インデックスに戻る(フレーム有り無し

▽レス始

「彼女の名は(GS)」

テイル (2006-06-26 01:31)

「調査は終わったわ。これが結果。あなたの予想は外れなのね。半分は良い方に……もう半分は悪い方に」
 差し出された書類を見て、少女は顔を歪めた。
「これは……」
「見ての通りなのねー。あなたは確かに最適。あなたが思っているよりもずっとね。でも、その猶予はもうほとんどないわ」
「なら……急がなくてはなりませんね。ちょうど機運もいいようだし、考えようによっては好都合かもしれないです」
「そうかもしれないのね。でも、あなたはそれで良いの? その為にあなたは……」
「いいんですよ。私の心はずっと変わっていません。初めてあった時に、横島に最も心を寄せていたのは私だったんですよ? そのあとに取られちゃったけど……まあ、あの当時は仕方ないです。成りが成りでしたし、心もその姿に引きずられていましたし。でも今は違うです。だから、後悔することはないです」
「でも」
「調査のお礼は言うですよ。心配にも感謝するです。でも、もう決めました。止められても止まりません。私の大切の人を助ける……その為なんですから。もちろん、その為だけにならないよう努力するですけど……そうなったらなったで、仕方ありませんね」
「………」
「そんな顔するんじゃないですよ。でも、ありがとう、ベス……」


 霊峰妙神山。
 日本においてもっとも霊格の高い神の住まう場所にして、霊能力者には有名な霊的修行場だ。修行者はそこで荘厳さを宿す竜の神に会うだろう。人では及びもつかぬ力と、美しき姿とを兼ね備えた竜の神に。
 その竜神は、名を小竜姫という。妙神山の管理人にして、神界にも広く知られた武神である。
 しかしその武神は今、修行に来た人間相手ではなく、下界から取り寄せたガイドブックを読むことに忙しかった。自室で寝そべり雑誌を読みふけるその姿には、武神たる凛々しさなど欠片もなかったりする。
 天界から下界に降りる許可が出たのは昨夜のことだった。かねてより上奏していたのだが、それがやっと通ったことになる。
 パピリオをこの妙神山に預かってから、つまりはアシュタロスの事件から既に一年半が過ぎている。
 パピリオは仮にも、事件ではすべてにおいて手を下してきた実行犯の一人だ。その為に妙神山から一歩も出ることは許されず、人界から訪れる修行者に会うことも許されなかった。
 その処置を寛大と取るか、そうではないと取るかは意見が分かれるだろう。しかしはっきりと言えるのは、この一年以上の間、パピリオは横島に会えなかったということだ。
 人界に降りる許可が降りたとの連絡を聞いた時、嬉しさのあまり小竜姫は思わず小躍りしてしまった。大切な、そして可愛い妹分がどれほど喜ぶだろうか、と。……これでようやく、パピリオを横島達と会わせることができる。
 現在小竜姫は、人界に降りる準備をしている。
 下界に降りるのは明日の予定だ。任務ではなく、純粋に下界に遊びに行くという経験は小竜姫にもない。だからただ遊びに行くとなると、入念な準備が必要だった。この機会にパピリオを思いきり楽しませようと考えていたから、なおさらだ。
 下界からわざわざガイドブックを取り寄せたのも、レジャーに関する情報をしっかりと得て吟味する為である。
「でじゃぶーらんど、ですか。以前殿下が行きたいとおっしゃっていた所ですね。うーん、写真で見ると、確かに楽しそうなところかも……」
 ガイドブックをなめるように読みながら、気になったところをメモしていく小竜姫。
 そんな小竜姫に、部屋の前を通りかかった老子が不思議そうに声をかけた。
「……何をやっとんじゃ?」
「あ、老子。その……下界のれじゃーに関する情報を集めていました。横島さんたちに会いに行くのがその最たる目的とはいえ、折角天界より許可を頂いたのですから、パピリオには楽しい思い出を作ってもらいたくて……」
 小竜姫の言葉に老子は一瞬その視線を彼方へと走らせ、そして己の愛弟子へ向けた。
「………」
「? どうされました?」
「……下界に降りる許可は今日から取ってあるはずじゃが、お前はいいのか? こんなことしとって」
「はい。パピリオが明日からのほうがいいと。彼女にも色々と準備があるとか。ですから今日は、明日の為の準備に充てようかと」
「ほー、パピリオがのう……」
 ぷかりと煙管から煙を吐きながら、老子は再び彼方へと視線を向ける。
 その態度に釈然としない何かを感じ、小竜姫が首をかしげた。
「老子?」
 老師は小竜姫に視線を向けず、彼方へと向いたまま口を開く。
「……まあ、好きにするがええ。さっきも言ったが、“今日”から許可は取ってある。いわば今日は休暇のようなもんじゃ。役目から外れておるからの。何をしようが、どこへ行こうが自由じゃ。……お前もパピリオも、のう」
「? ……はい」
 何か含みのある言い方に小竜姫は僅かに首を傾げたが、その正体が何なのかはわからない。
 思わず考え込む小竜姫に、老師は一瞬呆れた視線を向けた。小竜姫が気づく前に、それは消え去ったが。
「じゃ、わしゃゲームでもしとるわい」
 後ろ手に手を振りながら歩き出した老師を見て、小竜姫は考えるのをやめた。答えがわからないのだから考えるだけ無駄だ。本当に自分に必要なものなら、老師は口にするだろう。
「はい。あまり長時間してはいけませんよ?」
 だから小竜姫は、老子を見送った後、何事もなかったかのように再びガイドブックに没頭を始めたのだった。


