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▽レス始

「ディスプレイス 2(GS)」

こーめい (2006-06-30 23:59)

 タマモちゃんによる前回のあらすじ

 おキヌちゃんが心を込めて作った「等身大タダオ君」ぬいぐるみは、簡単な霊能グッズになっていました。
 製作者としては、これに「恋する気持ち(はぁと)」をぶつけることで本人に伝わったらいいな、という程度のものでしたが、このぬいぐるみは何故か、自らの身に受けたあれこれを、本人に触られると倍にして返す能力を持ってしまったのです。

 これにおキヌちゃんやシロが甘え、タマモちゃんがクッション代わりにしていた……だけなら問題なかったのです。
 ですが、これにこっそりと思いっきり甘えてしまった美神さんは、それを全員に、そう、横島にまでも目撃されてしまいました。

 美神さんの甘えっぷりに嫉妬するおキヌちゃんとシロ。しかし、彼女らが美神さんに詰め寄る前に、横島が暴走。
 某怪盗の孫もびっくりの脱衣跳躍で飛び掛り、驚異的な空中制動で迎撃をかわして目標の美神さん――から外れてぬいぐるみを抱擁しました。
 当然、これまでの感触を倍増して返す等身大タダオ君。しかも何故か最後に受けた、横島自身の感触から返す意地悪さです。

 男に抱き締められ、唇を奪われ、何かを押し付けられる感触を受け取った横島は、あえなくその意識を手放したのでした。
 それを見ていたタマモちゃんは、生まれてこの方これ以上ないというほどに笑い転げましたとさ。めでたしめでたし。



 さて現在。
 タマモは笑いがようやく収まって、涙を拭きながら辺りを見回した。

 横島はソファーに寝かされていた。その顔色は悪く、血の気が完全に引いている。
 煩悩を霊力源とする彼にとってあんまりな精神的苦痛だ、ほんとに死んでもおかしくない。

(死因があれじゃ、死んでも死に切れないでしょうね)

 また、問題の原因となったぬいぐるみ、等身大タダオ君は、横島のすぐ横に放置されていた。

 ちなみに、横島に何が起こったかは、美神が調査したので、全員おおよそは把握している。
 タマモも笑いながら聞いていた。男に抱きつかれた感触で死に掛けるなんて、とさらに笑いを誘ったものだ。

 で、彼は未だ服を着せてもらっていない。異性に不慣れな女性ばかりだから当然かもしれない。
 その様子に少し興味を引かれる。引かれるのだが……

(こいつに今いたずらしたら、やばい、か……)

 何せ、向こうではシロとおキヌが、美神を床に正座させて尋問中である。普段はまず見られない光景だ。
 どうやら、先ほどの醜態により完全に立場が逆転しているらしい。
 横島への求愛行動(?)を見せただけであそこまで追求されるとなると、これ以上横島にちょっかいを出すのは危険だ。

 まあ、普段強気な美神が問い詰められている様子も、これはこれで面白い。
 どんな展開になるやら、と期待を持ちながら、タマモは彼女らに近づき、尋ねてみた。

「……ねえ。何を聞き出したの?」
「うむ、まずはあのぬいぐるみに何をしたか、詳しく聞いたのでござるが……」

 シロが答えたところによると、それはもう吸ったりしがみついたり舐めたり頬ずりしたり囁いたり押し付けたり転げまわったり。
 想像するだに赤面モノ。横島本人にそれらの感触が伝わったら、鼻血を振りまき狂喜乱舞して昇天しそうな内容である。
 しかしもちろん、相手は無機物。

「ぬ、ぬいぐるみ相手にそこまで……まるっきり変態ね……」
「ぐっ……」

 呆れ交じりの言葉にも、美神は唸るしか出来ない。顔が赤いのは、怒りか羞恥か、それとも自らの気持ちを自覚しかけているためか。
 そして、そこにおキヌとシロの突っ込みが入る。

