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▽レス始

「あの夕陽を見るために −遠い日の約束−(GS)」

長岐栄 (2006-06-27 21:03)

 コンクリートに鉄柵が設けられた屋上。
 いわゆる病院というものの屋上には物干しから物干しへとワイヤーが渡され、たくさんの真っ白なシーツが干されている。
 澄み渡った空。青い色が間もなく紅に変わろうとする。
 シーツはそんな景色を写すように少しずつ色を朱色に染めていく。
 そんな時間帯。
 柵にもたれかかった誰かが不機嫌そうに頬杖ついていた。
 そこに居たのは一人の少女。
 容姿は傑出しているといっていい。やや細身だが生命力に溢れた十代後半の輝き。
 ただ、さっき述べたとおり彼女はすこぶる機嫌が悪かった。
「まったくもぉ、せっかく感動してるトコだったのにっ、ヨコシマも少しは流れってもんを読んでくれなきゃ……っ」
 口を尖らせて、拗ねたような表情がまた可愛らしい。
 風に揺れるショートボブの黒髪、純白のワンピースに淡い点描をあしらったベージュのカーディガンが花を添える。
 黒髪の隙間にはチョコンと二本の触角が生えていた。
 それは彼女が蛍の化身……人であらざるものの外見的な証である。
 場所は白井総合病院屋上、少女の妹が家出して騒動起こした翌日のことだった。
「ヨコシマのバカ……」
 少しだけ悔しそうに、それで居て愛しげな呟き。
 彼女が好きな男はバカだ。そりゃもう美女と見ればセクハラまがいのナンパを敢行し、尽く撃墜されても挫折はしないというある意味勇者な大バカだ。
 だが、全てのバカッぷりを帳消しにするステキなバカということは否定の余地も無い。
 何処までも突き抜けて優しい人柄も、普段情けないのに、いざって時は頼りになる所も、少女との約束果たすために魔神さえも出し抜いてしまうトンでもなさも、どうしようもないくらいに魅力的だ。
 彼は元々敵だった少女が危機に陥ったときあっさり助けてしまった。いくら少女の寿命や事情を知ったからといって人類の敵を助けたのだ。誰にも真似できたものではない。
 少女を救った直後、少女本人に問い詰められて、決して格好良くは無かったけど、
『夕焼け……好きだって、言ったろ。一緒に見ちまったから……あれが最後じゃ悲しいよ』
 うつむいて……言った少年。
 心の底から、少女を想った言葉だと分かったから……気づけば少女は彼の虜になった。
 相変わらず少女は彼にゾッコン惚れこんでいる。それは自分が一番良く知っている。
 ……確かに彼がその場の勢いでガーッとガッついてくる事くらい分かっていた。
 でも、ちょっとくらいはその前の流れをじっくり楽しみたいのが乙女心。そこに不満を覚えたことも事実だった。

 バサバサバサ……

「あ」
 黒髪が風に揺れる。シーツのばたつく音と共に風が出てきたことにようやく気づいた。
「ちょっと冷えてきたかも……ま、私は風邪ひかないけど」
 人ならぬ身である少女にとってはこの程度の寒さは気に病むものではない。けれど、何だかもの寂しい気分にとらわれそうな……そんな感じ。
「あーもぅ、私も私かな……」
 なんだかんだでいつも彼の勢いに抵抗しない彼女自身にも非が無いような気がしないでもない。正直、求められることに嬉しさを感じてしまう辺りに自身でも不謹慎だと思う。
 だから、独り言くらいは文句を言っておきたかった。
 カチャ
 少し後ろでドアノブの回る音が聞こえた。
「なぁ、ルシオラ? 居るか?」
 そこから聞こえてきたのは遠慮がちに少女の名を呼ぶ愛しい人の声。
「ヨコシマ?」
 振り返ると、やはりそこには彼が居る。喜び、と同時に少女の顔に冷や汗が浮かんだ。
「って、出てきて大丈夫なの?」
 入院中なのは知っているが、ほとんどミイラ男の風体である。さっき病室で見た姿だが、改めて重症だったということを思い出す。
 考えてみれば、その重症っぷりで唐突にキスを迫ってきたというのは驚嘆に値する事実で記憶に新しい。
 ……その時、反射的に撃墜したのがトドメだったことは……記憶から削除した。
「いやまぁ、大丈夫と自信を持っては言えんが、ここに来るくらいなら問題ねーだろ」
 応える声は意外に元気そうだ。さっきまでロクにしゃべることが出来なかったし、
 少しだけホッとした。