「明日、小竜姫たちがやってくるわ。いい機会だから今週は休業にしましょう」
 雇い主のこの言葉で急遽休暇となった横島は、街へと繰り出していた。令子が仕事を休むことは珍しいが、令子本人も個人的に用事があるらしい。今日も休暇の決定を下した後、おキヌを連れて母親とともに出かけてしまった。それがどんな用事なのか横島は知らないが、ついていけないものに特に興味を覚えるでもなく、彼は彼なりに休暇を楽しもうとしていた。
「おっじょうさーん! どおです、僕とお茶でもーーっ!!」
 早い話がナンパである。
 都会には見られることを目的とした服装をした女性が数多くいる。それぞれが己の魅力を服装やアクセサリー、化粧等で引き出し男を誘う魅惑の花だ。
 そして横島はというと、誘われるがままに甘い香りをさせる花をふらふらと渡り、そして――
「あははは。……馬鹿?」
「鏡見て出直して来な」
「えへへ、お金あるー? は? ない? ……けっ」
 ……例のごとく撃沈しまくっていたりする。
「おおおぉん! 何故じゃぁ!!」
 血の涙を流しながら絶叫する横島を、通行人たちは綺麗に無視している。中には『ああ、春なのかな』などと感慨深く頷く者もいるが、大体のところその視線は冷たい。
 端から見て係わり合いになりたくない類であるのは一目瞭然だ。……当然である。
「くそー。世の中には綺麗なねーちゃんがいっぱいいるのに、どーして俺にゃ縁がないんだっ。俺も美人のねーちゃんと熱いベーゼをかわしその胸の中で溺れてみたいーっ!!」
 魂の叫びだった。
 こういったことを街中で叫ぶようなところに、問題が多分にあることに横島は気づいていない。そしてきっとこれからも気づかないだろう。……それもまた、横島である。
 ともあれ、今日も今日とて撃墜され記録を更新していく横島だった。
「あ、おっじょうーさーん!!」
 何度轟沈してもめげない所は、唯一の美点かもしれない。

