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▽レス始

「陽炎。(GS)」

雅 水狂 (2006-06-20 22:34)


 何時までも、消へぬ陽炎が付き纏つてゐた。

 何をするわけではなひ。

 只、其処にじつとゐるのである。


 私は何をしてゐるのだらうかと問うてみた。


 ――――彼女は、哂つた。


『陽炎』


 ――ああ。
 鳴っているなと思った。

 耳障りな、それ。
 目覚ましの、音。

 その電子音が。
 そのりりりと云う音が。

 何時までも神経を逆撫でして。
 止まる素振りを見せぬそれに段々と怒りが膨れ上がっていく。
 今にも起きようとしていたと云うのに。


 ――畜生。


 そう思ったから。
 堪りかねて布団の中から伸ばした手で叩き潰すようにして止めたのである。
 沈黙したそれを恨みがましい目でじっと見つめてみるが、別段それが何かを言う気配は無い。


「――当たり前だ、バカか俺は」


 自嘲気に零した言葉。
 絡み付いてくるようで――
 纏わり付いてくるようで――


「くそっ――」


 頭を振り払う。
 つっと汗が額から流れ落ちた。

 真夏だと云うのにこの部屋には冷房器具の一つも無い。
 すっかりと頭が眠気から覚醒してみれば、じっとりと蒸し暑い布団が肌に纏わり付いてくるようだった。

 金の無い己の状況に悪態を吐きながら、煎餅のように薄い布団から這い出る。
 立ち上がれば、開けられた窓から入り込む風が汗に濡れた肌を冷やし、心地良かった。

 その風に、ふと緑の匂いを感じ、鼻で寸(すん)と吸ってみた。
 これは街路樹だろうか。己のアパートへと続く道に点々と植えられたイチョウの葉の匂い。

 秋にはその実で随分とお世話になったものである。
 黄金色のまあるい実。取りに行くときに、果肉の臭いが身体中に染み込んでしまったものだが、仕事先の彼女に作ってもらった炊き込み飯は旨かった。


 ――と、その味を反芻していると、今日もあの気配がする。
 気配のする方を見れば、ぼんやりとそれが浮かんでいた。

 ――黒い、影。
 男か女かの判別も付かぬ程にぼんやりと霞掛った人影である。
 夏の日に浮かぶ陽炎のような、今にも消えてしまいそうな、暈(ぼ)やけた影。

 それが――
 それが、何時も其処に居るのである。 

 怖い、とは思わない。
 日頃から「そういうもの」に慣れていることもあるが、それからは悪意を感じないのである。

 当初は何の霊かと思ったものだが、やはり悪さをするでもない。
 ただ、其処にいるのである。

 どうせであれば綺麗な女の影が良かったが、触れることが出来なければ、結局は生殺しである。
 幾度か、それに触れてみようと挑戦してみたのだが、どんな手段を使っても触れないのである。ただ、手のひらから毀れる水のようにすり抜けていくだけであった。
 それを考えれば、この黒い影でも良い気がする。

 雇い主に相談してみたが、そんなものは感じ取れなかったそうだ。
 しばらく経ってもまだ居るようならまた相談してとも言われたが、なんとなく話すことは憚られた。
 きっと己の幻覚か何かなのだろうと、そう思うことにして。

 爾来、何の対策もせずにその影と共に生活している。
 不思議と、己はこの影が厭では無いのだから。


「よう」


 と、何時ものように挨拶をしてみると、その影が微笑む気配。
 己の勘違いかも知れぬが、その反応に悪いモノではない、と思う。

 じっとその顔を見つめていると、瞳が視えた気がした。
 何処か、懐かしい。既視感を覚えるような美しい瞳。
 その瞳に吸い込まれてしまいそうで。


 ――馬鹿馬鹿しい、と思った。


 それから目を離し、深い底から浮かんできた気持ちを切り替えるように嘆息する。
 再び、ちらりとそれを見つめてみるが、あの瞳は視える気配が無い。
 きっと、気のせいなのだ。


 ――――そういえば、俺は何故こいつが此処にいることを気にしないのだろう。


 ふと、そんな疑問が思い浮かんだが、すぐにそれは立ち消えた。
 何を考えていたのかも、既に忘れてしまった。首を捻ってみるが、答えは出てこない。


「――ま、いっか」


 何を思い出そうとしていたのか。
 それすらも忘却の彼方へと押しやると、眠っている合間にぐっしょりと濡れてしまった下着を替えるために裸になる。
 それが其処に居るままなのだが、そんなことは疾うの昔に慣れてしまった。
 露出狂じゃないんだがなぁと苦笑するが、その影も毎回その時だけは己から目を逸らしてくれる気配がするので、安心して着替えることが出来るのである。

 下着を替え、安物の服を着て、頭に確りとバンダナを締める。

 さて――
 今日の仕事は町の片隅にある工場の除霊だっただろうか。
 ぱんぱん、と顔を叩いて気合を入れると、玄関に向かって歩き出す。

 扉を開け、最後に一つ、その影に向かって声を掛ける。


「それじゃ、行ってくる」


 パタン、と云う音を伴って、扉が閉まった。


 そして、消えぬ陽炎は――――――。


 彼が立ち去ったその部屋で。
 彼女が立っていた場所には、蛍を模ったそれが置かれていた。


 ―了―


 後書き。
 実験の意味合いが強い作品です。
 実はこの続きの構想もあったのですが、ここで切った方が綺麗かなと思いまして、思い切ってカット。
 少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。


 以下、Sing a songのレス返しです。

>aki様
 そう。おキヌちゃんはいい子なのです。
 黒くなんて決してなりません(笑

>偽バルタン様
 有難うございます。
 二人の情景、少しでも感じていただければ幸いです。

>柳野雫様
 雇い主様はツンなのです(笑
 オシオキとかでしか、自分の気持ちを表せないのです。

>美尾様
 歌はドキドキするものなのです。
 自分の気持ちが伝わるものですしね、やっぱりこの二人もドキドキしていたことでしょう(笑


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