 昨晩、少女の妹……パピリオにボッコボコにされたダメージは彼の強靭な生命力を持ってしても、まだ全快には至らないらしい。(ルシオラが放ったトドメの一撃は黙殺)
 それでもさっきまでベッドでぶっ倒れていたのだから尋常な回復速度ではない。
現に松葉杖つきながらだが、しっかりした足取りでルシオラの元へとやってくる。
 そして、目の前までやってくると、
「あのさ……昨日はごめんな、それから、さっきも」
 素直な謝罪の言葉、ルシオラは思わず固まっていた。
「ヨ、ヨコシマ、大丈夫? 何か変なものでも食べたのっ! あっ! もしかして昨日のパピリオの攻撃が変な角度に……っ!!」
「どういう意味だ、をぃ……」
 軽く口の端を震度2くらいでヒクつかせているのはご愛嬌。
「だって、ヨコシマが急に……」
「あのなぁ、俺だってあの迫り方は少し悪かったかなぁとか思ってんだから」
「あ……うん。でもそのためにここまで?」
「あ、いや、それだけでなくてさ、なんつーか……一緒に夕陽眺めるのもいいだろ?」
 気を取り直して照れくさそうに頬を掻いていた。
 途端にルシオラの顔から血の気が引いて蒼白に、
「ヨコシマっ、ホントに大丈夫なの!?」
 心の底から心配しているルシオラがやたら目に痛い。
 傷の具合を心配しているわけで無いところが余計痛い。
「……しまいにゃ泣くぞ、コラ」
 目じりに涙溜めて、こめかみが軽く震えていた。きっと震度4くらい。
「いや、あの、ちょぉっと意外だったから……」
「意外とかゆーなぁ、切なくなるからっ! どーせ、俺はセクハラ野郎だよっ。グォーッて迫って、『いやぁぁぁっ』とか言われて終わるんだよ、ちきしょー……」
 しゃがみこんで地面に「の」の字を書き始めていた。東京タワーで絶叫した勢いは完全に消沈しているが、この辺の行動は、いかにも横島だった。
「えぇっと、その、ごめんねヨコシマ、ほら一緒に夕焼け見ましょ♪ 凄く綺麗よ」
 ワタワタとルシオラは横島の腕に取り付き引っ張り上げる。精神的にも肉体的にも浮力があったらしく、横島の状態は程なく引き上げられていた。
「ほら」
 立ち上がった横島に披露するように夕陽に染まった景色に片手を広げる。
 眩しい景色……以前は短い命をかすかでも慰める世界は今、生きる喜びを一杯に与えてくれている。
「……あぁ、綺麗だな」
 どこか遠い目で、横島は呟いていた。
「でしょ?」
「景色もだけど夕陽に染まったルシオラも……」
 少年は夕陽に染まるその全てに、言葉にならない感動を受けていた。
 それが正直な感想であることは、声のやさしさで良く分かった。
「え?」
 意外すぎる言葉を受けて、ルシオラは固まっていた。
「ホントにめっちゃ幸せ者だよな俺」
「も、もぉヨコシマったらいきなり何言い出すのよ」
 朱色に染まった頬がその言葉を喜んでいることを如実にあらわしていた。
「いやまぁ、思ったまま言ってみただけだし」
 言ってる本人も恥ずかしかったのか頬を染めて明後日の方向を向く。
 その様子にしばし呆然としながらも、ややあって、クスッと少女は微笑んだ。
「……嬉しいな……ヨコシマと一緒に夕陽を眺めていられるなんて」
「言っただろ? 『百回でも二百回でも』って、さ」
 かすかなタメを持って、返ってくるのはちょっと困ったような優しい微笑み、
ルシオラの好きな横島の笑顔。ただ、そこに浮かぶ特異な色を少女は見逃さない。
「そっか、そうだったね」
 また微笑み返す。
「それで……」
 横島に笑顔を向けたまま、

「あなた誰?」

 予想外の問いかけが虚空に溶ける。一瞬で横島の顔がこわばる。
「な、何言ってるんだよ、ルシオラ? 俺は俺に決まってるだろ」
「じゃぁ、聞き方変えるわね」
 軽く目を伏せて、再び横島を見る。その瞳には誤魔化しを許さない輝き、

「おまえは何年後のヨコシマかしら?」

「……」
 横島は思わず目を逸らしていた。ダラダラと目に見えて汗が流れている。
「えっと……」
「確かにヨコシマはヨコシマだけど……少なくとも『今』のヨコシマじゃないわ」
「……ったく、どこで気づいたんだよ?」
 ため息つきながら観念したように脱力して鉄柵にもたれかかっていた。
「簡単よ。今、二人っきりだもん。私の知ってるヨコシマなら、とっくの昔に間違いなくキスくらい迫ってきて、あまつさえ押し倒そうとしてくるわっ!!」
 グッとこぶしを握ってルシオラが自信満々で力説していた。隣の横島はオーバーヘッドキックでも繰り出せそうな勢いでステーンと仰け反っていた。