 交差点の向こうに立つその少女に横島の目が留まったのは、撃墜され記録がそろそろ三桁に上ろうとしていたときだった。後五分ほどで時計の針が十二の場所で重なろうとしていたときだ。
 その少女は振られまくる横島を面白げに見ていた。目深にかぶったニット帽からは溢れる黒髪が内側に跳ね、幾分陰になった場所から好奇にあふれた目がのぞいている。
 鼻梁はすっきりと通り、唇はしっとりと濡れ、肌は透き通るかのように白い。背丈は横島の胸ほどだろうか。黄色いシャツを着てミニスカートを履き、足には太ももまでストライプの入った靴下を履いている。
 年の頃は十六、七歳ぐらいだろうか。紛れもない美少女だった。
 横島は目が会ったのを幸いに一瞬で少女との間合いを詰めると、迷うことなくその手を握った。
「どうです、可愛いおぜうさん。僕と熱いひと時などはっ!!」
 横島の突然の言葉と無遠慮な態度に、しかし少女は手を振り払うこともなく、上目遣いに尋ねる。
「遊んでくれるの?」
 てっきり素気無く振られると思っていた横島は、幾分戸惑いながら慌てて頷いた。
「え? あ、うんうん。僕、遊んじゃう」
「じゃぁ付いて行っちゃう」
 少女がその顔に満面の笑みを浮かべたのを見て、横島はぽかんとした表情を浮かべた。「……あれ? ほんとに?」
「うん!」
 変わらず少女は横島に笑いかける。その顔を見て横島の顔にも笑みが浮かび、
「あれ?」
 何かに気づいたように横島は不思議そうに首をかしげた。その少女の笑顔を、どこかで見たような気がしたのだ。
 いやそれ以前に、この娘とどこかで会ったことがなかったか――? 
 一瞬己に問いかけた横島だったが、それがどこか答えは出ない。そしてそれ以上考える間もなく、少女が横島の袖を引っ張った。
「レディをあんまりじろじろ見ちゃ駄目ですよ?」
「え、あ。ご、ごめん」
「えへへ。とりあえずご飯食べよ? わたし、お腹すいちゃった」
「あ、うん。そうだな。そうしよう」
 少女の蕩けるような笑みに、横島の顔の造形はぐだぐだに崩れた。浮かんだ疑問はあっさりと忘却して、呆けたような表情で歩き出す。その腕に少女がしがみついた。
 相貌をくずしながら、横島は少女と連れだって歩き出す。


「あ、横島! 見て見て、凄いですっ! お皿回しながら玉乗りしてるですよ!」
「……おー凄いな」
 ファーストフードで食事を済ませた横島たちは、連れ立って街をうろついていた。腕を組み、少し照れる横島を少女は引っ張りまわす形だ。
 折しも今日は世間も休日であり、街には多くの人間が集まっている。街頭パフォーマンスも盛んで、少女に引っ張られながら次々と回っていく。
「あっ! 向こうでは火を噴いてるです! 面白いですっ!」
「……おー凄いな」
 少女は顔をきらきらさせながら手を叩いて喜び、そして横島に笑顔を向ける。
 横島というと、街頭パフォーマンスを見ている余裕はなかった。楽しそうにはしゃぐ少女に生返事を返しながら、街頭パフォーマンスそっちのけで少女をちらちら窺っているのだ。
 時折笑いかける少女と目が合っては慌てて笑い返し、それでさらに幸せそうに微笑む少女に、横島の意識は惹かれっぱなしだった。
 街頭パフォーマンスを一通り見た後は、デパートでウィンドウショッピングとなった。少女は服や小物を手に嬉しそうにはしゃぐ。あれはなんだろう。それはなんだろうと、次々興味を移しては楽しそうに笑う。
「あ、見て見て。蝶々のアクセサリーです!」
 小物を見ていた時、少女がガラス製の小さな蝶のアクセサリーを指でつまんでみせた。目線の高さまに持ち上げて、じっと見入る。
「私に負けないくらい、可愛いですね〜」
「それ……買ってあげようか?」
「ホントですか!?」
 横島の言葉に、少女は嬉しそうに顔を上げた。少女が持っていたのは子供向けの安物だったが、それでも嬉しいものは嬉しいらしい。そして嬉しそうに笑う少女を見て、横島も嬉しそうに、そして照れたように笑った。
 買い物を済ませてデパートを後にした二人は、次に映画館に向かった。デパートで最新映画のポスターが壁に貼られており、それを見た少女が「映画って見たことないですよ。見てみたいです!」といったからだ。
 今時映画を見たことが無いとは珍しい。しかし自分もそれほど経験がない事を思い出して、横島は苦笑する。薄給の横島には、正直映画は高価な娯楽なのだ。
 それが二人分ともなるとかなり厳しいものがあったが、もうこの時点ではそんなことはもう気にならなかった。映画に連れて行ってあげれば、きっとまた嬉しそうに笑うのだろう。横島はその笑顔が見たかったから……。
 何故だろう。そう横島は自問する。自分は、会ったばかりのこの少女に惹かれている。
 確かに少女は可愛いし、魅力的だと思う。ころころと楽しそうに笑い、横島に向ける優しい瞳はとても輝いていて、綺麗だとも思う。声も元気に溢れていて心地良いし、様々な仕草も一つ一つがとても気持ちいい。……しかしそれが惹かれる理由にならないことは、横島自身がよく知っているのだ。
 女好きだということを自覚している横島だったが、自分が本当に心を惹かれる女性はそうはいないということも、同時に自覚していた。見てくれや雰囲気だけでは、結局のところ煩悩の対象にしかならないのだ。
 しかしどうやら、この少女は違うのである。
 不思議だった。初めて会ったとは思えないほど、心がすぐ近くに寄り添っているような気がするのだ。そうまるで、遠い昔に既に心を通わせていたかのように……。
 横島にとって、少女との一時はとても楽しい時間だった。充実感溢れる時間だった。永遠に続けばいいとすら感じるほどだった。
 これ以上はないと思えるほど、横島にとって素晴らしい時間だった。……ただ一日を少女と過ごす中で、一つだけ不満な点があった。
 横島が何度訊ねても、少女は名前を名乗らなかったのである。