「最初っから横島さんのこと好きだったんでしょ?」
「まったく、ひねくれ者にもほどがあるでござるよ」

 とっさに美神は否定したが、説得力がなさすぎる。

「そ、そんなことないわよ!? 私が横島クンに、なんて――」

「「あれだけやっといて何を今更?」」

「うあううぅうぅうぅうぅ……」

 案の定それ以上反論できず、赤くなって縮こまる美神を、こちらもやや興奮気味の顔でにやにやと眺める二人。やや悪者風である。
 彼女らと美神で美神の方が立場が弱い場面などそうそうない。しかも、美神が反論も出来ないとくれば、追求する二人がちょっとばかり優越感に浸るのも無理はないだろう。

「だ、大丈夫なの? そんなこと聞くとまずいんじゃ……」
「知ったことではござらん。拙者らは正しい情報を知る必要があるのでござる」
「情報を制するものは世界を制すんですよ。うふふふふ」

(ていうか、その辺を強く自覚させると不利じゃないの?)

 冷や汗混じりに差し出されたタマモの言葉は、ヒートアップしているおキヌとシロには聞き入れられなかった。


 そんなこんなで騒いでいるこのタイミングで、小さなうめき声が一つ。

『う、ううん……』

 全員の目がソファーに集まった。横島が、ようやく意識を取り戻したようだ。
 二人が素早く美神の前に立ち塞がる。険しい顔で、いつになく高出力の霊波刀を構えるシロ。ネクロマンサーの笛を手に取り微笑むおキヌ。
 なにを想像したのか、美神は我が身を抱いて赤くなる。タマモは脇に退きつつ、さあ何が起こるかと期待に胸を躍らせた。

 沈黙の一瞬。

 そしてついに、彼は目覚めた。
 がばっと勢いよく上半身を跳ね上げて、わずかに呆けた後叫ぶ。

『はっ!? あれは……やっぱ夢オチ!?』

 果たしてそれは吉夢か悪夢か。思い返したのか、一つ身震いする。

『くそっ! 嫌な感触が消えねー。こうなったら夢よもう一度……!』

 などと全然懲りない台詞を放ち、女性陣を振り返ったその先には。

「「「………」」」

 顔全体で「あんぐり」とか「ぽかーん」と言う言葉を体現する、放心状態の女性陣が突っ立っていた。


『……は?』

 あまりの間抜けな様子に、彼の中で盛り上がっていた気分がぷしゅーと抜けていく。
 量が多すぎて抜けるのに時間がかかっているその間に、女性たちは再起動を果たした。

「み、美神さん、あ、あれ……」

 震える指で横島を指すおキヌ。

「え、あれ、え? そんなはずは……」

 美神も声に動揺を隠せず、横島と、そのすぐ横の何かに交互に視線を走らせる。

「せ、先生が、先生が!?」

 ショックで霊波刀が消えていることにも気付かないのか、構えたまま硬直しっぱなしのシロ。

「……ほんと、あんたって予想付かないわね……期待以上だわ」

 笑い混じりのタマモの呟き。何を期待していたのか、横島に向けて握りこぶしを向け、親指を立ててみせる。


 彼女らの反応に不安になった横島は、自分の体を見下ろしてみた。

 あちこちに血涙や吐血がついている。もう乾いているが、ややぼろい衣服にも染み付いてるようだ。
 手足が少しふらつく。だが、あんな悪夢のような感触を味わった後だ。ふわふわ体が軽い気がしたって仕方がない。

 それ以外には特に異常はない。痛いところもないし、手足だって傷どころか指一つない――

『……はいぃぃぃ!?』

(指って、おい? この人工物っぽい質感と、骨抜きになったような不安定さは何だ!?)

 慌てて自分の体をよく確認してみれば、指は分かれてないわ間接は逆に曲がるわ、それどころか体のどこもかしこもふにゃふにゃで痛覚もない。
 混乱して視線を左右にめぐらせると、目に入ったのは――横たわる「横島忠夫」の肉体!
 これは……まさか……!