「さっき病室で『当面は全面禁止しますっ!!』って言うとらんかったか、お前っ!?」
 一瞬で立ち直り、両手わななかせながら横島が叫ぶ。
「ヨコシマがそんなこと守れるわけ無いじゃないっ!! 言ってその通り実行してくれるくらいなら私も一人で愚痴ってないわよっ!!」
 色々溜まっていたのか、やたら元気よくお答えが返ってきた。
「……どういう認識やねん」
力尽き横島は鉄柵の上で干された布団のようになっている。
「そういう認識よ。だって事実でしょ?」
 クスクスと悪戯っぽく笑っていた。
「ぬあぁ……否定の余地が無いのが辛ぇ」
「だって、私、いつもヨコシマのこと考えてるのよ? ちょっと行動がおかしかったら、すぐ見抜く自信があるわ」
 ウィンクする彼女はやはり可愛かった。
「う……あ〜もぉ、喜んでいいんやら、悲しんでいいんやら」
 言いながらゴソゴソとズボンのポケットから何か取り出していた。
 その手のひらには文殊……
 パキィィィィィッ
 『模』の文字が入った文殊は音を立てて消滅した。
 瞬間、少年の姿が変化する。ミイラ男のような風体は跡形もなく消え去り、動きやすそうなスポーツシャツに、グリーンのチノパン。言うまでになく怪我は負っていない。その顔からはあどけなさが消えて、髪も幾分短く切りそろえられていた。その表情からはやや落ち着きを漂わせ、年のころは二十歳を少し過ぎたくらいだろうか? 『現代』の横島には無い凄みのようなものも見え隠れしている。
「それで……何年後なの?」
「ざっと5年後」
 ため息交じりに投げやりな返事する。
「痛いの我慢して頑張ってたんだけどな」
 『模』は対象の状態をリアルタイムでシミュレートする。よって、この五年後の横島は重症状態の現代横島の激痛も有していたことになる。
「もうちょっとガッつかれたら気づかなかったかもね♪」
 傍でルシオラが面白そうに笑っている。
「迫ったら迫ったで文句言うだろ?」
「当然でしょ」
「まぁ……今のおまえに手を出したらここの俺に悪いつーのもあったし」
 横島は目一杯気を使っていたつもりだったのだが、
「ふぅん、そういうところは律儀なんだ」
 なぜか半眼で睨まれ、
「な、何で睨む……」
 半歩ほど後退る。
「ツーンだっ」
 ルシオラは拗ねたようにそっぽを向いて、でも、それも少しのことで、
「でも……今のヨコシマに気を使うのと一緒に、私にも気を使ってくれてたんでしょ? 五年後のヨコシマって言っても、今のヨコシマからしたら他人同然だもん。そんな相手といちゃついたらヨコシマもイヤだろうけど、私も傷つくって思ったんでしょ?」
「う……」
 思いっきり図星を貫かれていた。
 ひとしきり見合っていて、
「……ねぇ、私に何があったの?」
 横島はギクリッと、心臓をつかまれたような気分になる。
「あ、いや……」
「わざわざ五年前の私に会いに来たってことはそういうことでしょ?」
『何とかして誤魔化そうって思ってたんに、いきなり気づくかぁぁぁぁ……』
 元々、機転が利いて頭がいいと思っていたが、あまりの洞察に内心舌を巻く。
「別れたとかは無しよ。だって私がヨコシマのこと嫌いになるわけ無いもの」
「お、俺から別れたっていう可能性はゼロか? 皆無か? 絶無なのかっ」
「それなら、わざわざこんな風に会いに来ないでしょ。未練があるんだったらヨコシマは土下座でもして5年後の私を追っかけてるわよっ」
 ごもっとも。
とはいっても、5年後に追いかけるべき対象が居ればの話だ。そのことを当のルシオラが知る由も無い。のであるが……、
「それにね、ヨコシマの霊基に私の霊基が混じってる。それと関係あるんじゃない?」
「……要するに態度が変だったとか以前の段階でバレバレだったっちゅう訳かい」
 ダラダラ流れまくった汗の跡と疲れた半眼。
「そ、そうでも無いわよ。ほら、最初は気づかなかったもの。でも、少し違和感持ったら、そこがきっかけね。いくら文殊で誤魔化してても自分の霊基は分かるわ。ヨコシマの霊基もね」
 苦笑しながら、やんわり半眼をかわしていた。
 確かに彼女なら自分の霊基も、恋人の霊基も見誤ることは無かろう。
 結局、横島本人がルシオラ相手に、という時点で誤魔化すには不適当だったようだ。
「事情……話せないの?」
「……すまん」
 心底申し訳なさそうに目線を伏せる。
「でも、私に用があるんでしょ?」