「あー、楽しかったですよ。ありがとうございました。映画って面白いんですねぇ。……あ、このパフェ美味しそうです!」
 映画を見終えた二人は、道路に面する喫茶店で向かい合って座っていた。
 少女がメニューを見ながら浮かべる笑みに、横島は相変わらずどぎまぎしていた。勝手に速くなる鼓動がうるさく、気を抜くと顔が上気しそうだ。
 それでも横島は、なんとか少女に普通に見せようと努力していた。
「えーと。取りあえず、甘いものとお茶でいいかな?」
 少女が頷くのを確認して、横島はウエイトレスに紅茶とパフェをそれぞれ二つずつ注文する。遊び疲れた身体には甘いものが美味しい。
「……っ」
 注文を済ませて少女に目を戻した横島は、そのまま少女に釘付けになった。
 少女は窓の外に目を向けていた。外は既に太陽が傾き、夕日が彼女の横顔を照らしている。茜色の陽光が彩る、少女の顔の陰影。その中で一際目立つ、どこか大人びた光を宿す彼女の瞳が、茜色に染まる町並みに向けられている。
 夕日に彩られた少女は、一種怪しいまでに美しかった。
「一日が終わりますねぇ。夕日が綺麗です、とても」
 ぽつりと少女が口にして、穏やかな顔を横島に向ける。
「今日は楽しかったですよ」
 微笑む少女に対して、横島は我に返って慌てた。
「い、いや、俺の方こそ。凄く……凄く楽しかった」
「えへへ。照れますね……」
 少女はにこりと笑うと、再び窓の外へ目を向けた。
 そのまま横島を見ずに、言った。
「ねえ横島……この後、横島の部屋に行って良いですか?」
「お、俺の部屋?」
 刹那、横島の脳裏にアパートの部屋の惨状がよぎった。
 それは一人暮らしの男の典型的な部屋だ。ゴミタメと呼ぶにふさわしい、とても女の子を入れられるような部屋じゃない。そんな部屋だ。
 だから横島は反射的に言った。
「だ、駄目だ!」
「!」
 少女が勢いよく横島に振り向いた。その顔に浮かぶ悲壮さの滲み出た表情に、横島は気づかない。
 そして気づかぬまま、横島は続ける。
「あ、あんな汚い部屋に女の子入れられん。それに部屋に戻っても食い物はおろか、お茶すら出せないし……来ても仕方ないって言うか、楽しくないって言うか……」
 その言葉に少女は安堵の息をつくと、困ったように首をかしげた。
「えっとその、遊びに行くとかじゃなくて……」
「え?」
 少女は上目遣いに横島の表情を窺ったが、横島はまだよくわかっていないという顔をしていた。
「もう、横島の馬鹿……」
「? ? ?」
 なおも理解しない朴念仁に小さく溜息をつくと、少女は身を乗り出して横島に顔を寄せた。
 小さく言った。
「あのね。女がそういうことを言うって事は……その、あなたの思い出になりたいってゆーか、その、つまりは抱いてくれないですかってことです!」
 一瞬何を言われたのかわからなくて、横島の思考が停止する。
 今何を言った。目の前の美少女は、一体何を言った?
 じわじわとその言葉が横島の脳に染みこんでいく。
 やがて横島の脳が少女の言葉を完全に消化したちょうどその時、ウエイトレスが注文の品を運んできた。
「お待たせ致しました。ホットティーとパフェえええええっ!」
 横島は唐突に鼻血を噴出させた。
 慌てふためくウエイトレス。テーブルが血の海と化していくその様子を、きょとんとした表情で眺める目の前の少女……。
「はっ!?」
 横島が我に返った時、店中に人間がこちらを注視していた。おまけに店の奥から店長とおぼしき人間が、慌てた様子でこちらに向かってくるのが見えた。
 このままでは、大事になりかねない。横島はそう判断するやいなや、少女の手をひっつかんで出口に走った。
「すんませんっしたーっ!」
 きょとんとした表情のままの少女を引っ張り、横島は走る。
 背後で何か聞こえたような気がしたが、自分には聞こえなかったと言い聞かせた。