『し、死んだ!? まだドーム一杯の裸の美女にもみくちゃにされつつ、ジョニー・B・グッドを歌う夢が実現してないのにいっ!?』
「武道館どころかドームっ!?」「どんな夢でござるか!」「永遠に実現せんわっ!」「何の歌よそれ?」


 全員の突っ込みが、慌てふためく「等身大タダオ君」に打ち込まれた。


「多分、あまりのことに無意識に肉体から逃げ出した横島クンの魂が、戻る体を間違えたのね」
「間抜けねぇ」
『間抜け言うな! 無意識にやったことなんだから俺に責任はねえ!』

 ぬいぐるみを囲んで、事務所の面々は現状の確認に勤めることにした。
 どう見てもこの言動は横島。で、横島の体をよく確かめれば、魂が抜けている。
 つまり横島は本気で死にかけたのだ。すぐに現世に戻ったものの、戻り先を間違ったらしい。

「美神どの、先ほどぬいぐるみを調べた際に、見抜けなかったのでござるか?」
「元々これに横島クンの霊力が混ざってたし、横島クンの魂が凄く弱ってたから、見つからなかったんだわ」
「……おキヌちゃんたちに追い詰められてて、慌てたせいもあるんじゃない?」
「そ、そんなことないと思いますよ? それより、横島さんは今はなんともないんですか?」
『え? ああ。特に不自由ないな。霊体だけの時とあんま変わらん。体が動かしづらいけど』

 等身大のぬいぐるみが喋るのは一種幻想的だが、今のこの光景は子供が見たら確実にトラウマになる。
 なんせ等身大タダオ君には、横島が気を失う時に流した血涙や吐血が、乾いてべっとり張り付いているのだ。
 その表情が笑顔で固定されているのが、ミスマッチでさらに怖さをかもし出している。

「血まみれの笑うぬいぐるみ……。ホラー映画に出てきそうでござるな」
「普段から幽霊や妖怪と顔を突き合わせるとはいえ、やっぱこういうのは慣れないです……」
『そう? 自分の姿は見えんし、あんまり判らん。鏡あったっけ?』

 そう言って歩くと、骨がないのでぐにゃぐにゃした動きになる。かなり不気味で怖い。おキヌが「ひっ!」と目を背けてしまう。
 血に染まるぼろぼろの衣服が、妙にリアルでひどく禍々しい。曰くのある呪いの人形と言っても信じてもらえそうだ。

 しかし見た目はともかく、落ち着いて確認してみればどうということはない。霊体に損傷もなく、すぐ元に戻れるだろうと判った。
 なら、積もる話は横島が元に戻ってからというもの。さっさと戻ってもらわないと、見てる方も落ち着かない。

「早く元に戻らないと、肉体が衰弱しちゃいますよ」
『それなんだが……俺、自分では幽体離脱出来ないんだけど』
「文珠を使ってはどうでござるか?」
「そのままで使えるの? 第一、もったいなくない?」
「じゃああのバーガーが、確か冷凍保管して――って、あ」

 そう言ってチーズあんシメサババーガー、別名幽体離脱バーガーを持ってこさせようとして、美神は固まった。

『どうしたんすか?』
「……横島クン、その状態で、物食べれないわよね?」
『……ああっ、そういえば!?』

 そう。このぬいぐるみ、顔はフェルトで描いてあるだけだ。

「じゃあ改めて口を開ければ良いでござろう」
「そっか、ぬいぐるみだから切っても痛くないはずよね?」
『そ、そうか、それなら』
「……駄目ね。あれは味が判らないと。魂が抜けるほど不味いだけで、別に霊的なアイテムじゃないんだもの」
「不味いだけであそこまでってのも大したものなんですけどね……」

 となるとバーガーで幽体離脱は不可能だということに。

 ならどうするか?と一同が考える前に、美神がぽんと手を打った。

「んー、仕方ない。使うの久しぶりだけど、この幽体離脱棒で……」

 そう言いつつどこからか、なにやら念の篭もった金属バットを取り出す。
 過去にも横島および白井病院の医者が体感した、幽体離脱用のバットだ。
 多分それなりに有名な霊具なのだろう。それにしてはどこかでよく見たメーカー名が書いてあるが。

 こちらの方は霊体を肉体から叩き出すので、今の横島にも有効なはずである。
 仕方ないと言いながら楽しげなのは何故だろう。彼女の歪んだ愛情表現が垣間見え、タマモは冷や汗をかいた。