「あぁ……本当は出来る限り気づかれないように用を済ませて、ここでのことは忘れてもらおうって思ってた」
 さっきと反対のポケットからも文殊が出てくる。込められた文字は『忘』。
「正直お前に使いたく無いんだけどな……」
 ため息混じりにその文殊を掌で転がしていた。
「でも、忘れてもらわなきゃいけないでしょ?」
 横島の意を汲んでルシオラは苦笑する。
 未来の情報を多少でも持っているということは……これからの事にズレが発生する可能性がある。現時点でルシオラが気づいた情報は十分に危険なものだ。気づいたことを正直に明かしてくれているのは彼女の優しさだろう。
「……そりゃそうだな、こうなった以上勝手ですまんとは思うんだけど頼みがある。後でこの文殊を使わせて欲しい。それともう一つ……」
「分かったわ。用件を教えて。他でもないヨコシマのお願いだもん無下に出来ないわ」
「すまん、2、3日で回復するくらいの量でいい。お前の霊基を分けて欲しい」
 申し訳なさそうに頭を下げる。
「……」
 ルシオラは瞑目し、意を決したように横島を見た。その瞳には何かを悟った光。
「私、死ぬのね? それもこの一週間以内に」
「……っ!?」
「誤魔化しても無駄よ。アシュ様は生死不明だけど妨害霊波が生きてる。時間移動も制限されてるこの時期、たかが2、3日分の霊基を分けてもらいに来るんだもの……考えれば分かるわ」
 横島を見つめる瞳は全ての運命を受け入れていた。
 彼女の言う通り、単に霊基を分けてもらうため、こんな微妙な時期を狙って現れるのはおかしい。せめてアシュタロスの妨害霊波・時間移動制限が解除されてからが妥当である。言い換えればアシュタロスの死が確定してからだ。
 もっとも戦いの後に、神・魔族によって時間移動そのものは封印されるが、ルシオラがそれを知る術も無い。
「アシュ様は生きているのね……そして、もうすぐ闘いが始まって私はおまえをかばって死ぬ……そういう事でしょ?」
 そして、横島が『2,3日で回復する量』を望むということは、回復後の彼女に許容量一杯の霊力が必要となることを意味する。そして、事前にわずかな量を確保しようということは、許容量一杯の霊基を持っていても足りなかった……そして、今から近い内に分けてもらうことさえ出来なくなるということだ。
 当然、目の前に居る『5年後の横島』にルシオラの魂が混ざっていることが、この推論を導く根拠であることは疑う余地も無い。
「ルシオラ……」
 今にも泣きそうな瞳、脳裏を巡るのは、あの日、
 横島にとっては5年前……この時系列では数日後……
 横島の意識は5年前のあの日に没入していた。

――アシュタロスの野望を阻止した……けれど、それはもう……
 横島はがっくりと肩を落とし、下水道の壁際に座り込んでいた。
 隣には美神令子がかけるべき言葉も見つからずにいる……。多少逡巡を含んでから、
「げ、元気だしなよ! ルシオラのことはあとでまた考えましょ!? きっとほかにも生き返らせる方法が……」
 見かねて思わず言ってしまっていた。気休めでしかないと分かりきっている事を……
「どうやるんですかっ!?」
 バッと顔を上げ、横島は矢継ぎ早に問い詰める。
「彼女戻ってくると思いますかっ!? 本当に!?」
「うっ、そ、それは……」
 可能性が……ほとんど無いことなど明らかだったのに、
『美神さんを困らせないで』
「……!!」
 横島の意識へかすかに残るルシオラの優しい声が諭す、彼女は横島に分けた霊基の残存意識、本人曰く『魔物の亡霊』。
『私は……十分満足してる。これでよかったのよ』
 横島の脳裏に、すまなそうな微笑を浮かべ、消えゆくルシオラの姿。
 『勝利』は同時に彼女が本当に帰ってこられなくなることも意味した。
『もう、行くね。意識を残してるのも限界なの。数日は私の霊力が残ってるから、いつもより強力な術や力が使えると思うけど、それもすぐに消えるわ』
 背を向け、悟ったような寂しげな横顔と瞳を少年へ向けて、
「ルシオラ!! 待ってくれ、俺は――」
『ヨコシマ……』
 遠い微笑み。最期の……少し泣きそうな笑顔。
「ル、」
『ありがとう』
 かすかな光の残渣を残し、姿がはじけ消えた。
「ルシオラー!!」
跡形も無く掻き消える蛍の化身の少女……むなしく響く絶叫、もう何処にも届かない。
 虚空を見上げて滂沱する横島の傍には沈痛な面持ちの美神、そして、もはや涙を流す事しかできないおキヌ。