「………」
 近くの公園に移動した横島は息を整えながら、後悔に顔を青ざめていた。
 我ながらアホらしい反応をしてしまった。いくら何でもテーブルを血の海にするとは呆れられても仕方がない。以前ルシオラに似たようなことを言われた時も同じ反応をしたが、あれから全く成長の色はないようだ。……いや、耳から無いだけましだったか?
 ともあれ、あんまりと言えばあんまりの反応をしてしまったことに、横島は恐る恐る傍らに立つ少女を見る。
 予想に反して、少女の冷たい視線が横島に向けられることはなかった。それどころか少女は体を震わせ、腹を抱えて笑っていた。
「えっと……」
 横島が困ったように呟く声が聞こえたのだろう。少女は涙さえ浮かべて、横島を見た。
「あー、面白かった。話には聞いていたけど、本当にするんですねぇ」
「え?」
 楽しそうに言ったその言葉に、横島は反応した。
 話しに聞いていた。今、確かにそう言った。それはつまり、以前から横島を知っていたと言うことになる。その疑問を口にするべきか横島は迷った。
 彼女は名前を名乗らない。それは名乗ることに不都合があるからか。それとも、彼女をどこかで知っているような気がする事に関係があるのか――。
「あー、おかしかった」
 横島の疑念をよそに、少女は近くのベンチへと腰を下ろした。慌てて横島はその隣に腰掛ける。すると少女はごく自然に、横島にそっと身を預けた
 太陽は沈み、辺りは既に暗い。街灯の弱々しい光が公園内を照らしているが、夜の闇を押しのけるほどではない。しかしいかに暗くとも、身体を預けてくる少女の顔が赤く染まっていることは見て取れた。先ほど自分に顔を寄せた時も赤かった。夕日のせいだと思っていたが、おそらく違ったのだろう。
 身を寄せている少女が、そっと横島の耳元に口を寄せた。甘い吐息が耳にかかり、横島の理性が根こそぎ持っていかれそうになる。
「ねえ。さっきのだけど……どうするですか?」
「え? あ、うん……」
 頷きながら、横島は必死だった。暴走しようとする煩悩を抑える為に、横島は全精神力を振り絞らねばならなかったからだ。
 少女は美人だ。進んでお近づきになりたい美少女だ。……正直、ヤりたい! だがしかし、それはいけないと叫ぶ声が横島の心にある。
 かろうじて横島は言う。
「ダ、ダメデスヨ。カラダハモットタイセツニ……」
 そう、好きな男にこそ、そういうのは許すべきだ。そうでないと、そうでないと……。
 不意にルシオラの顔が横島の脳裏に浮かんだ。残り少ない命だから、あなたに全てをあげる。敵同士だった頃、ルシオラはそう言った。
 短い命しか持たず、横島に身体を許すことでその想いを伝えようとした。そうすることしか出来なかったから、彼女はそう言ったのだ。好きだからこそ、ルシオラは命をかけて横島に抱かれようとしたのだ。
 好きでもない男に身体を許す……それを認めれば、それはルシオラの行為を無意味だったと、そう断ずるに等しい。それは横島にとって嫌悪すべき事だ。
「……勘違いしちゃ、駄目ですよ」
 横島の内心を知ってか知らずか、少女は続ける。
「あなたが好きだから、そう言ってるんです。好きだから、全部をあげるって言ってるんです。もちろん横島もそうでなきゃ、駄目です」
 身を硬くしながら、横島は少女を見た。まっすぐ、見返された。
 少女の目には、真摯な光があった。嘘を言っているようには見えない。ならば、本気で自分に惚れたというのか?
「でも俺達、会ったばかりだし……」
 初対面でそのまま肉体関係になることはあるだろう。しかし、それで気持ちがしっかりとあるのかといわれれば、首をかしげざるを得ない。
「それに俺……君の名前も知らないしさ」
「名前は、どうでもいいです。そんなものじゃなくて、私を見て横島がどう思っているか……どう感じているか、ですよ」
 少女は僅かに身を離すと潤んだ瞳で横島を見上げた。
「横島。私は、あなたに惹かれています。あなたが好きです。身体だけじゃない。心もあげます。むしろ、貰ってくれないと嫌です。身体だけじゃ、嫌です」
「あ……」
「もう一度言います。私の全部を上げます。だから、あなたの全部をください。駄目ですか……?」
 横島は心臓が爆発しそうに暴れているのがよくわかった。自らの暴れ回る心臓を押さえるかのように、少女をその胸で抱きしめた。
「不思議だ。どうしてこんなに、って思うほど」
 横島は少女をきつくきつく抱きしめる。そして少女の肺から漏れた熱い吐息を聞きながら、続けた。
「俺だって、君に惹かれてる……」