『た、タンマタンマ! おキヌちゃんのネクロマンシーでなんとかなりませんか!?』

 バットの殴打は出来れば避けたい。その一心で横島が提案すると、美神は不機嫌になりおキヌはぱあっと顔を輝かせる。

「判りました! ネクロマンサーの矜持にかけて、私が絶対に横島さんの魂を引きずり出して差し上げます!」
『……え、えーと? なんだか言い回しが怖いんだけど』
「た、確かに……。まるで生者から魂を抜き出すかのようでござるな」

 鼻息も荒く笛を構えるおキヌに、横島や周りの人物が引き気味になった。
 それに追撃をかけるように、不機嫌そうな美神の解説が続く。

「あぁ、おキヌちゃんがその気になれば可能でしょ。生きてたって魂は魂だもの」
「マジで? ……ま、まあおキヌちゃんはそんなことしないわよね。……ね?」

 ネクロマンサーは主に死霊を扱うが、生霊を扱えないということではない。
 生きていても笛の音で、眠らせたりダウンさせたり退散させたりできる。強制的に幽体離脱させることも、不可能ではない。
 悪者死霊使いがそういうことをやるゲームや漫画は結構あることを、横島は思い出した。

「じゃあ、いきますよ!」
『おわっ!? ちょっとまった、心の準備が――』

 美神の脅しに身震いし、思わず背を向けて逃げ出しかける横島。
 だが、澄んだ笛の音が部屋に響き渡ると、その動きが止まった。


 ピュリリリリリリリリリリ………!


『こ、これは……!』

 直前の怯えなど霧散した。
 霊体に直接響く笛の音は、生身で聞くよりも、はるかに深く優しく体中に染み渡る。
 横島の心に映るのは、爽やかで、柔らかく、暖かい――安寧のイメージ。

 例えるならそう、まるで陽の光溢れる春の草原を、風が運ぶ花の香りに誘われて、蝶になって軽やかに飛び回るような……。

『ふわああぁ、癒されるぅぅ……』

 至福とはこのことかとばかりに、煩悩によるものとはまた違う、純粋な悦楽の表情を横島は浮かべた。


 ――だがその光景の端に、シロはふと違和感を覚えた。

「あれ、先生の頭上から光が……?」
「え?」

 見ると、なにやら神々しい光が横島の頭上から降り注ぐ。それは徐々に輝きを増し、まるで光の柱のごとくなってゆく。
 その柱の中を、まるで上空に引き寄せられるかのように、すうーっとぬいぐるみから横島の霊体が浮かび上がる。
 光の上の方では、なんか羽の生えたまぶしい人物がおいでおいでをしているような。


 ――ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ――


「!? すすすすとーっぷ! 待ってください!」

 さらにどこからともなく荘厳な音色と歌声が聞こえるにおいて、おキヌは笛を吹くのを止めて叫んだ。
 途端に横島の霊体はすぽんと引っ込み、光の柱もあっさり消える。
 まぶしい人物も見えなくなった。最後の瞬間に残念そうな表情と舌打ちの音を残して。

「……今のって?」
「……た、多分、成仏させかけちゃったんだと思う……けど」
「誰か、いたような気がしたんだけど……?」
「気のせいよきっと。……そうほいほい出てくるはずが……」

 呆然と呟くタマモと、同じく呆然と応える美神。謎の人物については無理やり気のせいにした。


 とにもかくにも、横島の成仏は免れたようであった。

「気絶しているようでござるが、先生の霊体はまだここにあるでござる」

 シロがぬいぐるみを嗅いで確認すると、皆も一様に安堵する。

 だが、想い人を天に送りかけてしまったおキヌのショックは大きかった。
 その場にへたり込むおキヌ。それに気付き美神がそっと肩をつかむと、涙ぐんだ顔で美神を見上げる。

「私、私……。そんなつもりじゃなかったのに――」
「……横島クンへの気持ちが強すぎたのかしらね? おキヌちゃんは悪くないわ」

 相手を慈しみ愛する心が過剰に働いたのだろう。
 生者を幸福に包み、生霊なのに問答無用で成仏へ導いてしまうところだった。
 さすがに、成仏した魂を元通り肉体に戻すことは不可能である。

 美神にしがみついてえぐえぐと泣き声をあげるおキヌと、それを優しく抱く美神。
 美神の表情は、優しくもあり悔しそうでもあり。そこまで純粋に彼を慕うおキヌが、今はまぶしいことだろう。