「……横島クン……なんといっていいのかわかんないけど……でも……」
「あいつは――」
 流れる涙を袖で乱暴に拭って、
「ルシオラは……」
 それでも目尻には涙は残り、
「俺のことが好きだって……命も惜しくないって――」
 また、とめどなく涙が溢れる。もう拭うことも忘れていた。
「なのに……!! 俺、あいつに何もしてやらなかった!! ヤリたいの、ヤリたくないのって……てめえの事ばっかりで――っ!! 」
 何かを傷つけずにいられなかった。それがたとえ自分自身の心であっても、
 少年の心も溢れる涙も止まらなかった。
「口先だけホレたのなんのって……最期には見殺しにっ!!」
 自らを切りつける悲痛な叫び、
「横島クン、それは違うっ!!」
 美神もたまりかねて声を荒げる。彼の本質を知っているから、横島は決して口先だけで女性を利用できるような男ではないことを誰よりも知っているから、
「彼女はあんたに会って幸せだった!! アシュタロスの手先で終わるはずの一生を正しいことに使ったのよっ!!」
 美神の必死の言葉さえもむなしく虚空に溶ける。
「それに、死んだのはあんたのせいなんかじゃない!! 仕方なかったのよ!!」
 少年の過失などではない。現在美神達が生きてこの場に居ること自体が奇跡的なのだ。
 魔神との戦い……もっと犠牲が出てもおかしく無い。むしろ、ほとんどの仲間が生き延びた事は僥倖としか言いようが無い。
 そして、少年の活躍に至っては望外と言って良かった。たかが一人間が魔界の六大魔王が一柱を翻弄し退けたのだ。
犠牲は出ても……それこそ仕方なかった。その犠牲がよりにもよって彼女だったというだけのこと。
 けれど、そんな第三者の意見が横島の心に響くわけなど……無い。
「俺には女のコを好きになる資格なんか無かった。なのに、あいつそんな俺のために……」
 止まらない涙、泣き崩れる少年。
「横島クン……」
 美神は何も言えずただ抱きとめ、黙って抱きしめるかなかった……傷ついた少年の重荷が和らぐことは無くとも……
 魔神を退けた少年、優しい少年、世界の破滅と恋人の命を天秤にかける事になった少年。
 誰の声も届かない……ルシオラの代わりなんて居なかった。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁあぁっ!!」
行き場の無い慟哭が暗い闇の中で響き渡っていた――

「……」
横島の胸に去来するルシオラを失った日の深い絶望。
「きっと私は」
 ルシオラの声にハッと思わず身じろぎする。5年前の記憶と、現状のギャップ故に、
「おまえに霊基を譲って、自分を維持できなくなった……違う?」
 今、目の前に居るルシオラは淡々と推測を語っていた。それは恐ろしいほど正しい。
「正解だよ。正直、そこまで突き詰められるとは思わなかった」
 諸手を上げて降参するしかない。
「……じゃぁ、霊基が欲しいって言うのは?」
 もはや事実の確認でしかない。
「5年後の世界でルシオラに……もう一度会って一緒にいたいからだよ」
 泣きそうな渋面で、言葉を搾り出す。その言葉だけで十分だろう。
「じゃぁ、私の霊基の欠片が……残っているのね」
「べスパが眷族使って必死でかき集めてくれたんだけどな。復活するにも、転生するにもほんの少し足りなかった」
「べスパは生きてるのね? パピリオは?」
「二人とも元気だよ……」
「そう、二人は無事なのね……」
 二人の妹の安否を知って、ルシオラは胸を撫で下ろしていた。
「でも、お前だけが……」
 横島の瞳から涙が、こぼれ始めていた。
「ルシオラの推理通りだよ。間もなくここの俺は霊基構造に致命傷を負う、その時傍にはルシオラが居る」
「私なら、きっとすることは一つね」
 すでに明言している通りだ。
「俺に霊基を分けて……死ぬ」
 グッと鉄柵を握りつぶさんばかりに掴んでいる。
「後悔した。俺にもっと力があればと思った。どうしてルシオラが……って」
 どうしようもない位にやるせないその瞳。
「笑顔で見送ってくれたときどうして気づいてやれなかったのかって」
 うつむいて、横島は涙を隠そうともしなかった。肩が小さく震えていた。
「きっとね、ヨコシマに消える瞬間を見られたく無かったからよ」
 優しく……何処までも優しくルシオラの声が横島に沁みる。
「ルシオラ?」