 ライトアップされた夜の東京タワー。その展望台の上に二人はいた。
 見上げた夜空には星が輝き、月は大きく円を描いている。風が少し肌寒い。
 展望台の上から見下ろした世界は、幾筋もの光の川が入り乱れているように見えた。車のテールランプやビルから漏れる明かり、そして街灯がきらきらと輝いている。
「本当はさ、夕暮れ時が一番良かったんだけどな。あいつはとても、夕日が好きだったから」
 横島はその場にあぐらをかいて座り込んだ。その横に正座で座り、少女はそっと横島に身を寄せる。
「ここはルシオラとキスをした場所なんだ。そして同時に……ルシオラを失った場所でもある」
 訥々と横島はルシオラのことを語り出した。
 話したいことがあるんだ。公園で、そう横島は少女に切り出した。君が好きだから、好きになったから……だから話さなければならないことがあるんだ。そう少女に言った。
 自分の過去と、彼がかつて愛した女性の話をしたかった。彼の人生の中で最も濃密な時間を共に過ごし、お互いに惹かれあった女性の話をしたかった。自分の悲しい恋の話を、少女に聞かせたかった。……だから、ここへ誘った。
 横島は少女に惹かれている。不思議なほどに惹かれている。……自分は今夜、少女を抱くのだろう。そう少女は望み、そして横島もそう望んでいる。
 しかしだからこそ、ルシオラの話はどうしてもしなくてはならないと感じていた。どうしても聞かせたい。彼女を抱くと言うことはそれすなわち、子供を作る行為をするということなのだ。だからどうしても話さなくてはならないし、何より聞いて貰いたかった。
 自分の子供として生まれてくる、かつての恋人の話を……。
 横島はルシオラとの出会いや心の触れ合い、そして世間一般には隠されているアシュタロスの事件について、静かな口調で話していく。
「それでな、彼女はアシュタロスを裏切って、俺の所へ来たんだ」
 横島がルシオラのことを語っている間、少女は横島に寄り添ったまま、静かに目を閉じていた。
 微動だにしない。口を開く様子もない。それでも横島は、少女が自分の言葉に耳を傾けていることを感じていた。
 今少女は何を考えているのだろうか。この話を聞いて、何を思うのだろうか……。
 不安な心をその胸に抱きながら、しかし横島の口調は淀みない。内心の不安が、その声に現れることはない。
「迷ったよ。結晶を破壊すれば、俺がルシオラにとどめを刺すことになっちまう。でも、俺は結局結晶を破壊する道を選んだ。あの時はもう、全てが終わったら俺も一緒に逝ってやるってぐらいの勢いがあったな……」
 ルシオラの話をするに当たって、やはり横島にも覚悟はあった。
 もしこの話を聞いて少女が翻意するならば、それはそれで仕方がない。それだけ重い話だとわかっていた。
 そうなってしまったら、とても悲しいけれど。心が触れあったから、温かかったから。失いたくないと、そう思ったから……だからとても悲しく苦しいけれど、仕方がない。
「それで結局は、俺の子供として転生させるって事で話は終わったんだよ。……これで、ルシオラの話はおしまい」
 過去の話を終えた横島は、横目で少女の様子を窺った。
 横島の肩に頭を預けていた少女は、そっと目を開けると、まっすぐな眼差しで横島を見た。
 涙を湛えたその目は、きらきらと輝いて見えた。
「馬鹿ですね、横島。普通こんな話をされれば、あなたと寝ようなんて人、いなくなるですよ?」
「はは、だろうなぁ。……でも、話したかったんだ」
 少女はその額を横島の肩に押しつけた。布地を通して、横島は少女の熱い涙を感じた。
「この話をしたのは……わたしを、ルシオラちゃんを産む道具にするつもりはないって事ですよね?」
「誰にでも、そんなことをするつもりはないよ。俺はただ……俺のこと、そして俺の背負っていることについて、知って貰いたかっただけだ。もしそれで心変わりするようならって、思ってた」
「軽い気持ちかどうか試した、とか?」
「それも違うな。ちょっと信じがたいけど、どうして俺にって思うけど……君が本気なのはわかっているよ。だからこそ、話さないと騙しているような気になりそうだったから」
 少女は顔を上げず、その両手を横島に回した。
 そのまま横島をぎゅっと抱きしめながら、くぐもった声で言う。
「横島……あなたは、とてもいい男ですよ。わたしの気持ちは変わりません。私を抱いてください。私の全てを……心も身体も、過去も未来も……全部あげます」
 少女は顔を上げた。そして泣きそうな表情を浮かべている横島を見て、やはり泣きそうな表情の少女は、優しく微笑んだ。
「あなたの大切な人は、私が産んであげるです」
 そして、二つの影が重なった。