 なんだか割り込めないものを感じたシロは、タマモに話しかけた。

「でも、なんですぐ引っ込んだのでござろうか? あのまま外に出ていてくれれば話が早かったのでござるが」
「……確かあのぬいぐるみ、横島の髪の毛とか入ってるんでしょ? そのせいで軽く縛られてるんじゃない?」

 それを聞いて美神は考える。体の一部は元々魂との縁があるのが普通だ。特に髪の毛は遠隔呪術によく使用される。

「ありえるわね。術は掛けてなくても、本人の血もついてるし。幽体離脱を邪魔する程度には働くかも」


 と、ボーっとしていたぬいぐるみが身じろぎした。ゆっくりと自分の体を確かめ、やや呆然と呟く。

『……あれ? 体がぬいぐるみのまま……もしかして失敗?』

 横島には悪気はなかったが、その言葉はおキヌにぐさっと刺さる。

(元々私のぬいぐるみが原因で、しかも折角汚名返上のチャンスをくれたのに、私、こんな……!)

 今の失敗で横島に見限られるのではと、おキヌは、焦りから一杯一杯になってしまった。

「す、すみません! もう一度やります! ちょっとそのぬいぐるみの中から、取り出さなきゃいけないものがあるみたいで……!」

 やや涙声でそう言って、慌てて台所に駆け込み、間をおかず包丁を持って戻ってくる。

「ちょっとじっとしててくださいね、すぐ済みますから!」


 たまらないのは横島だ。気がついた途端に、涙目の少女が包丁を構えて自分に向ってくるのである。
 まるで「もうこんな不毛な愛は終わり! 私たちは来世で幸せになるのっ!」といった風情。

『……ひょわあっ!? 殺されるっ!? いややあぁぁぁぁ!』
「ああっ、逃げないで!」

 当然勘違いをした横島は、おキヌから逃げ回りはじめた。ぬいぐるみには痛覚など無いことを忘れているようだ。
 おキヌはおキヌで、何故横島が逃げるのか理解できずに、包丁を振りかざして追い回す。

「待ってぇっ!」
『お、お許しをぉっ!』

 タコのような動きながら器用に逃げ回る横島と、焦りからがむしゃらに包丁を突きたてようとするおキヌ。
 それを呆れて見ていたシロとタマモに、美神から慌てた声があがる。

「おキヌちゃんを止めて! あれって元霊刀だから、霊体も傷つけちゃうわ!」

 おキヌはつい愛用の包丁を取り出してしまったようである。それが元霊刀だとはシロもタマモも知らない。
 刀としての意思を失ったとはいえ、妖刀シメサバ丸、霊を殺傷するくらいお手の物である。

「……へ!? おお、よくみれば確かに霊力が!?
「ちょっと、何で台所にそんなものがあんのよ!?」

 急ぎシロと美神は二人掛りでおキヌを止めにかかる。しかし先ほどの汚名を返上せんと空回りするおキヌは、シメサバ丸を振り回していて危ないことこの上ない。

「や、止めるでござるおキヌ殿! うわっ、危なっ!? 振り回すのは危険でござるよっ!?」
「邪魔しないでくださいっ! 私が横島さんをどうにかしないといけないんです!」
「それで刺したら、本当にどうにかなっちゃうんだってば! きゃっ、落ち着いておキヌちゃん!」

 傍目には、無理心中を迫る愛人を、他の愛人連中が取り押さえるの図である。
 だが渦中の横島は、そんな雑念を抱く余裕もなく、窓際に張り付いてガタガタ震えるしかなかった。


「あーもう。あんな状態の人間を直接抑えようなんて、あの二人もパニクってるわね」

 肉体労働をするつもりのないタマモは、いざという時に備えて幻術を準備しつつも、一人冷静にみんなの様子を眺めていた。
 なので、それに最初に気付いたのは彼女だった。

「――あれ? 横島の体は?」
「「「へ?」」」
『なにっ!?』

 その声に全員が視線を向けると、果たして確かに、先ほどまでソファーに横たわっていたはずの彼の体がない。
 ずっと注目していたわけではないが、長い間目を離してもいなかったはずである。

