分で言うとちょっと引きますね?


 では、また。


 終わり


 後書き

 竜の庵です。
 壊れ指定、初挑戦の馬鹿話を一つ。
 おなか一杯になりましたよ……でも楽しかった。
 ギャグオンリーのお話にしては、長くなったと反省も。
 よければ感想など頂けましたらありがたいことです。

 では、この辺で。最後までお読み頂き有難うございました!


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