 雀が鳴く音。そしてカーテンの隙間から差し込んだ目映いばかりの朝日。目覚まし時計などではなく、それらが告げる朝の声に、横島は目を開いた。
 身体が重かった。しかしそれは心地よい疲労感。ぼうっと天井を見ながら、昨夜のことを思い出す。
 昨夜、少女の身体は横島の腕の中にあった。夢にまで見た行為はしかし、実際にしてみると戸惑いばかりだった。壊れそうな少女を気遣いながら、傷つけないように、優しく優しくすることだけ考えていた気がする。そんな自分を意外に思いながら、しかし同時に満足感もあった。……不思議な感じだ。
 横島は隣に目を向けた。闇の中、昨夜ははっきりとは見えなかった少女の裸体を拝む為に。いやむしろ、その寝顔を見る方が今の彼にとっては重要かもしれない。
「……え?」
 優しげな眼差しで隣を見た横島は、一瞬硬直した。そこに信じられないものを見たのだ。彼は驚きに目を見開き、そして確かめるように右手をさまよわす。
 横島の隣……そこには、誰もいなかった。さまよわせた右手が感じるのは、体温の残らない煎餅布団の空しい感触だけだ。
 横島は飛び起きた。
 まず視線を向けたのは台所だ。朝食でも作っているのか? 答えは否。誰もいない。ならばトイレか? しかし誰も入っている気配はない。ではどこかに隠れているのか? きょろきょろと視線を彷徨わす。……しかしいない。そもそも隠れられるようなスペースなど、この部屋にはない。
 部屋のどこにも、彼女はいなかった。しかし夢のはずはない。その証拠に、彼女との情事の跡が、彼の横たわる蒲団に残されている。
 ならば答えは一つだ。
「俺が眠っている間に……出て行った?」
 己の顔から血の気が引く音を、横島は聞いた気がした。
 連絡先はおろか、名前も知らないのだ。まさかこれっきりか? そんなのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 全部をあげる……彼女はそう言ったのだ。そして全部をあげてもいい……横島もそう思ったのだ。
「そんなはず、ねえよ……」
 呻いた横島の目が、ちゃぶ台に置かれたメモを捉えた。昨夜はなかった代物だ。ならばこのメモは、少女が残したものだろう。
 弾かれるように、飛び跳ねるようにして横島はメモに飛びつく。
 両手で持ちながら、横島は食い入るようにメモを見た。
 そこには一言、こう書かれてあった。
 『また、すぐ会える』と。