「誰か、隠した?」
「いいえ?」
「隠してどうするでござるか」
「そりゃもちろん、既成……じゃなくって、じゃあ、いったい?」

 女性達が首をかしげて辺りを捜していると……

『のぎゃああああっ!?』

 突然横島が、まるでこの世の終わりでも見たかのような悲痛な悲鳴をあげた。


 花戸小鳩は、入院している母を見舞っての帰りだった。
 目の前にふよふよ浮いているのは、貧乏神――から福の神になったはずだが、何故か服が前のまま――の貧。
 少々小鳩の視界の邪魔だが、福の神がついている以上変な事故には遭わないだろう。

「……あ、そうだ」
『どした、小鳩?』
「ちょうどこの辺りが美神さんの事務所だわ。ちょっと挨拶してきましょ」
『……ちょうども何も、回り道しよう言うたんは小鳩やないか。ワイ相手に小細工せんでも、小僧に会いたいならそう言えばええんや』
「そ、そんなんじゃ……! 急に訪ねたら、横島さんも迷惑かも知れないし……」
『そんなはずあらへ……!?』
「……貧ちゃん?」

 会話中に急に言葉を途切らせた貧の背中に、不審の声をあげる小鳩。
 途端に貧は振り向くと、険しい形相で小鳩の顔に張り付いた。

「きゃあっ! 何するの!?」
『あかん、目を閉じぃ!』
「な、何があったの!?」
『もう小僧のことは忘れぇ! お前はもっと幸せにならなあかんのや!』
「!?」

 急に訳の判らない行動をされて慌てた小鳩だったが、貧のその言葉に硬直する。
 貧は彼女と横島の仲を祝っていたはず。それが、一体何故?

「まさか、横島さんに何かあったの!?」
『何でもない、何でもないんや!』
「……ごめん、どいてっ!」
『ああ、あかん、小鳩っ!』

 その声を無視し、小鳩は渾身の力を込めて、ぺりっと顔から貧を引き剥がす。

 そして前方をきっと見据えた小鳩は、その両の眼でしかと見た。見てしまった。


『……ひょほほほほほほほほほー!』


 とても楽しげに声をあげながら、道をこちらに向かって走ってくる横島少年。


「あ」


 その表情は自由を満喫できる喜びに満ち溢れ、見ている者に余すところなくその感動を伝えまくる。


「あ、あ……」


 その声もその表情もその足取りも、彼は全身全霊でもって、束縛からの解放による歓喜を謳っていて。


「ああああああああっ!?」


 横島はフリーダムを全身で表していた。そう。特にその装いでもって。これ以上なく。


 ――つまり全裸で。


 ……へたっ……

『こ、小鳩っ!?』
「ああああああ……」
『ふひゅはははははははー!』

 イっちゃった顔の横島が小鳩の横を走り抜ける。
 小鳩はそれを、へたり込んだまま瞬きもせずに見送った。

『待てやこらああああっ!?』

 そして、その横島を追うようにぐにゃぐにゃ走る、横島そっくりの血まみれの人形。
 それは通り過ぎざまの一瞬、小鳩たちを見つめたようだったが、そのまま横島を追い続けて遠ざかる。

『ちくしょおおお! 何で人形の意思だけ本体に! てか何で意思があるんじゃいぃぃぃぃぃ!?』

 叫ぶ言葉の意味はよく分からなかったが、そんなことより貧には小鳩の方が大切だった。
 宙を眺めたまま身じろぎもしない小鳩の肩をつかんで、前後に乱暴に揺する。

『小鳩! しっかりせえ! 傷は浅いで!』
「……ぷ」
『ぷ?』
「ぷらん、ぷらん、ぷらん……」
『……小鳩おおぉぉぉぉぉっ……!』

 うつろな表情で何やら意味深な言葉を紡ぐ小鳩に、貧は涙を流して絶叫した。


 そしてすぐ向こうの美神除霊事務所では、窓の外を眺めて呆然と立ち尽くす美神、おキヌ、シロと、

「くっ、くひゅっ、くはっ、く、苦し……あはははははははは!」

 そろそろチアノーゼを起こしかけているタマモが転がっていた……。


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