「見取って欲しくないって言ったらウソになる。でも、消える私を見たらヨコシマは自分を責めると思うから、その場から動けなくなると思うから、それはイヤ……」
 ルシオラは横島の手を握り自分の頬に触れさせる。その瞳からはポロポロと涙が溢れていた。残る手は己の胸元を強く握り締めていた。
「でも、私、嬉しいの。ヨコシマが、ヨコシマがそこまで私のことを想ってくれているって分かって、私のために危険を冒して時まで越えて……」
「ルシオラ、俺は……」
「でも、ごめんね。ヨコシマ、おまえをそんなに苦しめるなんて」
「そ、そんなことっ、お前が居てくれたからっ……お前が居たからここまで来れたんだ」
「ありがとう……ねぇ、ヨコシマ」
「な、何だ?」
「私の霊基があれば、未来で私はもう一度おまえに会えるの?」
「あぁ……足りないのは、後ほんのわずかなんだ」
 少女は静かに瞑目する。
「じゃぁ」
 横島の目の前に人差し指を一本立てる。
「さっきの文殊……使わないで」
 ポケットの中の『忘』の文殊を思い出す。
「え? いや、でも……な」
 ここまで全てを知ったままで……彼女の記憶を残すわけにはいかない。下手をすると、戦局バランスの狂いからアシュタロスに勝てない可能性もありえるのだ。今回横島が過去に渡るため神魔から課された最低限の制約に反する。それは全てをご破算にしないため、与えられたギリギリの譲歩だった。
「記憶の件はちゃんとケジメをつけるわ。ただ少しだけ、条件をつけたいの」
 じっとヨコシマを見つめたまま指を二本立てる。
「文殊を二つ使って」
「二つ? 二文字ってことか?」
 少女はコクリと頷く、
「二文字……何て入れたらいいんだ?」
「『約』『束』よ」
「え?」
「そう、『約』を、『束』ねる。これで今から言ういくつかの条件を与えてほしいの」
「条件? どんなだ?」
「私は今日のことを忘れる。ただし、もう一度、今、目の前に居るおまえに会うまでの間だけよ。今日の記憶を完全に失いたくないの。だから、お願い5年後に再会したとき全てを思い出せるようにして」
「5年後に再会……か」
「そうよ。それが約束。だから、必ず私に会って。そして、もう一度一緒に夕陽を見るの。その思いを文殊に込めて……」
 儚い笑顔、それで居て美しい笑顔。
 思わずグッとこぶしを握り締めていた。
「……あぁ、必ずだ。絶対ハッピーエンドにすっからな。この約束は絶対守るぞ。なんとしてもおまえに会って見せる」
「楽しみに待っているわ♪」
「楽しみに……できるのか?」
「そうね、忘れちゃうわね」
 思わずクスクスと笑う。
「二文字か……これでいいか?」
 キィィィィィィィィッ
 ヨコシマの手のひらが淡く輝く。
「これは……?」
 太極図のような、白黒二つの勾玉が組み合わさったような文殊がそこにあった。
「これは、ルシオラが俺に霊基を分けてくれたとき出来た特別な文殊だ。二文字同時に扱えて、通常の文殊二つ使用よりも強力に作用するんだ」
 刻む文字は……
「『約束』を込めて……」
 強い決意のこもった瞳、文殊に力を込める。
 『約束』が浮かび上がる。
「守る……」
「絶対よ」
「俺にホレてんなら信じろ」
 懐かしいセリフだった……ふと思い至ってルシオラは微笑う。
 だから、次の言葉にこう付け加えてみた。
「……やりたいだけでそんな約束していいの?」
 小さくからかうように小首をかしげる。
 横島は一瞬キョトンとする。が程なく思い出す懐かしいやり取り、横島が山荘から脱出の際、誓い合った思い出、横島にとっては5年前の、ルシオラにとっては数週間前の思い出……。
『そうだった……』
 不意に凍っていた何かが音を立てて弾けた。
『俺はこの笑顔を守りたかったんだ。だから、あの時も……』
横島はグッと己を指差しニッと笑う、
「俺の煩悩パワーを信じなさいっ、自慢じゃねーけど、俺のスケベは筋金入りだぜっ」
 力いっぱいに宣言する。
 おおよそ自分の中で最も心強いものに宣誓した。
「もう、バカ……」
 微笑むルシオラの瞳に涙が溢れている。それが喜びの色の雫であることは互いに分かっていた。
「俺は俺らしく、ルシオラが好きになってくれた横島忠夫じゃなきゃなっ」
「……ヨコシマ……」
「だから、俺を見捨てるなよ。お前に見捨てられたら生きてくの結構辛いんだからな」
「そこは大丈夫よ。絶対離れないんだからっ」
「そ、そうか……」
 ジンワリと冷や汗をかいているのは気のせいだろうか?