 小竜姫は身支度を整えていた。今日は可愛い妹弟子と共に、美神除霊事務所に泊まりがけで遊びに行く日だ。
 事前調査はばっちりだ。横島達を連れてデジャブーランドに遊びに行く予定や、美味しい蜂蜜を売っているお店の情報。そして一級品のお酒を扱うお店など、懐のメモにはびっしりと書き込まれている。
 ちなみに龍神様は、おしなべて酒好き。
「いけませんね。私も少し浮かれているかも……」
 戒めの言葉を口にしながらも、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。とにかく一番の目的さえ忘れなければ、多少は羽目をはずしても良いだろう。
 小竜姫の笑みが変化した。嬉しそうな笑みから、柔らかな笑みへ……それは、大切な存在に対する笑みだ。
 小竜姫はパピリオと横島が再会した時のことを考えた。きっと横島は驚くだろう。魔族や神族は人間と同じように年を取るわけではない。たかが一年。されど一年。見違えるほどに成長したパピリオを見て、どんな反応を示すだろうか。
「小竜姫」
 背後からかけられた声に小竜姫は我に返った。
 振り返ると、部屋の前にパピリオがいた。その姿に、再び小竜姫に柔らかな笑みが浮かぶ。
「準備はできたのですか?」
「うん。早く行こう!」
 パピリオは元気にそう言うと廊下を歩き出し、ふと思い出したかのように立ち止まった。そして小竜姫に向かって微笑むと、くるりとその場で回転して見せる。
 水色のワンピースがひらりと踊った。ちらりと、すらりと伸びた白い足が見える。次いでパピリオは前屈みになると、小竜姫に向かってウインク。やはりちらりと見える白い谷間。
「わたし、可愛いですか?」
「ええ、とっても」
 小竜姫はにっこりと笑う。
 パピリオは、ルシオラとベスパの姉妹だ。しかし唯一彼女だけ、その外見は幼女とさえ言ってよかった。そこに何らかの意図があったかどうか、それは今ではどうでもいいことだが、一つ忘れてはいけないことがある。
 パピリオは、他の姉妹とそう精神年齢が離れているわけではない。肉体に引きずられる傾向はあれども、本来そう差はないのだ。
 妙神山でパピリオは、その精神年齢に引きずられるように急速な成長を遂げていた。僅か一年で、既に見事な女性と言えるほどにまで。
 目の前に立つ美しい少女を、小竜姫は眩しそうに見た。
「横島さん、きっと驚きますよ? こんなに綺麗になったって……」
「えへへ、ありがとう! 先行くね」
 頬を赤くし、照れたように笑いながらパピリオは駆けていく。
 その後ろ姿を見送りながら、小竜姫は身支度を再開する。余り待たせるわけにもいかないだろう。きっとすぐにでも出発したくてうずうずしているはずなのだから。
 急いで身支度を終えると、小竜姫は立ち上がった。そして、ふと呟く。
「ところでパピリオ……どうして人間に化けているのでしょう。黒髪のパピリオもだいぶ印象が違って見えて、新鮮で良いのですが……」
 そういえば昨日は朝から姿を見なかったが、何か関係があるのだろうか。
 少し考え首をかしげた小竜姫に、パピリオの声が届く。
「小竜姫ー。早く行くですよー!」
 催促の声だった。
「あ! はーい! すぐに行きます!」
 小竜姫は慌てて叫ぶと門へと向かった。
 先ほど感じた些細な疑念は、既に忘れていた。

 老師は自室でテレビを食い入るように見ながら、コントローラーを電光石火の早業で操作していた。
 その老師が、不意に呟く。
「未熟もん……」
 その言葉は、ゲームの音に紛れて消えた。


 あとがき。

 ですます口調を、でちゅまちゅ口調にするとわかりやすいやも。


△記事頭

▲記事頭

e[NECir Yahoo yV LINEf[^[z500~`I
z[y[W NWbgJ[h COiq@COsI COze