「……私の霊基だけど……ヨコシマが作ってくれた『約束』の文殊と交換ね」
 悪戯っぽく笑っていた。
「え?」
「文殊はヨコシマの霊力の結晶だもの、私の霊基と交換……悪く無い条件でしょ?」
 横島は少し空中に視線を泳がせて、思わず『おぉ』っとばかりに手をポンと打つ。
「そりゃ、確かに言うとおりだな。交換……か」
「ちょっと憧れてたの。大切な人と約束を交わして何かを交換するって……」
「でも、いいのか? 文殊で……」
「いいのよ。だって、それはお前と私の二人で手に入れたものなんでしょ? 私にとってそれよりステキな物って無いわ……だから、ヨコシマ、受け取って」
 ルシオラは両手を横島の顔に差し出し、深呼吸すると、程なく全身が柔らかに光を帯び始める。
 ヒイィィイィィィィィイィィィィィィイィン
 小さく大気を震わせる振動、ややあって、ルシオラの手に蛍の形をした霊基の塊が鎮座していた。
「これが私の欠片……今在る私の魂の一部よ」
 横島が恐る恐る手を差し出すと、何の違和感も無く横島の手のひらへ蛍は移り住む。
「……ルシオラ」
 ひとしきり愛しげに見つめて、幾分逡巡すると、
 空いた手でポケットから小さな黒く艶のあるケースを取り出す。
「狭くてごめんな……しばらく辛抱してくれ」
 開いたケースに蛍を移すと静かに蓋を閉じた。
「それは?」
「霊基の保護具さ、この中では時が止まる……ルシオラの魂が散らないようにするために調達したんだ。狭いところに押し込んでごめんな……」
「うぅん、万全を期すため……でしょ?」
 さほど気にした様子も無くルシオラが微笑む。
 その優しさがまた沁みた。
 保護ケースを仕舞うと、改めて白黒の文殊を手に取る。
「じゃぁ……ルシオラ、手を出してくれ」
「……はい」
 幾分名残惜しそうに両手を差し出す。
 横島はその手のひらに文殊を押し当てる。
 キィィィィィィィィィィィィィィィイィィィッ
 文殊が発光し、その力を発揮する。陰陽をたたえた文殊は輝きながらルシオラの手の中に沈みこみ……、
「これは……感じるヨコシマの文殊」
「お前の中に文殊を埋め込んだ。あの文殊は使っても消えない特性があるから」
「つくづくワイルドカードね、おまえは。……でも、私、記憶あるんだけど?」
「俺が姿を消すまで保持されるようにしてあるから、もうすぐ忘れるよ……残念だけどな」
 苦笑。
「そっか……それじゃ、5年後に会いましょ」
「あぁ、5年後だ」
 そう言うと横島はバッと鉄柵を乗り越える。
「ねぇ、ヨコシマはこれからどうするの?」
「ん? あぁ、終わるまで身を隠すよ。誰にもバレない、もしくは気づいた相手の記憶を消すってのが、ここに来る最低条件だったからな。この後時間移動ができるチャンスは一度だけだから、その時に帰るよ」
「その頃には……私はもう居ないのね?」
 ルシオラが儚げな微笑を浮かべた。
「……」
 答えられない横島……それが答えだった。
「……5年後待ってるわ」
「あぁ」
 名残は尽きないけれど……この場には残れない。この時系列でこの横島はイレギュラーなのだから、
「ルシオラ……」
「ん?」
「またな」
 優しく微笑んで、飛び降りる。
「ヨコシマッ」
 横島は鉄柵にかけたハンズオブグローリーを駆使して落下速度を自在に操る。
 スタッ
 綺麗に着地を決めて、一度だけ振り返ると、ハンズオブグローリーを四散させそのまま夕陽の方へ走っていく、ルシオラは姿が消えるまでジッとその背中を見つめていた。
 その先には都会の森、そして、地平線……都会では見づらいけど、空と陸が織り成す、一瞬の隙間が見える気がした。
 綺麗な夕陽、今にも沈みそうな夕陽。
 何故だろうか? 幾分寂しく感じたのは?
「あれっ?」
 不意に夕陽を眺めていて、ルシオラは違和感を感じた。確認のため時計を見る。
「ウソッ、いつの間にこんなに時間が……」
 思わず口に手を当てる。屋上に出てから結構な時間が経っていることに気づいた。
「確か私、ここでヨコシマのことで愚痴言ってたけど、そんなに言うことあったっけ?」
 汗がダラダラ流れていた。こんなに時間を忘れるほど潜在的なストレス溜めていたのかと不安がよぎる。
 カチャ
 少し後ろでドアノブの回る音が聞こえた。
「なぁ、ルシオラ? 居るか?」
 そこから聞こえてきたのは遠慮がちに少女の名を呼ぶ愛しい人の声。
「ヨコシマ?」
 振り返ると、やはりそこには彼が居る。喜び、と同時に少女の顔に冷や汗が浮かんだ。
「って、出てきて大丈夫なの?」
 入院中なのは知っているが、ほとんどミイラ男の風体である。さっき病室で見た姿だが、改めて重症だったということを思い出す。
 考えてみれば、その重症っぷりで唐突にキスを迫ってきたというのは驚嘆に値する事実で記憶に新しい。
 ……その時、反射的に撃墜したのがトドメだったことは……記憶から削除した。
「いやまぁ、大丈夫と自信を持っては言えんが、ここに来るくらいなら問題ねーだろ」
 応える声は意外に元気そうだ。さっきまでロクにしゃべることが出来なかったし、
 少しだけホッとした。
 昨晩、少女の妹……パピリオにボッコボコにされたダメージは彼の強靭な生命力を持ってしても、まだ全快には至らないらしい。(ルシオラが放ったトドメの一撃は黙殺)
 それでもさっきまでベッドでぶっ倒れていたのだから尋常な回復速度ではない。
現に松葉杖つきながらだが、しっかりした足取りでルシオラの元へとやってくる。
 そして、目の前までくると……松葉杖を投げ捨てて大きく両手を広げ地面を蹴った。
「ルシオラー、二人っきりだぞっ!!」
 ガバァッ!! ってな勢いで、
「少しは空気を読みなさいって、言ってるでしょうがぁぁぁぁぁぁっ!!」
 ズガシャァァァァッ!!
「はぶらぁぁぁぁっ!!」
 ダイブを敢行した横島は、ルシオラの両手を握り合わせた一撃にあえなく撃墜された。
「あぁぁぁぁ、もぉ、ついさっき『全面禁止』って言ったばっかりなのにぃぃぃぃぃ」
 夕陽を背にルシオラは半泣きで頭を抱えていた。
「お預け喰らった男にそんなん関係あるかぁぁぁっ!! これでも目一杯に読んだつもりなんやぁぁぁぁっ、二人っきりなんだからいいじゃねぇか、ちきしょーっ!!」
 元気な重傷者は、相変わらずの勢いで反論していた。
「まったく、こういうトコばっかりマメなんだからっ!!」
 呆れつつ、でも、何故かいつもどおりの横島を見ていて、相好を崩す。
「……今日だけだからね」
 ルシオラはそう呟くと、横島の下顎に手を添えて、唇を塞いだ。
「ん……」
 重ね合った唇からとろける様な感覚が広がっていく、ゆっくりと名残惜しげに唇を離すと、横島の首筋にしがみついた。
「ずっと……離さないんだからっ」
 横島の胸に身体を預けて、ジッと上目遣いで横島を見つめた。
「ル、ルシオラ?」
 逆に横島が戸惑っていた。
「今日はね……なんとなくこうしていたいの。だから、これ以上はダメよ」
「お、おぅ……」
 カチンコチンに固まった横島と身体を預けるルシオラ……二人を見守る夕陽は……、
 きっと五年後を見守ってくれることだろう……。


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